ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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その流れを渡れ

その流れを渡れ

各駅停車

小劇場 楽園(東京都)

2016/01/28 (木) ~ 2016/02/01 (月)公演終了

満足度★★★★

本当の狙いは?
 ちょっと変わった作り方をしている。

ネタバレBOX

通常、芝居は観客にカタルシスを齎し劇的空間から解放して現実世界へ戻らせる。然し、今作は、謎を残したまま、というより最後に謎を深めて観客に持ち帰らせるのだ。というのも、吉永が実際には何かを見たのか? 或いは南の言うように誰かを庇っているのか? も分からないし、さくらを案内役に出発した一行が無事であるか否かも、また旅館に残った人々が土砂崩れや山津波に襲われるのか否かも分からない。最後に再び雨の降りだしたことが告げられる訳だし。肝要な点が総て謎で終わる点が眼目なのだろう。とすれば作者の暗示しようとした我らの暗澹たる未来の内容をこそ、我らは己に問うべきであろう。一、二例示しておくならば、原水爆のみならず、原発を含めた核によって滅びるシナリオ、足音がすぐそこに迄迫って来ている第三次世界大戦等々。
ティーチャーズ・ルーム【ご来場ありがとうございました!!】

ティーチャーズ・ルーム【ご来場ありがとうございました!!】

劇団マリーシア兄弟

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2016/01/27 (水) ~ 2016/01/31 (日)公演終了

満足度★★★★

理科教師が良い
 タイトル通り、職員室で起こるよもやま話だが、

ネタバレBOX

安倍のようなキ印が教育改悪も平然と行っている中、中教審やPTAという癌のこと、戦争を始める為に子供達を洗脳すること等が彼ら下司の目指す目標であるのは(彼ら以外誰も信じていない「国家なるもの」の旗を揚げよとか、「国歌」を斉唱せよ、とか。)明らかだろう。そもそも、独立した国家として存在もしていないのに、そんなものを誇り高き者が称揚できる訳があるまい。その証拠に、外務省にアメリカ人に対するパスポート管理が正確にできているという証拠を上げさせてみるがいい。彼らが嘘をつかない限り、答えられる訳が無いのである。運用上、日本国憲法より日米地位協定の方が上位にある現状は、田中 耕太郎という名の元最高裁長官がアメリカの指示通りに動いて統治行為論なる詭弁・策術を弄して法を捻じ曲げて以来、下級裁判所が如何なる判断を示そうと最高裁所の下した判例として大きな法的拘束力を持ってきた。(殊に英米法は、判例を重んずる)因みにこの田中 耕太郎、自らの采配によってアメリカに日本を法的植民地として差し出した功績を土産に国際司法裁判所判事に推挙されたのだとされているのだ。
ところで世界中でドジを踏んでいるCIAやDIAが何故、日本ではほぼ完璧に任務をこなすのか? 軍務名目で基地に入りそこから外へ出れば済むだけの話だからである。従って現実にアメリカのスパイはうようよしていると考えた方が現実的だろう。それは、彼らの日本入国事情を考えれば自ずと答えが出てくる問題であり、国家、国歌と抜かす連中が最もアメリカに追随している事実をも説明するであろう。横田ラプコン、嘉手納ラプコン、更に三沢基地のアンテナ群。地位協定によってどこでも飛ぶことのできるオスプレイ等々。独立国にはあるまじきこの体たらくはなんなのだ! こんなものに誇りを持てる訳が無い。教師たちは基本的にインテリであるから、この程度ことは分かっている者が多い。実際、自分の友人で教師をやっている連中の殆どが修士課程卒以上である。紳士淑女も多い。結果、モンスターペアレンツや地域ボスという、頭は悪いが他人を脅しつける技術にだけ長けている下司共から建前ばかりを押し付けられる。結果、高学歴で真面目な教師には、精神を病む者、自殺する者が多い。
この辺りの事情を反映してもっと批判的に、下司共の悪を突きつける内容になっても良かったのではないか? もとより平和は焦点がボケやすい。谷川 俊太郎は平和の毒と書いたが、寧ろ、平和の澱であろう。この植民地に相応しいのは。この鵺そのものの社会。下司と卑怯者しか存在しない情けない「国」では。そこを暴き立てて欲しかった。
 

厳冬 ―父殺し篇―、厳冬 ―子殺し篇―

厳冬 ―父殺し篇―、厳冬 ―子殺し篇―

鬼の居ぬ間に

古民家asagoro(東京都)

