ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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そこにある場所

そこにある場所

崖っぷちウォリアーズ

劇場MOMO(東京都)

2016/03/09 (水) ~ 2016/03/13 (日)公演終了

満足度★★★

シナリオが浅い
 街場でカフェを経営する一家にはもう一つの顔があった。然し、兄弟5人のうち1人だけ、この件については蚊帳の外。

ネタバレBOX


 シナリオの掘り下げが浅い。これは決定的である。扱われているテーマは掘り下げ方で可也深く持ってゆけるハズの埋蔵金問題。それも徳川の埋蔵金ということで特に長州閥の政治屋共と旧幕府サイドで理論派を形成していた水戸学に繋がる思想犯やそのイデオロギーを信奉する草莽との確執、現在の総会屋に繋がる自由民権運動の浪士たちと資本家共の争闘・確執、戦前は現公安警察に繋がる特高で辣腕を奮い、暗号名ポダムを持った正力 松太郎他の面々、即ち戦後はCIAエージェントとして日本をアメリカ植民地として管理した上級奴隷、正力やその右腕であった柴田などと吉田茂、中曽根康弘や安倍晋三などの国賊までの流れと意識的民衆との戦いなどをカバーしていなければ、この喫茶店に関わる兄弟たちの父が警察権力によって抹殺された、ということにはリアリティーが生じない。総ての挿話が、このレベルで浅すぎるのである。
 これでは演出がどんなに頑張っても、また役者がどんなにキチンとイマージュを具体化しようしてもできるものではない。シナリオライターはキチンと必要な勉強をすべきである。無論この程度の知識だけで、いいシナリオが書ける訳ではない。世の中には、知識だけ一杯持っている馬鹿が多数存在するが、このような間抜けを真似る必要はさらさらないどころか害悪であることは明らかである。肝心なことは様々な知識を必要に応じて用い、人間を描くことなのであるから。人間が描けて初めて作品というレベルに達するのだ。ここが、始まりである。
『BET』

『BET』

ラチェットレンチF

上野ストアハウス(東京都)

2016/03/09 (水) ~ 2016/03/13 (日)公演終了

満足度★★★★

牽強付会もあるにはあるが
  一時は売れに売れ、流行作家となって人気シリーズは映画化すらされた梶野だったが、本人のギャンブル好きが嵩じて今ではカジノで負った借金返済の為に借りた金の返済に追われ続ける体たらく。おまけに借金の督促は、彼の本を出版してきた出版社編集部に迄及び、担当編集者共々窮地に立たされていた。編集者が良く使うブラフではなく、最終締め切りはあと半日。それで編集長を唸らせる作品の第一章だけでも仕上げろ、の厳命に二人は追い詰められるかに見えたが。

ネタバレBOX


 ファンレターと渡された封筒から出てきたものは分厚い日記のような代物だった。事の真偽は分からぬものの、内容的には迫真に迫るものであった為、梶野は、これをベースにサスペンス小説に仕上げ発表してゆくが、その原稿は、実際にあった事件への招待状だった。罪を犯して罰を受けないどころか、市長として君臨し、末は国会議員にも立候補しようという人物と、彼の為に命を奪われた者、心と体に深い傷を負った者などとの赤裸々な関係・事実が語られた小説は地元では、真実ではないか? との憶測が憶測を呼び、而も地元新聞が、この件を追い続けた為に大きな事件に発展していった。近いうちに選挙があることもあり、それまで清廉潔白で売って来た市長にとっては大打撃。様々な反論・反撃を試みるが。
SUPASHI-BA

SUPASHI-BA

わらかどプロデュース

新宿ゴールデン街劇場(東京都)

2016/03/09 (水) ~ 2016/03/13 (日)公演終了

満足度★★★★★

演出花5つ星
 女3人、男2人の仲良し5人組。うち1組は既に夫婦になっている。1幕2場。1場と2場が、内容的にも時間的にも空間的にも白と黒という単純明快な指標によって対比されている点で、演出の力が圧倒的な作品である。(少しつけたし12時32分。更なる追記2016.3.12 02:37)

ネタバレBOX

1場では、舞台の基調色は白であるのに対し、2場は黒であることには大きな意味がある。1場の白は、ロシアの凍える雪や氷・寒さを表象し、2場の黒は、一郎の喪を表象している。このことが、実に端的に舞台の美術構成に現れているのである。
 先ず小屋に入って驚くのは、この小屋の雰囲気が普段とはまるっきり異なることである。普段、この小屋の板回りの壁は濃いグレーで塗られてやや昏い印象を受けるのだが、出捌け口を含め、客席の一番前の壁面まで総て白で覆い尽くされているのである。こんな使い方は初めて見た。無論、最初にも書いた通り、ロシアの寒さや雪・氷をイメージしているであろうことは容易く類推できる。だが、本当はもう一つ別のイメージを落とし込んでいるとは考える。最後に明かすから、読者もそれまでに考えて欲しい。
 更に今作は、この狭い小屋にロシアの雄大な大地のイメージや皆の故郷のゆったりした時空を表象する為、小道具などは最小の形で作られている。演劇の原点たる想像力に最も大きな場所が与えられている点でも評価したい。板上は無論素舞台である。役者の提示する身体表現を通じて、観客は適確にメッセージを受け取らなければならない。即ち板上と観客相対の想像力の勝負なのである。この演劇の原点に劇場の時空を過不足なく設定している点に、金 世一演出の真骨頂がある。
 5人のアウトラインを紹介しておいた方が分かり易かろう。先ずは一郎:AI(Artificial Intelligence・人工知能)の研究者で、この分野では世界トップクラスの研究スタッフが集うモスクワに赴任している。大吉:8年前に結婚した幼馴染の妻・ゆりと父の経営していた居酒屋の跡を継ぎ、現在は父に負けまいと一所懸命。ひまり:一郎から結婚を申し込まれた可愛子ちゃん、ちょっと天然だが仲間皆に好かれフォローされている。まりこ:東京へ出て編集者をやっているキャリアウーマンだが、弱みを見せるのが嫌いでちょっと堅物のイメージはあるものの友逹思いの柔らかな面も併せ持つ。

