タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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大人の条件

大人の条件

The Vanity's

ギャラリーLE DECO(東京都)

2017/12/19 (火) ~ 2017/12/24 (日)公演終了

満足度★★★

サスペンス風に仕上げた心象風景劇のようであった。主人公の衣装やセットが白色で透明感がある。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

セットは上演前は、立体ボックス型で閉じている。客席からは白い壁のように見える。物語が始まると壁を折り畳み変形させる。そこは邸宅内、上手側にインターホンが置かれた台、中央奥に塑像、手前にキャンバス・デッサンやベンチ(ソファーのイメージ)、下手側には膝高の円柱腰掛がある。柱にはいくつかの肖像画が飾られている。

物語はホスピスに入所している女性が、職員に探偵まがいの人物探しを依頼するところから始まる。場面は転換しマツナガ邸_そこに住んでいる三姉妹、特に盲目の三女・夢実(瑞生桜子サン)の視点で展開していく。人の心にある悪意と善意が混じる。物語性を意識したのか、面白くするためラストの展開を急転させる。それまで登場していない人物が現れ、今までの何故・何なのかという疑問や謎を一気に説明してしまったのが残念だ。

物語は、屋敷の主人コウイチの生前の行いに起因している。有名な画家であったが莫大な借金を残し自殺する。幼い頃、夢実はアトリエに籠もり父のモデルをしていた。10年程前の家族旅行で交通事故に遭い、それが原因で記憶喪失になる。それでも絵が好きで描き続けている。父には数多くの愛人がおり、その中の1人が画廊に勤め、借金返済のために家の美術品をオークションに出すなど協力・援助をしている。その善意とも思えるような行いには隠された陥穽が…。

さて、父が画家としての名声を得ることになったのは、「クローズド・アイ」という3枚シリーズ。ラストにはこの絵に関する秘密が明かされる。父の凡庸、偽善、欺瞞、偽評価が次々と分かる。さて3姉妹の姉2人は、夢実に過保護とも思えるような愛情を注ぎ、自分たちの暮らしは精神的な苦悩に満ちている。冒頭のホスピス職員がその友人である美大生を伴い夢実との交流を始める。この極めて普通な交流こそが喜び。そして画廊の女性職員の悪意ある告白。そこに潜む偏狂的な父への想い。この善悪という対比に人間の本質を観る。
心の光と闇_白いキャンバスに燃えるような赤、その燃えた焦げ後の黒、そのコントラストを思わせるような展開は良かったが…。
劇中挿入歌「星降る夜」も優しくも物悲しい感じが、雰囲気作りにマッチしていた。

次回公演を楽しみにしております。
時代絵巻AsH 其ノ拾壱『朱天〜しゅてん〜』

時代絵巻AsH 其ノ拾壱『朱天〜しゅてん〜』

時代絵巻 AsH

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2017/12/14 (木) ~ 2017/12/19 (火)公演終了

満足度★★★★

物語というよりは寓意あるメッセージ性の強い作品。この劇団の特長である殺陣は観応えがあるが、そのシーンが少ないようで残念だった。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

セットは平安時代の貴族または武家屋敷のような造作。
具体的な史実は解り難いだけに、物語に描かれる内容如何が公演全体の方向性を決める。それゆえ作・演出の灰衣堂愛彩女史は、意識して寓話的な描きにしているのか、結果的にそう観えるようになったのか判然としないが、鬼であっても人であっても”己の存在する意味”を問うているように思う。

梗概…棲家を追われた者たちが切り拓いた「隠人(おに)」の国。都人は彼らを人ならざる者_鬼と呼んでいた。平安時代は関東以北を蝦夷(えみし)と呼んでいたようだが、イメージ的には都(京)以外は辺境の地として異端視・異族視した呼称をし、差別的な扱い。また公演では鬼=身体障碍者を指すようで、差別と蔑みの対象として描いている。主人公・”鬼”王丸(黒崎翔晴サン)は平将門の子孫だが、目が不自由という設定である。一方”人”として描く清和源氏の流れをくむ源頼光(村田祐輔サン)は鬼王丸と友情を育んでいたが、朝廷の命により鬼王丸とその仲間の蝦夷を討伐しなければならず苦悩する。
2人の望まぬ相対する立場と信念は、そのまま現実(侵略)と理想(安寧)の対決を投影している。この思いは通じ合うことなく物語は悲劇に向かう。

人の欲とは…富と権力を握っていても、更なる欲望が生まれる。その根底にはいつも没落という疑心と慄きがある。自分の本当の姿を見失っている人、富や権力の中身が人の価値を決める訳ではないが…。それが大江山で採掘した鉄(鉱山)で富を蓄積し、それを奪うための討伐とも描く。重層的な提起は物語性よりも印象深くなる。不寛容が広がる世界に生きる現代社会への警鐘とも思える。同時に朝廷が蝦夷を討伐するシーンは、世界を覆う排他主義を想起させる。

公演は舞台美術が素晴らしい。セットは殺陣を意識したスペースの確保、それも観客に十分楽しんでもらうための工夫として、客席寄に設けることで身近に迫力を体感できる。照明はハイ・コントラストのモノクロ感、殺陣(鬼気迫る剣筋)はその激しさとストイックな要素が鬩ぎ合い、全体演出が印象と緊張感を倍加させる。ラストはいつもながら余韻に浸れる見事なもの。

次回公演を楽しみにしております。
あたま山心中 散ル散ル、満チル

あたま山心中 散ル散ル、満チル

ハイリンド

小劇場 楽園(東京都)

2017/12/19 (火) ~ 2017/12/24 (日)公演終了

満足度★★★★

さくらんぼの種を食べて頭に桜の木が生えた男を描いた落語「あたま山」と、幸福の青い鳥を探すため旅に出た兄妹の話「青い鳥」を交錯させて描いた2人芝居。奇妙な構成の中にごく普通の人が存在する、そんな独特な感じが面白い。
妄想か幻想か、夢か現か幻か…そんな現実離れしたところの日常が見えてくる。
(上演時間1時間20分)

ネタバレBOX

セットは、中央に木組みや木の椅子が重なり合う。周りには開いた旅行鞄、帽子がある。

2人の関係が短い間隔で夫婦、兄妹、父娘等に変わり、細分化させたシーンを繋ぐ。精神的な繋がりを持って新たな関係を築けず狂気妄想的な衝動や思い込みに世界が変わる。また年齢も子供から大人(中年)という離れた年代を行き来し展開する。その突拍子もなく現実離れしているかと思えば、リアルな情況として浮かび上がるという不思議感覚である。

