タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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FOOLS PARADISE~愚者の楽園

FOOLS PARADISE~愚者の楽園

舞台芸術創造機関SAI

江古田兎亭&アトリエⅢプレイズ(東京都)

2019/11/22 (金) ~ 2019/12/02 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

久しぶりに観るアングラ劇系、この劇団の紹介には「演劇の娯楽性と実験性の共存を追求」とあり、まさしく謳い文句通りの面白さと志向性が感じられた。まず舞台セットはダンボールの柱を始め新聞紙が天井や壁面を覆い、それらが散らばったゴミ屋敷のイメージであり、概観は妖しげであり退廃的な雰囲気を漂わす。物語は次々に変容し、そして破壊し再生するような変幻自在といった展開である。その壊して創るといった流れが実験性とも思える。公演は、狭い空間に役者の独特な演技スタイル、紙粉舞うような環境下、そこに舞台・客席といった明確な境界があるような無いような曖昧さ。もしかしたら接触するかもという、妙な緊張感や迫力を感じられるところが好みだ。演者9名、観客8名、超至近距離による濃密な公演、十分堪能した。
なお、この公演の独特な世界観は万人向けかどうかは…。
(上演時間1時間30分)2019.12.3追記

ネタバレBOX

少し気になったのが、舞台における砂被り席。舞台は地下入口から左右に分かれ、右にメイン舞台、左が役者の出入口と細長い空間の真ん中に花道(通常家屋の廊下幅程度)のような通路があり、そこを使用し演技が行われる。客席はその花道両側(客席が3~4人づつの相向かい)にパイプ椅子、身を乗り出そうものなら役者と接触し演技を邪魔することになる。先の砂被り席はメイン舞台の真横で、一番 物(新聞紙やダンボール箱など)が飛んできそう。刺激を求めるならお勧めだが、花道での演技、特に役者出入口近くでの演技は見切れになるような気もした。それでも砂被り席にも座ってみたかった。
もう一つ気になったのが、映像シーン。物語の中でヤクザ廃組の「先代ボスの使いクモ」として大島朋恵サンが映像出演するが、その画質が粗いこと、細長い舞台(花道)であることからプロジェクターの映写角度というか映写範囲に役者が被り観難い所があったのが残念。一方、社会というか世間との繋がりとしてラジオ番組が流れるが、こもだまりサン/有栖川姫子サン/の音声出演は明確に聞こえる。ここに映像・音声の舞台技術の扱い方の丁寧さ違いが出てしまったのが勿体ない。

物語は変容するが、それほど複雑ではない。工事現場で働くミダレはアルバイトをしながら役者を目指している。彼にはスグハという同棲相手がおり、彼女もまた声優を目指している。ある日、ナギという関東暴力団・廃組組長の娘からミダレは組長代理を演じてほしいと依頼されるが…。ナギから「廃組のボスは暗殺された」と聞かされ、いつしか組長暗殺を巡る陰謀と、日常生活とが交錯する中でミダレとスグハ2人が描いた夢のカタチが歪んでいく。現実と非現実・虚構の世界がサスペンス風に描かれ視感するといった感覚である。
『微かなひかりに満ちている』

『微かなひかりに満ちている』

Antikame?

劇場MOMO(東京都)

2019/11/28 (木) ~ 2019/12/02 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

モノローグからダイアローグへ、その演劇技法を変化させることによって心の内面を見つめる自分、更に他者との関わりの中で生まれる感情を静謐かつ繊細に描いた物語。冒頭は朗読劇かと思われるような横並びの登場であったが、舞台上にある箱馬6個を回ったり、腰掛けたり、その上に立ち上ったりして状況表現を行う。静謐と記したが、役者の台詞が聞き取れる程度に音響(例えば騒音、共鳴などの効果音)を入れることによって、何となく社会と繋がっていることを連想させる。
公演は、動きが少なく役者の独白や対話と言った台詞中心の芝居であり、その言葉は心象的な感情表現であるため理解が追い付かない。その意味で、語弊があるかもしれないが観客の鑑賞眼を試されているような…。人それぞれの感性は異なり、紡がれた物語(演劇技法も含め)をどのように受け止めるかは観客次第。そんなチャレンジングな公演は観る、そして聞き応えがあった。
(上演時間2時間) 

美代松物語

美代松物語

劇団芝居屋

ザ・ポケット(東京都)

2019/11/27 (水) ~ 2019/12/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

日本のどこかにありそうな原風景を背景に、これまたどこにでも居そうな人々の暮らしを描いた秀作。原風景は停滞・衰退といった地方都市、いわゆるシャッター商店街を連想させ、どこにでも居そうな人々は、突拍子もないキャラクラーの持ち主も現れず、自分の身近にいる人々が舞台に居る。説明では北国だが、劇中の台詞から北海道の海辺の街といったところ。冬場の北国、寒風吹く様子の音響効果、身震いする役者の演技が本当に厳冬季を思わせる。物語は以前に上演された「料亭老松物語」と連携しているが、今作はタイトルにある小料理屋「美代松」での見せ場が多い。冬場、閉塞といった澱んだ雰囲気を漂わせているが、そんな中にあって「ロミオとジュリエット」を思わせるような恋愛沙汰を取り入れ、微笑ましく和ませる。
脚本の力強さ、音響・照明といった舞台技術の巧みさ、そして役者の確かな演技力、その全てが調和した見事な公演。上演時間2時間を超えるが最後まで集中できる観応え十分な作品である。まさしく劇団芝居屋の真骨頂、「覗かれる人生劇」を楽しむことができた。
(上演時間2時間10分)2019.11.30追記

ネタバレBOX

冒頭、料亭老松の座敷での日本舞踊によって観(魅)せる掴み。
舞台セット老松の女将部屋、小料理屋・美代松、街路といった場面が手際よく転換していく。それは瞬時に情景を観せることによって観客を物語の中に誘う。もともと役者の演技力も確かな上に、作り込んだ情景を観せることで気を逸らせない。

物語は料亭老松の女将と以前この料亭の板前で女将の許婚だった男、それがある事情で破談になる。それ以来疎遠な関係になるが、それぞれの娘と息子が恋仲になる。これだけ観れば北海道版「ロミオとジュリエット」といったイメージだが、これに料亭の経営(高利貸しが絡んだ経営危機)や地域活性化といった庶民の暮らしが描き出される。まさしく芝居屋のスローガンそのもの。

全体を通して分かり易く、現実にもありそうな物語。それに現在の地方都市が抱える地域事情を絡め、しかも人情と義侠ある人々で豊かに紡ぐ。その現実を丁寧に描く公演は観応えがあった。
次回公演も楽しみにしております。
ピラミッドのつくりかた

ピラミッドのつくりかた

雀組ホエールズ

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2019/11/27 (水) ~ 2019/12/08 (日)公演終了

