燦々
U-33project
王子小劇場(東京都)
2023/08/16 (水) ~ 2023/08/20 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
テーマは同じような、若い女性の<暗澹>たる気持、それでも<燦々>と生きようとする姿を描いた3短編。最近の公演は若い女優陣で紡いでおり、本作も例外ではないが 内容は性別に関係なく、人が抱える葛藤であり苦悩である。しかし 重苦しくせず、どちらかと言えば 打開しようと奮闘する様子を明るく描く。表層の面白可笑しさ、その奥に隠れた心の傷が痛いようだ。
短編のタイトルは 上演順(キャスト)に「謝ったら死ぬ病」(6名)、「ワンダフルな人生」(4名)、「意味不明」(2名)で 何となく群像から二人芝居へ。この構成は良かったが、作品の出来に差があり 全体としてみたとき 心に響かないのが惜しい。
舞台は斜めに設え 二段菱形状のよう。それに対し 客席は2方向に配置しているが 観やすさは変わらないだろう。印象に残ったのは、最近の(U-33project)公演に比べ<心情と情景>の違い、それを照明の諧調によって表現しており巧い。
(上演時間1時間35分)
ネタバレBOX
「謝ったら死ぬ病」
すぐに謝ってしまう少女、診察した結果「謝フィラキシーショック症」らしい。このまま謝り続けると死んでしまう。そして「怒」「泣」といったフィラキシーショック症候群に悩む少女たちと出会い、悩みの共有と打開策を練る。まずは食生活の改善を試みるが失敗。心の問題は自分自身に向き合うこと。謝る・怒る・泣く といった感情を過度に意識しない平静さが大切。自信の無さ、対人恐怖といったアリがちな心の悩みを明るく描いた短編。それまでの物語を ラジオの人生相談に語っているかのような。
「ワンダフルな人生」
<隣の芝は青い>または<王子と乞食(差別用語か?)>といった、他人の暮らしを羨むような。劇中 「私より辛い人生の人はいない!断言出来る!」とあるが、その辛さが伝わらないため共感が得られない。人の身なりや姿形に惑わされず その本質を見ることや、周りに流されない意思をもつことの大切さ、といった寓話を思わせる。物語では橋本環奈の暮らしに憧れ、神様がその願いを叶えてくれるが…。その暮らし 体験してみれば、思った以上にハードで過密スケジュールに悲鳴を上げる。そして予定調和の結末へ。
「意味不明」
「エンターテイメント」をキーワードにした心象劇のよう。私とあなた という二人称でありながら自分への自問自答のような気もする。人々を楽しませるだけで、自分は楽しまないのか。人の心を魅了して離さないためには 自分自身が楽しんで、その気持を伝えることが必要なのでは…そんな2人の遣り取りというか(1人)心の葛藤。人の心にある表裏をエンタメの原義に絡めたドラマのよう。この物語では何を伝えようとしているのか?作者(結城ケン三氏)=登場人物 わたし のエンタメに対する思いを語っているのであろうか?まさに<意味不明>のような。
若い女性の葛藤や憧憬のような心の様(サマ)を淡く揺れるような照明で表す。全体としては 淡色照明で明るくすることで、重苦しい雰囲気にしない。またシーンによっては 朱紙(セロハン)吹雪+照明効果で気持ちを吐き出させるような。この演出はU-33projectの特徴のようだ。
次回公演も楽しみにしております。
大きくなった未来
時々、かたつむり
シアター711(東京都)
2023/08/09 (水) ~ 2023/08/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
現在から少し前(2019年頃か)を顧みたような話だが、直截的な繋ぎ 描き方ではなく、捻りを利かせており上手い。演劇でありながら観せ方は、映画のカット割(編集)を用いたようなショートシーンを小刻みに繋ぐことによってテンポ良く展開していく。冒頭とラストは、雨=涙という比喩を述べるが、それは これから始まる悲し涙、嬉し涙の物語を表している。
チラシに「8年ぶりの公演、ようやく今、再始動するとある。描くのは挫折と復活の話」と…日笠家という家族を縦軸、時々の社会情況を横軸にして、人間愛と厳しい現実という悲喜交々を描く。2023年 今を生きる観客こそが未来人であり、4~5年前のことを俯瞰的に観ているような感覚になる。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台は暗幕で囲い、ほぼ中央から下手にかけて舞台前 後を区切る衝立、その出ハケによって場所の変化を表す。舞台にあるのはミニベンチ、イスだけというシンプルさ。天井には雨を表しているであろう細い鎖が幾筋もある。
設定の2019年頃は、高校時代の授業で8年前に大災害、そして2020年になる前にマスクの用意から推定したが…。
日笠家は両親と3人の子(長女・次女・長男)で、TVゲームで遊ぶ 懐かしい光景を見せ、すぐに大人へ。それから高校時代へ戻り と時間軸の変化が速い。長女は嫁ぐが、離婚したと言い実家に戻ってくる。次女は雨に濡れると体調が悪化し記憶障害を起こす。長男は映像に関わる仕事をしていたが、母の死を切っ掛けに止めた。父は最近体調が良くない、といった夫々の近況を描く。この家族と関わりのある人々の出来事も紡ぎ、人間ドラマを展開する。
一方、社会では通信障害という現象が広がっている。スマホ等の通信機器をはじめ電話することでも障害感染してしまう。YouTuberとして稼いでいた人もイベント司会へ転職せざるを得なくなる。通信機器にマスクという防護の施しは、コロナ禍における感染拡大防止そのもの。劇中、感染拡大を防ぐためには船舶で云々といった台詞もある。内容的にはコロナ禍の状況だが、敢えてタイトル「大きくなった未来」へ繋ぐため、通信障害の拡大として描いている。同時に最近のマイナンバーカードに係る障害をも連想する。コロナ、通信障害の感染防止は、どちらにしても人との関りを制限せざるを得ない。
日笠家の長男 碧は近々結婚することになっていたが、そんな時に父が亡くなる。葬儀の(通信)連絡手段が制限される中、婚約者 悠木穂香が結婚式と葬式を一緒に行うことを提案する。その「合同 結婚葬式」のため案内状を書く。そしてYouTuberとして電波の向こう側にいた人が司会者として目の前に現れる。通信機器という文明の利器に頼らない、基本的(手動)な対処に可笑しみをみる。
次女が記憶を失いつつあるが、その原因は明らかにされない(若年性認知症か)。アルバムや映像フィルムを見て、幼き頃からの思い出に浸る。家族の<かけがえのない歴史>がそこにはある。離婚と言っていた長女が妊娠していることに気付く。母そして父が亡くなり悲しみが、一方 長女に新たな命が、そして長男は結婚し と嬉しいことが…。雨という涙で締めくくる。
