タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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チューボー ~SECOND HOUSE Ver~

チューボー ~SECOND HOUSE Ver~

SECOND HOUSE

シアターシャイン(東京都)

2019/06/12 (水) ~ 2019/06/16 (日)公演終了

満足度★★★★

夢と仕事の在り方を問う...何もかもが中途半端な(中年)男がもがき苦しみながら人生再出発に向けて頑張る姿を描いた物語。この公演の謳い文句は、池袋演劇祭優秀賞受賞(2012年)作をミュージカル仕立てで再演ということであったが、どちらかと言えば劇中歌といった感じだ。冒頭こそ、韓国のNANTA(ノンバーバルパフォーマンス)を思わせる調理器具等を利用した音楽を披露し、ミュージカル風にしていたが…少し物足りない。

タイトルは「チューボー ~SECOND HOUSE Ver~」であるから、厨房の中から見た世間、一方厨房の外から覗いた料理の世界...その双方向が楽しめる公演は観応えがあった。
(上演時間2時間) 【Aチーム】

ネタバレBOX

セットは中央に大きなデシャップと後壁に棚、上手側は外に通じる出入口、手洗い場。下手側には洗い場と更衣室への出入口があり、全体的に厨房のイメージを持たせる。初演時とはデシャップの位置が違うが、劇場舞台の構造・スペースの関係であのような作りになったのだろう。

梗概…主人公・山辺は、親から受け継いだ店を潰し自暴自棄になっている。以降どこで働いても長続きせず、ハローワークの紹介でこの有名なイタリア料理店にやってきた。自分は長年(中学卒業以降)料理に携わってきたという自負があり、その自分が洗い場担当になることに耐えられない。しかし妻と子のために働き借金を返済しなければという強い責任感、それは別の強迫観念にもなっている。劇中にたびたび表われる、また”アイツがやってくる”という台詞に込められた慄きこそが、自分自身の弱さであり強迫観念の元凶。この店で働くことで徐々に自信を取り戻すが、この店も...。

さて、何故この有名な料理店で働くことができたのか。それは安い時給であり、他の従業員も同様のようである。劇中、アベノミクスという台詞が飛び出し、現在の経済政策・景気対策に対する批判がチラリ。飲食業界に詳しくないため、時給が劇中で示された金額であるかどうかは分からないが、それでも料理に携わった仕事をしたい。そこにこの劇のテーマが観えてくる。夢があるからそれに向かって頑張る、働くことで夢を適えるという相互に密接の関係を料理を介在して伝える。

同時に食は生の根源であり、この店では美味しい料理をリーズナブルな値段で提供する。一方きれいごとでは済まされない現実、そこに経営という壁が立ちはだかる。オーナーシェフ・高林は料理の腕は一流であるが経営には疎いようだ。そこで経営コンサルタント契約をし店の経営再建に努めるが、その甲斐も空しく店は潰れる。コンサルタント曰く、強い意志・信念が重要であると。もう1つのテーマは自分自身の在り方を問う。主人公もこの店のオーナーも仕事に対する自信のようなものが揺らいだ結果、自滅していく。

主人公は中学卒業以来、両親の下で毎日同じことの繰り返しの仕事をしている。両親が亡くなり店を継いだ時、いづれ自分も両親のように暮らし死ぬ。そう思った時、仕事に対する疑問、一生続けていくことへの不安が芽生える。店が潰れたのは近くにできたファミレスの影響ではなく、自分自身がダメになったから店が潰れた。家族を思う気持ちの強さが逆に自分を苦しめる。本音を言えない、一方妻の側からすれば夫は何を考えているのか分からない。それぞれの思いの葛藤、それを激白する場面は圧巻である。その夫婦間の仲立ちをする子、まさに子は鎹(かすがい)を思わせる子役の演技。

冒頭、敢えてデシャップ台に置いたカバンは、仕事(夢)に対する不誠実な姿勢、それが中盤あたりに調理を任されるようになるとサロンの結び(締め)方で仕事への真摯な姿勢に変化を観せる、そんな細かい演出も好い。飲食業界に限らず、仕事に対する生き甲斐、遣り甲斐を感じた時に人は喜びを感じる。夢、仕事、そして家庭という身近な中にある、何の変哲もない暮らしの中にある幸せをしっかり描いた好公演であった。
次回公演も楽しみにしております。
畏怖(if)

畏怖(if)

スライディングドアプランニングス

中目黒キンケロ・シアター(東京都)

2019/06/07 (金) ~ 2019/06/09 (日)公演終了

満足度★★★★

予知夢を題材にしたサイコサスペンス風な公演。同じ場面をループさせる展開であるが、少しずつ何かが違う。その違いが螺旋階段のごとく同じところを回っているようで、少しずつ観点が異なる。その歪んだとも思えるような夢世界が現実に起こるとしたら...。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

舞台は某大学の研究室。中央に階段があり上がったところがメイン舞台。上手側にテーブルが置かれミーティングスペース、下手側に実験装置、パソコンが置かれている。中央奥は四角い枠が2つ立っているが、一方は傾いており同型でありながら別なものに見える。また鎖のようなものも見え不安定な感覚にさせる。
同一人物でありながら、その内にある”夢と現実”の似て非なる出来事が畏怖に描かれる。舞台美術はその歪みのような心象風景を思わせる。

梗概…女子大生がある実験の被験者となり体験する出来事が繰り返される。もちろん繰り返しは仮定(=if 畏怖)の連続である。予知夢が現実に起こるような恐怖...その夢の中で出合う女の諦念と狂気が女子大生の思考を混乱させる。運命には抗えない、しかし予知夢の出来事は絶対に回避したい。予知夢の堂々巡りを通して明らかになる逆恨みによる恐怖。しかし別の意味で、目に見えない現代ならではの問題と恐怖も潜む。
予知夢は、この研究室に銃を持った男が現れ、仲間を殺していくもの。始めは全員が殺されるが、2回目.3回目と回(1回10分と仮定)を経ることで助かる術も見えてくるが全員を助けることが出来ない。夢は現実...醒めている時の1/2のスピードで進むとされており、計算上9回目が現実となるようだ。その焦りと緊迫感がよく表されていた。ちなみに9回目(約90分は冒頭とラストシーンを除いた、上演時間に重ねているようだ)