満足度★★★★★

表現し難い「芸術論」、その観念的、抽象的に語られることについて、いくつかの観点からアプローチして形象化して面白く観せる、笑劇にして衝撃的な公演。テーマ「芸術論」に真っ向から取り組み、説明し難いことを物語の中に落とし込み、話の展開の中で観客の心に問いかける。公演として主張しつつ、一方 人にとって捉え方の違う”論”、それをエジプト・ピラミッドという悠久の歴史と壮大な建造物を媒介として描く。その時間的・空間的な自由度と伝統・格式と言った不自由度を縦横無尽に切り取り、”芸術”とは何かを解き明かそうと…。
脚本の骨太さ、最後まで緊張と弛緩を繰り返す巧みな演出、その相乗が見事に功を奏した秀作。
(上演時間1時間50分)後日追記

酔いどれシューベルト

酔いどれシューベルト

劇団東京イボンヌ

Route Theater/ルートシアター(東京都)

2019/11/27 (水) ~ 2019/12/01 (日)公演終了

満足度★★★★

偉大なる音楽家、シューベルトの苦悩と栄光に隠された秘密を、彼の夭逝と作曲数の多さに着目した東京イボンヌの代表作。この演目は何度か再演しているが、本公演は完全リニューアル版という。彼の音楽に捧げている人生を苦悩と焦燥に駆られた姿を通してリアルな芸術家像として描いているが、その苦悩の過程を身近に観ている恋人からすれば、音楽など諦めて地道な仕事をしてほしいと願って...。そこに音楽に魅せられた栄光と悲哀を観ることが出来る。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

上手側はバーのテーブルと樽椅子、下手側にカウンターを作り物語の展開を促す場所としての役割を担う。舞台全体は焦げた平板を組み合わせたような壁・床で、その色彩は落ち着いた雰囲気を出している。そして、場面によって印象付を強調するため正面上方から照明を諧調させるなど巧い。

梗概...シューベルトは恋人との結婚を望んでいるが、なかなか世に認められる曲が作れない。そんな悶々、苛立ちの中にある。一方、恋人は家族(父の医療費、妹達の生活費)のために心ならずも金持ちバロンへ嫁ぐことを決心する。シューベルトの落胆と恨み、そんな時、酒場に悪魔が現れ、美しい曲をプレゼントする代わりにシューベルトの寿命(1カ月)を縮めるという。悪魔の誘いに乗り、多くの名曲を残したが...。寿命があと1カ月になった時、恋人の真心を知り、また自分自身による作曲でないことへの絶望が切ない。
バロンの呟きは「金持ちになる秘訣は、悪魔に魂を売ることだ」というもの。世に認められる曲のために、1曲につき寿命1カ月を悪魔にさし出す、という契約が成り立つ経緯である。

さて、もともと悪魔などは存在せず、自分の心に巣くうもの。恋人はシューベルトのため神に祈っていたが、その行為こそ神との対話であるという。神も悪魔も自分の心の中。今まで作曲したものは全て自分の力であり、まさに命を削った結晶である。荒み焦り余裕のない心の隙に入り込んだ己自身の弱き邪悪な心との葛藤という姿が浮き彫りになる。
今までに観た「酔いどれシューベルト」は規模こそ違うが楽団を従え、生演奏を聴かせて”音楽という世界観”を舞台全体で感じることができた。この公演ではストレートプレイにリニューアルしたことで、よりシューベルトの人間性と時代背景に焦点を絞っているが、彼の音楽家としての観る・聴かせるという両方の魅力は伝えきれない。

この劇場規模では難しいが、やはり”音楽の世界観”が存分に味わえる演劇技術、特に音響には”聴かせる”という魅力が演出できればと思っている。ラストに流れる「アヴェマリア」は物語の底流にある人間讃歌、その心象付けといった効果をもたらしており、このようなシューベルトの歌曲も劇中歌に挿入するような工夫がほしいところ。
次回公演を楽しみにしております。
栗原課長の秘密基地

栗原課長の秘密基地

SPIRAL MOON

「劇」小劇場(東京都)

2019/11/20 (水) ~ 2019/11/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

物語の梗概は、ビジネス情報誌の編集長から児童文学部門に左遷された栗原課長の初仕事は、伝統ある「きつつき賞」の授賞式。受賞者、審査員が揃って15分で終わる予定の式だったが次から次へと…説明に記載されている。表層的にはコメディタッチに描きながら、その底流にある人の悲喜交々とも言うべき人生模様が浮き彫りになる秀作。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台は陵文館主催の平成14年 第18回きつつき児童文学大賞授賞式会場。正面に横長テーブルと椅子、上手側にパイプ椅子3脚、下手側にも横長テーブルと椅子が配置され、壁には時計が掛けられている。自分が観た回は13時45分を示し、終わったのが15時45分で上演時間2時間を表す。15分の授賞式が2時間に及ぶことになった展開を面白可笑しく順々に展開するため、観客にとっては分かり易い。同時に授賞に係る様々な不条理が描かれることによって栄誉(ここでは児童文学賞)の選考とそれに関わる人々の悲喜交々がしっかり描かれる。特に”児童文学”と"大賞”という設定が上手い。単に”文学賞”、”新人賞”であれば、清濁併せ吞む大人の世界も、児童文学ともなれば 純真な子供への読み聞かせとなり下手な小細工は通じない。また新人賞では書き直した作品に対して課長が下す「該当なし」判断が難しくなる。

タイトルにある栗原課長は、ビジネス情報誌の敏腕編集長だったようだが、不倫相手からセクハラの噂を流され左遷という経緯。出版業界の厳しい経営環境下を背景に児童文学部門はこの賞の存在(権威)に負っている。その授賞を巡って二転三転し漂流した揚げ句の結末は、課長の会社での立場を危うくするだけでなくリストラという人生そのものが破綻するかもしれない。このセクハラに関しては事実ではないことを受賞者・受賞作品の疑惑になぞらえながら展開して行く。脚本の力と演出の工夫、この絶妙なバランスが本公演の魅力だと思う。

出版社は利益を上げること、読まれる児童文学書を発刊するという二面を持つ。社で働く編集者と選考委員、受賞者、さらには読者代表者といった立場の異なる人々の正論、思惑や裏工作が実に面白く描かれている。その人物設定の上手さ、課長を始め児童文学部署の隆盛、選考委員としての名誉と報酬、推理小説家志望で何年も落選し続ける男、そして児童文学が本当に好きな大賞受賞者、AV女優で佳作入選者、そして賞に恵まれなかった児童文学小説家などがその立場や本音を激白していく。そこには児童文学の心が置き去りにされ大人の事情が優先する矛盾や皮肉。その人物の座る位置や、受賞席における弱腰、一転して下手側の控え席での本音・暴露発言といった違いで「忖度」的な態度が垣間見える滑稽さ。

