タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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ツノノコ、ハネノコ、ウロコノコ

ツノノコ、ハネノコ、ウロコノコ

フロアトポロジー

オメガ東京(東京都)

2019/09/04 (水) ~ 2019/09/08 (日)公演終了

満足度★★★★★

物語を観たまま受け入れれば国家陰謀による悲劇、ディストピアの世界そのものである。しかし、ラストシーンがどうも気になるが…。物語は重厚・骨太で、その雰囲気を舞台美術、音響・音楽、照明等の効果で上手く引き出している。もちろん架空・仮想世界の出来事であるが、現実にあり得ると思わせるところが怖い。この公演でのテーマが人の生き方そのものを問うような鋭さ。観応え十分な力作だ。
(上演時間1時間45分)2019.9.10追記

ネタバレBOX

舞台美術が素晴らしく、壁は煉瓦や波トタンで廃墟のような場所を演出する。中央に太い柱、その横を回り込むように階段が見える。上手側は別場所への通路、下手側に窓と通路。冒頭は 頭陀袋のようなものを被った子供たちが無邪気に遊ぶ姿。廃墟のような場所の雰囲気と子供たちの姿に違和感を覚えるほど明暗対比した光景が鮮烈だ。

時も場所も架空の世界を描くが、何となく現実味を帯びているような。物語は正化11年、ある研究者が人間の隷属性を高める働きをする新たな細胞を発見した。細胞の培養に成功した国は軍事目的のため国民に細胞ワクチンの投与実験を始めた。その結果生まれたのが「クラフト症候群」と呼ばれる早老症の子供たち。国家は秘密裏に処理するために「特例区」と呼ばれるこの場所に隔離し虐殺を行う。物語は人体実験=軍事利用を目的とした社会性とその犠牲になった国民(子供)の思い、その深く埋まらない溝を重厚に描いており目を逸らすことが出来ない。警鐘と感動が織り込まれた内容、それは観客(自分)の心に強く響いてくる。

1人の女性記者がその事実を取材しに訪れる。後日、その取材記録を公にしたような描き方のように思えるが…。国家への報復、その報復手段が火炎瓶という何十年も前のもの。その前時代的な方法を以って、いつの時代でも理不尽・非道な施策には立ち向かうという強い意志が込められているようだ。同時に独立記念日、独立広場などの台詞から非道な扱いを受けた国民の抗議行動、束縛(特例区)からの解放の意図が伝わる。

演出は、牢獄を思わせるような格子イメージの照明、場面状況に応じて照明を諧調させたり強調・印象として朱色や暖色など使い分けが巧みだ。音響は「ただいま さよなら」?を歌うなど哀調を帯びた選曲が心にグッとくる。この公演を通して、知らない事、考えない事、見て見ないふりをすることなど、その批判的視点を持たないことの恐ろしさを改めて知らされた。
次回公演も楽しみにしております。
歌姫

歌姫

ことのはbox

中目黒キンケロ・シアター(東京都)

2019/09/05 (木) ~ 2019/09/08 (日)公演終了

満足度★★★★★

土佐の漁師町にある映画館「オリオン座」の閉館日に上映された「歌姫」。この映画が物語の回想シーンそのもの、そして東京から映画を見に来た母と息子に去来する思いが、ラストの台詞に込められている。台詞は土佐の俚言で喋り、はじめのうちは聞き取り難いが、物語が進むにつれて気にならなくなる。逆に自分がその土地にいるような錯覚、雰囲気に包まれる。もちろん、ことのはBox らしい演出…舞台美術、舞台技術の工夫によるもの。そして映画館らしい時代経過の表示、郷愁と追憶をしっかり紡ぎ出した秀作。
(上演時間2時間) 後日追記

革命を起こすんだ

革命を起こすんだ

teamDugØut×マニンゲンプロジェクト

「劇」小劇場(東京都)

2019/09/03 (火) ~ 2019/09/08 (日)公演終了

満足度★★★★

タイトルの「革命」…一般的にイメージする体制権力、組織構造の社会変革といったことを思い描いていると肩透かしだろう。どちらかと言えば、自己変革もしくはそう試みた青春群像劇といった印象である。観終わった後、ある芥川賞受賞小説を連想した(関連は無いのだが何故か…)。