ベースになる「あたま山」は、ケチな男がさくらんぼの種まで食べたところ頭に桜の木が生えた。人々は珍しがり頭の桜見までする。男は木を抜くが、そこに穴が出来た。そこに雨水がたまり池になる。これにも人々は玩ぶ。我慢を重ねたが煩さが高じ男は頭の池に身を投げてしまう。どちらかと言えば悲劇的だ。
「青い鳥」は 、2人兄妹のチルチルとミチルが、夢の中で過去や未来の国に幸福の 象徴である青い鳥を探しに行くが、結局のそれは自分達に最も手近にある 鳥籠の中にあった、という幸福が見られる。この全然関係のない話を不思議という共通する感覚で結ぶが、本公演の観せ方は一つの物語として紡いだとは思えない。

「あたまと心が、散る、満ちる」という駄洒落のようなチラシのキャッチ。公演全体を貫くイメージは、夢想の旅路の果てに辿り着いたところは二つのベースによって違う。「あなたと呼ばれた時、たまに(自分が)誰だか分からなくなる」という台詞が少し悲しい。心が彷徨し、その先にあるのは病(病院)か死か。そんな情景が現実の問題に近づいたり離れたりする。リアルな問題を柔らかく包み込み不思議感覚で訴える見事な公演。それを体現する2人の役者の演技力も確かだ。

次回公演を楽しみにしております。
SMOKIN'  LOVERS〜紫煙〜【30名様限定公演】

SMOKIN' LOVERS〜紫煙〜【30名様限定公演】

惑星☆クリプトン

Cafe Bar LIVRE(東京都)

2017/12/08 (金) ~ 2017/12/17 (日)公演終了

満足度★★★★

「Cafe Bar LIVRE」という会場で、その場所に相応しい大人の会話劇(オムニバス全11話)。どちらかと言えば真面目な展開で、政治や芸能界で話題になっている不倫に関する話はない。ドロドロとした痴話喧嘩のような話はなく、あくまで正面から捉えた恋愛話は心落ち着いて観られる。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

特にセットは作り込まず、会場の雰囲気を大切にしている。その中で他人の恋愛話を覗き見、聞き耳を立てる感覚である。役者は基本的にはカウンターに座る、またはその内に入っている。男女の心が揺れ動き、人間としての機微が垣間見えてくる。ドキュメンターを観ているような濃密にしてリアルな会話劇。登場人物の視線が交差し、そこに漂う都会の雑踏と孤独が浮き上がり、自分の恋愛経験の一部のように侵食してくるようだ。雰囲気とタバコの活かし方が絶妙だ。

①OP-
「Cafe Bar LIVRE」という大人の社交場でこれから繰り広げられる導入話。
②SEVEN STER-
ロック歌手をインタビューするが、その応答が聞き取り難くバーテンダーに通訳を依頼するが、意訳し過ぎるのか全然関係のないあらぬ方向に話が進む。
③VOGUE-、女同士の深い悲しみが浮き彫りになる。女優で生計を立てているが、芸能界で生きていくことは難しく、AV女優へ転身しようとするが…。
④PIANISSIMO-
父親の会社を継いだ男と先輩らしき男の男同士の会話。先輩の幸せな結婚と妻が新宿のホストクラブにはまり家出された後輩。そこにタバコに関するアンケート。今の心情を傷つけるような内容が…。
⑤PEACE-
4年前に別れた男女(遠距離恋愛)が再会し_男は既に結婚し、女は別れたことへの悔やむ気持を引きずり…。
⑥ECHO-
いい加減なその日暮らしの男、それに対比するようにカウンター内から女が醒めた目で見ている。
⑦LARK-
別れた女がBarを訪れ、近々結婚するという。「好き」という言葉に応答するのが「ありがとう」。その微妙なニュアンスの違いが男女の気持の前に立ちはだかる。
⑧CAMEL-
怖い話。らくだ色の服を着た女が街灯の下で佇み、それを見つけた人は死んでしまう。実は話を聞いている女が怖い。
⑨HOPE-
隣合う男2人の慟哭を誘う会話。男のジッポは親友の形見。親友は交通事故死であるが、その原因を作ったのが自分だと苛む。一方、年配の男には年の離れた弟がいたが交通事故死したと語り出し。2人の会話が交差し…それでもHOPE(希望)を捨てるなと。
⑩MEVIUS-
全体を纏めるようなBarの人間模様。
⑪KENT-
路子とケントが初デート。ケントのスーパーマンの話から人の在り方を巡る話に発展し、正式に付き合うことに。初々しく、清清しい若者の少しくすぐったいような。

演技は「Cafe Bar LIVRE」という会場であることから後姿が多いが、顔や体そのものを横にしたりして表情を観せる工夫をしていた。本当の「Cafe Bar」であるだけに雰囲気は十分。タバコの銘柄に合わせた話も洒落ており味わい深い。話も人生の滋味、残酷な別れ。そして関係も大人から若者まで演じ分ける。

次回公演を楽しみにしております。
袴垂れはどこだ

袴垂れはどこだ

劇団俳小

シアターX(東京都)

2017/12/13 (水) ~ 2017/12/17 (日)公演終了

満足度★★★★

袴垂れ=袴誰はどこだという人物探しを表層的に描いているが、底流には貧富の差の拡大と言われる現代日本への警鐘とも受け取れる。同時に人の心には善悪(清濁)という二面性があるという寓意のようなものが観えてくる。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

セットは、やや上手側に丘もしくは山奥を思わせる階段状の舞台。両側の奥に枯れ草、客席寄には別空間を思わせるスペースがある。

梗概…主人公は地頭や役人たちの専横に苦しむ農民。村で行き倒れになった僧侶から地頭屋敷を襲い、金品を奪っては村人たちに分け与える、「袴垂れの盗賊」の話を聞き、農民たちは「袴垂れ」の到来を待つ。しかし姿を見せない「袴垂れ」を待つだけではなく彼ら自身が「偽・袴垂れ」になって旅立つ。そして真の「袴垂れ」に合流しようと思う。そして7年の時を経て現れた「袴垂れ」は農民たちが思い描いた人物とはかけ離れていた。そこで真の「袴垂れ」を倒し、自分たちが「袴垂れ」になることを決意する。

脚本は1964年に福田善之氏が書いているが、当時の社会情勢と現代では当然違う。当日パンフに、七字英輔氏が60年安保闘争における全学連内部の対立について触れている。その時代背景の違いを人間の本質という普遍的な面に力点を置き、観客の心情と納得度に訴えてくる。