全体として 時間と同時に物語も流れてしまい、引き込む<力>が弱くなり 印象が薄くなったのが恨み。
次回公演も楽しみにしております。
マテリアルパレード
LUCKUP
ザ・ポケット(東京都)
2023/08/09 (水) ~ 2023/08/20 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
秘密裏に動く影の組織同士の死闘、そのアクション中心の公演。見所は勿論アクションシーンだが、物語に潜む怖さが<戦争><紛争>を連想させる。一方 小ネタで笑いを誘うが、それは何も知らない滑稽な市民の姿であり、世に蔓延る不安 恐怖を可笑しみに包んだ、皮肉であろうか。
*公演中につき、ネタバレ注意。
(上演時間1時間30分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は二層、中央は両側に階段がある台形状、下部は刳りぬき抜け道があるよう。正面の壁 上部にプロジェクターを用いた映像で情景を描写する。
紛争孤児のケイトは 妹アキナと暮らしており、いつも守っていたが…。新たな紛争で離ればなれになり、ケイトは世界維持機構「マテリアル」に拾われ、そこの実行部隊に所属した。一方 ケイトも「サンサーラ」という組織に拾われるが、記憶を操作・消去される。この2つの組織が、ある地方都市の開発を巡る騒動で敵対し、死闘を繰り広げることになる。
この地方都市の大部分は山林、しかし その山林内にカイン村という特異な地域が存在する。そこは階級制(金・銀・銅・鉄)による管理社会、合理的な秩序で統治するという言い分。そして一定の人口数にするため調整を…。村の存在、その禁忌が世間に知られないよう、都市開発を推進する市長を排除しようと動くサンサーラ、一方 市長を護衛するマテリアル、斯くして戦いが始まる。
サンサーラは人体実験を繰り返し、人造人間を作り出しており なかなか仕留められない。戦時の人体実験というと、日本の七三一部隊をはじめ、各国で行われた行為を連想する。戦争は最悪の不条理と解っていても無くならない。だからこそ、現実にあったであろう人体実験は、今後あり得るのではと 恐怖する。またコメディリリーフとして登場するのは何も知らない、知らされない一般市民の姿という恐ろしさ。この二重の恐怖が現実に繋がる隠れた肝のよう。
公演の魅力は、スピード・キレ・ダイナミックなアクションシーンであろう。二層という高さを生かし、時に客席通路から という躍動感・刺激が堪らない。映像の中で動く人物、映像なしで人影として観せるといった巧みな照明、またエコーを利かせた音声も不思議と効果的だ。人物の衣裳も戦闘服らしく臨場感を漂わす。俳優 その外見・役キャラ …舞台そのものが〈絵〉になっている。
次回公演も楽しみにしております。
ノストラダムス、ミレニアムベイビーズ。
劇団身体ゲンゴロウ
シアター・バビロンの流れのほとりにて(東京都)
2023/08/06 (日) ~ 2023/08/11 (金)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
ミレニアム(2000年)生れの小学6年生の群像劇か、それとも主人公 ゆきのりとその級友 りょうの心象劇か。何となく中途半端な印象である。どちらかを中心に描いたほうが、もっと印象的になった。
チラシにもあるように「金魚鉢の魚のように、教室で僕らは群れをなしている」は、それぞれの登場人物の背景を描き、狭い世界(教室)でマウントを取り合っている。一方、ラストは先の2人の夫々のモノローグ、その思いを激白する。
2012年、東北地方(宮城県か)の小学校。前年の東日本大震災を背景にしているところもあるが、緊密性は感じられない。少しネタバレするが、教室におけるヒエラルキーを覗き見て、虐めという負の連鎖に心が…。劇中一人ひとりが叫ぶ「教室は、戦場だ!」は、逃げ場のない教室で、いかに上手く立ち回るか。小学校を舞台にしているが、実は大人になっても勤め先、いや社会という枠の中で どう上手く立ち回ろうか四苦八苦している。そんな光景が垣間見える可笑しみと悲哀を感じる作品だ。
(上演時間2時間5分 途中休憩なし。アフタートーク20分)
ネタバレBOX
舞台美術は、ほぼ素舞台であるが、状況に応じて後ろの衝立(壁)が左右に開き、奥から東日本大震災時の立ち入り禁止(地区)を思わせるオブジェが迫り出してくる。この演出は前作にもあった。
アフタートークのゲストは生田みゆき女史(演出家)であった。トーク で登場人物(級友)は皆 被災者であるが、その背景の描きが弱い。被災経験者と距離感のある(被災地から遠く離れた)者とでは捉え方に感覚的な違いがある。観ていて 教室内の出来事と被災という背景に距離を感じる、そんな趣旨の話をしていた。脚本・演出の菅井氏は被災経験者であり その感覚の違いか。
主人公 葛西ゆきのり は母子家庭、父は大震災で行方不明のまま。震災前日に父と諍いをしたことがトラウマになり、自分の主張をしなくなり争いも避ける。級友から仲間外れにされないよう周りに気を遣い不自由だ。一方、雨宮りょうは 空気が読めずクラスの嫌われ者、友人がいなく孤独だが自由でもある。そして彼は母が失踪し父子家庭。この親1人子1人という似たような境遇にありながら、心持はまったく正反対な二人が微妙な距離感で親しくなったことで 少しずつ世界観が変わる。
物語では、クラスメイトのそれぞれが抱える苦悩を描き、虐めることによって自分の存在を知らしめている。いかに仲間外れにならないようにするか、強い者は その立場をいかに守るか。虐める側か虐められる側か、まさに教室は戦場だ!この教室内の出来事は面白く描かれているが、震災に係る場面はやはり弱い。劇中でも ゆきのり の思いだけが描かれている。
演出は、アフタートークでも 司会が話していたが、ソフトボール大会のシーンが好評らしい。たしかに 投打を色々な角度で見せ、音楽と相俟って迫力・緊張感ある場面を描いており巧い。
ラストシーン…ゆきのり は、自分(の意思で)一人で生きていけるような強さがほしい。一方、りょう は、寄り添える仲間がほしい、といった今までの生き方とは違う思いを激白する。いつの間にか入れ替わったような思い 考え方は、二人の友情の表れであろうか。
次回公演も楽しみにしております。
六英花 朽葉
あやめ十八番
座・高円寺1(東京都)
2023/08/05 (土) ~ 2023/08/09 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
大正から昭和にかけての映画界、そこで活躍した弁士の生き様、人間模様をリアルに描いた秀作。映画界における技術革新ーサイレントからトーキーへ、という潮流に飲み込まれた人々。浅草寺境内にある弁士塚には「幾多の名人天才相次いで現れ その人気は映画スターを凌ぎ わが国文化の発展に光彩を添えた」とある らしい。そして「昭和初期トーキー出現のため姿を消すに至った」と。まさに この公演の「大正ロマン」と「昭和モダン」のことであり、映画の一時代を築いた弁士を生き活きと活写する。観応え十分、ぜひ劇場で。