本公演は1980年頃が背景であろうか。そして小説は1964年受賞だから芝居よりも約20年前の時代、まだ学生運動が行われていた頃の作品である。
公演は、何事も真剣に真面目に考え行動しようとした80年代の高校生。もっと青春を謳歌した生き方ができたであろうと思えないこともないが…。「革命」を叫びながら、何かを変革したい、しかし具体的内容を問われると曖昧になる。「漠然とした理想」と「判然とした現実」の気持ちに揺れ動く青春ドラマは少し切ない。

公演では「外の世界に出てみたい」という台詞が何回か聞かれるが、小説にも「人は、自分の世代から抜け出ようと試みることさえできる」という主人公のシニカルな台詞があったと思う。その意味で「革命」=「挑戦」とも思えるような公演は好かった。
(上演時間1時間45分)

ネタバレBOX

セットはレンガの壁、いくつかのキューブが置かれているだけのほぼ素舞台。もちろん「外の世界に出てみたい」、山椒魚の比喩話を意識した舞台美術であろう。またインベーダーゲームに夢中になる場面、30年前の高校時代というさりげない台詞によって1970年代後半~80年代を思わせる。
物語は主人公の現在と高校生時代を往還するように展開する。そして現在は高校教師になっており、不登校生徒への登校を促すために、自分の高校時代の回想話をする。同時に改めて自分の生き方を考え又は問い直す。既視感あるような物語であるが、高校生らしい理想と現実、本音と建て前、協調・迎合、孤立・反目、そして何者でもない自分への苛立ちといった、言葉では言い表せない複雑な感情をいくつかのシーンで浮き彫りにしていく。
さて、小説は「されどわれらが日々ー」(柴田翔)である。自分が高校生だった頃に読み、その後何度か読み返しており、本公演に何か通じるものを感じた。 以降、後日追記
ストアハウスコレクション・フィジカルシアター週間

ストアハウスコレクション・フィジカルシアター週間

ストアハウス

上野ストアハウス(東京都)

2019/08/28 (水) ~ 2019/09/01 (日)公演終了

満足度★★★★

身体表現による語りかけは、国の伝統・文化、国政等の状況によって異なる。当たり前のようだが、台詞のない公演の中で主張したいことをしっかり伝えることは難しい。
日本とタイの舞踊表現は、見た目だけでもその違いは分かる。表層的には、日本の舞踊は躍動的、タイの舞踊は動静的であるが、どちらのダンサーも身体能力は高いと思う。抽象的とも言える身体表現で何を訴えているのか、自分なりの想像を働かせる。そこに舞踊公演の面白さ真骨頂があると思う。
ストアハウスカンパニー1時間、B-Floor1時間10分 途中休憩15分
【ストアハウスカンパニー/B-Floor】

ネタバレBOX

【上演順】
●ストアハウスカンパニー(日本)
舞台所狭しに衣服が散らばっている。演者の女3人・男1人が舞台上を歩き回りながら、来ている服を脱ぎ、散らばっている服を着ては脱ぎの繰り返し。そのうち、散らばっていた衣服が中央に集められ無造作に積み上げられていく。そして再び元のように散らばっていく。演技は膝高く大股で快活に歩く。その姿は躍動感に溢れ力強くもある。ラスト近くには服を持ち、投げるようにして自身も前のめりに倒れる。

舞台技術の音楽は軽快なPOP調、照明は動き回ることから暖色斜光することで役者の姿を捕捉している。一連の動作は、時間の経過と日常における人の喜怒哀楽が感じられる。動き回るのは時の流れであり、生を思わせる。衣服の着脱は情況変化、特に苛立ち。転げ回る姿に微妙な違いがあり、それは嘆き悲しみであり、喜び笑い転げの表現違い。最後の前のめりの動作は未来志向のように思える。

●B-Floor(タイ)
素舞台、演者の男2人・女1人がそれぞれ角材を持ってポーズを作る。動きは静止、活動といった対照的なものであり、それに合わせて照明も違う。静止姿は垂直の白色照射、活動姿は斜光の暖色照射で印象付けをする。音楽は少なく、どちらかと言えばゲップのような擬声音。ラスト近くは立ったまま小刻みに痙攣するかのような動き、そしてクールダウンするようにゆっくりと動き回る。

身近な活動を描いているようだが、時に怖い一面も垣間見える。仰臥している時、横向きになったりするのは自分の意思か、他者の力がはたらいているのか。途中で黄金服を着た者が登場したことから、何となく抑圧されたイメージを持つ。それは偶像、化身もしくは権力的なものを表現しているのだろうか。抑圧・閉塞や自由・解放、それは社会的なことであり自分自身の自己変革を思わせるような不思議な世界観を創出している。

