タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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炎恋

炎恋

星巡黎

阿佐ヶ谷アートスペース・プロット(東京都)

2024/11/20 (水) ~ 2024/11/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

心の奥深くに響く心情劇。魅力は、珠玉の台詞が鏤められ抒情的な感じ、しかし なぜか指の隙間から言葉がポロポロと零れ落ちてしまう。言葉・台詞に酔いしれたと言ってもいい。逆にインパクトある言葉がなく、印象が弱いといった感じがする。惜しい。

女優7人が 横一列に並べた椅子に座り朗読する。大きな動きはなく言葉と表情で紡ぐ。7人は姉妹であったり幼馴染または飼い猫などで、その関係性はバラバラで 当初演じている性別も判然としない。登場する人間や動物が、自分の思いを正直に言えなかったり、相手の気持ちを推し量ってしまう。その結果、自分の気持ちに正直になれない、要は本音で語ることが出来ない。本音と建前という遠慮の世界で生きている。そこに生き辛さが浮き彫りになってくる。

公演の魅力は、夫々の関係性の中で語られるドラマ、それを情感豊かに朗読する。時に語っている人物を皆が凝視するように覗き込むため姿勢を変えたり、逆にそっぽを向くような仕草。また舞台後ろの暗幕を利用し、色彩豊かな照明を巧みに諧調し、情景と状況を描き出す。
(上演時間1時間20分)【恋チーム】

ネタバレBOX

横並び…上手から先生・幼馴染・久遠・君・妹・猫・姉の順で台本を持って座る。
物語に脈絡があるのか分からない。別々の話が入れ子のように紡がれているが、複雑な人の思いと関係性は伝わる。

葬儀は、故人との関係にもよるが 一般的には悲しいもの。物語では、お葬式で二人だけが泣けなかった。その違和感のようなものを契機に、他の出来事や関係性を次々に膨らんませていく。泣いていなかったのは、君と久遠の二人。全員女優であるから登場人物は女性という先入観を持っていたが、そうではないようだ。例えば衣裳で、君は白地のワンピース、久遠は黒のパンツスーツ、猫は耳付きの白い帽子とボアスリッパ等、外見をそれらしく観せていたが、すぐには気が付かない。

久遠と幼馴染は 文字通り幼い時からの友達、いや少なくとも幼馴染は久遠に恋愛感情を抱いていた。しかし別の女性と結婚することにした。二人は同性愛かと思っていたが、幼馴染が結婚する相手が妊娠していると告げた。久遠は中性的な雰囲気を漂わせており演技上手だ。

姉と妹は文字通り実姉妹。妹は、何らかの事情で家を出て暮らしている。姉妹間で何らかの確執があり、関係が好くない。その原因・理由がハッキリしないのが惜しい。

姉をはじめ何人かが心を病んでいるようで、先生に相談している。当初、先生は占い師 もしくは電話相談者のような印象を持っていたが、心療内科医として考えれば納得。

そして猫、久遠の飼い猫のよう。猫は 人間の寂しさの慰み物に、そんな冷めた目で見ている。猫の客観・観察的な立ち位置が物語を落ち着かせる。

全員が直接または間接的に繋がり 物語を紡いでいく。それを静寂という対話、皆が同時に喋るような雑音の違いで聞かせる。そこに心情と日常(世間)が溶ける様に交じり合う。まさにHSP傾向のような、他者との心の境界線が上手く保てない もしくは歪んだ関係が浮き彫りになる。
次回公演も楽しみにしております。
永遠色 - トワイライト -

永遠色 - トワイライト -

劇団導

コフレリオ 新宿シアター(東京都)

2024/11/21 (木) ~ 2024/11/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

若さ溢れる女子高生の心霊劇であり心象劇。物語は、概ね説明に書かれている通りであるが、何かしら違和感を覚える。公演は、プロジェクションマッピングを使って柔らかみ ファンタジーな雰囲気を醸し出す。演出は勿論 演技も丁寧で、しかも登場人物は皆女優でフレッシュであり華やか、しかし描かれている世界観はここから先は行き止まり といった悲しみが…。それをどう乗り越えるかと、女子高校生の友情がモノローグ的に紡がれる。

先の違和感は物語の核とも言うべき内容で、自分の勘違いなのか、もしくは観逃したか聞き逃したか。劇中も書かれている説明も同じで、その設定と展開の理解が追い付かないところが惜しい。自分の拘りかも知れないが、物語のテーマを語る上では重要だと思うが…。
(上演時間1時間45分 休憩なし)【空色チーム】

ネタバレBOX

劇場に入ると、正面にプロジェクターを使って色彩豊かな絵(夕暮れ時の東京駅舎のような)が映し出されている。上手/下手の壁際にベンチ、下手に二重(前後)の衝立とカーテンが掛けられいる。舞台中央は広いスペースを確保し、女優陣が生き活きと演じる。
いつもの場所/いつもの時間に待ち合わせ。それが時計台の下/トワイライトの時間帯。いつまでも続くと思われた北川女子高校 写真部員の友情。それが夏の遠征(長野県八ヶ岳山麓)途中で、バス転落事故で7人全員が亡くなる。ガラ携帯を使用しているから、時代設定は少し前か?

7人の被害者の中の1人-藤崎真由は双子姉妹。母親の美沙は明るくけなげな真由を大切に育て、妹の真里は頭を抱えた。そして真里は 真由の死を受け入れられず壊れた。事故のニュースを見て、母親が「真里ちゃん、真由が死んだからお葬式しなくちゃね。あなたはお姉ちゃんなんだから」そして「彼女は“姉”となった」。物語は、ここからが見所。
3年後、真里は真由里(=真由と真里)という多重人格を作り出し、嘘の明るさを取り戻した。虚証ならぬ虚笑する姿がそこにある。自分の存在とは、そして母の真由への思いとの兼ね合い、複雑な心模様を自問自答という形で描く。それは自分が作り出した小川由紀、山本結衣、谷口彩花という幻影との会話。さらに亡き写真部員-イマジナリーフレンドの6人-道乃木遥香、藤堂玲奈、椎名紗希、天城彩乃、神崎遥香、黒崎由美が、真由里の心に居座る。幻影とイマジナリーフレンドが真里を心配し励ますが、それが現実なのか幻影なのか、その世界観が混沌とし曖昧になる。

3年経ち 幻影とイマジナリーフレンドの存在は、真里の慰め/癒しとしての役目を終えようとしている。そしてイマジナリーフレンド6人(体)が夫々思い残したことを吐露し、真里から離れ成仏する。本来であれば 姉の真由の吐露があって、真里が真に自分自身を取り戻すことが出来るのではないか。人はいつか死ぬ、しかし亡くなった人のことを忘れなければ、残された人の心の中で生き続ける。これは母親にとっても同じ。真由の思いが、母と真里を再生に導くのではないか。その核心が描かれていない。勿論 1人2役でという演劇的な難しさもあろう。しかし、イマジナリーフレンドが6人で肝心な真由の存在感がない。そして母と妹への惜別の言葉がないのが残念。

また真里がショックで ドッペルゲンガーに、といったことも考えられるが その兆候らしきものが描かれていない。ただチラシには「心の中で彩った人々と偽物の人生は交錯し、ついに まぼろしは表へ出てきてしまう」とあり、姉妹はほんとうに双子なのかという疑問も残る。それを意図したならば、なかなかに手強い公演だ。

さて イマジナリーフレンドの心残り…例えば、椎名紗希(村山桃圭サン)は、研究ファイルのパスワードを伝え忘れたこと。事故・災害等が起きた時、衛星通信を利用して場所を特定するシステム…物語の事故と絡め、更に現代的な課題の広がりに繋がるようで面白い。
次回公演も楽しみにしております。
クリスパ ❤ グランデ

クリスパ ❤ グランデ

劇団娯楽天国

ザ・ポケット(東京都)

2024/11/20 (水) ~ 2024/11/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

コメディの王道というか定番のような物語で面白い。描き方としては序盤から中盤まで誤解・勘違いといったドタバタ騒動で笑いを誘い、後半からラストにかけて滋味溢れる展開で心を揺さぶる。その感情の操りが実に上手い。ただ ダジャレのような言葉遊びと少し強引と思えたところが気になるが…。

タイトルから何となく分かるが、クリスマスと結婚式を掛け合わせ、劇団名にちなんだエンタメとパラダイスのように楽しく優しく観せる といった印象だ。少しネタバレするが、子供に関わる話になったところから俄然 面白くなる。夫婦にとって子は鎹にならない。その存在は助にもなれば嫌にもなる。まさに夫婦にとっての腱なのである。