2016/01/27 (水) ~ 2016/01/31 (日)公演終了

満足度★★★★

厳冬「子殺し篇」
 ハンセン氏病に対する差別と官僚共の民衆蔑視による幾重もの鵺社会に於ける差別を被差別者の生活を通して描いた作品。

ネタバレBOX

 この劇団のカラーは日本社会の弱者をどちらかというと受け身で捉える点で特色を発揮するのだが、受け身でありながら追い詰められると、極端で爆発的・盲目的攻撃性を発揮するのが、鵺社会で受け身の立場に置かれた主体であろう。だが、勘違いしてはいけない。それは、矢張り鵺的手法によって、一つ一つ着実に潰されてゆくのが現実であることは、今作でも電気会社が、滞納を理由に電気を止める訳だし、社会保障を受ける為には、娘が施設へ戻ることが前提となる。そして戻された施設では懲罰坊に入れられ1年でもそれ以上でも、糞尿垂れ流しの生活を余儀なくされるばかりではなく、医学研究のモルモットとして生かされるのが落ちである。今作でも、次女で施設から逃げ出した癩患者の繭子を演じた吉田 多希の科白には、撃たれる物が多いのは、こういう状況があってのことである。同時に、父役の大塚 尚吾や隣人の妙の科白も、当時の差別の何たるかを反映して痛い! 繭子が既に嫁いでいる姉、蝶子に発症後持つコンプレックス(複合意識)の表現も良い。罹患者の名が繭に関連し姉が蝶であるのは無論意味がある。
ところでこれは、燐光群が「お召列車」でやってしまったので使わなかったのかもしれないが、癩が、どの部分に一番最初にその病の特徴を表すかについての科白もできれば入れて欲しかった。この病を患った者は、山間の道も一般の者の通る道を歩かなかった。癩患者専用の道があったことは、宮本 常一の「忘れられた日本人」にも出てくる。聖書のヨブ記は癩の話だし洋の東西を問わず業病として恐れられた病であるだけに、問題化されたケースも多い。豊田監督による「小島の春」という大傑作も癩に対する差別を批判的に描いた映画である。
 このように芸術家が、反差別という描き方をしているのに対し、日本の糞官僚共は相変わらず下司としての発想しかできない。この故に彼らは下司なのであるが。彼らがどれほどの下司であるのかちょっと具体例を挙げておこう。1943年ファジェイ博士は「プロミン」の有効性を確認した。1950年代以降、プロミン後継薬ダプソンが世界中で使用されるようになった。 だが’60年~’70年代にかけて、ダプソンに対する耐性菌が発生、研究者は複数の薬剤(リファピシン、ジアフェニルスルホン、クロファジミン)の併用によって耐性菌を防ごうと試み、 1981年WHOの研究班がようやく「多剤併用療法(MDT)」を確立した。
MDT の構成要素であるリファンピシンは、1回の投与で癩菌の99.9%を死滅させる。従って、この薬を用いて治療を始めた患者からはほかの人に感染することはなく、後遺症が残るかつての患者からも感染することはない。現在でもこの治療法は効果的で、癩菌感染力を短期間で失わせるため、ハンセン病は完全に治癒する病気である。更にWHO統計によれば、MDTの開発により、’80年代に500万人を超えていたハンセン病の登録患者数は、 2011年には約18万人にまで減少している。
 にも拘らず、日本では1996年迄癩予防法は廃止されなかったのである。1943年の件は措くとしても日本国民の税金で養われている公僕たる厚生省の官僚が、MDT以降も漫然と事態(極めて深刻な被差別)を放置していた怠慢は厳しく追及されるべきである。時効が成立するか否かとか、法的に追及できる法が無いとか在るとかの問題ではない。人間としてどうなのか? という問いである。こんな問いを発するのはF1人災に於いても関係省庁たる
経産省(旧通産省)、文科省(旧文部省)が日本国民に対して犯している罪について看過できるような目明きが居ようか? 当然皆無でなければならないからである。



厳冬 ―父殺し篇―、厳冬 ―子殺し篇―

厳冬 ―父殺し篇―、厳冬 ―子殺し篇―

鬼の居ぬ間に

古民家asagoro(東京都)

2016/01/27 (水) ~ 2016/01/31 (日)公演終了

満足度★★★★

古民家が似合う内容
 最初、タイトルから自分が判断したのは、人一人しか通れない崖っぷちで、のっぴきならない事情により、父が死ぬケース、子が死ぬケースというトゥーバージョンの芝居であったが、両方拝見して全く内容が違う作品であった。

ネタバレBOX

「父殺し編」
 殺さざるを得まい。だがもう少し尺をとって、父の歪な性格を作り上げたものが何だったのかを示唆する部分か、娘への異常なまでの溺愛の原因が、その美しさにあったのであれば、年頃の女性の美が持つ魔性を強調しても良かったかも知れない。何れにせよ、この辺りもバランスをどうとるかで観客が受ける印象も大きく変わるので難しい点ではあるが、もう少し攻めのシナリオ、演出にしても良いような気がする。
 自分の複数の友人からも、実の娘を性の対象にする父が居るという話は聞いたことがある。悍ましい関係だが、世の中には、このような地獄で悩む女性が居ることも確かであろう。自分は主人公のえりこを責める気にはなれない。もし自分が彼女の立場であったら、もっと早く父を殺していたであろうから。
錆色の瞳、黄金の海 2016

錆色の瞳、黄金の海 2016

劇団ショウダウン

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2016/01/21 (木) ~ 2016/01/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