もう1つの現代的な恐怖は、インターネットでの誹謗中傷の類である。銃を持った男は、コンビニ店員で店内で悪ふざけをしているところを写真だか動画で自撮りし、親しい仲間に配信した。それを受信した人物が面白半分に拡散したことから、コンビニ店員はバッシングを受ける。そしてその母親が息子の免罪を願い自殺する。拡散した人物がこの研究室にいることを突き止め殺しに来るという夢と現実が錯綜する。確かにコンビニ店員の悪さが原因であるが、それを面白半分に拡散するというインターネットの怖さ。見知らぬ人からの容赦ない攻撃...そこに真の正義はあるのだろうか?むしろ無自覚・無責任な愉快犯的な不気味さを感じる。その雰囲気を十分漂わせる、そんな演出であった。

この理不尽な夢を通して、愛情・友情・嫉妬・妬み・疎ましさ・裏切りなど人間が持つ色々な感情が見えてくる。恐怖による極限状態で冷静な判断が出来るか、最後は自分の身を守るという当たり前の行為が、なぜか卑怯に観えてしまう悍ましさ。
宿命、未来へ備えることは出来ない。宿命に逆らえないという諦念に立ち向かうにはどうすれば良いのか…自分の信念を持つこと。そんな成長譚を思わせる公演。
次回公演も楽しみにしております。
「話してくれ雨のように」

「話してくれ雨のように」

劇団夢現舎

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2019/06/09 (日) ~ 2019/06/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

説明にある「都会ノ片隅ノ家具付キ貸間デ、雨音ヲ背ニ男ト女<ふたりぼっち>ガ劇シク話シ続ケル…」の都会とは、マンハッタンのミッドタウン。そこのあるアパートの家具付きの部屋での会話劇。
何の変哲もない、むしろ心も物もなく袋小路を彷徨う男女の姿が描き出される。諦念とも思えるような状況下にあって、女が語る妄想話は奇妙だが一筋の光が射すような…。
同じ脚本を2組の役者が演じて観せる試みは、自分好み。
(上演時間1時間50分 50分×2組 途中休憩10分)

ネタバレBOX

セットは、上手側にベット、下手側にテーブルと椅子、そして窓がある。

梗概…ベットで寝ていた男が、溜め息まじりに眠りから覚める。女は、窓辺のイスに座り、水の入ったタンブラーを持ってちびちびと口をつける。惰性のように一緒に暮らしており、2人の言い争いは何回となく繰り返され、感情の内実が欠落し変わる見込みは微塵も感じられない。その冷え切ったような関係、男女の複雑もしくは屈折した思いの物語は取りたてて何も起こらず、ただただ男女がぼそぼそと喋っているだけ。2組の演者はどちらもその体現がしっかり伝わる。
演出も極力抑え、時折、外の雨音や落雷の轟音が響くという音響のみ。

2組の役者が同一の脚本を演じるが、物語に特別な出来事が生じる訳でも、ましてや2人に特別な感情が芽生えている訳でもなく、惰性的に繰り返される会話。それも狭い室内であるため仕草や行動が制約された演技に成らざるを得ない。しかし、その限定空間にも暮らしの息遣いは伝わる。乾いた関係、何かを諦めた空虚感、成り立っているのかいないのか定かではないコミュニケーション等、奇妙な感覚に捉われる。その営みを表現するには削ぎ落した自然な演技、シンプルにした上で内実を豊かにするという極めて高度な演技力が求められる。それもベットとテーブルの間という狭い空間で...。

1組目(大星響サン、三輪穂奈美サン)は、どちらかと言えば心情表現に近いようだ。それは身体的表現を極力抑え、室内に漂う雰囲気に身を任せるような、そんな受動的なイメージであった。
2組目(益田喜晴サン、小玉陽子サン)は、どちらかと言えば身体表現のようだ。女が座っていた椅子の背もたれに寄り掛かる、窓に向かう動線も大きく回り込むようだ。そんな動作を少し変えるだけで能動的に観える。
狭隘な室内に、どれだけ濃密な雰囲気を漂わせ、空間的な広がりを取り込むことが出来るか。それが物語(脚本)の底流にある2人の思いを表現するようだ。同一脚本、演出でありながら、演者(技)が異なると物語の雰囲気が違って観える。その意味で演劇-ライブ-としての面白さ醍醐味を改めて感じた。この Simple is bestのような脚本を試作上演するという試み、その向上心に感心する。
次回の公演も楽しみにしております。
ONとOFFのセレナーデ

ONとOFFのセレナーデ

ことのはbox

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2019/06/05 (水) ~ 2019/06/09 (日)公演終了

満足度★★★★

「生・死」と「存在・不在」を交差させ絡めた感動作。生死は主人公の職業が葬儀屋であり、存在・不在はタイトルのON/OFFがインターネットでの繋がりを暗示している。もちろん生と存在、死と不在の掛け合わせも意味する。
物語も面白いが、「ことのはbox」らしい演出...阿佐ヶ谷アルシェという比較的小さな劇場に、人生の喜びと最期を思わせる舞台美術を出現させる素晴らしさ。
(上演時間1時間45分) [葉チーム]

ネタバレBOX

暗幕の間に白布を巻いて垂らした形が神殿柱のようで荘厳なイメージ。同時に後景全体が鯨幕といった感じにする。暗幕を刳り貫き(PC画面イメージ)チャット仲間を登場させることで遠隔地(北海道・大阪と某所)を演出する。舞台は病院内にある葬儀屋であり、上手側に机やパソコン、中央にソファー、下手側にTVモニターといった作りである。そこで展開する物語は、生と死に関わる仕事を生業とする人々を交錯させることで浮かび上がる矛盾。

生まれ出悩み...人は生まれた時から死に向かって歩み出す。何のために生まれてきたのか、などと哲学的なことは描いていない。むしろ生きるために人の死を待ち望んでいるような仕事-葬儀を通して見る”人の最期の遺志”とは...。
死者の弔い方について、葬儀屋と遺言バンク屋との遣り取りを通して、死んでも自由にならない自分の思いが切なく描かれる。葬儀費用は、その時になって初めて知ることが多い。相場があるような無いような、気が動転している遺族にとって葬儀屋の提示額はそのまま受け入れる。そこには死者の弔いと同時に親戚も含め世間体を気にすること。一方、遺言バンクは生前遺書により死者の遺志を伝える。時に散骨(法的なことには触れていない)を希望する場合もある。劇中ではその遺志はほとんど無視され、遺族の世間体が優先する(葬儀は死者が主人公だと思うが、実際はそうではない)。死んでも自由にならない故人の遺志をあざ笑うかのように...。