さて、上手壁に掲げられている平成14(2002)年は、電子書籍配信が始まっていたり、ハリー・ポッター賢者の石ほかシリーズも始まった。公演の中でも人気シリーズにあやかった児童文学作品が現れないかと言った台詞があった。世相を反映させた観せ方も上手く、「平成14年」部分は貼り紙のようで、もしかしたら違う日・時間帯(ソワレ、マチネ)では別の年代が...。
最後に、秘密基地は子供の頃の遊び場であり思い出の場所。同時に逃げ場であったかもしれない。しかし公演では、心に残っていた児童書を通して生きる”勇気”を得た場所にもしている。自分にとっては、実に心地良い結末だった。
次回公演を楽しみにしております。
シェアハウスカムカム

シェアハウスカムカム

劇団娯楽天国

ザ・ポケット(東京都)

2019/11/20 (水) ~ 2019/11/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

名前も顔も一致しなかった住人達が打ち解けた頃、立ち退き騒ぎが起こり何とか阻止したいと立ち上がったが…。笑劇にして衝撃的な面白さは観応え十分だ。
(上演時間2時間20分)

ネタバレBOX

カフェ ラッキーカムカムという看板が上手側に掲げられ、往時の雰囲気を残すカウンター。正面に和室(障子)、このハウスの出入口、下手側に1室、トイレ、下手客席寄りにソファー、楕円テーブル。2階への彎曲階段があり、途中で別れ幾つかの部屋がある。随分と凝った、そして丁寧に作り上げたセットである。このシェアハウスの住人たちはお互いの顔もよく知らず、ましてや素性など知る由もない。しかしこのレトロなシェアハウスには、存亡の危機が迫っていた。

全体的な雰囲気は昭和時代を感じさせる。まず劇中流れる曲が「リンゴの唄」「上を向いて歩こう」等、そして住人達の騒ぎようがバブル全盛期のようで、ディスコ風の派手な衣装、また戦時中の空襲と連動させた穴掘りシーン、これらの背景が舞台セットのレトロ感と相まってそう思わせる。何より立ち退きの理由がバブル期の地上げのような損得 勘定ならぬ感情が蠢くところ。

コメディタッチとしては、色々な笑いネタ、例えば外見だけで言えばガングロ女(随分前に流行ったメイク)、他人に成りすまして住みだした男の誤解による非合法植物栽培のドタバタ等が騒々しく描かれる。物語の魅力は個性豊かな住人達の1人ひとりのバックグラウンド(酒乱で暴力を振う夫から逃れる、不法滞在ベトナム人など)を丁寧に説明し、騒がしさの中に哀愁を漂わせる人間描写。そして”家”は、住む場所としての在りようから”思い出”という何物にも代えがたい存在であることを強調する。そこに今を生きる住人達と過去からの思い出を共にしてきた老人の心が通じ合い、さらに行くところがないという共通の問題-立ち退きに抵抗する滑稽な、そして切実なる姿として描き出す。

先に記した老人-このハウスの大家の叔父にあたる人物が夜な夜な床下に穴を掘る。実はこのハウスは男の育った家であり、家族との思い出の場所でもある。その住人達とハウスを取り壊すことに抵抗するが…。穴を掘る理由は戦時中のトラウマ。防空壕として家族を守ると同じ感覚で、ハウスに住んでいる人々をミサイルの脅威から守るという使命感のようなもの。何となく現代のきな臭い状況が垣間見えてくる。この件は、笑いの対極のような泣ける感動シーンである。この笑い泣きのバランスが絶妙で感情を上手く揺さぶる。
次回公演も楽しみにしております。
スリル14/スリル7

スリル14/スリル7

ショーGEKI

ワーサルシアター(東京都)

2019/11/19 (火) ~ 2019/11/24 (日)公演終了

満足度★★★

妄想して自縄自縛したような姿が滑稽な公演。物語は「『この物語はジャスト90分で終わる。』...リアルタイムサスペンスコメディ!」という謳い文句であるから、途中で何回か時間経過に関するシーンがあるが、ラストまで大事が起きないと分かっているからドキドキハラハラという緊張感が持てなかったのが残念。
(上演時間1時間30分)【スリル14】

ネタバレBOX

前説から上演時間90分を強調。英会話教室の教師(中国籍)に呼び出された男女14人の生徒が密室(14階)で繰り広げるドタバタコメディ。その観せ方の印象は、”レッツ・笑・タイム!”といったところ。セットは舞台中央に時計、そこから線が延びて上部に水槽に入った液体が…。その外観から爆発物を連想して右往左往し出す。現在10時30分、そして12時の所に何やら印が付いている。

観客という第三者的立場で観たらリアリティはない。しかし演劇的な理屈を並べても味気ない。むしろ心理的に密室に閉じ込められた男女の会話、その暴露もしくは独白を通じてその人の精神状態や人間性の面白さに着目。誰もが自分は特別な存在、認められたいという自己承認の願望がある。自己主張は生きていく上では必要で、自分を知ってもらうことや人付き合いにも必要だ。しかし自分を前面に出し過ぎると鬱陶しがられる。自分の都合しか考えず、相手の領域に無神経に入っていく。そんな14人のあらわな人間性、同時に爆弾かもしれないという不安・恐怖を背景に、自己アピールや他者詮索をしながら笑劇的に展開する。そのうち、特に女性(50歳代含め全員独身)は、この部屋の主(英語教師)から親しげに声を掛けられた、または食事に誘われた、そして...その自慢や羨望、嫉妬という感情があらわになり口撃し合う悲喜劇。

爆弾の不安を取り除くために赤または青の動線を切断する、その選択と決断するまでを、この部屋にいる人々の面白言動と行動で笑わせ観せる。しかし、爆弾という緊張ネタは90分間は何ら影響しないと事前に分かっているから、スリルというタイトルにそぐわない。例えば11時や11時30分という時間経過時も舞台上(当事者)は緊張したシーンを観せるが、観客としては同化できない。何となく観客が置いてきぼりになったような気分である。出来れば、必然的に集められたはずの個性的な人々の妄想(諜報活動、秘密保持のための集団暗殺?)を面白可笑しくするためには、時限的条件を明かさないほうが…そんなあり得ない特別な夜を描いてほしかった。
次回公演を楽しみにしております。
負けてたまるか!

負けてたまるか!

アイビス山村組

中目黒キンケロ・シアター(東京都)

2019/11/15 (金) ~ 2019/11/17 (日)公演終了

満足度★★★★

街の便利屋を舞台に青春期の苦い思い出、老年期の不安な思いを描いた2本立て公演を観ているようだ。消せない「過去」と描けない「未来」...その傷ついた心を奮い立たせるヒューマンドラマは熱い。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台はある街にある便利屋「かけつけ隊」。引っ切り無しにかかってくる依頼の電話は、高齢者の話し相手からペットの散歩など日常の様々なこと。セットはその便利屋の事務所兼住宅といったところ。上手側に和室、中央奥に窓、手前の客席側に応接セット、下手側に事務を行う横長テーブルや電話がある。

