仮面音楽祭
藤原たまえプロデュース
「劇」小劇場(東京都)
2022/11/02 (水) ~ 2022/11/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。
「仮面音楽祭」らしく、受付やプロデューサーの藤原たまえさんが、仮面を頭に付けてお出迎えしてくれる。まずは、祝祭の雰囲気作りをするといった配慮が愉しい。
可笑しくて 大いに笑った。この面白さを 自分の拙文で表現しようとしても無理だぁ。
常態と狂態が混じり合った混沌とした世界、そこに足を踏み入れた男女が巻き起こす抱腹絶倒の物語。快と楽の迷路の果てに見えた光景は…。
劇団ポツドールの「愛の渦」のような見知らぬ男女による一夜の狂乱だが、「愛の渦」のような性欲ではなく、何方かと言えば性抑であり生欲という 前向きな人生を思わせるラストだ。結局名前も分からず別れていく、そこに大都会 東京の哀愁を観るようだ。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台は、相席酒場「ミラクル」という合コン専門店。中央にソファとテーブル、その上にはカラオケのリモコン、上手奥に別場所を表すクッション、下手に部屋ドアがある。シンプルであるが、物語を描くには十分なセットである。面識のない男女が出会いを求めて夜な夜な集まってくる。
男女各4人の客と店員2人の計10人の歌とダンスで綴る人生の悲哀であり応援歌のような公演。ラストはしみじみと余韻を残す秀作。面白いのは人物造形で、(心に仮面を付けたような)お互いの素性を知らない 個性豊かな人々が、いつの間にか自分の悩みや苦労を語り出す。知らない者同士(役名はなく 男女とも1~4、店員も1~2である)、遠慮しつつ様子見の会話(常態)であったが、店員が勧める 銘酒「飲んだら危険」というアルコールを飲んだら、一転 泥酔した狂(嬌)態になる。
序盤、同棲しているカップルが、それぞれ相手に内緒でこの合コンに参加し鉢合わせをするという波乱の幕開け。この修羅場が圧巻で見どころの一つ。お互いが顔に水をかけたり頭から流したりと、体を張った演技をする。気まずい雰囲気から、それぞれの人間性ー本性へ、その化けの皮が剝がれていく。裏表がないのは、山田瑞紀サンが演じる流しのタンバリニストぐらいか。彼の短パン衣装や風貌・タトゥーが強烈で、一瞬にして空気(感)が変わる。
人生は傷つくことの繰り返し、それを何度も乗り越える。別れ話に准えて、人生は何度でもやり直せるは、リストラされた男や非モテ男への励ましか。江上剛の小説「人生に七味あり」〈うらみ・つらみ・ねたみ・そねみ・いやみ・ひがみ・やっかみ〉の人生七味唐辛子を思い出す。それが人生に深い味をつけ、人間味を増していく。それこそが、人間の祝祭〈生存〉を意味しているよう。
勿論、歌はその場景に合った選曲をし、情感たっぷりに歌い上げる。
次回公演も楽しみにしております。
オーガッタジャ!
発条ロールシアター
阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)
2022/11/03 (木) ~ 2022/11/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
終演後、何人かが異口同音に 大人の演劇だ と話していた。そう言えば、説明にも「大人たちの 青春真っ只中な群像劇」と記していた。何が大人の演劇だか解らないが、廃墟という役目を終えた建物を通して、人生の応援を謳った、一見 矛盾した観せ方の物語だ。そこには発条ロールシアターらしい、硬派な中にも優しい思いが観て取れる。
表層的には面白可笑しく描いているが、奥底にあるのは、諦念とは真逆の再生・再起と言った前向きな姿勢だ。滅びの美、ましてや頽落のダンディズムなんてこれっぽっちもない。あるのは男の それも中年男性の悲哀、それは仕事=生き甲斐、遣り甲斐を失(喪)った後の人生をどう生き残(遺)るかが…。
(上演時間1時間30分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は暗幕で囲い、上手に何か隠されているような幕、下手に壁に見立てた衝立があり、その一部が簀子(窓枠)のような板が打ち付けられている。この暗がりが廃墟内であり、簀子を外して中へ侵入する。上演前から照明を諧調させ、闇に輝く外灯もしくは星空を表しているよう。実は暗幕の奥には紗幕がある。下手での会話は廃墟ビルの階数を説明しており、同じ舞台であるが空間の違いを表す。
登場人物は、リストラ(クビに)された中年男・環が、廃墟ビルに忍び込んで一時的に寝泊りしようとしている。そこへ着物を着た〈男〉、一見どこかのご隠居のような飄々とした佇まいを醸し出ている。また廃墟マニア・白河清澄やフリーライター・西まごめ、そしてスリの一団…拝島・是政・美園が偶然に出会う。さらに ふらふらと侵入してきた男・津田沼と中年男・環が知り合いだった。廃墟という“不思議な力”によって集められたかのよう。訳ありの人々の人生模様を描きながら、この廃墟に現れる 霊 の話が交錯する。
終盤は怒涛のような展開…廃墟ビルが建つ近くに江戸時代の刑場跡がある。着物姿の〈男〉、実は斬首の役人・山田浅右衛門であり、明治時代になってその斬首刑が廃止になって、生活の糧を失う。会社を馘にされた男と斬首してた人の<クビ>繋がりが、過去と現在を結ぶ。実はふらふらと侵入してきた津田沼は、環を解雇した会社の社長である。社内で人望のあった環を解雇したことで 社員が次々に辞め、会社は倒産寸前の危機に瀕している。それぞれの人の人生模様に各人の思惑を絡め 味わい深い話になっていく。
因みに、登場人物の名前は駅名だが、山手線のように知られた駅名ではない。そこに名も無き一般人…特別ではない人々を表している。
スリの一団は、師匠と男女の弟子といった関係のよう。過去回想、美園の幼少期に師匠・拝島と会話する場面は、その立ち位置(向き合わない)で場景を描いているが、ここは想像力を膨らませないと分り難いだろう。スリだが、美園には仕事?をさせたくない。訳アリの人物ばかりだが、真の悪人は登場しない。廃墟という役に立たなくなった建物の中に、役に立たなくなった人々を集めるが、そこには やり直せるという強いメッセージが込められている。浅右衛門の余生は俳句短歌を詠でいたのだろうか。ラスト 紗幕の奥は大木であろうか、若しくは短冊の山かもしれない そんな余韻を残す。
ラスト、ほんの僅かなシーンに〈女〉役で 則末チエさんが登場する。みすぼらしい着物姿で這いずるような姿、浅右衛門に腕をつかまれ、次のシーンでは斬首される。浅右衛門が最後に斬首した女という説明から、有名な 高橋お伝 ということが分る。一瞬のうちに憐憫を表す演技は見事だ。則末さんは悲哀だけだが、他の役者陣はコミカルに演じながらも、その奥底に滋味ある人柄を忍ばせている。初演は観ていないが、この公演でのキャストは見事な演技力であった。
次回公演も楽しみにしております。
VANYA‼︎
人間劇場
SPACE EDGE(東京都)
2022/11/03 (木) ~ 2022/11/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
チェーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」を刺激的・印象的に演出した野心作。
人間の生きる、特に労働という社会的な問題を根幹に据えた戯曲。人には色々な顔(面)、階級があり、そして様々な出来事がある。フライヤーの絵柄はそんなことを表しているのかも知れない。勿論 四幕ということも関係しているだろう。出来事といえば、観た回はチョットしたアクシデントがありヒヤッとさせられた。
今まで何度か「ワーニャ伯父さん」を観劇したが、この公演のような身体的なアプローチを加えたものは初めてである。それだけに新鮮でもあったが、違和感(取入れる疑問)もあった。ジャンルの違うARTとの融合を目指し、更なる芸術性というか可能性を模索している。同時に、チェ-ホフの戯曲は日常生活の中にある人の営みが根幹になっており、刺激的な出来事や事件は起きない。その変哲のない情景を少しでも印象付けようとしている。
(上演時間1時間30分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台セット、冒頭は ほぼ素舞台。あるのは下手にピアノとハンガーラックのみ。大きな空間になっているが、人物が登場して各々が上着を着る。そして激しいダンスを披露するが、何を表現しているのかは分からない。上手ドア(入口)が開き、テーブル、椅子そして梯子を場内に運び入れ、そこから物語が始まる。
ラストは、逆にそれらの物を奥の壁際へ運び、空間を確保する。人物は上着を脱ぎ、薄暗がりで淡色衣装が跳ね踊り、同時にその姿が後の壁に影となって妖しく蠢く。冒頭と最後をダンスで観(魅)せ、物語はその中(間)で展開する。勿論、劇中でもダンスシーンはあるが、それは演技の延長線にあるような動きである。例えば2人で愛を表現する場面では、ソシアルダンスのような優雅さ、そして全体的にはポップで軽やかなダンスで魅せる。