憧れや理想は抽象的で、野望や欲望は具体的と思わせる。良薬は口に苦し…絶望と希望は毒か薬のようで、その受け止め方は人それぞれ。「袴垂れ」の真・偽は人が持つ善悪のように投影される。善悪の主体は、立ち位置によって変わる。聖戦か侵略(奪略)かは、人の意識と状況によって分かれるのではないか。そのことが峻別できれば人間社会は混乱しない。この作品では、二面性を持つ人間の本性(正邪)といつの時代にもある貧富の差をしっかり観せてくれる。その観せ方は全体的にモノクロ感で描き出し、農民たちの理想と挫折、皮肉な幕切れに人生の哀感が漂う。
理想を掲げた農民(民衆)の思いと現代日本が抱える問題に鋭く切り込んでいた。

次回公演を楽しみにしております。
池田屋裏2炎上

池田屋裏2炎上

グワィニャオン

萬劇場(東京都)

2017/12/13 (水) ~ 2017/12/17 (日)公演終了

満足度★★★★★

新選組の名を世間に知らしめた有名事件。多くの公演は池田屋への襲撃を描いているが、本公演はその裏手にある店で新選組と薩摩藩士の人間的な遣り取りを中心に観せる。同時に京都の庶民が武士の騒動に巻き込まれていく慌てふためきをコミカルに描いた秀作。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

この劇団の特長はセットの工夫と活用であろう。それだけ観る者の心をワクワクさせ楽しませると同時驚かされる。上演前は上手側に斜めに配置した座敷、それを物語が始まると奥へ移動させ池田屋の裏にある店に変へる。奥には池田屋の2階部屋があり、繋がっているわけではないが、人が屋根越しに飛び越えてくるという観せ方である。下手側奥には土蔵のような作りがある。

物語は、新選組の池田屋事件に巻き込まれる裏の家の騒動を描いた「番外池田屋・裏」。明治時代になってからであろうか、女性記者が事件当時の状況を取材しているという手法。
池田屋の裏手にある家では何も知らず祭り気分に酔いしれていた。障子向こうの池田屋から聞こえてくる騒々しい物音に、ただならぬ空気を感じ障子を開けると、目の前では池田屋事件の真っ最中であった。突如飛び込んできた壮絶な光景に慌てふためく裏の家の住人達。逃げ惑う志士達は、今度は裏の家へと駆け込んで来た。それを追って新撰組も乱入する。騒然となる住人達の前で、裏の家へと場所を移した両雄の死闘が始まる。そして話は池田屋事件の裏側で遂行しようと別の計画が…それは新選組に捕らわれた同士古高俊太郎の奪還と、新選組屯所焼き討ち計画である。
新選組も薩摩藩士にしても武士として描いているが、その時代に生きているのは武士階級だけではない。無関係と思われる庶民を登場させることによって時代の混乱と人の非情を垣間見せる。

新選組、それも池田屋事件であるから当然殺陣シーンはある。しかし本格的な殺陣とは違い、どちらかと言えばムーブメントのようだ。池田屋は京都特有の寝床座敷であり、切り込みの際、天井が低いから大上段からの斬り込みは難しいという台詞。斬り合い前の睨み合いシーンが多い。殺陣の動きは連写した写真のようで、ワンシーン毎に印象的である。

役者の演技力は確かで、それぞれのキャラクターがしっかり見える。新選組という殺人集団としての雰囲気よりも、人間味に溢れた人物集団像を立ち上げたようだ。近藤勇(主宰・作・演出:西村太佑サン)の少しとぼけた隊長の人柄か、他の役者も人間らしさを醸し出している。また山南敬助(自分が観た回:山口勝平サン)の何とか穏やかに話し合いで解決したい。しかし新選組としての意地、そんな譲れない硬質さも観(魅)せる。
観せ方にも、独特の間とコミカルな動きがあり、心地良いテンポが時間を忘れさせる。

次回公演を楽しみにしております。
ろくでなし八犬伝

ろくでなし八犬伝

男〆天魚

赤坂RED/THEATER(東京都)

2017/12/13 (水) ~ 2017/12/17 (日)公演終了

満足度★★★★

室町時代から続く、里見家にまつわる奇譚「南総里見八犬伝」、 現代に甦った妖魔を討つため、伝説の八犬士が平成の世に集結するが…。この犬士たちは武家の世の中とは違い 、”忠義”などという言葉からは程遠いイメージ。その少し頼りなさを面白可笑しく描いたエンターテイメント。とても楽しめた。
カーテンコールで初日から千穐楽まで一般席(全席指定)は完売している旨、案内があるほど人気公演である。
(上演時間1時間50分)

ネタバレBOX

セットは障子等の衝立、二階を設えただけのシンプルなものであるが、舞台全面のスペースを広く確保しているのはアクションシーンをしっかり観せるため。それを効果的に魅せるための舞台技術…音楽(SE含む)や照明の印象付けが上手い。

舞台背景…「南総里見八犬伝」は、室町時代後期を舞台に、安房・里見家の姫・伏姫と神犬八房の因縁によって結ばれた八人の若者(八犬士)を主人公とする伝奇小説。共通して「犬」の字を含む名字を持つ八犬士は、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の文字の数珠の玉(仁義八行の玉)を持ち、牡丹の形の痣が身体のどこかにある。各地で生まれた彼らは辛酸を嘗めながら、因縁に導かれて互いを知り、里見家の窮地を救うべく結集する。
里見家は実在の大名であるが、「八犬伝」の伝奇ロマンのイメージが里見家と関連付けられるが、この物語はヒストリーフィクション。

さて、本公演の時代設定は現代…そこでは仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌などと言う高尚さはなく、何となく、だらしがない、自堕落、無関心、いい加減な中年オヤジが500年の時を経て集まる。それでも原作の「犬」の字を含む名字、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の文字のある玉を持ち、牡丹の形の痣が身体にあるという設定は同じ。

平成の世なれば殺陣というよりはアクションという表現が合う。「オジサンが舞い?オジサンが宙を飛ぶ? ろくでなし達の熱い戦いを見届けろ!」というフレーズ通りの笑劇であり、まさに可笑し味のあるエンターテイメントである。

次回公演を楽しみにしております。
絵葉書の場所

絵葉書の場所

劇団大樹

Route Theater/ルートシアター(東京都)

2017/12/06 (水) ~ 2017/12/10 (日)公演終了

満足度★★★★

本公演は、独特な舞台美術(草月流華道家・横井紅炎女史)とその空間で展開される抒情的な物語(作・み群杏子女史)、その世界観(感)を堪能することが出来た。
(上演時間1時間20分)