基本的には身体表現のみ(一部 B-Floor公演では字幕や短い台詞あり)で、そこから受け取る思いは、観客1人ひとり違うだろう。作・演出家の伝えたいことが十分理解できなくとも、観た身体表現の素晴らしさは共感できるだろう。この舞踊を自分の想像力を膨らませて自由に解釈できるところに、この公演の魅力があると思う。
次回公演も楽しみにしております。
スケルトン・イン・ザ・クローゼット

スケルトン・イン・ザ・クローゼット

めがね堂

宮益坂十間スタジオ・Aスタジオ(東京都)

2019/08/29 (木) ~ 2019/08/31 (土)公演終了

満足度★★★★

乾いた空間に、夫婦の瑞々しい会話...そのギャップが不穏な雰囲気を漂わしているように思える。この公演の魅力は独特の演劇空間の表出にある。特に舞台美術があるわけではなく、素舞台に役者のパントマイムでその雰囲気を醸し出す巧みさ。乾いた感じがするのは、ストーリーテラーによる淡々とした語り、それが情況説明と同時に人間観察のようでもあり客観性を際立たせる。一方、夫婦の会話は瑞々しいがどこかよそよそしい感じがする。物語はサスペンス仕立てであるが、心象劇のようでもある。その色々な要素が混ざって独特な空間が…。この公演はどちらかと言えば見巧者向けのような気がする。
(上演時間1時間15分)

パラベルプルプリナ

パラベルプルプリナ

PINK DRUNK

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2019/08/29 (木) ~ 2019/09/01 (日)公演終了

満足度★★★★

映画の助監督として慌ただしく働く主人公、「もしも違う人生があったなら…」そんなことを思った時、パラレルワールドへ…。もう1つの人生は、移動遊園地「プルプリナ」の支配人で、こちらの世界でも慌ただしく過ごしていた。
公演の魅力は、華やかで楽しい歌やダンスのパフォーマンスとパラレルワールドによって自分がやりたいことの確認と再出発を決意させるような成長譚。映画助監督時代を第1部とすれば、移動遊園地の支配人のパラレル世界は第2部といったところ。第1部はミュージカル仕立てを強調し、第2部はドラマ展開を意識しているようだ。その魅せて観せる演出の妙が巧い。
(上演時間2時間) 後日追記

ネタバレBOX

前作「ショコラニマジョカ」で「グリーンフェスタ2018_BIG TREE THEATER賞」を受賞した実力派劇団。今回も大いに楽しませてもらった。
舞台美術はファンタジックな張りぼて、周りの柱は映画フィルムのような描き。映画助監督の世界ではスタッフは普段着、キャストは映画衣装で現実感を漂わす。一方パラレル世界では化粧や衣装は絵本に描かれたような奇抜なもの。その世界観の違いが現実と夢想の境界でもある。
夏休みの友たち

夏休みの友たち

ハグハグ共和国

萬劇場(東京都)

2019/08/28 (水) ~ 2019/09/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

人生は長いようで短く、短いようで長い。人生における幸せとは、日常の身近なところにあるような。人生は楽しいことばかりではなく、辛く哀しいこともある。その思いを忘れるため、無意識に思い出を閉じ込め記憶から消し去ってしまう。本公演では40年の時を経て、小学6年生当時の自分と邂逅し、忘れてしまった記憶と向き合い、これからの人生を今まで以上に大切に生きて行こうとするヒューマンドラマ。

デジャ-ビュと言いながら山道を登る12歳の小学生と52歳になった中年期のメンバー、過去と現在を往還しながら物語は楽しく展開する。その夏の思い出が、ある出来事(災害)によって記憶を忘却へ。しかしそこから抜け出せない自分、それを夏休みの宿題ノート「夏休みの友」の空白ページを書き、描き埋めることによって今を見つめ直す。ラスト、水月(生粋万鈴サン)が呼びかける…「麓の皆さん見えていますか、こちらからは見えていますよ!」は、生ある人々への見守りのようである。同時に40年前の思い出も大切にしてほしいとの願いであり、まだまだ精一杯生きてほしい、という応援メッセージでもある。舞台となる山小屋「犬井」に咲く露草の話を比喩とするところは上手い。