登場人物は、杖つく老教授・セレブリャコフと若く美貌なその後妻・エレーフ、一方、領地の管理に生涯を捧げたワーニャ(伯父)とその姪ソーニャ、そして自然環境の将来を気にかける医師アーストロフ、元地主・テレーギン、乳母のマリーナ、色々な立場の人物を配置している。立場は階級に置き換えることもできる。
物語は、淡々とした日常生活とその会話で舞台の雰囲気を漂わせた静劇であり、そのため身体表現や音楽等の効果的な観せ方が必要かもしれない。ジャンルの違うARTとの融合は、その意味で有機的な役割を試みているようだ。
公演では、身体表現のみならず、抒情的とも思える美しい台詞、工夫や計算された対話の妙など、様々な技巧が観てとれる。巧みな演出によって、チェーホフの人生観が垣間見える。終盤、勝手な言い分(提案)のセレブリャコフを銃で威嚇するが、そこに今までの労働(管理)を蔑ろにされた怒りを描く。チェーホフの「かもめ」では、〈芸術〉の中に生きる意味を与えているが、「ワーニャ伯父さん」では、もっと直接的な〈労働〉に生きる意味を見出している。日常の暮らしは、物静かだが 挫折、忍耐、そして働いて生きていくを実感させるに十分な迫力、緊迫感を漂わせていた。
次回公演も楽しみにしております。
闇にただよう顔 【満員御礼!11月6日17時追加公演決定!】
岩崎企画
シアター風姿花伝(東京都)
2022/11/03 (木) ~ 2022/11/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
硬質で骨太なノンフィクション作品。約60年前に起きた女子高生殺人事件を扱った法廷劇。舞台美術は四角いコロシアム内のような すり鉢状、何となく奈落を思わせる。色彩は黒一色、薄暗い照明ゆえ重苦しく緊張感を強いられる。実事件だから判決結果は分かっているが、公演を通して改めて事件の捉え方などを考える。けっして心地良い緊張感とは言えないが、それでも満足度は高い。
事件の詳細は知らなくても、名前ぐらいは聞いたことがある有名な刑事事件、その法廷審理を順々に展開していく。同時に差別問題を糾弾している。「闇にただよう」とは、判決結果だけではなく、その事件に潜む背景と真実とは を暗示しているような。この背景等を描かないと、ただの裁判の再現ドラマに終わってしまうし、逆に描き過ぎると啓蒙もしくは警鐘劇になる。その微妙なバランス感覚の上に成り立っているようだ。
演劇的な観せ方として、法曹三者の場所は固定せず、審理日に応じて変わる。時間的経過を表すとともに視点の違い、つまり差別・被差別(の立場)が解る巧さ。母と息子(被告)の回想シーンは、底である奈落で語り合う。上部(権力)からの睥睨・軽侮と見上げる姿という構図に問題提示が観て取れる。
37年間の教職生活を終えた岩崎正芳氏が企画した公演であり、当日パンフに自身を「暴走老人の青春」と記している。教職から演劇界へ、ご自分も弁護士役を熱演していた。その姿から第二の人生とも言える演劇ーその遣り甲斐・生き甲斐を強く感じる。そして「青春は続く・・・。」とある。次回公演も楽しみである。
(上演時間1時間30分 途中休憩なし) 追記予定
ラビットホール
劇団昴
Pit昴/サイスタジオ大山第1(東京都)
2022/10/28 (金) ~ 2022/11/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
傑作。
物語の悲痛さは、説明(あらすじ)から何となく(頭では)理解できるが、それを舞台でどう表現するのか。それも海外戯曲(翻訳)を…そんなことは杞憂であった。
舞台美術は、本当にその空間で暮らしているかのような精緻な造りであり、照明や音響といった舞台技術も上手い。しかし何といっても役者陣の熱演が凄い!台詞というか言葉に込められた真意、それを激情・激白する姿に感動する。瞬時に反応した台詞の応酬は、本当にそう思っているかのような、ゆずれない芯のある言葉となっている。家族という緊密な関係、そこに亡くなった子への想いを繋ぐ緊張した状況、共感必至の現代劇である。
(上演時間2時間15分 途中休憩含む)
ネタバレBOX
舞台美術は、円を描くような丸みを帯びたフローリング風の舞台。入口側からダイニング・キッチン、反対側に回り込むようにしてリビングルーム、ソファや本棚がある。舞台中央の客席側に丸テーブル、そして玩具・絵本・ぬいぐるみが置かれている。同一空間に亡くなった子供部屋を作ることによって 子を思う悲しみを漂わせる。精緻な造作だけではなく、そこに込めた想(重)いが切々に伝わる。
ニューヨークに住むベッカ(あんどうさくらサン)とハウイー(岩田翼サン)。1人息子(4歳)のダニーが事故死して8か月経つ。同じ喪失感を抱いているはずだが、ベッカは子供の遺した服や玩具 絵本を捨て続け、ハウイーは思い出を残そうとする。悲しみを感じる場所が違うかのように衝突する2人の言葉は重苦しい。自由奔放な妹イジ―(坂井亜由美サン)は妊娠し、11年前に息子を亡くした母ナット(要田禎子サン)は今も思い出に浸る。そんな2人の会話も交え、ベッカとハウイーは ますます亡くなった子を思う悲しみと寂しさを増していく。かみ合わない嘆きと悲しみを抱え苦しむ二人。そんな時、ダニーを轢いた少年ジェイソン(町屋圭祐サン)からの手紙が届くが…。
米国戯曲を翻訳劇としてどう表現するか。日本語の語感が、心理劇としての色濃い内容の真意をどこまで伝えることが出来るのか。頻繁に使われる「OK」は、短い単語であるが、そこには肯定であり、これ以上の会話を拒絶するような意思表示を表す。日本語の中に英語を発する違和感、そこに たんなる感情とは別の意図を感じる。事件ではない、やむを得ない出来事だったとはいえ、誰かをそして何かを責めたくなる感情は抑えられない。その表し難い感情-心の想いを的確に表現した英単語で、上手い翻訳?だと思う。
登場人物は5人。それぞれが負っている、もしくは負うことになる想いが、一語一句に込められている。同時に言葉に表せない心の内を、表情や仕草で体現する。子供服をたたむ、子のビデオテープを観る、玩具等をゴミ袋へ、何気ない光景のようだが、母であり父である想いが伝わる見事な演技である。勿論、妊娠したイジーの腹部、ナットは孫のジミーと息子を知らず知らず重ねて話す。そんなリアルさスキの無さが巧い。
ジェイソンとベッカの会話。自分なら息子を轢いた少年と会うだろうか。そんなことを考えた。
彼が書いた手紙ー小説、その仮(空)想の物語に入り込む。宇宙は無限、そこに存在すると信じているパラレルワールドは、悲しい世界(だけ)ではない。しかし 今いる世界では、子供の物を処分しても、けっして子がいたという事実は消せない。ミラーボールの回転によって星空のような世界が出現する、ベッカは その中をグルッと回って何かを感じる。今後、ベッカとハウイーがどのような生き方をするのか気になってしょうがない。
次回公演も楽しみにしております。
狼少年タチバナ
劇団牧羊犬
恵比寿・エコー劇場(東京都)
2022/10/26 (水) ~ 2022/10/31 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
2015年初演の舞台映像は、門真国際映画祭2020舞台映像部門で優秀作品賞はじめ4つの優秀賞を受賞…この舞台の映像はどのように映っているのだろうか。「再演を望む声も多かった『狼少年タチバナ』を、キャストを一新して7年ぶりに上演」、その謳い文句から、自信作ということは分かったが、なるほど 力作であった。
当日パンフに主宰で作・演出の渋谷悠氏が「嘘と事実をごちゃ混ぜにされるのが一番タチが悪い。自覚がないなら猶更のこと。そこに悪意はない。しかし被害はある。この物語はそんな人物と接した僕の実体験から生まれた」とある。それだけにリアルであり、舞台としての力強さ芸術性を高めた原動力があるようだ。
少しネタバレするが、嘘の力と信じ抜く力は 何度も嘘をつく男とそれを最後まで信じようとする男の友情のよう。ラスト、2人の男の悲哀でもあり滑稽でもある人生模様がしみじみと描かれていることに気づかされる。これはウソではない。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、半円形の舞台を場面に応じて回転させる。冒頭は主人公・嘘の力-橘史郎(徳岡温朗サン)の家の中、半円台の右手壁に大きな抽象画、左側に窓・カーテンがあり、円台外の上手に木製のテーブルと椅子、下手に座卓が置かれている。一方 信じ抜く乾六郎(長部努サン)が服役していた刑務所、妹とその同棲相手の家、更に煉瓦作りのワインバーの店内というように場景を変え、その場景内で一つの物語を作り、全体を構成する。別の場所だが、同じ時間が流れているような観せ方は、人物の置かれた状況や心境の違いを比べるような効果がある。そこに自覚なき嘘つきの楽天さ、嘘と知りつつ庇う悲愴さ、人生で味わう喜怒哀楽を2人の男にそれぞれ喜楽と怒哀に分けた理不尽を負わせる。