チラシにある「教会でゴージャスな結婚式をするはずが、なぜか式場が…」、この場所の設定が妙。劇場に入っても幕で隠されており、どのような場所(舞台美術)なのか興味を惹く。そして明転してアッと驚くというか唖然とさせられる。まさに日本語と英語のコラボのような語感/語呂に唸ってしまう可笑しさ。その場所で 登場する人物達が抱えた事情などの絡み合いが次々と…。ぜひ劇場で。
(上演時間2時間15分 休憩なし) 11.24追記

ネタバレBOX

舞台美術は 銭湯の男湯脱衣所。上手が入り口で すぐ番台があり奥に抜けると女湯らしい。中央に回り込むような階段があり、途中に丸窓がある。窓に十字格子があり外から光が差し込むと十字架のように見える。やや下手に戸があり中は湯舟。後々、クリスマスとブライダルを兼用させたような飾り付けが印象的だ。
冒頭、後方客席通路から聖(生)の白装束の一団が讃美歌を歌いながら登場する。そして幕が上がると銭湯というギャップ、その奇知のような発想に驚かされる。

説明にある教会でゴージャスな挙式をするはずが、なぜか銭湯になってしまう。結婚式を請け負った会社、妻 音羽菊代が社長で夫 慎介はその手伝い。慎介は賭け事が好きでサラ金から借金をしている。ゴージャスな挙式費用から借金を返済しようと企み、廃業した銭湯=セント(saint)教会と偽り…。一方 挙式をする新郎 /新婦 も曲者で夫々が相手を騙している。そもそも出会いの切っ掛けがマッチングアプリ、まさに現代的な結婚事情を反映したような。その手軽さに潜む危うさも示唆しているよう。

物語は、クリスマスイヴに教会で挙式、その時期に相応しいサンタクロースに準えた男が、いつの間にか 登場人物の思惑が錯綜した事態を収束させていく。この人物、始めは胡散臭く怪しい。銭湯は廃業しているから不動産会社が施錠管理しているが、なぜか自由に出入りしている。銭湯には高い煙突という説明も面白い。しかし、いつの間にか物語の中心にいて滋味ある話をしている。偽新郎は挙式を手伝うブライダル業者(女性社長)の夫、要は既婚者。偽新婦は相手から金を騙し取る算段をしていた。夫は偽結婚式がトントン拍子に進み困惑、浮気された妻は、子がいないからと言った嘆き。偽新婦はシングルマザーで子供を育てることの大変さを激白=子は鎹にならない。

この怪しい人物が、いつの間にか<新婦>になり<神父>になり 本当の挙式を上げさせる。誰と誰が結婚するのか、どうしてそのような経緯になったのかは劇場で…。結婚はマッチングアプリのような出会いではなく、相手をよく知り愛情をもって接すること。いつも傍にいる、その当たり前がいつの間にか愛を育んでいる。鏤められた伏線を丁寧に、しかも五感/語呂のような言葉遊びに込めたユーモアに利かせる巧さ。讃美歌の美しさに人の思いの美しさを重ねたような、まさにクリスマス時期に相応しい(プレゼントのような)公演。
次回公演も楽しみにしております。
部活から羽ばたけ!Campus☆idols

部活から羽ばたけ!Campus☆idols

藍星良Produce

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2024/11/13 (水) ~ 2024/11/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初めての「藍星良produce」公演だろうか。面白い。若い女性の等身大の姿を描いた青春群像劇。
タイトル「部活から羽ばたけ!Campus ☆ Idols」から緩いアイドルドラマかと思っていたが、けっこうシビアな現実を突きつける。或る小説にある人生の七味唐辛子…恨み・辛み・妬み・嫉み・嫌み・僻み・やっかみ、を思い出した。人生の 七味唐辛子は、人生の大事なスパイスで、たくさんの七味唐辛子を浴びせかけられて、人生に深みがでて豊かになるという。物語もそんな成長譚が描かれている。

大学 学園祭でアイドル部の活動発表をしようと…その回想として物語は展開していく。アイドルとしての意識や捉え方は、一人ひとり違い 大学の部活(趣味の範囲)から芸能活動(職業)を目指す、といった大きな隔たりがある。アイドル部として自分の居場所があれば楽しい、しかしグループで活動していくうちに将来どうするか。卒業後の進路、アイドル活動の継続、芸能活動全般といった将来を見据えた設定。さらに昨今の芸能事務所の暗部(パワハラ・セクハラ等)という話題性を取り込んだ着眼点が妙。

芸能事務所のプロデューサーが現れ、アイドル部へアプローチしたことで グループ内は揺れ亀裂が生じる。女の子の賞味期限(若さという魅力)は限られている、今しか出来ないことをしよう。夢を叶えるような甘美な響き、しかし その甘言には自分自身を見失う心の縛り、そんな危険が潜んでいる。

公演は、アイドルドラマらしい サイリウムを使った応援や手拍子等、お約束のイベントらしい演出があり、舞台と客席が一体となって盛り上げる。若い女の子が、そんなこと や あんなことで悩み苦しんでいるんだ、そんなリアル感情が物語を牽引していく。台詞の言い直しなど、拙いと思えるようなところもあるが、それが感情の迸りで言葉が詰まったようなリアリティを感じさせる。それだけ迫真/臨場感がある。
ちなみに登場する女性の多くはアイドルっぽい衣装だが、ラスト 藍星良さんは役柄もあろうが、キッチリとしたスーツ姿。そこに引き締まった思いを見るようだ。
(上演時間2時間 休憩なし) 【LOVEチーム】

ネタバレBOX

舞台美術は、段差を設え仕切板を配したシンメトリー。正面と両側に鉄骨風の組オブジェ、そして所々に星飾りの張付け。前面(客席側)は、ダンスシーンをダイナミックに観(魅)せるため広いスペースを確保。

物語は、学園祭でアイドル部can☆dolsの活動を発表しようと…。華やかに見えるアイドル、しかし裏の実態は苛烈な戦いの日々、そして自分の正直な気持と どう折り合いをつけるか その葛藤を描いている。表層的には部活とアイドルExit♡Loversという、アマとプロの意識や考え方の違いを描きつつ、個人の思いを吐露する。それは友人間であり姉妹間という多面的な関係性の中で紡ぐ。それによって潜む社会的な問題や個人的な感情が複雑に絡み合い、内容に幅広さと深度が増す。

瑞希とスミレは元ライバル関係にあったが、いつもオーディションで合格するのは瑞希。しかし彼女は芸能活動にあまり興味がなく、大学生になった今でも部活動の範囲でアイドル活動をしている。勿論 卒業後は<普通の会社員>になる予定。一方 スミレは努力をしても なかなか報われず、それだけに歯がゆい思いをしている。スミレの瑞希に対する思い…才能に恵まれているのに そんな嫉妬と妬みが痛いほどに伝わる。

ニーナと有彩は姉妹、姉は売れっ子アイドルだが、その実態は水着も厭わないグラビアまで半強要され 精神的に追い詰められている。有彩は 姉のそんな苦労や苦悩を知らず、表面的な華やかさに憧れ 自分も早く姉のようにと焦燥する。そんなところにニーナやスミレが所属しているExit promotioがアプローチしてくる。何事も個人の選択だとし、問題が起きても本人が選んだ道と 責任逃れする、そんな実態暴露といったリアリティ。

昨今の芸能プロダクションの悪評を連想させるようなセクハラ・パワハラ等を盛り込み、それでも芸能(アイドル)活動をして人気者になりたい。人間としての承認欲求を満たしつつ 同じアイドルならば他者より抜きん出たい、その自己顕示欲を観せつける。設定は芸能という分かり易い競争社会、しかも可愛いという曖昧な基準を<賞味期限>という年齢で描き出す巧さ。微妙な女心の深淵を覗かせる様な怖さ。観応え十分。
次回公演も楽しみにしております。
栗原課長の秘密基地

栗原課長の秘密基地

SPIRAL MOON

「劇」小劇場(東京都)

2024/11/13 (水) ~ 2024/11/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
説明にある「栗原課長の初仕事は、伝統ある『きつつき賞』の授賞式、15分で終わる予定の式が次から次へと…」の通りであるが、秘密基地がいかにも児童文学絡みで ラストシーンは秀逸。次々に判明する事実、その対処に追われる編集部と審査員の荒唐無稽とも思える会話と行動が、なぜかリアルに思えてしまう。脚本の面白さもあるが、やはり演出が巧い。大勢いる慌ただしい場面から 急に2人だけの静かな場面へ、多くを語らず 何気なく照明を諧調させ、しみじみとした情景を描き出す。心憎い心象付である。
(上演時間2時間 休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台は陵文館主催の平成14年 第18回きつつき児童文学大賞授賞式会場。正面に横長テーブルと椅子、上手側にパイプ椅子3脚、下手側にも横長テーブルと椅子が配置され、壁には時計が掛けられている。自分が観た回は13時45分を示し、終わったのが15時45分で上演時間2時間を表す。15分の授賞式が2時間に及ぶことになった展開を面白可笑しく順々に展開するため、観客にとっては分かり易い。同時に授賞に係る様々な不条理が描かれることによって栄誉(ここでは児童文学賞)の選考とそれに関わる人々の悲喜交々が切々に描かれる。特に<児童文学>と<大賞>という設定が上手い。単に<文学賞>、<新人賞>であれば、清濁併せ吞む大人の世界も、児童文学ともなれば 純真な子供への読み聞かせとなり下手な小細工は通じない。また新人賞では書き直した作品に対して課長が下す「該当なし」判断が難しくなる。