劇中に頻繁に登場する木霊(葉を付けた衣装)のダンスは、ハグハグ共和国らしい、優しく温かさが溢れており、山霊による見守りをイメージさせる。舞台技術、特に音響(劇中歌も含め)は実に効果的で余韻付けが上手い。自分は、このような芝居が大好きである。
(上演時間1時間40分) 

ネタバレBOX

セットは、上手に山小屋「犬井」の建物と東屋のようなものが建つ。下手が山小屋前のちょっとした広場。その後ろが崖をイメージし上部に展望台がある。上手と下手の間に斜めに山道がある。今回もハグハグ共和国の公演で見られる客席側への張り出しスペース、そして客席通路を使用する登場シーン。

物語は、麓の小学生と山間部の小学生の40年前の交流、その時に起こった災害で止まったままの夏休みの宿題を行う。宿題とは記憶というか心に負った傷を思い起こし、52歳になった今を見つめ、さらにこれからの人生を前向きに生きること。いわば心の再生物語である。12歳と52歳の1役2人の時代間隔、年代の往還を例えば、山道を登るときの地図とスマホの違い、無線機と携帯電話等、アナログとデジタルといった機器で表す。もちろん年代によって役者が違うから一目瞭然であるが、小道具にも拘りが見える。
さて52歳の自分は、公務員であり、専業主婦、パート勤務、酒場での演歌歌手でありそのマネージャー。自嘲気味に自己紹介するシーンと、12歳の時に山間部の子供と交流しているときに漏らす悩みと重ね合わせる巧みな演出。楽しい夏の思い出が一変したのが噴火災害。この事故で山間部の子供たちは亡くなり...。いつしかこの辛い思い出に蓋をし忘却の彼方へ。人の死は、亡くなった人を忘れてしまった時が本当の死だ、と聞いたことがある。その意味で生きている人には辛いことであるが、それでも事実思い出に向き合い、これからを生きる。

東屋での露草の話。露草は二つの苞の間から青色の花が咲くが、早朝に咲き出して、午後にはしぼんでしまう。そして3枚の花びらのうち2枚が大きい。残りの1枚は小さな白い色で見えにくいが咲いている。人の命は長くもあり短くもあるが、死者も生者の思い出の中で生きている。台詞にあったかどうか忘れたが、花言葉は「変わらぬ思い」「懐かしい関係」だそうだ。

舞台技術の音響は情景・場景を浮き上がらせ、劇中音楽は口ずさむことができる懐かしいもの。そう思えるのは自分の年齢ゆえか。同時にオリジナル曲で余韻を残す。演技は素晴らしいの一言。
最後に、山小屋の住人が一夜にして老婆に変貌する場面は、上田秋成の読本「雨月物語」の一遍「浅茅が宿」を連想する。当たり前の日常と無常の対比を思わせる格調の高さ。もちろん読本と状況・情況は異なるが、情念のようなものを感じるのだが…。
次回公演も楽しみにしております。
瀬戸の花嫁 再再演

瀬戸の花嫁 再再演

ものづくり計画

ザ・ポケット(東京都)

2019/08/21 (水) ~ 2019/08/25 (日)公演終了

満足度★★★★★

登場人物はすべて善人で、そこに集った人々の生活環境や状況などを描くことによって都鄙の違いや情景を浮かび上がらせる。島民の減少により活況が乏しくなった状況を説明し、物語の設定へ上手く導く巧みさ。同時に台詞を方言で喋らすことによって、より臨場感が溢れ出し情景の雰囲気を漂わす演出は、観客の感情を揺さぶる。再再演するのも頷ける見事な公演であった。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台セットは瀬戸内海に浮かぶ小島…戸美島の集会所いったイメージ。下手上部に別スペースを作り出す。大漁旗がいかにも海・島を思わせる。

梗概…高齢化、少子化さらに島の若者は島を離れ都会へ。その状況を何とかしようと結婚相談(所)会社を通じて集団見合いを企画する。島の男たちの願いが叶い、都会暮らしの女性4人が応募して来た。その紹介映像を観て、さらに期待膨らむ男と島民。その準備の過程…見合いの時の話題、趣味趣向などをシュミレーションする姿が滑稽に描かれる。そして様々な誤解・勘違いも絡んだドタバタ騒動。そして見せ場である見合い当日を迎える。一方、都会から来た女性たちにも色々な事情があるようで、果たして集団見合いは成功するのか…。