史郎は嘘つきだが、そんな自覚はない。自己肯定や自己愛性パーソナリティ障害としている。それだけに始末が悪い。一方、六郎は養護施設育ちで、本当の生年月日や名前を知らない。幼馴染の史郎が何気なく、誕生日や名前を付けてくれたことに恩義を感じている。後々分かるが、史郎はそんなことをすっかり忘れている。
やがて史郎の嘘が詐欺になり、その身代わりとして刑に服することになった。4年の月日が流れ、史郎は六郎の出所祝いにパーティを開催するが…。
史郎の妻 のり子(井上薫サン)は、史郎の嘘に耐えられなくなり耳が聞こえなくなる。人の言葉が恐怖なのだろう。彼女はペット(ハムスター)を飼うが長生きしない。徳川幕府の歴代将軍の名を付けるが、既に八代目(吉宗)になっている。実はペット虐待をすることで心の均衡を保っている狂気が怖い。平穏であるはずの家庭が、夫の嘘の身近な被害者が妻という皮肉。嘘がつけず愛想笑いをする姿が痛ましい。薄暗い照明の中で、飼っているハムスターに話しかけ毛を毟る。そこに夫の性質に追い込まれた女、複雑な人間の感情と本質を鋭く抉り出している。
登場する人物は、六郎と史郎に限らず 真偽といった性格というか性質に括れるような描き方だ。史郎とビジネス提携をする宇田川兄弟、兄の雄二は信じて疑わない、一方 弟の伸二は疑り深い、ワインバーの夫婦、夫の茂夫は裏表がなく、妻の深夜子は過去に犯罪歴がありそう。人の両面を何気なく人物像に担わせ、サブリミナル効果のように「嘘の力と信じ抜く力」を物語に落とし込んでいるようだ。ラストが秀逸…イソップ寓話「嘘をつく子供」のように、パーティ参加者が次々に帰ってしまい 最後は誰からも相手にされなくなる。まさしくオオカミ少年だ。
舞台美術は勿論、音響や照明といった舞台技術も効果的な役割を果たす。しかし 何といっても役者陣の熱演がこの舞台を支えている。初演からキャストを一新したとあるが、この公演でのキャストは夫々のキャラクターを表し、実際 居そうな人物像を立ち上げている。言葉としての台詞だけではなく、言葉に出来ない〈思い〉のようなものが表現として伝わる。
次回公演も楽しみにしております。
短編劇集「新江古田のワケマエ」
劇団二畳
FOYER ekoda(ホワイエ江古田)(東京都)
2022/10/29 (土) ~ 2022/11/03 (木)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
【A】「そう言われると今年一番はあの日かな」【B】「咲良を待ちながら」観劇
江古田にある古民家を改造した会場。劇団名からも明らかなように、二畳分のスペースと最小限の音響・照明効果だけで公演を行う。公演は、約30分の2短編の上演だが、実に味わい深い内容であった。
もしかしたら遭遇する、若しくは経験するかもしれない、そんな奇妙な感覚にさせられる作品。現実から少し離れた設定だが、皆無とは言えない微妙なリアルさが面白い。同時に、会場が面している千川通りの車騒が、絶えず日常を意識させるから、何とも不思議な気分になる。
勿論、素舞台で役者の演技力だけで観せることになるが、両作品の出演者とも見事な表現力であった。共通して言えるのは、「間の取り方」 その空白(無言)のような時間の使い方が上手い。何となく隙間は埋めたくなるが、敢えて話(筋)をピーンと張らないで、逆に弛めることで物語に込めたテーマらしきものを表現する。当日パンフにあった「日常とは違う時間の流れを感じて」は十分に伝わった。
(上演時間1時間10分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
【A】「そう言われると今年一番はあの日かな」
場所は埼玉県飯能市、劇中でも言っていたがムーミンのテーマパーク「メッツァ」があるところ。サバイバルゲーム施設にゲームをするために来ていた砧三二六(中込博樹サン)は、尿意をもよおし、サバイバルゲームのフィールドを外れ山道へ。そこで自殺?首に縄を巻き付け、片方の靴が脱げている籾田桜那(丸山小百合サン)に出会う。少し酒に酔っているようで呂律が怪しい。2人が話していると、1日2杯のデリバリーコーヒー、行商人風の滝沢つばさ(たきざわちえ象サン)がやって来る。桜那はブラック企業に勤めているようで、労働条件は劣悪、辞めたいと呟く。しかし辛抱・我慢が足りないと思われるのが癪に障る。周りの評価も気になるが、つばさ は簡単に辞めちゃいなという。命があるから後悔出来る。要は命あっての物種だ。話の内容は重いが、雰囲気は柔らかい。コーヒー1杯2,000円、屋外にも関わらず本格的に豆を挽く。コポッコポッという音が聞こえるだけで、沈黙の時間が流れる。張り詰めた気持ちを和らげる、そんな優しい情景になってくる。
中込さんは会場外から現れ、尿意をもよおしているわりには落ち着いている。二階から縄、それを手繰り寄せると 丸山さんがよろよろと階段から下りてくる。その首に縄が巻き付いている。片手にアルコールの3~4Lペットを持ち千鳥足である。2人の演技は珍妙であるが、観入るほど巧い。ほどなく会場外から たきざわ さんが荷物を背負い入ってくるが、その飄々とした演技が仄々とした雰囲気を漂わす。三者三様の演技は柔らかいが、観る者の心をつかんで離さない研ぎ澄まされた感性 表現力に感心する。
【B】「咲良を待ちながら」
タイトルから「ゴドーを待ちながら」を連想するが、けっして不条理劇ではない。
場所は江古田にある田中家、高校の卒業式の夕方。母 田中和子(五十嵐ミナ サン)、兄 武尊(吉岡圭介サン)が卒業祝いに寿司の出前の話をしているところへ牧田竜也(長谷川浩輝サン)がやって来る。高島平に住んでいる竜也は、三年間片想いの相手・咲良へその想いを伝えたい。しかし、咲良は友人とカラオケに行っており帰宅していない。仕方なく、その家族と共に帰りを待つことになる。そこへ父 正博(小泉匠久サン)も帰宅し事情を聞く。思わず缶ビール2本をたて続けに飲み、気を落ち着かせようとする。暫し無言、その何とも言えない気まずさ 微妙な空気が流れる。結局 咲良は帰ってこず、竜也の帰り際、父は一瞬彼の袖口を掴む。そこには在りし日の自分の姿を見たのかも知れない。父・母も高校の同級生で、母の(義)父からは帰れ!と言われた経験があるよう。そんな懐かしい気持ちになったかのよう。
五十嵐さんは、娘への想いを告げに来たことを素早く察知する、自然体の母親を見事に体現する。小泉さんは、逆にどう対応すればよいのか戸惑う姿が 父親らしい。思わずアルコールに手を出すところは、その心境を上手く表現している。吉岡さんは妹のどんなところが好きなのか興味津々といった兄らしい感情を表す。ある意味 主人公の長谷川さんは、おどおどした落ち着きのなさ、そして ぎこちなくも真摯に接しようとする。それぞれの表情や仕草から溢れ出す感情表現、その場の少し軋んだ音が聞こえそうなほど上手い。
次回公演も楽しみにしております。
インディヴィジュアル・ライセンス
24/7lavo
新宿シアター・ミラクル(東京都)
2022/10/27 (木) ~ 2022/10/31 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
中年女性が、運転免許を取得する過程を通して、自分のこれからの生き方を模索し、家族とは何かを考えた快作。夫とは職場結婚、子供が出来たことで結婚 退職し、そのまま家庭に入った。子供が成人し手が掛からなくなったこと、自分で車を運転して どこかへ行ってみたい。夫が運転する車(人生)に乗っているだけではなく、自分が運転することで 主体的に生きるという比喩が込められている。当日パンフには「インディヴィジュアル」=「個々の、単一の、別個の」という意味がある、と記してある。家族の話であるが、同時に1人の女性の物語でもある。
家族1人ひとりが物語から抜け出し、俯瞰するような立場で話の流れや状況の変化を説明する演出は上手い。家族であれば言わなくても分かり合える、という訳ではなく、それぞれがしっかり向き合うことが大切。そんな当たり前のことを解らせる説明シーンである。流れということでは、登場人物が衣装替えを適宜行うことによって、時と状況の変化を表す。
「失敗する”権利”を奪わないで!」は劇中の台詞、失敗することで味わう痛み・苦味が無ければ、人間は成長しない。それが運転免許取得=自分で人生行路の家事ならぬ舵を握るに繋がり、深みある内容に仕上がっている。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、登場人物の所在を表す場所をコンパクトに作り出している。客席はL字型、その対角線上に黒座椅子4つ、その前に黒のソファを置き車を連想させる。その右側に主人公宅の木製ダイニング、左側にファミレスを思わせるテーブルと椅子がある。シンプルな造形だが全ての場景を表している。
