タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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「HATTORI半蔵‐零‐」

「HATTORI半蔵‐零‐」

SPIRAL CHARIOTS

シアターサンモール(東京都)

2023/09/27 (水) ~ 2023/10/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
㊗20周年記念公演、物語は勿論面白いが、何といっても 見どころは殺陣・アクションのスピードと迫力。そして その緊張感を支える音響と照明、特にプロジェクションマッピングの効果的な使い方は見事。少しネタバレするが、物語に登場する忍者は〈赤目の里〉という集落で育った仲間。その仲間がアズチモモヤマ時代に群雄割拠した将ー織田・徳川・伊達・毛利・上杉・武田に夫々仕え、相見えるという。後景に里の風景を映すが、昼間は長閑な茅葺屋根の家々、夜は家の灯が美しい、そんな安らぎが感じられる。それが戦場ともなれば、一転 忍術を駆使する戦いが…。戦争と平和ならぬ蹂躙と情愛が交差する戦国絵巻といった壮大な物語。

説明にある「赤目の里で育った【忌み子】『伴左衛門(サエモン)』と、零代『ハットリ半蔵葛(カズラ)』 2人も其々大名に召し仕えられる。 「天下泰平」徳川イエヤスに仕えるカズラ。 そして「非道鬼人」織田ノブナガに仕えるサエモン」、その表裏の奥に隠された〈思い〉と〈思惑〉が肝。

公演は、途中休憩(10分)を挟み2時間45分を怒濤のように駆け抜ける といった展開である。緊張したシーンだけではなく、時々 笑いや遊び心あるシーンを挿入し、息抜きをさせるよう。そんな心遣いもあり飽きることなく観ることが出来る。また衣裳や得物といった観(魅)せ方にも工夫があり楽しませる。見た目の面白さだけではなく、登場人物のキャラクターを立ち上げ、人間いや忍者の<業>のようなものを描く。ちなみに 人間であるまえに忍者だ、という台詞に<業>の深さと哀しさが隠されており、ここも見どころの1つ。
(上演時間2時間45分 途中休憩10分) 【Bチーム】 10.9追記

ネタバレBOX

舞台美術は高さがある疑似対象、上手 下手に階段を設えているが、その向きが 真横か斜めといった違いがある。中央にも階段があり、上部は左右の引き戸(襖)になっている。正面壁は舎の字型のようで、そこにプロジェクションマッピングすることで、色々な情景を映し出す。

史実に擬えた架空の戦国時代ー倭の国 ジパングのアズチモモヤマー、群雄割拠した織田・徳川・伊達・毛利・上杉・武田に「赤目の里」で育った忍者が袂を分かって仕え、敵対することになる。しかし、副題に「己が不要になる世を夢見た零」とあることから、深読みすれば反戦ドラマのような。

見所は、史実とは異なり、織田と毛利(女将)が同盟したり、上杉(女将)と武田そして伊達が手を組むなど奇想天外な展開。そして最後は非道鬼人と恐れられた織田と天下泰平を掲げる徳川による戦(いくさ)。また赤目の里で育った【忌み子】伴左衛門(サエモン)が織田に仕え、零代 ハットリ半蔵葛(カズラ)が徳川へ、そして夫々の秘術の限りを尽くす。といっても伴左衛門(サエモン)は <恋>させることしか出来ない。

織田と徳川、サエモンとカズラは表裏の関係にある。織田は敢えて悪役を買い、自分を葬ることで徳川の天下泰平を叶える。また忌の子はカズラで サエモンは身代わりとなって、虐められないよう守っていた。人の表面(言葉や行動)だけでは、本心は解らず誤った判断をする。
また忍者の業(ごう)のような所業ー赤目の里に代々伝わる秘伝(巻物)を奪う。同じ里の忍者でありながら、仲間より強くありたいという欲望。戦国の世と忍者という、いずれも己が一番でありたいと…。特に赤目の里人は ”人間である前に忍者” という哀れ。

公演の魅力は 先にも記したが、演技ー殺陣・アクションのスピードと圧倒的な迫力。衣裳や得物でビジュアル的に観(魅)せ楽しませる。勿論 照明(プロジェクションマッピング)や音響(羽音)など臨場感溢れる舞台技術も効果的だ。そして所々に挿入する笑いの数々によって飽きさせることなく舞台に集中させる上手さ。
次回公演も楽しみにしております。
雨の終わりかけに怒鳴りたて

雨の終わりかけに怒鳴りたて

劇団東京座

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2023/09/28 (木) ~ 2023/10/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

舞台美術とおどろおどろしい雰囲気といった見た目は良かった。しかし、物語の構成が 有名なそして話題作となった邦画の組み合わせのようで、新鮮味が感じられなかったのが憾み。

少しネタバレするが、物語の枠組みとラストの高笑いしながら金を渡すシーンは TV・映画の話題作、話の中心になる女郎屋の遊女と若侍の件は、某映画賞受賞(江戸・深川の岡場所が舞台)した 夫々の映画を組み合わせて紡いでいるといった印象だ。それを傀儡子といった妖しげな要素を取り入れて観せる。

音響や照明といった舞台技術で観(魅)せている。また衣裳は勿論、舞台美術が時代や状況をうまく醸し出し、見た目の妖しさで物語の世界へ誘う。演出は巧く、また遊女----女の情念、人間の業を描き 掘り下げようとしているだけに、既視感ある脚本が惜しい。
第35回池袋演劇祭参加作品(★評価は演劇祭授賞式後)。⇒★3つ
(上演時間2時間30分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は和風で、中央奥に段差のある障子扉、上手は床の間に掛け軸、そして主舞台になる女郎屋の和室ー箪笥・衣桁に派手な着物等、下手は別場所で赤い毛氈が。お面等の飾り物が怪しい雰囲気を漂わす。

冒頭 怪しい呪術師風の人物による傀儡によって幻想(術)的な世界観へ誘なわれる。しかし ラストに明かされるのは、物語全体が 仕込み詐欺という偽(幻)の世界。これが話題作になった映画「コンフィデンスマンJP」シリーズの仕込詐欺のよう。そして物語の中心ー女郎屋の遊女と若侍の件は、映画「海が見ていた」(山路ふみ子新人女優賞 遠野凪子)のようだ。もっとも映画脚本の黒澤明は 山本周五郎の小説をいくつか参考にしているから、同じような設定になったのかも知れない。この全体の構成とメインシーンに既視感があり 新鮮味を欠いた。

公演の魅力は、妖艶な雰囲気を醸し出す女郎屋、そこで働かされる遊女の色香。その対となるような怪しげな呪術師風の台詞「ひとつの理でございます」と傀儡の動作。その女優・男優の観(魅)せる演技が良い。また妖しげさを助長する舞台技術ーー照明は色彩だけではなく その明暗といった諧調、音響は雷鳴を轟かす不気味さーーによって ふわふわとした中に激しい情念を感じる。

油揚げ、お面といった狐を思わせる場面があり、それが一層 怪しさを助長する。しかし、エレキテルや女将・遊女が金平糖・かりんとう を食べるなど 冗長に思えるシーンも少なくない。構成におけるシーンの意味と必要の有無について、が課題ではないだろうか。
次回公演も楽しみにしております。
Letter2023

Letter2023

FREE(S)

渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(東京都)

2023/09/28 (木) ~ 2023/09/30 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

内容的には反戦物語であるが、<感情>を揺さぶるというよりは当時(昭和)の若者と現代(令和)からタイムスリップした若者の心情と状況の違いを<情報>として描いた、といった印象だ。何度も再演しており、戦争という最悪の不条理を語り継ぎ 忘れさせないといった思いは伝わる。