 オープニングでは白い衣装を纏った一郎が入場するが一切科白を喋らない。唯、辺りをゆっくり逍遥するだけである。この時の一郎の表情にも注意しておいて欲しい。(この場面の意味はラストで明らかになるからである。即ち死後の世界のイメージだ。一郎は、ひまりとの約束の時に仲間の下へ魂の形で戻ったのだ!)
 彼らが育ったのは急行も止まらない田舎町だが、それだけに人間関係が濃いとも言える。そんな幼馴染仲良し5人組の過去と現在を、一郎がひまりに結婚を申し込んだ未来のある日、ひまりの誕生日前後の今、過去を1場で現在を2場で対比的に表現して見せた。
裸舞台である。そして小道具は総て切り抜きである。おまけに白と黒を板上で変えるだけである。だが、極度に単純化し得ること、し得たことが、この作品の優れた到達点であることも事実だ。演劇の本質の総てがここに顕現しているからである。このように骨太で本質的な舞台を何人の演出家が創造し得ているか? 

巣鴨・監獄・冀望王 -スガモ・プリズン・ギャングスター-

巣鴨・監獄・冀望王 -スガモ・プリズン・ギャングスター-

法政大学Ⅰ部演劇研究会

法政大学市ヶ谷キャンパス 外濠校舎地下一階多目的室1番(東京都)

2016/03/04 (金) ~ 2016/03/08 (火)公演終了

満足度★★★★

舞台美術や照明、音響、スタッフ対応もグー
 とにかく、一歩会場に入ると、その舞台美術の作り込みに驚かされた。スタッフの対応も極めてよく、演技もうまい。ダーティーな世界を描くにふぃさわしく、照明は暗め。所長室の場面だけ明るくなる仕掛けて無駄な場転少ない。音響も効果的である。

ネタバレBOX

 公式な見解としては、随分硬い話のようである。だが、麻薬が問題であるにしても、それが在る程度抑えられる時と流行る時期があるのはどうしてなのか? その点を問題化し、キチンと分析して掛からないと片手落ちになろう。自分は社会学者ではないので、データ分析やった訳ではないが、戦争をしている国では、そしてそ戦争疑問を持つ者が多かったり、戦意を高揚させ命を簡単捨てるように仕向けるような国家や社会、時代には、麻薬は多用される傾向にあるように思う。戦争ばかりやっているアメリカには薬中が多いし、北朝鮮にもシャブ中が多い。日本でも1957年迄、薬局でシャブが買えた。薬品名をヒロポンと言ったからポン中という呼び名もあったほどだ。これは、日本軍がケシを栽培していたのと違う理由から大量に用いられていたのである。特攻隊には、死を怖がらせない為にやらせていたわけだし、その為、兵士が死なずに戻って来た後も国家は販売せざるを得なかったのである。無論、麻薬は体に良い訳ではない。医療用として用いられることがあるにせよ、それは、患者の余りに酷い痛みを和らげたりする為であり、麻薬のリスクより、その酷い痛みから解放することの方が、より人間的にマシだと判断されるからである。
 何れにせよ、一旦、嵌ってしまえば立ち直ることが極めて困難なものが多いのは事実で、特にケミカルなものは危険である。一方、人間は皆平等な環境下に生まれる訳ではない。親を選ぶことはできないのだ。或る者は、虐待する親の下に生まれ、或る者は、権力者・資本家・王侯の子として生まれる。実際、天と地ほどの差の下に個々の子は誕生し、育とうとする。だが、その命を奪う親もいれば慈しむ親も居るのであり、この生まれつきの差や、そこから生じるハンデや差別、学歴差や社会的地位、貧富の差などが、能力が高く劣悪な環境に育まれた者に強烈なドロップアウト指向を齎す場合、彼・彼女ららは、麻薬に走る傾向が高くなりはすまいか?
 何れにせよ、麻薬が良くないことは当たり前過ぎて文句のつけようがないのであるが、撲滅キャンペーンは、本質から目を逸らさせはしないかと懸念するのである。
 何れにせよ、今作、現代日本というアメリカの植民地に暮らす若者が、狡く一応力を持つ大人たちに収奪され抑圧される自分達の鬱積を、大人たちのやり方をなぞることで表現して見せ、観客に、力と狡猾が支配することの意味を考えさせる構造を提示、アイロニックな視点に気付いてもらうことを狙ったと解釈した。
カゲキ・浅草カルメン

カゲキ・浅草カルメン

劇団ドガドガプラス

浅草東洋館(浅草フランス座演芸場)(東京都)