公演は、都会暮らしの女性の悩みや苦労を際立たせることで、島での暮らしの良さを引き出す。例えば過重労働で退社、引き籠りになった。シングルマザーとしての苦労など、都会に限らずありそうな現実を一人ひとりの生活の影として繋げる。そのネガティブ状況と島の温かな雰囲気、ポジティブな対比が巧み。同時に主人公の兄・妹にも変化が…。この悲喜交々が実に生き活きと描かれる。

実際、島という閉鎖的と思われる土地で、行き違いがあれば気まずい思いを引き摺りそうである。しかし、この島の人達はみな優しく温かい。島が一つの家族であり助け助けられという相互扶助が見えてくる。しがらみと閉鎖性というネガティブなことを連想しがちだが、ここでは真逆の「しがらみ」⇔「親和性=家族的」、「閉鎖性」⇔「受容性」としてポジティブに描いている。都会…東京砂漠・隣人何する人などという言葉は無縁である。娯楽施設や大型スーパー等は考え難いが、それでも島の良さが溢れている。そんな島に嫁が…。1人で島民になる不安が集団見合いで解消されるか。そんなところも見所だろう。

次回公演も楽しみにしております。
ナイゲン(2019年版)

ナイゲン(2019年版)

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2019/08/22 (木) ~ 2019/09/01 (日)公演終了

満足度★★★★

「理屈」と「感情」を較べてみれば、感情が先走ってしまう会議。本公演の議論はあちらこちらに漂流し何処に辿り着くのかわからない面白さ。同時に、当初あまりやる気が感じられなかった議長がその責務を果たそうと…その成長譚が清々しい。文化祭を取り仕切る内容限定会議-ナイゲンは表層の面白さだけではなく、そこに潜む会議体や民主主義の問題を考えさせる秀作。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

セットは当初、授業形式に並んでいるが、会議が始まるとロ字型へ変形させる。会議劇だから当然であろう。また、上演時間とナイゲン討議時間(開演直後、下校2時間前に時刻を合わせる)に重ね合わせて臨場感を持たせる。客席は三方向に設え、観客には会議の立会人のような緊迫感が生まれる。
内容限定会議(通称:ナイゲン)は、高校文化祭”鴻陵祭”における各参加団体の発表内容を審議する場であるという(文化祭規約)。規約が”自主自立”の精神に則っている。すでに参加団体の催し内容も確認したところに、学校側から「節電エコプログラム 高等教育機関向け」の催しを押し付けられるが…。

発表内容に関する指摘、恋愛感情、学年優先や何となくなど、意味不明の理由まで飛び出し議論は漂流し続ける。始めの理論武装された議論から感情優先のドタバタコメディへ…。いつの間にか文化祭全体会議からクラス代表の顔になっている。下校時刻が刻々と迫ってくる。そんな中、演劇の上演許可を得ていないクラスがあった。ナイゲンの議論は、如何にこのクラスが主体的にエコプログラムを受け入れるか、という話へすり替わってくる。自主自律の精神に沿わせようとするもの。
教室から出られないという密室状態、しかも会議時間が限られているという空間と時間の制約に緊張が生まれる。テンポ良く、また疾走するような会話劇は、立会人的な観客も固唾を呑んで見守っている感じ。会話劇だけに登場人物のキャラクターや立場などが観(魅)せられるか。その演技は笑い、罵倒、落胆など様々な感情を実に上手く表現していた。

各クラスの発表内容の審議結果を多数決(民主主義的な)で決める。討議では自分の考えを訴えつつも相手の言い分も聞くという態度が大切。物事を決める熟議のプロセスを重視している。意見の一致も大切だが、一人ひとりが違った見方で世界を見ることで世界はまともな形で存在するかも。芝居ではこの役割を3年3組_どさまわりに負わせている。にも関らず、全体討議終了後の採決は全会一致の承認が必要であると…そうであれば議論の過程の多数決は何の意味があったのだろうか、という疑問が生じる。

日本における日本国憲法の自立とそれ以外に働く力の関係を連想してしまい…表層の面白さに潜む重厚なテーマ、実に観応えがあった。
次回公演を楽しみにしております。
織姫と彦星 ~宇宙の彼方から御用改めでござる!~

織姫と彦星 ~宇宙の彼方から御用改めでござる!~

株式会社TATE (東京本社事務局・第1制作部)

なかのZERO 大ホール(東京都)