タイトルにある栗原課長は、ビジネス情報誌の敏腕編集長だったが、不倫相手からセクハラの噂を流され左遷という経緯。出版業界の厳しい経営環境下を背景に児童文学部門はこの賞の存在(権威)に負っている。その授賞を巡って二転三転し漂流した揚げ句の結末は、課長の会社での立場を危うくするだけでなくリストラという人生そのものが破綻するかもしれない。セクハラに関しては事実ではないことを受賞者・受賞作品の疑惑に準えながら展開する。脚本の力と演出の工夫、この絶妙なバランスが本公演の魅力だ。

出版社は利益を上げること、読まれる児童文学書を刊行するという二面を持つ。社で働く編集者と選考委員、受賞者、さらには読者代表者といった立場の異なる人々の正論、思惑や裏工作が実に面白く描かれている。人物設定の上手さ、課長を始め児童文学部署の隆盛、選考委員としての名誉と報酬、推理小説家志望で何年も落選し続ける男、そして児童文学が本当に好きな大賞受賞者、AV女優で佳作入選者、そして賞に恵まれなかった児童文学小説家などが その立場や本音を激白する。そこには児童文学の心が置き去りにされ大人の事情が優先する矛盾や皮肉。その人物の座る場所や立場、受賞席における弱腰、一転して下手側の控え席での本音・暴露発言といった違いで「忖度」的な態度が垣間見える滑稽さ。

さて、上手壁に掲げられている平成14(2002)年は、電子書籍配信が始まっていたり、ハリー・ポッター賢者の石ほかシリーズも始まった。公演の中でも人気シリーズにあやかった児童文学作品が現れないかと言った台詞があった。世相を反映させた観せ方も上手い。
最後に、秘密基地は子供の頃の遊び場であり思い出の場所。同時に逃げ場であったかもしれない。しかし公演では、心に残っていた児童書を通して生きる<勇気>を得た場所にもしている。自分にとっては、実に心地良い結末だった。
次回公演を楽しみにしております。
Proof

Proof

カヌーは川の上

高円寺K'sスタジオ【本館】(東京都)

2024/11/08 (金) ~ 2024/11/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、登場人物4人による濃密な会話劇。
本作は ピュリッツァー賞やトニー賞を受賞した名作で、「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」(邦題)として映画化もされている。日本でも様々な団体が上演している。

このスタジオにあった演出をするなど 工夫を凝らした好公演。また演出だけではなく、演技も確かで 比較的小さなスタジオ内に心地良い緊張感が漂った。
(上演時間2時間 休憩なし)

ネタバレBOX

囲み舞台で、中央にテーブルと椅子。奥の壁際に4つ椅子が並んでいるが、楽屋へ出ハケしないため 登場しないキャストの控え場所。舞台と客席の間に衣装や鞄などの小物が円形状に置かれており、物語の進行にともない これらに着替え モノを使う。場転換時に薄暗くして着替えるが、その姿がシルエットになって観えることから 時間が途切れることなく流れているようだ。

シカゴ、冬。シカゴ大学教授のロバートは 天才肌と言われた数学者であったが、精神を病み5年の闘病の後、多くのノートを遺して世を去った。次女のキャサリンは、父の数学の才能と不安定な精神を受け継いでおり、孤独のうちに父を看取る。父を亡くした数日後、 父の教え子であるハルが 父の残したノートを検証したいと。また、ニューヨークから来た長女のクレアと家の売買を巡り激しく対立する。葬儀の夜、ハルはキャサリンに 前から気になっていたと告白し、2人は夜を共にする。キャサリンは大切なノートをハルに託す。そこには、世界中の数学者が解こうとして叶わなかった、ある「証明」が書かれていた。そして…。

この「証明」を巡って4人の主張と思惑が対立し、夫々が抱いている相手への感情や自分自身が抱えている葛藤が浮かび上がる。「証明」が未知のものであり、検証可能か否かといった問題はあるが、少なくとも価値は確か。どのような「証明」なのか、その中身が重要なのではない。このノートの存在が明らかになる迄、そしてノートの筆者と真偽を巡る過程に人間観のようなものが浮き彫りになる。優秀な数学者の才能を受け継いだ、そこには本人も自覚する才人と狂人という紙一重の怖さが存在する。人間観察のように興味深く、時に気味悪いような人の本性を突き付けてくる。例えば、ハルの業績横取りやクレアの遺産目当てといった欲望、そんな疑惑を抱かせ 人間の暗部を炙り出す。

舞台技術…照明は全体的に明るいが、場面転換の時に薄暗くし その中で着替える。風呂上がりのシーンなどは、髪を濡らし臨場感を出すといった丁寧さ。また心情表現は、黄昏色の照明を前後から照射し印象付ける。小さな空間、テーブルを回り込むことによって状況と情景に変化をつけ、激情的な会話によって緊張感を出す。人物の関係性は明らか…1人で父の面倒を見てきたキャサリン、妹に任せっきりでニューヨークに住んでいるクレア、亡くなってから遺されたノートを探すハル、その人物像を如何に表現するかが物語の肝。そのキャラをしっかり立ち上げた人物表現はよかった。
次回公演も楽しみにしております。
つきかげ

つきかげ

劇団チョコレートケーキ

駅前劇場(東京都)

2024/11/07 (木) ~ 2024/11/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。「白い山」の続編(5年後)
昭和25年10月頃から新宿大京町の病院兼自宅へ引っ越す迄の斎藤家を描いた物語。話の中心は、偉大な歌人であり1人の男の晩年、それを家族の視点を通して<人間・斎藤茂吉>を炙り出す。突き詰めれば「老い」と「死」に向き合い、どう生きるか といった死生観に繋がる。最大の見せ場は、茂吉と妻 輝子の会話だろう。茂吉の苦悩「ひとりで生まれ、ひとりで死んでゆく」、その無常の儚さに対し 輝子の答えは実に単純明快で、思わず頷(肯)いてしまう。とは言え、人の死生観など人それぞれで決めつけることなど出来ない。

「白い山」が、戦中/戦後の茂吉の芸術家(歌人)としての思いであれば、本作は1人の男、もっと言えば根源的な人間の思いを描き出している。それは「偉大な歌人」という近寄り難い人物から、其処らにいる老人の嘆き 葛藤のように聞こえる。斎藤茂吉という人物を「白い山」と「つきかげ」、その前/後編とも言える紡ぎ方にしたのが妙(勿論 本作だけでも面白い)。さらに脳出血の後遺症という身体的な不自由を描くことによって、老いと病 そして死の影が忍び寄っていることを否応なしに突きつける。

登場人物は、茂吉を中心とした斎藤家、それに弟子の山口茂吉を加えた7人。その中でも妻 輝子を演じた音無美紀子さんの演技が凄い。確かに演技だが、そういうことを感じさせない自然体、本物の斎藤輝子がそこに居るようだ。開幕 明転後、火鉢に向かう音無さんが目の前におり驚いた。もう自然な振る舞いで一気に物語の世界へ誘われた。
(上演時間2時間15分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は上手に洋室があり丸テーブルに椅子、下手の和室には文机や書棚、中央奥が玄関へ通じる廊下。客席側に座卓や座椅子そして火鉢。家族団欒で語られる近況、主である斎藤茂吉は病で臥せっていたが、何とか介助を得ながら歩く。その弱々しい姿は、「白い山」からは想像できない。

茂吉は 歌人として詠みたい歌がまだある。しかし 病によって あまり時間が残されていないことを実感する。老いという抗えない現実、一方 息子や娘の若さが羨ましくも妬ましい。夜中に起きて苦悩や葛藤する姿、茂吉曰く「自分は何者かになれたのだろうか」。そんな茂吉に輝子は、歌人として名を馳せ 斎藤病院を残してくれた。輝子は「生まれて死ぬまでに どう生きるか」、続けて「私以上でも以下でもない」と悟ったような台詞。茂吉は「おまえは強いな」と沁み沁み。この変哲もない会話が実に味わい深い。