ネタバレBOX

舞台はカフェブランシェ、その店内は中央奥に枯れ木、上手側にカウンター・スツール、下手側にテーブル・椅子、中央手前(客席寄り)にテーブル・椅子が置かれ、本当にカフェを出現させているような独特な舞台美術。店内のいたるところに音楽や演劇のチラシが貼られている。床には枯れ葉。色々なジャンルの本が収納された本箱があるが、客が置いて行ったものらしい。中央の枯れ木には絵が掛けられている。絵はその中に描かれた枯れ木を挟んで男女が背中合わせに立っており、男はズボンのポケットに手を入れたままの構図である。

梗概…本筋は中年男・叶光介(川野誠一サン)が営んでいるカフェ、そこに木山夏実(花房りほサン)と名乗る女子大生がアルバイトに応募してくる。光介の妻は15年ほど前に家出したが、その時、1人娘・菜摘も連れて行った。同じ名前が気になっていたが…。このアルバイトに常連客・ワタル(奥山貴章サン)が恋心を抱きストーカー紛いの行為をする。訳ありな夏実の行動がワタルの心を揺さぶるが…。自分(光介)が傷つきたくない、プライド_ズボンのポケットから手を出すまでに15年という歳月がかかった男の心の成長物語のようであった。

この本筋に2つの挿話が織り込まれるが、その関連性が分かり難い。第1に女子高時代の文芸部有志が作った文芸誌(店の本箱から取り出す)、その書かれた言葉・文章が当時の心情を表現する。第2は、既婚の中年男性と若い女性の恋心を交えた会話が、カフェオーナーとアルバイト女子大生の関係を投影しているかのようだが…。

物語は本筋と脇筋で構成させ、それを入れ子構造として展開する。物語も然ることながら、言葉(台詞)の意味合いや韻音の美しさ、間合いあるテンポが心地良く響くという感じである。全体的に抒情的と思えるのは、筋立てと同じように空気感というか雰囲気を大切にしているからだろう。

公演の特長としてギターの生演奏(ゆりえサン)が言葉を優しく包み、時間の流れという間合いを伸縮させる。その目に見えない時間を表現させる効果は見事であった。さて、ブランシェとはフランス語で「白い」ということらしいが、印象は観客によって異なる。自分(心)のキャンバスに彩られたのは微風・心温まるといった心象が残った。

次回公演を楽しみにしております。
ジ・アース

ジ・アース

十七戦地

ギャラリーLE DECO(東京都)

2017/12/13 (水) ~ 2017/12/17 (日)公演終了

満足度★★★★

本公演は、3話オムニバスを入れ子構造にして展開するロード・テアトルといった印象である。劇団十七戦地の1年3カ月振りの公演であり、3話はそれぞれ劇団員が提供し柳井祥緒氏が纏め上げたものであるという。2人(北川義彦・柳澤有毅サン)芝居…ギャラリーLE DECOという小さい舞台空間であるが、物語の世界は観客の想像力によって大きく広がる。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

セットは人工芝のようなスペース、その周りに沿ってホワイトドラゴン、ワニ、電車玩具等のオブジェ、またシーン毎に着替えるための衣装が入った旅行鞄が置かれている。天井には地球儀に模したビニールボールが吊るされている。場面によってはピクニック用の折り畳み式のテーブルも使用する。雑然としているが、画一的な状況を作ら(想像させ)ない工夫であろうか。同時に3話の情景に応じた道具を運び込む周到さ。

タイトル「ジ・アース」は3話の接地のようでもあり、地球規模と捉えることが出来る。「アマゾンの魔女」「ロードムービ」「ニューアニマル」は独立した小話であり、表層的には関連付けが難しいが、その曖昧さこそが見所であったと思う。何故(マラソン)走るのか、そんな問いへの回答は個々人で違う。哲学的なことは解らないという返事にこそ画一・具体的にならない曖昧さを強調しているかのようだ。

アマゾン川での釣果の期待感、日本という狭い(少子化)発想から世界を見据えた動画配信というバーチャル感、バクを擬人化させた恋愛の甘美感はいずれも曖昧なもの。現実か空想・妄想なのか判然としない世界観は、観客の想像力によって広がりと奥深さが異なるだろう。
話の繋ぎに暗転は用いず、柳井氏が黒子として小道具を準備・配置し、それによって観客の集中力と物語性を保たせるあたりは上手い。

次回公演を楽しみにしております。
室温 ~夜の音楽~

室温 ~夜の音楽~

天幕旅団

【閉館】SPACE 梟門(東京都)

2017/12/12 (火) ~ 2017/12/17 (日)公演終了

満足度★★★★

サイコサスペンスという謳い文句通り、外面的な愛想の良さと嫌らしさ、内面(心)の暗部が浮き彫りになってくる不気味な崩壊物語。と言っても、役者の演技がコミカルに描かれるシーンもあり、この劇団らしい演出を試みた表現方法とも思える。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

挟み客席、その間に赤い舞台(絨毯イメージのような)スペース。海老沢家の居間といった所で、テーブル・椅子、ソファー、電話置台の調度品がある。また風鈴の短冊には”みちのく”と書かれている。そして殺されたサオリの写真が掛けられている。四方には椅子が置かれ、ラストに明かされる別世界。

梗概…寂れた漁村に建つ古ぼけた洋館。心霊研究家の海老沢(凪沢渋次サン)は娘のキオリ(渡辺実希サン)と2人暮らしをしている。12年前に殺害されたサオリの命日に、刑務所から出所した犯人の1人・間宮(渡辺望サン)が訪問したことから、事件に隠された秘密やそこに居る人々の悪意や思惑が露呈していく。たどり着いた真実は憎悪か愛情か。携帯電話が繋がり難い人里離れた場所、雷雨という天候など、この屋敷は一種の密室状態に置かれている。

何の本だか忘れたが、親を亡くすと過去を、配偶者を亡くすと現在を、そして子を亡くすと未来を失うとあった。主人公は妻が家出しており、時の全てを失ったかのようである。それでも犯人が焼香したいという申し出を受け入れ、常識では考えられない行動をとる。さらに服役したことに対する労をねぎらう言葉をかける。少しずつ物語が歪み始め陥穽を企てる様相が見え始める。ゆるやかに理性がかき乱されていく様、曲者ばかりの登場人物たちの思惑がスリリングに絡み合う心理サスペンス。全編通じて薄暗い照明(停電シーンではロウソクの炎が印象的)、その雰囲気は人心の醜面をイメージさせ嫌らしさが蠢くようだ。誰もが内心ピリピリし他人を受け入れない。そんな強張った空気をドタバタな描きにして緩衝させる。

物語を俯瞰するかのように少年(加藤晃子サン)の心霊が浮遊している。それはサオリであり、別の子でもある。霊魂が漂っていることを表現しているが、悲壮感は感じられない。この子がサブタイトルにある~夜の音楽~を歌い出し、全キャストが唱和する。その雰囲気はあっけらかんとしている。公演全体が陰陽のメリハリを意識したような観せ方で、その印象付けは上手い。