説明にある「太平洋戦争時代末期、特攻で散った青年たちの実際の手記をもとに描くヒューマンドラマ」といった謳い文句であるが、現代からタイムスリップした青年がいつの間にか同調圧力のように当時(特攻隊員たち)の風潮に流されていく怖さ。今から考えればバカげたことだが、その時代に生きていれば<抗う>ことの困難さも…。1945年から2023年へ届いた一通の手紙に込められた<思い>、その真が十分に伝えきれていないため、印象と余韻が弱くなったのが憾み。

戦時中と現代の違いは、タイムスリップした当初こそ感じられたが、だんだんと現代と変わらない暮らしぶりーー食事や酒などの配給不足が感じられず、表面的な衣裳等で判らせる。また特攻隊員が不自由なく家族等と会える。当時を知らないが、そのような自由な空気があったのだろうか。
特攻隊員と現代青年の意識がいつの間にか同化している。それゆえ 戦時と今の心情が同じになり、肝になる<実際の手記>の伝えたい事が鮮明にならない。もう少し状況と心情の違いを際立たせることによって、戦争と平和という世界観を描き出してほしいところ。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし) 追記予定

最悪の場合は

最悪の場合は

トツゲキ倶楽部

「劇」小劇場(東京都)

2023/09/27 (水) ~ 2023/10/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
タイトル「最悪の場合は」は、説明の世間と宇宙、本音と建前、不正と隠蔽、そして希望と現実を表している。そして前作「星の果てまで7人で」と繋がるような物語。少しネタバレするが、日本宇宙開発機構-JSA(ジェイサ)が舞台というのが妙。表層の面白さ、その奥には職場愛と人間愛が詰まった人間関係・仕事群像活劇、観応え十分。

そこで起きたであろう不祥事にどう対処するか。初演(2018年)時は日大アメフト部が不祥事を起こしていたが、再び日大アメフト部が不祥事を起こした時期に再演する偶然。またジャニーズ事務所の性加害問題を始め不祥事に係る記者会見が開かれている。なんとタイムリーな内容(公演)であろうか。公演では、宇宙という夢と希望を担う職場における悪夢と現実(最悪)を上手く繋ぎ、勤め人(組織人)の共感を誘う。立ち位置の違いによって不祥事への対処方針が異なる、その濃密な激論が見どころの1つであろう。

前作が宇宙での出来事(地球への思い)を描いているとすれば、本作は地球(地上)において宇宙への思いを馳せる。しかし現実に目を向ければ危機回避に追われる姿。そこには不祥事をどのように収拾するかといったドタバタの裏に 生活という のっぴきならない事情を垣間見せる凄(惨)さ。

会見をする組織の内幕だけではなく、それを報道する機関の在り方にも 一石を投じる幅広さ。冒頭、社外から招聘したリスクマネージメント・コンサルタントが謝罪会見の目的などの蘊蓄を語るが、実際 謝罪会見を行うのは人であるから思惑通りにならない可笑しみが…。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は、中央に横長テーブルと椅子があるだけ。舞台(職場)は日本宇宙開発機構という政府関係機関。そこの理事が接待 賄賂を受け取ったという疑惑がもたれ、それの釈明会見をする準備(リハーサル)をしているシーンから始まる。その担当が広報部第二課で、いかに上手く釈明会見ができるか、リスク・マネージメント・コンサルタントからアドバイスを受ける。一方、第一課は もうすぐ地球に帰還する衛星探査機マリナの記者会見準備をしている。同じ広報部でも役割分担によって陰・陽のように地味か華々しい会見内容になる。

二課の釈明会見は理事が開き直り、釈明どころか賄賂を受け取ったことを認め紛糾する。その際、内々にしていたマリナ帰還を口走ってしまう。慌てる一課と二課の騒動を通してセクト意識が顕わになり、同時に責任の擦り合いが始まる。そん時、マリナの異常(故障)が分かり、地球への帰還が危ぶまれる。いや 地球へ帰還する場合は都市部へ墜落する危険が…。広報課として、どのように情報提供するか喧々諤々の論争が始まる。そして どちらの課が担当するのか。

一課の課長は JSAのプロパー職員、一方 二課の課長は中央官庁からの出向職員という立ち位置が、その発言に表れる。一課長は、宇宙事業に携わっている自負、危機管理の観点から地球(地上)墜落を周知する、対して 二課長は、不確かな情報で国民を混乱させないため周知しない、それぞれの主張で激論する。この誰のため 何のため、その方法と効果はといった深みある議論が見所。そして 出向者という事勿れ主義、責任を負いたくないという立場が露呈する。

JSAで宇宙事業に携わっているとはいえ、生活の糧を得る職場であることに変わりはない。マリナが墜落するかも知れないという 不確実な情報で国民からのバッシング、その結果 職を失うかも そんな不安もよぎる。出向者(二課長)は、出向元の官庁へ戻り安泰という構図が<立場と責任>に重なる。そしてJSA内に東西TVディレクターが出入りしており、内部情報を独占的に得ている。その内々(秘密)情報の公開 有無の判断も気になるところ。

舞台技術、特に照明の諧調によって情況や状況を表す巧さ。壁際に 等間隔に立っている衝立への照射角度によっては鯨幕に観える。その意味ではシンプルな舞台セットながら実に効果的な造作になっている。その衝立を職場の壁に見立て、覗き 聞き耳を立てといった身近で現実味のある光景が…。
次回公演も楽しみにしております。
AIRSWIMMING  -エアスイミング-

AIRSWIMMING -エアスイミング-

WItching Banquet

アトリエ第Q藝術(東京都)

2023/09/26 (火) ~ 2023/09/27 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、少し観念的で理解、解釈が難しい面もあるが…。
1920年代から70年代迄の約50年間、精神病院に収容された女性2人の不撓不屈の物語。
説明では、上流階級育ちのペルセポネー・ベイカーは、妻帯者の男性と恋に落ち 妊娠して婚外子を産み、父親に精神病院に入れられてしまう。そして社会の性規範に囚われず、「女らしい」ふるまいをしないことを理由に2年前に収容されたドーラ・キットソンに出会う。この2人が 空想・想像力を交え、励まし合い、笑わせ合いながら 権力の象徴とも言える精神病院内で紡ぐ会話劇。

精神異常者として身体の管理と拘束をする、その理不尽な対象を女性に絞って描いている。それは外国(イギリス)の しかも過去のことではなく、現代日本に通じる問題・課題でもあろう。それが「100年後の今… 私たちは彼女たちの声が聞こえているのか?」という問いかけに繋がる。
当時における触法精神障碍者の実話を基に、現代を生きる女性の「痛み」「苦しみ」「患う」の声をすくい上げるアウトリーチの公演になっている。それゆえ 理不尽・不平等が生じている状況を打開、端的に言えば ジェンダー格差による不利益の克服といった意も込められている。しかし、無条件(表面)に受け止めることが出来ない難しさがある。

同年代、フーコーの「監獄の誕生─監視と処罰」といった 権力を主題にした学術的な書もある。しかし、本作は 実話を基に しかも女性に対象を絞っているため、一層 問題を具体的に捉えることが出来る。ただし、演劇的には ベイカーやキットソンが精神病院に収監された事情・理由は後から描かれるため、その背景を知らないと理解が追い付かないかも…。それでも 2人の女性が励まし助け合いながら<生きようとする>その姿に心魂が揺さぶられる。公演は 主にリーディング、そして 彼女たちの思いを 色々な工夫を凝らした演出…歌やピアノ演奏等で観(魅)せ印象付ける。