物語は、葬儀屋...ハンドルネーム「ヤリタイ」がチャット仲間の「小夜子」「天涯孤独」と交信しているところから始まる。ある夜、4人目の仲間「シタイ」から全員に謎の電子メールが送られる。[最寄りの交番に出向き「小野」と名乗り、黒いセカンドバックを受け取ること]。3人は訝しみながらもその指示に従うが…。
それまで葬儀屋「シタイ」は、その生業から死(者)に対して乾いた感情で接していたが、あるビデオメッセージを観て動揺する。そして死者の遺志の想いと重みを知ることになる。そうした心情になるまでの過程(死=金儲け、遺言バンクを通じて遺志の存在、仲間の死で思う尊厳など順々)が実に細やかに描かれる。舞台美術が鯨幕のようなモノトーンな雰囲気の中で、チャットの快活な会話というアンバランス。そこに死と生の在り方を表現する巧みさ。そして時々交わされる天気の話題...雪が舞っている状況と散骨の話の後、上手側で白いものが舞い落ちる絶妙さ。

さて疑問が1つ。シタイは「ヤリタイ」「小夜子」「天涯孤独」の素性や住所を知っているようだが、どのようにして知ったのか?またヤリタイが葬儀屋と知っており、自分の葬儀の段取りが「ヤリタイ」に委ねられるよう仕組んだように思える。オフ会を楽しみにしているチャットの中だけの知り合いのようだったが、実はシタイは皆のことを知っているようだ。どのようにして知りえたのか。自分はそのシーンを見逃したのか、気になるところ。

次回公演を楽しみにしております。
タイムトラベルアイドル 時空少女ピピ

タイムトラベルアイドル 時空少女ピピ

タイムトラベルアイドル 時空少女ピピ 実行委員会

シアターブラッツ(東京都)

2019/06/05 (水) ~ 2019/06/09 (日)公演終了

満足度★★★★

この公演は歌ありダンスありで、アイドルのライブそのもの。そこに劇を落とし込んだようなイメージである。もちろん衣装も宇宙をイメージさせつつ、艶美なものである。
自分も含め、なぜか最前列は中年以上の年配者ばかりが座っていたのは偶然か? 「タイムトラベルアイドル時空少女ピピ実行委員会」としては1回目(旗揚げ?)の公演であり、その実力・魅力は未知数である。ということは魅力的なキャストが多数出演しているということだろうか(アイドル事情に疎くファンの人には申し訳ない)。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

セットは奥を2段ほど高くしただけのほぼ素舞台。左右にはピンクの紗幕のような飾り。後壁は映写幕代わりとし、宇宙空間を映写し雰囲気作りをする。素舞台であるが、キャストの登場で一瞬にして華やかな舞台になる。

梗概…惑星「ビヤシリ星」から地球へタイムトラベルして来た「ピピ」「ポル」「ペル」、地球人的には”彼女達”である。降り立った場所には「アイドルグループ」のライブ映像が映し出されいた。彼女達は見たことも無い「歌」「ダンス」の光景を見て「興味」を持つ。そして新アイドルユニット「アポロ」メンバー募集の張り紙を発見して...。そこで巻き起こる地球人との恋、マネージャー同士の争い等々。「アポロ」は地球でアイドルとして活躍できるのか? 物語としては勧善懲悪も含め分かり易い展開になっている。

表層的には異星人と地球人との交流を通して”人”の愛情を描いた公演。しかし、少し理屈を言えば自分には異星人=移民であり、異国との文化交流を通じて人と人の関わりを見つめた作品に思えた。異国に住みついた不法滞在者を連れ帰る役目の彼女達。同時に異国の文化(アイドルとしての歌やダンス)に刺激を受け、それを体験してみたいと思う願望の実現に向けて努力する。何となく身近にある社会性のようなものが垣間見える。その稽古過程を実際のライブ形式にして観(魅)せる。この公演は若い女性が多く出演しており、艶美な姿態の踊りは眼福。

眩い照明の下、若い女性が躍動感溢れるダンスを披露し、それがアイドルの稽古風景に連動する構成という巧みな演出。物語としては、「ピピ」が恋心を抱いた男性マネージャーを蘇生させたことから、ビヤシリ星のルールに違反した罪により自星に強制送還?または宇宙に漂わせるような罰を受ける。また人の将来が分かるような話の流れから、この先のマネージャーの人生に暗雲が…。
「ピピ」の運命は、そしてマネージャーの暗雲とは、という次回公演に続くような結末である。
次回公演も楽しみにしております。
あの鐘を鳴らすのはあなた

あの鐘を鳴らすのはあなた

Pave the Way

萬劇場(東京都)

2019/06/05 (水) ~ 2019/06/09 (日)公演終了

満足度★★★

劇団「あの鐘」の公演後の後日談といった物語。その物語は、タイトルの情緒的な印象とは違いコメディであるが、何を伝えたいのか、どのように観せるかが上手く伝わらないのが残念なところ。
(上演時間1時間45分)

ネタバレBOX

舞台は、冒頭は劇団「あの鐘」公演の打ち上げのため、居酒屋で宴会が始まる場面。暗転後はそれから3カ月経った劇団の稽古場である。主人公の古町キョウヤ(崎嶋勇人サン)が劇団公演後にこのままではダメだという強い危機感を抱く。何を根拠に何が不足しているのか曖昧なまま、劇団員それぞれが考えてみることになった。

3か月後、次回公演に向けて集まったが何か様子がおかしい。まず脚本家が台本を書けない、制作サイドの宣伝活動にやる気が見られない等々。そのうち劇団を解散してはという話の流れ、この際、劇団員が思っていることを吐露していく。実はヤクザの娘、SM倶楽部でバイトしている、劇団の金を使い込んでいる等、赤裸々な話や不始末が露呈する。何となく内輪話のような気もするが、そこに居る人の性癖・性悪な面を見せることによって劇団内の不協和音を浮き彫りにする。身近な題材であるが現実味がなく、距離を置いた描き方になっているため”笑い”が醒めているようだ。

物語は稽古場に集まった一夜を中心に展開するが、ラストシーンを除けば、ほとんどが大声というか怒鳴り声に近い話し方である。そのため一本調子になり、メリハリが欠けたように感じる。
また、キョウヤは3カ月前...つまり公演打ち上げ後に交通事故死をしており、この稽古場に居るのは幽霊である。その幽霊が、他の生者の動線を気にするような動きをしており不自然に思える。