次回公演を楽しみにしております。
騎士ブルース

騎士ブルース

無頼組合

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2017/12/08 (金) ~ 2017/12/11 (月)公演終了

満足度★★★★★

B級活劇ストーリー「騎士」シリーズ最終回、実に感動的でラストは泣けてくる。カーテンコールでシラカワ タカシさんが当初は3作ぐらいのシリーズを予定していたが、人気を博し10作になったと説明していた。物語は、架空の都市(サウスベイシティ)を疾走するような早いテンポで進む。そこには鋭い社会性、それに挑む愛すべきキャラクターが生き活きと活躍し娯楽性に富んでおり、多くのファンを魅了してきたと思う。
(上演時間2時間10分)

ネタバレBOX

この都市、街は殺伐、退廃したイメージを持たせているようだが、一方その佇まいのようなものはスタイリッシュ、洗練されているという感じでもある。そんな混沌とした街で探偵業を営んでいる。

舞台はほぼ素舞台。シーンによって探偵事務所内、BarカウンターやオカマBarのソファなど簡易な調度品が運び込まれる。全体が走り回るようなアクションシーンであることから、ある程度のスペースを確保しておく必要がある。その情景・状況は役者の演技で体現しており、緩急ある動きは思索とアクションというメリハリを表している。

梗概…主人公・風吹淳平(シラカワ タカシサン)は、サウスベイシティで私立探偵を営んでいる。非合法な仕事以外は何でも引き受ける。裏社会のパワーバランスをコントロールするコーディネーターの1人を殺害した容疑で逮捕されるが、緩い取り調べの後に釈放された。一方、‶クリーンな国際都市づくり〟を公約に掲げる市長は、目的のためにコーディネーターと結託し、ギャング組織の解体、都市開発の名目で猥雑で風紀上問題のあるエリアの立ち退きなどを強行的に進める。探偵事務所とニューハーフパブ「バナナの気持ち」が店を構えるダコダハウスにも立ち退き命令が出る。仲間達のために都市開発を阻止しようと奔走するが、権力の前にうまく事は進まない。そんな時、ブラッドシティから懐かしい助っ人がやって来た。俺の昔の女…フリージャーナリストの‶安奈〟だ。彼女はジョージ・オハラがコーディネーターという組織を作ったのかを知っているという。コーディネーターを叩く突破口になるか、熱い最後の戦いが始まるが…。

観(魅)せ方、その展開は次元や時間を越えることなく、”今”という時の中で描かれる。それだけに分かり易いしストーリーに集中できる。ラスト…大切な人と場所を失う悲しさ、それでも鶴田紅は「死にたくなるような孤独を乗り越えて生きていけ!」という淳平から諭されていた。まるで応援歌のようなセリフが心に響く。実に見事なエンターテインメント作品であった。

次回公演(別シリーズ、または本シリーズ番外編)を楽しみにしております。
まるてん

まるてん

劇団龍門

明石スタジオ(東京都)

2017/12/07 (木) ~ 2017/12/10 (日)公演終了

満足度★★★★

終末期ケアを行う施設…ホスピス「ひまわり」における患者とその家族および施設関係者の触れ合いを描いたヒューマンドラマである。
人は誰もがいつかは死ぬ、その時までどう生きるかを考えさせる内容である。
(上演時間2時間)【Bチ-ム】

ネタバレBOX

セット、中央の前後面は階段を設けた二層構造。奥は病室で両壁に手すり。また別スペースもイメージさせる。前面の上手側に診察机・丸椅子とラック、下手側にソファーが置かれている。上部奥の中央は窓ガラスであるが、両脇の壁は白黒の縦模様で鯨幕を思わせる。

物語は、末期癌の宣告を受けた女性・ちぐさ(24歳)が、死を覚悟し最期まで自分らしく生きようとホスピス「ひまわり」に入所する。そこには同じ運命の人々がおり、それぞれに死と向かい合わなければならない。ここでは癌告知を受けた患者たちの闘病、その苦痛と苦悩の日々を彼ら彼女らと接する家族や医療関係者(ボランティア含む)の姿を通し、ターミナルケア(末期医療)の問題を捉えている。同時に個々人の心と施設内の人間関係を通して問題の所在が一様でないことも解からせる。

癌告知を受けるのが自分なのか家族(公演では娘)なのか、それによっても感情の振れ方が違うと思う。ちぐさは、若い自分の余命があとわずかと知らさせ絶望の淵にいる。ホスピスに入所するということは、延命治療を行わないことを意味し”死を覚悟”したに等しい。患者が自分らしく生きられるよう支援すること、その目的を端的に表したのが、医師が”自分は応援団長である”という台詞であろう。

本公演で注目、疑問に思ったのは、次の3点である。
第1(注目)…本公演では、ホスピスの人員構成である。純粋な医療関係者だけではなく、ボランティアの存在も描き、その役割の重要性を示している。専門医療者が患者ケアに注力できるよう、ホスピス全体の下支えをしている。
第2(疑問)…娘・ちぐさの覚悟は伝わったが、母の気持としては治療し一日でも長生きしてほしい。医師からの末期癌宣告の時とソファーで娘との語らいで心情を露わにする。医療以外のことであれば、本人希望を優先するという物分りの良い親になることも出来るが…。ちなみに、家族は母・娘だけなのか?それであれば尚更、延命させたい気持であろう。終末医療の核となると思われるので、もう少し踏み込んでは…。
第3(疑問)…ヤクザ・鬼塚が再入所する際のドタバタとそれ以降の含蓄ある言葉が物語に面白さと深みを吹き込む。末期癌でも進行が少し鈍化し、一時退所したのだろうか。そこらへんの経緯がもう少し分かると納得しやすい。

延命治療ではなく”死ぬまで生き抜く”を温かく見守るドラマ。それをキャストが登場人物のキャラクターを立ち上げ魅力的に演じていた。”死にたくない”を”如何に自分らしく生きるか”に転じ、人の心に聴診器を当て、魂の叫びを聞かせるようなヒューマンドラマは素晴らしかった。最後にタイトル…周り(まる)にいる人を照らす光(てん)ような存在を意味するという。

次回公演も楽しみにしております。
星の記憶

星の記憶

アンティークス

シアター711(東京都)

2017/12/06 (水) ~ 2017/12/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

日常の暮らしの中にある細波と細濁りを交えて描いた物語。家庭・仕事・恋愛など多くの人が経験するような内容をごくありふれた展開として観せる。そこには孤独、絶望と希望という心情が見え、記憶として刻み込まれる。「星の記憶」として俯瞰した観方は観客の心にも刻み込まれる。
(上演時間1時間50分)