(上演時間2時間15分 途中休憩なし)【昭和モダン】
ネタバレBOX
舞台美術は 中央に紗幕(銀幕でもある)、そこに関東大震災で倒壊した凌雲閣を映し、物語に出てくる写真活動弁士 所縁の浅草、近くの玉の井という私娼街を連想させる。上手 下手は非対称ながら鉄骨で組んだ空間、上手の上部は主に私娼街にある銘酒屋、下部は楽士が演奏するスペース。下手は弁士たちの活躍の場 緑風館と演台がある。
主人公・根岸よう子、芸名 郡司葉子そして活動写真弁士として荒川朽葉(金子侑加サン)が、走馬灯のように述懐する。その話術が本当の弁士のようで 物語をグイグイ牽引していく。あやめ十八番らしく、 生演奏による心地良い雰囲気作り、多彩な照明での印象付けなど、映画とは違った魅力で観せる。映画界を演劇舞台として見せる、そこには幼い頃から励んだ<芸>すら、科学技術には敵わないといった悲哀。翻って 演劇という<芸術>の先々はどうなるのか。そこには時代を読み取る<力>と<対応>が求められる、これは演劇に限ったことではないが…。
物語は音無き者とサイレント…その代弁(説明)者を重ねるように描く巧さ。抜けられるようで、抜けられないといった袋小路の私娼街、それを当時の映画界…サイレントかトーキーか、といった潮流というか渦に翻弄される人々の迷い道(人生)に重なる。それは音無き者と映画界を繋ぐことによって、一層 音の ある なし といった世界と関連付けている。
根岸よう子99歳の生涯、その足跡をしっかり刻み込む。走馬灯は単なる愚痴の述懐ではなく、その人生を力強く肯定するかのよう。
演劇は、どんなに事実・事件・人物等をリアルに描いても、あくまで虚構の世界。 好みのジャンルも違えば、贔屓の俳優も異なる。どれだけ興味や共感をもって、または楽しんで観ることが出来るか。映画ファンでもあるが、知らなかった写真活動弁士の生き様や当時の映画界の事情を、好きな演劇を通して垣間見ることが出来た。あやめ十八番は、人の関心を擽り 万人受けするような劇作をする、そんな印象を持っている。
次回公演も楽しみにしております。
KOTODAMA
演劇Lab.シェノナリウム
新宿ファンタジーホール(東京都)
2023/08/05 (土) ~ 2023/08/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
#シェノナリウム
#コトダマ
コアなファンと演劇仲間に支えられた公演のようだ。Twitterで「演劇Lab.シェノナリウム」は小さな幸せを紡ぐ場所、そんな意味を込めている とある。そして会場が新宿ファンタジーホール。因みに 施設の正式名称は「新宿44(しあわせ)FANTASYタワー」で、「44」は四谷四丁目の略で、四と四を合わせるとかけて「しあわせ」と読むらしい。プロローグ公演<第0回公演>を なんてシャレた場所で上演することだろう。
タイトル 「KOTODAMA」は<言霊>のことであり、舞台人らしい物語を紡ぐ。が、物語の雰囲気は表現されているが、描いている内容が表層的で 深みが感じられないのが残念だ。
(本編45分 アフタートーク15分 計1時間)
ネタバレBOX
この会場の構造をそのまま利用したような舞台。上手に階段、下手が主な舞台で奥に白いカーテンが吊るされているだけ。全体的にオフホワイトで浮遊感がある。
(*役名が分からないのでキャスト名で記載)
或る劇団の公演で、脚本に死のシーンがあると それを演じた俳優が意識不明になってしまう。その意識は言霊の世界に閉じ込められ、その間、現世では意識がない状態になっている。村中友香サンは5年前に言霊の世界へ、そして今また鳥居香里サンと秋田千帆サンが…。主宰で脚本家/咲楽あさみサンは、書くことを恐れ劇団も解散しようとする。一方、言霊の世界にいる吉見碧サンは、今まで孤独な世界であったが3人の俳優がやってきたことで楽しいと。しかし3人は現実の世界へ帰りたいと願う。現実の世界で咲楽サンが生き返る脚本を書くこと、そして吉見サンが言霊の世界を消滅させようとする。台詞に込められた<生と死>という普遍的な言葉(言霊)の力をファンタジー風に描いた短編。
設定は演劇人らしい発想で面白いが、生死の往還が単純で深みが感じられない。脚本で死のシーンがあるだけで別世界へ遊離してしまう。逆に言霊の世界に閉じ込められた観点から描いたら、この世界から脱出するためには脚本家に生き返らせるために力強い台詞を書かせる、そんな必要性が迫ってくるのだが…。
振付は、脚本に書かれた台詞の<力>を表す、本を開くような動作。言霊を表すような指し示す動作。その分かり易い仕草は、手話を連想する。また世界観の表現であろうか、現実の世界ー咲楽サンの衣裳は黒(濃紺?)ストライプ、一方 言霊の世界ー吉見サンは白ストライプで対照的な色彩。音楽も含め 細かい工夫をしており、全体としては好印象だ。
次回公演も楽しみにしております。
月の鏡にうつる聲
おぼんろ
Mixalive TOKYO・Theater Mixa(東京都)
2023/08/04 (金) ~ 2023/08/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
「桃太郎伝説」という歴史ロマン、それを壮大な幻想劇として描く。その〈滅亡と再生の美学〉に酔いしれる。今まで観てきた おぼんろ公演の中では一番世界観が はっきりしており分かり易い。
桃太郎と温羅(うら)の出会いと別れが、こんなにも美しく哀しい物語へ昇華する。時の権力者の思惑に翻弄される住民たち、それは時代を超えても…。「戦争の風潮が世界に影を落とす2023年、大幅な改稿と新たな演出で幕を開ける」は、まさに 時勢を捉えたと言えるだろう。見応え十分。
(上演時間2時間25分 途中休憩なし)追記予定
桃太郎の大冒険
劇団龍門
阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)
2023/08/03 (木) ~ 2023/08/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
㊗️第20回公演、劇団の代表作にして「2016年シアターシャイン最優秀作品賞受賞作品」…その再演は観応え十分。サスペンス ミステリーとして展開していくことから公演終了までネタバレ厳禁。
物語は、「桃太郎」という子供向けの お伽話ではなく、どちらかと言えば大人向けの啓発劇のよう。劇中、何回か繰り返す「今を生きることがサバイバル」という台詞が切実だ。どう生きるのか、その運命を握る者とは…その関係を鋭く捉え、考えさせる濃密な作品。その視点の奇知が物語の肝であり、面白さだろう。ぜひ劇場で!
