燃えつきる荒野 公演情報 ピープルシアター「燃えつきる荒野」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    船戸与一原作「満州国演義」…揺れ動く時代の奔流の中、無残に歴史のはざまに棄てられていく若者たちを描く3部作」の完結編。満州の地を舞台にした壮大な叙事詩。戦時下、そんな深刻な状況の中における1人ひとりの人間の生き様をダイナミックに描いた物語。
    公演は「虚像の人間」「事実の歴史」という虚実をうまく構築し、ある意味、観(魅)せる虚実史―野心的な作品として楽しめた。ただ、物語は日本国内・満州という地を交錯させる展開で、登場人物も多く、観ている者が置き去りにされそうになるのが難点。
    (上演時間2時間)

    ネタバレBOX

    セットは満州の壮大さ荒野をイメージさせるものであろうか、段差を設けた草原風景。所々に小スペースがあり、日本国内や満州の某施設や飲み屋になり、時の経過や場所を示す。
    物語は敷島四兄弟の生き様を中心に展開。描き方は同時・並行的に日本国内と満州の地-別の場所を交錯させ時代を立体的に構成しようとする。しかし、逆に話が断続的になり繋がりを持てなくなる。人物造形はある程度観せることが出来るが、それでも映画・映像と違って同一セットでは場所の違いを視覚で観せるには限界があり、観る者の想像力に負うところが大きい。

    梗概…満州事変から第二次世界大戦終結までの満州国の興亡を、敷島四兄弟と関東軍特務将校・間垣徳蔵を軸に描く。大局観として、国の軍事的思惑によって多くの人々の血が流れる。国家間の政治的思想、軍事的戦略は相対的なもので、何が正しく間違いなのか、時代の只中にあって正否が判断できるのか。船戸作品は硬質な歴史観によって支えられていると思うが、戦争という悲惨さの中にあっても まだある程度のロマンの様相を帯びている。戦争(殺戮)は屍しか残さない。善も悪もなく、悠久の大義も私怨も関係なく同列にある。物語はフィクションであるが、ここにある(歴史)事実の観点からすればノンフィクション、現実のディスポティズムの殺戮と重なるイメージを持つ。だから事実の路傍に打ち棄てられた人々の叛史が突き付けられることによって、ロマンと同時に重苦しさに圧倒されるのだ。

    敷島四兄弟は、異なった立場と役割が与えられている。それに伴って人間性は、時代背景とその任務・立場が強烈に描かれているため、人間ドラマではなく”虚実史”としての色彩が濃い。完結編として、敷島兄弟は通化の地に集う。満州国はわずか13年で理想の欠片さえ失い、重い鉄鎖と化した。昭和20年にソ連軍が侵攻を開始し崩壊してゆく「王道楽土」。日本そして満州、二つの帝国が破れ残ったものは何か、を考えさせる。満州という地は、日本の時代史・地域史においてどのような存在であったのだろうか。

    日本国内と満州を交錯させ、国内は耽々と不穏な空気が流れ、一方満州における修羅現場と化した対比、そして人物は相貌を変え動き回る。日本海を挟んで昔からの深い関係にあった大陸と日本の近代史が人々にもたらした不幸。不条理は、兄弟の生き様に投影させ、社会の底辺にまで浸透してしまった強者・弱者の構図として浮き彫りにする。といっても当時の社会のヒエラルキー構図が直接に対峙して映し出される訳ではない。そこには閉塞・緊迫という状況、時代という大きなうねりが立ちはだかっているという表現である。時代に個々人が翻弄され、抗し難い状況が重層的に立ち上がる。満州国演義3部作の完結編は悲劇的な結末へ…。

    これだけダイナミックに揺れた時代と場所―日本と満州―を3部作とは言え、小説の醍醐味を十分に表現することは難しい。下手をすれば、急ぎ足で表面的な事実経過だけを羅列する、そんな勿体ない公演に思えてしまう。もう少し事(焦点)を絞るか、興行的に可能であれば4部作へ増編してもよかったのでは…。
    次回公演も楽しみにしております。

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    2019/11/04 01:57

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