閉じられた世界の2人を キャスト5人が組み合わせや役柄を入れ替えて語る。そうすることで状況の変化や時間の経過を表す。その演劇的手法を すんなりと受け入れて楽しめるか否かによって評価が異なるかも知れない。
(上演時間1時間35分 途中休憩なし) 9.29追記

ネタバレBOX

舞台セットは、上手奥にピアノ、中央に外側を向くよう(背中合わせ)に五角形のように椅子を配置し、ピアノが置かれている隅以外に椅子が1つづ置かれている。物語の登場人物は2人だが、それを5人の女優が赤い台本を持ってのリーディング。中央に集まったり、隅に座ったりすることで人物の組み合わせや役柄を変える。そうすることで約50年間という時の流れと情況の変化を表す。

ベイカーとキットソンの2人の女性は、100年前のイギリスでは社会不適合者ー性規範や道徳を逸脱ーとして収容施設に収監された。社会から孤絶した彼女たちの空想の世界が中央のサークル状(五角形)で紡がれる。女優のドリス・デイを引き合いに出しながら、夢と希望を語り<生きよう>とする姿は、どんな状況においても諦めないことを訴える。これは女性だけではなく、男性や最近ではLGBTQにおいても生きづらい世を少しずつでも変える運動へ、を連想させる。

公演で興味を惹いたのは、社会的な観点と人間的な観点とでも言うのだろうか。ベイカーは妻帯者の男性と恋に落ち婚外子を産んだ。現代の日本においても、かつて<不倫は文化(言葉狩り)>と言った俳優がいたが、今でも不倫は世間から非難を浴びるし、興味本位で騒ぎ立てられる。社会的な観点からみれば精神病院へ収監するという問題、一方 不倫された妻の人としての感情(憤り)はどうか。端的な構図はベイカーの行為は同性への裏切りのようで…。この公演は、あくまで社会体制(規範)からの自由 解放という<声>のようだ。

もう1つ。女性が貞操であらねばならない時代。今でも女らしさ男らしさ、そして<あらねばならない>という曖昧な固定観念に囚われる。しかし現代においても その不自由な観念を払拭したと言い切れるだろうか。ラスト、中央の椅子に5人が上がり泳ぐように手を横に広げる。演劇的に見れば、奈落の底から抜け出すように泳ぐーまさに空を目指したエアスイミングだ。

舞台技術が見事。ピアノの生演奏や歌は勿論、照明効果によって状況が浮かび上がる。例えば 5人が場内には入ってくる時は格子状の照明だが、これは施設の格子であり台詞にある風呂(タイル)の磨きを、また水滴の音と水玉模様の照明によって孤絶やスイミングを夫々 連想させる。そして 地味(グレー系)な色彩の衣裳で統一し、照明の角度によって人影、それは2人だけではなく多くの女性の姿・声を表す。そして赤い台本を赤子を抱くような愛しさをもって…。
次回公演も楽しみにしております。
しあわせ色の青い空

しあわせ色の青い空

7どろっぷす

小劇場 てあとるらぽう(東京都)

2023/09/21 (木) ~ 2023/09/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

前作は「ムッちゃんの詩」という演目だったようだが、未見。本作は「しあわせ色の青い空」~東日本大震災とムッちゃんに捧ぐ~となっており、生きる希望が見いだせない被災者 優香がタイムスリップして 戦時中のムッちゃんの懸命に生きようとする姿を見て 再生・再起していくというヒューマンドラマ。

テーマは「生きる」。”当たり前”のように生きている、その大切さ重要さを語り継ぐような物語。多くの小学生が観劇していたが、集中して観るには1時間45分の上演時間は長かったようで、真意が伝わったかどうか。
戦争と大震災という悲しみを繋いで、それでも人は生きていくという<希望>を綴っているが、少し無理があるような。

人は慣れてしまう。どんなに悲しく惨い経験も 生きていくうちに感情がマヒしていく。そして記憶さえも薄れていく怖さ。戦後78年、戦争を知らない世代に 最悪の不条理を語り継ぐことの大切さ、その意味で このような公演を続ける意義がある。ただ、戦争と震災を同一視点で見ることは出来ない。
そして優香の前に現れた<海の精>によって被災者の心は救われるが、一方 「ムッちゃんの詩」はどのようなラストだったのだろうか。この公演は 描き切ったようで 観客に問い掛け 考えさせていない。勿論、当時 小学6年生のムッちゃんと小学1年生の町子ちゃんの悲しい出来事は分かる。しかし、戦争と災害という異質とも言える物語を繋ぐことによって「反戦」と「再生」という訴えが中途半端になったようで残念。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし) 【B班】 9.28追記

ネタバレBOX

段差があるだけの素舞台。海を眺めている女性 優香に声をかけたのが、海の精たち。優香は東日本大震災で両親と妹を亡くし、生きる気力もなくボーっとした日々を送っていた。海の精は、そんな彼女を戦時中(1945年)の大分県へタイムスリップさせる。

そこにはムッちゃんという小学6年生の少女がいた。彼女は横浜で暮らしていたが、戦災で母と弟を亡くし大分県の親戚の家へ、という事情が語られる。優香が、ムッちゃんが生きていた時代や当時の人々の状況を俯瞰しているように描く。直接 当時へ入り込んでいないため客観的でリアリティが感じられないのが残念。前作は「ムッちゃんの詩」ということで、当時(戦時中)の悲劇として紡いでいたのではないだろうか。今作は総じて若いキャストが演じており、若さゆえか戦時の悲惨さが演じ切れ(滲み出)ていない。

防空壕の中で結核に罹ったムッちゃんと親しくなった小学1年生 町子ちゃんとの交流。喉が渇いた町子ちゃんへ水筒を渡したムッちゃん、食料もなく水だけで命を支えていたが、その大切な水をあげる。しかし 2人の親交は長く続かない。結核は治らない病で、人に感染するため隔離されていた。防空壕の中でも一層劣悪な場所に幽閉されていた。やがて終戦を迎えるが、その時 ムッちゃんは…。嗚咽しそうな場面であるが、自分も優香と同じように眺めるといった感覚、それでは感情移入できない。

その様子を優香は見ているがどうすることもできない。戦時中の悲惨な状況を知ることで、優香は生きることを、といった思いを強くする。繰り返しになるが、予定調和で 俯瞰=醒めているような感じで、感情が揺さぶられない。勿論、戦争の悲惨さ、反戦の思いは伝わるが。

優香がタイムスリップした時代、大勢の若者が戦時中にも関わらず生き生きと暮らしている様子、その青春群像劇でもある。歌を手話を交えて歌い、踊る姿はいつの時代でも平和でありたいことを思わせる。それだけに、戦争と被災を交錯させたような描き方では、その思いは中途半端にしか伝わらないような。
次回公演も楽しみにしております。
天召し -テンメシ-

天召し -テンメシ-

ラビット番長

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2023/09/21 (木) ~ 2023/09/24 (日)公演終了