2019/08/20 (火) ~ 2019/08/20 (火)公演終了

満足度★★★★

舞踊、剣舞、殺陣といった観せ方が違うパフォーマンスと、幕末の騒乱を描いたストレートプレイが融合したような、いわゆるエンターテイメント公演と言えるだろう。音響や照明効果といった舞台技術にも工夫を凝らしており、観客の気を逸らさないよう努めている。何より、役者が広い舞台を縦横無尽に駆け回り、その躍動感がテンポ良く楽しませてくれる。
(上演時間1部:50分、2部90分、途中休憩10分)

「RE:道先案内人~ハジメマシテ死神デス~」 「終・道先案内人~ゴキゲンヨウお別れデス~」

「RE:道先案内人~ハジメマシテ死神デス~」 「終・道先案内人~ゴキゲンヨウお別れデス~」

幻奏ボレロ

新宿スターフィールド(東京都)

2019/08/16 (金) ~ 2019/08/23 (金)公演終了

満足度★★★

「終・道先案内人~ゴキゲンヨウお別れデス~」観劇。
彼岸と此岸の間...そのどちらでもない世界(あるいは空間)...黄泉や高天原といった幽冥世界を描いているようであり、他方、夢遊中の自我との葛藤のようにも思える。その不可解な世界に転生といった因縁を持ち込み、死後においても今だ死生観を考えさせるような。
「RE:道先案内人~ハジメマシテ死神デス~」を観ていないこともあり、この世界観が理解しにくい点が、物語で何を伝えたいのかを曖昧にしているようだ。それこそ主張が浮遊し取り留めのない心霊劇のように思えたのが残念だ。
(上演時間1時間40分)

カレイドルーム

カレイドルーム

ZERO BEAT.

上野ストアハウス(東京都)

2019/08/14 (水) ~ 2019/08/18 (日)公演終了

満足度★★★

色々とご都合的な内容であるが、とにかく観客を笑わせ楽しませようとするシーンが見受けられる。自分はこのグダグダ繰り返すシーンはあまり好きではないが、結構受けていたようだ。
物語的は既視感があり、意外性は感じられなかった。一方、役者陣はキャラクターを立ち上げ、観せようと努めていたことに好感を持った。
(上演時間1時間40分)

第一部『1961年:夜に昇る太陽』 第二部『1986年:メビウスの輪』 第三部『2011年:語られたがる言葉たち』

第一部『1961年:夜に昇る太陽』 第二部『1986年:メビウスの輪』 第三部『2011年:語られたがる言葉たち』

DULL-COLORED POP

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2019/08/08 (木) ~ 2019/08/28 (水)公演終了

満足度★★★★★

第二部「1986年:メビウスの輪」観劇
まだ日本では大きな原発事故が報道されない時代、ある男の原発に対する考え方や思いが状況や立場によって変節する、そうならざるを得ない怖ろしさと滑稽さが伝わる力作。立場(地位)が人を作るという言葉をしみじみ思う。同時に演劇的手法によって、人間も含め全ての生あるものの思い、原子力発電所建設前後の街の風景、それらを俯瞰するような演出が実に上手い。
(上演時間2時間) 後日追記

域地-ikichi-

域地-ikichi-

戯曲本舗

シアター・バビロンの流れのほとりにて(東京都)

2019/08/09 (金) ~ 2019/08/11 (日)公演終了

満足度★★★★

中盤まではアニミズムを思わせるような台詞と動作、その雰囲気を高める音楽や照明の妖しい演出効果。一転して後半は登場する人物の懊悩がこの地(山奥)の精霊との不可思議なダイアローグを通じて解放されていく。纏わり付くような不気味さ、それを辛抱強く観続けた先に、”なるほど”そう言うことが描きたかったのかという謎解きにも似た気持にさせる。その意味で、いかに中盤まで興味を持たせられるかが鍵のような公演。
(上演時間1時間25分)

ナツ。キタル。ホタル。

ナツ。キタル。ホタル。

tYphoon一家 (たいふーんいっか)

ザムザ阿佐谷(東京都)

2019/08/01 (木) ~ 2019/08/04 (日)公演終了

満足度★★★★

作家の創作・回想として、ある夏の4日間の冒険物語が紡がれる。オムニバスのような構成であるが、そこには作家の言い知れない故郷への想いが…。
紗幕を使った影絵的な人物描写と風景映写による情景描写を上手く使い分け、抒情的な雰囲気作りは巧み。
(上演時間1時間50分) 後日追記

Theatrical Power-POP

Theatrical Power-POP

平泳ぎ本店/Hiraoyogi Co.