物語は、色々なエピソードを盛り込み、伝えたいテーマが暈けて弱くなったように思え少し残念。42年前の高校時代の同級生を探してほしいという依頼。高校は奈良県にあるというが、お金になれば遠くても、ましてや探偵業でもないが引き受ける。そこには高齢(便利屋は62歳の女社長・姉妹、弟で経営)になっても逞しく強かに生きていく姿が描かれる。物語の底流には、どんな時にも「負けてたまるか!」という熱き生命力を訴えた話が本筋。
それと身寄りのない高齢者ゆえに住む家がなく、ネットカフェを転々とする初老女性の哀切に纏わる話が脇筋かと。これらの話に笑いネタとして地下アイドルや便利屋の女社長の夫の浮気、放蕩といったゴタゴタを挿む。これらが効果的に繋がらないため、それぞれの話が面白いにも関わらず平面的な印象になったのが勿体ない。

奈良県・信貴高校23回生の5人が便利屋で会うことが出来た。目的は、その中の1人の女性が高校卒業間際に亡くなった旧友を偲ぶため。同時に亡くなった原因が犯罪性のものか事故死なのか確かめるため。死はその思い出さえも無くなった時が本当の意味での”死”かもしれない。彼女以外は、当人はもちろんその家族も地元に居づらくなり転居したが、それが更に怪しまれる結果になった。少し短絡的と思われるが、映画や芝居で観かける天変地異的な不思議な出来事で真実を知ることが出来るが…。

大衆喜劇といった展開の中に、還暦を迎える頃迄気に掛かっていたことを確かめる、そこに人生に悔いを残したくないという思いが滲み出る。また年老いての根無し草の悲哀、同時に便利屋の世話人情を描くことで明日も元気に生きようという活力が観えてくる。そんな心温まる公演であった。役者は総じて年配者が多く、その意味でまだ演じられる、そんな”負けてたまるか!”といった気概が感じられる。そして公演は誰が観ても分かり易く楽しめる内容で、そこには”観てほしい!”という自負を思わせる。
次回公演も楽しみにしております。
8人の女たち

8人の女たち

T-PROJECT

あうるすぽっと(東京都)

2019/11/13 (水) ~ 2019/11/17 (日)公演終了

満足度★★★★

ミステリー部分は、女性推理小説作家アガサ・クリスティの戯曲「ねずみとり」 (The Mousetrap) を、女性心理面は「黒い十人の女」(市川崑監督)を連想した。女8人によるサドマゾ的な心理サスペンスが緊張と微笑をもって描かれる。もちろん描き方はミステリーであるから観客も一緒になって謎解きをするワクワクドキドキ感が楽しめる。
(上演時間2時間20分 途中休憩15分)

ネタバレBOX

セットは富豪屋敷のリビングルーム。上手側が玄関に通じる通路、腰高の洋箪笥とその上に固定電話、中央は奥に暖炉、客席寄りは応接セット、下手側に2階へ上がる階段と中2階に主人の部屋。外にはガラス越しに枯れ木が観える。クリスマスの飾り付けと合わせて冬時期を表し、後々の大雪による遮断・孤立状況へ追い込みの伏線が窺える。そして富の豊かさに反比例するかのように心の貧しさが浮き上がる暴露劇であり告白劇。

事件が起きたのは、この屋敷の長女シュゾンが留学先(イギリス)から帰宅する日の早朝。クリスマスを過ごそうと集まった家族や使用人、そして後から勝手にやってきた主の妹が加わった8人の女。閉ざされた状況、外部からの侵入は難しく考えられないことから、この中の誰かが犯人である。お互いに疑心暗鬼に探り合う心理サスペンス。ミステリーとしては、シュゾンが一足早く帰宅し主である父親に相談事を済ませ、5㎞離れた駅に戻り、再び列車に乗り出迎えた母親と会う。カトリーヌ(16歳)が一晩中盗み聞きをする間、誰にも目撃されないなど不自然な説明もあるが…。

犯人から見た女7人は、この家の主人を苦しめる、そぅ辛い七味唐辛子のような存在らしい。恨み、辛み、妬み、嫉み、嫌み、やっかみ、ひがみ、という嫌悪と欲望が渦巻く醜悪さに我慢がならない。この心理状況を1人ひとりの女の秘密、行動や行為に負わせ、その総体が犯行に及んだという動機付け。ちなみに主は登場しないが、女たちの言動から人物像が浮き上がる。当初は優しく誠実な紳士像であるが、裏では事業は逼迫し、それでも女を囲い淫蕩に耽る。犯人はそれも承知しているようであるから、男を独占したい願望があるのだろうか。犯人は、女性達の仕打ちに疲れた主の心の隙に付け込んで...。

物語も然ることながら、8人の女優の演技が素晴らしい。それぞれの立場のキャラクターを立ち上げ、口撃の攻守を変えながらテンポ良く展開して行く。妻の毅然とした態度、長女のお嬢さん風な振る舞い、次女の元気溌剌な行動、実母の抜け目ない狡猾さ、実妹の茶目っ気、年長の使用人の鷹揚と動揺、若い使用人の我儘と不遜、そして主の妹のミステリアスさ、など一筋縄ではいかぬ女性像が垣間見える。人間の強欲について薬味を随所に効かせ、ミステリー仕立てにすることで観客の集中力を逸らせない巧みな作品である。
次回公演も楽しみにしております。
抗菌バスターZ エピソード0.4

抗菌バスターZ エピソード0.4

ACファクトリー

シアターサンモール(東京都)

2019/11/13 (水) ~ 2019/11/17 (日)公演終了

満足度★★★★★

表層的な観せ方は、映画「ミクロの決死圏」を連想させるが、もう少し重層的とも思える。体内の器官機能におけるリアリティよりも演劇としての面白さ、エンターテイメント性を優先させた公演。当日パンフに、この「抗菌バスターZ」は14年前に初演しており、この間に何度も再演を試みたが実現できなかったとある。その意気込みが感じられる好演だと思う。
(上演時間2時間20分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

1963年、フクシマ製薬のフクシマ博士はミクロサイズになって患者の体内に入り病原菌と戦い治療する方法を発明し、2019年の現在 新たに時間移動を併用した治療法を開発した。その博士が病(心筋梗塞)で倒れたため、原因究明と新治療法の有効確認を目的に、抗菌バスターZがフクシマ博士の体内に入って過去に遡り...というサイエンスコメディ。ちなみに過去に遡行できるのは、56年前に体内に入った抗菌バスターズZメンバーのDNAを継いでいる者に限られる。

セットは胃体部を中心に胃底部 前庭部という胃の上部・下部を思わせる階段状の暗色マットが積まれている。体内変化によって何か所かのマットを動かすことで動きが単調にならない工夫をする。物語の魅力は、現在の抗菌バスターズZが56年前にタイムスリップすることで、フクシマ博士の体内で自分の母親や祖母と邂逅し、時代感覚や先時代の情報漏れなどの笑い。この時代間隔あるメンバーが「善玉」と「悪玉」(医学的に言う意味とは違う)とに分かれて戦うアクションシーン。もちろんメイクや衣装でそれらしく外見で観(魅)せる楽しさ。