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台セットは 中央に平台、その周りを柵のようなもので囲っただけのシンプルなもの。
物語は、動物界におけるヒエラルキー、それを人間とそれ以外の動物の観点から それぞれ捉えた問題作。人間の身勝手さ、しかしそれに抗うことができない動物たち。その生死さえもである。「人の命は地球より重い」 多くの人が、耳にした言葉だろう。しかし あくまでも<人の命>である。
物語は、擬人化した動物の背景を描くことによって、様々な人間のエゴを浮き彫りにする。そこには自然(動物界)の摂理ではなく、人間社会のルールによって生殺与奪が決まる。この悲痛な叫びを<人間の声>と<動物の声>を重ねた音響で印象付ける。
再演の可能性があるため、内容は伏せておくが、そう簡単には解決できない問題。表層的には制度の問題として描いているが、根底には人の考え方と行動に由る、と思う。
次回公演も楽しみにしております。
イーハトーボの風のうた
ミルキーウェイ
ティアラこうとう 小ホール(東京都)
2023/08/01 (火) ~ 2023/08/03 (木)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
宮澤賢治の「風野又三郎」は読んだことがなかったが、この音楽劇では人間と自然界、特に<風>との交流を描いているよう。<風>と人間の交流…ありえないようなコトを抒情豊かに描いており、その意味では空想劇といったところ。人間の先生(達二)と又三郎という色々な風との出会いと別れ、その気ままな<風任せ>な光景を楽しく愉快に観せる。
当日パンフで脚本・吉野則子女史が「風野又三郎」は<風の精>として こどもの前に現れる。そして風のいたずらや自然の驚異…とある。いくつもの小話・寓話を繋ぎ自然界と人間の関わりを興味深く語る。勿論、音楽劇と謳っているから生演奏や独唱・斉唱などで聴かせる。
公演の魅力は、衣裳や被り物で親しみのある観せ方をしており、幅広い世代に好まれるであろう劇作。特に風の恰好は白地で浮遊感ある衣裳で上手く雰囲気を出している。一方、淡々とした印象で 盛り上がりに欠けるようで物足りない。
気になったのは、勘違いかもしれないが ピンマイクのせいか、一部 雑音や声音に悪影響があったのが憾み。
(上演時間1時間30分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
正確ではないが、円形の三分の一(120度)程度の扇型舞台。奥にピアノ、それ以外には絵柄のある箱馬がいくつか置かれているだけ。基本は素舞台。
物語は先生(達二)が風の「又三郎」と出会い、自然界の営みや生態を垣間見る。それは 種山が原の生物たち(おきなぐさ、蟻、キリギリス)や夢の生物たち(猿、ひわ、カッパ?)そしてアルペン農である。どの挿話も淡々と表現し深堀することはしない。あくまで風という自然現象と人間との関わりが中心であり、先の挿話は人も含めた動植物全体に風が何らかの影響を与えていることを描く。又三郎にはグランママ・おじさん・マダム・GIRL・BOYといった家族を表す名があり、そこには色々な風(例えば暴風・微風等)を表現している。物語の芯は人間、特に農家との関わりを描いており、宮澤賢治らしい寓話が込められている。
音響・音楽はピアノの生演奏だけではなく、風の吹く音。照明は 風が流れる様子を後壁に映す。先にも記したが、風の衣裳は 白っぽく浮遊感あるものを着ており、全体的に軽やかな雰囲気を漂わす。舞台技術にも工夫を凝らし、壮大な自然界を表現しようとする。淡々とした描き…それは自然界 そして人間の日常、その変わらぬ光景の表現であろうか。そこに刺激ある出来事を持ち込んで観(魅)せて欲しかった。
音楽劇、それもミルキーウェイ独自と謳っていることから、最大の特徴点であろう。歌(当日パンフによれば全15曲)は物語全体、そして挿話毎に独唱や斉唱で聴かせる。例えばプロローグでは♪「どっどどどどうど」、Scene1の又三郎BOY♪「星めぐりのうた」など馴染みのある歌、そして気になったのが、Scene2の又三郎GIRL♪「元気な風のいたずら」を歌った吉野則子さんの歌声にノイズのような雑音が混じり、また所々で音量が不安定になったような。それ以降~エピローグ、フィナーレまでの音楽は安定していた。以前、合唱団に入っていた時期もあり、どうしても<音>は気になる。
次回公演も楽しみにしております。
SUN ON THE CEILING@ありがとうございました!
劇団マリーシア兄弟
シアター711(東京都)
2023/07/29 (土) ~ 2023/08/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。お薦め。
創立80年の総合病院における院長後継問題、そこで働く医者等の諸々の事情を絡めて面白可笑しく描く。しかも個々人が抱える事情に医師という職業ならではの深みと味わいを持たせている。病院の一室、次期院長を選ぶ会議迄の数時間という限られた場所と時間のワンシチュエーション、その設定が妙。話している内容は医療に関わる専門的なことから家庭事情まで幅広く、そして含みを持たせた会話に興味を惹かせる巧さ。勿論 その散りばめられた話題は丁寧に回収していくが、そこに医師という職業の厳しさと家庭人としての優しい顔が見える。
物語は夫々の人間性を巧みに描きつつ、説明にある院長の死、大物官僚の手術失敗、救急搬送された死刑囚の脱獄といった特別な出来事を絡める。これらの出来事は本筋とは別に、物語を紡ぐ上での人間模様ー親子の情を思わせる。本筋は病院=医療現場で命と向き合う医師の姿を登場する人数や考え方の違いを通して多角的に観せる。劇中で医師だけが患者のことを思っている訳ではない。医療に携わる全ての人が…そんな熱い思いを語らせる。
救急医療担当の医師は、かつて紛争地域での医療に携わっていた。人(医師や看護師等)も物資も足りない中で目の前の患者を助けたい、その強い思いで医療にあたっていたが…。紛争地域の野外テントの中であろうが、設備の整った大病院であろうが、命に向きあっていることに変わりはない。病院の後継者争いの滑稽さ、それを命の重さをもって皮肉る。さらに、点描してきた医師の家庭事情が大物官僚と研修医の関係に結びつく。この公演の魅力は、説明にある出来事が全体を包む伏線になっており、その懐の深い優しさ温かみが観客の心を揺さぶる。観応え十分。
因みに、この公演(物語)の続きを観てみたいが…。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし) 【晴天】
ネタバレBOX
舞台美術は、総合病院のある一室。横長のテーブルが会議用に並ぶ。そのテーブルと椅子だけの空間だが、仮眠用のベットにしたり 野外テントをイメージさせる。
長く糖尿病を患っていた院長が転落死した。それは事故か他殺か、司法解剖の結果待ちである。そんな状況下で、次期院長になるために各科の医師ー救急科、外科、心療内科、内科、麻酔科、そして研修医まで集めて自分を支持するよう裏工作をする息子。院長/父のことを知っているようで何も知らない息子、大物官僚と研修医が実は親子関係にあること。そして実の母が認知症になり、息子のことをパパと呼ぶようになる。色々な意味での親子関係が紡がれる。