夫婦の会話とは別に、息子や娘たちが父の病気見舞いを理由に訪ねてくる。長男 茂太の経過診察、長女 宮尾百子の(嫁いだのに)無心、次男 宗吉の思い、そして次女 昌子の縁談など、何処にでもありそうな日常が描かれる。大声を出していた頃の茂吉ではなく、孫の話をする時などは 好々爺。歌人としての茂吉は、弟子と全集編集の話をすることぐらい。そこに晩年の歌人と1人の男の姿…悲哀と慈愛を夫々描き出した。

全体的に落ち着いた色彩の照明、それによって昭和20年代の普通の家族風景といった雰囲気を漂わせる。薄暗くし スポットライトによる心情表現など効果的な演出。音響音楽は、場転換の時に流すだけ。まさに演技(力)だけで斎藤茂吉という人物像とその家族の思いを綴った といっても過言ではない。観応えある好公演。
次回公演も楽しみにしております。
お気に召すまま

お気に召すまま

明治大学シェイクスピアプロジェクト

アカデミーホール(明治大学駿河台キャンパス)(東京都)

2024/11/08 (金) ~ 2024/11/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

学生演劇はあまり観ないが、この明治大学シェイクスピアプロジェクトだけは、ここ数年観ている。月並みな言葉だが、一つの公演に大勢(パンフには206名のメンバー名鑑掲載)の学生が関わり上演している、その一生懸命な情熱を観たいからである。演劇的には学生のレベルの域を出ないが、それでもシェイクスピアの戯曲の力であろうか、楽しめるのである。本作のメタファーであろう台詞「人生は舞台である」…これから社会に出て現実に向き合うであろう学生達が、今それを演じている。

今回は第21回、それだけ長く上演し続けることの大変さ、その努力・熱意に敬意。観てきた公演は、必ず生演奏で伴奏する。役者と演奏者、そして多くのスタッフが一丸となって取り組む姿は清々しい。演劇を通して若者の情熱、そのパワーをもらっている。だからこそ観劇(感激)し続けたい。
(上演時間2時間 休憩なし) 11.10追記

ネタバレBOX

舞台美術は、上手に階段状の台 何となくピラミッドのようなもの。周りは白銀の木型のオブジェ。場転換すると緑色模様の木々へ変わり、階段状は台がテントのようなものへ。下手奥は楽隊スペース。天井にも緑のオブジェ、また会場に入る迄の柱も緑色布で森のイメージ作り等、丁寧な演出だ。

梗概は、オーランドは、父の遺産を相続した長兄オリヴァーに過酷な生活を強いられていた。一方、フレデリック公爵は兄を追放しその地位を奪ったが、兄の娘ロザリンドは手元に置き、自分の娘シーリアと共に育てていた。公爵主催のレスリング大会で優勝したオーランドはロザリンドに出会い、2人は互いに一目惚れする。しかし 公爵から突然の追放を言い渡されたロザリンドは、道中の危険を避けるため男装してギャニミードと名乗る。そしてシーリアと道化タッチストーンを連れ、追放された父が暮らす森へ向かう。オーランドも、運命を切り開くために兄の元を離れ、行き着いたアーデンの森で…。

物語は、男装したロザリンドを巡り恋のさや当て、外面に惑わされると大切な心を見失ってしまう。心の目(恋愛は真心)で物事の真価を見極めることの重要さ。昨今、心の目が閉じられ、目先の利益や快楽といった外見に惑わされるような。本当に大切なものとは…人は社会(世界)という劇場で演じている役者という考え。宮廷を追放された貴族が森での生活を謳歌している。この世は舞台、男も女も役者に過ぎない。自分の人生を<人生劇場>として捉え、自分の役割を自覚すれば、目先のことに捉われない見方が出来るかもしれない。

シェイクスピア喜劇らしい道化(フール=愚者)の登場、それによって登場人物の愚かしさを描き出す。衣裳やメイクを凝らし、ビジュアル的にも楽しませる。演技は学生らしく溌溂とし テンポよく展開していく。また結婚の神ハイメンの歌声が素晴らしい。物語を引き立てる演奏部隊のパフォーマンスも、その立ち位置を変える等 工夫をしているところが好ましい。
次回公演も楽しみにしております。
広くてすてきな宇宙じゃないか

広くてすてきな宇宙じゃないか

演劇集団わるあがき

吉祥寺櫂スタジオ(東京都)

2024/11/03 (日) ~ 2024/11/04 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「演劇集団わるあがき」の最終公演。
この演目 最近観たが、近未来に出現するかもしれない世界、そんな寓話劇のよう。上演前から男の子(カシオ)が舞台上にいる。1人 ラジオを聞き、雑誌「星座と宇宙」とその付録で楽しんでいる。ラジオから聞こえる声は、劇団の10年の歩みへの感慨、そして歌はaikoの「瞳」が流れる。
10年間の演劇活動、お疲れさまでした。そして ありがとうございました。
(上演時間1時間10分 休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は暗幕で囲い、上手にシーツ(スクリーン代わり)を掛け、その前に腰高の衝立(TV局)、下手に台(別場所)があるだけのシンプルなもの。
物語は、ミザールの脇にあるアルコル その微かな光しか見えない恒星を柿本家とおばあちゃんに重ねている。その寄り添いが大切だと…。その<思い>を強く印象付けている。

物語は、TV報道番組で Family Rental Service(略称FRS)がアンドロイドの貸し出しを始める、それを中継を通じて報じるところから始まる。ニュースキャスターの柿本光介は、試しにアンドロイドの「おばあちゃん」を柿本家に迎え入れた。 父 光介が勝手に話を進めてしまったこともあり、 三人姉兄妹の反応はまちまちだ。長女(中学3年)のスギエや長男カシオ(中学2年)は おばあちゃんの優しさに癒され、少しずつ彼女との距離を縮める。 しかし末っ子のクリコ(小学6年)だけは おばあちゃんを拒み続けた。その頑なさが拗れ周囲は勿論、東京中を巻き込む騒動へ……その緊急・非常事態にも関わらず、全体的にゆったりとしたテンポで緊迫感が弱いところが惜しい。また一見すると スギエとクリコの年齢が逆のような違和感、見た目も重要だと思うが。

テーマは「人とアンドロイドの関わり」。 母を失った子供たち…スギエ、カシオ、クリコの三姉兄妹。 アンドロイドおばあちゃんは、あくまで 彼らの「おばあちゃん」として優しく接していく。 しかしクリコにとって母は1人だけ、おばあちゃんでは「代わり」は務まらない。 おばあちゃんは それを承知でクリコと向き合い続ける。 アンドロイドの命は尽きないが、エネルギー充電は必要。クリコは、おばあちゃんをFRSへ帰すよう働きかけ、そこにもう1体のアンドロイド「ヒジカタ」が登場して緊迫感を増していく。

FRSにいるのは全てアンドロイド。ヒジカタは介護用アンドロイドとして病院に派遣されていたが、人の死によって責任を問われた。おばあちゃんとは異なり、ヒジカタは 生死に関わる人間とアンドロイドの違いを重く受け止めた。 アンドロイドの派遣役割などで状況が異なるのは生きている人間も同じ。人はアンドロイドと違って もっとハッキリした感情で揺れ動く。重苦しくなりそうな内容だが、終始明るいおばあちゃんのおかげで救われる。ただラストは、おばあちゃんとクリコの邂逅だが、そこには近々ヒジカタと同じような立場で介護問題が横たわるような…。

アンドロイドおばあちゃんの髪の毛は白銀。母親代わりではないおばあちゃん、そしてアンドロイドの もしもの時のエネルギーの代替となる(太陽)光を吸収しやすい色にしている。ラストは、シーツに星の輝きを映し出す。
大きな泡の巣の中で

大きな泡の巣の中で

ハグハグ共和国

萬劇場(東京都)

2024/11/07 (木) ~ 2024/11/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い。さすがハグハグ共和国の公演。
タイトル「大きな泡の巣の中で」からファンタジーといった物語を連想していた。確かにフワッとし柔らかく捉えどころのない雰囲気の物語だが、その独特の世界観に潜ませた内容は強靭だ。童話小説のようであり寓話的な表現で観せており、ラストへの誘いは上手い。飄々とした中に、混交とした少女の夢想と現実。

少しネタバレするが、ここは「夢と現(うつつ)の挟間」で、どこかドリームランドのよう。役者のメルヘンチックな衣裳やメイクも楽しめる。ここで紡がれる話は、幾重にも重なり何が夢想で現実なのか、混沌とした世界の果てに見えるのは…。公演のエンディングは全部で3種類あり、自分が観た回はホッとさせる結末。ぜひ劇場で。
(上演時間1時間40分 途中休憩なし) 【🌳回】 11.10追記

ネタバレBOX

舞台美術は、正面にドリームランドのような壁や扉、上手に木が逆さまになり上部は根っこのような形、下手は観覧車 ゴンドラを模ったオブジェ。舞台と客席の境の上手 下手に簡易テーブルと椅子があり、舞台(物語)を眺めるというか俯瞰するような。