物語は更に後の時代、2075年から(偽)息子が遡行してくる。その目的は、フクシマ博士は研究成果を自社独占にせず、広く他の製薬会社に開放しており医薬業界に混乱を招いているため、フクシマ博士の命を...。新種の菌「悪玉」と抗菌バスターズZ「善玉」の戦いが勧善懲悪的に描かれる。そこには何となく医薬品の特許絡みを思わせるような展開。そして映画「赤ひげ」ならぬ赤チン男から、貧しく病む者とそこで懸命に治療する医者のイメージが重なってくる(独占せず病に苦しむ人のため)。それらを含め、何度も繰り返される"化学"と"医学"の融合、その知見の広さが このSF作品の創作力だろう。

アクション、娯楽性(ダンスシーン)や空中で演技をするエアリアル・アクトのビジュアル感覚、さらに時間警察による時間の速度違反などの異次元ならではの創作等 観客を楽しませ飽きさせない工夫を凝らす。そこに、この公演の魅力と意気込みが感じられる。
次回公演を楽しみにしております。
笑うゼットン −風雲再起−

笑うゼットン −風雲再起−

トツゲキ倶楽部

「劇」小劇場(東京都)

2019/11/13 (水) ~ 2019/11/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

骨太な社会問題を扱いながら、観せ方は劇的な笑いで包んだ秀作。終演後、前田綾香さんによれば、6年ぶりの再演であるが内容的にはほとんど変えていないと言う。内容に鑑みると何と先見性があり鋭い指摘をしているのかと感心させられる。硬質(濃縮)な中身を柔軟(抱腹)な表皮で包んだ銘菓のような絶品の味わい。そう言えば、劇中にも食事に纏わる話がしばしば出てくるが、それが女子会の話題として楽しく盛り上がる。そして同時に伝えたいテーマを比喩しているような…。
(上演時間1時間50分)

ネタバレBOX

チラシにはキタとミナミに分断された国とあるが、どう考えても北朝鮮・韓国の国境(軍事)境界線にある板門店、その近郊にあるプレスセンターといった架空の場所が舞台。もちろんフィクションだ。セットはクランク型の仕切り、上手・下手側にテーブルと数個の椅子(箱馬)が置かれているだけのシンプルなもの。プレスセンターには、朝売・読日・毎朝・東西・帝都の各新聞記者やフリーランスが詰めている。ここにいる新聞記者はそれぞれの事情を抱えて、この地へ飛ばされたようだが、例えば官房長官に食いさがって質問をした女性記者クーちゃん(前田綾香サン)などは、実在の記者を思わせる。このような皮肉が随所に観られる骨太喜劇。

プレスセンターでは、キタの国に拉致された姉妹の安否確認、または拉致被害者に係る記事掲載を依頼するシーンから始まる。一発の銃声、または核搭載したロケット発射の真偽とスクープの取扱いに右往左往する記者たち。そこに、われわれが生きている”現代”とメディアの”正体”に疑問と警鐘を鳴らす。さらに憲法21条や96条を絡め表現の自由や改憲の問題を織り込み、今の日本のきな臭い状況を垣間見せる。また内閣情報調査室(諜報活動)も登場させ、国家権力と日本社会が抱える同調圧力など盛りだくさんの問題を詰め込んでいる。ちなみに憲法9条は改憲され”防衛軍”になっているようだ。

Z-TONはウルトラマンシリーズの宇宙怪獣のことで、このTV番組を見なかったことで小学生時代に苛めにあったというトラウマを抱えた記者・イカリ。ZトンのZはアルファベットにおける最後の英字、ンは五十音順の最後の文字という、どちらも どん詰まりを表す。何となく今の日本の閉塞感や危機感を暗喩しているようだ。そして苛めに対しても、大したキッカケや根拠もなしに行う、雰囲気に流されてしまうという日本人気質を皮肉る。ミナミの国のパクさん(現地コーディネーター)の冷笑というか嘲笑気味の台詞に日本人の気質の一面を見せる。

プレスセンターでのスクープ記事の取り扱いが国家的視点、いわば飛ぶ鳥の俯瞰した描きであるとすれば、苛めや流される気質は個人的視点、虫が地を這いずる近視眼の描き。この両観点を実に上手く織り交ぜ、しかも演劇的に面白く観せる巧みさ。例えば女子会イメージのグルメ談笑、タカノ(田中ひとみサン)のダジャレとそれに伴った隙間風の音響など。

最後に、新聞のトップ記事(多数に読まれる)か小さい枠記事(少数または読まれない)か、さらにキタの核の保有の有無をプレスセンターの総意で決定(少数意見の切捨て)、そして訪問者の新聞を読まない発言(まさしく流される-傍観者)は民主主義の根幹を指摘。all-or-nothingのような描きが一転して、食事では好みの違いを認め笑い飛ばす、その対照的な描きが印象的だ。トツゲキ倶楽部の「独特な人間模様のおかしさをエンタメ化する」が見事に結実していた。
次回公演を楽しみにしております。
Dear Me!

Dear Me!

青春事情

OFF OFFシアター(東京都)

2019/11/13 (水) ~ 2019/11/18 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

「新宿にしぐち夜間保育園」を舞台にした社会喜劇は観応え十分だ。3年ほど前に「保育園落ちた日本死ね!!!」と題したブログが話題になったが、いまだに保育所探しは大変である。同時に子供を育てることの大変さも描き、社会的な問題と個人(家族)的な問題の両観点から捉えた秀作。芝居としては、ラストの園長の激白シーンは胸が締め付けられるような感動を覚える。
(上演時間1時間45分)

ネタバレBOX

新宿歌舞伎町の ど真ん中にある夜間の無認可保育園が舞台。正面窓には、ネオンを思わせる照明。セットは保育室内、おもちゃ箱や絵本がある棚、もうすぐクリスマスということもあり飾り付けの数々が微笑ましく感じられる。下手側奥が子供達の寝室になっており、親や保育士が子供の寝顔を見る時の優しい眼差しが印象的だ。先に書いた保育園数が足りなく子供を預けられないという社会(公)的な面も底流にあることは間違いないが、この公演では預かる保育園、預ける親という私的な観点から描いている。

親として子の成長に対して愛情や責任を持つという当たり前の感覚が痛いほど伝わる。だから違法もしくは子供に説明し難いと知りつつも、仕方がないと割り切って仕事をしている。それがいつか子供に悪影響を及ぼすと慄きながら...。最近、親による子供への虐待という悲しいニュースが多い中で、この公演は切羽詰まった状況の中でも子供優先に考える親の奮闘、子育てを通じて味わう悲喜交々がストレートに伝わる。だから何の変哲もない場景の中に温かさを感じることが出来る。そこに小難しい理屈は不要であろう。

保育園長の苦悩...親(寺前)から結婚しているのか、子供の有無や育てた経験を問われた時、自分は子供が出来ない体質であること、その結果 離婚した経緯を話す。”子は親を選べない”というが、実は 子はちゃんと親を選んで生まれてくるのだ。この親の子になりたいのだと…。その選ばれた親が子に恥ずかしくないような生き方をする、間違ったら謝る。そんな当たり前のことが大切なのだ。説教的になりがちであるが、公演全体を通して面白可笑しな観せ方(父ちゃん坊や)や意外性(園長の幼馴染の職業)など、絶妙なバランスの演出が教訓臭くさせない。親もときどき肩の力を抜いて という台詞には共感してしまう。