どの患者にも「(人生)この景色が最期ではない」といった声掛けをする医師、その背景には戦場で多くの患者と向き合い、一人でも多くの命を救いたいとの思いが、その言葉<希望>になっている。戦場での習慣であろうか、長テーブルをベット代わりに寝ている時に現れた同僚ーそのカメオ出演が劇中夢に陰影を刻み込む。物語は大学 医学部の後輩で元医者だったジャーナリストが、客観的な立場で物事を見る。同時に尊敬していた先輩医師の死…その真相が一層<命>の尊さを強調する。脚本の面白さと 軽妙さと重厚さが入り混じった演出の妙、この調和が 劇団マリーシア兄弟の特長だろう。
院長は糖尿病にも関わらず 酒も煙草も嗜んでおり、その事実を息子は知らなかった。転落後の院長が漏らした言葉は、息子に跡目は継がせない。院長の机にも同様のことが書かれた「遺書」があるという。後継者争いの相手と思っている叔父に その気はなく、息子の一人相撲である。
それを知って、息子の態度が変わるのか否か、その後の展開…夕方から始まる院長指名会議が気になる。この公演の続きが観たいのだが…。
次回公演も楽しみにしております。
みんなのえほん
9-States
小劇場B1(東京都)
2023/07/26 (水) ~ 2023/07/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
生と死をテーマにした普遍的な内容で、典型的なヒューマンドラマ。公演の魅力は、主人公の気持の揺らぎ、それを周りの人々の思いや思惑で さらに振幅させ感情を揺さぶる。その一様ではない〈心〉を描いているところ。タイトル「みんなのえほん」は、主人公が絵本作家であること、そして誰のために 何のために描くのかを問うている。
人は平等にサヨナラ=死が訪れる。勿論 自分にも訪れるだろう。しかし、医師から余命宣告をされないかぎり、日々 「命」のことを考えて暮らすだろうか。そんなことをしていたら疲れてしまう。演劇としての面白さ、一方 現実味が伴わないから感情移入できない虚しさ。逆に 周りの生きている人々の本音…余命宣告された人をも利用する打算とエゴにリアリティを感じ怖い。物語では主人公の情報が少なく、周りの人々との会話によって彼女の今が観えるという巧みな展開。
舞台は病院の四人部屋。その入院患者と部屋外の人々(親、夫、幼馴染み、仕事関係者・編集者等)の遣り取りから、病室という特別な空気感…諦念、不自由、遣る瀬なさ等 、一方見舞いに来る人々は自由で野心に溢れている。親や夫にしても、寄り添っているという満足・安堵感が透けて見える。部屋の内外、その狭い広いといった物理的な違いに精神的ー不自由・自由ーな苦痛が観える。狭い世界を破るのは 無限に広がる想像力に外ならない。その結果、壁面へ“世界一優しい絵本”が…。
(上演時間2時間5分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
病室の4人部屋、東西南北のように四方に配置されたベット、その一角に机が置かれている。端的に言えばリビングウィルを考えさせる内容。普遍的なテーマゆえ感動は必至であるが、もう少し現実感が伴うと、もっと心に響くと思うが…。
主人公・絵本作家 いろは(松木わかはサン)は余命半年。しかし 主治医はそのことを本人に告げていない。なるべく延命治療を施したい考え、一方 限りある日々だからこそ本人のやりたいこと、その意思に沿った行為をすべきという考え。医療従事者の答えなき苦悩を浮き彫りにする。いろは は、絵本を描くことが好き。一方 担当編集者は自分の私欲のために彼女に世界的な賞の授賞を目指させる。本人は、いつの間にか 絵本を描くこと=賞授賞に意思が摺り替わり苦悩し始める。
患者と医師のそれぞれ別の苦悩を描きつつ、それが心の奥で燻ぶる何かに共通してくる。絵本は誰のために描くのか…絵本を読んだ人の笑顔を見たい、それが自分の思いでもある。治療も患者のため、延命治療するか否かも患者次第なのかも知れない。余命を知らされず亡くなった同部屋の詩織(石井玲歌サン)ー母・恵(吉田汐サン)は子に先立たれる悲しみ、一方 詩織は長生きが親孝行と思っていた。色々な思いを抱くことになった あかね(板本こっこサン)、余命宣告されてからも生き続けるタマちゃん(浅賀誠大サン)の醒めた目。病室という狭い空間ゆえに親密になる患者同士、しかし夫々の事情を深堀することなく、今あるコトを紡ぎ現実の厳しさ儚さを観せる。
一方、死を現実のことと意識していない者…編集者 綾瀬みのり(黒崎雅サン)は、売れる絵本を編集することで自分の価値を見出している。エゴのように思えるが職業としての行動か。この編集に携わる人々(編集長 小池首領サン)の方針の違いも描いており、いろいろな意味で観点というか立場の違いを表すことで物語を幅広にしている。
演出はモニターに映す含蓄ある言葉、壁に映し出した<世界一優しい絵本(チラシ絵柄)>が印象的だ。照明はシンプルな明暗とスポットライトによる人物(心情)表現。
次回公演も楽しみにしております。
BIG MOUTH
GHETTOプロデュース
Gyoen ROSSO 198(東京都)
2023/07/29 (土) ~ 2023/07/29 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
楽しいエンターテイメントショー‼ 満席。
客の9割以上が女性で、男性は数えるほどだ。はじめは場違いかと心配したが それは杞憂だった。「演劇」というよりは「ショー」といった趣だが、始まってみれば しっかりドラマが立ち上がる。「ようこそ!男性ストリップ『L&J』今を喋れぬ俺たちが、裸で語る夢現実」という謳い文句…上演前は 筋肉質のイケメンキャストが黒いビキニパンツで場内を歩き回り 接客する。女性客の嬌声と乾杯の声が方々で聞こえる。女性客が推しのキャストに酒を奢り乾杯をする、と隣席の女性が教えてくれた。偶然にも常連客の隣に座ったことで色々なことが聞けた。日々の憂さを晴らす一夜の桃源郷のような、常連になるのも肯ける。
なんと、8月にも上演するという。また楽しみな公演情報を得た。
(上演時間1時間30分)
ネタバレBOX
タイトル「BIG MOUTH」は、まだ何者にもなっていない、そんな駆け出しのダンサーを表している。主人公は、説明にある「俺の居場所はブロードウェイと大口たたき続けるソラが騙され、抱えた借金返済の為に辿り着いた先は新宿二丁目」にある男である。会場Gyoen ROSSO 198を「男性ストリップ『L&J』」に見立て、裸で激しいダンスを繰り広げる。時に ダイナミックなポールダンスを魅せる。舞台だけではなく、客席通路も使い躍動感を出すと同時に 観客との密接度というサービスをも表す。
物語は『L&J』にソラが入店するが、先輩ダンサーと上手くやっていけない苛立ち。自分はこんなチンケな店ではなく、ブロードウェイが舞台と大口をたたく。そのくせ女に貢がせ自分の借金を肩代わりさせる。が、店の流儀や踊ることの魅力、何より自分の未熟さに気付きだし…。
そんな時、リーダーの子が交通事故に巻き込まれ、輸血が必要になる。リーダーは別れた女房の子を1人で育てている。実は血の繋がりがなく、自分は輸血できない、そこでソラに頭を下げ 輸血を頼む。俺の足にしがみつき立つ息子のために踊るんだと言い放つ。このシーンがグッとくる。
全体としては、生意気な若者の成長譚、ヒューマンドラマといった描き方である。
物語の牽引役にして、『L&J』の支配人役であるマペヲ氏の独特の風貌と語り口が場内の雰囲気を和ませつつ、自然と話を引っ張っていく。また高額納税者ならぬ それぞれの推しキャストへ貢いだ数人の女性への御礼なのか、舞台へ上げサービスをする。それが嫌味ではなく、見ている観客をも楽しめる参加型の公演。
次回公演も楽しみにしております。