2016/02/19 (金) ~ 2016/02/29 (月)公演終了

満足度★★★★★

2度目 今回は女性中心に
 一回目は主に男たちのことを書いたから、今回は女性たちについて書いておこう。そうでなければ片手落ちになろう。

ネタバレBOX


 ヒロイン、カルメンを始めとして「はした女」として生きる女たちの哀しさ、辛さが描かれている点を評価したい。己の意思を通す前に汚された女たちの哀しさは何によって癒すことができただろうか? 実は癒しようが無かったということではないのか? だからこそカルメンは干という自滅型純情を愛したのであり、自分のマブという立場に置きたがらなかったのではないか? 散々悪を担ってきたその道のプロ、我流とは異なり自らの汚れを浄化してくれるような、憧れを持ち続ける可愛らしいペットとして、干を愛することができたからである。
 一方、カルメンほど斜に構えた訳ではないが、勝 小吉に入れあげた芸者、照古満も泣かせるではないか! 小吉を二度まで救って命を落としたが、自ら「はした女」として迷惑を掛けぬように亡くなってゆく。分限思想は大嫌いな自分だが、人の知恵は己を知ることにあるのもまた事実である。自らが自らの頭で考え抜き、社会の不条理の中で納得できたなら、悲しいかなそれは上意下達ではなく実存としての己の選択の結果である。逆に言えばそれだけ深く自らの人生を背負って生きたということである。このような見方をする時、照古満の人生は内面から輝きを放つ人生なのである。
 カルメンの妹分も同様である。上方から流れてきた沢村との逢瀬で、自らを「はした女」として一歩下がった所から自己規定している。如何に女性が公式的立場からは被差別的に扱われていたとはいえ、若い女性が、己の社会的位置を一歩下がって認めるということは、並大抵のことでは無いように思うのは、現代に生きる我々の性からだけだろうか?  
 さて、どん尻に控えしは、小吉の妻、信である。小吉の本人にすら思いつかなかった魂の迷いを見事に見抜き、小吉を遊ばせて更に自由に奥底への旅に向かわせている。真に頭の良い女性であると共に紛れもない女傑であろう。小吉は信故にこそ、自由に羽ばたくことができたと言いうるからである。
 社会性で男を立てた世界を描くと共に女性のこのような強さ、存在の深さを描いている点でも優れた作品だいうことできる。
成り果て【グリーンフェスタ2016 GREEN FESTA賞 受賞作品】

成り果て【グリーンフェスタ2016 GREEN FESTA賞 受賞作品】

ラビット番長

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2016/03/03 (木) ~ 2016/03/07 (月)公演終了

満足度★★★★★

スタンディングオベーション 花5つ星
 ラビット番長の作品系列は、まず2通りに分かれる。

ネタバレBOX

人間の優しさやしなやかさ、温かさなどを強調して描く作品群(「ギンノキヲク」シリーズなど)と抑圧され歪んだ人の魂や暗黒面を描いた作品(「白魔来る」など)だ。つまり人間の持つ二面性をそれぞれの作品に負わせた作品群である。だが、彼のペンネーム三兎は恐らく3羽の兎を同時に狙いたい、との意を込めたペンネームなのではないか? 今作はその3つ目の可能性、技術と人間の相克に力点があると思うのだ。(作品でいえば「RS」などの系列である)。
 三方を一人でこなすのは何も作品傾向だけではない。演劇人としての彼も三役をこなす。劇作家、演出家そして役者である。今作でもこの三役をこなしている訳であるが、他劇団への客演や後進の指導もこなし当に三面六臂の活躍なのである。
 こういった演劇人としての活動で多忙を極める彼だが、自らの内面の進化をも決して疎かにせず、人間性を豊かで深いものにしていることが良く出ている。人間が一回り大きくなったという印象を受けると共に、将棋という厳しい勝負の世界で優しく在ることの困難、そのような性格故の勝負での隙、更には勝負師としてのこれらの弱点を克服する姿を天野 高志というキャラクターに描きこむことで、実に自然に人間性の深まりを表象している。この苗字と名前にも無論、作家は意味を付与している。また、高志が、プロの将棋士になることを諦めても、生まれてきた我が子の為、愛する妻の為、そして亡き父の病に負けまいとの意意を自らの選択によって継承しようとする姿故に、不条理に抗う人としての高い姿勢が観客に訴えてくる。
 また板上の開閉可能な目隠しに描かれた文様は将棋の駒の形だ。歌謡曲の歌詞ではないが、吹けば飛ぶよな将棋の駒をこのような形に活かす。こういう細かい点にも神経の行き届いた配慮を見せている点も心難い。
 ところで、最後の場面で肝心なことは、嵌め手を使わないことを選んだ点にある。嵌め手を選べば勝率100%であるにも関わらず、敢えて勝率5%に賭けることを選んだ所に森九段の精神の戦いがあり、人間のプライドが在るのである。そしてそれは、コンピューターサイドに選べる選択肢ではあり得ない。何故なら、コンピューターのプログラムのコンセプトは勝つためのプログラムというオーダーで組まれているから、唯一の展開は尖鋭化することだけだからだ。即ち100%の勝率と5%の勝率のうちどちらを選ぶかは、プログラムのコンセプトを決めた段階で決しているのである。然しながらヒトはことほど左様に単純でも無ければ悩まない者でもない。その人間が人間として在ることのかけがえのなさと、勝ち負けだけでは測れない生きて在ることの意味、その重み、そして人らしく生きることによってのみ得られる充足感と幸福を、即ち人間が人間らしくある為に選ばれたこの選択が今作の要であることに異を挟む者はあるまい。
 だが、井保 三兎氏の凄い所は、こういう恥ずかしい褒め言葉をちゃんと茶化していることだったりするにょだ!
負け犬ポワロの事件簿