妻であり母であるが、1人の女性でもある。大沢みのり(新井友香サン)は、子供たちも独立するような年齢になり、家族旅行の時に見た富士山の景色に何かを感じ、自分で運転免許を取得しようと決意する。夫・宏作(有馬自由サン)は、心配という思いやりのような気持の裏で 家庭内へ縛り付ける、そんな男の勝手さを描く。子供たち…兄・達也(平井泰成サン)は、ブラック企業勤務なのか 自宅ではイライラし不満をぶちまける。妹・絵里香(環幸乃サン)はゲームという仮想世界にハマっている。夫々の思いを抱き、一つ屋根の下で暮らしているが、まとまっているとは言い難い。
どの家族にも家庭の味というものがあるのだろう。大沢家では皆で作る餃子が物語の隠し味になっている。そして、いつの間にか 夫婦はお互いの名前ではなく、「母さん(ママ)」「父さん(パパ)」と呼び合い、その役割のまま過ごしている。1人の人間としての人生、それをいつの間にか置き去りにしてしまった。象徴的な台詞として「母親養成ギブスで自分自身を縛っていた」と言う。
一方、教習所教官・島原結衣(森谷ふみサン)は、夫と離婚し自立している。元夫・柴田勝(金田一央紀サン)は、漫画家で己惚れ 自意識過剰の性格のようだ。別れて7年、まだ結衣に未練があるようだ。コロナ禍という今状況も物語の中に落とし込み、リアル感を表す。
大沢家の みのりと 宏作は久し振りに名前で呼び合い、少し照れ臭いが新鮮な気持も甦る。結衣と勝、この元夫婦も現状を見直し、夫々が自立し始めようと…。
物語は順々に展開するが、登場人物が適宜 衣装替えをし 時と状況の変化を表す巧さ。
さて、教習所教官と教習生、2人の女性が意気投合して向かう先はどこなのか。当面は北海道 斜里町の絶景ルート「天に続く道」を目指すが、それから先は自分の時間と生き方を更に模索するような清々しさ。
次回公演も楽しみにしております。
立飲み横丁物語
劇団芝居屋
ザ・ポケット(東京都)
2022/10/26 (水) ~ 2022/10/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
昭和の日本映画(界)を牽引した仁侠映画、その象徴的な言葉が「義理」と「人情」。そのヤクザの世界と縁を切った 正統派の的屋組合とその周りの人々のコロナ禍における悲哀と奮闘を描い物語。芝居屋は現代の「世話物」の創造を目指し「覗かれる人生芝居」というコンセプトの下に役者中心の表現を模索している。その覗かれる立場から、逆に庶民が見(置かれ)ている今の状況…コロナ禍、物価高そして戦争という台詞がポロッともれる。
演劇という「見世物」だけではなく、そこには社会を冷静に見詰め、庶民が置かれている状況を過不足なく描く。芝居屋の公演は 表層的な解り易さだけではなく、ヤクザの世界とは違う地域や職域に密着した「義理」と「人情」という諦観と情感、それを役者の演技力で力強く そして魅力的に表現する。そこに芝居屋・演劇の真骨頂を観る。
(上演時間2時間20分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
冒頭、立飲み屋のカウンター内で的屋の口上ー七味唐辛子のレシピを小気味よく喋る花村凛子(増田恵美サン)の観(魅)せる掴み。長台詞だが立て板に水のようで聞き惚れてしまう。そこに本当の的屋姿を見ることができる。
舞台美術は、冒頭は立飲み屋のボトル棚やカウンター、そしてビールケースが置かれているが、開店と同時にビーブケースを3段に積み重ね立飲みらしいテーブルを作り出す。
経営(高利貸しが絡んだ経営危機)や地域活性化といった庶民の暮らしが描き出される。まさしく芝居屋のスローガンそのもの。
全体を通して分かり易く、現実にもありそうな物語。それに現在の地方都市が抱える地域事情を絡め、しかも人情と義侠ある人々で豊かに紡ぐ。その社会性と人間味を丁寧に描く公演は観応えがあった。
次回公演も楽しみにしております。
Amazing Musical Concert
ZETUBI
よみうり大手町ホール(東京都)
2022/10/26 (水) ~ 2022/10/26 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
「新しいコンセプトでお届けするミュージカルコンサート。魅惑的なキャスト11名がバラエティ溢れるミュージカルナンバーを存分にお贈りする」という謳い文句。何が新しいコンセプトなのかと思ったら、ミュージカル曲を選びメドレーで歌っていくもの。説明にある通り「アナと雪の女王」でハンス王子役を務めた津田英佑サン、元劇団四季で数々のヒロインを務めた沼尾みゆきサン らのミュージカル コンサートというもの。11人の歌手は、それぞれの歌声で聴かせ、同時にダンスやコミカルな演技で観(魅)せてもくれた。例えば、沼尾サンは声学科卒であるが、ソプラノとポップスを見事に歌い分けていた。
構成・演出は、自分でも歌うtekkan サンである。曲名は歌う前か歌った後に紹介するので、知っている曲ならばすぐ分かるが、聞いたことがなければ後から調べなければならない。せめてミュージカル名・曲名の一覧を配布してくれると嬉しかった。歌はスタンドマイク、ワイヤレスマイク等、振付けの有無によって使い分ける。演奏は、後方 上手からヴァイオリン:松本由梨サン、パーカッション:森拓也サン、ピアノ:小澤時史サンが並んでいる。三者三様で楽しく演奏しており、歌い手のパフォーマンスと演奏者のパフォーマンスの競演を見ているような。
歌い手は、曲目の都度 衣装替えをしており、演奏者も適宜 音響に変わることによって舞台から姿を消す。
歌だけではなく、合間にトークを挿み面白可笑しさで和ませる。その場で思い付いたような会話のようだが、実は用意周到に話題を提供している。例えば、津田英佑さんが煌びやかな衣装を着ている話題…ビーズを使って自分で舞台衣装を縫っていると話す。このビーズ、当日配付された袋の中にフライヤーと一緒にビーズが入った小袋、そこには「ビーズの宝石箱」と書かれている。どこかと協賛だったのだろうか。
カーテンコールで、エンターテインメントは、演者と観客がいて成り立つ。コロナ禍では有観客での上演は難しくなり、その意味では本当に嬉しいと…。観客からしてみれば、こんな素晴らしい一日(夜)を過ごすことが出来て満足だ。
(上演時間2時間 途中休憩含む)
ネタバレBOX
ソロで朗々と歌う、男性・女性・混成の重唱など、様々な聴せ方をする。それに伴って衣装を着替える。例えば、初めの曲はアンサンブルを担う女性は白い衣装に黒ベルト、男性は礼装、ソロ担当はそれぞれ個性ある衣装を着ている。勿論、その色合いに合わせた照明効果も上手い。
先に記したトーク以外に、声のケアはどうしているのか。こちらはミュージカル俳優にとって真面目で切実な質問。あまり神経質にならない、睡眠をよくする、そして質問者自らは白湯を飲む と話す。ボーイズトークがいつの間にかオヤジトークになったと自虐的な釈明で笑いを誘う。
素晴らしい一日と記したが、自分の視界に記録機材(カメラ)と担当者が入る。それだけであれば あまり気にしないのだが、途中でトラブルがあり、担当者が慌ただしく調整し出した。その動きが どうしても気になった。
次回公演も楽しみにしております。
テノヒラサイズの人生大車輪2022
BALBOLABO
シアターKASSAI【閉館】(東京都)
2022/10/20 (木) ~ 2022/10/23 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。
当日パンフに作・演出のオカモト國ヒコ 氏が「情報解禁が2週間前という訳のわからない公演、『そして誰が来るんだよ、2週間前の告知で』」とあるが、それでも最終日の残席は僅かという状況だ。やはり面白い演劇は待ち望まれていることの証だろう。
「世界一優しい監禁サスペンス!椅子だけですべてを表現する、奇跡のパフォーマンスコメディ!」という謳い文句、誇張なく上演時間がアッという間に過ぎる。さてコメディとあったが、劇中の台詞ではないが、右か左か行く判断を誤ると喜劇が悲劇になるような怖さを孕んでいる内容だ。公演という車輪が順調に回るか脱線するか、それはキャスト・スタッフの熱量次第ではなかろうか。僅か2週間前の情報解禁で この評判の良さ、見事であろう。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術はパイプ椅子が7脚、横に並んでいるだけ。そこに赤いツナギ服の男女7人が縛り付けられている。
此処はどこだ、どうして監禁されたのか、お互いに面識がない、どうしたら脱出できるのか、といった謎が広がり そして深まる。ミステリアスな展開の脱出劇は、車輪のように重なり合うというもの。謎解きは、一人ひとりの生き方に関わっており、それぞれの人生を回想していくと…。結末は ぜひ劇場で観てほしい。
物語の展開は、ジグソーパズルのピース(人)をはめていくような感じである。個々のピースの形は確かであるが、それを全体でみると うまく収まらない。人々のキャラクター、過去状況は鮮明になっていくが、それを組み合わせても釈然としない。その空白のような感覚を”余白”か”隙間”で捉えれば、”余裕”と”理屈”に分かれるかもしれない。ストーリーを重視すれば、キッチリ隙間は理屈で埋めたくなる。しかし、敢えてのパフォーマンス重視の観せ方にしている。その演出...外見上は全員ツナギ、パイプ椅子という同じものだが、人の内面を見れば、様々な人生模様が見えてくる。