犬と独裁者
劇団印象-indian elephant-
駅前劇場(東京都)
2023/07/21 (金) ~ 2023/07/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
劇団印象-indian elephant-鈴木アツト氏の脚本・演出で評伝劇を上演するのは5作目。その「国家と芸術家シリーズ」4作の評伝劇から次なる評伝劇のスタイルに挑んだのが、本作である。国家と芸術家シリーズは、主人公の生涯をその時代(状況)に重ね合わせた通史的な印象を持っていたが、本作は作家の生涯をその作品を通して時代を切り取ったスタイルにしており、一層 幅と深みを増した公演になっている。
本編に主人公である作家ミハイル・ブルガーコフの代表作を劇中劇のように取り入れていることから、如何にも芝居がかった演技になっている場面があり、本編の演技との関係では不自然・違和感を覚えるところがある。その調和というか調整に腐心したのではなかろうか。その意味では 同じロシア作家・アントン・チェーホフの「かもめ」や「三人姉妹」等であれば、自然とそれとなく分かり合点がいくところ。しかし 本作の魅力は、ミハイル・ブルガーコフの作品を通して、歴史に名を残したスターリン、それも独裁者としての国家観を描くという着想にある。それまでの評伝劇…芸術(作)家という個人の直接的な観点 ではなく、作(芸術)品という媒介を通して、より一層 作家と作品そして国家の関わりが鮮明に浮かび上がる、そんな重層さが魅力だ。さらに冷徹・客観的に国家観をみる、そんな観察眼のような印象を受ける。ちなみに<眼>と言えば、舞台美術が<眼>を思わせ、物語(内容)に対するセットの拘りを感じる。
ミハイル・ブルガーコフについては、当日パンフに ある程度詳しい紹介があり、より詳しくはWikipedia等ネット情報で。本作は、説明にもあるように「モスクワ芸術座からスターリン生誕60周年を記念した”スターリンの評伝劇”を書くように依頼される。その二年後、病気でこの世を去る。本作では、この晩年の二年間を描いている」とある。若かりし頃の内容は、彼の作品「犬の心臓」「巨匠とマルガリータ」という批判・風刺を用いて描いているよう。彼の生涯と作品が付かず離れず寄り添うように描かれ、その先に独裁者(国家)を見据えている。劇中 スターリンは登場しないが、演劇という虚構性をもって <詩>では民族を超えることができないが、<死>で国家建設を成し遂げる…そんな強く印象的な台詞を言わせる。まさに虚実綯交ぜの力作だ。
劇団印象-indian elephant(鈴木アツト氏)は、「国家と芸術家シリーズ」という硬質 骨太作品を上演する前は、別の劇作 例えば子供向けや私小説の戯曲化だったと記憶している。常に新たな試み 挑戦をしており、先にも記したが 本作も違ったスタイルの評伝劇を模索している。自分的には好感が持てる仕上がりになっており観応え十分だ。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし) 追記予定
Sign of the times
オフィスプロジェクトM
Paperback Studio(東京都)
2023/07/27 (木) ~ 2023/07/31 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。満席
Sign of the times…世相という意らしい。が、この世相は演劇・映画など芸能界をはじめ色々な所で問題になっていることを描く。今に始まったことではないが、それまで表沙汰にならなかっただけ。それを3人の作家による微妙にテイストが異なる3作品を3人の俳優が演じるという試み。総合演出・構成台本は丸尾聡 氏、ゆえに 別名「丸尾祭り」とも言うらしい。御年59歳で、来年60歳の還暦記念公演を、いやいや今できることは先延ばし しないという。
「3作家の3作品(短編)が連なり重なり合い、3人の俳優によって一つの物語へ」という触れ込みだが、寄木細工もしくはジグソーパズルのようにピタッと整合性があるように まとまるわけではない。それぞれの短編に描かれているコト、それが今の時勢であり、古き良き時代などという懐古的なコトとは一線を画す。特に「もらえるまで」(作・大西弘記 氏)は自虐ネタかなと思えるような。そして「量子探偵とフレーム密室」(小野寺邦彦 氏)はSF風だが、最近話題の「Chat GPT」を連想し、一つの物語を構成したのは などと愚にもつかない想像をしてしまう。
観方(視点)を変えると違った結論へ、そんな怖い面をも描いており強かな物語である。「背中をむける」(吉田康一 氏)では男女の恋愛、それも年齢の離れた師弟関係にある者が好意を抱いたらどうなるのか。当事者ではない者が介入することで恋愛問題が社会問題へ変転していくような怖さ。
視点といえば、この会場へは初めて行った。2022年オープンというから新しい。制作サイドから最寄り駅(千歳烏山駅)から会場迄の丁寧な道順メールを受信。会場は芦花公園駅とのほぼ中間点にあり、自分は新宿に近い芦花公園から歩いた。視点とは違うが、向かう方向が逆だと景色も異なる(当たり前の話)。世相も視点等が異なれば違った結果になるかも、そんな考えさせる内容だ。
作品間に休憩はなく、3俳優は 素早く着替え場転換をする。3俳優の役柄は ほぼ等身大の年齢で見た目の違和感はない。勿論 3作品で演じる役はまったく別の者であるが、淡々と情感溢れる演技に引き込まれる。同時に、比較的小さい会場ゆえの密接感、その至近距離が臨場感を漂わせる。よい会場での良い企画公演。
アフタートーク:吉田康一 氏。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし。アフタートーク20分ほど)
ネタバレBOX
奥に目隠し用の衝立があるだけの基本 素舞台。上手 下手に演台等が置かれており、情景に応じて小道具を動かす。また 短編毎に衣裳替えを行う。
[背中をむける]
女子大生が思わせぶりな態度で教授に言い寄る。が、その妹が現れ姉が傷ついた、どう責任を取るつもりだと迫る。傍からみると<セクハラ>といった光景、しかし教授は真剣な愛の結果だと言い張る。男と女の関係は、例え 妹とは言え 第三者が関わることで情況が違って見えてくる。子弟という関係は、自由恋愛と言ったところで世間は納得しないような風潮か。
[もらえるまで]
劇作家は記憶喪失になる前は劇団員等に対し<パワハラ>を行っており、その仕返しに若い俳優に金属バットで殴られる。本当にパワハラを行っていたのなら謝りたいと言うが、記憶喪失(罪の意識がない)状態で謝っても真情ではない。良かれと思った演出が相手にとっては不愉快になる という難しさ。記憶が戻っても謝ることが出来るのか…。
[量子探偵とフレーム密室]
現実的な世相から一転 SF調へ。その量子AIは極めて現代的な話題の1つ。「Chat GPT」のようなAIが小説や戯曲を書くような、そんな夢物語のような時代になってきた。3つの短編は夢落ちのような結末だが、それぞれの話の中には現代の世相、それも苦々しい出来事である。今まで言うことが憚られるような、それが今になってようやく社会 組織の膿が…。
必ずしも心地良い世相ではなく、何方かと言えば芸能界(映画や演劇界含めた)内容で、不祥事を自虐的に描いているような。しかし、よくよく考えてみれば、観点というか立場の違いによって、真の恋愛がセクハラになり、熱心な指導がパワハラになる可能性が…。今 ギスギスとした不寛容な世の中(世相)になっているのか?