神楽坂セッションハウス(東京都)

2019/08/03 (土) ~ 2019/08/04 (日)公演終了

満足度★★★★

劇団「平泳ぎ本店」の公演は、「第8回せんがわ劇場演劇コンクール」のファイナル作品以来となる観劇。「古今東西、古典から現代まで、演劇の宝物を一つの舞台に閉じ込める。」という説明のとおり、色々な戯曲(約15作か?)のシーンを様式所作や新劇風、ダンスのような身体表現を駆使して観せる。まさしく演劇的手法を奔放に組み合わせ創作している。そこにディバイジングの妙が観てとれる。
(上演時間1時間25分)

ひのくすり

ひのくすり

ジグジグ・ストロングシープス・グランドロマン

上野ストアハウス(東京都)

2019/07/31 (水) ~ 2019/08/06 (火)公演終了

満足度★★★★★

2本立てであるが、舞台は同じ東南アジアにある小さな島。視覚による直接的な繋がりはないが、状(情)況や台詞によって連想させる。2つの話は、男優グループと女優グループの競演といった感じであるが、物語の底流にあるのは男女というよりは人間としての寂しさや悲しみ、見栄や欲望といった感情を描く。場面はほとんど動かないが、逆に人の感情の高ぶり揺さぶりが素晴らしい。2本に共通した観せ方であるが、冒頭のモノローグに観客の集中力を高めさせるあたりは巧み。
(上演時間1時間35分) 【❤チーム】 2019.8.10追記

ネタバレBOX

舞台セットは、左右のベットを段々に3段組んだ6人部屋。冒頭は、このタコ部屋風の自分のベットで独白する場面から始まる。ここは日本から遠く離れた島にある炭鉱。モグラのような生活をし、日銭を稼ぐような暮らしをしている。自分さえよければ他人は関係ない、この仕事現場から逃避することも出来ず、唯々諾々と無為な日々を送る男たち。
一方、女たちはマッサージと称して裏で風俗を営んでいる店で働いている。舞台セットは男たちと同様6人部屋。冒頭も同じように1人1人の独白から始まる。そして日々、誰が売り上げを伸ばしているか、そして客サービスまたは客あしらいを自慢している。こちらも訳アリの女たちが仲間同士の諍いが絶えない。

この男・女の物語は別々に上演されるが、所々に伏線を張り繋がっていくことを連想させる。例えば、炭鉱の男たちが息抜きで通うマッサージ店、その台詞が暗黙のうちに観客の意識下に刷り込まれる。また男の1人は離婚によって別れた娘がおり、マッサージ店にはそれらしき娘がいる。
男・女とも日陰者扱い、その環境下で荒んだ生活をしているが、何故か生き活きとしている。場面はタコ部屋だけだが、徹底的に台詞、会話にこだわっている。そこにストレートプレイの中に議論・口論・口喧嘩をのぞき観るような面白さがある。だから底辺でも生きている労働(生活)者の姿を観ることが出来る。無駄と思われるようなシーンを省き観(魅)せる演劇に拘った公演は自分の好み。

男・女の物語に演出上の違いがあるとすれば、臭い・匂いであろうか。もちろん実際に嗅覚として感じる訳ではなく、そう思わせ感じさせるところ。男の外見は炭鉱夫らしく薄汚れた格好、煤けた顔。一方、女は裏風俗という設定から小綺麗にし香水も付けているかもしれない。その感覚を漂わせるあたりが上手い。
舞台セット、プロットはほぼ同じ、にも関わらず上手く話を繋ぎそれぞれの人間臭さを描き出すところは巧み。ラストはそれぞれの環境下から逃げ出し、途中で同じ花火を観ているだろう余韻付けが見事だ。
次回公演を楽しみにしております。
群盗=滅罪

群盗=滅罪

クリム=カルム

シアター711(東京都)

