りいちろの観てきた!クチコミ一覧

141-160件 / 1006件中
千枚皮姫

千枚皮姫

コマツ企画

小劇場 楽園(東京都)

2013/08/20 (火) ~ 2013/08/21 (水)公演終了

満足度★★★★

不思議なフォーカス
一人芝居の制約の中で
物語は編みあがっていたし、
伝わってくる世界がありました。

ただ、その世界は通常の世界とはちがった
フォーカスで組みあがってくるような感じがあって。

少々戸惑いを感じた部分もあり
不思議な感触に捉われ続けた舞台でもありました。

ネタバレBOX

なんだろ、
物語が、舞台上や役者と観客の間にあるのではなく、
そのフォーカスも、役者の演じるもののさらに奥に定まっていて、
こぼれ出てくるものが、舞台に断片的に散らばっている感じ・・・。

舞台上に、役者が台詞や身体で、
母にしても、娘にしても、
それぞれのつれあいにしても、
その印象を紡ぎ上げてはいるのですが、
そこに密度のコアはなく、
役者自身が演じるロールが舞台の奥に眺める何かを、
その後ろから一緒になって垣間見ているような感じがする。

作り手が、意図的にその不可思議な感覚や視野を
観る側に与えているのであれば、
それは新たな表現の引き出しだとはおもうのですが、
よしんばそうであっても、
作り手が、より第三者的に舞台を眺めうる作劇の環境
(モニターとか稽古時の視線とか・・)を持てば、
もっと鋭く濃密な切っ先が編まれたのではないかなぁと
思ったりもしたことでした。

観終わってじわっとまとわりつくように残る
ひとつのテイストに留まらない肌触りを持った舞台で、
ラフな語り口からは予想できなかった残像の焼きつきのようなものがあって
心捉えられたのですが、
一方で、たとえば、初めて演劇に触れる方には、
少々馴染みにくい質感をもった舞台だったと思います。

隣で浮気?

隣で浮気?

傑作を遊ぼう。rorian55?

王子小劇場(東京都)

2013/08/16 (金) ~ 2013/08/18 (日)公演終了

満足度★★★★

もうひと噛み砕きがあればさらによし
戯曲の力をしっかりと感じることができる演出で、
役者たちのテンポも実によく、
ベタな言い方だけれど、とても面白かったです。

ただ、観客として、背景にある文化を知らないことで、
戯曲が本来内包している面白さを、
100%受け取ることができていないのだろうなと
思う部分もあって。

多少あざとくてもよいから、もうひと解きを頂けると、
さらに戯曲の良さを受け取ることができるのではとも感じました

ネタバレBOX

戯曲が本来意図した空気というか匂いは、
多分忠実に再現できていたのだと思うし、
また、会話のリズムもしっかりとあり、
テンションも、ここ一番でのメリハリも良く作られていて。
勘違いが複雑に絡まっていく構成も取り違えの面白さも、
下世話なジョークなども
観る側がしっかりと受け取りうる演出だったと思います。

ただ、戯曲には、きっと、英国に暮らしたことがある人間ではないと
わかりにくかったり、実感を持てないであろう文化的な背景が
あるようにも感じました。
たとえば、
女性たちの食事の買い出しリストの違いが意味するものとか、
鎖を引っ張るトイレの仕組みとか、
ガーディアンという新聞の位置づけとか、
食前酒のシェリーやトニックウォーターのニュアンスとか、
500ポンドのドレスの価値観とか。
etc.

女性たちが其々に抱く寂しさやコンプレックスなどが
とても良く切り出されていたし、
男性たちの雰囲気のデフォルメもしっかり、
冒頭やシーンの繋ぎもしたたか、
さらには
万国共通のネタもたくさんあって笑えたのですが、
会場全体を巻き込む燃料になるような
もっと根深いところにある笑いを引きだすためには、
文化的な異なりに埋もれてしまいやすいパンチラインを
もう少しあざとくしたり
原作の風合いを崩さないぎりぎりのところで
更にもう半歩、原作を意訳して踏み出すやり方もあるのかなぁと
思ったりもしました。

戯曲に描かれた骨組みやコアにあるものはきちんと組みあがっていたし、
舞台として、時間を感じずに見入る面白さも担保されていたのですが、
多分、翻訳劇にとどまらず、よしんば日本の古典などであっても、
本来のテイストをしっかり表現する底力のある劇団だと思うし、
だからこそ、もうひとチャレンジで傑作をより遊んでいただければ
観る側にとって舞台をさらに魅力的に感じうる
広がりが生まれる気がします。






お酒との正しい付き合い方

お酒との正しい付き合い方

月刊「根本宗子」

BAR 夢(東京都)

2013/08/15 (木) ~ 2013/08/18 (日)公演終了

満足度★★★★

酔っ払いのロジック
タイトルどおりの酒が絡んだお話ではありましたが、
酔っぱらいの編むさまざまな態や理屈のはみ出し方が
実にいろいろに面白くて。
しかも、笑ったその先の、
酔いに編まれたロジックの踏み出しと貫きに
がっつりとやられてしまいました。

ネタバレBOX

姉妹の設定での二人芝居、
前半の酔っ払いの態には、良い部分とちょっと硬く感じる部分があって。
微妙な会話の噛みあわなさや、しつこさや、
時々きゅっと上がるテンションの高さなどは、
十分に及第点のお芝居。
ただ、ちょっとしたことがうまく機能している部分とそうでない部分のバラつきがあって、
たとえば、無理矢理にカーラーを外す仕草や、
片方が電話しているときに、
歯止めをなくしたチャチャを入れる感じも
うまいなぁと思う反面、
酔っ払いの細かい所作の一部には、
刹那の仕草が上手く切り取られ過ぎて
全体としてやや硬い印象に陥った部分もありました。

でも、前半から、酔っ払いどおしの会話の可笑しさは
きちんと担保されていて、
しかもその展開で終わらないのが、
この作り手の凄いところで・・・。

後半の姉妹間の酔った態での不毛なアイドル男子の取り合いまでは
そこそこ、ふつうにある展開なのですが、
そこに迷惑メールの話が絡み、
酔っているからこその踏み出しに現実への俯瞰が生まれ
アイドルが与える夢とリアルの関係性までが晒されてしまうに至って
観る側は呆然。
ロジックの展開の切れや
夢の醒め方の鮮やかさにぞくっときたことでした。

観終わって、
前半のふたりの酔い方が
後半の展開を、単なる醒めたアイドルファンの想いに留まらない、
別の次元への踏み出しに導いていることに思い当たって。
その酔いっぷりには、さらに旨味を醸し出す若干の余地を感じたものの、
それが刹那の笑いに留まらず、
作品の一番の見せ場をしっかりと際立たせていることに
感心したことでした。

従前の同じような作品群と比べても、
一味異なる切っ先をもった秀作だと思います。











お盆に家族でバーへ行く

お盆に家族でバーへ行く

BASEプロデュース

BAR BASE(東京都)

2013/08/12 (月) ~ 2013/08/18 (日)公演終了

満足度★★★★

季節的にもよろしいかと
マチネの回で、汗をかきかき足を運ばせていただきましたが、
場内は冷房も効いており、生演奏も心地良く、
ワンドリンクもとても美味しく感じられて。
そして、それらがちゃんと添え物になるだけの内容が
メインディッシュのお芝居にもあって堪能しました。

ネタバレBOX

舞台のスペースは狭いといえば狭いのですが、
カウンターの内外とコンパクトなテーブルとを役者たちが上手く使って、
場の制約をほとんど感じさせない。

お芝居としての展開も、
掴みというか、物語が解けるまでを
役者たちのインパクトで笑いをとって
ロール間の関係が見えてくると、
リズムのある会話でさらにコンテンツを重ね、
登場人物ひとりずつの想いをしなやかに浮かび上がらせていく。
でも、物語にはそこからもう一段の奥行きがあって・・・。

しっかりと組みあがっているにもかかわらず
それほど長い上演時間ではなく、サクっとみられるし、
開演前や要所にはいるキーボードの生演奏も小粋だし
季節に似合った奇異な話と言えなくもないのだけれど、
陰鬱さがなく、からっとした明るさがあって、
観る側が沈むことなく、ちょっとほろっとしたりもしながら
お芝居に浸ることができる。