冒頭、キョウヤが力説していた”このままではダメだ”という思いは、この公演そのものを暗示している、そんなブラックな感想を持ってしまう。公演のテーマは何か、それをどう観せたかったのかが伝わらない。折角、稽古場に集まった団員の話をするのであれば、冷静な人間観察を通して劇団内の人間関係に観る狂気・狂喜・驚喜を巧みに駆り立てた(喜劇でも悲劇)作品に…ぜひ”鐘を鳴らして”ほしい。
次回公演を楽しみにしております。
なんてったって

なんてったって

青春事情

OFF OFFシアター(東京都)

2019/06/05 (水) ~ 2019/06/09 (日)公演終了

満足度★★★★

劇団「青春事情」が楽屋裏の”アイドル事情”を謳い上げたような…アイドルとしての心構え、人間らしい生き方という一見相容れない生活スタイルの悲喜交々が観てとれる公演。主役のアイドルグループと別のアイドルを対比するような観せ方が緩い寓話のようにも思える。
物語はアイドル狂騒曲のようなコメディタッチの描きであるが、その展開はいたってシンプルで新鮮味が感じられないところが少し残念。
(上演時間1時間35分)

ネタバレBOX

セットは、ほぼ素舞台。デニム生地 が付いた箱馬が数個あるのみ。
梗概…男3名のアイドルユニット・ゴットチャイルドは、10代でデビューして以来20年間キッズと呼ばれるファンに支えられ活動してきた。その3人のコンサートシーンから物語は始まる。さすがに40歳が近づいてきた今日この頃、中年太りや薄毛などアイドルらしからぬ外見的問題が表れる。それでもファンを大切にするという気持と具体的な行為が長年アイドルを続けてこられた理由である。
しかし、そんな努力が無駄になるような出来事が発覚する。アイドルとしてしてはならないファンとの恋愛沙汰、ましてや女子高生との同居写真が週刊誌に...。未成年との淫行が表沙汰になればアイドル失格はもちろん社会的に糾弾されるという窮地に追い込まれる。

一方、公演が終わったらファンの彼女とデートはする、自らの公演に対する姿勢の甘さなど我儘し放題のアイドルを登場させ、”アイドルとは?”という偶像性を鮮明に際立たせる。アイドルの「自覚」と「責任」がファンを獲得し長く支持してもらえると説くような、そんな寓話性を感じさせる。また簡単にアイドルになれると思っている人物を登場させ、アイドルへの道は自惚れと自我で叶えられるかもという安易さ...その錯覚を面白可笑しく描く。

物語はアイドル(グループ)、所属事務所の人たちという業界側の観点で描いている。一見ファンの側が見えてこないが、ラストの姿なきファンのアンコールがゴットチャイルドの今後を暗示する。その予定調和のような結末は、何となく先読み出来て物足りない。
とは言え、もう2度と戻らない青春が舞台というフレームの中で熱くそして郷愁を帯びて語られる。その延長線上にある現在、中年になってもアイドルが続けられる有難さ、その思いが舞台の外に溢れるぐらい輝いて観える。それはアイドルという偶像性からファンを失望させるという側面、同時に人並みに恋愛をし子供を授かり育てるという側面、その両面を併せ持つ人間そのものの面白み、それを可笑しく観せている公演...楽しめました。
次回公演も楽しみにしております。
怪盗協奏曲

怪盗協奏曲

ZERO BEAT.

ザムザ阿佐谷(東京都)

2019/05/28 (火) ~ 2019/06/02 (日)公演終了

満足度★★★

タイトルから想像できると思うが、ミステリーである。そして協奏曲であるから異なる怪盗が登場して共鳴していく。その姿が気障で滑稽な...そんな人物たちの協奏曲ならぬ狂騒曲のような物語。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

セットは、上手側から下手側に向かって下がるように設え、中央やや上手側に喫茶のカウンターがある。このカウンターは場面に応じて変化させることで、空間の広がりも変わる。
物語は、自称ルパンとゴエモンをリーダーとする怪盗2グループの暗躍を中心に、それを捕まえようとする警察、2グループの目的は違うが同じターゲットの人物を陥れるための共同作戦など、ミステリー要素を取り入れ軽快なテンポで展開させる。リーダー2人のそれぞれの過去と拘り、仲間の特技等を面白可笑しく描き、さらにアクションなどで観せる工夫を凝らしている。

物語は面白いと思うが、肝心の謎解きが粗く勿体ない。ラストがもう少し丁寧に展開、説明できていれば...。ターゲットの人物の屋敷に忍び込むが、セキュリティ装置に感知し不法侵入で警察に逮捕されそうになる。しかし実は忍び込んだと思わせたフェイクという謎解きである。映画ではよく見かける手法であるが、それを芝居で観せるには難しさがある。それゆえ謎解きが台詞のみで説得力に欠ける。ミステリー作品の醍醐味は謎解きの過程と納得性、結末の意外性だと思うが、そのどれもが弱いのが残念だ。

さらに登場人物の関係性を安易に付け過ぎたように思う。ルパンの父は行方不明という設定であったが、実は行きつけの喫茶店のマスター、そしてルパンを捕まえようとしている警察の担当者が実兄など、あえて関連付ける必要があるのだろうか。ルパンの亡き祖父への思い、しかしそこに父が介在してこないにも関わらず、喫茶店のマスターとして見守るという不可解な存在として登場する。本来の謎解きよりも散りばめた疑問の回収が出来ていないように思える。物語としては、面白く観せようとしている熱意が伝わるだけにもう少し丁寧な展開と説明があればと思う。

公演内容ではないが、主役の男優(ルパン役:森田晋平サン、脚本・ゴエモン役:足立英昭サンの2人)が終演後1時間ほど経ったころ、自分が先にいた飲食店に入ってきた。観てきたことを伝えたところ、丁寧な挨拶をしていただいた。この対応がファン(特に女性)の心を掴んでいるのかもしれない。
次回公演も楽しみにしております。
ひまわりの見た夢

ひまわりの見た夢

雀組ホエールズ

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2019/05/29 (水) ~ 2019/06/09 (日)公演終了

満足度★★★★★

司法では裁ききれない心の罪...それを死者の視点で冷徹に見詰めた感動作。
兄・妹が加害者であり被害者という家庭内殺人、その重く苦しい心情を重厚に描いている。
(上演時間2時間)【ひまわりの見た夢~re-act】