ネタバレBOX

物語は家庭内や職場(高校)、恋愛を入れ子構造にしているが、捉え方によってはオムニバスのようにも観える。その話を紡いでいくセットは、上手側手前から下手側奥にかけて斜めに仕切った細い紐状(モール)のようなカーテン。下手側にはテーブルイメージの置き台と椅子。

須田家は夫婦と娘2人、野島家は夫婦と娘1人、それにシェアハウスの人々という3つの話が交錯するように展開するが、その中でも須田家の夫・源(林隆三サン)を中心に据えている。夫婦・親子関係という坦々とした流れや職場の進路指導という重々とした内容を交えることで”情”という味わいが感じられる。父親としては娘の結婚話、職業人(教師)として問題行動を起こす男子生徒の指導など、色々な面で心労が絶えない。一方、野島家の夫婦はそれぞれ相手が不倫していると疑っている、そんな仮面夫婦である。さらにシェアハウスの女性3人がその年頃に相応しい世間話や恋愛話のお喋り。

全てが等身大で、どこにでもありそうなシチュエーションが観客の身近な問題として迫ってくる。一種のドキュメンタリーを観るかのようなリアルさ。登場人物の視線が交錯し、些細な日常に潜む高揚・諦念などを感じさせる。気付けば自らの日常が侵食されていく錯覚に捉われる。

源の過去回想に登場する小学校教諭・綾瀬春世(中沢志保サン)が児童養護施設育ちであることから差別的な扱いをされ、学校を辞めざるを得なくなる。
物語に通低して観えるのは、一段と不透明感が増し不寛容になっていく日本社会が浮き彫りになるようだ。

次回公演を楽しみにしております。
踊る会議室

踊る会議室

ショーGEKI

小劇場B1(東京都)

2017/12/06 (水) ~ 2017/12/10 (日)公演終了

満足度★★★★

「会議は踊る」という映画があったが、ナポレオン失脚後のウィーン会議を背景になかなか進展しない物語。同時に恋愛話も平行して進む。
人間の隠された本性のおぞましさ、正常な人が非日常の世界に突如放り込まれ、正気と狂気の現実を行き来する衝撃にして笑劇的な作品は面白い。
本公演は某会社の忘年会で食する”鍋”に関する物語。チラシ説明の通り、パラレルワールドの世界観を社内組織・個人の立ち位置という両観点から重層的に描いたコメディ。
(上演時間1時間50分)

ネタバレBOX

セットはL字客席で2方向から観劇可。真ん中にテーブルと鍋、それぞれの客席に向かって白板があり、板書した内容が分かる。

物語は、広告代理店・吉広社(渡された名刺の住所は、世田谷区三軒茶屋)の大忘年会…毎年の恒例行事で会社が費用の一部(1人1,000円)を負担し、”鍋”宴会を行う。特に創業50周年。今年は寄せ鍋にしようか等、好みと予算の兼ね合いも含め喧々諤々しながら具材の選定から始まる。そこには総務部を中心に営業部、九州事業部など複数部署共同で検討が進められるが、やはり会社組織という垣根も見えてくる。同時に個人的に鍋に対する思いが巡り話がなかなか纏まらない。

今年の鍋は何にするか、それを同じ時間、同じ人々の2つの世界が全く違う方向で会議が進む。表では年末忘年会で少ない予算を有効に使い豪華な鍋を提供できるか真面目に話し合う。一方、裏では鍋を使って日頃から恨んでいる社長を完全犯罪に見せかけて毒殺するかの計画を企てている。

正気と狂気、善と悪が怒涛のように押し寄せ、いかに会社組織が一皮剝けば一枚岩でないことが分かるシュールなもの。パラレルワールドの区別は社長や秘書の人柄・態度で善・悪シーンを判別させる。同時に社員の対応も豹変し、希望と絶望、薬か毒を瞬時に分からせる。それを役者が、登場する人物の立場やキャラクターを実に見事に体現する。また照明でその区別を明確にするなど演出効果は巧みであった。
会議らしい展開...決まった具材(10品)を白板に記録していくあたりは、観客の記憶に頼らずしっかりとそしてテンポ良く観せる。

次回公演も楽しみにしております。
『ゴールデンバット』『セブンスター』

『ゴールデンバット』『セブンスター』

うさぎストライプ

アトリエ春風舎(東京都)

2017/11/29 (水) ~ 2017/12/09 (土)公演終了

満足度★★★★

上演前には「青春時代」「なごり雪」などの昭和歌謡が流れており、その時に青春時代を謳歌、過ごした人達には懐かしい曲ばかり。歌手を夢見て上京した女の半生を喜怒哀楽をもって描いた一人芝居である。自分では何故か”悲哀”という言葉が浮かんでしまう。
「ゴールデンバット」(国内で販売されているタバコの中では現役最古の銘柄らしい。翻って人の夢…時代は移ろうともそれを持つことは変わらないということだろうか?)
(上演時間1時間10分)

ネタバレBOX

セットは、中央に逆さまにしたビールケース、やや下手側に折りたたみパイプ椅子・マイク・ペットボトルが置かれ、天井にミラーボールという、ほぼ素舞台である。

全体観…当日パンフによれば、かつて歌手を夢見て宮城県から上京した「海原瑛子」の人生を、現在東京の地下アイドル「憂井おびる」(元:梅原純子)の視点を通して追っていく物語と説明されている。菊池佳南さんの一人芝居であることから、瑛子(60歳前後)とおびる(実31歳、自称26歳)という人格を行き来し昭和歌謡曲を挿入しつつ物語を紡いで行く。舞台空間を菊池さんが縦横無尽に動き回り、明るく楽しく、時に切なく悲しく演じ分ける。その表情・表現力は実に見事であり、歌謡ショーのようでもあった。

物語は、純子が池袋パルコ前でビールケースの上で歌っている瑛子のことをマネージャーであり恋人である角田義晴に語りだす。それがいつの間にか”瑛子”自身の語りにすり替わってくる。昭和時代に遡り「木綿のハンカチーフ」「かもめが翔んだ日」「喝采」「イエスタディ」などの曲が歌われ出す。曲によってはミラーボールの輝き、葉影の照明など舞台技術にも工夫が見られる。

演技は、瑛子と純子で声トーンや口調・速さを変え人物の違いを強調させていた。またビールケース上での歌はもちろん、パイプ椅子に片足を乗せたり、舞台裏に回り込むなど躍動感溢れる動きが人物を生き活きとさせていた。