時間つぶしというと語弊があるけれど、
映画を観に行くような感覚で
お盆休みのひとときを過ごすには実に好適な作品で、
小難しい表現がなく、わかりやすく、
あまり演劇を観たことがない観客が
ちゃんとお芝居を好きになるような魅力もあって。

とてもベタな言い方だけれど、素直に楽しませていただきました。
鉄の時代

鉄の時代

劇団霞座

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2013/08/09 (金) ~ 2013/08/11 (日)公演終了

満足度★★★★

カオスに陥ることなくクリアに
前回は観ることができなかったのですが、
それ以前に観た作品に比べて
個々がロールが担う時その在り様が濁ることなく明確になり、
テーマによりクリアな切っ先が生まれていたように思います。

さらに研ぎうる若干の余地も感じつつ、
その表現の行きつく先に
とても自然に引き込まれてしまいました。

ネタバレBOX

作り手が表したい想いの頂を舞台に置くとき、
従前に観た作品では、
その場がすべてパワーで塗りこめていくような印象があって、
舞台全体がそのトーンに溢れカオスにすらなっていましたが、
今回の舞台では、一つずつのロールが
硬質であっても緩急をもって編まれているので
戯曲が組み上げる世界の構造や、組みあがる個々のニュアンスが
とてもくっきりと見えました。

そのうえで解けていく感覚だから、
作家と読者がそれぞれに紡ぐ物語を
単なる概念ではなく、そこに湛えられらた感覚とともに
受け取ることができた気がします。

舞台を支配するテンションが全体を濁らせるのではなく、
透明感を導き出して。
思索のごとく役者が歩むことも、
その廻り方も、早さも、たおやかさや温度も、
そして立ち止まることも、
一つずつが内心の風景と重なり
観る側をも描かれる世界の色に取り込んでいく。
そして、そのなかに散らばる言葉たち、
一つずつについては、コンテンツが保ちきれず、
編み上げるひとつずつのシェープが
少しだけあいまいになる部分があったものの、
表現のクオリティの先に広がる
作家と読者と作品世界の関係の構図は
舞台上にしっかりと浮かび上がって。

美術や照明には観る側に世界観を上手く導く強さがあり、
役者たちにも、異なる色の切っ先が作りこまれていて、
ロールそれぞれの表層と内心も、安易に束ねられることなく、
背負うものの重なりの中で上手く切り分けられていたように思う。

耽美な世界に浸されて、
でも、観終わって
描くことの苦悩と、受け取る側の心が解かれ鎧が外されることの質感が、
概念や個人的に特別な事象に落ちるのではなく
ベールをはがされたかのようにとても生々しく、
汎用性をもって
あるべくしてあることのように残ったことでした。

作り手や団体に対する印象も
今回かなり変わって。
劇団が内包する美学やパワーを肌で感じることに留まらず、
様々なテーマに対して、この作り手の語り口から導き出されるものが
どのような色を醸し出してくれるのかが、
とても楽しみになりました。
ベッキーの憂鬱

ベッキーの憂鬱

ぬいぐるみハンター

駅前劇場(東京都)

2013/08/07 (水) ~ 2013/08/14 (水)公演終了

満足度★★★★

ベースを支える底力があるから
作品としてのトーンというかプラットフォームを作る底力が作り手や座組にあって、 だからこそ、様々な表現が散漫になることなく安定して差し込まれ 冴えていたように思います。

見応えがありました。

ネタバレBOX

会場に入ると、試験の成績順の張り出しや、
街の風景や、体育館の外観などなど、
様々な造作が仕掛けられていて。

開演すると、舞台はたちまちにリズムに満ち、
素敵に薄っぺらくて作りこまれた、
スクールライフ(洋物っぽく)が組み上げられていく。
まずはそこに完成度があるから、観る側もそのトーンのなかで
様々な表現を受け取ることができるのです。

ハイスクールミュージカルを彷彿とさせる
ホームルームのルーティンにしても、
文化祭のありようや、学級委員や個々のしらけ方にしても、
休み時間や放課後の雰囲気にしても、
素敵にデフォルメをされていつつ、
でも、肌触りに幾つものベクトルでのリアリティが織り込まれていて、
さらにはその表現にぶれがない。

そうして、観る側を高校生活のルーティンに浸してしまうことで、
物語のプラットフォーム上に、作り手の
創意と洗練を持った更なる表現を自由に差し入れる間口が生まれる・・。

野球部のダメ部員二人の話にしても、
その時間の中に置かれると
よしんば少々お下劣な表現であっても
そのあざとさではなく、
内心のありようがクリアに残るし、
下ネタ的な表現で呼び込んだ失笑の先には
不良っぽい少年の、実はいいやつさが
とてもしたたかに切り出されていたりもする。
女子たちのドライでとても正直な想いのありようも、
圧倒的な妄想も、
男子の恋心も、
様々なベクトルの創意と、遊び心と、したたかさに
とり散らかることなく、学校の時間として紡がれ、
織り上げられて・・・。

ダンスにしても、役者たちがよく鍛えられていて、
細かいところを流すことなく、確実にシークエンスをこなし、
観る側をちゃんと委ねさせ、刹那ごとの雰囲気に浸しこみ
さらにはレベルを踏み出して魅せる部分を
いくつも作りだしていきます。
流れや刹那の美しさを湛え、
時に意外性を秘めた切れをもったダンスがあったり、
いきなり大技で、
これなら「白鳥の湖」の黒鳥だって踊れるのではと思わせるような ブレのないスピンがあったりで、
観る側をあれよと前のめりにさせてくれる。

生徒会長の外連にも質量があって、
ヒールとして、 残り全員を背負っての明確な存在感となり
目を奪う。 演じる役者の立ち姿が目を瞠るほどに冴えていて・・・。
またロールの舞台の差し込み方も旨いのですよ。
ドンと舞台に投げるのではなく、
なにげに手順を踏んだしたたかな空気への紡ぎこみがあって。
最初にしらっと観る側の片隅に印象を焼き付けておいて、
そこからしっかりと段階を追ってその在り様を晒していくので、
唐突感がない。

どの生徒にも、
もれなく舞台に埋もれない個性が切り出されているから、
個々のエピソードが舞台から乖離することなく、
やがてはそのプラットフォームの厚みとなり
空気を高揚させ、
気が付けば、歩むのではなく満ちるように
観る側をお化け屋敷の世界へと運ばれているのです。

ストーリーのメインの骨格の単純さを
まったく感じないわけではないのですが、
でもベッキーの存在が観る側の意識に置かれることで
物語そのものの広がりに加え、
舞台内の肌触りと外に据えられた視線の立体感が生まれ
それが厚みとなり、、
そのふくよかさが物語のシンプルさも
実によく折り合っていて。
個々の刹那も最終的にはなげっぱなしにされないのもよい。
特に中盤以降にエピソードたちがうまく束ねられていくグルーブ感には
がっつり心惹かれたことでした。

作り手のこのメソッドは
様々な色の物語を編むことができるキャパを持っている気がします。
作品を堪能しつつ、
作り手が、今後このようなやり方で編んでいく舞台も、
とても楽しみになりました。
スピードの中身(新キャスト)

スピードの中身(新キャスト)

中野成樹+フランケンズ

有明教育芸術短期大学 ホール(東京都)

2013/07/19 (金) ~ 2013/07/20 (土)公演終了

満足度★★★★

観る感覚がリフレッシュされる
いつもの如くお芝居を観る感覚で気軽に足を運んで、
受付で受講証を渡されたのにはちょっとびっくり。
公開講座的な扱いだったのですね。

で、中味はといえば、
とても分かりやすく、なるほど感にあふれた演劇トークと
驚きと見応えをもった2本の舞台でした。

ネタバレBOX

演劇2本の感想を

・ 『つながらない点と点、その間に、私たちは生きています』    

芸術教養学科演劇コース現役とOB作とのこと、これがお世辞抜きに面白かった。
平均演劇経験が1年数か月の役者達だそうですが
複雑にニュアンスを組み合わせることは難しくても、
一つの表現を貫く力はきちんと持ち合わせていて
シークエンスをこなしたり、リピートをしたり
バリエーションを少しずつ変化させていったり・・・。