負け犬ポワロの事件簿

東京AZARASHI団

サンモールスタジオ(東京都)

2016/03/04 (金) ~ 2016/03/13 (日)公演終了

満足度★★★

後半は何とかまとめたが
 キネ旬ベスト1「竜二」や「チンピラ」を撮り33歳で亡くなった金子 正次の生き様を思い出させる挿話が挟まれたが、気に入ったのはこの挿話部分。

ネタバレBOX

前半部のギャグは、表層的で自分の感覚では芸のうちに入らない。無理矢理、作ったという印象の作品であった。
赤い竜と土の旅人

赤い竜と土の旅人

舞台芸術集団 地下空港

すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)

2016/03/03 (木) ~ 2016/03/13 (日)公演終了

満足度★★★★

もっと毒を盛っても良かったかも?
 赤い竜は、なにを象徴しているか? 考えながら見ると面白かろう。土が何を象徴しているかは明らかだろう。食と住処、飲料水など生きてゆくための必要条件だ。

ネタバレBOX

 確証破壊の痕、後にヒトが人らしく生きたいという望みを最終部に描いている点に救いがあると同時に人間的である。

By the way,
 ヒトは制御できない技術を使うべきでもなければ持つべきでもない。作・演出の伊藤氏は、イギリス、ウェールズ国立劇場の日本人招聘プログラムに初めて選出された人物だ。学生時代から11か国を回ったという。当然、国際的視野は持ち合わせているから、セラフィールド、ラアーグの核燃料再処理工場の海洋汚染の凄まじさや、近隣で発生している癌、白血病他の健康被害についても良く知っていよう。核物理学に疎い日本人の多くは、原発での核利用と兵器としての核利用に本質的違いがあると勘違いしているようだが、核燃料の純度をどのくらいにするかという点だけが大きく異なっているのと兵器にすることを目的に作られているかいないかという差があるだけで核技術そのものと核物質を燃やすことで起きる弊害に於いて、総ての生命を危険や死に晒すという意味で大差はない。何故なら、命の設計図であるDNAや細胞同士がくっつきあう力に対して、放射性核種が発するエネルギーは桁違いに大きく、総ての生命の基本構造に大打撃を与えるからである。このことが、この段落の最初に挙げたヒトは制御できない技術を使うべきでもなければ持つべきでもない、という主張の意味する所である。而も、現在地球上に生息する生き物の食物連鎖最上位に位置する我々、ヒトは他の総ての生命に対する責任を負っている。更に核技術はヒトが開発した技術だから猶更なのである。
煉獄

煉獄

一般社団法人 日本演出者協会

小劇場B1(東京都)

2016/03/03 (木) ~ 2016/03/06 (日)公演終了

満足度★★★★

原作では男1人、女1人の2人芝居だが
 日本演出者協会とソウル演劇協会が共催する日韓演劇作品交流プロジェクトは、ソウル演劇祭で若い演劇人を顕彰する“未来へ羽ばたけ”部門の最優秀作品を日本で、演出者協会が催している“若手演出家コンクール”の最優秀作品を韓国で上演するプロジェクトである。
 それにしても韓国の役者の身体鍛錬の見事なこと。生のパーカッションや緊張感のある音響の効果も見事だ。

ネタバレBOX

 今作は、ギリシャ悲劇の「王女メディア」を下敷きに「死と乙女」や「谷間の女たち」で知られるアリエル・ドーフマンが書いた作品だ。
 嫉妬の怒りと悲しみの果てに女は我が子を手に掛け、王を殺しと凄まじい復讐を果たしてゆく。一方、男は、妻を裏切って他の女と関わった。二人は死後、煉獄で互いの罪を延々と非難し合う。然し、転生する為には互いを救い合わねばならないのだ。この矛盾をアウフヘーベンする為には不和の種を取り除かねばならないのだが、始まりが終わりに重なり終わりが初めに重なるメビウスの輪のような煉獄では、波が起こっては崩れ、霧消してまた起こるように無限とも思えるほどに繰り返すのだ。而もそれは常に不定形で何がどうなるのかは予測しがたい。そのような場所から逃れられず、延々と互いの罪と自らの内側を見据えねばならぬ地獄は、今、ここで生きる我々と繋がっている。

ラスボスのお城の前で

ラスボスのお城の前で

アナログスイッチ

王子小劇場(東京都)