技術とヒト
 初演は大阪公演のみ、キャストは4人であったが、今回はテノヒラサイズからの客演を含めて7人。

ネタバレBOX

ショウダウンの特色と言ってよかろう、良い面は、徹底して真っ直ぐな物の見方を通して書かれたその素直なシナリオ表現が、役者達の演技によってある深みに到達している点だろう。この深みは初源の光で編まれたような純粋性に満ちているが故に、哀しいまでに靭く、汚辱に塗れた世を生きる我々に、子供の頃に夢見て大人になって忘れかけた夢の痕を思い出させてくれる。それは、人の世が信ずるに値することを切に願う我らの願いの具現化であり、結晶である。
 今作で描かれるゴーレムは、現代科学の基礎となった錬金術の技術によって作られたヒト型疑似生命体である。王は、このゴーレムを各共同体に1体ずつ与えることにした。共同体に与えられたゴーレムは、動作確認を除いて初期化された状態であり、名前は自由につけてよく、命令は一つだけ。注意すべきは、命令されたらゴーレムは、その命令のみに従って行動する為、良く考え抜かれた命令をしなければ、共同体は存続の危機を含めとんでもないリスクを背負うことになることだ。つまり技術それ自体は、善でも悪でも無いが、使い方次第でどちらにでもなり、その責任は人間が負わねばならぬということである。
 このテーゼは重大な意味を持つ。即ち、ヒトが制御できない技術を持ってはいけないということである。現在、我々、ヒトはこの地球上で食物連鎖の最上位に位置する。即ち総ての生命体のリーダーである。従って総ての生命体に対する責任も負わねばならない。だが、我らヒトは、核技術を持ってしまった。而もこの技術を制御することができている訳ではない。放射性廃棄物処理は不完全だし、採掘、処理過程や、抽出過程、原発の運転中、メンテナンスでも、兵器製造過程でも常に被ばくを伴うが、これも完全に防げる訳でもない。また、事故時の悪影響は計り知れない。にも関わらず、こんな物を為政者や私企業が持ちたがり、原発に関してはどんどん輸出しようとすらしている。滅びへ邁進する狂い沙汰としか言いようがない。賢いと言われる為政者やエリート達であれば、この程度のことが分からぬわけはない。にも関わらず何故、彼らは制御できない技術に頼ろうとするのか? その理由は、他者を信じることができないからであろう。信じることができなければ他者は敵である。敵である以上敵対行動をとるに違いないと互いに考えるから、恐れが生まれる。こうして恐れが不信を昂進させ、不信は更なる恐れを生み、この構造だけが昂進してゆくのであるが、恐れを口に出す訳にも行かないので、その根本に不信が蟠踞しているとして、不信を基礎とするオーダーが定位される。そしてそこからの唯一の論理的帰結は敵殲滅である。
 そんなことの危険性をも示唆する内容である。だからこそ、ミルキがゴーレムを信じることに強い必然があるのだ。そして恐らくは信じ合うことによってしか世界は維持できない。

震~忘れない~

震~忘れない~

Unstoppable Film

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2016/01/20 (水) ~ 2016/01/24 (日)公演終了

満足度★★★★

本当に深刻な問題は別にある
 忘れもしない2011.3.11 14時46分に東北を襲った大地震による津波を扱った作品だ。

ネタバレBOX

自分の知り合いで親族・眷属を亡くされた方々も多い。関東に住んでいる自分が、地震酔いを経験するほどその後の余震も凄まじいものであったが、3.11以降の1か月間の余震の数は確か千回を超えていたハズだ。何れにせよプレート型の地震だったから、余震で地殻の層相互の力の鬩ぎ合いががっぷり四つになるまで続くということなのだろう。だが、一部の良心的な学者を除いて、この植民地の「学者・専門家」は、大抵は企業や利害団体や権力者の太鼓持ちであるから、プレートテクニクスが現在世界の地震学の主流を占めるというのにこの見地に立つ研究者が少ないということである。無論、新しければよいということではない。正鵠を射ているか否かで、正鵠を射ることができないならば、それは本流にしてはならないというだけのことだ。因みに大陸が動くというのは、最早、小学生にとっても常識であるのに(自分も大陸移動説は小学校高学年の時から支持していたし)マグニチュードの規模を小手先で修正して、恰も未曾有の災害であるかのように装った。被害の甚大は、自分達の嘘と詭弁、諂いの結果の人災であることを誤魔化す為以外のどんな目的があったと抜かすんだろうか? 東北太平洋岸の津波については、水産高校出身である自分も航海実習で気仙沼等を訪れた際、大津波に何度もこのエリアが襲われていたことを示す事実を教えられていたし、リアス式海岸なので、人々の生活エリアに近づくほど津波が高くなる話も聞いた。所謂「専門家」が抜かすような頻度ではなく、津波は襲って来ていたのである。
 然し、3.11より余程深刻なのは、3.12である。即ちF1人災である。福島第一原発のメルトスルーだ。これも明らかな人災であるにも関わらず、東電の責任者らは、キチンと罪を問われていない。通産官僚、文科省官僚も然りである。これだけの人災を起こしておきながら、責任ある立場の者が、のうのうと贅沢をしているというのはどういうことか? 放出された放射性核種は200種類以上、現在も汚染水はダダ漏れであることは誰もが知っている。
 F1人災によって、被災者は、ディアスポラと化し、或いは現地に住むことを余儀なくされて被ばくに甘んじ、余所に疎開した者、特に子供達は、苛めや差別の対象となった。無論、地域の文化・アイデンティティー、歴史、先祖代々耕し続けて飢饉の時には娘を売り、肥沃で柔らかな、作物の生育しやすくした土地も、そこから得られる安らぎや生活の充実感や幸せに繋がる何もかもが永遠に失われた。因みにウラン238の半減期は44億6800万年である。ほぼ、地球の年齢だ。そして、これが生命体に対して無害化するまでには更に10倍の年月が掛かるから、当然、地球は巨大化する太陽に飲み込まれて存在していない。これは物理学的な絶対である。この法則に逆らえる者は居ない。
 原子力の専門家と抜かす太鼓持ち共は、どう考え、どう答えるのであろうか? 放出された総ての核種の発表とその量、半減期の説明程度のことは、幼稚園児・小学生から老人に至る迄誰もが分かるような形で直ぐに発表されるべきであった。フィルターもなしにベント迄したんだから、この程度のことはやって当たり前である。
 ちょっと興味深い情報を提供しておこう。https://www.youtube.com/watch?v=6-m_dDD0WZc http://www.at-douga.com/?p=11024 https://www.youtube.com/watch?v=mKPpLpam6P0
必見である。