実演鑑賞

面白い、お薦め。
当日パンフにも記されているが、「天召し」は三回目の上演で 全てを観させてもらった。「将棋」の孤独で厳しい世界観、一方 井保三兎氏が演じる田島(棋士 森信雄)の仄々と和ませる雰囲気が重苦しく感じさせない。その絶妙なバランス感覚が良い。そして この作品にはモデルが沢山いると。賭け将棋で生計を立てた池田(新宿の殺し屋・プロ殺しなどの異名がある小池重明)、智(棋士 村山聖 追贈九段)を義理の親子として繋ぎドラマ化する。池田の破天荒・破滅型の生活、智のネフローゼ症候群に悩まされながらも、直向きにプロ棋士を目指すという二人の男の生き様ー将棋という勝負(真剣)に魅入らされた人生劇場。

モデルになった人たちはネット情報にあり、その人物像を彷彿させるような描き方だが、それらの人物をいかに関係付けて舞台化するか。自分の記憶では、この作品は「将棋シリーズ」の第1作で、以降数々の将棋を題材にした秀作を上演している。上演前から孤独で厳しい世界であることを強調したような雰囲気が漂う。他の将棋を題材にした作品は、上演前には将棋初心者向けの大盤解説をしていたが…。シリーズ第1作には色々な思いや要素が込められており 特別なのかもしれない。

時代や状況の変化は、小説家 木下(団 鬼六)がナレーションのように説明するが、それでも明確にならない。物語として時代(時間)の流れを大切にしているようだが、違和感なく展開出来ていれば木下の状況説明は省略しても良いような。
そして智だけではなく 他の弟子育成、さらに女性にも将棋を指導(女流棋士に)する田島の姿。また台詞にもあったが、将来コンピューターによって絶対負けないプログラム将棋云々、を通して時代を超越した現代性をも垣間見せる。
第35回池袋演劇祭参加作品(★評価は演劇祭授賞式後)。
(上演時間2時間 途中休憩なし) 追記予定

福寿庵【再演】

福寿庵【再演】

演劇企画アクタージュ

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2023/09/14 (木) ~ 2023/09/18 (月)公演終了

実演鑑賞

人情劇の定番のような描き方で、過去(開店3周年迄)と現在(開店8周年)を往還するように展開する。説明にあるように愛妻を亡くし、その喪失感から やる気を失った店主が店を畳もうと考え出したが…。過去と現在の常連客(名前の関連付けはある)は違うが、どちらも稲荷寿司を注文する。そこに常連客の素性のようなものが連想できる。

物語は喪失感という切なさと周りの温かさで再起しようとする姿、それを店主と昔勤めていた従業員に重ねる.。その思(想)いを分かり易く描いており、ストレートに伝わる。一瞬、雨月物語「浅芽が宿」の世界観を連想したが、怪異幻想というよりは明朗快活な雰囲気で楽しませる。過去・現在の常連客は春夏秋冬の名前(呼び名)で関連付け、それによって四季折々…つまり時代の流れを感じさせると同時に、変わらぬ<情>をも表現しているよう。勿論 登場するモノの個性をも表している。

観た回はアクシデントがあり、観客が失笑する中 何とかアドリブで乗り越えた。帰りがけに主宰で主役 店長役の大関雄一氏が冷や汗ものだった旨、話していた。物理的なアクシデントだが、自分はそれよりも小さなミス、例えば稲荷寿司を床に落としたり、おにぎり と言い間違えたところが気になった。好感がもてる公演だけに細心の…。
第35回池袋演劇祭参加作品(★評価は演劇祭授賞式後)。
(上演時間1時間40分 途中休憩なし) 追記予定

名前を呼んで、もう一度

名前を呼んで、もう一度

ブルー・ビー

銀座タクト(東京都)

2023/09/12 (火) ~ 2023/09/13 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
サスペンス ミステリィを思わせる説明で興味を惹くが、 自分には微妙な印象。と言うのもシチュエーションやエピソード(高齢者施設への入所、両親の離婚等)が最近観た演劇に似ており、新鮮味に欠けたからである。結末は異なるが、それだけ この問題の深刻さを表しているとも言えるのだが…。

アコーディオン(DANサン)の生演奏、劇中で歌う曲(うちにかえろう)に手話を交えるなど、多くの人に観てほしいとの気持が伝わる。また銀座TACTという雰囲気がある会場(ライブハウス)、天井のミラーボールが回転し煌びやかな光彩を放つ。観(魅)せることに 力 を入れた演出だ。
(上演時間1時間)【きゃんどる】 

ネタバレBOX

朗読劇。スタンドマイク 台本を持った役者。後景にはアニメーション動画のような映像を映す。

物語は、動物界におけるヒエラルキーを描いた問題作。同時に見守る人の苦悩を描いた心象劇とも言える。最近観たー劇団龍門第20回公演「桃太郎の大冒険」と同じ内容で、驚いた。
ワーニャ伯父さん

ワーニャ伯父さん

ハツビロコウ

シアター711(東京都)

2023/09/05 (火) ~ 2023/09/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。今まで観た「ワーニャ伯父さん」の中では 一番印象的だ。
当時のロシアの田舎町の閉塞と停滞感、そこへ都会暮らしの年老いた元大学教授夫妻が滞在した日々の出来事、それを きわめて現代的な問題・話題と絡めて描く。120年以上前の戯曲とは思えないような問題意識、そして濃密な会話。何となく時代・社会から取り残された人々、その苦悩と諦念が切々と伝わる力作。

薄暗く重苦しい雰囲気が停滞感を漂わせ、その中で俳優陣の迫真ある演技が繰り広げられる。ラスト、ソーニャがワーニャ伯父さんに どんなに過酷な状況下でも<生きていかなくちゃ>と静かに語り掛ける場面は絶賛もの。舞台で発する<言葉>の重み、それが心魂を震わす。この公演の魅力…まず 場面毎が夫々独立しているようで、描きたい事がはっきりしている。次に人物の立場と心情がよく表れており、例えば セレブリャコフが皆を集めて話す場面では、人の立ち座る場所で気持(心)の距離感が観てとれる。その美意識ともいえる構図が凄い。戯曲の面白さを十分に引き出した演出と演技、観応え十分。
(上演時間1時間55分 途中休憩なし) 追記予定

想い光芒、想われ曙光

想い光芒、想われ曙光

劇団25、6時間

萬劇場(東京都)

2023/09/06 (水) ~ 2023/09/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

人・家族の愛情と伝承というかランタンを空へ飛ばすコムローイ祭りを絡めたヒューマンドラマ。
第35回池袋演劇祭参加作品(★評価は演劇祭授賞式後)。

愛情も伝承も目に見えず、その確認が難しいという共通性があるが、それをヒロインの事情に重ねて紡ぐ。このヒロインの過去・生い立ちがドラマのカギ。人の愛や家族の幸せを求める、しかし 何が<普通の愛や幸せ>なのか説明できない。坦々とした暮らし、が 手放して初めて分かる 愛と幸せ という思い。

タイトル「想い光芒、想われ曙光」の<光>は 勿論ランタンを意味しているだろう。同時に家族の約束の意も込められている。そしてランタン祭りの夜にだけ会える水の精霊姉妹ーーまるで七夕の彦星と織姫のようなーーが人の運気を掌る。物語は 情緒と抒情といった心と光(風)景を観るような余韻あるもの。

祭りの雰囲気は、ランタンが灯り 両壁に花火の映像を映す。それを見上げる人々は着物姿という風情あるもの。舞台美術は上手 下手がほぼ対称で段差(階段)がある。その上り下りが時間と場所の変化を表し、さらにキャストの動きに躍動感ー生きている を感じさせる。
*評価を追記⇨★4
(上演時間1時間40分 途中休憩なし)【A】