で、そこに織り込んでいくコンテンツがこの上もなく面白い。
難しく組み上げたのではきっと上手く伝わらない感覚が、
ワンショットの会話やバリエーションで
すっと切り出されてくる。
きっと2~3行の台詞やほんの一ひねりだからこそ
訪れるものがある。

舞台のテンションがしっかりと作られていて、
観る側をそらさないし、
役者たちがちゃんと掌に載せている感覚だから
曖昧さがなくエッジも立っていて。

もう、ほんと、見飽きませんでした。

『スピードの中身(新キャスト)』  

作品としては以前にアゴラ劇場などで観たことがあったのですが、
今回はいろんな手練がさらに加わって、
従前に観たものよりもわかりやすくなっていました。

良い意味で作品がシンプルになっていて・・・。
なにか、要所がきちんと整理されていることに加えて、
前回見たときにはなかったシチュエーションごとのちょっとした外連もあって、
シーンというか視座の区切りが分かりやすくなっているというか。
その分、描かれるものもくっきりと伝わってきたように思います。

前回に観たときにも
かなり不思議な印象が残る作品だったのですが
今回は単に作品に描き出そうとしたものを
概念で理解したという満足感に留まらない、
もう一歩踏み込んだ
人が生き死すことへのシニカルな感覚に捉えられて。
なにか、作品の異なる表情を見たような気がしました。

こうやって舞台は幾様にも研がれていくのだなぁと思ったりも。

*** ***

2本立てのお芝居で、
演じる力の多様性と
日頃あたりまえのように観ている
キャリアを持った役者たちの表現の奥行きの凄さを
改めて目の当たりにしたような気もしたり・・・。
冒頭のトークショーのようなレクチャーも
目から鱗が落ちるような話もあって。

演劇としての秀逸さに目を奪われ、楽しみつつ、
演劇に触れる感覚がリフレッシュされたようにも思えたことでした。
目に殴られた

目に殴られた

二十二会

BankART Studio NYK(神奈川県)

2013/07/12 (金) ~ 2013/07/21 (日)公演終了

満足度★★★★

不思議な感覚
説明を読んでも公演内容を想像できなかったのですが、以前の作り手の作品がとても面白かったので観劇。

いくつもの感覚の遷移があって、
とても不思議な感覚に浸されました。

ネタバレBOX

最初はなされることの意図がわからず、
違和感を感じながら、その空間に置かれるだけ。

別にものすごくハイテクな装置があるというわけでもなく、
寧ろ極めてシンプルな仕掛けなのですが、
でも、そこには、
パフォーマンスを鑑賞というか体験しているという前提があって、
しっかりとその仕組みに捉われてしまう。

最初は、自らが見つめる広さの認識が枠となり
その枠を作るために作り手から提示される視線の置き方が
自らを繋ぐリードのように感じられ、
その範囲の外にあるものからの隔絶に不安を感じたりも。

しかし、そこに、ちょっとした風景や自らの姿が入り込んできて、
いろんな印象が生まれ始めると、
今度はその視線の拘束が
自らが入り込んだ世界に留まり続けるための命綱のように思えて。
断片のようなちょっとしたしぐさの挿入、それと重なる自らの姿、
いろんな気配・・・、
視野のうちに置かれるものが糸の片端となって
断片のようななにかが
自らの記憶のストックからすっと引っ張り出されるような感覚が生まれる。

さらに、シルエットの魔法に、
視線が自らの内側に取り込まれるような時間があって
気が付けば、自らがそこにあることの違和感は消失し、
演じての差し入れるものに
自らの内側に生まれた感覚がさらに織りあがっていく。

なんだろ、自らの視野が舞台の枠となり、
そこに現れる世界に対峙することが、
とても風変わりで凡庸で馴染み深い演劇の渦中にあるような気がして。
実のところそこに外側から提示されたイメージは
とても断片的で、
それに導かれるように現れる物に対しては、
むしろ自らが演じ手であるような感覚にすら至って。

終わってみれば20分程度の時間だったのですが、
感覚としてその長さをうまく捉えることができていなくて、
どこか不安定で、でもボリューム感をもった感触が
強く印象に焼きついて。

自らが体験したものを、
何かが裏返ったような思いとともに
しばらく反芻しておりました。

ちょっと忘れがたい、とても印象に強い体験でありました。
『岸田國士原作コレクション2』

『岸田國士原作コレクション2』

オーストラ・マコンドー

black A(東京都)

2013/07/05 (金) ~ 2013/08/04 (日)公演終了

満足度★★★★

『モノロオグ』と『空の赤きを見て』
前回のシリーズで岸田戯曲の面白さに改めて舌を巻いたのですが、
その驚きは今回も褪せることなく・・・。

観ていてひたすら惹き込まれ、観終わっての余韻にどっぷり浸って。
今回も、演出や役者たちの演技に、
戯曲をしっかりと背負い、でも縛られるのではなく、そこから踏み出す力を感じたことでした。

ネタバレBOX

『モノロオグ』

一人芝居。

会場に洒脱な着物姿の役者が足を踏み入れた瞬間、
その艶に染められて、空間全体にトーンが生まれる。
ちょっと古風な所作や言葉の美しさが
役者の掌にしっかりとのっているのが良い。

最初は、場での一人語りの態で、
状況や心情の移ろいが紡ぎ出され、
観る側もその顛末を受け取っているのですが
たちまちに舞台と客席の隔たりが消えて、
その空間全体に
ロールの心情が溢れだし、巻き込まれていく。

小さな動きの一つずつや言葉を持った視線とともにつづられる
台詞のニュアンスに深く捉えれられて、
気が付けば想いの問わず語りの片端が
観る側にしたたかに置かれていて・・・。
表情のひとつずつが、その意味に留まることなく、
女性の心情の起伏や揺らぎの肌触りとして伝わってくる。

観客をいじったりもあるのですが、
そこに至るまでのしなやかな空気の作りこみがあるから、
その在り様も舞台の更なる深さを導いてきて。

観終わって、一人の女性の美しさと
観る側に置かれた心情の一体感が
しっかりと心に残ったことでした。

『空の赤きを見て』

病気の父親と家族の話。
父親は故郷に帰ることを望んで・・・。
息子はその金策に走っているらしい。

病床の空間が切り離されていることで
舞台に置かれるシーンがすっきりと分かりやすくなっていて。

役者たちが演じる家族ひとりずつの想いには、
単に台詞に表されるにとどまらない
奥行きが作られていて。
それも、いろんな温度を持って重ねられていく感じが良い。
役者たちそれぞれが担うキャラクターのありようが
底堅い演技の力量で観る側に置かれていくのですが、
そこには単に演じられるにとどまらない、
個々によく抑制された解け方のようなものがあって、
観る側が場の空気全体を急ぐことなくしなやかに受け取ることができて。
強く表立つことなく、一方でとてもデリケートな質感が
とてもナチュラルなものとして訪れるのです。

家族から見て外側の人間が訪れたときの
空気の変化も良く作られていて。
一か所だけ、ロールたちがそれぞれに醸す空気が
エアポケットに入ったようにすっと乖離して
切れたように感じてしまう部分もあったのですが、
でも、そのことで、
この空間の織り上げ方の繊細さに改めて思い当たったりも。

末期の父親と、
それをそれぞれに看取る家族の風景が、
観る側にも感触としてしみこんできて
観終わって、それから一呼吸おいて、
深く浸潤される感覚がありました。

*** ***

岸田戯曲の魅力を満喫しつつ、
でも、それが戯曲の仕組みだけではない
演出や役者の力や創意によって、より引きだされていることにも
思い当たって。

「もっと見たい!」欲求に再び捉われたことした。
遙か遠く同じ空の下で君に贈る声援 2013

遙か遠く同じ空の下で君に贈る声援 2013

シベリア少女鉄道

王子小劇場(東京都)