今さらやることじゃない

今さらやることじゃない

パセリス

高田馬場ラビネスト(東京都)

2016/01/15 (金) ~ 2016/01/19 (火)公演終了

満足度★★★★

企画の良さも光る
 対バン公演で今回はパセリスを含め4団体が演じている。

ネタバレBOX

パセリスで作・演出を務める浅海 タクヤ氏のプロデューサーとしての才能も見せつける今回の舞台であるが、ムシラセは「魔法少女的ゾンビ」を、ナギプロは「バーバー・クイーンズ」をイチニノは「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャスイズマイン!」を引っ提げての登場。
 自分が、最も気に入ったのは、チェーホフの三人姉妹をふと感じさせた「バーバー・クイーンズ」女中役のちよが、出す様々ななぞなぞに次女が適確な答えを出してゆくのだが、この間、直ぐに答えを出す形ではなく他のプロットが同時進行しているので、観客も充分自分の頭を使って考える時間があることや、音楽家の兄が高い評価を与えている世界的ピアニストが、大使襲撃事件に関わっているかも知れない、と思わせるような筋運びによって、実に上手に緊張感と演劇の醍醐味を持続させており、音楽の使い方や、貴族の館のしきたりなども適度に織り交ぜて完成度が高い。シナリオ、演出、演技、効果で今回自分は最も気に入った作品であった。
 またムシラセの「魔法少女的ゾンビ」は、馬鹿げたファンタジーなのであるが、非常に知的で深い知識を嫌味でなく用いて作品に厚みを持たせると同時に、馬鹿げ切ったファンタジーであることを前提で、マジに挑むシーンの見事さには、ちょっと胸が熱くなった。
 パセリスは2作品で受けているが、浅海氏の器用な面が、作品を表層レベルで上手に纏めてしまったように思う。これだけ為政者が嘘しか言わない時代、もっと毒や人間の暗部を照らす作品を書いても良いのではなかろうか?
 イチニノは、メアリーポピンズのまじない言葉に余りにも拘り過ぎて、シナリオが単調になり過ぎたきらいがある。
 何れにせよ、このように様々なタイプの劇団が、同じ板の上で張り合うのはとても優れた企画なので、今後とも続けて欲しい。
B コレクション4

B コレクション4

Bコレクション

TACCS1179(東京都)

2016/01/13 (水) ~ 2016/01/17 (日)公演終了

満足度★★★★

14本の短編を一挙上演
1:「遺失物係」2:「山小屋」3:「燃えるゴミの日」4:「面接控室」5:「将棋対決」6:「余命宣告」7:「靴をなめた父」8:「茶道部」9:「愛の援護射撃」10:「蔵」11:「遠隔操作」12:「動作実験」13:「息子の告白」14:「母と子」

ネタバレBOX


 以上14本を総て上演して90分程だ。各作品はほぼ5~10分程度。1~2分で終わる作品もある。何れも面白く拝見したが、トランスジェンダーや浮気という性的関係性、暴力と心理的SM、現状否定、健康、勘違い等々が多く描かれるのは無論喜劇作品だからということもあろうが、時代を映す鏡であるという側面も大いに関わりがあるであろう。自分が、特に気に入ったのは、5の将棋対決と12の動作実験である。5はそのシュールなシナリオを役者の間の取り方、名人と九段が対決している時の進行係の演技や間で安定させていることの凄さを感じたからである。12は、アンドロイドかロボットを演じた役者の見事なダンスや足捌きに感心した。
AKEGARASU―明烏 転生

AKEGARASU―明烏 転生

NPO法人WOMEN’S

座・高円寺1(東京都)

2016/01/14 (木) ~ 2016/01/20 (水)公演終了

満足度★★★★★


 新内流しの名作「明烏夢泡雪」をモチーフに書かれた今作。

ネタバレBOX

タイトルの示す通り時次郎と浦里の輪廻転生譚であるが、新内が生で唄われ三味がこれも生演奏で入る所が結構あって聞かせてくれる。江戸時代や明治時代迄、喉の良い者は女性にもてた、という話が随所に出てくるが新内節、実に粋である。実際生で新内の入る部分は、道行など見せ場なので猶更である。
 如何に花魁と雖も娼婦は娼婦。金を張られれば自分のマブ以外の男とも寝なければならない。この辺りの事情を絡ませながら女の深く狭い愛を貫く姿は美しい。有名な作品をベースにしているので、内容についてはくどくど言わない。想像がつくだろう。
 演技陣の力量の高さに新旧二組の恋人達相互の嵌入の在り様、音曲のみならず照明など効果の巧み、階段をいくつも組み合わせたような舞台美術とそれを過不足なく使い切る空間処理感覚の鋭さなど、流石、劇作家協会の演目である。さらりと入れた演劇論なども面白いし、余り前面に出さぬようにはしているが、体制への異議申し立ても無論無い訳ではない。但し、今作では純愛に重きが置かれてはいる。が、これだけ完成度が高ければ、これはこれで良しとすべきであろう。大いに楽しめた。
レプリカ

レプリカ

d-contents

笹塚ファクトリー(東京都)