子供の育て方は一律ではない。子供の数だけ、または親の数だけ育て方がある。絵本の読み聞かせが秀逸である。他の象と違うことで仲間外れに悩む象が主人公、その読み聞かせは保育の教科書的な教えでは感情を交えず淡々と話すこと、しかし保育士(佐藤)の母親は女優で手ぶり身振りを交え感情表現豊かに聞かせる。それに反応する子(心)。子もまた個性を持った1人の人間であり、子供という一律の括りではない。保育室という狭い空間の中に人間の優しさ愛情が溢れんばかりに輝いて観える秀作。
次回公演も楽しみにしております。
珈琲店

珈琲店

劇団つばめ組

参宮橋トランスミッション(東京都)

2019/11/07 (木) ~ 2019/11/10 (日)公演終了

満足度★★★

18世紀頃のヴェネツィアにある「珈琲店」が舞台。現代日本、それも都会を中心に喫茶店(珈琲店専門店ではないから同義語ではないかも)はチェーン店化が進み珈琲店を見かけることが少なくなった。この公演では市民たちの日常様々な揉め事や噂話という滑稽な事柄を描いている。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台セットは、中央にタイトルの珈琲店、上手・下手側にご近所の家(賭博場?)等がある。シンプルな造作であるが、逆にそれが物語を分かり易くしている。全体的に喜劇であろうが、登場人物のキャラクターを際立たせ、この国(当時)の状況を物語にうまく当てはめ写実的に描いている印象。

梗概は珈琲店に集まる人々が巻き起こす騒動。
登場人物は、賭博にうつつを抜かす御仁、彼から金を騙し取る偽貴族、身分を隠した女たち、偽貴族と交際中の踊り子、噂好きの紳士が巻き起こすドタバタ騒ぎ。
身をもち崩しそうな若旦那、彼を食い物にしようとする連中、逆に彼を救おうとする人々―という構図は何となく勧善懲悪を思わせる。登場人物がうさん臭く(身分を隠したり仮面をかぶったり)、偽・善が混在した状況はどの国でも、どの時代にも存在する理不尽さ。ある意味、悲しむべきことではあるが、それを面白可笑しく喜劇として描く。
喜劇によく登場する道化師的な役割の人物は、噂好きで軽口を言ったり、憶測で物事を話し、他の登場人物たちに誤解を与え、物語を引っ掻き回す。その喜劇としての観せ方、物語を二転三転する展開が滑稽さを増幅させる。

当時のヴェネツィアの民衆を善・悪人と類型化し、そこに典型的な人間性情を描き出しているようだ。それが仮面を付け本心を隠し欺瞞に満ちた人々。それを懲らしめる、または真っ当な人間性を取り戻す手助けをする人々ー素顔の表情を見せる民衆群像は、明るい活力に溢れ、凋落する貴族の無為と怠惰な姿と対比する。しかしそれは単なる猥雑性や卑俗性ではなく、仮面を鉄皮と置き換えれば、その下は本性に他ならない。それゆえ、登場人物のキャラクター等を殊更にデフォルメすることによって、人物の類型性という殻を破り、1人ひとりの人間性を捉えようとする、そこに面白さを感じた。

物語は面白いと思いつつも、キャストの演技が硬く全体的にぎこちなく思えた。もっと生き活きと生活感に溢れた、当時のヴェネツィアの雰囲気が感じられればと思った。物語の底流にある人間(不変・普遍)性、それはそこで生活しているという写実がしっかり描き切れなければ面白さが半減してしまう。それだけに勿体なく残念だ。
次回公演を楽しみにしております。
燃えつきる荒野

燃えつきる荒野

ピープルシアター

シアターX(東京都)

2019/10/30 (水) ~ 2019/11/04 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

船戸与一原作「満州国演義」…揺れ動く時代の奔流の中、無残に歴史のはざまに棄てられていく若者たちを描く3部作」の完結編。満州の地を舞台にした壮大な叙事詩。戦時下、そんな深刻な状況の中における1人ひとりの人間の生き様をダイナミックに描いた物語。
公演は「虚像の人間」「事実の歴史」という虚実をうまく構築し、ある意味、観(魅)せる虚実史―野心的な作品として楽しめた。ただ、物語は日本国内・満州という地を交錯させる展開で、登場人物も多く、観ている者が置き去りにされそうになるのが難点。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

セットは満州の壮大さ荒野をイメージさせるものであろうか、段差を設けた草原風景。所々に小スペースがあり、日本国内や満州の某施設や飲み屋になり、時の経過や場所を示す。
物語は敷島四兄弟の生き様を中心に展開。描き方は同時・並行的に日本国内と満州の地-別の場所を交錯させ時代を立体的に構成しようとする。しかし、逆に話が断続的になり繋がりを持てなくなる。人物造形はある程度観せることが出来るが、それでも映画・映像と違って同一セットでは場所の違いを視覚で観せるには限界があり、観る者の想像力に負うところが大きい。

梗概…満州事変から第二次世界大戦終結までの満州国の興亡を、敷島四兄弟と関東軍特務将校・間垣徳蔵を軸に描く。大局観として、国の軍事的思惑によって多くの人々の血が流れる。国家間の政治的思想、軍事的戦略は相対的なもので、何が正しく間違いなのか、時代の只中にあって正否が判断できるのか。船戸作品は硬質な歴史観によって支えられていると思うが、戦争という悲惨さの中にあっても まだある程度のロマンの様相を帯びている。戦争(殺戮)は屍しか残さない。善も悪もなく、悠久の大義も私怨も関係なく同列にある。物語はフィクションであるが、ここにある(歴史)事実の観点からすればノンフィクション、現実のディスポティズムの殺戮と重なるイメージを持つ。だから事実の路傍に打ち棄てられた人々の叛史が突き付けられることによって、ロマンと同時に重苦しさに圧倒されるのだ。

敷島四兄弟は、異なった立場と役割が与えられている。それに伴って人間性は、時代背景とその任務・立場が強烈に描かれているため、人間ドラマではなく”虚実史”としての色彩が濃い。完結編として、敷島兄弟は通化の地に集う。満州国はわずか13年で理想の欠片さえ失い、重い鉄鎖と化した。昭和20年にソ連軍が侵攻を開始し崩壊してゆく「王道楽土」。日本そして満州、二つの帝国が破れ残ったものは何か、を考えさせる。満州という地は、日本の時代史・地域史においてどのような存在であったのだろうか。