この芝居の面白いところは、それでも結末の方向によっては喜劇が悲劇に変る可能性があること。自分の知らないところで、人の役に立っていることもあれば、恨み妬みといった悪感情を抱かれている可能性もある。そこに懐が広く深いものを感じる。案外、喜劇が奇劇で、悲劇が飛劇かもしれない。公演(情報解禁が遅くても)を通して、小演劇の世界は口コミですよ、改めて演劇愛ある人の繋がりの大切さを知る。
もう一つ、パイプ椅子を自由自在に組み合わせ色々な情景・状況等を作り出し、素舞台に豊かな世界観を演出する。役者は、その椅子を手際よく動かし、背凭れにある空間を潜り抜けといった身体表現で観(魅)せる。ほぼ全員が出ずっぱりで、名無しの役を演じ切る。その熱演こそがこの舞台を支えていると言えよう。勿論、照明効果で臨場感を表す。
さて、”パフォーマンス”という身体性で観(魅)せるだけではなく、そこに社会性などとあまり堅いことは言わないが...。それでも現実と空想のような出来事を綯い交ぜにし、演劇的な興奮を加速させた快作。
次回公演も楽しみにしております。
SessionYoshiya・語り
かわせみ座
プーク人形劇場(東京都)
2022/10/18 (火) ~ 2022/10/22 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
㊗創立40周年公演。
「かわせみ座」公演は、たぶん初めての観劇だが、人形と人間が織りなす壮大・深淵な物語に上演時間を忘れるほどだ。が 少し気になったことが…。何か違和感のようなものが残ったが、帰り際にスタッフに確認して納得した。
アンコール…薄暗い中で 白い羽が舞台空間を自由自在に飛び回る、その優美で幻想的な光景にウットリする。そして谷川賢作さんが これでお仕舞いと告げる。舞台には演じてくれた人形が並んでいるが、そのうちの一体が登場していない。何故という疑問、それが少し気になったので、思い切ってスタッフに聞いてみた。毎回内容が異なり、操演する人形も違うという。登場しなかった人形は「森の妖精」というらしい。あぁ、人形にも名前というか役割を表す名があったことを改めて思い出した。人間同様、一体一体に個性や役割があるのだ。谷川さんが内容・粗筋のようなものは用意していないと説明していたが、せめて今回観(登場し)た人形の名を知ることが出来れば、想像力に羽ばたきが出来たかも知れない。そう、当日パンフにあった「何もない舞台が、果てしない空に海原に、そして森になる。あなたの想像力の翼で、軽やかに宙を舞い、身をゆだねたゆたう」ように…。
(上演時間1時間30分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
上手に姿・形の違う人形が(吊り)並んでおり、下手は演奏スペース。観た回 パンフレットでは、谷川賢作氏(ピアノ・作曲)、高瀬”makoring"麻里子さん(うた、朗読)、大坪寛彦氏(ベース)となっていたが、もっと多くの役割を担っていた。というかご本人も楽しんでいるように見えた。その様子が観客にも伝わり、公演全体が優しく温かい雰囲気を漂(ただ酔)わせていたような。
名前は分からないが、童女・一角鬼・木馬・少女・(狐顔の)龍のような・熊(ぬいぐるみ)・老女・河童・アバター女(ネイティ)・箱の少年・天使(全て自分のイメージか人形の姿から勝手に命名)が、山本由也さんに操られ次々と登場する。「操られ」と言うと語弊があるかもしれない。薄暗い中、人形に光が照らされ、命(魂)が吹き込まれたかのように動き出す。勿論、本体だけではなく手指や足先の細かな動き、目が開き表情が作られる。例えば童女であれば、可愛らしい仕草や飛び跳ねるような動きをする。それは他の人形にも同じことが言える。そして光が消えると眠りに入るかのように元の場所へ戻っていく。
当日の演奏者は、単に楽器の演奏や歌を歌うだけではない。人形との掛け合いをすることによって、物語の世界を広げ深堀するような役割を果たす。歌であり語りでもある。演奏は谷川さんのシンセサイザー、大坪さんのベース、そして高瀬さんは歌と小物アンサンブル(楽器)で色々な効果音を奏でる。勿論 3人のハーモーニーは見事で、人形の操演と演奏のコラボレーションを楽しんだ。谷川さんが悪ふざけをしたと言っていた 河童の操演、酔った動きに合わせた某日本酒メーカーのCMソング、良し悪しはあっても人生に酒はつきものか?そう考えれば、(順序不同であるが)登場する人形を人間の人生に準えた物語であったのだろうか。
箱から出てきた小人サイズの少年、舞台だけではなく(最前列=指定席の)観客の頭を撫でたり、寛いだりするといった客弄り(サービス)に笑いを誘う。何となく正月や祭で獅子舞に頭を噛まれたり、頭を撫でると知恵が付く縁起物を連想した。その表現は人形操演という見事な演技(技術)だけではなく、いかに観客が楽しみ喜んでもらえるのか、を考えたもの。
次回公演も楽しみにしております。
高島嘉右衛門列伝4
THE REDFACE
横浜関内ホール(神奈川県)
2022/10/20 (木) ~ 2022/10/20 (木)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
令和4年度(第77回)文化庁芸術祭参加公演、観(聴き)応え十分で堪能した。SOLDOUTの人気公演というのも肯ける。
前回公演の乾惕編も観ているが、今回の総集編・上では、幕末という激動の時代の中で、稀有な商才や易占を発揮した高島嘉右衛門という人物の半生が鮮やかに描かれる。物語は、長州藩・松下村塾の吉田松陰と その門下生との親交、そして明治新政府の近代化の一翼を担う活躍をした易聖の嘉右衛門のトピックを交錯させて展開する。時代という中に、人物伝が生き生きと綴られる。
勿論、役者陣の朗読は素晴らしいが、音響や照明といった舞台技術もその効果を発揮し映える舞台にしている。
(上演時間2時間 途中休憩10分含む)
ネタバレBOX
舞台美術は、中央に少し高くした平台、その上に大きな枯れ枝と中央部分のみ赤い花オブジェが置かれ圧倒的な存在感を放っている。その両脇に椅子、そして上手 下手にも椅子がある。役者は舞台を行き来したり、花がある所の椅子に座り、場所という空間の違いや情景・状況といった光景を観せる。また舞台幕の開閉で、上手 下手の椅子に座り状況の説明や心情吐露で、物語と一線を画す観せ方もする。シンプルな舞台セットだが、もともと朗読劇であり 多くの身体表現をしないから理に適っている。そして想像力を喚起させるには抽象的な造作の方がよいのかも。
前半は、尊王攘夷を声高に叫んだ吉田松陰とその門下生を中心とした幕末動乱、その中で嘉右衛門が果たした役割が紹介される。列伝となっているが、あくまで志士たちと知り合いであり、表舞台での活躍とは言えない。幕末では事業の成功、失敗の繰り返しという破天荒さが描かれている。休憩後の後半、明治維新後の新政府との関わりに高島の人間性が表れてくる。商才に長けていたこと、巨万の富を得るが、欲得だけではない懐の深さを描く。それが東京・新橋と横浜を結ぶ鉄道敷設に関わり、海面埋め立て工事を請け負ったこと。また旧南部藩の借金減免を新政府に嘆願助力したことを熱く語る。
さて、同じ「高島嘉右衛門」でも前回の乾惕編に比べると、今回は「時代の流れ」の中で人物を描いている。人間としての魅力は、その時代(背景)の中で、どう生きたかといった生き様、そこに魅力を見出すのではないか。その意味で、潜龍編・見龍編(2編は未見)・乾惕編ーー何回かに分けて高島個人のトピックや、同時代の人物との交流を時代に沿って順々に描いてきたようだが、「(明治)時代の黎明というか息吹」が細切れになり、時代のうねりというダイナミックさが十分伝わらなかったのではないか。前回公演の「観てきた」で、「『高島嘉右衛門列伝(全編)又は(前編/後編)』を上手く纏めることが出来れば、更に時代の流れの中に高島の偉業が(次々)表れ魅力ある人物像が立ち上がると思う」とコメントした。激動の時代を駆け抜けた嘉右衛門の生き様が、生き生きと描かれており、その魅力ある人物像が目の前に立ち上がってくるようだ。
勿論、役者の演技は1人ひとり登場人物の特徴(容姿も含め)らしきものを捉え、物語の中で生き活きと描き出している。衣装…男優陣は黒っぽい上下服に同色シャツ、女優陣は着物姿といった外見上はほぼ同じで、あくまで朗読・演技の中で個々の力を発揮している。1人複数役を担っているが、例えば嘉右衛門の妻・庫(鈴木杏樹サン)は亡くなると、舞台を下り客席通路を通り姿を消す。「亡くなる=舞台を下りる」を重ねるが、そこには観客へのサービス(通路を通るから 間近に観られる)のようなものを感じた。そして別の役として舞台に上がる。朗読劇であるが、男優は汗が流れるほどの熱演、女優は妖艶さを漂わせた、見事なバランスで観(魅)せていた。
次回(総集編・下?)公演も楽しみにしております。
「Post Tenebras Lux. (ポスト・テネブラース・ルークス)」
Antikame?