全体的に浮遊感ある空間、そして この世界はどこかを説明する。それが「夢と現の狭間」であり、そこで描かれる幾つかの話が神話のようであり現実(史実)を連想させる。<木が逆さま>は、バベルの塔(空想的で実現不可能)の比喩であり 人の傲慢さを語る。また この地はあと僅かで滅び無くなる、その前に他の惑星に移住する必要がある。しかし、そこへ行ける人々は選ばれた人々だけ、まさにノアの箱舟(人々の堕落)だ。また場面が変わり、メルヘンチックな衣裳から黒っぽい制服、そして後ろ手にされガス室で倒れていく。アウシュビッツ収容所、ホロコーストを連想させる場面である。

今見ている光景は夢想なのか現実なのか、その曖昧な意識の下に自分が何者なのか、そして何をしているのか自問自答する。そしてドリームランドのような この場所はどこか。上手 にある椅子に主人公 浅葱涼芽が寝ている。一方 下手には萌葱が…。
登場人物の名は、ララ・ローザン・サンディ・ブランやリオン・メルクーア・ジョーヌ・ジャッロ・テールなどカタカナ、他方 手鞠グループの社長?、クリエイティブ会社の運営者?など 必ず<?>が付いている。この名前に重ねた世界観が捩じれて混沌としている。カタカナという童話小説、<?>という曖昧さ、この空想を現実に絡める巧さ。

見える光景は、環境や平和など人類が直面している問題ばかり。その現実を直視せず部屋に閉じ籠っていて良いのか。夢想の世界へ逃避したままで、といった鋭い指摘を投げかける。涼芽は歩き出し、正面(心)の扉を開けると、そこには眩い光が(自分が観た回)…。ちなみに下手の萌葱は涼芽の飼い犬、彼女の心に寄り添っていたような。
次回公演も楽しみにしております。
La Memoria del pueblo ~民族の記憶~

La Memoria del pueblo ~民族の記憶~

ARTE Y SOLERA 鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコ舞踊団

渋谷区文化総合センター大和田・さくらホール(東京都)

2024/11/06 (水) ~ 2024/11/07 (木)公演終了

実演鑑賞

国内で生のフラメンコを観るのは初めてだ。迫力あるダンスを9演目、いやカーテンコール後もサービス舞踊があり楽しませてくれた。特に音楽(カンテ・フラメンコ)が素晴らしい。スペインで観た時はBARのような狭い店の限られたスペースでのダンス、しかも移動日 当夜ということもあり睡魔との闘いだった。

本公演は、邦訳「民族の記憶」とあり、フラメンコの扉から人間の原郷を旅する作品らしい。フラメンコの技術的なことは分らないが、9演目は単独や群舞そして全員という見た目の違いだけではなく、ダンス自体の表現の多様・多彩性に魅力を感じた。当日パンフには「18世紀後半にこの世に生まれたフラメンコは、その形成においてスペイン古来の民謡・・・イスラム教支配における宗教音楽など、様々な文化の影響」とあり、その地域や伝統等が息衝いていると。

フラメンコは時代や地域の影響を受けながら構成されているよう。フラメンコの基本的な動きや表現を保持しつつ、伝統的な形式と現代的なリズム、調子、形式などの組み合わせを模索しているように受け止めた。それが「過去に、彼らの伝統と日本人である我らの芸術を掛け合わせ」とあり、その一端が垣間見えたような気がした。
次回公演も楽しみにしております。

ジキルの告白

ジキルの告白

ISAWO BOOKSTORE

サンモールスタジオ(東京都)

2024/11/06 (水) ~ 2024/11/12 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

説明は「1973年、有名な大学の助教授・大迫は、長きに渡り愛人として関係を結んでいた女子大生を別れ話の末に殺害」とあり、その結末は既に知らされている。公演は「悲劇的な運命を辿る大学助教授一家の姿を彼の周囲の人々の視点で描く」とあり、彼の家族や友人という個人的、そして大学という社会的、その2つの観点を巧みに織り交ぜて描いた好公演。

上演前から懐かしき歌謡曲が流れ、昭和という時代の香りを漂わせる。物語の中でも昭和時代の結婚観が語られ、今の意識との隔世の感を描き出す。興味深いのは、当時の結婚したら離婚しないという感覚(意識)の中に潜ませた真の理由が怖い。一方、漫画や映画で話題になった「同棲時代」という入籍に拘らない形態が現れ始めたのは、この時期ではなかったか。
冒頭と最後、 出演者全員でその時代の特徴的な事件・出来事を呟き、その時代を知らない者、または その時代を現実に生きてきた者、その幅広い世代に関心を持ってもらうような演出。同時に 物語としての掴みであり、最後は心象付といった効果を期待しているようだ。

本作は 本人ではなく、周囲の人々の推察的または客観的な心情描写になっていること、結末が分かっているため、例えば 前作「あなたはわたしに死を与えたートリカブト殺人事件」のようなミステリーやサスペンスといった関心・刺激、その惹きつける魅力が弱いように感じられた。とは言え、展開は 心情表現と事件経緯といった違い(場面転換)にメリハリをつけるためナレーションで繋ぎ、物語(事件)の梗概をハッキリ描き出している。観応え十分。
(上演時間2時間 休憩なし) 追記予定

熱海殺人事件 モンテカルロイリュージョン

熱海殺人事件 モンテカルロイリュージョン

KURAGE PROJECT

シアター711(東京都)

2024/11/06 (水) ~ 2024/11/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
演劇を観て久しぶりに熱いものが込み上げてきた。今年観てきた つか作品ではピカ一。脚本や演出の力は言うまでもないが、演技が凄い!物語の底流にある優しさ切なさなどが、役者の体を通して滲みだし 熱き思いが迸る。熱演という言葉は、この公演(演技)のためにあるようだ。

「熱海殺人事件 モンテカルロイリュージョン」は、たぶん未見だと思う。説明にある「二つの事件が交錯しながら進展していく」は、早い段階で事情が明らかになるが、そこに隠された心情が切ない。オリンピック選手として 陽で輝く者と陰で泣く者、そして1人の人間としての生き様を切々と描く。少しネタバレするが 主宰 月海舞由さんは、刑事 水野朋子と被害者 山口アイ子、その2人の女性の愛を重ね というか対比する。一方は情を貫き、他方は裏切られるという違った結末を叙情豊かに演じる。終演後、口々に泣けた との感想が…観応え十分。ぜひ劇場で。
(上演時間2時間 休憩なし) 11.8追記

ネタバレBOX

舞台美術は、中央に木村伝兵衛部長刑事の机、下手にホワイトボードと丸椅子だけ。部長刑事の机に黒電話、シャツが置かれている。勿論、大きな机は権威の象徴。冒頭、木村伝兵衛は上半身裸。その筋肉質が、オリンピック選手であったことを思わせる。

物語は、棒高跳び の記録を塗り替えた元オリンピック日本代表選手で、現 東京警視庁・木村伝兵衛部長刑事(岡田竜二サン)が、熱海で殺された砲丸投げ選手・山口アイ子の事件の容疑者、大山金太郎(なかやんサン)と再会する。大山もかつては、同じ棒高跳び日本代表の補欠選手であった。同じようにオリンピックでメダルを目指した選手へ敬意を払うような事件へ。
一方、山形県警から転任してきた速水健作刑事(関口アナンサン)の兄も棒高跳びの元オリンピック選手だったが、モンテカルロで自動車事故を起こし亡くなった。その時に同乗していたのが、木村部長刑事だったと。その事故死を疑う速水刑事は…。そして木村を愛するが、受け入れてもらえない病身の婦人警官 水野朋子(月海舞由サン)。そして謎の男(辛嶋慶サン)。
主な登場人物は4人、それぞれの心情吐露といった見せ場を設け、同時に他者との関わりを表す敬愛や思惑等といった感情を落とし込むことで より人間性を浮き彫りにする。

二つの事件を交錯させ、 謎解きとオリンピックという栄光の影に隠れた、エリート選手と補欠選手との絶望と苦悩が明らかになっていく。同じ選手とは言え、補欠の男性選手はゴミ、女性選手はコケと陰口を叩かれ、待遇面で〈差別〉されていた。練習に青春期の貴重な時間を費やし、報われないことも多い。それでも愛する人を信じて…。部長刑事の同性愛という設定にも性の<差別>または<偏見>を訴える。
愛欲と名誉さらには金銭といった欲望の渦に身を投じた悲しいまでの結末、しかし純粋に直向きに生きた、を描いた人間ドラマ。
苛めや差別またパワハラ・セクハラ等、コンプライアンスが厳しく言われる現代、だからこそ、描かれたような時代があって 今があることを知る。古き良き時代ではなく、悪しき慣例・慣行を描くことも、当時(時代)を反映した演劇の面白さだろう。まさに演劇は時代の鏡なのだ。