ネタバレBOX

孤児院育ちの女性 明(香月美慧サン)が、そこで知り合った男性と結婚し幸せな家庭を築くはずだったが…。女性は母からのネグレクトによって、愛することが怖く いつの間にか人を愛することが出来なくなった。それでも同じ境遇(孤児院育ち)の男性 四宮遼と結婚した。 ある日 家の前に赤ん坊が捨てられており、自ら育てようと決心した。が、彼女にはもう一つ決定的に愛が確認できない理由・・人の顔が覚えられない病気(相貌失認)があった。

遼は、社会的に成功を収め 金も地位も信頼も欲しいがままにしていた。しかし、それらは彼の心を満たすものではなく、業績が上がっても 心の乾きは増していく。そして別れた妻 明と子の写真を眺め夢想に浸るばかり。ある日、街の片隅にある薄汚れた社(やしろ)を穢したことで、水の精霊の怒りをかってしまう。そして仕事に悪影響が出始める。

この2つの出来事を絡め、血の繋がりはないが<愛>と<情>を持つことが出来るという予定調和へ。大団円へ導くのは、水の妖精姉妹のお伽話…ランタン祭りの日に 姉妹は出会えるという言い伝えがあった。しかし時代と共に祭り自体も廃れて、俗にいう世知辛い世の中が浮き上がる。
場面毎に リアル+ファンタジー+ユーモラスな雰囲気を漂わせるような工夫が観てとれる。

先行き不透明で不寛容になってきた今こそ、血の繋がりのない疑似家族とも言えるような人間関係に焦点をあてる。そこには見守る友人や会社の人々の優しさ温かさが希望の光となっている。勿論 ランタンの〈灯〉に重ねていることだろう。
次回公演も楽しみにしております。
ナビゲーション in 池袋

ナビゲーション in 池袋

タルトプロデュース

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2023/08/30 (水) ~ 2023/09/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
脚本・演出は、設定の妙と惹き込む力、そして演技のメリハリ…演劇の魅力を凝縮したような公演。タイトルからロードムービー的な展開を想像させるが、実はハートフルな物語である。
まず 主人公 横山凪紗は傷害罪で執行猶予中、そして同僚の遺体を山形まで車で運ぶ途中で当たり屋と思われる女を乗せるハメに…この途中で乗せた女が物語の肝。この話は実話をベースに江頭美智留さんが脚本にしたもの。勿論 遺体を運ぶことには抵抗(報酬を得ているから違法か)があるが、無理を承知で実行したことで 凪紗の心に変化が…。

東京公演には大阪公演を観た観客が多数来ており、人気の程がうかがえる。勿論 キャスト目当てもあろうが、作品の魅力…ミステリー サスペンス調の仕掛け、抒情を感じさせる挿入歌など、観せる力・聴かせる力が 再び劇場へ、となるのではなかろうか。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

中央に車一台。勿論ドアもなければ窓もなく、その開け閉めはパントマイムで行う。
横山凪紗(22歳)は5歳の時に母と死に別れ、父は その3年後に再婚した。母が亡くなり17回忌法要を行うと父から連絡があったが、継母との関係が気まずく出席しないと決めていた。

そんな時、職場の上司で身元引受人の佐々木陽子から急死した同僚の遺体を山形まで運ぶよう頼まれる。渋々引き受けて出発するが、途中 奇妙な女が飛び出してくる。孤独に凝り固まる横山凪紗を演じる NMB48の佐月愛果さんは、実にキュートだ。他人と関わることが苦手、それが旅を通して人との触れ合いに温かさを感じ始める。そんな繊細な難役を見事に表現していた。また出番は少ないが、佐々木陽子を演じる 桐さと実さんは見守るという包容力を観せる。

単に遺体を運ぶだけではなく、途中で凶悪犯と思しき人物を乗車させたり といったサスペンス ミステリー風な展開へ。ハラハラドキドキするような場面を挿入することで、観客の集中力・緊張感を逸らさない。一方、車内で凪紗と途中で乗せた謎の女 菅原陽向子(村崎真彩サン)が歌う曲が切なく心に沁みる。
因みに謎の女の正体は、ぜひ劇場で確かめて。

他人と密な関係を築かず生きることが当たり前のような現代、しかし<築く>ではなく<気づく>ことがなかった人の優しさ温かさを知ることになったロードドラマ。孤独と孤立に凍った心が解けていくような、そんな心温まる秀作。
次回公演も楽しみにしております。
ロリコンとうさん

ロリコンとうさん

NICE STALKER

ザ・スズナリ(東京都)

2023/08/30 (水) ~ 2023/09/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ロリコン( 幼女 ・ 少女 への恋愛感情)という性癖のある人々の心情吐露、それを世間(実態を知らない人々)というフィルターを通すことで不器用と不寛容が浮き彫りになるような公演。芝居として表層的には面白いが、少女愛への共感・共鳴は出来ない…そう感情移入が出来ないのだ。冒頭、フィクションと ことわりがあり、理屈で考え 観るつもりはなかったが、どこか醒めた目で観ていた と思う。

さて、物語では ロリコンの対象年齢が小学生以下のようだが、登場するロリコンの人々は大人の女性と恋愛をし結婚もしている。勿論 ロリコンとうさん というから 父親 である。この<親>ということが肝。ちなみにロリコンとうさんの身長は 149.9cmと小柄、舞台では桑田佳澄さんがランドセルを背負って熱演している。

当日用チラシにもあったが、ネットで募集した40人以上の「ロリコンの方」と会い、通話し、テキストを送り取材した、フィールドワークに基づいて作劇したという。それゆえ、ロリコンという性癖の描きは、実に自然体だ。何となく解らないのが、どうしてロリコンになったのか、その理由や原因、または生まれもった性癖であったのだろうか(自分の知識・認識不足か?)。フィールドワークで そこを質問しなかったのだろうか? そんな 素朴な疑問を持った。

終演後の挨拶で 作・演出のイトウシンタロウ氏が まだ次回作の予定がないと言う。ロリコン公演に全力を注いだのであれば、今度は「シスコン」などは…。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

ほぼ素舞台。中央に「LOLIcom」と書かれたオブジェが設置。
自分のロリコンという性癖に向き合う人々の悲哀と可笑しみに満ちた暮らし、その生き様をフィールドワークに基づいて作劇した野心または挑戦作。タイトルからは想像できないほど真面目に描いており、その物語性(展開)も巧い。イトウシンタロウ氏は、世間から偏見の目で見られそうなロリコンという性癖に独自の<光>をあてたようだ。

痛みに似たような感覚、それを分かち合うような独自の作家性ー舞台という虚構性に現実の存在を取り入れーと熱い思い入れが伝わる。どうしても創り上げたかった、その強烈な渇望に満ちた渾身の一作のようだ。
本作はフィールドワークに基づいているから、自ずとロリコンという性癖を持つ人の視点。しかし ロリコンとは知らず付き合っている女性の気持はどうなのか、が気になる。

ロリコンとうさん:桑田澄太郎役を小柄な桑田佳澄さんが演じているが、何故 彼女が演じているのか。その謎が最後に明かされるが、その性癖ゆえに悩ましく切ない。自分に正直に生きようとすれば するほど悩みは深くなり、周囲の人々との関係も微妙になるようだ。舞台という虚構性の中に、リアルな思いを巧みに掬い上げ興味深く表現していた。
次回公演も楽しみにしております。
眠らない街と愛していたが訳ありだった僕ら

眠らない街と愛していたが訳ありだった僕ら

運命論者

アトリエファンファーレ東池袋(東京都)