日本国内と満州を交錯させ、国内は耽々と不穏な空気が流れ、一方満州における修羅現場と化した対比、そして人物は相貌を変え動き回る。日本海を挟んで昔からの深い関係にあった大陸と日本の近代史が人々にもたらした不幸。不条理は、兄弟の生き様に投影させ、社会の底辺にまで浸透してしまった強者・弱者の構図として浮き彫りにする。といっても当時の社会のヒエラルキー構図が直接に対峙して映し出される訳ではない。そこには閉塞・緊迫という状況、時代という大きなうねりが立ちはだかっているという表現である。時代に個々人が翻弄され、抗し難い状況が重層的に立ち上がる。満州国演義3部作の完結編は悲劇的な結末へ…。

これだけダイナミックに揺れた時代と場所―日本と満州―を3部作とは言え、小説の醍醐味を十分に表現することは難しい。下手をすれば、急ぎ足で表面的な事実経過だけを羅列する、そんな勿体ない公演に思えてしまう。もう少し事(焦点)を絞るか、興行的に可能であれば4部作へ増編してもよかったのでは…。
次回公演も楽しみにしております。
元号狂騒曲

元号狂騒曲

劇団恋におちたシェイクスピア

RAFT(東京都)

2019/10/25 (金) ~ 2019/10/27 (日)公演終了

満足度★★★

「事実は小説より奇なり」というが、この公演は事実、それも最新の時事ネタを盛り込み描いているが、現実はそれ以上に不思議で えぐいものだろう。多くの問題を抱えた政治家、官僚、御用学者が改元に振り回される様子をシュール・コミカルに描いた公演。官僚が出世に目がくらみ、改元に絡んだ国家的プロジェクトで忖度が横行する様を直接的に描いているため、面白い反面、わざとらしく感じられるところが少し勿体なかった。公演の最後に風刺であると言いつつ、現実を連想させるあたりは…。
さて自分は、元号に関わる内容とは別のところに関心をもった。
(上演時間1時間20分)

ネタバレBOX

セットは机をL字型に配置し、上手側にボードが置かれているだけのシンプルなもの。
物語は、現首相の名前もしくはその夫人の名前の一部を新元号に入れるために画策する官僚。その企てを元号選考委員として選ばれた漢学者へ忖度させるような内容。展開は金品、名誉付与などの典型的な賄賂攻勢。
同時に内閣情報調査室の身上調査の不気味さ恐ろしさを垣間見せる。内閣情報調査室は、日本の諜報機関と陰口を叩かれるところであるが、この公演でもプライベートなことを調べ上げ下級官僚に言うことを聞かせる、こんなところに調査した秘密を利用する怖さ。

当日パンプに、本公演は過去の「元号狂騒曲」を基にわずかな登場人物の名前と”新元号発表にまつわるドタバタ喜劇”という要素を残し、と記載されている。登場人物が6名であることから物語の構成はシンプルで複雑な政治的思惑は描ききれていない。いくつかのメディアが報じる記事や噂といった虚実の内容を断片的にデフォルメして観せる。シンプルな構成だけに面白可笑しさはストレートに伝わる。現実には複雑に絡んだ組織的な忖度行為であろうが、公演では個人を組織として見做しているため理不尽という個人感情に止まっている。どうしても組織的という狡猾で闇深い、そして圧倒的な不合理が観えず、個々人の思惑という利己的(スケールの小さ)な行為としか観えないところが残念だ。この種の政治・経済問題が好きな人だったらもっとテーマを深堀してと言うかも...。

政治の裏舞台...改元号に関する忖度・セクハラ・賄賂等、今話題のテーマ設定は面白く興味が尽きない。残念な点はあるが、それでも目先の利益に狂奔し、コトがバレると責任も取らず遁走する、その醜態が面白可笑しく描かれる。
ラストは、忖度に踊らされた下級官僚が、結婚相手とのデートでは共通の趣味ばかりに盛り上がり、肝心な主義主張(政党)が異なることに気づかされ愕然とする、そのシュールな描きは皮肉を込めて見事な結末であった。

演出として、場所や状況説明は横長紙でフリップイメージで見せ、場面の転換を表す。併せてネットニュースによる説明も加え時事問題を生々しくさせる。丁寧な演出とも思えるが小道具が稚拙な感じで勿体なかった。
次回公演も楽しみにしております。
たとえば、車が跳ね上げた水しぶきを浴びた気分

たとえば、車が跳ね上げた水しぶきを浴びた気分

ガポ

新宿眼科画廊(東京都)

2019/10/25 (金) ~ 2019/10/27 (日)公演終了

満足度★★★★

物語では描き難い感情を、このタイトルで何となくニュアンスを伝えようとする。劇中でもこのタイトル名は出てきて、相手に質すが…。自分の内にイメージは出来るが、それを具体的に表現するのは難しい、そんなもどかしさが描かれる。2人の不可解な感情が交差することによって露になる激情。その濃密な会話で繰り広げる室内劇は面白かった。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

この劇場のオーソドックスな配置で、入口側が客席、奥が舞台になっており一方向からの観劇になる。セットは白い衝立を折り返し室内壁をイメージさせ、下手側の壁に絵画が掛けられている。中央にテーブルと椅子2脚。テーブル下に編籠、ゴミ箱、テーブル上にティッシュ箱、少し離れた下手側にジャンボクッションが置かれている。女性部屋の最低限の外観を現し、記載した小物はすべて利用するという拘り。この狭い空間に2人の息遣いが伝わり緊迫感が漲る。

梗概は、電話で音羽千佳(勝島乙江サン)が彼氏からの別れ話に激高している時、見知らぬ女が部屋に闖入してきて...かみ合わない話の末、闖入してきた女・才川信子(坂崎愛サン)を彼氏の新しい彼女と誤解する。信子の正体は、そして何のためにやってきたのか、といったミステリードラマとして展開していく。公演の魅力は、このミステリー仕立てとして観客の興味を惹き牽引していくところ。同時に千佳の生き様を通して人間の優しさと逞しさを観せる。結末まで二転三転させ観客の集中力を逸らさない観せ方は上手い。ちなみに、千佳の誕生星座や血液型を間違えて答えているのは、早い段階で種明かしになるからか?逆に正解していれば、不気味さが増すかも…。

2人がテーブルに並んで座る光景は、映画「家族ゲーム」を連想し、観る者に奇妙な印象を与える。普通であれば2人が向かい合って座るが、演劇としての演出(観客に背を向けない)と同時に、この公演の特長が観えてくる。2人の心の内にある虚々実々の探り合い、直接 目をあわせないことで虚構性を表現しているようだ。また映画では、音楽は一切入らず代わりに食べるときの音など、効果音が聞こえる。逆に、この公演ではシーン毎に違う音楽を流し雰囲気を作り出している。

2人の息詰まる会話「人間は生まれながらにして不平等」「悲しみと喜びは同居し表れる順番が違うだけ」などの含蓄ある言葉の応酬を通して、何となく在りそうな修羅場が観えてくる。前半の対立的な関係から後半の心情溢れた親愛感へ心境が変化していく様を自然に描く。表現し難い感情をダンスと歌で現す。そのダンスの振付...向かい合い互いに腰が引けた格好、伸ばした腕だけが相手の手のひらと合わさっている。それが段々と近づく。そこには初めは見知らぬ者同士の警戒心、それが段々と気心知れてというイメージに思える。その意味で、敢えて入れなくてもよいダンスシーンを挿れているのは感情表現の1つであろうか?
もちろん2人の演技力は喜怒哀楽といった感情表現をしっかり表しており見事であった。
次回公演も楽しみにしております。
浅草福の屋大衆劇場と奇妙な住人達1982 改訂版