物語の中に突然 音楽<歌>やダンスシーンを挿入し 観客の関心を惹きつけておく。歌(オペラ風)は、グイグイと引き込み面白可笑しく聴せる。勿論 戯曲の<力>もあろうが、役者の激情が 迸ったような迫力がそうさせる。照明は単色を瞬間的に点滅させるだけだが効果があり巧い。
次回公演も楽しみにしております。
軌道

軌道

劇団カルタ

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2024/11/02 (土) ~ 2024/11/04 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

過去の事実と現在の虚構を交差させ、青年とその家族 周りの人々の思いを描いた物語。説明にある「祖父への憧れを胸に仕事に慣れ始めた」とあり、それが物語の肝であろう。しかし、その重要な場面を観逃したか 台詞を聞き逃したか、過去(祖父)と現在(主人公)の話がうまく繋がらず、別々の物語が同時進行するようだ。

少しネタバレするが、主人公 桝井健吾は大学4年生。バンド活動をし卒業後もそれで暮らしていく予定であったが 仲間の脱退で解散する。就職を前に夢破れ、いつの間にか鉄道会社に勤めている。心機一転を図った理由(祖母が遺した日記)が後付けで、祖父の鉄道事故と現在の自分の状況を重ね また対比しながら紡ぐにしては 繋がり(意志)が弱い。鉄道的に言えば肝心なJOINTシーンが描かれていたのか否か、それゆえ物語への牽引力が弱い。丁寧なのか粗いのか、自分の鑑賞力が無いのかも知れないが…。異なる時間軸の中で、個人と社会(国家や会社)との関係を重層的に捉えており 着眼点は面白い、それだけに惜しい。

演出はロープを駆使し、情景や状況を巧みに表現しており面白い。ロープの使用自体は珍しくないが、照明と音響という技術と相俟って効果的に観せている。また演技は確か、それだけにモノローグで心情表現するのではなく、物語の中で描い(演じ)てほしかった。
(上演時間2時間 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は木材で家屋(屋根・柱)のような骨組み、そこに幾本かの白ロープが付いている。中に木製のベンチが2つ。客席側にブロックが置かれている。家屋のよう、それは家であり駅舎のようでもあり、ロープは切り離せない存在。

物語は現在(健吾)と過去(茂)を交差させ描いているが、終盤になって茂と一緒に汽車に乗車していた同僚(後輩)の菅原淳之介と会うまでは別々の物語が展開している。演出として交差した描きになっているが、ほとんど健吾と茂の意志の重なりは感じられない。過去の鉄道事故は事実であり、遺族の悲しみは癒えない。それゆえ茂の事故への対処は故意か過失かといった疑問を呈したまま。その曖昧さを詮索することなく、真実は亡くなった茂が墓まで持って逝った、という描き方にしている。

茂の事故の概要は、小説「塩尻峠」(三浦綾子)などが有名で、その話を擬えているよう。ただ時代設定を明治から昭和、それも戦後間もなくにしているところが妙。無茶な運行計画であるが国策のため、国鉄は拒否出来ない。生れたばかりの娘もおり、妻 悦子は茂の乗務には反対。当時は経済効率を図るため汽車(石炭)から電車(電化)へ、その過渡期であった。電車では対処出来ない運行を汽車で、その矜持が茂の気持を突き動かす。燃料である石炭についても、炭鉱事故で多くの人が亡くなり、当人だけではなく家族も路頭に迷う。自分の死は家族を犠牲にする、充分認識していたが…。

一方、健吾は西方電鉄の車掌として勤務。同僚の藤田雄哉が運転する電車に乗務していたが、ホームから女性が転落し轢いてしまった。その時、警笛を鳴らしたか否かが問題となり、マスコミから執拗に取材受ける。会社としては責任回避のため、警笛は鳴らしたと主張。当初、健吾は会社の言う通りの対応をしていたが…。鉄道事故といっても茂と健吾とでは、全く状況が異なり夫々の話は交差して描いているが、別もの。

演出では、茂が事故死する際、ロープが蜘蛛の巣のように絡む。その身動きが取れなくなった状態に赤い照明を照らす。またミラーボールの輝きを利用して、桜が舞い落ちる情景を後景に映す。生きているから見える光景、それを戦死した人々の無念、それを乗り越えて美しい景色を見る。祖父と孫の時代を隔てた<共通の思い>は、鉄道光景によって辛うじて繋がる。また 西方電鉄職員は斜縞のネクタイで統一し身なりを整えるなど、全体的に演出は丁寧だ。それだけに脚本(物語)の肝が暈けたのが惜しい。
次回公演も楽しみにしております。
ガラクタ

ガラクタ

MCR

OFF OFFシアター(東京都)

2024/10/30 (水) ~ 2024/11/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

㊗️MCR 30周年記念公演…物語は、商店街のはじっこにある創業30年のリサイクルショップ「ガラクタ屋」、この店をMCRに準えたような印象だ。店長(櫻井智也サン)がバイトの小川(おがわじゅんやサン)に、冗談めかして 店がなくなったらどうする。小川は別の店で働くと。店長がたたみ込むように言う、世の中そんなに甘くない。ず~とバイトだからスキルがないと冷たく言い放つ。この二人はMCR所属。物語では、商品を買わずに厄介ごとばかり持ち込んでくる常連、通りすがりにフラッと入ってきた瞬間に常軌を逸した行動をとる人々が登場するが、常連客は他のMCRメンバー、通りすがりはゲストといったところか。

表層的には身内ネタのような物語。<リサイクルショップ>をMCRに置き換えて…店がなくなったら という噂を聞いた常連客は、慌てて真偽を確かめに来る。そして困る困るを連呼し、店という居心地の良い場所があって、人と交流が出来る。また会社で嫌なこと惨めなことがあっても、店に入ると自分より惨め(下層)な人がいる という優越感に浸れると。悪態をつきながら、何だかんだ親しみある店がなくなるのは寂しい。勿論 店は存続する。

ガラクタばかりのリサイクルショップ、それでも慣れ親しんだ場所と人がいる。そこに人と人のふれ合い優しさ温かさが滲み出ている。多くの観客(コアなファンも含め)が支えているのは、そんな思いやりが感じられるから。また多くのゲストが登場しているのも仲間意識、共感した思いがあるからだろう。逆にMCRは、笑わせ×笑わせ とにかく楽しんでもらいたい、その思いがビンビンと伝わる。少しネタバレするが、ラストは店長=櫻井さんが熱唱しゲストの大石ともこ(みそじん)さんが妖艶なダンスを…眼福。全員登場しての緩いダンスも面白い。ちなみにゲストによって内容が若干違うよう。
(上演時間70~80分 ゲストによって内容が異なるため) 11.3 追記

ネタバレBOX

舞台美術は、中央壁に三重ほどの円盤構造のオブジエ。その中に使用しなくなった品々が並んでいる。中央 客席側になぜか投票箱。上手に冷蔵庫、そして店の入り口、下手はカウンターで 競馬新聞を片手に店主が座っている。ただ物語で使用するのは箒ぐらいで、残りは飾り物 まさしくガラクタである。

冒頭、店長が小川に掃除なんかしなくていい、と言って箒を取り上げようとする。2人は箒を取り合うため 押したり引いたりする。ただそれだけの動作だが、可笑しみが込み上げてくる。そして冗談や悪態などの会話。また色々なシチュエーションのシーンを挿入し、ガラクタ屋という店<存在>のありがたさを描く。

物語の底流にあるのは人の優しさと触れ合いの大切さ。勿論 演技…動作の面白可笑しさや軽妙洒脱な会話によって笑いが起きる。その笑いの渦こそ、この劇団(公演)の真骨頂であろう。
次回公演も楽しみにしております。
#ヘスティア

#ヘスティア

ゴセキカク

シアター・バビロンの流れのほとりにて(東京都)

2024/10/31 (木) ~ 2024/11/04 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

説明では、「インターネットと家族。人と人との繋がり。関係性の下に拗らせていくディスコミュニケーション会話劇」とあり、家族でありながら対面で会話をすることが苦手 または出来ない家族関係を連想していたが、少し違った。たしかに出雲家という家族を描いているが、中心は その兄妹のモヤモヤとした不安や依存・他律など、表し難い心の葛藤を繊細に紡ぐ。 自分は何者なのか、何をしたいのか、アラサーになっても定職に就かず実家に住んでいる兄の悠太。一方、妹の環奈は家を出て見知らぬ男の家を転々としている。そして VTuber「丙栖てぃあ」として活動を始めた。