2023/09/01 (金) ~ 2023/09/03 (日)公演終了

実演鑑賞

旗揚げ公演にして、第35回池袋演劇祭参加作品(★評価は演劇祭授賞式後)。
大学生公演らしく瑞々しく、そして年齢が近い等身大の人物を立ち上げる。物語は新宿の歌舞伎町の中心にあるTOHOシネマズ新宿広場前を溜まり場とした若者の生態を描いた堕思春期劇。

新宿、それも通称トー横界隈を描き出すため映像を用い、その雰囲気を演出しようとする工夫。そして中心になる少女2人の衣裳に住む世界・環境の違いを表す。表現し難い心情をどのように表出できるかが課題であろう。それを少女2人の境遇を微妙に変化させ描く。しかし どうしてもダークな面を取り入れないと ドラマとしては盛り上がらない。トー横界隈=倦怠/堕落した若者=犯罪の温床=闇社会といった画一的な筋書きのように思える。そして、その理由/原因が家庭や学校という捉え方に狭さを感じる。救いは闇社会にいる者と一線を画そうとする少女の態度と その後の行動。
(上演時間1時間40分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は、中央奥に白幕でスクリーン代わり、左右で段差が異なる台。上手に置き台のようなものがあり 床にはコミが散らかっている。多分 縁石と広場の汚さを表しているのだろう。

瑞々しさの表裏と言えるか、演技が少し粗いような気がした。例えば缶ビールを飲むシーンでは、泥酔していないのに 缶を傾けたまま口元から離し、焼き肉を食べるシーンでは口元へ運んでいない。細かい仕草も丁寧な演技をすることによってリアリティがうまれる。せっかく新宿街の雰囲気を出し、心情という表現が難しい…いやトー横キッズという注目度・社会問題という目新しい観点に挑戦しているだけに惜しい。

主人公 舞(松沢佳奈サン)が興味本位であろうか トー横界隈に行って知り会ったルミ(ハナスエトミ サン)、新(246番街サン)と過ごした一時期、それを現代世相に絡めて描く。家庭や学校に居場所がない空虚さ、親しい友達もいない寂しさ、そんな思春期の不安定さが観てとれるが、決定的な詭道さが観えない。たしかに闇の仕事(未成年売春等)も出てくるが、舞が優等生すぎて闇世界と一線を画している。トー横界隈の危うさにどっぷり浸るのではなく、客観的に観ているようで緊張感が伝わらない。敢えて 優しく無難に仕上げた、そぅ救いをもたせるといった印象だが…自分は肯定的に捉えた。

衣裳は、舞が制服、ルミが秋葉原等で見かける可愛いいフリルもの、新はカジュアルで、そこに三者の立ち位置が見えるようだ。舞はこの先 大学まで進学し、ルミは闇に沈みといった展開のようだが、深追いはしない。あくまでトー横界隈で過ごした一時期を紡ぐことで等身大の若者像を描く。改めて テーマが現代的で話題性もあるだけに惜しい。
次回公演を楽しみにしております。
新・ワーグナー家の女

新・ワーグナー家の女

Brave Step 

アトリエ第Q藝術(東京都)

2023/08/30 (水) ~ 2023/09/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
濃密で緊迫した母娘の会話劇。
物語は1946年、廃墟と化したドイツのバイロイトで開かれた委員会に参考人として召喚された女性、そして もう一人の若い女性の対峙を通して戦時中のナチスドイツ(ヒトラー)の関係を明らかにする。初演は2004年、このような芳醇な香りを思わせる公演は初めてである。

1946年という設定であるが、会話から現代に通じる問題が次々に浮かび上がる。第三帝国という破滅への背景には、当時の不景気、不寛容、防衛のため…どこかで聞いたような言葉が述べられる。現実に世界のどこかで戦争や紛争が続いている。それは対岸の火事(戦火)ではなく、グローバル化した現代においては何らかの影響を受け、与えることになる。そんな怖さを感じさせる。

ピアノの生演奏(「タンホイザー序曲」を始め有名クラシック音楽)という贅沢さ、2人の女性は勿論、委員会委員(コロス)、そして場内に飾られた肖像画等への照明が物語を印象的・効果的に観(魅)せている。また コロスは(有名)指揮者であり、ナチス兵・委員という複数の役を兼ね時の流れを表す。

立場の違う母と娘…チラシでいうところの敗戦国ドイツ、戦勝国アメリカ、どちらにしても「バイロイト音楽祭」はワーグナー家が仕切ることが出来た。そして 戦中・戦後の一時期を除き、「バイロイト音楽祭」は 別名リヒャルト・ワーグナー音楽祭といわれるように、彼のオペラ・楽劇を演目としており、現在も続いている。その意味では<音楽祭>を守り継続させるための 母娘の深謀のような気もするが…。だからこそ「新・ワーグナー家の女」なのだろうか。
(上演時間2時間 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は中央に大きめの椅子、周りに不規則に置かれた机と椅子。中央奥の壁にはヒトラーの肖像画が見える。また有名な指揮者の絵画か写真も飾られている。しかし何となく 廃墟然とした雰囲気が漂い、薄暗い中で母が淡々と語る。そして娘が登場し母と対峙してからは緊張感ある激論が始まる。

物語は、委員会に召喚された母ヴィニフレッド・ワーグナー(観世葉子サン)とその娘フリーデリント・ワーグナー(新澤 泉サン)が、戦時中のナチスドイツ(ヒトラー)との関り、特に「バイロイト音楽祭」を巡り激論する。そこで明らかになるのは、ナチス時代にワーグナーがどう受け入れられていたか、そしてナチスとはなんだったのか。物語のほとんどは、この2人の息詰まる台詞の攻防に終始するといっても過言ではない。そして母の不遜 尊大な態度、娘の鋭い理論的な追及といった立場の違いを、観世葉子さんと新澤 泉さんが見事に演じていた。

ナチスが、19世紀まで続いた伝統的な社会価値や秩序に対し、ある種の変革を打ち出し民衆の支持を得ていたらしい。 第2次世界大戦中も「バイロイト音楽祭」はナチスの支援下を受けており、母が時代を乗り切るため 生きるが故に矛盾や絶望に苛まれていた訳でもない。一方 娘はアメリカへ渡り反ナチ活動をしており、両者とも実情に基づいている。それ故 言葉(台詞)に誤魔化しがなく重みがあり、時代と人間のドラマを感じさせる。ヴィニフレッド・ワーグナーは、ナチス ドイツの傷を自らに刻みつつ、それからも運命に翻弄されながら逞しく生き抜いたようだ。

公演は、リヒャルト・ワーグナー「バイロイト音楽祭」を題材にしていることから、彼の曲をピアノの生演奏で聴かせる。演奏は高橋瞳輝子さんであるが、彼女の衣裳は黒一色で黒子に徹したかのよう。この公演を影?からしっかり支えていた。
次回公演も楽しみにしております。
七曲り喫茶紫苑

七曲り喫茶紫苑

劇団芝居屋

劇場MOMO(東京都)

2023/08/30 (水) ~ 2023/09/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
<人間と地域>を<愛情と愛着>をもって描いた好公演。劇団芝居屋らしい安定感、それは演じている役者の演技そのもの。今回は地方都市の寂びれた設定から、東京郊外にある私鉄沿線の街が舞台になっている。そしてコロナ禍の影響で タイトルにある通称「七曲り」という路地裏横丁が移転を強いられる。現実にありそうな内容を厚い人情噺として紡ぐ。昭和という佇まい 雰囲気に、令和の時代の出来事、その苦境を逆に題材として描く強かさ。