2013/07/03 (水) ~ 2013/07/14 (日)公演終了

満足度★★★★

フライヤーに偽りなし
初演は観ておりません。

観る前にフライヤーやHPを見て、
こんな内容のお芝居だとは想像もできなかったのですが、
見終わってフライヤーを読み返して、
その内容に全く偽りがないことに驚愕。

翌日腹筋が痛くなるほどに嵌り笑いました。
ちょっと熱くなったりもしたり。

本当に面白かったです。

ネタバレBOX

そりゃあ、吉本新喜劇のごとく始まるわけだし、
テレビを見る如く、台詞やギャグのところどころに笑い声もかぶさっているし、
この劇団のお芝居だし・・・。、
ただで済むとはおもっていませんでしたが・・・。

でも、物語の展開にはドタバタ喜劇の匂いがいっぱいだし、
前半からけっこう笑えたりもするので、
まさか、後半にあの展開が待ち構えているとは思いませんでした。

ちょっと綺麗な台詞が直球の伏線になっていて、
当日パンフレットにまで企てがあるとはついぞ気づかず・・。
で、カオスに陥る寸前に上部の幕が開き、
窓の絵面を観て、こういうことかと納得。

でも、そこからが圧倒的に面白いのですよ。
仕掛けがあからさまになってからの後半の展開も、
観る側をいろいろに揺さぶる仕掛けがあって、
がっつり引き込まれる。
マスターのフレーズがあんな延び方をするとは、
想像もできなかった。

で、その坩堝の先にある結末に
結構気持ちが熱くなったりもして・・・。
いやぁ、よしんば仕掛けを事前に聞いたとしても、
この舞台の面白さは見ないとわからないと思う。

役者も実に出来がよくて。
実はかなり複雑に編まれたコメディでもあるのですが、
物語が実にしっかりと綴られていくので、
観る側が戸惑うことなく、
台詞たちのもうひとつの目的に
舞台が薄っぺらくなったり冗長になったりすることがない。
ストーリー自体の顛末をしっかりと追わせてくれるのです。
役者達の、この演技力があるからこそ
成り立つ舞台でもあって。

まあ、この劇団のいつものごとく、
作り手の芝居一本まるごとの大仕掛けに
やられたなぁという感覚に浸され、
それがまた大満足の舞台でありました。


五季 ~名前のない島~

五季 ~名前のない島~

踊れ場

RAFT(東京都)

2013/06/21 (金) ~ 2013/07/01 (月)公演終了

満足度★★★★

笑いのパーツで組み上げた物語
複雑な物語というわけではないのですが、
実にいろんなベクトルの笑いに巻き込まれているうちに
物語の顛末がしっかりと組みあがって。

刹那の可笑しさが、単に置かれるのではなく、
物語の要素として機能していくので、見飽きることがない。
しっかりと笑いを取ったそのうえで、役者達や演出の切れや冴えが、
ベタさと深さを独特の質感へと昇華させておりました・。

ネタバレBOX

織り込まれた様々な可笑しさが、
舞台の空気にしっかりとした精度でおりこまれていて・・。
いわゆるお笑いのエッジが効いた薄っぺらさを作るのではなく、
しなやかな劇空間に組みあがっていくことに目を瞠りました。

冒頭のチャッカーに始まり、言葉遊びや、身体を使った笑い、
仕掛けで笑わせるもの、それらの多くがベタな笑いでありつつ、
単に使い捨てられるのではなく
物語のベースのトーンを作り、時には伏線となり、
舞台を支える骨格にすら変わっていく。

女性に、どの曲を歌わせても、同じパターンであったりとか
桜の木の高さとか、
ボディをもった可笑しさが、
物語自体をしっかりと支えるエピソードの機能をはたすパーツにも
なっていて。

役者たちの台詞のタイミングもとてもよく、
ぼけ突っ込みのタイミングで台詞が紡がれ、
一方で身体には場を紡ぎ空気を編み上げるに足りる
十分なキレがあって。

観終わって、コメディとしてのキレに捉われつつ、
それだけではない、物語の世界にしなやかに浸されて。

べたな言い方ですが、本当に面白かったです。

マリオン

マリオン

青☆組

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/06/15 (土) ~ 2013/06/23 (日)公演終了

満足度★★★★★

美しい重なりの先にある生々しさ
じつにしなやかに
世界が重なっていきます。
それぞれの世界にすっと取り込まれ、
入り込み、再び戻り、
気が付けば
異なる世界にひとつの俯瞰が生まれて浸潤されて・・・。

絶妙にボリューム感があって、
身体の使い方や歌にも深く捉えられて、
くっきりとしていて、
その物語たちを
一緒に旅してきたような充実感に満たされて。

でもねぇ、舞台から受け取ったものがあまりにも端正に思えて、
受け取ったものの一番大切な何かを見落としている感覚もあったのです。
それが何かに思い当たったのは、
イベントに参加させていただいて、劇場を出た後のこと。

舞台の印象が変わったわけではなく、、
そこに作り手が紡ぎ込んだものに
ふっと想いが巡って・・・。、
一つの暗喩を見つけた気がすると、そこから様々な表現の
新たな意図に思い当たり、
物語にさらなる景色がすっと浮かぶ。

考えすぎなのかぁとおもいつつ、
でも作品に込められたものの、更なる深さに
想いを馳せたことでした。

ネタバレBOX

冒頭、闇の中に男女の会話が生まれます。
男と女とリアカー。
敗戦後、街に現われたというマッチ売りの少女
(客にマッチを売ってその明かりで秘所を晒す商売)と
客のような二人の姿・・・。

やがて、女は話をしたいと言い、男は聴くという。
そして彼女の記憶、旅芸人の世界が現われて・・・。
『天然の美(うつくしき天然)』のメロディーとともに
彼女の記憶が紐解かれていく。
リアカーと太鼓とアコーディオン・・・、
どこかチープで、でもしっかりと作りこまれた音楽に、
刹那の明るさと世界の滅びの気配にただよう哀愁が織り上がり、
そのなかで語られるセイシェルぞうがめの物語が
観客をも、その顛末に閉じ込めていく。

ぞうがめの物語を織り上げる、その表現の細やかさや
身体での空間の造形の確かさに目を瞠る。
そこには、きっと男性が概念でしか理解し得ない
女性が抱く命を育み、繋ぐ想い、
過ぎ行く日々と恋する心、
さらには男性の冒険心と、
記憶の中に生きる時間があって。

物語を語る一座は、
父の望郷の思いとともに旅を続け、
少女はひとりの女になり、
さらには、一座はこの国の廃墟の中に滅び記憶となる。
そうして、彼女は残されて、物語は冒頭に返り、
光景は自らを抱え込んだ女性と、その女性をショウワの遊びでのぞく
男のすがたへと立ち戻って・・・。

そして、表層の部分の、
互いの距離感の中で、男は女の名前を尋ねるのです。

観終わって、しばらくは、三層(とちょっと)の物語にただ浸されていて。
やがて、つながり行きかう物語の刻まれたシーンたちが蘇る。

まずは、互いが再び戻る孤独にとまどうように、
女に名前の聞いた男の気持ちが広がり、
聞かれた女の今が改めて解け、
彼女自身の歩んだ道と、
寓話に織り込まれたゾウガメの一生に重ねられた女性の長い孤独と、
そこに交わろうとする男性の人生のありようの俯瞰が生まれて。

役者達の演技も実に秀逸で、生地を染めて物語を描くのではなく、
一本ずつの糸を紡ぎ、染め、織り上げていく感じがあって。
身体で紡がれる動きも、リズムも、台詞のニュアンスも、感触として訪れる。
それは、やがて、その座標に生きることと女性が普遍的に持つタイムテーブルと
セイシェルゾウガメの物語に描かれた孤独と、それを伝えたいとおもう気持ちとなり、
暗喩がひとつずつ翻り、重なり、
ひとつの作品のボリューム感となって鮮やかに伝わってくるのです。

観終わって、とても美しい舞台だと思い、
やがてとても生々しい舞台だと思った。
その異なる乖離した感覚が、
不思議なことにひとつに束ねられて、
終演後そのからさらに踏み込んだ世界に
幾重にも解けていったことでした。
ブスサーカス

ブスサーカス

タカハ劇団

ギャラリーLE DECO(東京都)