3短編を緊密に繋いでいるわけではなく、むしろ夫々の短編の持ち味を生かした総合演出、その緩く柔軟性あるところに全体としての妙味を感じる。
次回公演も楽しみにしております。
これが戦争だ
劇団俳小
ザ・ポケット(東京都)
2023/07/22 (土) ~ 2023/07/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白いという言葉は、語弊があるかもしれないが 観応えがある公演だ。
物語はアフガニスタンに派遣されたカナダ軍兵士が、帰還後インタビューに答える中で 当時のことを回想する。インタビューでは、チラシにもある「合同作戦における『ある出来事』を聞き出そうとする」が、兵士たちはその前夜のことを話すことで、核心を はぐらかした回答をする。リアルな戦場から少し時を経た今、当時の状況を客観的に見つめようとするが、感情が高ぶり…。
「戦争反対」は頭では解っているが、その残忍で悲惨な光景は現実として迫ってこない。どこか遠くの国・地域のことで自分の事として感じられないし 考えられない。この演劇を観れば一時的には戦争のことを考えるが、暫くすれば日常の暮らしの中に埋没してしまう。日本では、夏の時期(特に8月15日前後)に反戦に係る演劇や映画が多く上演・上映されるが、何となく恒例的になってきているような。しかし、戦争の現実を知らない者に、その最悪の不条理を観せ 聞かせ続けることが演劇や映画の役割ではないだろうか。たとえ演劇という虚構の世界であろうと 観客の想像力を働かせることが出来れば、少なくとも観念的には危機意識を持つことが出来る と思う。その繰り返しこそが大切であり、演劇というか芸術の<役割>であり<力>であろう。
さて 公演の見どころの1つは、戦場という極限状況下においても 人間の本能というか欲望が剥き出しになるところ。観念的にしか捉えられない戦争<戦場>、一方 そんな状況下においても欲情する、そんな実践的な行為は容易に想像することが出来る。そこに人間らしい哀しみと可笑しみが垣間見える。
(上演時間1時間40分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
薄汚れたゲートのようなモノがあるだけで、ほぼ素舞台。
登場人物は4人、勿論 熱演である。一人ずつアフガニスタンでの戦闘について心情を述べるが、インタビューで聞かれている<核心>については話を逸らす。因みにインタビュアーの声はなく、自分でインタビュイーとしての役割を演じ 回答を繰り返すというモノローグである。物語は「合同作戦」とはを聞き出そうとすることで観客の意識・興味を惹き出す巧さ。
ターニャ(蜂谷眞未サン)は民間人の少女を誤射し自責の念に苛まれる。ジョニー(遊佐明史サン)は配属初日に同僚の戦死を目の当たりに見てショックを受ける。スティーブン(北郷 良サン)は、別戦場で部下を死なせた責任を感じている。三者三様に心に何らかの傷を負っており、戦場での外傷とは違う意味での戦慄を描く。
一方、戦場という緊張感ある場においても人の欲情は抑えられない。いや明日をも知れない状況だからこそ、異常な興奮ー性欲が滾るかのよう。そこに人間の極度な精神状態、そして戦場という<生>と<死>の隣り合わせの極限状況を活写する。
ゲートのようなモノは、戦闘の激しさを物語る荒廃と化した街であり 半壊した建物イメージ。そんな建物の内と外で繰り広げられる情欲は刹那的、それを覗き見ることによって異常な嫉妬心が芽生える といった違う観点での描き方。人間の死生観という二面性、一方 状況を二方向から描くという対極を見せることで、一様ではない人の心情を表す。更に戦場における命の優先順のようなこと。ターニャが民間人の子供の命を助けるため 救急ヘリを出動させたが、その間に戦傷したジョニーの救出が遅れ後遺症(歩行障害)が残った。戦場という状況の複雑さが浮き彫りになる。
終盤、塹壕を水攻めし土砂で埋め殺す、または爆死させるような語り。公演は全て帰還兵の回想・記憶の証言だけ。一発の銃声も発しない代わりに、音響で泣き叫ぶ声、照明で阿鼻叫喚のような人影を映す。そこには観客の想像力が。
次回公演も楽しみにしております。
スペーストラベロイド
collaboLab
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2023/07/19 (水) ~ 2023/07/23 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
典型的なシットコムで面白いが、噓・誤魔化し・誤解・勘違いに無理があるようで、白けてしまうシーンがあるのが憾み。この許容というか寛容度合によって評価が異なるかもしれない。
「徐々に大きなトラブルへと発展していく・・彼らは無事、全行程を終えて地球に帰ってこられるのか」という説明通り。勿論 ラストには全てが明らかになる定番の展開で安心して観ていられる。その上でのハラハラドキドキ感を楽しませる内容だ。この作品は、登場というか搭乗メンバー…乗組員 4 名と総責任者 1 名、抽選で選ばれた新婚の夫婦と取材クルーという設定が妙。そして様々なアクシデントの元凶が、この飛行の目玉であるアンドロイドの存在であるところが肝。宇宙船という限定空間ゆえの濃密、いや軽妙な 人とアンドロイド(?)が織り成すハートフルコメディ。ぜひ劇場で…。
(上演時間1時間30分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は2~3段の二層、上部には手摺が付いており、上手奥に別空間があるらしいが見えない。下手にはコントロール装置がある。下部(板)の上手にはBOXクッションとミニテーブル、壁や手摺に電飾が施されている。シンプルだが宇宙船内という雰囲気は感じられる。客席側に特殊ガラスまたはモニターがあり、外(宇宙・地球)の様子・光景が分かるという設定だ。宇宙遊泳をするクルー、その現れない姿を観客に想像させる。
クルーの八木沼(高井真菜サン)がアンドロイド・メイサを壊したため、知(恋)人にアンドロイドの代役を頼むという筋違いの強引な設定。アンドロイドは女性型という前提であったが、見た目は中年男性そのもの。台詞かアドリブか分からないが、口髭に白髪が混じっていると呟く。このアンドロイドの代役が、新婚の妻・日菜子(楠世蓮サン)や船長候補・玉地(山本裕典サン)へ 替わっていく。その勘違いされるアンドロイドと誤解する人の組み合わせの微笑・苦笑、それにハイジャック対策の防犯訓練や故障時の対応訓練が本当のハイジャック犯や故障という虚実の出来事を交錯させた騒動へ。
因みに 上演前、携帯電話の電源OFF等の諸注意をメイサの音声でアナウンスされるが、その声は明らかに女性。当日配付された配役表を見て、メイサが木村公一サンになっていたことから違和感を抱いていたが…。まさかこんな設定とは驚き。
物語はこのトラブル回避に向けた対応が見所。アンドロイドという偽り、誤解や勘違いを解きながら、バラバラになっていたクルーの仲間意識、搭乗者の思いが一つに集中し大団円へ。ラストはご都合的とも思えるが テンポ良く収束していく。気楽に楽しめる娯楽劇といった公演。
次回公演も楽しみにしております。
ザ・ショルダーパッズ この身ひとつで
劇団鹿殺し
本多劇場(東京都)
2023/07/13 (木) ~ 2023/07/18 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
『⿅版 The Wizard of OZ』観劇。
面白い、お薦め。
冒頭、菜月チョビさんが、挨拶として劇団草創期の頃の話をしていたが、この公演にピッタリのような。そう、「裸一貫」という言葉に相応しく、何もないが その向こうにある事が想像できる、そんなロマンを感じさせる。芝居という虚構性の魅力、観客の想像力を最大限に引き出し、楽しませる公演。同時にジーンとくるものがある。
自分が知っている「オズの魔法使」に沿った内容…ドロシー(丸尾丸一郎サン)とトト(菜月チョビサン)が中心になって物語を牽引し、それ以外の役者は一人何役も担い夢と冒険の世界へ誘ってくれる。この冒険の中で、勇気や知恵を出し合い 絆を育み深めながら困難を乗り越えていく過程は、冒頭のチョビさんの挨拶を彷彿とさせる。
公演の特長である「この身ひとつで」、飛び跳ね、ムーブメント、フォーメーション、パフォーマンスといった動き 躍動感で観(魅)せる。また独唱・斉唱で聴かせ、手作り感のある小物を活用し色々な情景を紡ぎ出す。勿論、音響や照明といった舞台技術を駆使した相乗効果は絶大。これぞエンターテイメント公演だ!