2016/02/25 (木) ~ 2016/02/29 (月)公演終了

満足度★★★★

ゆる~ 箍外し
 アナログスイッチ流箍外しが至る所に仕組まれた今作、いつもながらゆる~い箍外しは健在だ。

ネタバレBOX

オープニングではステージ上手壁面(城の城門部分)に魔王と勇者一行の因縁が映写される。
因縁とは、魔王と勇者一行の代を重ねた闘争の歴史。勇者サイドは一方的に負け続けてきたのだが、この関係は然しながら200年もの間途絶えていた。その平和のせいか、魔王、勇者それぞれの者達は、すっかり戦闘意欲を失っていた。おまけに現魔王のキルギスは、門番のシルバに魅力を感じており、魔王など引退して駆け落ちしようと狙っている。美人で魅力的な若い魔王に直に口説かれて抵抗できる男は居ない。二人は駆け落ちすることに乗り気だが、問題は忠臣のコーザをどうするかである。というのもつい最近、勇者一行が城を目指してやってくるとの新聞情報があり、彼は今まで通り魔王一族VS勇者一行との戦いは為されるべきだ、と主張しており戦わずして負ける、というより勝を譲るなどという考えは到底認められない。だが、彼一人を城に残していけば勇者一行に彼は殺されるであろう。忠臣だけに無碍に放ってはおけないという気持ちも強い等々の事情があった。
 一方、勇者一行は手に入れた地図の情報が正しいか否かも定かではない為、何しろ古い地図で所々、読み取り難い。それでそれらしき城に到着すると、こちらも戦いの意思などないまま、取り敢えず惰性で門を押してみた。すると門は何の問題もなく開くではないか! 拍子抜けしつつも、戦士が暫くして出てきた門番の鼻面迄近づき互いに攻撃をしなかったことで、何となく安心という手応えを得た。その後、それでも因縁の対決なのだから白黒決するべきだとの認識もあり、追いかけるが追いつかないなどのアリバイ作りに頑張ったりしている。この辺りのおとぼけ感覚がアナログスイッチの人気の源泉なのではないか? ところで、正室の娘、キルギスに魔王の座を奪われ、追放されたとして側室の娘、ウッカとヤンギスが勇者陣に合流魔王一派に戦いを挑むが、上に挙げたような理由から勇者たちは、戦う意思など毛頭ない。而も、ウッカは本当はコーザの娘で魔法は使えない。妹として育ったヤンギスが、ウッカが杖を使うのに合わせて魔法を使っていたのだ。従ってヤンギスだけが第二夫人の娘なのである。といった具合で、この手のギャグ満載の作品にゃのだ。
火の音

火の音

ひねもすほろすけ

BAR COREDO(東京都)

2016/02/25 (木) ~ 2016/02/28 (日)公演終了

満足度★★★

チャラケルなら、作品内でそれを構造化しないと
 役者陣は、第1回公演としては頑張っている。

ネタバレBOX

 若い人たちの第1回公演とあって、大人たちの狡さに対する嫌悪感・不信感が根底にあるのだろう。それ故にこそ、序盤敢えてタメを省いたような表現をしているのだと思われるが、芝居の常道としては、それならばそれで、自分達の立ち位置を作品内に構造化して提示すべきであろう。演劇の基本は対位法である。この原則を守っていない為に、序盤は、言いたいことを唯投げ出してみせたようなゾンザイで舌足らずで、必然性を欠いた印象を与えてしまうのだ。
 中後半からは、シナリオにも絞まりが出て深刻な題材を、多面的に眺めて面白い展開にしていたが、精神科のカウンセラーのキャラクター造形には、もっと注意が必要だろう。リアリティ-を敢えて否定することが目的なら、この点でも作品の要請として精神科医そのものが実は、絶対的な判断基準の上に立って判断しているわけではないことくらい仕込んでおくべきだろう。
Scoreless

Scoreless

劇団SUNS

新宿村LIVE(東京都)

2016/02/24 (水) ~ 2016/02/28 (日)公演終了

満足度★★★★

花四つ星
 タイトルからはスポーツ作品かと思っていたのだが、実際は、ミッドウェー敗戦後の太平洋戦争の話であった。

ネタバレBOX

出演者がホントに若い人ばかりなのだが、兵隊の動きが機敏で実際の大日本帝国軍下級兵士たちもこのようであっただろうと思わせるような動作・所作で感心した。演劇がとどのつまり役者と観客の身体表現を賭した一騎打ちである以上、このようなことはとても大切なことで、ダンスもかなりうまいし科白も殆ど通っていた。
 シナリオは、戦争を知らない世代は無論のこと、知っている世代にもキチンとコミットできる内容と質でありながら、広い層に戦争の本質、即ち“無用に失い、取り返しがつかない愚行”という内実を分かり易く押し付けがましくない形で提示されており、心に深く訴えるものである。実際心を撃つシーンが随所に鏤められており深く考えさせる内容である。
 出演する役者が若いので、悲劇ではあるのだが、一種の爽やかささえ感じさせる舞台であることもこの舞台の特徴である。生の歌が歌われるのも嬉しい。主に映画「オズの魔法使い」でジュディー・ガーランドが歌った「Over the Rainbow」が歌われるのだが、繰り返し歌われるこのメロディーが大切な効果を齎している。同時にアメリカが世界の憧れであった頃のイメージを彷彿とさせるのには驚いた。
 無論、視覚的な美しさにも充分配慮した形になっているし、タイトルも適確
ストアハウスカンパニー『Remains』

ストアハウスカンパニー『Remains』

ストアハウス

上野ストアハウス(東京都)

2016/02/24 (水) ~ 2016/02/28 (日)公演終了

満足度★★★★

2本立て
 1公演で日本のストアハウスカンパニーの身体表現とタイから招かれたB-floorかDemocrazyどちらかの公演を観ることができる、2本立てである。自分は、ストアハウスカンパニーの「Remains」とDemodrazyの「Hipster the King」を拝見した。間に役20分の休憩が入る。Remainsは身体表現であるから、観客が何をどう解釈しようが観客の自由である。自分の解釈は追記で述べさせて頂くが、こちらもとても興味深く拝見した。一方、Hipster the Kingはちょっと意表を衝いた作品になっている。笑わせ方にも大きな比重を置いているが、非常に知的な作品である。(追記後送)

bar TAMARANCHI(予定)

bar TAMARANCHI(予定)