2013/06/26 (水) ~ 2013/06/30 (日)公演終了

満足度★★★★

初演よりくっきり
初演時にはカオスがあったようにも思うのですが、
再演でみると、女性たちの心の闇がよりクリアに伝わってきました。

その顛末を知っていても、舞台に織り上がる世界に強く閉じ込められて。
再演により、初演時からさらに研がれたものがあるように感じました。

ネタバレBOX

6人の役者たちがそれぞれに背負うロールが、
初演の時とくらべて、一段と筋が通った感じがして。
それは、中盤から一気にほどけだす、
キャラクターたちの狂気をより際立たせていきます。

それぞれのどこか醒めた部分と、
かりそめの仲間としての意識と距離感と
その先の猜疑心の現れかたと、歯止めのきかなさに
ぞくっとくるような説得力があって・・。
ロールの箍の外れ方が、しっかりと理をもっているから
ラストのダンスが醸し出すものが、
観る側に奇異に感じられない。
前半の何かが次第に熟していくような停滞感と、
後半のドミノが歯止めなく倒れていく感じの対比に
観る側が受け身を取れないまま、
展開を受け入れるしかなく、
そこに、あのダンスが良く映えるのですよ・・・。

戯曲自体は、極端にあてがきされているわけでもなく、
いろんな役者によって演じ得るものなのだろうし、
演じる役者によっていろんな色が生まれるようにも思うのですが、
だからこそ、この座組での上演の力が
とても卓越しているようにも思えて。
「ブス」を演じるひとりずつの役者の、異なるロールの紡ぎ方や作り出すテンションの強さや美しさにも強くひかれて。

初演時に感じた良さに留まらない、作品の進化を感じ、また、作り手のキャスティングの力にも改めて感心したことでした。





劇作家女子会!

劇作家女子会!

劇作家女子会×時間堂presents

王子小劇場(東京都)

2013/06/13 (木) ~ 2013/06/16 (日)公演終了

満足度★★★★

異なる色を醸す4作品
4人の作家の作品に、異なる色とクオリティがあって。
見飽きることがない。

でも、女性の想いが描かれていくという点では
束ねもあって・・・。

単なる短編集とは、また一味異なる公演のテイストを
楽しんでしまいました。

ネタバレBOX

どうやら当番制らしいのですが、
演劇人らしく、メンバーからの前説があって・・・。

適度な緊張感の中、舞台が始まります。

・黒川陽子「彼女たち」

公演の冒頭と最後の2シーンを使って・・・。
美容師と客の二人芝居。
前半に、一人の男を巡る二人の感覚が発覚して
後半には休憩室での二人の会話が描かれていきます。

互いに男を自らの手のひらに載せていない事実と、
相手に奪われたくない見栄が
それぞれの話を膨らませていく。
相手の言葉に揺らいだり、
相手を揺らがせるための言葉に紡ぎこんだ嘘が
自らに刺さりこんでいったり・・・。

年齢を重ねているから見えているものと
年齢を重ねているがゆえに抗えないもの。
若いがゆえに見えているものと、
若いがゆえにつかみきれないもの。

一人の男を巡るボクシングのような時間の面白さは、
やがて、どちらも勝者になりえない結末へと導かれて。
その共感部分に至るまでの攻防から
さらなる踏み出しが用意されていて・・・。

二人の女性の距離感や感情が、
一シーンごとにしっかりと作りこまれていて、
それぞれの心情の変化がだまにならずに
観る側に伝わってくる。
ひとつの台詞や一本の電話ごとの心風景が
二人の距離や空気からよりあからさまになっていく。

その仕掛けとそれを支える役者それぞれの
異なる色の力量にがっつりとつかまれました。

・オノマリコ「Compassion」

冒頭、観る側の取り込みがうまい。
二人の会話がどこかかみ合わないままに、
次第にシチュエーションが組み上げてられていく。

最初はかかわりすら拒絶していた男が、
次第に女へとのめりこんでいく、
そのワンステップごとに、本当に見応えがあって・・・。

不思議な物語ではあるのですよ。
始まってからしばらくは男と女の関係は水と油で、
そこには接点も感じられない。
にも関わらず、セパレート状態になったドレッシングを
ゆっくりゆするように、
少しずつ、エッジが交じり合い、
最初は厄介払いの如く渡されていた現金のニュアンスが変わり
単純男のポジションが混濁し、
抱えていた現金が流出していく。

全体から見れば、そんな馬鹿なと思うような話なのですが、
一つずつの会話に揺れる男の想いを
観る側が否定することができない。
で、受け入れると、そこからの踏み出しも、
同じように受け入れうることに思えて・・・。
常に違和感がありつつ、アラームの音が聞こえる気がしつつ、
でも、その歪みに抗うことができない・・・。

そして、気が付けば、男女それぞれの
表層とは異なる姿があって、
その更なる歩みと、会話の行き先を追い求めている。

まあ、誰でも演じ得る舞台ではないと思うし
役者たちのそれぞれに、
観る側の印象を少しずつ崩していく精度と切先があり、
その歩みを維持していく持久力があるからこそ
観る側もその違和感から目を背けることなく
目が乾くほどに舞台をみつめつづけてしまったとは思うのですが・・・。

観終わって、役者たちの演技の地力に驚愕しつつ、
そのフィールドを描き上げた作家の作劇筋にも感心。
全体の構造もさることながら、
一つずつのシーンに観る側を閉じ込める
台詞を描き続け
、途切れることなく舞台にシチュエーションを生み出していった
作り手の力量に
舌を巻いたことでした。


・モスクワカヌ「バースデイ」

一番上演時間の短い、どちらかといえば掌編に近い作品なのですが、
底知れぬ深さを持った作品でした。

構造も単純で、
夫の帰りを待つ妻が、
レシピにしたがってケーキを焼いている姿なのですが・・・・
どちらかといえば、感情を排した
レシピの読み上、げが、
女性の想いの抑制と重なり、
バターとマーガリンの置き換えが、
女性の不安や揺らぎを背負って、
次第にケーキ作りから女性の内心の風景へと
舞台を置き換えていくそこまででも、決して凡庸な作品ではなく、
ワンアイデアで女性の想いを観る側に開く秀作ではあるのですが
でも、この作品、そこからの更なる踏み込みがあって・・・。

女性は、想いに捉われ、
ケーキを、込められた暗喩をそのままに、
オーブンに入れっぱなしにして
黒こげにしてしまう。

その黒く焦げたケーキが、
女性の内心の観る側を凌駕するようなありようとなって・・・・。
そのリアリティをもった強烈な印象に
観終わってからもしばらくドキドキしてしまいました。

・坂本鈴「親指姫」

着想にしても、その物語への落とし込みにしても、
観る側が自然に共感できるユニークさがあって、
しかもプロットがとてもしっかりしているので、
観る側がその分、物語の筋書きにダイレクトにのめり込んでいける。

キャラクターの設定にしても、
そのパフォーマンスにしても、
観る側は何気なく受け取ってしまうのですが、
その一つずつには、
只流してしまうのではなく、
観る側の深いところに眠っていた感覚を呼び覚まされたり、
くすっとさせられたり、
恣意的なベタさに寧ろ惹き込まれたりと、
観る側をシーンごと、セリフごとに揺さぶる
色とりどりの仕掛けが紡ぎ込まれていて・・・。

シラノ・ド・ベルジュラックの如き哀愁をちゃんと抱えて、
でも、POPな感じや、軽質さや、スピード感に惹き込まれ、
舞台にはグルーブ感すら生まれて。
でも、それらを一過性のものとして霧散させない作品としての奥行きも、
きちんと作りこまれていて。
その結末が、ちゃんと観る側を満たしてくれる。

主人公の二人には、
それぞれに観る側を味方につけるだけの
ロールの作りこみがあって。
同級生の女子を演じた3人も、
役者としてのキャパの広さを観る側に印象付けるお芝居。
男子にも、しっかりとリアリティと戯画感のバランスをもっと
舞台上での存在感があって。
また、作品のアウトラインを観る側に描いていく
安定したナレーターの存在も、
作品の疾走感を素敵にしっかりと支えて。