構成は、純子の視点で始まり瑛子の半生に移り、再び純子へ戻る。そこに倒錯的な意味合いも感じられ、今の純子-喪服の似合う未亡人アイドル-という売り込みは、瑛子が夢見た歌手での栄光に繋がるのか。現在と過去のアイドルの意識が入れ替わるようで、同じような途を辿るのか、少し悲哀を感じてしまった。

次回公演も楽しみにしております。
サンタクロースが歌ってくれた

サンタクロースが歌ってくれた

演劇ユニット百酔sya

ウッディシアター中目黒(東京都)

2017/11/30 (木) ~ 2017/12/03 (日)公演終了

満足度★★★

劇中で演じられている出来事が、劇から飛び出してくるような立体型のミステリー物語である。魅力的な脚本・演出であるが、劇中の設定である大正時代の登場人物(芥川龍之介、平井太郎(後の江戸川乱歩)が、いつの間にかその役を演じている役者に代わる。そのことによって有名作家という魅力的な人物像が失われるという勿体無さが感じられた。
(上演時間2時間10分)

ネタバレBOX

セットは横一面に段差を儲け、上手・下手側にギザギザに切り抜いたような厚手の布(奥から黄・緑・赤色)が掛けられているだけのシンプルな、端的に言えば素舞台に近い。全体イメージはクリスマスツリーを連想させる。この劇場ならではの下手側の別スペースを利用し、別空間を現している。

梗概…ゆきみはクリスマス・イブに友人すずこに中目黒の映画館で「ハイカラ探偵物語」を観に行こうと誘う。しかし、すずこが約束の時間に来なかったことから1人で中へ。「ハイカラ探偵物語」は、大正5年のクリスマス・イブ。華族の有川家に怪盗黒蜥蜴から宝石を盗みに来ると予告状が届く。警部が来たが何となく頼りない。有川家の令嬢サヨは友人のフミに、小説家芥川に探偵役を依頼できないか相談し、芥川は友人の太郎と共に有川家を訪れ、怪盗黒蜥蜴と対峙する。
映画は序盤のクライマックスシーンにさしかかり、芥川は犯人の名前を言おうとするが口籠る。本来ならその場に居るはずの黒蜥蜴が突然消失する。部屋は厳重に警備されていて、外に逃げる事は不可能。何処へ逃げたのかと焦る登場人物達だが、突然芥川は黒蜥蜴が「銀幕の外」に逃げたと言う。そこで芥川・太郎・警部の三人は銀幕から飛び出し、ゆきみは彼らと一緒に黒蜥蜴を追いかけることになる。一方、すずこは映画館から出てきたメイド服の女性とぶつかる。その女性は映画から出てきたと言う。

有名作家である彼らが、映画監督に事情を聞こうと訪ねる過程を、現代の東京見物と重ね合わせている。時代(感覚)の違いは人の見方、考え方にも影響する。現代の見知らぬ東京の街を右往左往しながら監督の家へ。いつの間にか芥川・太郎という人物が、それを演じている役者に代わっているようで現実的なイメージへ変化してしまう。映画という現実、その中の登場(役名)人物という架空(実在したが、故人という意で)、その虚実綯い交ぜの世界観のまま観せて欲しかった。

役者の演技は確かでバランスも良い。それだけにファンタジー感を大切にしてほしかったと思う。
次回公演を楽しみにしております。
暮れゆく箱庭の中で

暮れゆく箱庭の中で

PAPADOG

下北沢Geki地下Liberty(東京都)

2017/11/30 (木) ~ 2017/12/03 (日)公演終了

満足度★★★

タイトルやチラシは叙情豊かな感じを思わせるが、内容は難解にも思えるような。人によって解釈や楽しめ方が分かれそうな作品ではないだろうか。
正気と狂気を行き来するような展開の先にあるのは…。
(上演時間1時間20分)

ネタバレBOX

舞台は素舞台に近く、クッションのような椅子が数個あるのみ。
物語は1人の少女が学校(教室)から帰らないため、男子生徒が一緒の帰宅を促す。何回か同じようなシーンが繰り返され、その合間に学校の風紀委員なる者たちが自己アピールを兼ねたパフォーマンスをする。このシーンが冗長に思え、劇全体のコンセプトや雰囲気を曖昧にしていたようだ。

登場人物はクラスメイトと担任教師と先に記した風紀委員(3人)である。ラスト近くに解ってくるが、それまでの内容は主人公自身の経験・投影した姿のようでもある。劇中で語られる分身(ドッペルゲンガー)であるとすれば、現在と過去のバージョンがお互いを照らし二重人格的な描き方になっている。一方、現世ではなく、苦悩・苦痛からの逃避を試み臨死的な世界にいるとすれば、自分自身を別の場所から俯瞰しているとも思える。”こちらの世界へ”という台詞が意味深であった。
一つの舞台からこれだけ解釈・印象の異なる作品を作っている手腕は素晴らしい。人の底深さ、底知れなさを覗いたようで少し不気味に思った。

具体的には少女・朱音(天野麻菜サン)の心の嘆き、その流れを静かに受け止めているが、いつの間にかぐにゃりと歪められてくる怖さ。クラスの男子生徒・蒼太(石田達成サン)が親から虐待を受ける、女子生徒・真白(鶴田まこサン)が担任との不倫やその過程で起こる援助交際などは、朱音自身の体験か妄想か?一種のサスペンス風に展開しているところは面白い。ラストは、先に記したような朱音の脳内をあたかも現実のように表現させて行く。それまで見たシーンを幾層にも絡め深層の世界に誘い込むような感覚にさせる。

しかし、描きたい内容をある程度ストレートというか素直に展開させなければ、観客にその意図は十分伝わらないと思う。例えば、シリアスなシーンと風紀委員のコミカルなシーンが交互というのはどうだろうか?緩衝と緊密の落差狙いであれば、ワンパターンの多様で冗長であり違和感を覚えたのは残念。

次回公演を楽しみにしております。
ホテル・ミラクル5

ホテル・ミラクル5

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2017/12/01 (金) ~ 2017/12/10 (日)公演終了

満足度★★★★

ラブホテルでの痴態の数々を覗き見るような感覚である。新宿歌舞伎町という日本有数の歓楽街の中にある「ホテル・ミラクル」で繰り広げられる内容は、妖しい官能マジック。それは脳を刺激し胸底にある禁断の欲望、いや人間の本性を曝け出させるような心理プレーで観応え十分であった。
(上演時間2時間5分)

ネタバレBOX

客席はL字型の半囲い、その中の上手側にベット・置台(赤電話)・ミニ冷蔵庫、下手側に丸テーブルと椅子、中央奥に革張りのソファーが置いてある。会場入り口近くに磨りガラスのバスルーム。