2016/01/13 (水) ~ 2016/01/17 (日)公演終了

満足度★★★★

観客の落とし所を良く知るシナリオ花四つ星

 最初のダンスに必然性は感じなかったが、アンドロイドのことが絡まってのダンスには、必然性があり、その不気味なテイストの表現は見事である。

ネタバレBOX


 ある日突然自分がヒト型アンドロイドとして生まれ変わり、その自覚も無いまま生き続けていたとしたら? 社会はどのように反応するか? 単に本人に自覚が無いのみならず、人間と同等に、睡眠もとれば、食事もするし空腹感や眠気も催す。感情表現や感受性も生きていた時と全く変わらない。変わらないと言えば、成長期でも身長・体重が変わらない位のことである。オペを受けた時の記憶は完全に抹消されているものの、他は全く本人がそれ以降生きた歴史と変わることはない。それが、本人に告げられる迄は。
 今作の優れている点は、アイデンティティーの絶対崩壊を、即ち総ての価値観の崩壊を前提に作られていることである。我らの生きる今日、本質的に総ての価値観は崩壊している。そう言って悪ければ、我らの学んできた或いは学ばされた欧米中心のイデオロギー、二元論や弁証法、ヒューマニズムや価値観、哲学や論理、そしてこれら総ての根底にあるハズの存在や認識の総てが疑われ揺らいでいる。当然のことながら我らの存在に意味があるのか否かだの、生きることに意味があるのかどうか? も問われ揺らいでいるのである。もっと突き詰めてしまえば、これらの問いは、カオスにあっても、何故問われ得るのか? が問われねばなるまい等々。更に今挙げた疑問の形式自体が欧米流の問いかけ方なのに、明確に対置できるような次元が設定できるのか? という問題もあろう。数学的に定義できるという者があるかも知れない。そしてそれは可能であろう。だが、今回自分はその方法を採らない。だが、では何によって自らをアイデンティファイし得るのか? 言葉による方法がその一つである。だが我らの用いる日本語とは、そもどんな言語なのだ? その性質を見極めるのにいくつかの方法が在り得る。他の言語と比較することによってその特性を明らかにする方法。指示するものとされるものとの関係などを内在的に問題化することよって謂わば内的にその構造を明らかにする方法などである。
 ところでこういう問いかけをすることに意味があるのか? 我らの存在そのものの意味がある、ということが幻想に過ぎないかも知れないのに。デカルトならば、Cogito ergo sum.ということになるのだろうが、これもまた西洋の哲学である。それもデュアリズムの原点に位置する根拠律なのである。
我らの居る現在は、以上の論理によって解決しない。丁度、誰も感覚で放射性核種の放出する莫大なエネルギーを感知できないように、分からないのだ。我々は何一つとして。一見、何事も無かったかのように流れる川。その底に沈んだ汚泥の中に放射性核種が含まれており、それがα線、β線、γ線、x線などの放射線を放っているか否かは我々の五感では分からないのである。その上、放射性物質や軍事的核に利害関係を持つ者は、その甚大な被害については出来得る限りの過小評価と露骨な嘘によって答えることになっている。これは既に出来レースであることは誰でも知っているのだが、誰も止めることができない。こうして我々は一秒一秒・一息毎に破滅の淵へ向かっているのだ。滅びは目の前である。更に悪いことには、多くの人々が目の前で進行している破滅への進軍に気付いているが故に目を向けないのである。人々は民主主義の何たるかをはき違え、自由の意味を知ろうともしない。それを担おうとする者が更に少ないことは言うまでもあるまい。そんな思考停止の連中には、管理が似合いだ。そして管理された連中は、人間としてのその迷いすらも、与えられるもの・ことでしかないのである。今作の背景にある不気味さは、何も人間そっくりのアンドロイドが人間に紛れて存在していることではない。総てが管理されることを喜ぶ愚衆の気色悪さなのである。
 ラスト、破壊されるべく集められたアンドロイド達が集められた建物が光る。これは当然神の顕現を表しているのだが、その神は、本物の人間よりも、人間そっくりのアンドロイドが、明確に生きようとする意志を持ち、為に人倫を踏み外していないことを良しとするのである。
 今作でも最後の最後に少し希望の光が灯されるように、この絶望的な状況に光を当てるかも知れない哲学を少しだけ紹介しておこう。そのコンセプトは一即多、多即一。を唱える華厳経と同じく7世紀に成立したタウヒードである。興味のある人は自分で調べるべし。ヒントは与えた。
ラマルク

ラマルク

にびいろレシピ

OFF OFFシアター(東京都)

2016/01/14 (木) ~ 2016/01/17 (日)公演終了

満足度★★★★

女性的アプローチ

 殆どの場面が地下で展開するのは良いのだが、その展開の仕方が、如何にも総てが部屋の中で起こるといった展開の仕方なので、まるで文明の進んだ現代の若い主婦感覚といった感じである。

ネタバレBOX


 男である我々は基本的に外に出るので、こういう作り方を受容するのには慣れていないこともあろうが、かなり眠たくなる。
 恐らく核被害によって地下シェルターに閉じこもることになった姉妹たちは、遺伝子が破壊された為に二度と咲くことのない花の代わりに風船をプランターに活けている。こうやって健康だった頃の自分達のアイデンティティーが保たれているかのようなままごとをしているのである。
 そこへ20年ぶりに外界へ出ていたでんちゃんが帰ってくる。外界に出ていた為、彼女の身体は大きな変化を遂げている。恰も四足になったかのようだ。この核被害以降の、どこにも逃げようのない地獄を、身体の内側に抱えた毒(放射性核種)と共にシェルターで生きて行こうとする物語と捉えた。だから、会話は劇的ではない。寧ろ、アンリ・バビュルスの描いた地獄に近かろう。