(上演時間1時間30分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、上手から下手に向かって斜めに上るような台があるだけのシンプルなもの。しかし、物語は登場する人物が手にする又は被り物で状況と場景を作り出す。それを照明と音響・音楽で補い支える。
公演の面白いところは、ショルダーパッズ で股間を隠しただけの、まさに この身ひとつで演ずるのだが、その表現力が巧みで情感に溢れている。表層(例えばチラシ)だけ観れば、キワモノのようだが、いつの間にか「オズの魔法使」の世界観に浸っているから不思議だ。この感覚は理屈ではなく、人・キャストの<伝えたいという思い>のような熱量ではなかろうか。
照明と音響が情景を浮かび上がらせ、物語の世界へ巧みに誘う。原作のカンザスの大草原を沖縄の海辺に置き換え、現在地・沖縄とオズ王国で冒険する、その異世界間を往還するような描き方。上手に四角い照明で檻(オリ)を表し、沖縄にいるハブの にーに(橘輝サン)を登場させる。一方 原作オズの世界に準えた不思議な冒険譚、その世界観の違いを交錯させることで、現実と夢幻の違いを表す。
そこに、今地点と暈けた目標のようなものの対比=劇団鹿殺しの原点と今の通過点を見るようだ。だから チョビさんの挨拶にも意味があるように思えるのだが…。
次回公演も楽しみにしております。
キンギョソウ
シレネ
シアターシャイン(東京都)
2023/07/14 (金) ~ 2023/07/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
ダンスという強み 特長を活かした無言劇。それでも十分に意図した内容が伝わる優れもの。この公演の魅力は、ダンスは勿論、それに合わせた音楽と照明といった三要素が絶妙にマッチし、人間とアンドロイドの競演が徐々に…。その変化と人間の心の咆哮が聞こえるような心象劇に仕上げている。
ダンスの変化も、素人目に分かるような。始めはクラシックからモダン、コンテンポラリーのように型がある動きから、その型に捉われないような荒々しくも自由な表現に変わっていくようだ。アンドロイドはプログラムされた型どおりのダンス、その正確無比の技量に人間は敵わない。公演はアンドロイドのダンスに圧倒され焦燥・苦悩する人間の姿がよく表れており 見どころの1つ。
(上演時間1時間)
ネタバレBOX
素舞台。後壁は鋼鈑のようであり、鉄鋲のようなものも見える。何となく無機(質)のような空間の感じが いかにもアンドロイドの世界らしい。
衣裳の色彩で人間(赤地)とアンドロイド(白地)の違いを表す。それ以外の人間はアンサンブルといった役割であろうか、黒衣裳であり黒子を表しているよう。当初 アンサンブルは人間の主役に気を遣うような振る舞いをしていたが、アンドロイドが人間の主役を圧倒し、その結果 人間の悪感情が剥き出しになると…。それが説明にある「リハーサルが進むたびにアンドロイドの技術に打ちのめされ」ということになる。
ダンス時に使用するのが背凭れ付きの椅子。その椅子に座り、客席に向け 足先を宙に浮かせ タップダンスするような動きと音楽…ピアノの単音を弾く音がシンクロする。ラストは蝸旋の曲が人間の感情を代弁するかのようだ。
また照明は赤 青といった原色を多用し、前後 左右といった多方面から照射し、観客の想像力を喚起し情景を豊かにする。このダンス・音楽・照明の相乗効果によって美しくも力強い舞台になっている。
身体表現は勿論だが、人間(ちょいなサン)とアンドロイド(塚本芽衣サン)の表情にも感情の有る無しといった違いを演ずる。また同じ振り付けのダンスにも関わらず、微妙な違いがあるような。人間のダンスは少し丸みを帯びた柔軟性(例えば 腕で弧を描く)、一方 アンドロイドは直線を描くような硬直性(腕を真っ直ぐに伸ばす)、そこに感情に左右されるか否かを表現しているようで面白い。
次回公演も楽しみにしております。
韓国新人劇作家シリーズ第7弾
韓国新人劇作家シリーズ実行委員会
北とぴあ ペガサスホール(東京都)
2023/07/13 (木) ~ 2023/07/17 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
B「秋雨」
場末のホテルで起きた連続殺人事件を回想風に描いた物語。人物はビニール傘をさし 前屈みでゆっくり歩く。青 赤といった原色照明が光景を妖しく照らし、抒情的な雰囲気を醸し出す。
C「変身」
精神的・経済的に不安定、謂わば中産・無産階級の人々が変身してしまうという奇妙な出来事が続発する。脚立や衝立に張り紙、手書きで書かれた文字を物語の展開に合わせて回収 使用し、いつの間にか紙屑の山が…。
「韓国新人劇作家シリーズ」は、受賞作品が持つ「『社会を鋭く見つめる視点』を通して、観客とともに現代社会が抱える問題を共有し、日韓の演劇の未来を考える」ことらしいが、両作品とも劇中で自問 自答しており、観客の想像力に委ねることはしていない。また<社会を鋭く見つめる>というが、少なくとも BCは人の内面を浮き彫りにした人間ドラマように思える。そして無難にまとめ上げたといった印象だ。BCを続けて観ると、上演の順番<前後>に関係なく繋がりがあるような気がする。
(上演時間2時間5分 舞台転換兼休憩15分)追記予定
ストレイト・ライン・クレイジー
燐光群
ザ・スズナリ(東京都)
2023/07/14 (金) ~ 2023/07/30 (日)公演終了
実演鑑賞
憤慨、残念
(上演時間2時間10分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
場内ほぼ真ん中の席へ。その隣席人が上演中たびたびバッグの中のスマフォを見ており、液晶画面の光が気になった。何度か小声で注意し、スマフォ画面を遮ったが…。この御婦人、グループで来ていたようで、上演直前まで後部座席でお喋りをしていた。コロナが感染法上5類へ移行したため遠慮なく話をしている。そして上演2~3分前に突然1人だけ隣席へ。携帯電話の電源等に係る諸注意は 形式的にアナウンスが流れるだけで、お喋りしている御婦人が聞いていたのか疑わしい。もしくは無視したか。
終演後、御婦人方のグループは劇団関係者と話していたが、関係者なのか知人なのか、または別の用事(物販購入?)で行ったのか定かではないが…。
それとも自分の了見が狭いのか?
劇団からご案内をいただき、興味を惹く内容だったので、観に行ったが残念だ。
公演は、「カリスマ行政官ロバート・モーゼス、その半生の光と影を描いたデヴィット・ヘア最新作、待望の日本初演」という触れ込みで、分かり易い構成と濃密な会話劇。現代日本にも通じる都市計画・政策さらには民主主義等を考えさせる骨太作品である。が、隣席人への注意などで集中力を逸し 場面を見逃し、会話を聞き逃がし残念な思いだ。よって★評価は出来ない。
気が向いたら 内容を追記する。