この部屋では、いつもなら決して人に見られないようなコトをして、自分を曝け出しているのだろう。そこでの丁々発止な台詞と行為が観客(自分)の心をみるみる裸にして行く。ホテルという密室での千夜一夜の物語…4話がそれぞれ味わい深く、観ることはもう止められない。4話は統一感で括るというよりは、人それぞれの生き方があるように、行為のバリエーションを重視したようだ。

第1話-ミラクル戦隊(作・坂本鈴)…ホテルでの一室でミラクル戦隊のブルー(男)とピンク(女)が見つめ合っている先の出来事。 
第2話-クロス・チーム(作・川西裕介)…ラブホテルが舞台の脚本執筆。その脚本家に憧れる新人女優の思いが除々に恋心へ変化する。 
第3話-やっちゃん×チャーコ+ミズオ(作・藤原佳奈)…女性映画監督のやっちゃんは、本当に興奮するシーンを撮りたいと渇望し、それを男優・女優に求める。 
第4話-きゅうじゅぷんさんまんえん(作・屋代秀樹)…レズビアン風俗の女と客(女)の洒脱な会話、その店には90分3万円コース以外にも色々なバリエーションが用意されているらしい。

物語の構成・演出は池田智哉氏、それぞれの話は大人の男女関係の本質を鋭く抉っているが、その観せ方は軽妙で色香のある会話が楽しめる。坦々としたリズムから耽々とした妖しさに変化し、予想を超えるような展開になる。その独特な演出が病みつきになりそうである。登場人物が表面的な殻を破り、人間の本音・本性を露呈・変貌していく姿は実に面白い。

次回公演を楽しみにしております。
~ 上海ラプソディ ~ ミステリアス・ミス・マヌエラ

~ 上海ラプソディ ~ ミステリアス・ミス・マヌエラ

サンハロンシアター

テアトルBONBON(東京都)

2017/11/29 (水) ~ 2017/12/03 (日)公演終了

満足度★★★

戦前の上海で活躍した舞姫の半生を、編集者・近江真亜子の取材する視点から描いた物語。現在と過去を行き来して、人間的な魅力(個人)と時代背景(社会)を交え重層的な展開として観せる。

ネタバレBOX

セットは中央に両開扉、上手・下手側の壁に色々な張り紙、部屋番号・食堂・リネン室等の表示から或る施設であることは直ぐに分かる。下手側に古いオルガンが置かれおり、ラストに響く音色は美しく優しい。セットは大戦前後の時代変遷、日本と上海という地の違い、舞(歌)姫としての全盛期と特別養護老人ホームでの晩年の暮らし等の対比を表現するため移動・変形をさせ、観客が理解しやすいような工夫をしている。
デジャブのような、意識が意識を飲み込むような描き。演出はオルガン演奏という音楽効果、照明はラストに雪を降らせる、星の輝きかツリー(豆電球)の点滅という印象付けを行う。

梗概…1939年12月、上海のジェスフィールド公園近くの歓楽街、愚園路に軒を並べるナイトクラブの一つ、「アリゾナ」で踊っていたマヌエラは1月まで踊る契約をしていた。クリスマスイブの夜、最後のショーを終えて休んでいるとボーイから客が呼んでいると言われる。ミス・マヌエラ(YOSHIEサン)は断ったが、ボーイは「行った方がいい」と言う。彼女は客の名前を聞いて驚く。上海で一流の客を集めるナイトクラブ、「ファーレンス」の社長だった。テーブルに着き会話をした後、ジョー・ファーレンが、「一曲だけ踊ってくれないか」と言う。これはオーディションだった。彼女は疲れていたが「ペルシャン・マーケット」と「タブー」を踊った。ファーレンは、翌月からの契約をその場で申し入れた。こうしてマヌエラは上海のトップダンサーとしての階段を上がり始めるが…。

1人の女性が時のうねりに翻弄されながらも、その時々の情況に応じて必死に生きる。喜び悲しみ、哀愁などを伝えようとするが、それを体現するキャストの力量がアンバランス。マヌエラは全盛期の容姿・美声を披露していたが、演技は硬い。老人ホームの職員は外国人らしき口跡で違和感を覚える。現代日本における介護事業(職員不足)の課題を思わせる。全体的に物語に溶け込んだ表現力が不足し、せっかくのセットが活かされていないのが残念であった。

次回公演を楽しみにしております。
舞台ナルキッソス2017

舞台ナルキッソス2017

舞台ナルキッソス2017

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2017/11/28 (火) ~ 2017/12/03 (日)公演終了

満足度★★★

終末医療をロードテアトル、シアターを融合させたような展開であり構造である。
(上演時間1時間45分)

ネタバレBOX

セットは素舞台。上手・下手側に白布、黒布で包んだBOX椅子が数個あるのみ。色合いから鯨幕をイメージさせる。

茨城県内にある終末医療施設(7階)に入所している人々が死に向かい合いながら楽しく必死に生きようとする姿を描く。入所している19歳のミドリ(光河玲奈サン)が10年前に失踪したナツミちゃんの足取りを辿りたいと…。この施設に勤務している看護師のアヤノ(西條美里サン)は友人にそのことを話し、車で旅に出ることになるが、そのことを聞きつけた他の患者も後を付けて来る(その車を運転するのは医師という都合のよさ)。
ナツミの目的地は淡路島だったようだ。そこに咲く水仙(ナルキッソス)を見るため失踪したようだ。今は夏、水仙が咲く季節ではなく、その時季であれば咲いているであろう景勝地へ。そして海が見える断崖で「なぜナツミちゃんが旅に出たのか解る」と言い残し…。

車での乗・下車シーンはもちろん食事などもパントマイム。演技自体はそれほど上手いとは思えなかったが、”死”という現実を観せられると胸が締め付けられる。人間は感情の動物と言われるが、この時の自分の気持にフィットし過ぎて困った。
旅の目的は”死に場所を探すこと”と知ることが出来、夢や希望が持てない絶望感が切なく描かれる。旅先の風景や集合写真はそのシーン毎にバックの白壁(スクリーン)に映像として映し出す。映像・照明・音響で効果的な演出を試みるが印象が薄いのが残念。また物語の最大の謎、ミドリが10年前のナツミちゃんのことを知っていたのか?それが旅に出かける理由になったのではないか。

全体としては子供たちの無邪気、明るさの内に秘められた”死への恐怖”がもう少し具現化出来ていれば良かったと思う。終盤に向け、集合写真に写る子供たちが序々に減り物悲しさが伝わる。ラスト、白黒のBOXが白黄の布に変わりナルキッソスをイメージさせる。

次回公演を楽しみにしております。

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