ピュアで、ちょっぴり色香があって、
ドキドキ感も、薄っぺらさもあって・・・。
なによりも、ベタな言い方で申し訳ないのですが、
この作品、ノリがよくておもしろい。

なにか、抗う術もなく、見事に取り込まれてしまいました。

*** *** ***

4人の女子劇作家の方たちそれぞれに、
従前に拝見した作品の印象もありつつ、
どの作品にも、作り手とチャレンジのようなものを感じて・・。

時間的にはそれほど長い上演時間ではなかったのですが、
なにかものすごく心地の良いボリュームを感じた
短編集でしたでした。

ライダーになれなかった人のための

ライダーになれなかった人のための

カムヰヤッセン

スタジオ空洞(東京都)

2013/06/14 (金) ~ 2013/06/24 (月)公演終了

満足度★★★★

勢いが途切れない
台本が強かで、かつ男優四人だと、勢いがつくと手が付けられないパワーがあって観る側を巻き込み、手放さない。

ただ、突っ走るのではなく、
きちんと観る側がのっていけるコンテンツが裏打ちされていて、
プロジェクターやちょっとした小道具なども上手く差し入れられて。

時間があっという間でした。

ネタバレBOX

役者一人が板付きで始まる舞台、
最初は
場をゆっくりあたためながら、シチュエーションを
観る側に刷り込んでいく。

ひとりずつメンバーが増えて、
ロールが次第に見えてきて・・・。
すべてがフラットに晒されるのではなく、
少しずつそれぞれのキャラクターが伝わってくるのも、
また、登場人物の関係性も均一ではなく、
ちょっと凸凹した距離感が作られているのも旨い。

番組の新シリーズを作るというベクトルに束ねられつつ、
語られる理屈にそれなりの筋の通し方と説得力と表裏があって。
それらを、役者たちが勢いに紛れることなく、
正論や、時にはすてきにダメダメやプランを貫き、折れて。
しかもロールを背負う役者がしっかりと異なる切れを作り出しているから
重なりが混濁することも場をあいまいにすることもない。
異なる立場で関わる4人の、
対立と共感と高揚に変わっていく、
その波にガッツリ呑まれてしまう。

こけら落しの劇場の、広さや高さも
この作品には実にマッチしていて、
疾走感すら感じる場面の迫力を散らせず妨げず
そのままに観る側に伝えてくれるし、
役者たちが緩急の緩の部分で
空気をしっかりと支え、切らせず、
観る側を休ませないのです。

パターンに陥ることなく、
なんども昇っては沈み、
でも最後には4人がしなやかに噛みあって・・・、
終幕の回収の仕方にも、
観る側に中途半端を感じさせないしなやかさがあって。

いくつかの台詞の重なりや繋ぎの本当に細かい部分に、
微かな不安定さを感じることがあったりもしたのですが、
それとて公演を重ねていけばきっと霧散する類のもので、
この作品、さらに熟していく予感もあって。

ほんと、おもしろかったです。

余談ですが、
この、作り手の新しい引き出しを拝見して、
劇団には女優もいらっしゃるのだし、
いつか、同じ引き出しで作った
女性版のなにかもみたいなぁなどと思ったりも。
バイト

バイト

カスガイ

テアトルBONBON(東京都)

2013/06/12 (水) ~ 2013/06/23 (日)公演終了

満足度★★★★

役者を見せる舞台
描き出される世界の骨組みには
どこかルーズな部分も感じるのですが、
そのことが、役者たちが紡ぎ出すロールの
色も、質感も、息遣いまでをも、
裾野にまで解くためのスペースのようになっていて。
舞台の空気には物語の枠組の中でタイトに縛られることなく
むしろ定まりきれない揺らぎが常にあって。
その中にキャラクターを定め、色を醸し、場を感じ、対比を生み、
ミザンスを作り、自らも他のロールたちも映えさせていく
役者たちの一人ずつの底力にぐいぐいと引き込まれていく。

これは役者を見せる舞台だなぁと思いました。

ネタバレBOX

終わってみれば、
物語のコアには、社長と罪を負わない従業員の二人が浮かび上がり
そのロールはしっかりと色を定められ
揺らぐことなくきっちりと作りこまれていて。

一方でその世界に繫がれることを強いられた
他のロールたちのありようが、
二人の世界に重なり、
とてもビビッドに空気を織り上げ
観る側をも、そのなかに引きづり込んでいく。

役者それぞれが台詞とともに描き出すキャラクターの世界も
しっかりと観る側に置かれるのですが、
むしろ、同じ場にあって、
自らのロールを粛々と紡ぎ続ける
他の役者たちの貫きが凄い。
その身体や、表情や、テンションが紡ぎ出す
感情や想いのありようや強さが、
常に表情を持ち、色を変化させ、場に一期一会の如き
揺らぎを与えていく。
どの一瞬に、どのロールをながめても、
そこには刹那の想いと息遣いがあり、
対面客席の中、背中の演技を晒す役者からも、
その感情の切先をしなやかに受け取ることができるのです。

物語の枠組に定められたロールたちのタフな状況と
バイアスの掛け方が
役者たちの演技を縛るのではなく、
むしろ、それぞれの演ずることへの想像力や瞬発力や持久力を
刹那ごとにしっかりと解き放つ仕掛けともなっていて。
それを足場にして、ロールを単なる物語の色に染めず、
場ごとの命を与え続けていく役者たちの力量にひたすら見入る。

初めて拝見する役者はおらず、
もれなく、他の舞台での秀逸なお芝居が記憶に残っているのですが、
なにか、それぞれの役者力に、改めて惚れ直してしまったことでした。

正直に言って、
描ききれていなかったり、埋もれてしまった
部分もいろいろに感じたりはするのです。
たとえば、ロールたちのその場に至るまでの日常の肌触りとか、
コアを支えた二人の感情の積もっていく質感とか・・・。
でも、そうであっても、
脚本や演出のこの物語へのフォーカスの定め方が、
役者の底力を見せるという部分では
功を奏しているようにも思えて、

観る側に意識をさせず、
一方で舞台を際立たせていく音の使い方もうまい。
美術にもセンスがあって、
生き物のような舞台のベースをスタイリッシュに支えて。

観終わって、
コアを背負った二人の役者の終盤のシーンにも息を呑みつつ、
単に物語の顛末を知ることの充足感に留まらない、
出演者達それぞれが切り出した
刹那ごとに生まれたライブ感のようなものにこそ
しっかりと掴まれておりました。
帝国の建設者

帝国の建設者

アンサンブル室町

北沢タウンホール(北沢区民会館)(東京都)

2013/06/12 (水) ~ 2013/06/12 (水)公演終了

満足度★★★★

演劇と音楽、それぞれの表現に惹かれつつも
演劇にも音楽にも世界があり、
それぞれに惹かれるものがあって見入ったのですが・・・。

二つの秀逸さがつながり、
一体感をなすには何かが足りない感じがしました

ネタバレBOX

琵琶や笙、チェンバロなどの楽器は、
単体でも生の音を聴く機会があまりない楽器なので、
最初、それらの奏でる音には多少違和感もあったのですが、
効果音としては次第に機能をしてきて。

シーンやその間を満たす音楽になると、
ちょっときれないようなばらつきを感じたりもしたのですが、
終盤の演奏には、
ひとつずつの音のビビッドさが組み上げる、
どこか達観した見晴らしのようなものを感じることができて。
これまでに、あまり体験したことのない感覚に浸ることが出来ました。

また、役者達が組み上げる物語も、
最初は世界観がわからず、ただ受け取るだけでしたが、
歩みを進めるにしたがって、
様々な暗喩として受け取ることができて、
次第にその行く先を追いかける気持ちが生まれて・・・。
物語の骨格がくっきりと演じられていくから、
その分受け入れる間口も広く感じられる。

登るごとに次第にタイトな生活となっていくそのありようは
時の流れに様々なものを滅失させ、
次第に可能性を狭め過去を捨てていく
人間の在り様にも見えるし、
芸術や学問の洗練の過程にも、
さらには、終演後ある方から伺ったが如く
神の領域にまで手をかける人間のありようにも思える。
隣人や包帯だらけのものの存在も、
描かれるものの間口を大きく広げ
その世界に奥行きを与え、
観る側の連想により深い感覚を導き出して。