雑遊(東京都)
2022/10/18 (火) ~ 2022/10/25 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。【あいまいなしっそう】
奇妙な設定から垣間見える日常の不安や曖昧さ、その不確かさによって情緒の揺らぎを描いた秀作。見ず知らずの人と ひょんなことから話し出すが、そのきっかけが奇抜である。変哲のない日常の景色が少し違って見える、いや変えたい思いがある。しかし それは錯覚のような事実のような。
ラスト、不安と勇気は背中合わせ。躊躇する思いを奮い立たせ一歩前に進む、その瞳に映る光景はどんなものか。そんなことを問い掛け、想像させる余韻が…。
女優3人による確かな演技が、”表し難い情況”をしっかり形として観せ 感じさせる。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、古い歩道橋の手摺、真ん中にドアが倒れている。舞台下、客席との間に椅子2つと大きなクッションが上手に置かれている。上が外の風景、舞台下が室内を表す。どちらも普段の暮らしで見かける。ただ違うのは、落ちていたドアがあるということ。
毎朝、見かけていたが名前さえ知らない女性2人、向中野蕗子(花島希美サン)と小笠原可奈(永濱佑子サン)が、歩道橋の真ん中に倒れているドアに興味を示す。2人が協力してドアを立ち上げ、蕗子が支え 可奈がドアを開けてみる。同じ空間であるにも関わらず、違った風景が見えたような気がした。このドアが数日間放置されており、2人は気になってしょうがない。可奈の友人・江尻亜美(わたなべ あきこサン)はその話に興味を示しつつも、自分の目下の関心ごと、それは可奈の元カレ<あんどう君>と付き合いたいこと。2人の会話が登場しない あんどう君の人物像を立ち上げ、存在感を増していく。それがドアに繋がっていくという、少し強引な展開だが、序盤のドアを開けたままの光景に結び付ける。
一方 蕗子は理想のような夫と暮らしているが、苛立ちを覚えてしまう。何でも笑って許してくれる夫、その完璧さが鼻につく。隙のない夫と本音で向き合えない悲しさ寂しさ。可奈は出会った時に蕗子が呟いた「しっそう」(状況的には<失踪>)したい という言葉に驚く。そんな蕗子に淡い恋心が芽生えた可奈自身の戸惑い。ドアを開けなかった蕗子は、家庭(夫)という目に見えない鎖に繋(縛ら)れた景色を見ていた。舞台の上に立たせたドアの上手下手は同じ空間だが、開ければ違う景色が見え、閉めれば二つの違う空間に分かれる。
<あんどう君>を通して、可奈と亜美の夫々の思いを遂げる。可奈は、曖昧な態度を改め明確に別れを伝え、亜美は成就させようと必死の工作をする。蕗子は夫と別れる決心をして…。ドア(の開閉)を通して、普段の暮らしにちょっぴり変化をつけて違う光景をみる。曖昧な関係の先にある透明になるまで…こちらは「疾走」する言葉に変換するようだ。
公演の面白いところは、物語の端々に詩的な言葉(台詞)があり情緒を感じるところ。さらに亜美がピアニカの演奏、落語、そして表現しにくい "ぼよよ~ん"という脱力系の仕草で曖昧さ 揺らぎを表現する。敢えて観せるシーンを挿入し、演劇的な面白可笑しさを強調させたかのようだ。勿論、照明の諧調によって時間や状況の変化を印象付ける。
あまり利用されなくなった歩道橋(近くに横断歩道がある)とはいえ、数日間放置されているのは現実的ではない、などとは言わない。出来れば、その数日間の時間的な経過を表すため、せめて上着だけでも衣装替えをしては と思った。
次回公演も楽しみにしております。
『地獄変』
芸術家集団 式
シアター・バビロンの流れのほとりにて(東京都)
2022/10/15 (土) ~ 2022/10/17 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
シンプルな舞台美術、というか ほぼ素舞台に近い。暗幕に囲まれ中央に大きな台座、その天板部分が鮮やかな赤色。情景に応じ、役者はその上に座り、立ち上がり、飛び降りるといった演技を観せる。劇団山の手事情社の公演を観たと言えるほど多くは観ていないが、それでも特徴的な身体表現は、らしいと思ってしまう。
原作、芥川龍之介の小説「地獄変」は、ずいぶん前に読んだ記憶があるが、ほとんど覚えていない。公演を観ても、そうだった という記憶のかすりもなかったが、逆にそれだけ新鮮に観ることが出来た。演劇家集団 式では、原作の核を観せつつ、現代に引き寄せた内容にしたように思う。地獄にも色々あり、一般的に連想する厳しい責め苦とは別の光景を描き出す。その新機軸を打ち出そうとする姿勢に好感を持った。
(上演時間1時間15分)
ネタバレBOX
公演のコンセプトは、「『語り』『会話』『ムーブメント』『抽象シーン』などに分解し、シーンを構成」するというもの。冒頭は、語り部が、観客に向かって あの(地獄絵)屏風が見えますか、という問い掛けから始まる。勿論 何もないから観えるはずがないが、そこは想像力をはたらかせてと言う。冒頭、主人公の娘・露草が子守唄「ねんねこさっしゃれ」を歌うが、何とも物悲しい。
会話は物語の中で紡がれ、粗筋を順々と展開していく。ーー大殿様は伝説的な画師・良秀に「地獄変」の屏風絵を描くよう命じる。良秀は創作に取り掛かるが、屏風絵の肝心所が容易に描くことができない。良秀は大殿様に、檳榔毛の車に上臈を乗せて焼いて欲しいと頼むが…。地獄の描写を描くために自分の娘を犠牲にする。この芸術のためにはどんな犠牲もいとわない姿勢、それが よく芥川自身の生き様と重なると言われている。
黒衣装の男女7人、紡いで見せる世界は、至高芸術を目指す画師を描いた時代絵巻。業火を連想させる赤い色、同時に血をも連想させる。全体が薄暗がり、その中で赤色は印象的であり象徴的でもある。ラストは赤い薄布を左右に渡し、その奥に多くの人々が業火に見舞われ阿鼻叫喚するような人影を映し出す。摺り足のような動き、台座から飛び降り転がる。一見 様式美を思わせるようなムーヴメントが妖しげに観える。
この世は、通勤地獄・受験地獄等、多くの生き地獄がある。例えば、役者が密集し揺れ動き、一言「新宿」と叫ぶ。また女性を両脇から抱え上げ、くすぐるという笑い地獄…そこに人生の喜怒哀楽に伴走する地獄の表現が透けて見える。地獄は、何も描かれている芸術家(画師)や特別な仕事をしている人だけが感じるものではない。少し例えの次元が違うと思うが、今コロナ禍を考えてしまう。感染防止対策の一環として飲食店の営業(時間)自粛や旅行制限等は、感染(防止)と経済(生活)の天秤に揺れた。それでも営業や暮らしに創意工夫を凝らして地獄を乗り越えようとしている。現世でも来世でも地獄は憑いて回るのかも…。
本公演、芸術家集団 式の旗揚げ公演である。当日パンフのご挨拶に「未だ見ぬ表現に出会うために表現芸術の世界でその一端を担いつつ・・・芸術の世界を盛り上げていきたい」と記している。今を生きている証しの創意工夫、独創性の追求という 先のコンセプトをしっかり観(魅)せてくれた。それは役者陣の熱演があってのこと。
次回公演も楽しみにしております。
【終演:ありがとうございました】JPN
Not in service
ウエストエンドスタジオ(東京都)
2022/10/15 (土) ~ 2022/10/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
自分の感性が乏しくなったのか。物語の世界は、何となくダークサイドということは分かるが、何を描きたかったのか。説明は分かり易いのだか、その舞台はシーンを細分化し過ぎてしまい、物語の大きな流れが掴めなかった。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術、正面奥は柵に蔦のような葉が巻き付き、上部は金網で囲まれている。下手壁の何か所かは、色違いの場所がある。これが後々不気味な光景を表す。上演前は「王子の狐」の落語噺が流れている。