劇団ICHIGEKI☆必殺

こった創作空間(東京都)

2016/02/26 (金) ~ 2016/02/28 (日)公演終了

満足度★★★★

花四つ星
 そのバーの髭のバーテンダーは、願い事を叶えると言われる。但し差し入れが気に入った場合だけである。

ネタバレBOX

どこからこの噂を聞きつけたか、数々の客が集まってくる。無論、皆自分の願いを叶えたいが為。その様を、コント、パロディー、寸劇、中編などで描く。バーテンダーは、髭を付けた者。役者人数に限りがあるので、入れ替わり立ち代わり各役者が様々な役をこなす。殆どの作品がホントに短いので凄さが部分的にしか伝わらないが、ラストの中編は見事。こんな作品だけで構成したら年間ベスト1に多くが投票するのではないか。実力集団である。
 ラストの作品、上演中故、細かいことは記さないが、得心のゆく作品であった。設定が凄い。女1人、男2人の仲良しグループ。若者なので通常あり得ない。直ぐ三角関係になるだろうからである。或いは一婦多夫か。現実にはそうなるだろうことを見越して、子供の頃からの仲良しということにはなっているが、男女関係そんな綺麗事では済まないのは多くの者が経験済みだろう。で、ある条件が提示される。その条件が知れると関係がぎくしゃくしてくるのだが、このぎくしゃくの間にある互いの思いやりや人としての意が、あり得ない設定の中でリアリティーを帯びるのだ。それは恰もマイナスとマイナスを掛け合わせると+に変じるような見事さである。


キミが読む物語2016

キミが読む物語2016

ナイスコンプレックス

あうるすぽっと(東京都)

2016/02/24 (水) ~ 2016/02/29 (月)公演終了

満足度★★★★

初日を拝見
 折角いいシナリオなのに、声が届かない役が結構居た。勿体ない。同時にゲネプロでは本番会場を使っているハズだから、音響調整でも科白のよりよく通る演出に心がけて欲しかった。惜しい。(追記後送)

ネタバレBOX


 イントロが、古本屋で子供が古本屋のオヤジからイニシエーションを受けるというスタイル。時に応じて、多くは病室として使われる舞台奥とフロントを隔てるように紗の幕が掛かるのだが、この紗幕に描かれているのが丁度中ほどで開かれた大部の本であることによって、観客をも舞台のメタ空間に引きずり込むような仕掛けが施されているのも気に入った。
Stay of Execution

Stay of Execution

メガバックスコレクション

錦糸町SIM STUDIO 4F C-studio(東京都)

2016/02/20 (土) ~ 2016/02/28 (日)公演終了

満足度★★★★

Bチームを拝見
 2030年関東を襲った大地震で東京は壊滅。(追記2016.2.23)

ネタバレBOX

舞台はそれから2年半以上を経た時点、正確には地震発生後1010日目から更にその101日後迄の、閉鎖系内の葛藤・自壊の諸過程を描く。ヴァレリーの「ユーパリノス」やサルトルの「出口なし」なども想起させる面白い作品だ。
 亜空間に閉じ込められた“幽霊たち”は2030年に関東地方を襲った大地震の際、地下鉄の構内に閉じ込められた160名のうちの5名。死神ワイズに直ぐ従った者らもあるが、ショックから直ぐには川を渡らなかった霊もあった。それらの霊は101日毎に巡ってくる迎えの日毎にショックの眠りから醒める。1010日目に目覚めた5人の魂にワイズは自分に従って来るように勧めるのだが、2人しか賛同者は得られなかった。その2人も他の者が行かないと強く言ったことから前言を取り消し、次の迎えの日迄、この閉鎖系に留まることにした。改札口のあった場所からは永遠の闇が広がり、一旦魂が其処へ入り込むと二度と其処から出ることができずに永遠に彷徨う。他の場所は崩れ落ちた土砂で埋まっていたりして出られないという設定だ。霊ならば肉体を持たず通れるハズという論理は、ゾンビのような存在と半ば彼らが意識している触れられる実態と化している為に不可能である。先に指摘したような「ユーパリノス」や「出口なし」の登場者は肉体を持たぬことの条理に従わざるを得ないことに対する理論的展開が頗る面白く展開されるのだが、今作は、その点では、アンリ・バビュルスの「地獄」に近い作品と言った方が良いかも知れぬ。何れにせよ、見も知らぬ世界へ、いきなり断ち切られ未練を残した状態では出向くことができないという拘りと、無為という状況の中で、意味を追求せざるを得ない知的存在である人間の懊悩との鬩ぎ合いが、自壊を引き起こし、それに耐えられなくなって争いや精神の崩壊を齎してしまう状況を画いているのだが、最後にカタルシスを持ち込んで一般的な作品にしてしまった。ここはもっと冒険をして、敢えて地獄のみを更に尖鋭化する作品でもよかったのではないかと考える。何故なら、日本という名のアメリカの植民地では、事実、何が起きているかをその被植民者個々人が深い所から認識することが先決だからである。政治屋共が、こんな馬鹿ばかりなのも、反対をする連中の捏ねる論理が表層に過ぎないのも、本当のことをキチンと見、認識し、反芻して深く考えることをしていないからである。こんなことでは、いつまで経っても光明が見えてこないことは必然である。先ずは自らの手で自らの着ている欺瞞・瞞着、臆病、虚言などの表層にメスを当て切り開かねばならぬ。
カゲキ・浅草カルメン