台風の夜に川を見に行く

台風の夜に川を見に行く

マニンゲンプロジェクト

「劇」小劇場(東京都)

2016/01/13 (水) ~ 2016/01/17 (日)公演終了

満足度★★★

伝説
 こういう形で描くなら、語り部的な作りにした方が良かろう。

ネタバレBOX

タイトルにしても一応、一つの節目(ある種のサスペンスのような)にはなっても、作品全体を示すようなつけ方ではない。年代が矢鱈テロップのような形で出てくるのだが、話の展開に必然的な流れが無い為、何故、そこで年代が出てこなければならないのか殆ど意味や意図が分からない。
 伝説になった横浜マリーをベースにしたキャラクターが出てくるのだが、自分は、横浜で遊んでいた時代もあるので、マリーは何度も見ている。所謂オンリーさんである。だから、いつも白いレース模様の日傘をさして、花嫁と見紛うようなファッションであった。化粧は無論、厚塗りの真っ白。異様な姿は100m離れていて嫌でも気付くインパクトのあるものであった。年齢は70~80歳代という印象であった。そんな、腰の曲がりかけたお婆さんであっても、オンリーさんとしてかつて自分が惚れた男を待ち続けている姿に、人々はうたれ伝説にしたのであろう。描くのならしっかりこのことが分かるようなシナリオであって欲しかった。女優さんが気の毒である。
ジョルジ・フッチボール・クルーヴィー

ジョルジ・フッチボール・クルーヴィー

Ammo

d-倉庫(東京都)

2016/01/08 (金) ~ 2016/01/11 (月)公演終了

満足度★★★★

花四つ星
 ブラジル、リオデジャネイロのファベーラ(スラム)の物語だ。

ネタバレBOX

ブラジル新聞の記者、マリアは、ここで最近立て続けに起こる警官殺害について関連があるのではないか? との疑念を持っていた。取材を続けるうちファベーラに10年ほど前まで在った小さなサッカークラブに辿り着いた。初日が済んだばかりなのでネタバレは遠慮しておく。
 然し、ブラジルに限らず、中南米の実感がかなりしっかり捉えられていて、1993年、日本でFifa主催のU17大会の時に通訳仲間と話したことや、日本、ブラジルの二重国籍をを持つ友人から聞いた話などを思い出しながら観ていた。ファベーラがどんな場所か薬とギャングと抗争とアル中の父によるDVとストリートチルドレンやバカ騒ぎのごみ溜めという雰囲気が出ていたのである。
 ラスト、サッカーの世界的選手となったアレックスが、渡る板一枚の橋は、エンジェル橋(この時の照明が良い)、上がった奥にマリア広場がある。
三日月にウサギ

三日月にウサギ

9-States

OFF OFFシアター(東京都)

2016/01/07 (木) ~ 2016/01/11 (月)公演終了

満足度★★★

折角、
 ウサギと薫の恋愛シーンが良いのに勿体ない。

ネタバレBOX

 設定が悪い為、街から絶対出られないという劇中のシチュエイションに説得性がない。シナリオライターは、設定の重要性に気付くべきである。街から出られない設定ならいくらでも考えることができよう。紛争中で敵に包囲されているとか、カミユの「ペスト」のように伝染病を他に伝播させない為とか。
 折角、ウサギと薫の恋愛シーンが見事なのに、絶対閉鎖系として街が描かれていない為に恋人たちの切ない軋みに必然性が欠けているのだ。
 また、描きたいことがハッキリしているのであれば、その内容に沿ったギャグや作品内容から自ずと滲み出てくるようなユーモアなら兎も角、とって付けたようなギャグは作品の品位を落とすだけである。
陽のあたる庭

陽のあたる庭

演劇ユニット狼少年

小劇場B1(東京都)