人物の関係性は早い段階で明らかになり、だんたんと性格や立場 おかれた家庭環境が深堀されていく。物語のテーマは「家族と VTuber」らしい。そして当日パンフの主宰 後関貴大 氏の挨拶文を読むと彼自身を投影しているような。物語の見所は、ありふれた家族物語…しかし家族とは、と突き詰めて問われた時に 即答することは難しい。色々な家族があり一概に言い表すことが出来ない。その漠然とした「家族」を、兄や妹そして父や母、さらに周りの人々を通して浮き彫りにしていく過程が面白い。ちなみに、出雲家だけではなく、登場人物たちの家族についても触れられ、そこに家族の多様性を描き出す。

前作「明けちまったな、夜。」も良かったが、既視感が否めなかった。今作もありふれた「家族」を取り上げているが、VTuberという第三者的というか俯瞰するような描き方が、内面を見詰めるという深み味わいを感じさせる。自分に言わせれば、出雲家は典型的な家族構成で他の登場人物の家族に比べれば恵まれている。単に不器用なだけ。その意味では家族というよりは自分探しの彷徨のような物語だ。

舞台美術、その色調と効果的な照明のバランスが実に巧い。配置等はネタバレに記すが、暗幕で囲い配置されているセットは白色。舞台全体がモノトーンのようで落ち着いた、というよりは沈んだような重苦しさを感じる。そこに登場人物の抱えた問題が垣間見えるような気がする。照明は薄暗いが、人物へのスポットライトを多用し 心情表現を豊かにしている。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は暗幕で囲い、上手に環奈が転がり込んだ朝倉くりす の部屋。そこにVTuber「丙栖てぃあ」の配信セット、中央奥にモニター、その手前にテーブルと椅子。下手にも細長いテーブルと椅子、セットは全て白色。

出雲家の食事風景、厳格な父は息子の食事マナーについて注意するところから物語は始まる。それは拳骨で頭を叩くといった行為。悠太はそんな父が嫌いだが、それでも定職にも就かずバイトしながら実家に寄生している。環奈は早々に家を飛び出している。そしてVTuberとして発信を続け 登録者数5万人迄あと僅か。達成させるイベントの最中、裏アカが流れ炎上する。その事件を通して兄・妹が繋がり出す。

家庭内の事は、ある種 密室での出来事のよう。躾と虐待の線引きは曖昧で、毒親なのか否かは一概に決め付けられない。ただ幼い子供たちにとって躾と言われても解らないだろう。その痛い思い出だけが鮮明に残り、ますます萎縮させてしまう。そして家族の中における自分の存在とは という疑問と困惑、さらに家庭内孤独に陥る。悠太と環奈は親に反抗することで必死に自分自身を守っているよう。

さて、悠太の知り合いに一嶋琉衣という女性がいるが、実は環奈の高校時代の級友だったことが後々分かる。彼女は両親が離婚し、母親の苗字になったことから気まずい思いをしてきた。そんな時、環奈は それとなく寄り添ってくれたと感謝。また 朝倉は母一人子一人だったが、母が愛人と出奔し一人になった。何れも親の都合・勝手で子が嫌な思いをした経験を持つ。

悠太と環奈は、自分だけが恵まれない家庭に育ったと思っていたかも。その思い込みが、父危篤の知らせにも蟠りが…。環奈=VTuber「丙栖てぃあ」として、自分自身を愛せないし 他者とうまく関係が築けない。そして誰かに依存し自分を悲劇のヒロインに見立て逃避しているだけ、そんな独白が印象的だ。ここに第三者的な観せ方ーモニターに承認欲求の象徴的な画像を映すといった巧さ。全体的に昏く、自分の心が暗闇を迷走している、そんな表現し難さを表した好公演。
次回公演も楽しみにしております。
ビキニも夢みる白い部屋

ビキニも夢みる白い部屋

KENプロデュース

シアターシャイン(東京都)

2024/10/30 (水) ~ 2024/11/04 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

満席、増席していたようだ。
この演目、10年前にも観ているが、やはり面白い。
説明にある入院先の病院は謎だらけ、外出はおろか、飲食・新聞など外部との接触は一切禁止、おかしな規則が多い病院。そして主人公は主治医より、自身の記憶を失っていると。治療が始まって、段々現実と夢の世界の区別がつかなくなっていき…。物語(表層)はストレートプレイなのに何故か違和感が、この不思議感覚が公演の肝。明るく楽しく、そして おちゃらけた場面で繋ぐが、これらを物語の根幹を支えるショートストーリーのように紡いでいく。
脚本・演出は秀逸だ。ストーリーはネタバレになるので書けないが、途中で話しが散らかり冗長といった感じになり、これをどう収拾するのか。よく使われると思う手法で…見事!

病院という設定から、白衣の看護師が何人か登場する。始めに登場するのが、神崎なお(タオ桃果サン)と婦長 水谷ゆうこ(橋本深猫サン:前回にも出演)。タイトルにあるように 登場する女優陣は皆ビキニ姿になるが、前回より お色気度は少ないような。演技は、生き活きと演じており楽しめた。登場人物のキャラ設定にもメリハリがあり、分かり易い。舞台美術は平凡で、最小必要限であったが、それが逆に芝居に集中させる効果がある。軽妙に展開するが内容はシュール。結末は、冒頭に明かされているのだが、その台詞を聞き逃さなければ…。ぜひ劇場で。
(上演時間 2時間 途中休憩なし) P(ピンク)班  11.3 追記

ネタバレBOX

舞台美術…上演前は病室の仕切りカーテンで見えないが、幕が開くと そこは大(3人)部屋でベットが3つ。上手に病室入口のドアがあり下手に窓がある。3つあるベットには、既に2人が入院しており、そこへ主人公の金田雄太が大怪我をして運ばれてくる。この病院 規則は厳しいが、患者は自由気儘に過ごしている。

上演して直ぐ、暗転したまま 音声で「この物語は僕のモノローグです」という台詞が流れる。ラストになると「なるほど そういうことか」と言葉の意味が氷解する。色々な妄想が頭の中を駆け巡り、登場人物たちの性格や立場が錯綜する、それが物語の肝。そして「人生は舞台だ」「人を傷つけるのも 癒すのも人」等、場面にあった珠玉の台詞が印象的だ。

本作品の初演は2008年だとか。当日パンフに 代表の加納健詞が「今の時代にあわない所も多少ありますが、だからこそ、そのまま上演する事」とあり、「コンプライアンスのコの字もない」とある。<舞台 コメディ>であるが、世の中だんだんと不寛容になり、それゆえ自由度も狭まっていくような。舞台として描くには、主人公=入院患者の立場云々といったことが言われそうな危うさが…。

セクハラ・パワハラ等が厳しく問われるようになった今、劇中そのようなお色気シーンがあるが、せめて舞台という虚構の中では弾けて楽しみたいもの。
次回公演も楽しみにしております。
江古田通りを曲がって

江古田通りを曲がって

劇団二畳

FOYER ekoda(ホワイエ江古田)(東京都)

2024/10/30 (水) ~ 2024/11/05 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

江古田の短編集、今回で3回目 シリーズと言っていいのかな。とても滋味に溢れ 心に染み入る公演。
劇団名の通り 畳(タタミ)二畳の空間にシンプルな舞台セットを配置し、日常のありふれた光景を切り取った短編2編。観たのは、「A.箱根旅行の思い出」と「D.あるいはピクルス」で、趣が異なる作品でとても面白かった。当日パンフで劇団二畳プロデューサー 四方田直樹 氏が「物事が進まない人たちの物語」と記しているが、それは その時代に生きた世代によって捉え方は異なる。

公演の魅力は何といっても、アクティングスペースまで50㌢ほどの至近距離で演技を観ることが出来るから、表情は勿論 細かい動作まで分かる。あまり全体を観る必要もなく 勿論 俯瞰するなんてこともない。ありふれた光景ゆえ、共感や納得等することが多い。子供の頃の思い出とは別に、親になって初めて気づかされる場面もあって苦笑。人の機微をしっかり捉え表現しているところが凄い。

「A.箱根旅行の思い出」は、タイトル通り 1990年代 箱根への旅行、宿で家族団欒のひと時を過ごすはずが、何故か楽しめない。旅先だから といった特別・非日常を大切にするか、旅行も日常の一コマと捉え淡々と過ごすか。ラスト、祖母が孫娘(次女)に囁いた言葉が強烈だ。

一方「D.あるいはピクルス」は、日常の生活というよりは、過去と現在の時間が或る出来事(事故)で分断され、新たな暮らしを得た といった不思議な心情を描いている。登場人物は3人で、始めはその関係がどうなっているのか戸惑うが、だんだんと事情が分かってくると少し切ない。
(上演時間70分 1話/2話の転換に2分 休憩なし)