説明の粗筋によれば、舞台は東京の北区に存在する広大な公営団地群。そこで梨屋日子は働いており、三人の元彼がいる。彼らは彼女に従いつつ、お互いに牽制したり協力しあっているよう。清掃・警備を行う人間たちは動画配信で、この公営団地を「自殺が頻発する団地」として紹介していた。ある日の深夜、梨屋は「フライ病」の少女を引き取ることになる。日本では、原因不明の「子供の身体が急激に青年化する」病気、「フライ病」が多数見受けられている。
動画配信は、恐怖の都市伝説駅伝様…悪意の拡散・連鎖を思わせる。物語を展開する際、下手の壁にプロットと思われる内容の映像を映す。 これが自殺場所を表したものか?フライ病は、蔦のような葉で作った毒物=大麻等の危険ドラッグか?フライ病の少女は、いつも別の少女と一緒いるが、それが幻覚であれば納得できる。夜の徘徊、学習しているのか否かといった挙動不審な描き方である。そして逆さにした国旗掲揚などは、何を意味しているのであろうか?曖昧な情景…フライ病という病名と不安定・状況不明といったことから毒物、虐めが原因の自殺行為を連想する。同時に何時から現れたのか、そして捜査機関なのか犯罪組織なのか判然としない人々が登場している。
混沌とした世界観、そこで何を表現したかったのか。上演前の落語が脳裏をかすめる。狐と人間の化かしあい。当日パンフに「昔見た奇妙な夢、さまざまな枝葉をつけ、戯曲賞提出をゴール板に見たてて」とあったが、そんな人の曖昧さの世界を覗いたよう。
次回公演、期待しております。
ビブリオライブ4
本気の本読み!ビブリオライブ
NOS Bar&Dining 恵比寿(東京都)
2022/10/15 (土) ~ 2022/10/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
「普段はお客様に見せない本読みをお見せするチャレンジ企画。即興演劇もあり、まさに俳優を味わう一日!俳優の役に入る瞬間、鼓動とパッションを劇場では味わえない近さで感じてください」という謳い文句に誇張はない。
観た回は、本読み3作と即興劇1本であった。本読みは、全ての脚本が素晴らしく、役者は会話(サスペンス)劇、コメディ、心象劇といった雰囲気の異なる物語を見事に朗読していた。即興劇(エチュード)は、開演前に観客から「言葉=台詞」を書いてもらい、それを劇中で使用(喋る)する。台詞や動作などを役者が考えるのではなく、事前に最初と最後の台詞が設定されており、3分間の物語を創作する。その劇中で観客(自分)の言葉が使われる楽しみもある。
エチュードという言葉、演劇初心者には難しいが、藤田朋子さんが実に面白く しかも的確に説明していた。子供の頃の おままごと…ごっこ遊びのようなもの。子供自ら役割(お父さん役・お母さん役)を決め、食事・料理場面などを設定する。それを大人になって演劇として行うのが即興劇である。主宰の植松愛さんもこの説明に感心しており、これからは同じように説明したいと…。
(上演時間1時間30分)
ネタバレBOX
前に観(聴い)た時と本読みする場所が違う。店入口の反対、最奥の壁際に椅子を並べ役者は横一列に座る。その手前にテーブルとカウンターチェアが置かれており、出番の時に移動していた。今回は、本読みする場所が客席中央という、きわめて至近距離で役者の本読みを聞き観ることが出来た。
脚本は次の3作品。
「カレーかハヤシか」(作・ふじもり夏香)
休日の昼下がり、高坂家のダイニングテーブルに2人の女性、1人はこの家の妻・高坂涼子(藤田朋子サン)、もう1人は夫の部下・中川真奈美(小槙まこサン)である。夫は休日出勤で留守、そこに真奈美を招いた。穏やかな日常会話、そして恋バナに話が弾むが、いつの間にか夫の不倫に悩み困っている。そして不倫相手は…。毒入りは、カレーかハヤシか? その究極の選択を迫るサスペンス劇は緊張・緊迫感があって聞き入った。話す前に藤田さんが上着を脱ぎ、本番モードへ。因みに朗読後、いったん上着を着たが、即興劇が始まる時も上着を脱いでいたのが印象的であった。
「火事」(作・江島裕一郎)
燃え盛るマンション、鳴り響く火災報知器という設定。火事現場にいる男女3人。住人女(植松愛サン)が救助を求めて叫んでいる。2階の部屋に夫が…助けてください。その声に反応して相田(関幸治サン)という正義感の強い男が火の中へ飛び込む。その後、女性が実は夫は単身赴任でいないこと、そして別居して3年になることを告白する。さらに引っ越して ここには住んでいないと。聞き役の住人男(レノ聡サン)は呆れかえる。相田を呼び戻す住人男と女、そして戻ってきた相田からの告白に衝撃の事実が…。
「ミートソース・グラヴィティ」(作・小栗剛)
テーブルに置かれた小さな一皿にまつわる、壮大な恋の話。本読みが始まる前に、この作品の状況を植松愛さんが少し説明する。輪廻転生、同じ時代・時間の人生を生まれ変わりながら何回も繰り返す恋物語。クリスマス、働いているレストランに佇む直志(関幸治サン)、夫がいる恋人あかり(小槙まこサン)との痴話喧嘩。思わず目の前にいる彼女とは違う女性の名前を呼んでしまう。チヨ(森谷勇太サン)とは…。その悲しいまでの邂逅の繰り返しに泣ける。実際、森谷さんの目に涙。
通常 読みの段階では座ったまま行うが、力が入ったため、思わず立ち上がったと言う。例えば、藤田朋子さん演じる妻は、怒気表現において声色を変える。今回は自分の思いで判断したが、しかし本当にそのシーンなのかは演出家や物語の流れの中で確認しながら演じると話す。そんな裏話と演技過程が聞ける貴重な公演、堪能した。
また脚本は、違う作風を選び 観客を飽きさせないといったサービス、その本読みを素晴らしい話力・話術で聞かせる。
会場が飲食店〈NOS Bar&Dining 恵比寿〉であることから、一般の劇場と違って午前中と昼食時(ランチ営業はない)での上演になる。都合がつけば次回公演も観てみたい!楽しみにしております。
『雨の世界』
ウテン結構
サブテレニアン(東京都)
2022/10/14 (金) ~ 2022/10/18 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
雨の世界…冒頭はサスペンス風に始まるが、いつの間にか女同士の少し痛い友情物語に変転する。俗信の雨女、その悲哀と雨天(嵐)ゆえに知り合った旅人の話を交差させ、「雨」をテーマにした物語を抒情的に紡ぐ。更に雨女になった謂われ、「日知」といった家系的な繋がりを描くことで、ネガティブ イメージを払拭し前向きな姿を観せる。
公演の魅力は、本当に幼い頃からの親しい友人ような演技、その息の合った自然な会話が実にいい。全編 効果音または音楽が流れシーンの雰囲気を漂わせる。また衣装の色彩は、赤・白・黒といった強調色で 薄暮のような室内空間に映える。
(上演時間1時間20分)
ネタバレBOX
舞台美術は、中央に大きなテーブル、壁際にいくつかの椅子が置かれている。上手奥にイーゼル、壁には5つの額縁とランプが均等に取り付けられている。天井にはシャンデリアが吊るされている。冒頭のみ大きな四角枠があり強風が吹きつけ、以降は この家のドアに転用される。ここは人里離れた館のようである。
嵐の夜、一人の女・しおりが助けを求めて館のドアを叩く。館の主は幸子といい、快くしおりを館の中へ入れる。冒頭、強風と雷鳴の音響、幸子の老婆風の佇まいや喋り方で怪しげな雰囲気が漂う。世間話をしているうちに、幸子が若いということが分かる。そして自分は「雨女」と言い出す。
場面は、学生時代に親しかった友人4人(男1人、女3人)との思い出話だが、必ずしも楽しい思い出だけではない。運動会やキャンプなどの楽しみにしていたイベントが中止になったのは、4人の中の誰かが「雨女」だからだという。さらに恋愛話によって仲違いが始まる。
一方 しおりは、何でこんな嵐の夜に慣れない運転をしていたのか。幸子がしおりの様子から、状況を推理し始める。父親からの虐待、逃避行動するために嵐の日を選んだ。ここに心理学的な場面「過去<幸子>と現在<しおり>」の物語を挿入する。幸子の回想としおり の現状が直接繋がる訳ではなく、それぞれの話を交差させ「雨」に纏わる物語を紡ぐ。