2016/01/06 (水) ~ 2016/01/11 (月)公演終了

満足度★★★★

ショータ役がグー
 内容的にはスタインベックの「ハツカネズミと人間」の翻案。無論、日本的にアレンジされてはいる。

ネタバレBOX


 時代設定は1963年、つまり東京オリンピック前年である。ダイとショウタは野上の浮浪児上がり。戦災孤児である。ダイはしっかり者だが、ショウタはおつむが弱い。ふわふわしたものが大好きで見ると触りたがるのは、東京大空襲で母を早く亡くした寂しさの現れであろう。永遠の子供だから母のふわふわした感触が恋しいのだ。然しそのバカ力は半端ではない。優しいのだが、力の加減を知らないので動物を可愛がるつもりがいつも殺してしまう。今回は矢張り前の現場で、親方の女が着ていたふわふわのコートに触りたくて騒動になり、女が暴行だと騒ぎ立てたため、親方やその知り合いのヤクザに追われる破目になって、今度の現場へ流れて来たのである。だが、その2人には夢があった。金を貯めて小さな家を持つ、という夢だ。そこではショウタの大好きなふわふわの兎を飼うことにしていた。無論、小さいが庭もある。だが、今回移ってきた現場にも似た問題が転がっていた。親方の息子が乱暴者で背の小さいのをコンプレックスに持っており、大きい男を見るとそれだけで腹を立てた。目上の者には媚び諂うが、目下の者はとことんいたぶる下司である。しかも去年結婚した女房の浮気が心配で、年中監視していなければ気が済まない。その癖雀荘に入り浸って帰りが遅い。親が親方なので飯場に出入りしては子方に理不尽な暴力をふるったり、嫉妬の憂さ晴らしをするのである。子方たちは仕事を失いたくないから触らぬ神に祟りなしとばかりなるべく関わらずに済ませたがっていた。ところが、この女房も幼少時に疎開から帰ってみると母は空襲で死亡、父も復員してこずで14歳まで親戚を盥回しされた上ヤサグレてしまう。無論、男を騙してもきた。だが、自分の家族を持ちたかったのも本当だ。美人で若い上スタイルもいい。それで太郎が彼女の働いていたバーに来て一目惚れ、直ぐ結婚を申し込んで成婚となったのであるが、掴んだ獲物はババであった。それが不満で飯場にいる子方たち、とくに南方戦線帰りの梶原に話を聞いて貰いにきていたのである。だが、下司とはいえ亭主が年中嫉妬に駆られて飯場を訪れるので子方にとっては迷惑な話であった。
 ダイとショウタが暮らしていた野上がどんな所であったか、大体の察しはつこう。1945年3月10日関東大震災で痛めつけられ漸く再興した下町一帯をカーチス・ル・メイ指揮下のB29大編隊が襲った。海を除く三方を先ず火の柱で囲んで逃げ道を断ち、その後絨毯爆撃を掛けて一般市民(その多くが女子供老人であった)を生きたまま焼殺したのである。焼かれた人間が火のついたまま、凄まじい火災が巻き起こした上昇気流に乗って宙を舞うほどの火災であった。その為僅か数時間の間に生きたまま焼き殺された女子供老人ら市民の数は10万以上、人体から流れ出た油が隅田川に掛かる石の欄干に未だに沁みついて残っている。エンコから野上迄は、大人の足なら15分か20分の距離だから、焼き出された子供達の多くが野上に流れた。浮浪児達は、シューシャン(靴磨き)や闇市の手伝いなどをして生き延びた。ダイ、ショウタは闇市の話をしているから、野上に最初に入ったグループではなく何か月か経った後だろう。闇市が立ち始めたのは敗戦から暫く経ってからであるから。売品の中にはララ物資も無論含まれていた。留美子も14歳でやさぐれているからパンパンなども経験しているかも知れない。何れにせよ叩けば埃が出るような生活をしなければ生き残れなかった時代である。因みに法的に決められた生活を守った裁判官は餓死した時代である。またハイパーインフレは止まる所を知らず、まともな勤め人の暮らしより浮浪児たちの稼ぎの方が多かった上を下への騒乱の時代でもあった。街に溢れかえるチンピラは特攻帰りも多く、特攻では死の恐怖を忘れさせる為に覚醒剤が用いられていた為、戦後も日本薬局方・ヒロポンという名で合法的に販売されていたのである。国家などというものは、無論、そのでっち上げ理論の上で動く。決して普遍性もなければ合理性も持たない単なる虚構である。そう言って悪ければ無責任体制である。唯、多くは軍を味方に付け、権力維持をしているだけなのである。だから決して民衆を守らない。軍も民衆を守らないのは必然である。
 以上のような背景を背負った人間たちが登場する作品として観ると面白かろう。
戯曲試食会 『タバコの害について』

戯曲試食会 『タバコの害について』

劇団夢現舎

「行灯パブ・ろびっち」(通常は新高円寺アトラクターズ・スタヂオ)(東京都)

2016/01/06 (水) ~ 2016/01/11 (月)公演終了

満足度★★★★

様々な工夫
 戯曲試食会というサブのついた今作、メインディッシュの「タバコの害について」が始まる迄に、オードブルやスープが、供される。

ネタバレBOX

短編やチェーホフの生い立ち、スタニスラフスキーとの邂逅、41歳の時結婚したモスクワ芸術座の看板女優、オリガとの関係などが演じられると共に、チェーホフ自身を仮託した人物として「かもめ」に出てくるトリゴーリンとニーナの名声への場面が演じられたりする。この構成に工夫としゃれっ気が感じられ、好感を持った。さて、メインディッシュであが、演じる役者が若いこともあって、スタニスラフスキー理論で最高の演技と考えられる身体から滲み出るというより、歌舞いて役作りをしているように感じられた。その意味では、観客の好悪がハッキリ分かれそうだ。何れにせよ、どちらかに徹底する他はあるまい。敢えてチャレンジングな演出をした勇気を褒めたいと思う。
 更に、観客席の周りの壁にはチェーホフ関連の写真なども展示され、さらに立体的に彼とその作品を理解するのにも役立つようになっている。
 メインディッシュであるこの怪作と格闘した跡をよく観たい。
12人の怒れる陪審員

12人の怒れる陪審員

えにし

駅前劇場(東京都)

2015/12/26 (土) ~ 2015/12/27 (日)公演終了

満足度★★★★

う~む
 余りにも有名な作品故、演出にもう少し工夫が欲しい。(追記後送)

ネタバレBOX

無論、原作者関係との版権交渉、翻訳者との交渉などで翻訳語句を変えてはならないなどの契約上の制約があるのかも知れない。然し、もしそうであるならば、このアメリカ的な作品の互いの主張に逃げ道が無い緊迫感を持たせるべきであった。アメリカは自己主張社会である。自己主張できない人々は、居ないと看做される以上にマイナスな存在である。つまり、居ながらにして存在を完全に無視される。だってそうではないか。存在しており、言葉を用いての主張によって自らの存在をアピールするというオーダーが成り立っているのであれば、そのオーダーに合致しないと判断されれば、目の前に居る存在なのであるから、論理的に完全否定せざるを得ない。
悪夢のエレベーター