ネタバレBOX

セットはダイニングでテーブルと椅子が置かれている。全体は上手側と下手側に衝立風の壁、上手側に2~3段の階段があり別室への通路、下手側は玄関といった造作のようだ。この舞台美術と衣装が物語の沈鬱な雰囲気を醸し出す。まず白い壁、白いテーブルクロス、この家の両親、姉、弟の上下服は白色。一方、後景が暗幕、床は黒で室内全体が鯨幕のようだ。
この公演は舞台美術や技術に工夫が施され、例えば暗転時に不気味な音-水に石を投げ入れた時に聞かれる”ポチャ”、不安を煽るような波照射など落ち着かない雰囲気を漂わす。

物語の結末は”そんなこと”という理由で終えるが、そこに潜む家族と本人の問題。それはどこの家族でも在りそうな、そんな身近で些細な事が大事になるという危うさ怖さを垣間見せる。知らず知らずに刷り込まれるような、そして本人はそれが自らの夢と思い込む。その錯覚は真面目なほど強迫観念になる。案外良い子になりたい-両親の期待に添いたいと思う気持ち、一方両親も自慢の我が子になる。そこに解り合えたと思う錯覚、思い込みが家族ゆえに表面化せず悩ましい。そこのところを実に上手く心情描写しており見事だ。

殺された末妹は、家族の期待に背き自分の好きな道(大学)に進み、兄も自分の好きな夢に向かって歩くよう説いている。それが煩わしくなり、自分自身を見失いといった衝動殺人(事後は冷静に切り刻む?)のようであった。それを兄(生きている者)の将来を慮かり末妹の素行の悪さを司法の裁きで陳述する。その結果、懲役12年の判決、服役し出所してきた。加害者家族になるか被害者家族の立場になるか、その二者択一を迫られた家族が選んだ道は…。

物語は末妹と付き合っていたジャーナリストが、事件に潜む闇、家族の娘に対する仕打ちを糾弾するような形で心の闇、事件の真相(原因・理由)を暴く。恋人(娘)生前は向日葵の髪飾りを付け、生死の区別をする。好きだった花-向日葵は「自由と正義」の象徴としてラストシーンに引き継がれる。そして真相(深層)が明るみになった時、家族の衣装が色彩あるものへ変化するという細かい工夫も好い。そして過ちを犯した者は紙屑になり、皺くちゃになった紙は元に戻らない。食事シーンや心の在りようを”紙”を利用して表現するところも上手い。役者陣は熱演、ほとんど室内という空間における濃密な会話劇は観応えがあった。
いくつかの疑問は、次公演(次週)で明らかにするという興行的?な観せ方か。上手いな~。
次回公演を楽しみにしております。
自由を我らに

自由を我らに

カプセル兵団

ワーサルシアター(東京都)

2019/05/28 (火) ~ 2019/06/02 (日)公演終了

満足度★★★★

現代向けの内容。
文字で書かれた憲法を芝居として観せる、そうすることでより分かり易くなる、とは形を変えて公演の中で言われたこと。テーマである”憲法論議”をする前から、すでに権利に関する伏線があり、劇中で民主主義の根幹ともいえる多数決に潜む問題指摘をする等、色々な形で憲法にある条文をしっかり描き出す、その構成は巧みである。
丁々発止の会話劇、その内容は極めて現代に向けて発信し改めて考えさせるもの。物語は、新たな「日本国憲法」の発布にあたり、国民に新憲法を理解・浸透させるため政府は小説家、歌人、新聞記者、劇作家、随筆家、広告文案家、等の言葉の専門家を集め文語で書かれた憲法を口語に直す作業を依頼したが…。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

セットは、上手側奥に軽食・飲み物が置かれたテーブル、客席側に司会者用の演壇が置かれている。あとは会議出席者分の椅子があるシンプルなもの。もちろん椅子は始まるまでは客席側を向いており、その後議論の展開によって出席者が動かし向きも変える。
さて、文語体を口語体へ変更する期限は、翌朝の新聞朝刊に掲載するまでの時間。しかし印刷等に掛かる時間を除けば、実質2時間しか議論できない。これは上演時間2時間に重ね合わせ臨場感を持たせたもの。

政府によって任意に選ばれた文筆業等の専門家が集まってくるところから物語は始まる。1幕劇らしく、登場人物の人柄なりが分かるような紹介場面があるが、その中で女流作家が書いた心中物の小説を同じ会議に出席している劇作家が無断で上演している。周りは(著作)権利の侵害だと糾弾するが、女流作家は劇化することでより小説が分かり易くなると喜ぶ。”権利”の判断基準はどこにあるのか?小説家が書いた文章の”責任”とは?あれ、これって小難し憲法を劇化して観せるこの公演そのものでは?

さて口語体への論議は、第1章(天皇)、第2章(戦争の放棄)、第3章(国民の権利及び義務)を通して、解り難い言い回しを国民が理解でき新憲法が浸透するようにするもの。しかし議論が色々派生し漂流し出し、考えの違いによって纏まりが付かなくなると如何様にでも解釈できる曖昧な表現にするいう矛盾した結論へ。ここに”日本人らしい”という言葉に集約される無責任な姿が浮き彫りになる。

圧巻は、現代の改憲論議の中心であろう憲法9条「戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認」についての議論である。特攻帰りの小説家と政府役人(3人のうちの1人)による戦争・戦力・交戦権を巡る議論は、日本国内のみならず国際情勢に鑑み海外派兵云々はという現代的論争に通じるもの。この会議では日本が他国に攻撃(例えば、一時あった米ソ冷戦時代の仮想敵国等)された場合の自衛権の必要性が持ち出され、会議出席者の多くが賛同しそうになるが、頑としてその考えを受け入れない。民主主義の多数決に則れば…しかし自分の信念を貫き通す、多数決とは完全一致ではなく少数意見をも尊重する。憲法論議に絡めた民主主義の捉え方も鋭い。
全体的に憲法議論を通していろいろな日本人”的”な発想(アメリカに対する根拠ない妄信等)が観えてくる快作。

いくつも笑いの場を設けながら、しっかり憲法の曖昧さとそこに潜む危うさを垣間見せる。当時の状況に応じた憲法を取り合えず制定(曖昧に)して、後世の人々が時代に即して改憲すれば、という件はまさに現代へ問題・課題の先送り。政府役人(生粋万鈴サン)は力説する…10年後、50年後、100年後も戦争がない世であること。同感である。
次回公演も楽しみにしております。
REizeNT ~霊前って...~

REizeNT ~霊前って...~

junkiesista×junkiebros.