いつもの人情噺、しかし 少しネタバレするが、親が戦後間もない頃に開店し、そこで生まれ育った女将・影山典子の慟哭が痛ましい。親から受け継いだ おでん屋「万年青」が取り壊され、愛着ある風景が一変する。75年の歴史ある店が一瞬にして無くなる無常。雑多な路地裏、それが何も無く見渡せてしまう光景、その変貌した様子が想像できる破砕音。同時に典子の取り乱した姿…彼女の人生と店舗が重なり哀愁をみるようだ。単に移転ではなく、人生の歩み(思い出)が消えるような不安、それでも人は力強く生きていく を思わせる。そこに劇団芝居屋の真骨頂を観る。

物語は、立ち退きを中心に、そこで生きてきた人々の背景と今後の行く末を温かく見守る。同時に今 日本が抱える問題も点描する幅広い描き。少子・高齢化を思わせる後継者問題、マイノリティに繋がるゲイBAR「夜と朝」、そのマスターの生き様と今後の行く末が気になる。説明にある、かろうじて残った五店舗の立ち退きを、喫茶紫苑を中心に紡ぐ「現代の世話物」、そう まさに<現代>の人情芝居。ぜひ劇場で覗いてみては…。
(上演時間1時間55分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は喫茶紫苑の店内…上手にカウンターと腰高スツール、中央奥・客席よりにテーブルとイス、下手にソファ席がある。壁(一部がレンガになっており時代を感じさせる)には絵画や三角ペナントがあり、その雰囲気作りの上手さは いつもの芝居屋。ラスト このテーブルやイス、小物類が…。

昭和の匂いを残す路地裏横丁が、以前からあった再開発による区画整理、そしてコロナ禍の悪影響(経営不振)が重なり 移転が決定した以降を描く。老舗のおでん屋「万年青」、喫茶紫苑はこの地で長い間 営業を行っており、現在は夫々 先代から受け継いだ二代目。思い入れある横丁とそこで触れ合う人々の優しさ温かさに、古き良き時代の郷愁を感じる。いつもの人情芝居だが、今作は「万年青」の取壊し移転に伴って75歳の女将 典子(永井利枝サン)の心情を掘り下げる。今更 新しい店で仕事が出来るかといった不安、そして跡継ぎがいないことから閉店を考えている といった事情を盛り込む。またゲイBAR「夜と朝」のマスターはLGBTの仲間と新たに高齢者施設を、といった夫々の事情を通して少子・高齢化社会を考えさせる。

一軒一軒 取壊しが始まるが、それを不安・不穏を煽るような音楽と破砕音で想像させる。音と言えば、万年青の女将と従業員 福田登和(細川量代サン)が情感込めて「昭和枯れすゝき」を歌うシーンは、昭和の雰囲気そのもの。
勿論「万年青」や「紫苑」だけではなく、焼き鳥「鳥功」、立ち飲み屋「海路」や「権藤ボクシングジム」が抱える問題、それが現代の地域社会を反映するような描き。一方、先行き不透明な事情の中に、若いボクサーや若手女性弁護士といった人々を登場させ 新たな未来をも感じさせる。この個性と事情ある人物をベテラン、若手が生き活きと演じ物語を紡ぐ。

場面転換するごとに衣裳を着替え、時間の流れや状況の変化を表す丁寧な観せ方である。しかし それだけ暗転が多いと感じられた。ラスト、紫苑の店内にある物が運び出され、二代目ママ 中村良子(増田恵美サン)が佇む中、黄昏を思わせる照明が印象的だ。余韻ある演出(地主 栗山金蔵 役<増田再起サン>)が心に沁みる。いつか薄れていくかもしれない コロナ禍の怯えと記憶の記憶を 真摯に繋ぎ止めてくれるような公演だ。
次回公演も楽しみにしております。
引き結び

引き結び

ViStar PRODUCE

恵比寿・エコー劇場(東京都)

2023/08/23 (水) ~ 2023/08/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

違う雰囲気の2つの芝居を観ているような。前半の面白可笑しく 弾けた娯楽劇、後半の生きるを切々に訴えた心情劇、その動的であり静的という二面構成で紡ぐ。サブタイトル~紬ぎ結ぶは約束の糸~、その約束について ニーチェの「人間は行動を約束することはできるが、感情は約束できない」の言葉を引用して物語は始まる。

本作は、昨年上演予定であったが、本番直前で中止になっている。カーテンコールで主宰の星宏美さんが感極まって涙が。劇中で 雨が降る比喩として<悲し涙>と<嬉し涙>と言っていたが、まさに星さんの昨年と今年の心境に重なるように思える。そして手書きの挨拶文に「皆様に作品をお届けし続けることを 約束 します!!!」と力強い表明、一観客として応援したい。

この作品は、前作「引き結び~紬ぎ結ぶは命の糸~」の1~2年前という設定のよう。前作の主人公 高松一輝(前作では大学生、本作では高校生)の友人 南波圭介とその妹 藤田彩芽が主人公。舞台は北海道、そしてレンタルビデオ店だけに映画に準えた雰囲気の人々が…。全ての人物が善人、そして優しく温かく紡ぐが、先にも記したが前半の笑いから後半の泣き、その感情の揺さぶりが半端なく凄い。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)【紬チーム】 

ネタバレBOX

舞台美術…冒頭は白シーツで隠されているが、物語が始まるとレンタルビデオ店が出現する。左右非対称だが、両側に階段を設え 上部に別場所を作る。夏の風物らしく簾、麦わら帽子、夜店で売っている お面が飾られている。中央に🔞暖簾、その両側にレンタル品棚が立つ。
当日パンフには、前作との関わりがあるため 役名とキャスト名が記された人物相関図があり丁寧な紹介をしている。

物語の前半は、仲の良い兄妹とその周りにいる人々の日常を面白可笑しく描く。コロナの関係で上演順が逆になっており、高校の友人 高松一輝は前作「引き結び~紬ぎ結ぶは命の糸~」では大学進学後として語られる。そして前作で謎だった雪江の正体は既に知れているので、本作ではあっさりと描く。

さて、レンタルビデオ店に出入りするのは、ヤクザの姉さん 我衆院志摩子(鬼龍院花子 の捩りか)と子分、興味本位の常連小学生、そして「男はつらいよシリーズ」を観たいといった映画愛(癖)の強い人々である。この前半で笑いを誘い、後半でサブタイトルになっている<命>=<約束>を描き、感情を揺さぶる。

後半は妹の体に異変が…義理の母に急性骨髄性白血病と診断され、兄が何とか助けたいと奔走する。その様子に周りの人々が協力しようとする善意が涙を誘う。そして自分の骨髄の移植を…はたして妹を助けることが出来るのか。この「引き結び」公演の定番とも言える展開は、分かっていても毎回泣かされる。
次回公演も楽しみにしております。
血の底

血の底

演劇プロデュース『螺旋階段』

KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2023/08/24 (木) ~ 2023/08/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

バブル期を背景に人の痛みと悲しみ、そして憎しみを描いた人間ドラマにして社会ドラマ、その重厚・骨太作品は観応えがあった。事件を追う手法で次々と明らかになる事実、しかし人の上っ面ほど信用できないものはない。その騙し騙されは、ますます不幸の連鎖を生む。まさにバブル崩壊によって土地神話が崩れ、金融機能は行き詰まり金融機関の破綻、そして国家経済の低迷期へ…に重ねるような展開である。事実という点と点が繋がり線として交差するが、全てに紐付けするようで 少し強引に思えた。