悪夢のエレベーター

学習院大学演劇部 少年イサム堂

学習院大学富士見会館演劇部アトリエ(東京都)

2015/12/25 (金) ~ 2015/12/26 (土)公演終了

満足度★★★★

定石をどう超えるか?
 中々工夫された舞台セットだ。衝立の角度を変えて出捌け口を4か所作り、上手、下手観客側にそれぞれにテーブルとイスのセットが置かれ、事件の中核を為すエレベーター内部は、舞台中央奥に床にグレーのカーペットを敷いて示されている。無論、無蓋、壁も無しである。(追記は終演後)

ネタバレBOX

物語は、このエレベータに男3人、女1人が閉じ込められた密室状態で展開する。密室と言えば、殺人、完全犯罪というのがミステリーの定石。今作もそのように展開するのではあるが、実は、そんなことではファンが納得できないのは百も承知。初日が終わったばかりだから、終演後に内実は記そう。
優子の夢はいつ開く

優子の夢はいつ開く

パイランド

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2015/12/23 (水) ~ 2015/12/27 (日)公演終了

満足度★★★★

ちょっと観方を工夫
 脚本が内田春菊。演出がうずめ劇場のペーター・ゲスナーというちょっと変わった取り合わせだ。

ネタバレBOX

自分の解釈は、一般と可也異なると思うが、却ってこっちの方が、春菊が取り組んできたテーマに近いかも知れない。というのも、この「国」の為政者の発想というのは、千年以上も変わっていないからだ。ということは、真の民主革命が起こっていないということである。だからつい先だって迄五礙の障りなどということが平然と言われていたのだ。自分はそんな側に与しないが、多くの日本人男性は、そのようなことを意識したことも無かろう。それほど、この「国」の女性差別は原始的である。まあ、男が平気で奴隷をやっているのだから、そんな連中を男と認めること自体滑稽そのものなのであるが。マッカーサー如きに精神年齢12歳と断じられてへへーと畏まっていたらしいが、そのこと自体笑止である。戦争で負けたからと言って文化やエスプリで負けた訳ではあるまい。そんなことすら主張できなかった大多数の日本人が、本当に「葉隠」を“死ぬことなりと見つけたり”と読んだだけであるなら、そういう連中は総て自死すべきであった。論理とはそういうものである。戦後精神界堕落の一例を挙げておけば、死に体で、文章を書き殴っていただけの三島 由紀夫を過剰なまでに高く評価すること自体、この植民地の実態を曝け出しているのに、そのことにすら気付けないボンクラばかりでは致し方あるまい。ハッキリ言って三島の作品で優れているのは、戯曲と「仮面の告白」くらいだろう。自然に振る舞えないこと自体、危機的状況であり、それを人工に置き換え、そのことを火箭として用いることのできたのはBaudelaire迄である。Baudelaireは、最後の精神性を担って引き裂かれていたし、最後には失語に陥った。彼ほどの天才にしてそうであった。このことを深く考えるべきであろう。(無論、梅毒の影響を反論の根拠として言う人々は多かろう。だが、彼の担った精神性に匹敵し得るだけの内実を持って言っているか否か、自問して欲しいものである。Sartreの批判もBaudelaireの抱えていた問題総てを批判し切れている訳ではない)まして、三島は表層の作家である。死に体と言って悪ければエパーヴである。ちょっと横道に逸れた。
 さて、本題に入ろう。今作で登場する各人物を国や民族集団に置き換えて考えてみると、とても面白いのだ。欧米人が観て面白がるであろう理由は自分のような観方をする者が結構いるだろうということでもある。内容は観てのお楽しみ。だが、日本で独自の存在感を発揮している内田 春菊の、取り敢えず日常に仮託された社会性をも観る為には、これは案外有効な方法だと思う。
テノヒラサイズの人生大車輪'15

テノヒラサイズの人生大車輪'15

テノヒラサイズ

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2015/12/22 (火) ~ 2015/12/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

見にゃいと損にゃ! 花5つ星
 普段大阪で活躍しているグループなので東京公演は嬉しい。初めて拝見した時から、そのレベルの高さに驚くと共に楽しみにしている劇団である。

ネタバレBOX


 今回、衣装は赤のツムギ。全員お揃いである。舞台道具としては、パイプイスが人数分。即ち7脚だけだ。ところが、このイスが、ジェットコースターにもなれば自動車やイーグルハンドルの大型自動二輪にもなるし、山にさえなってしまう。この使い方が見事である。無論、シナリオの展開の仕方も、各挿話の連携と共に作中話題になるカートボネガット作品との緩やかな関連をはじめ、作品タイトルをこれも劇中のキャラクターの仕事上の固有名詞と関連させるなど芸の細かい所を見せつつ、あくまでも現代的で而も人の世の哀しさを巧みに按配し、更には現代世界の本質である欲望に根差した拝金主義への鋭い批判も鏤めるなど、喜劇の持つべき毒をキチンと埋め込み人間らしさへのオマージュと若干のなんちゃって精神も覘かせながら、最後に総ての挿話を纏め上げる手法は見事。無論、シナリオの良さに加えて気の利いた演出と役者陣の間の取り方の上手さ、演技の手際、先にも挙げた道具の使い方の上手さにも拍手!! 

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