中目黒キンケロ・シアター(東京都)

2019/05/24 (金) ~ 2019/06/02 (日)公演終了

満足度★★★★

設定は葬式なのに喜劇という祝祭性で描く奇知のようなセンス...まずは「楽しい!」の一言。脚本や構成も然る事ながら、とにかく役者が個性豊かに活き活きと演じていた。
説明ではミュージカルとの謳い文句であったが、どちらかと言えば演劇(ストレートプレイ)の中に演出として劇中歌が入っていたように思えた。それだけ物語性があるということ。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

セット...冒頭は誕生日パーティ会場であるが、衝立で仕切ってあるだけ。物語の中心は葬儀であるから、衝立の後ろには祭壇が…。その祭壇は花壇のように華やかで、ラストは電飾が点滅するほど鮮やかなもの。

物語の展開は分かり易く、金と欲に目が眩らみ富豪の女社長を毒殺するが…。
女社長は家族、交友関係者の中に犯人がいると睨み、死んだふりをして警察に捜査を依頼する。自らは棺桶の中で弔問客や家族の会話に聞き耳を立て情報収集をする。時に棺桶から抜け出し様子を窺う。一方、実妹、学生時代からの友人、自称隠し子、葬儀社員、同性愛者等色々な人々の思惑が飛び交い、誰が何の目的で社長を殺したのか。その緩い謎解きも物語の進展とともに明らかになるが…。

公演はミュージカル仕立ての喜劇として観せているが、その構成はしっかりとしており、物語の中で歌い踊っている。その意味で、純なミュージカルではなく劇中歌であり、物語の魅力付けとしてのダンスパフォーマンスといった印象である。
登場人物のキャラクターは面白可笑しくするため、相当デフォルメしている。また利害関係・恋愛関係を奇妙に絡め、展開に幅を持たせ観(魅)せ場を作る。

役者陣の演技は確かに面白く、物語に引き込まれる。逆にその面白さ力強さによって歌とダンスの魅力がかすんでしまったように思う。もう少し歌やダンスのシーンを多くし、その魅力が引き立つように工夫し、芝居・歌・ダンスが協調し劇的効果を高めるといったエンターテイメントな公演を期待しております。
次回公演も楽しみにしております。
かさぶた式部考

かさぶた式部考

劇団櫂人(解散しました)

上野ストアハウス(東京都)

2019/05/29 (水) ~ 2019/06/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

タイトルは恋多き平安時代の歌人・和泉式部が「恥多きかさ病み」となり各地を漂白したという伝承に基づくものだという。「かさ」とは社会の理不尽により民衆が受ける痛みを象徴するものであり、血膿のフタはその下にある病巣が癒えない限り無くならない。
本公演は1969年に初演されており、いま上演する意義は当時の時代背景と現在が奇しくもオリンピック開催という高揚時、その影(下)で苦しみ悩む人々への鎮魂歌のように思える。
(上演時間2時間30分 途中休憩10分)

ネタバレBOX

舞台は1967年の九州の農村。セットは中央を階段状にし、左右も段差高が違う階段があるだけのシンプルなもの。それを農家、公民館、本山宿坊、嶽薬師寺境内という情景を小物を置くだけで表す。例えば農家には井戸や茶器、公民館では蒲団、境内には賽銭箱や休み処の箱馬を置く。

梗概…炭鉱へ出稼ぎに行った男・豊市(高橋知生サン)は落盤事故で一酸化中毒による重い後遺症を患い帰郷する。母・伊佐(村川玲子サン)が献身的に庇護・介護をし、妻・てるえは別の形で夫を支えている。しかし中毒による耳鳴り、頭痛、錯乱は日に何度も繰り返し、暮らしは困窮を極める。ある日巡礼団と関わり、その一行を率いる尼僧・知修尼(佐藤陽子サン)に豊市は心惹かれる。そして母と共に九州日向の本山まで同行することになるが…。

脚本は秋元松代、日本各地に伝わる「和泉式部伝説」を基に社会の底辺に生きる人々の哀しみと魂の救済を描いており、その劇風は土俗的でありどこか日本の原風景を思わせる。それゆえ、今から半世紀以上前の物語でありながら色褪せることなく観ることができる。

一酸化炭素中毒という社会問題を軸にしつつ、別場面でカドミウム(環境汚染で発生したイタイイタイ病)という別の中毒も出し、時代と所を変えても至る所に病巣があることを暗示する。1967年といえば、1964年に開催された東京オリンピックから1970年に開催された大阪万博などによる特需などもあり、高度成長期の只中である。しかしそうした社会背景にありながら、本作のような社会の歪みもあった。
公演は社会問題と同時に、母子、夫婦、嫁姑という日常に潜むのっぴきならない関係も濃密に描き出す。また知修尼と信者たちとの性愛、そこに宗教と本能という建前と本音、ここに和泉式部の「恥多きかさ病み」が透けて見えてくる。そして脈々と受け継がれる修行中の秘匿、そこには式部の末裔「68代和泉式部」の”かさぶた”が隠れているようだ。それらも含め、登場人物全員=民衆の苦悩とその先にある光明が現代に通じる説話になっている。

演出は、緞帳代わりの紗幕に、冒頭は1964年時の東京オリンピックの写真、ラストは2020年開催予定の東京オリンピックの会場建設写真を映し出す。半世紀という時を隔てても、なお残酷な現実(原発事故等)が横たわることを提示する演出は巧みだ。
演技は、豊市の狂気と正気を行き来する端然な演技、母の執着と哀願に見える悄然した姿、妻の愛情と生活の中に見える凛然とした逞しさ、そして知修尼は法衣の下にある美しさと淫情といった凄みが出ていた。全編にわたっての方言・肥後弁は土着感、地に足を付けた民衆といった印象を持たせる。またセットのシンプルさと同時に衣装のモノトーンは、色彩=活気というイメージを持たせない工夫であろう。

最後に卑小とは思いつつも、豊市を渓谷に吊るすシーンは全編の硬質感ある雰囲気とは異質のようで、違和感を覚えたが…。
次回公演も楽しみにしております。
ロミオとジュリエットたち

ロミオとジュリエットたち

劇団おおたけ産業

新宿眼科画廊(東京都)