カゲキ・浅草カルメン

劇団ドガドガプラス

浅草東洋館(浅草フランス座演芸場)(東京都)

2016/02/19 (金) ~ 2016/02/29 (月)公演終了

満足度★★★★★

浅草 弾左衛門の宴
 幕末の江戸、人外の頭、浅草 弾左衛門の支配地で繰り広げられる無礼講の宴、

ネタバレBOX

供されるのは士農工商には禁じられた獣肉、大蒜、韮、葱、生姜など禁制の野菜を用いた料理。当然、酒も振る舞われる。語られるのは、当時鎖国の価値観では禁じられていた海外の情勢・事情など禁制の情報である。集まったのは、世の中では変わり者、反逆者、余計者と看做されるような人々。即ち体制の枠になど収まり切らない自由な人々であった。勝 海舟の父・小吉、海舟、水戸藩出身の尊王攘夷派、干 愚鈍、そして河竹 黙阿弥と後に称される劇作家等々。三人は義兄弟の契りを結ぶが、その内実がちょっと変わっていると同時に洒落ている。酒では無く、時代の空気を呑んだのである。もし誓いを反故にしなければならぬ場合、誓った空気を吐き出してしまえばよい、という遊行の精神をも取り入れながら人倫の掟にのみ従う誓いであった。
かくして各々は、各々の道を選ぶ。愚鈍は、カルメンにアヘンを盛られて彼女に魅入られてゆき、黙阿弥は、商家のぼんぼんから人外を仲間とする河原者になり、勝は蘭学を学んで時代の荒波を乗り切る先兵となった。愚鈍は、結果、未来を見通そうとする意志を失って走り、意味も無く散ったが、時代の動く時には悪が一瞬仇花を咲かせることを予言し予言に殉じた。勝は、先見の明とその聡明さによって黒船来航以降その本領を発揮する。そして黙阿弥は戯作者となって現代にもその名を作品と共に残した。
覚醒時呼吸症候群

覚醒時呼吸症候群

明治大学演劇研究部

アートスタジオ(明治大学猿楽町第2校舎1F) (東京都)

2016/02/19 (金) ~ 2016/02/21 (日)公演終了

満足度★★★

植民地の奴隷に未来なんてにゃい
 現代日本というアメリカ植民地で生きる若者に未来などあるハズが無い。

ネタバレBOX

地位協定でがんじがらめに縛られ、国民は真実を知らされていないことに疑問も感じないほど馬鹿である。更にこの事実を自覚できないほど、救いがたい馬鹿が過半数を超え事大主義を金科玉条として、他人を切り捨てることを歯牙にも掛けない。自分が何時、その立場に立たされることになるかを想像することさえできず、人間として最も大切な価値、自由だの人間らしい価値観だのを鼻先でせせら笑って恬淡として恥じることすらない。下司であるというより人間の皮を被った我執、ハッキリ言って魔物である。
そんな魑魅魍魎が跋扈するこの植民地で若者が未来を夢見ることは愚か、夢を夢見ることすらできないことは余りにも明らかであろう。今作は、そのことをやや未熟ではあるが、必死に訴えた作品だと解釈した。
 だが、現状を実際どう変えて行けるのか? については簡単な問題で無いことも事実である。本気なって変えようと思うのであれば、実際の国際関係の中で自分達の位置を、刻々変わり続ける部分と構造的に変わる部分と、そして地球全体としてどのように変わらなければ人類のみならず、総ての生き物が滅ぶことを避けられないか! についての説得力のある論理を編み出さなければなるまい。その為には、現在、この植民地で一般に膾炙しているアメリカ流の価値観・或いはヨーロッパ流の価値観総てを再検証し、全地球の全生物にとって未来を夢見ることのできる理論の構築と現実的に何は出来、何はできないかのシュミレーションを構築することを始めねばならない。先ずは、この程度の組み立てを予めしてのち、初めて我々は世界に対して堂々と自らを主張し、その正当性を他国、多民族に問いかけることが可能となろう。問い掛けられた彼ら自身が自らの問題として捉えられる形で。
親の顔が見たい

親の顔が見たい

かわさきシアターカンパニー

川崎H&Bシアター(神奈川県)

2016/02/19 (金) ~ 2016/02/21 (日)公演終了

満足度★★★★★

KY
 苛め、虐待のニュースが後を絶たない。今作は、名門女子校で苛めを苦に自殺した中学2年の女子の事件を、学校側と苛めた子らの親との対話を通して炙りだしてゆく作品だが、日本の(というより西側先進国一般の)、陰湿さを増す苛めの実態を明らかにすると共にその背景にある事大主義の欺瞞性を暴いて見事である。