2019/07/24 (水) ~ 2019/07/28 (日)公演終了

満足度★★★

自由・解放、復讐・報復といった人の心にある善悪のような表現。しかし、そのような2項区分はあまりに表層すぎて、この物語の伝えたいテーマが暈ける。主人公カールの放蕩ぶりは、ある意味「自由への希望」であり「社会秩序」への挑戦だったようだ。「群盗」のリーダになり心の葛藤を呼び起こされる。自分が願った権力への復讐は、同時に法を傷つける。自由は秩序と相容れない不条理、理想と現実のせめぎ合い、そこから生まれる妥協という産物に絶望感が漂うようだ。
この公演、冒頭は取材シーンという現代劇であり、本編になると原作当時(18世紀)のような情景になり時代設定が判然としない。敢えて曖昧にしているのか、気になるところ。また原作と異なり重要な役所を男から女へ変えているが…それであればもう少し男女にした意味があるような展開があってもよかった。
(上演時間1時間50分)

おどる韓国むかしばなし『春春~ボムボム~』

おどる韓国むかしばなし『春春~ボムボム~』

あうるすぽっと

あうるすぽっと(東京都)

2019/07/20 (土) ~ 2019/07/28 (日)公演終了

満足度★★★

老若男女問わず、多くの人に観て楽しんでもらうよう工夫した公演。同時に韓国と日本の共通したところや逆に異なるところ、その文化的な面白さを感じさせる内容。例えば文化の代表として言葉...「ウンメ~~」は韓国語で牛の鳴き声、日本では美味しいという感動語。隣国でありながら知っているようで知らない、でも共通した人の心もあるようだ。子供(特に小学生=将来の観客)を中心に、ある参加型の試みをするなどの好公演。
(上演時間1時間20分)

下北ショーGEKI夏祭り公演2019

下北ショーGEKI夏祭り公演2019

ショーGEKI

「劇」小劇場(東京都)

2019/07/19 (金) ~ 2019/07/28 (日)公演終了

満足度★★★★

1人の女性の半生を漫画や小説の有名なフレーズ(太宰治の「大人とは、裏切られた青年の姿である」等)を借用しながら紡ぐ、まさしく笑劇にして衝撃的な公演。舞台上で使用する小道具は、漫画的な観せ方を意識した心憎い演出だ。笑いと涙は人生そのものを表わすが、この物語に登場する女性はと言えば...。
(上演時間1時間50分)「漫画少女は眠らない」編

ネタバレBOX

舞台セットは、形の違う大小額縁のようなものが幾つも吊るされている。物語が始まるとそれが漫画コマ割のように観え、枠に登場人物が収まり現実と漫画の世界を行ったり来たりする。表面的にはポップで軽快な印象であるが、内容的にはとても深みのある公演だ。

梗概…主人公・豊富エマ(廣田朱美サン)は昭和51(1976)年生まれで、物語は彼女が8歳の時から始まる。そして時代を順々に経て令和元(2019)年の43歳までを描く。その時代はエマが8歳、16歳、25歳、33際、43歳であるが、同時に母親・寧々(吉川亜州香サン)も登場し二人三脚のように寄り添って生きている。エマは「顔面緘黙」という病気で表情に乏しく、人とのコミュニケーションが苦手。だからいつも母親に後ろ盾になってもらっている。自分の本心を隠し魔法犬として母を女剣士として操る。その際、額縁に収まり照明の中でポーズを決める。その姿はまさしく漫画タッチで面白可笑しい演出である。

観せ方は、映像的に言えばカメラアングルを変えるような感じで立体的に切り取る。例えば職場先輩で恋人の小野田とラブホテルでの光景など実に上手く表している。年代ごとの面白エピソードを散りばめながら、時々に印象的な台詞が聞かれる。自分は「言葉は刃、一度(口から)発したら取り戻せない」が心に響いた。

高校時代(16歳)の部活と初恋、デザイナー(25歳)として働き、恋人が出来るが裏切られ、中年(33歳)に差し掛かり、母が亡くなった現在(43歳)は…。その時々に人や社会とのたたかいがあり、変身することで本心を隠し誤魔化しどうにか生きてきた。物語はマンガとも歩みを一緒にしている。そこにタイトル「漫画少女」に因んだ時代背景や漫画文化が透けて見える。

エマという1人の女性の半生を通して、人が抱えているトラウマのような悩み、誰かに認められたいという自己承認といった諸々の感情を描く。幼い時、エマは父から自分の存在や愛情の拒否を受けたが、父は父で作家として認知されたいという悩みを抱えていた。2019年になった現在、万人に認められなくても、誰か1人でも認めてくれる人がいれば頑張れる。自己否定(顔面緘黙という病も含め)から自己承認されることで生きる力を得る、という否定⇒肯定へ帰結させるまでの経過と結末への導きは見事であった。
次回公演も楽しみにしております。

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