2019/05/24 (金) ~ 2019/05/29 (水)公演終了

満足度★★★

そういう結末か~、なるほど劇的と言えるような展開である。本公演ではネタバレを書いては面白くないだろう。
説明文を引用した梗概…高校の演劇部の部室。 男子部員1人と女子部員9人たちは、今年のオープンスクールで上演する「ロミオとジュリエット」の配役会議をしている。ロミオ役は「唯一の男」という理由で部長に決定した。 ジュリエット役は 「やはり副部長がジュリエットをやるべき」という意見が大勢を占めたが、当の副部長が 「絶対にやらない」と宣言する。 この言葉をきっかけに、会議は紛糾し始めた。

展開は面白いが、その結末に至るまでのテンポが緩く、時に間延び、気まずく、そして微妙な雰囲気のようであった。結末のインパクトを意識した演出にしても、公演全体の流れはもう少しアップテンポしてもよかったと思う。同時に台詞もボソボソとした小声が停滞感に拍車をかけているようで勿体ない。さらに部長に対する行為があそこまでエスカレートするか?という疑問等、いくつかのツッコミ所はあるが、それは卑小なこと。
公演は、気まずくなった会議をどう収拾するのか心配したが、劇的な結末によって無事「ロミオとジュリエット」が上演できそうになるが、また新たな暗雲が…。
次回公演も楽しみにしております。
(上演時間1時間)

東京ノ演劇ガ、アル。#2「BAR女の平和」

東京ノ演劇ガ、アル。#2「BAR女の平和」

オフィス上の空

東中野バニラスタジオ(Vanilla Studio)(東京都)

2019/05/03 (金) ~ 2019/06/02 (日)公演終了

満足度★★★★

アリストパネスの戯曲「女の平和」…アテネとスパルタの戦いを終わらせるために、両都市の女が手を結び、セックス・ストライキをおこなう下ネタ喜劇、と思って観たらガッカリする。どちらかと言えば「BAR女の平和」というタイトルを皮肉るような「BAR女の戦い」が熱く激しく繰り広げられる物語。もちろん女の戦いとなれば、恋愛における主導権争いだ。会話はあちらこちらに問題が派生し漂流するがごとく行き着く先が分からない。時に問題のすり替え、嫉妬、軽口裏切りなど女の本音・愚痴が聞こえてくる。その人間模様をいきいきと軽妙に紡いだ珠玉作。
(上演時間1時間) 【Eチーム】2019.5.29追記

ネタバレBOX

舞台はBarの店内。上手にテーブル席、下手にカウンター、ボトル棚が観える。中央の壁には区議会議員立候補の友人を励ます檄文。床には大きなダンボール箱が置かれている。シンプルなセットであるが、物語の展開には十分な作りである。

区議会議員に立候補した友人の激励会らしき集まりだが、当の本人がまだ到着しない。その間にセックスストライキの話題にふれるが、今夜集まる予定の5人が揃ったところから物語が漂流するようにあちらこちらに派生していく。表層的には、女の戦いである。キッカケは、議員立候補者の生田目あいこの親友・芝浦まきが夫を事故死させたと打ち明ける。自首を促すあいこに、木下ももかがあいここそが元凶だから身代わり自首すべきだと言い出す。まきの夫とあいこが不倫関係にあり、更にももかも不倫しており他人の夫を巡り嫉妬による責任の擦り付けという女の性(さが)が観えてくる。

また、花園れいは姑との折り合いが悪く、夫は子供の面倒を見てくれない。家庭生活の不平不満をぶちまける。これによって家庭や世間における女性の見方が見えてくる。Barのママ・山野かおりは初老の男と暮らしており、金銭面も含め何かと面倒を見ている。女の渦巻く感情...嫉妬・羨望・失望・裏切りなどが上手く散りばめられコメディタッチで観せる。

一方、女性の自立を訴える あいこに対し何をするにも決め切れない まきを対極におき自分で考えることの大切さを説く。この2人の存在が象徴している「自立」と「依存」こそが現代社会における女性の側面を切り取っているようだ。極端な「自立・依存」の善し悪しは別にして、かおりは初老男に甘く、れいは家庭に縛られ、あいこ・ももかはセックスストライキを建前にこっそり不倫をしている。公演はコメディとして笑わせながらも、底流には女(=人)が持つ表裏の感情、「建前」と「本音」をしっかり描いた公演は観応え十分だった。
次回公演も楽しみにしております。
Otogi ~bis dann~

Otogi ~bis dann~

FAM

上野ストアハウス(東京都)

2019/05/22 (水) ~ 2019/05/26 (日)公演終了

満足度★★★

生きること、信じることを熱く観せる青春群像劇。物語の構成としては解り難い所もあるが、それを凌駕する力強さを感じる公演だ。
説明に「命を賭けた数日間、彼等は物語を描いた。与えられた命に意味を与える為に」とあるが、冒頭が映画の撮影シーンでラストはそこに帰結する構成になっている。ラストと思しきシーンの後にも物語が続き、せっかくの余韻が台無しになり、伝えたかったテーマらしきものが曖昧になるようで勿体なかった。本物語なのか、劇中劇として収めたのだろうか。
(上演時間1時間45分)【Bチーム】 2019.5.29追記

ネタバレBOX

舞台は老朽化した安アパートの一室またはカジノに転換する。上手には階段が付けられ2階_居酒屋を思わせる。中央にはテーブル、椅子が置かれている。周りには海をイメージするようなボードが貼られている。季節はクリスマス時期、このアパートは隙間風が入り、住人は暖房器も持っていない。そして停電も頻繁に起きるという設定である。

梗概…アパートには色々な事情を抱えた人が暮らしている。その中の1人(男)が病で余命が僅かになり、残された日々をどのように生きるか。この男は自主映画を撮影しており、作品の完成は果たせそうにない。この男を巡り、アパートに住んでいる人々との交流や諍いを通して”生きる”とはを考える。同時に人と人の繋がりを温かく、そして酷く紡いでいく。
もう1人の主人公と思しき女優志願の女は、自我が強く事務所からの仕事が気に食わないと投げ出してしまう。この女の友人で町工場を経営している女は資金繰りに困っている。誰もが物心に悩みが…。公演は強い訴えというよりは、物語を楽しむといったもの。

物語は分かり易いが、その展開への納得させる場面が描かれていない。例えば医師が何らかの事情で賭け事の世界へ入っているが、その原因・経緯は何か。その説明不足が面白さを損なったように思う。
また、主人公の男が海を見ながら倒れるが、それは息を引き取ったとイメージさせる。しかしその後も話は続き、男の映画撮影の劇中シーンとしての物語なのか、男の生き様を映画化した後日談なのか判然としなくなった。
役者は熱演、特にアパート内における意見・感情が衝突した丁々発止は観応えがあった。台詞は魂が入ったような重みが印象的だ。