役者達がしっかりと作りこまれた演技で
ひとつずつの時間を形骸化させることなく、
ロールたちが生きる肌触りを観る側に伝えているから、
観る側の連想が朽ちることなく
実感として伝わってくる・・・。

観終わって、舞台に描かれるものに、
完全にフォーカスを定めることが出来たとは思えないのですが、
でも、舞台の余韻はしっかりと残り、
世界とともに過ごした時間は
観る側の内でさらに様々に広がっていったことでした。

ただ・・・・・、
音楽と演劇の相乗効果というのは
正直なところ
あまり感じられなかった気がします。
二つの世界がそれぞれの平面で存在していて
よしんば重なり合っても
個々に良いものの足し算以上に広がらなかった感じがする。

二つの表現が十分に臍を切らずに組み合わされたというか、
羅列されたというか、
それぞれの秀逸を別の次元に組み上げるための何かが
この舞台には大きく欠けているような印象があり、
とてももったいなく思えたことでした。

岸田國士原作コレクション

岸田國士原作コレクション

オーストラ・マコンドー

black A(東京都)

2013/05/23 (木) ~ 2013/06/09 (日)公演終了

満足度★★★★

岸田國士が面白すぎる(さらにA)
C、Bに続いてAを観ました。

前の二つのVersionの観劇で、期待いっぱい。
ハードルを上げて観にいきましたが、
それをもやすやすとクリアして・・・。

岸田戯曲に加えて演じる役者と、その織り上げる空気に、
それはもうがっつりつかまれました。

ネタバレBOX

場内の座席はちょっと不規則。
中央の、舞台と思われるスペースにも客席があって。
流石にそこはちょっと遠慮に思い、
一列後ろの、でもフロアーのテーブル席に着席。

場内の上部には役者が居続け、
となりのテーブルには鮭を加えた熊の木彫りが置いてあったりも。
すでに、女優がひとり、
中央のテーブルに板つきで、雑誌など煮目を通しながら、
食事などを始めたりも・・・。
全体に解けた空気のなかで開演を待っていると、
外から声がかかって、その女優とともに舞台が動き出します。

『留守』

気風のよい江戸言葉での言い回しに、
すっと空気が染め変わって・・・。
ものの一分も立たないうちに、
場には、それぞれの家の、主人の留守をよいことに羽根を伸ばす、
女中二人の世界が魔法のように立ち上がる。

別にたいしたことを話しているわけではない。
愚痴をいって、噂話をして、
ついでに
煎餅をちょろまかしたり、
高価な奥様の化粧水を使ってみたり・・・。
髪を結ってあげたり。

役者たちには、戯曲に込められた会話を
主人たちがいない解放感に解いて
どこか滑稽で、
でも本音がすっとあふれるような時間の肌触りに
仕立てあげていく。

その風情に観る側も染められて、
ふたりの見栄の張り方や、本音を、
外からただ眺めるのではない、
二人の呼吸や空気で受け取ってしまう。
共感することも、ちょっと気に染まぬことも、
感情というか思いの機微として訪れてくるのです。

八百屋の男衆が登場するころには、
戯曲の言葉では感じ取れない、その行間にあるような
滑稽さや下世話さが場に満ちて。
その先に浮かび上がる市井を生きる女性の、
淡々と日々を過ごす諦観と
刹那を埋める瑞々しい想いが漉き上げる風景に
心を掴まれる。

そんなに長い作品ではないのですが、
一シーンごとに見応えがあって、
ほんと、面白かったです。

『麺麭屋文六の思案』

麺麭=パンであることも知らなかったのですが・・。
戯曲が書かれたころはそれなりに
ハイカラな食べ物だったのかも。

そうは言っても、家庭の夕餉の風景は
極めて日本的で・・・。
表層のプライドと内の度量にちょっとギャップをもった
主人の人物造形がなかなかにしたたかで、
どこかマイペースで家庭を守る妻の、
刹那ごとの細かい空気の作り方が、特に前半の場トーンを支えて。
息子の学問を志すことの建前的なものや
青臭さのようなものも良くデフォルメされ、
娘の一途さには表層だけではなくロールの芯の強さが
観る側にしっかりと伝わってきて。

さらには、丁稚の子供の躾けきれていない感じや
下宿人の先生の所作や、隠しきれないどこか喰えない感じも、
その家の雰囲気をさらに編み上げていく。

教条的な理想やモラルと、
それと乖離した日々の生活が
舞台上にそれぞれ丁寧に描かれていて。
ひとつずつのロールの造詣がとてもしっかりとしているから、
よしんば時代が違っていても、
戯曲に置かれた男たちの表層と内側の薄っぺらさが
陳腐にならない。

で、そこに、隕石が落ちてくるという話が飛び込んできて、
明日に地球がなくなるという態で
それぞれのロールの表層が剥がれる。
映像まで絡めた勢いのある舞台が一気に立ち上って。
その狼狽からこぼれ出てくる男たちの姿が
なんとも滑稽に思える。

奇想天外な部分が、
その時代の奥にあるものを晒し、可笑しさを引きだす中で、
映像をつかった今様な部分でのデフォルメや
記者の勢いに、個々のロールが流されることなく
したたかに貫かれて。

どこかシニカルな語り口の中に、その時代の風情がおもしろくリアルに伝わってきたことでした。

『屋上庭園』

この戯曲はいろんな方が上演していて、
何度か観たことがあったのですが、
たぶん今回みたものが一番シンプルだったようにおもいます。

淡々と交わされる台詞、
過度になりすぎない抑揚、
ベースをしっかりとおもったロールのトーンが
それが戯曲本来の力を導き出して、
二人の男たちの想いを観る側に
伝えていく。

それぞれの妻たちの醸し出すものも、
男たちが作り出した色合いをうまく纏っていて、
ナチュラルな中に、男たちの想いとの距離を
しなやかに作りこんでいて。

実直に歪みなく、
シチュエーションが観る側に渡されて。
そのなかでの、終盤近くの、
夫婦の会話が凄く良いのですよ。
去っていく夫婦の風情が良く作りこまれているから、
場に残った夫婦に一層のペーソスが生まれる。
そこがうまくいっているから、
残された夫の行き場のない思いが映え、
さらには、夫の見栄を包み込むように、
妻の想いが、しなやかに抑制された感情に
温度を持ち、ひとつずつの言葉毎に、
色を醸し伝わってくる。
そこには、物語の顛末に留まらない、
夫婦の時間の俯瞰が生まれ、
観る側を浸潤していくのです。

観終わって、なにか、二人の時間が
深く、愛おしく、感じられて。

終演後も、少しの間、
その余韻から抜け出すことがためらわれたことでした。

*** ***

合計9編の岸田戯曲を観終わって。
なにか名残惜しい気持ちに捉われて。

この作り手たちの岸田戯曲、
さらには、岸田を担う役者たちを
もっと見たいと思ったことでした。


お客様の中にツリメの方はいらっしゃいますか?

お客様の中にツリメの方はいらっしゃいますか?