浅草福の屋大衆劇場と奇妙な住人達1982 改訂版

東京アンテナコンテナ

六行会ホール(東京都)

2019/10/23 (水) ~ 2019/10/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

典型的な人情劇...観ていて安心するような展開は、老若男女問わず楽しめるもの。
「昭和人情ホラーコメディ!!」乞うご期待...という謳い文句通り、観応え十分な公演であった。
(上演時間1時間50分)

ネタバレBOX

1982 年(昭和 57 年)頃の浅草にひっそりと建つ大衆劇場での物語。冒頭はその劇場で上演している股旅物のような劇中劇の場面から始まる。この劇中劇と本編が繋がり出し、単にユーモラスな描きだけではない面白さが繰り広げられる。この公演が紋切り型の感傷劇に陥らず、かと言って真面目でもふざけるでもなく絶妙のバランスで夫婦、親子の情愛を描く。そして随所に挿るギャグが物語を微笑ましくさせる。

梗概…劇場支配人と義理の娘、さらに地縛霊がいる大衆劇場は、長年庶民の娯楽場としてにぎわっていたが、近年では漫才ブームのあおりを受け客足が途絶える一方。そんなある日、人気の劇団松沢一座がこの劇場を救うべくやってくる。「これで劇場はどうにかなる」と思った支配人や娘たちであったが、一座の看板役者が「一座を辞める」と言いだした。この劇場と一座、そしてみんなの運命は一体どうなるのか。

笑って泣かせる人情劇の王道のような公演は、理屈抜きに楽しめる。事情あって娘を置き去りにした母、捨てられたと思った娘、その娘を育てた劇場主などが織り成す本筋、それに大衆演劇の松沢一座の劇中劇として興行している脇筋を絡め厚みのある物語に仕上げている。経営不振、一座の看板役者の退団など誰もがピリピリしそうな出来事、そんなこわばった雰囲気をユーモア溢れる会話で笑いとばす。

無関係と思われた人々が次第に繋がり、なぜこの地(劇場)の地縛霊になっているのか。生ある人と地縛霊、その可視と不可視を同居させることで人生と人と人の触れ合いや繋がりを表現している。同時に時の経過を哀切・ユーモアを通して表現することによって暮らしと社会諸相を表わしている。その人情味を支えているのが下平ヒロシ氏とイジリー岡田氏の地縛霊(軍服・芸人風という衣装に意味あり)による漫才風会話。ラストは親子の情、地縛霊の昇華として結実させる見事な幕引きであった。
次回公演も楽しみにしております。
クロスミッション

クロスミッション

カラスカ

アトリエファンファーレ東池袋(東京都)

2019/10/23 (水) ~ 2019/11/03 (日)公演終了

満足度★★★★

ミステリーコメディといった公演。表層はマンガチックな観せ方で笑わせつつ、潜む内容は社会的現象または警鐘といったもので驚かされる。ミステリー仕立てだから、自分でも謎解きをしながら観ることができ楽しめる。
「交差ミッション」・「十字架ミッション」の同時上演で、関連性があるらしい。
(上演時間2時間)【交差ミッション】編  ミステリーのため後日追記

mark(X)infinity:まーくえっくすいんふぃにてぃ

mark(X)infinity:まーくえっくすいんふぃにてぃ

劇団鋼鉄村松

コフレリオ 新宿シアター(東京都)

2019/10/23 (水) ~ 2019/10/27 (日)公演終了

満足度★★★★

ナンセンスコメディかと思って観ていたら、その世界観というか宇宙観に魅せられた。表層の滑稽さ、しかしそれに止まらず、いつの間にか人との出会いと別れといった充足感ある物語に変わっていく。それが心地良いテンポで紡がれるから堪らない。
2016年黄金のコメディフェスティバルにおいて最優秀脚本賞、最優秀演出賞、観客賞、そして最優秀作品賞etc.を受賞した「mark(X):まーくえっくす」をベースに新たなるSFパラレル・ディストピア・ラブコメディ!...という説明通り、素直に面白いと思える公演。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台セットは色違いの枠があるだけのシンプルなもの。パワレルワールド、異星といった世界観・宇宙観を表現するため固定したセットは作らない。このイメージは ドラえもん のどこでもドアを連想させる。設定は時空間だけではなく、異星も絡んだ壮大なものだが、それは荒唐滑稽を表現するためのもの。枠はもちろん時々持ち込まれる銀パネルは時空間の歪み、または裂け目を表すが、その仮想というか非現実性の世界を手動で動かすという奇知の面白さ。

梗概は説明の通り...キャッシュカードを失くし、バイトに行く電車賃も無い主人公・ひろゆきは開き直ってバイトをさぼり徹夜でアニメを見ていた。ひろゆきの前に突然空間を割って美少女が現れる。名前はエプシィ(悪支配の四天王の1人)。この世界を支配、管理するために平行宇宙からやって来た、というもの。仮想なのか妄想なのか、その混沌とした世界観がいつの間にか現実を揶揄するような面白さに変わる。悪の支配というディストピア...無為のような暮らしぶりの ひろゆき にとって管理社会は適していると…。管理社会は、強制的に何かをしなければならず、不自由であるが行動はさせる。まさしく、冒頭の ひろゆき の生活態度に対する皮肉である。

枠を潜るという簡単な動作で世界観を変え、衣装やメイクという外見で現実世界との違いを演出する巧さ。また個性豊かというか特異な人物?キャラを立ち上げ、その関係性を次々に展開させ観客の意識を逸らせない。いつの間にか恋愛であり親愛者がパラレルに連なり出会いを連想させる。邪悪な世界があれば、逆に正義の社会も存在する。その合わせ鏡のような人物・フリーダムVとエプシィが仕える悪の総統の対決が笑える。外見・容姿も含め全てを観(魅)せるに注ぎ感心させられる。またエプシィを演じた小山まりあサンの怪演がこの世界...公演を支配していると言っていいほどの演技だ。

パラレルワールドであるからどこかで見たことがあるような、その既視感が物語の肝になっている。人は出会いがあれば別れもある。時空間移動はそんなセンチメンタルな思いを簡単に乗り越えていく機知があると思うが…それでも公演の終盤は惜別といった寂しさが少し漂う。
ちなみに冒頭、常識的な暮らしを説いていた鈴木君、いつまで経ってもMARKⅠ、MARAⅡ・・・MARK(x)にもなれず仲間外れのような。劇的に笑いをとると承知しつつも、世界観が異なれば常識・非常識といった概念も異なる、そんな意味深さを感じさせる公演であった。
次回公演も楽しみにしております。

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