伝えたい内容は”生き様、生き甲斐”などの生ある者の尊厳を描いている。落語の「死神」を思わせるロウソクの話など、隠喩を用いて印象深く観せようと工夫している。カジノのシーンが表れるまでは純な人情劇といった雰囲気であったが、町工場の経営難をカジノへ結び付けるのは少し強引だったように思う。先に記した映画の劇中シーンまたは後日談?とカジノへの展開が物語の構成を解り難くしたようで残念だ。
次回公演を楽しみにしております。
トライアウト公演「Ukiyo Hotel」

トライアウト公演「Ukiyo Hotel」

Ukiyo Hotel Project

ラゾーナ川崎プラザソル(神奈川県)

2019/05/24 (金) ~ 2019/05/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「横浜本牧に実在した、キヨホテルと娼婦・お浜をモデルにした劇画『淫花伝・本牧お浜』を再構成し、舞台化」したトライアウト公演は、観客参加型の艶劇であった。前説のようなところから本編へ巧みに誘い込み、同時に物語の案内役(主人公)が観客に話し掛けたり、客席に座るなど冒頭から観客を物語の世界(1920年代)へ導く。まずは耽美な雰囲気を視覚に訴えるため、妖艶なダンスパフォーマンスが繰り広げられる。
表層的には娼婦として生きた女の半生を、したたかに逞しく、そして高らかに歌い上げている。全体的に楽しめるが、自分的には気になるというか好まない場面が…。
(上演時間1時間45分)

ネタバレBOX

舞台はUkiyo Hotel のホールといったところ。2層になっており1階部の奥にUkiyo Hotel Band(Pf、Ba、Drs)、下手側に階段が付けられているだけのシンプルなもの。大きく開けた空間ではダンスや歌を披露すると同時に、Hotel 外の情景を描く。

好まないのは「性の決闘」(メリケンお浜と梅原北明)シーンである。白幕に影絵のような人物像を描き出す手法で観せているが、それまでの雰囲気が突然マンガ調というか見世物的になったようで違和感を持った。「性の決闘」という語感から過激なシーンにする必要はないが、あまりの子供じみた演出には戸惑う。公演全体の雰囲気に調和した演出を期待したいところ。
た ま ゆ ら

た ま ゆ ら

Fallen Angels

シアターシャイン(東京都)

2019/05/23 (木) ~ 2019/05/26 (日)公演終了

満足度★★★

大学のオカルト研究会(通称:オカ研)のOB・OGによるサスペンス、その出来事を通して浮き彫りになる人間関係の危うさを描いた公演。公演の舞台は、大学時代に合宿で利用していた人里離れた場所にあるペンション。そして台詞から信州という名、さらにこの地が「パワースポット」「ゼロ磁場」ということから「分杭峠」あたりを想像する。
この超常現象を扱った公演の最中に大きな地震があり、終演後ニュースで千葉県で震度5、東京23区あたりで震度3の揺れがあったと…偶然であるが驚いた。
(上演時間2時間) 後日追記

ネタバレBOX

セットは、衝立でペンション内の壁、そしていくつかの黒箱馬でテーブルや椅子を表すというシンプルな造作。
かげつみのツミ

かげつみのツミ

おぼんろ

BASEMENT MONSTAR王子(東京都)

2019/05/22 (水) ~ 2019/06/02 (日)公演終了

満足度★★★★

人間と人形の関係を悲しくも想い深く描いた感動作。主人公は”人形”であり、人形が持ったであろう感情を人間との関係を通して抒情豊かに紡いでいく。今回は客演が演技やパフォーマンスで楽しませてくれる。登場する人物(人形)等がすべて魅力的である。
おぼんろ らしい雰囲気の公演であるが、今回はいくつかのグループごとにバックステージツアーのような方法を用いて別世界(場所)へ導く。決して悪くはないが、移動先の空間が狭隘で、そこに大勢の観客(参加者)を招き入れ物語を観せるには...。
おぼんろ は参加者を大切(どの劇団も同様だと思う)にしており、舞台設営は板と客席が極めて緊密になった作りをしている。それを更に身近で親しみやすくするといった思いの観せ方にしている。
(上演時間2時間40分 途中休憩なし) 後日追記

俺は間違っている。

俺は間違っている。

空想実現集団TOY'sBOX

遊空間がざびぃ(東京都)

2019/05/22 (水) ~ 2019/05/26 (日)公演終了

満足度★★★★

妄想の世界に浸っている男が2人。自分の妄想が肥大化し制御できなくなって初めて”妄想”への逃避の危険性を知る、そんな寓話のような物語をコメディタッチで描いた秀作。
何となくAI(人工知能)におけるシンギュラリティ(技術特異点)を連想してしまう。これはAIが自らよりも賢いAIを作りあげるという連鎖により、予想しえない変化を与えるポイントであるが、この公演では自らの妄想が暴走して...。自分自身の妄想と対峙することで、自らの苦い過去に立ち向かう。序盤こそもたついたように思えたが、全体的にはテンポよく観応えのある公演。
(上演時間1時間45分) 後日追記

向井坂良い子と長い呪いの歌

向井坂良い子と長い呪いの歌

少女都市

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2019/05/21 (火) ~ 2019/05/26 (日)公演終了

満足度★★★

人間関係を幾重にも重ね交錯させ、その謎めいた中に人の懊悩を描いた野心作のようだ。
登場人物は、作・演出の葭本未織女史も含め6人だが、葭本未織女史は道化として場面転換の役割を担っているようだ。同時にこの公演は彼女の演劇に対する思(重)いのような物語でもある。実質5人という狭い人間関係の中で次々に明らかになる出来事、何となくご都合主義のような気もするが、逆に当初から仕組まれた出会いであったかも...。独自の演劇論を物語の中で激白する、それは葭本未織女史の演劇に対する考えを劇中劇として描いている。説明文は”青春群像劇”であるが、それは表層的なことで、真は心象劇といった印象を受ける。観せようとする熱意、意気込みは感じられる。同時に、悪くはないが青臭さも感じる。

ちなみに、5人全員に関係する重要な人物は、ある邦画を契機に流行りのような演出スタイルとなり、その観方、捉え方は観客次第といったところ。
(上演時間1時間45分)後日追記

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