ツリメラ

VUENOS TOKYO(東京都)

2013/06/03 (月) ~ 2013/06/03 (月)公演終了

満足度★★★★

フェイクを本物にまで研ぎ上げて
入場した瞬間から、
そこには世界があり、高揚があり、
気がつけば、ツリメラワールドに浸されていて

本編のパフォーマンスにも、精度と迫力があり、
作り手が描き出したコンセプトを確実に担保していく。

なんというか、フェイクを本物に変えるための
女優たちの、そしてクルーたちの圧倒的な世界の組み上げがあって、
それを支えるものも含めて
一桁上の作りこみが随所になされていて・・・。
時間を忘れて場の空気に浸されてしまいました。

ネタバレBOX

入場すると、
手練の役者達がスタッフのロールを纏って、
観客を慇懃にその世界に導いてくれる。
受付をされ、メイド姿の女性の案内を受けて。

場内はDJ niwashiが繋ぎ織り上げていく音に満たされて。
隣に立つ人とすら話が出来ないほどの音量なのですが、
その構成は、観る側を揺すぶり、観る側を別世界に閉じ込め、
主人公たちの登場への期待に導いて・・。
次第にフロアに人が増えていくなかで、ダンスが始まる。
場を観客のざわめきに汚すことなく、
ベクトルをつくり、醸しだされる高揚感に観る側を浸していく。
やがて、それらが満ち、期待が高まる中で、
鮮やかに登場したツリメラの3人、
その容姿にカリスマがあり、場の空気を一気に引き上げて・・。

ショーとしてのクオリティもしっかりと担保されていました。
前半は、キャビンアテンダントのような衣装、
それが、一人ずつの女性としての魅力を際立たせて。
一方でユニットとしてのコンセプトが曖昧になることなく、
一曲ごとのパフォーマンスにも、MCにも、
揺らぐことなく織り込まれていく。
ボーカルにしても、ダンスにしても、
よしんば、それが、世界に冠たるというほどに超一流ではないにしても、
少なくとも、観る側が何かを補うことなく、
身を委ねうるレベルはしっかりと作りこまれていて。
曲もキャッチーな部分をもち、
振付にも、3人のそれぞれが切っ先をもって舞台に映えるための
豊かな創意や細かい工夫があって、
さらに観る側を舞台に釘付けにしていく。
なによりも、設定というかフェイクであるはずの舞台上の世界観や、
ショーパフォーマンスが
女優たちの、紛う事なき本物の役者力にロールの実存感に塗りかわり、
冒頭の密度や温度をへこませることなく保ち、さらにふくらませて、
舞台全体にグルーブ感すらかもし出していくことに、
わくわくしてしまう。

その空気は、intermissionの間にも、
褪せることなどなく、むしろさらなる温度と色になって。

後半には、パフォーマンスに交わるように、
メイドの女性と男のパフォーマンスが差し込まれて・・・。
二人の身体や表情から紡がれるものには、
それだけでも十分にニュアンスを伝えるクオリティがあるのですが、
そこに3人が紡ぐ世界がかさなると、
双方の世界にさらなる奥行きが生まれ、映え、息を呑む。

アンコールまで、
徒に走り抜けるのではなく、
ひとつずつのナンバーとそれぞれの曲に導かれるニュアンスが
舞台上にしっかりと作りこまれていて。
そこには、ダンスやボーカルの単純なクオリティとは異なる、
ツリメラという世界でのショーパフォーマンスのクオリティが
生まれていて・・・。

たとえば、スワロフスキーは本物かといわれると、
トラベルジュエリーなんて言い方をされるように
宝石としてはとても本物に近いフェイクなわけで。
でも、一方でスワロフスキーでなければ作りえない輝きがあって、
だから、スワロフスキーは、
宝石の形をした宝石としてはフェイクであったとしても、
スワロフスキーの色を作り出す宝石の形をしたスワロフスキーとしては
本物であったりもする。

このステージに置かれた、
設定にしても、彼女たちのパフォーマンスをなすことにしても、
当然にリアルではなく、あからさまにフェイクではあるのですが、
3人のツリメラにしても、CDにしても、ポスターにしても、
バーカウンターに飾られた彼女たちの肖像にしても、
スタッフたちが様々に担うロールにしても、
DJにしても、ダンサー達にしても、
そのフェイクを磨き上げ、本物のフェイクへと輝かせるための
ぞくっとくるような力と、技量があって。
このイベント、ショーパフォーマンスとしてのフェイクの中に、
スワロフスキーの輝きの如く、
本物のフェイクを作るための、
様々な本物の力が惜しげもなく注がれているのです。

そして、その作りこまれたフェイクだからこその輝きの中に
作り手が追い求めているであろう、
本物のスワロフスキーの如き、
世界の色や質感や肌触りを感じることができたりもして・・・。

その場にいて凄く楽しかったし、
おもしろかったし、
高揚感も残りました。
でも、それより、終わって、文化村のスワロフスキーのお店が目に入ると、
会場に流れた時間の構造は、
宝石のフェイクであるスワロフスキーが
スワロフスキーとして本物であるが如くに
しっかりと、巧妙に、精緻にバイアスのかかった
演劇の世界であることに思い当たって。

観終わって、この世界や舞台が、
さらにどのように踏み出し広がっていくのか。
そして、その中に、どんな色を見ることができるのかが、
凄く楽しみになったことでした
さよなら日本-瞑想のまま眠りたい-

さよなら日本-瞑想のまま眠りたい-

範宙遊泳

STスポット(神奈川県)

2013/05/04 (土) ~ 2013/05/15 (水)公演終了

満足度★★★★★

身体と映像に世界を編み上げて
映像との融合ということであれば、
これまでにもいろんな試みがあったと思うけれど、
文字や色、さらには映像が
ここまで生きて役者達とともに世界を組み上げていくのは
はじめてみました。

なにせ映像や画像ですから、
当然役者と異なる印象や切っ先があって、
でも、それらのパフォーマンスに抗うのではなく、
むしろそれらと細微に呼吸をあわせニュアンスを作り物語を広げていく、
ロールの不思議な実存感にがっつりと捉えられてしまいました。

ネタバレBOX

映像を取り込んでのお芝居ということであれば、
前回公演でも試みがあって、
すでに、そのときに、壁面に映し出されるものが、
物語を切り出し、エッジを与えていくことに
驚いたのですが、
今回は、そこから更に一歩どころではなく、
一足跳びに何段もの表現の進化があって・・・。

色があって、それは場のトーンを醸し出す。
その場は役者達によって編まれ、
ツートンに色がそめらると、
人物の想いもふたつの質感を撚るように編まれていく。

文字は、場の雰囲気に硬質な感触を与える。
それが会話として現れると、
役者達の想いのふくらみが際立ち、
情景として使われると(たとえば「朝」という文字が群で場を包むと)
それは、観る側にとってステロタイプな肌触りとなり、
そこに、この表現だからこそのロールの感触が映える。

風景にロールたちが置かれ、
役者たちの影が風景に実存感を与え、
只のロールではなく、風景から切り出されたロールが
観る側の印象となって存在する。
役者達の身体が紡ぎだすニュアンスが、
映像にとっての影となり、
風景と、そのロールの想いと、場のなかでの座標のようなものが
その際立ちの中にひとつの立体感として訪れて息を呑む。

さらに、文字や映像にパフォーマンスが生まれて。
そこにマージする役者たちの身体や醸される想いの感覚が、
新たな動感とともに、
観る側の既存の感覚の縛めを解きいて。

もし、役者達が素舞台・素明かりの状態で演じたとすると、
もっと生々しく実体を伴った感覚として訪れるであろうものが、
映像とともにあると、
不要な混沌や曖昧さが削がれ、
鋭利に研がれた肌触りが生まれ、
一方で削がれたり丸められたからこそ現れる感覚を伴って
観る側につたわってくる。
視座やフォーカスを、
素で見えるものとは異なる位置に定められたような感覚もあって、、
ルーズなつながりや、やわらかく不可避に訪れる感情や、
流れる時間の肌触りが
常ならぬ、でも奇異ということではなく、
観る側に不思議に寄り添った
ナチュラルな感覚の新たな表情として刻まれていくのです。

その視座やフォーカスだから見えるもの、
たとえば、
ミミズの世界にしても、
「あ」の喪失やおおきな「あ」の存在にしても、
平面的なものが立体となり、
立体的な感覚が平面の風景に収まることも
その視座だと馴染み
シーンたちがルーズに繋がることも、
普通に過ごす時間ではロジックの如く平板に感じられる風貌が
この世界では別の感覚に落とし込まれ、
その新たな立体感に凌駕されてしまう。

また、表現の手法もさることながら、
様々な印象のひとつずつが塊としてではなく、
糸の如くなって舞台に細微に編み上げてられていくことで
さらに訪れる感触や広がりもあって。
それは、舞台にあるがごとくにあるものでありながら、
これまでに感じたことのないものとして織り上がって。
息を呑みつつ、
でも、力むわけでもなく、
刹那から外れて思索を巡らせるわけでもなく、
「こんな感覚が生まれ、世界が見えた・・・」と
素直に驚き、とても自然な感覚で浸潤されたことでした。

作り手の、この進化の先には何が生まれてくるのかが、
とても楽しみ。
焦ることなく、でも、期待を込めて、
わくわくしていようと思います。

このページのQRコードです。

拡大