ネタバレBOX

●「箱根旅行の思い出」
1990年代の初頭、松田一家は箱根に家族旅行に来ているが、二人の娘(長女:北斗と次女:昴)は携帯ゲーム機でロールプレイゲームに夢中。せっかくの箱根旅行だが、観光なんかそっちのけ。父 司郎は湯上りにビールを買おうとしたが 高いため躊躇する。母 桃子だけは楽しんでいるが、家族の思いはバラバラ。司郎の金を使ってまで旅行なんて という思いは実感。両親と娘たちのゲームを巡る攻防は、その都度 昴が仲に入り取りなす。祖母 金子かのえ は、昴に向かって「人の顔色ばかり見ないこと」と諭す。

「あるいはピクルス」
登場人物は3人。野口千佳が、この古民家(FOYER ekoda<ホワイエ江古田>)を訪問するといった感じで、会場入り口から入ってくる。チラシの説明によると、彼女は望まぬ形で関係を終わらせた中田伸雄のことが忘れられず、彼が現在交際している芝崎このみ と共に借りているアパートを訪れる。そのアパートが古民家。劇中、彼が事故で記憶障害になり、千佳のことが思い出せないと。過去の経緯が話されず曖昧、そこに千佳の未練と決別の思いが読み取れる。設定は20歳代のようだが、ずいぶんと大人びた雰囲気の会話劇。

舞台セット…「箱根旅行」は宿の部屋、卓袱台と座布団、下手に古くて小さい和箪笥と黒電話。上手に温泉があるようで、湯上りの浴衣姿が旅情を醸し出す。一方「ピクルス」は、テーブルと椅子3脚。それぞれシンプルであるが、物語を紡ぐには十分。因みにゲーム機から漏れ聞こえるのは、ドラクエの神曲のようで 懐かしい。箱根旅行では、母 桃子が少し呆れて冷蔵庫の瓶ビールを飲みだすが、その時にビールの香りが…。湯上りで温泉の独特の匂いが漂えば完璧か。
次回公演も楽しみにしております。
歌っておくれよ、マウンテン

歌っておくれよ、マウンテン

優しい劇団

高円寺K'sスタジオ【本館】(東京都)

2024/10/26 (土) ~ 2024/10/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ホントに無料公演(カンパ制)でいいの と思うほどの好演。出来れば、もう一度観たかったが…。また東京へ来てほしい。

前説が一人芝居(主宰の尾﨑優人 氏)のようで、開場時から上演直前まで喋り続け、そのまま本編にも登場する。舞台と客席を一体化し、大いに盛り上げ楽しませようとする。これが名古屋流(愛知ではなく名古屋と言っていた)なのか?本編に名古屋弁が頻繁に使われ、地元愛を感じる。

物語は、登った人が“一番思い出したいことを思い出せる”という山がある大陸。その山に歌を歌わせに行こうと思った“私たち”は、道中で出会いや別れを繰り返し……。その観せ方が アバンギャルドというかコンテンポラリーというか、でもアングラ演劇が一番シックリくるか。その不思議で混沌とした世界観の中に独特の味わいを感じる。この感覚は 在京の劇団でもあったが、俚言が入るとちょっと身近で親しみがわく。若い役者陣の疾走感と熱量ある演技に圧倒される。舞台技術の工夫も良く、その効果はハッキリ表れている。

独特の感覚は、昭和といった懐かしさ 懐古的な雰囲気も感じられる。ただ 表層的には破天荒のように思え、観客によって好き嫌いが分かれるかもしれない。脈略があるのか否か判然としないが、いくつかの小さな話によって 山に行く大きな物語を紡ぐ。分かり易く手助けをするのが尾﨑さんのナレーション的な台詞。それによると(聞き逃しがなければ)6話で構成されているよう。その中の1話を公演回ごとに違うゲストが演じている。毎回 雰囲気が違う物語が楽しめるという趣向である。
ちなみに上演中の写真(動画も)撮影OK。
(上演時間1時間50分 休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術はブルーシートを広げ、その上にリュックや太鼓、ピアニカ等が乱雑に置かれている。劇中に自分たちが飲むペットボトルが数本ある。役者は常に舞台上におり、ブルーシート内が物語の世界、シートの外はいわば楽屋でリラックスした体勢で演じている役者を観ている。

物語は、「ちょめちょめ」 と 「ごにょごにょ」という姉妹が、或る山へ思い出探しの旅へ。その道中で出会う人々の話を挿入しながら、目的地へ向かう。挿入される話は6話で、例えば 観た回のゲストは 子供だけの世界で、自分だけが大人に成長してしまう戸惑いや疎外感といった悲哀ある話。ガリヴァー旅行記のような寓話性あるもの。裏柳生六人菩薩の場面などは、Xで上演台本があるらしい。また 唐 や つか をリスペクトしたような場面もあり 結構楽しめる。ゲストも含め役者陣が発する台詞が機関銃のような早口、そこに名古屋弁が入るから分かったような分からないような。それでいて いつの間にか その迫力に惹き込まれる。

舞台技術の照明は、携帯用の器具を自由自在に動かし、もしくは手に持って自分の横顔を照射したりする。また音響・音楽は、役者が太鼓を鳴らしたりピアニカを吹いたりし、場面を煽り盛り上げる。またブルーシートを持ち上げ映写幕代わりにして、影絵のように人物(姿)を映し出す。常に喋り動き回る躍動的な活劇。前説時に尾﨑氏が観客へ掛け声や拍手を求めるなど、役者&観客で場内を一体化する。そのパワフルな演劇に心を奪われそう。
次回公演も楽しみにしております。
七曲り異聞・隠れ処京香

七曲り異聞・隠れ処京香

劇団芝居屋

中野スタジオあくとれ(東京都)

2024/10/22 (火) ~ 2024/10/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

タイトルから何となく想像できたが、第41回公演「七曲り喫茶紫苑」の続編(1年後)。その公演を観ていても いなくても楽しめる作品。同時に劇団芝居屋のしたたかさを感じる。コロナ禍で演劇界は大打撃を受け、たぶん今もその影響はあるのではないか。その原因となったコロナを題材として劇作する。その意味で失礼ながら転んでもただでは起きない、そんな強かさを感じるからである。しかし それは重要なことであろう。

少しネタバレするが、上手に平台を積み重ねただけの ほぼ素舞台。その最小限のセット、そこにタイトルー隠れ処京香という妙味が生かされている。物語は ほんの数時間の出来事、そこに前作から引きずっていた蟠りを打ち明ける。過去(コロナ禍や駅前再開発など)と決別し未来に目を向ける といった逞しさ、まるで人生の応援劇といったところ。

さて、観劇当日は断続的に雨が降るという不安定な天気、場内はけっこう蒸し暑かった。終演後 外へ出た観客は口々に涼しくて気持良いと。芝居でも冒頭 ビルオーナーの間寛子(堀江あや子サン)と七曲り「万年青」女将の影山典子(永井利枝サン)の会話シーンで、堀江さんの顔が汗で…。何気なく汗を拭きふき演じていたが、少し気の毒だった。
(上演時間1時間35分)

ネタバレBOX

場所は、東京郊外にある私鉄沿線の北口飲食街…駅北口から少し奥まったところにある5階建(ハザマ)ビルの地下室。始めはスケルトン物件かと思って観ていたが、実はこのビルのオーナー夫妻の私的社交場。夫婦の趣味は社交ダンス、しかし他人に見せるほど上手ではない。そして最愛の夫はコロナで亡くなった。寛子は夫との良い思い出は胸に仕舞い、大切なこの地下室を貸すことに。

一方 借りる伊崎京香(齋木亨子サン)は、以前七曲りで割烹料理屋を営んでいたが、突然 行方を晦ませた。実は この女将も夫をコロナで亡くしている。1年前 七曲りにあった飲食店のうち何軒かは移転することになり、その送別会というか激励会を開いた時、コロナに感染したと。そういえば 三密は避けるように言われていた時期。感染経路は定かではないが、そう思うことで気が滅入ること、どこにもぶつけることが出来ない憤りや悔しさを紛らわせてきた。七曲りの仲間に会った時、素直に喜べない複雑な心の内を打ち明ける。

この2人の未亡人を通してコロナ禍における何とも言えない理不尽さを改めて考えさせられる。死に目にも会えず、病院から火葬場へ、そして遺骨になって対面する。その「骨壺が温かかった」という台詞に実感がこもり 嗚咽がもれる。
この地下室に割烹料理屋を開店するにあたって 清めの儀式をする件は少し滑稽。取り急ぎインターネットで調べたやり方で執り行うが…。そこにも京香姐さんのために 何か手伝いたいといった温かい気持が透けて見える。

先にも記したが、セットは無く 地下室という設定から 音響も時々聞こえるエレベーターの昇降音ぐらい。まさに役者陣の演技力で物語を紡いでいく。芝居屋は「覗かれる人生芝居」というコンセプトの下に役者中心の表現を模索していると。その真骨頂ー市井の人々の暮らし、その中での人情をしっかり観せてくれた。
次回公演も楽しみにしております。

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