興味深かったのは、「雨女」は家系でもあるような説明。農村地域、そこで雨乞いを司る家があったという。子供の頃に見たTVマンガー小学校の遠足の時に雨が降り出したので、魔法で雨が降らないようにした。しかし 父はその行為を叱り、農家の人々にとって雨は大切なのだ と諭したーを思い出した。現象「雨」は、人によって、または時と場合によって捉え方(大切さ)が異なる。
演出で面白いのが、降水現象を映像を使用した科学的な説明をする 一方、フロイトの心理学を室内を回りながら、しおりと幸子の会話で説明していく。
音響は、暴風雨・雷鳴のサウンド・エフェクト、ピアノ、ギター、鉄琴(であろう)の楽器で奏でられる音楽が情景に応じて流れる。
役者は女優4人、そのうち3人が一人二役を演じる。特に学生時代は演じているというよりは、普段から親しき友人の会話が繰り広げられるようだ。その自然体の演技に感心させられた。
次回公演も楽しみにしております。
GOLD IN THE DUST
GROUP THEATRE
浅草九劇(東京都)
2022/10/12 (水) ~ 2022/10/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
未来を切り開き光を見つける迄の彷徨、その心の旅を描いた物語。その光とは何か、それがこの公演の肝になっている。表し難い心、その内にある感情をコントロールする研究ー「感情を抑制する脳内因子『ダスト』の特定と不活性化についての研究」という理論上の世界をどう表現するのか。研究理論が説明され 少し小難しく感じられるが、観ているうちに表層的な面白さに翻弄される。しかし研究成果(核心)の発表として語られるのは、「生きる」という希望の感情である。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台セットは、3つのシーンで場景が異なる。一番目は、説明にある木村(真人)の葬儀場面。鯨幕の手前、上手下手に3脚づづ椅子が置かれ、中央の黒い台の上に白棺。二番目が都内にある工科大学脳科学研究室内、テーブルや机等が置かれている。下手には地下実験室への下り階段がある。三番目は地下実験室で中央に椅子、上手に実験装置(PC)がある。下手に研究室への上り階段がある。場景の連続に拘りの工夫が見て取れる。それぞれの場面転換には時間を要するため、暗転時に舞台上部に白木の枯れ枝や四角い板状の影を回転させる照明、その妖しげな雰囲気に飲み込まれる。表現し難い照明効果にも心内の曖昧さを重ねる。
物語は、工科大脳科学研究室「通称:BSラボ」に勤務する斉藤智治(北見翔サン)は、一年前に交通事故で亡くなった同僚の木村真人(林佑太郎サン)と続けてきた研究を、志半ばで 鬱病が進行していることを理由に退職すると言う。室長の杉田良一(梶原涼晴サン)は、せめてこの研究をやり遂げるよう説得する。そして杉田は斉藤が退職する前に急遽 実証実験をすると宣言する。が 検体として使用予定であったラットがいなくなったことから、代わりに斉藤の人体実験ーー心の旅が始まる。
少し分からないのが、そもそも斎藤が鬱になった原因なり理由である。困難なこと、煩わしいことから逃避しようとする性格のようだが…。
物語では、同僚の死によって鬱が進行したよう。それが「詳らかになる感情の足跡と喪失の記憶」という研究の核心に触れるところ。そしてBSラボでの木村との親交、その死による喪失感といった描き方である。人体実験で記憶の感情(信頼・恐れ・驚き・悲しみ・嫌悪・怒り・期待)が色によって可視化できるに繋がる。この感情の読み取りによって鬱病の対処に役立つ。自分の情況と研究成果を重ね合わせる巧さ。
観せ方は、実験過程で死んだ木村と 度々現れる もう一人の自分(シャドウ人格〈衣装の色彩にも注目〉)と思われる安西鏡像(山本龍兵サン)が、心という感情を擬人化して台詞の応酬をする。それは自身の葛藤する姿そのものである。その先にある光輝くもの、それは人の想像力である。言い換えれば、人間の想像力は光を生み、豊かな感情を育み未来を輝かせる。「生」への力強いメッセージである。終盤に流れるピアノ演奏は、心洗われるような印象 見事な音響効果である。ラストは、刺激的でドラマチックな展開が用意されている。
次回公演も楽しみにしております。
朗読劇 無宿の寵愛
株式会社K'sLink
ザムザ阿佐谷(東京都)
2022/10/09 (日) ~ 2022/10/11 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、朗読劇だが 力作といった印象である。
また楽しみに出来る劇団と出会えて嬉しく思う。
幕末の動乱期、人斬り以蔵と恐れられた「岡田以蔵」の半生を力強く語る。それは単に台本を読むだけではなく、音楽・音響、照明といった舞台技術との相乗効果も見事に発揮。なにより役者陣の熱演が物語に緩急をつけ、巧みに その世界観に引き込む。朗読劇ゆえ、殺陣等の動きこそ観られないが、表情の豊かさ、土佐弁での喋り、そして全員和装(紅一点の万姫サンは日本髪)で、外見にも気を配る。勿論、舞台美術も意味ある配置で、武家社会を端的に表している。
以蔵は、足軽という身分(1人だけ裸足)ゆえ、学がなく泥臭く地べたを這いずり回るかのような描き方であるが、不思議とその世界観は格調高い。彼の心情を激白させるが、そこには疑うことを知らない純心さ。それ故の悲哀が浮かび上がる。
(上演時間1時間30分)
ネタバレBOX
舞台セットは、中央奥を少し高くした平台(山内容堂)、その下手側に中央より少し低い平台(武市半平太)がある。中央と上手に障子戸が立ち 和空間を表出する。下手に洋楽器があり、場面に応じて生演奏を行う。登場人物は概ね8人(箱馬の数)。一人で複数役を担う役者がおり、それによって幕末という動乱期に生きた人々(志士達)を活写する。役者陣の熱演が、この朗読劇の醍醐味そのものである。特に以蔵役の積田裕和さんの目力は、鬼気迫るものがある。
登場人物は、岡田以蔵、山内容堂、武市半平太、坂本龍馬、平井周二郎、井上佐一郎、土方歳三、そして紅一点で語りと岡田以蔵が惚れた なつ である。なつの語りで状況が丁寧に説明されるから、人物の朗読が始まっても困らない。朗読する時に立ち上がり、そこにスポットライト。全体的に薄暗い中で 特定人物への照射は、その角度によって他の人影と重なり暗殺といった光景を観せる。
物語は土佐藩士・吉田東洋が武市半平太の指示によって暗殺されるところから始まる。半平太は思惑もあって、足軽という身分低き岡田以蔵に目をかける(寵愛)。その恩義に報いようと、京都で人斬り以蔵と恐れられる存在になっていく。最初の暗殺は同じ土佐藩士の井上佐一郎(土佐からの下横目)、その絞殺場面が下手の壁に大きな人影となって覆い被さる。見事な照明効果の演出である。また音響は生演奏と音楽を流す方法で情景を印象付ける。場面によって洋楽器の演奏、和楽の音楽を流すといった使い分けが実に効果的であった。台詞(心情表現)によってはエコー効果も効かせる。
学(がく)がなく、ただ半平太に言われたことを実行する。坂本龍馬から時代の趨勢を聞かされるが、それでも半平太の言葉を盲目的に信じる。そこに悲しいまでの妄信を見る。京都の小料理屋の女・なつ は、以蔵にとって安らぎの存在となっている。淡い恋心のような、そんな”愛”も感じられるが…。
素性の知れない武士と親しく話すようになるが、それが新選組副長・土方歳三である。その会話は、敵同士でありながら暗殺談義をするような光景。以蔵は歳三に対し、同じ血の臭いを嗅ぎ取っていたのかも知れない。一方、半平太は山内容堂の逆鱗に触れ切腹する。その後、以蔵も斬首されるまでを描く。無駄死にとも取れる様な「岡田以蔵」の半生、それでも一人の幕末異端志士として力強く描いている。
次回公演も楽しみにしております。