ネタバレBOX


 シナリオがしっかりしている点、シンプルだが必要十分な舞台美術、緊張感のある対話でぐいぐい引っ張って行く芝居作りにも共感した。子供達をサポートしようとして、親も犯罪の共犯者になるような入れ知恵をしたりすることが描かれている点でも良い。
 舞台は三方を客席に囲まれた状態で、正面客席に対して机は斜めに配置され、奥の壁には時計が掛けられている。時刻は19時。朝、遺体発見後の措置として急遽休講になった後、16時から苛めた側とされる生徒ら5人は登校するよう連絡を受け、登校している。5人は、被害者から届いた書面に名前を書かれていた生徒である。学校側としては、事情を知っている可能性もあることから、参考人として呼び出し、事情を聴いていたわけである。因みにこの学校は歴史も古く、良家の娘の通う学校との評判が高い。母、娘と通うケースも多いのだが、授業料も高い。そういったことに見合う娘たちが通うのが一般である。
 尤も日本では、KYという言葉が苛めを避けるキーワードになっているが、このコンセプトは、日本人の本質と性格、即ち事大主義の現代的用法だと思われる。強い者には媚び諂い、自分のポジションを保守する為には、平気で人間性の発露としての自由や人間性を喪失しながら、恬淡として恥じることすら忘れ果てている姿を正当化しているのである。
無理矢理員数合わせをし、民主主義の多数決原理に則った振りばかりしながら。だが、ギリシャで生まれた民主主義は、為政者として就任した者が戦争に負けたり、不正なことをして罷免された場合は財産没収の上、時に死罪、流罪、追放など重い刑罰を科された。それも多くの場合拷問つきの裁判を受けての結果としてである。
これに対して我が国の近々の例を上げておくならば、第二次世界大戦の敗戦(1945年9月2日)を8月15日に置き換え(終戦記念日と言い換えて敗戦の重い現実から目を背け、キチンと現実に向き合わないというまやかし)た。更に戦争責任の明らかな天皇裕仁を利用して、アメリカに都合の良い占領政策を採ったことは現代史の常識であろう。時の総理大臣、殿上人クラスの皇族・貴族を含め世の指導者と目されて来た連中の殆どが、日本占領の全権を委任されたマッカーサーに或いはマッカサーに通じる可能性のあるジャーナリスト迄含めて自らばかりは戦争責任が無い、と申し立てた。無論、事実は誰が見ても責任があったのである。大日本帝国憲法で唯一の主権者が天皇、即ち裕仁であったと同義である。内心恥じた者もあるだろう。その可能性は否定できない。然し公式なレベルでそれらの人々も、都合の悪いことは総て不問に付し、忘れた振りをした。その結果、社会はズブズブの、原理原則もなければ人倫もない鵺のような社会になった。
 このことを糺さない限り、日本人が世界の一角を占めるに足る民族だなどの戯言は、避けなければならない。このような判断こそが、世界に打って出る時に必要な判断・ボンサンスだと考えるからである。
第47回「a・la・ALA・Live」

第47回「a・la・ALA・Live」

a・la・ALA・Live

パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)

2016/02/20 (土) ~ 2016/02/20 (土)公演終了

満足度★★★★

楽しめる
 1「風」2「戦場の…」3「マリリン東京公演vol.3~吹き語り&エトセトラ」4「花も嵐も」5「昼下がりの喫茶店」6「夢は夜開く」7「販促サービス」8「オペラ座の道化師、春を待つ」9「世界に一つ」これらの演目を芝居、道化(手品つき)、演奏つきパフォーマンスなどで構成。中心になっている荒山 昌子さんの出演は1、4、6、9の4本。各挿話が総て関連していて、そのサンドイッチパンに挟まれる形で他の演目が上演されるのだが、これがとても楽しい。(追記2016.2.24 0:28)

ネタバレBOX

 どんなことが表現されているかといえば、こんな気持ち・あんな気持ちにマイノリティーやちょっと出来の悪い後輩に“さしすせそ”の理論。“さ”は流石、“し”は知らない、“す”は凄い、“せ”はセンス良い! 、“そ”はという具合に営業トークを伝授しようとするのだが。というのがNO.7 の内容。NO.1 の“風”では、バカ代表の安倍辺りがスマップ解散についてコメントを述べたこと。そんな暇があるなら、他にすべきことがたくさんあるだろうに、ということ。
まあ、あんなアホでは、アメリカの命令に尻尾を振って、恰も日本政府が独自に様々なことを決め、実行に移していると国民を騙すことができると信じ込むことしかできまいが。というアイロニーが込められているというのは自分の解釈である。安倍以下、現在彼をサポートする彼より頭がマシと評価されているハズの連中の内容も実にレベルの低いものだとい厳然たる事実と、事大主義の下司根性ばかりが見える。こんなアホばかりが政権中枢に居座ってデカい面をしているから、アメリカ程度の知的レベルしか持たない国家にさえ馬鹿にされるのだ! 論理的必然として、このように知的レベルの低い国民から奴隷扱いされる我が“国”の愚衆がバカにする者より国際的に低く見られているのは当然のことである。自分に自信があり、国際的な荒波に漕ぎ出してキチンと勝負できる者は勝負せよ。それができないならば、自分を鍛えよ。鍛えることすらできないならば、一生自分を恥じるが良い。
その上で、遊ぶことを楽しむのだ。自由の根底をキチンと自分の土台に据えた上で。そのようにして今作を観るとホントに楽しい。全体的柔らかな感性で楽しめる舞台なのだ。例えばクラウンの特異性に小さな子供が怯えて泣き出すなど、大人になると皆忘れたふりをするデモーニッシュなもの・ことに対する懼れを感じ取ることのできる子供達には、このクラウンの芸が本物であることが分かるのである。残念乍ら、年齢的には大人になってしまったにも拘わらず子供精神も併せ持つ自分には、この程度子供達の感じる身体の震えが分かるのである。

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