タイトル「血の底」は、勿論 バブル期の<地>と掛け合わせているが、物語では そのまま<血>の底、その深い憎しみを表している。しかし、その憎しみこそが 生きる<力>にもなっている。そのためには人を騙し貶め、そして奪う。劇中にある「バブル期とは何だったのか」は、今にして思えば浮かれ踊り狂った幻想の時期だったような。表層的には、恨み辛みを果たすための復讐劇に観え(思え)るが、人の感情ほど読み取れないものはない。その底知れなさに この劇の面白さがある。

舞台美術が、物語そのものを表しているよう。擂鉢状で さらに底には穴がある。掘っても掘っても底が見えない、その どこまで続くのか解らない人の怨嗟と強欲。演劇的には奈落の底といったところであろうか。そしてぶちまける砂、まさしく築いた地位と財産、そしてバブル期という<砂上の楼閣>を表しているかのようだ。
(上演時間2時間30分 途中休憩なし)【白チーム】追記予定

イエスタデイランド

イエスタデイランド

青春事情

劇場MOMO(東京都)

2023/08/23 (水) ~ 2023/08/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
時代に取り残されて今にも潰れそうな遊園地<ドリームワールド>、そこで働く人々の心温まる奮闘記を描く。ワクワクするような非日常が過ごせる場所であるが、そこで働く従業員は日々 集客するために頭を悩ませる。特に園長は夢<ドリーム>を見るどころか、数字という現実を突きつけられる。物語の魅力は、そこで働く人々の面白可笑しい姿、しかし 心に秘めた熱い思いをしっかり伝えるところ。どんなに閑散としていても防災訓練は怠らない、そのシーンを冒頭とラストに描くことによって、さり気なく従業員の意識の変化を観せる。

舞台美術は簡素な作りであるが、遊園地のアトラクションや祭り(提灯)を思わせる光景。それでも奥行きを感じさせる。そして不思議とファンタジーでありノスタルジーな雰囲気が漂う。そんな背景の中で テンポ良い展開、そして笑える会話、時に含蓄ある言葉で感情を揺さぶる。今後 この遊園地がどうなるのか気になるな~。
(上演時間1時間40分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は 後景に観覧車、上部に提灯の形をした張りぼて という簡素なもの。全体で園内の広さを表すスペースとし、動き回る姿によってテンポのよさを出す巧さ。
今は昔、小さな遊園地はデパートの屋上にもあり それなりに人気があり需要もあったと思う。物語は、客足が遠のいた遊園地<ドリームワールド>、そこで働く人々の熱い思いと厳しい現実の狭間で苦悩する姿を通して<時代=流行り廃り=需要>とは を考えさせる。

アイドルを 招請してのイベントを企画したが、事情によって無名の演歌歌手がやってくる。客がいない中で熱唱する、その姿に園長は疑問を呈する。歌手曰く、柱の陰に一人だけ聞いている客がいた。客数の多い少ないではなく、一人一人のために歌っている。音源もカセットテープという時代遅れのモノを用意する。演歌も聞く人がいなくなれば廃れるのか、今の若者は演歌など聞かないと辛らつなコメント。自分(園長)も年を取れば演歌を聞くようになるのか、といった自嘲。このシーンが遊園地の人気<需要>に重なる。

従業員と 時どき来園する客の思いが、経営の厳しい遊園地の対比として描かれる。幼い時に来た楽しい思い出を大事にする従業員、態度が悪くどこも採用してくれなかった女子バイト、人手不足でメンテナンスも含め多くの業務を担うベテラン、マスコット(着ぐるみ)のラビット、そして社会人経験のない主婦が…。一癖も二癖もあるような人々が一人の客のためにイベントを催そうとする。年を取り 守りに入ったら、夢が見られなくなる。

不愛想な女子バイト(先輩)と笑顔で対応する主婦(後輩)の生き方、考え方の違いも面白い。学歴に劣等感があり、働き先が見つからなかった女子バイトはバカにされないよう虚勢を張る。一方 主婦は年下後輩に厳しく当たられても笑顔で応じる。笑顔の下には悔しい思いも、そんな2人が心を通わせていく。
ラスト、久しぶりに盆踊り大会を開催することになり、演歌歌手を再び招請するという大団円へ。
次回公演も楽しみにしております。
アオハルがやりたくて

アオハルがやりたくて

リブレセン 劇団離風霊船

OFF OFFシアター(東京都)

2023/08/16 (水) ~ 2023/08/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初見の団体…面白い、お薦め。
この劇場で上演前の緞帳は初めて見たかも。説明に「とある車両に乗り合わせた6人の男女がおりなす人間模様」とあるから、セットは何となく想像できる。表層はアオハルに憧れる女子高生:山田佳菜子(赤松怜音サン)の 心の葛藤 いじらしさを描いているが、その展開は意表をつく。因みに 赤松怜音さんは、若い時の多部 未華子に似ており 本人登場か と少し驚いた。

登場人物の苗字は勿論、劇中の場面に映画の名シーンを挿入している。映画好きには 直ぐ分かるが、そうでなくても物語の一場面として上手く取り込んでいるので楽しめる。全体としては ミステリー、奇怪といった雰囲気を漂わせているが、その不思議感覚(演出)こそが肝。

乗り合わせた人々の役とキャラが妙。何の接点もないが、主人公の女子高生の心に寄り添うような言葉(台詞)と行為(好意)、普通であれば関わることがないだろうが、特殊な状況ゆえに緊密になる。人々の煽(アオ)によって治(ハル)ような女子高生の心持、その青春の一幕はぜひ劇場で…。
(上演時間1時間5分) 

ネタバレBOX

舞台美術は電車内。つり革やソファー、そして広告が見える。
山田佳菜子は、文化祭の準備を押し付けられ やり終えての電車内。乗車しているのは中年男性・針生、中年女性・林田、乳母車に赤ん坊を乗せた女性・大鳥、そして途中から男子高校生・石井が乗ってくる。突然の急ブレーキ、電車が動かなくなる。車内という閉鎖状態、なんとなく気まずい雰囲気になるところだが、針生が皆に話しかける。

不安になる状況下において 明るく振る舞う。そして つり革を雲梯のようにして遊び、ソファーに寝転ぶ。普段の車内では出来ないことをして楽しんでしまう。一方、佳菜子は引っ込み思案、人見知り、自己肯定感が低い。そんな自分を何とか変えたいと思っている。少しずつ 針生のポジティブな思考に影響され…。

佳菜子は、映画好きであり人に興味もある。例えば、大鳥はオードリーヘップバーンに似ており、映画「ローマの休日」に出てくる<真実の口>の名場面を演じる面白さ。電車が不規則な動き 停車をするなかで、佳菜子が石井に後ろから抱きしめられるのは、「タイタニック」の甘美な世界。有名映画のワンシーンをさり気なく挿入して楽しませる。

いつからか、車内の外に人影(謎の男)らしきものが…。そして乗客が一人づつ車外に消えていく。赤ん坊の泣き声が車内に甲高く響くが、実は赤ん坊は存在しない。一瞬オカルトかと思わせるが、最後に車内に残ったのは佳菜子と石井だけ。夫々の乗客は佳菜子へ声掛けをし、彼女の内気に対する励ましをする。そして今ある状況に唖然とする。再演があるかもしれないため、結末は伏せておく。しかし 実によく考えられたシチュエーションで観応え十分。
次回公演も楽しみにしております。

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