ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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「地獄谷温泉 無明ノ宿」横浜公演

「地獄谷温泉 無明ノ宿」横浜公演

庭劇団ペニノ

KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2017/11/04 (土) ~ 2017/11/12 (日)公演終了

満足度★★★

 舞台美術が凄い。回り舞台に4つの場所が割り振られているのだが見事な造りである。(追記後送)

ネタバレBOX

 
 ただ、自分は、シナリオ重視なのでシナリオ自体に深みは感じなかった。以下、ウィキを参考に。仏教の十二因縁即ち、 (1) 無明 (迷いの根本としての無知) (2) 行 (無明に基づき,次のステップを形成する働き) (3) 識 (受胎時最初の念) (4) 名色 (子宮内で発達する心的なもの及び肉体的なもの) (5) 六処 (6つの感覚器官が整い、母胎を出ようとする状態) (6) 触 (物に触れて知る触感のみの状態) (7) 受 (対象を識別感受する状態) (8) 愛 (欲望によって対象を判断する状態) (9) 取 (己の欲望に執着する状態) その結果としての (10) 有 (生存) (11) 生 (12) 老死。あとのものの原因となっているのは、数字の若い方である。このの系列が釈迦の悟りの内容とされているという。苦しみを断つためには,その根本的原因である無明から順次に滅されなければならない、と考えられたという。
かたつむりは明日も夢をみる

かたつむりは明日も夢をみる

レペゼンかたつむり

北池袋 新生館シアター(東京都)

2017/11/04 (土) ~ 2017/11/05 (日)公演終了

満足度★★★

 短編3作によるオムニバス公演(追記後送)

ネタバレBOX


1.「ふたりの生活」:2組のカップルが登場する。1組はユリとケンゴ、姉弟である。ユリはニート。姉が「表では結構上手くやる」と言っているケンゴは、姉の罵詈雑言と弟の前では恰もオブローモフの如く怠惰で、自らは何もしない姉の面倒を見なければ“姉は表で他人にどれだけの迷惑を掛けるか知れない”という「理由」から姉の面倒を見続けている。だが、自分の言葉に矛盾があることに気付いていない。∵外では結構上手くやっているのであれば、ケンゴが姉の面倒を見続ける必要は一切ないのである。ここから、ケンゴが姉の世話に拘るのは、彼のアイデンティティーが、この点に掛かっているからだということが簡単に分かってしまう。
 もう一組は同棲しているカップル、女はキララ、男はタクミ。タクミは、凡庸極まる連中が凡庸を毛嫌いするのをそのままそのキャラとしたような大学生で、ケンゴの友人だが、ケンゴが姉に我慢しきれなくなって殺害することを期待している。期待通りになれば、殺人犯の友人という珍しい立場になることができるからと考えるアホである。
 まあ、ケンゴは、己のやっていることの矛盾というか無意味に気付いていないのであるから、彼の頭の中では、姉の怠惰にウンザリしていると同時にその姉の面倒を見ることでアイデンティファイしている訳だから、此処にはアンチノミーがある。
 一方、1話の最後で、キララはたくさんの羽毛をまき散らすのだが、これは、本当は人間同士のカップルではなく、タクミが飼っている小鳥(オウムなど人の言葉を真似ることのできる鳥なら猶更よい)との間に交わされた独白だとキチンと示していたら、これはこれで都市に生きる独りの若者の狂気に近い孤独を表して面白かろう。
 何れにせよ、描き方が中途半端で矛盾を矛盾として書けていないのは、脚本家が、自分の頭で充分考えていない証拠だろう。作・演が分かれているのであれば、演出家はこういった点を作家に対して言うべきである。
サスライ7 パート1起ーサイカイー“ちょっとだけ改訂版”

サスライ7 パート1起ーサイカイー“ちょっとだけ改訂版”

東京アンテナコンテナ

南大塚ホール(東京都)

2017/11/01 (水) ~ 2017/11/05 (日)公演終了

満足度★★★★★

Bチームを拝見
 新進企業の御曹司誕生&副社長就任パーティーには、ヒーローショーの出演依頼を受けた面々が集まりリハーサルをしているが、突如、機器の不調でリハは中止。待機している面々に舞い込んだのは爆破予告であった。

ネタバレBOX


一方、かつてはTVにも良く出演し、アイドルとして持てはやされていたサエコも戦隊の主題歌を歌っている関係及び御曹司の元カノなどの絡みで呼ばれているのだが、彼女は不機嫌である。というのも今ではTV出演もなく、而も御曹司にはキャピキャピのギャルがあてつけるようにぶら下がっているのだ。
 だが、因縁はこれだけではない。戦隊の現レッドは、御曹司の小中の同級生、また御曹司の世話役は、皆に無視されるという苛めを受けながら小学校の時に転校してしまった同級生だったのである。御曹司は、小中時代、現レッドより格上のヒーローだったことが現レッドのコンプレックスを煽るのだ。
 ところで、下平さんとイジリーさんのアドリブはパート1から存在していたのだろう。現在のそれに比べると若干、ノリが悪いように感じた点でそうだと判断した。回を重ねる度にブラッシュアップされているのだと解釈した訳である。
流石と感じたのは、場面場面での桁外しの上手さである。この辺りはアンコンの独壇場と言えるように思う。何せ、お相撲さんのような体格の剣持さんやタカノハシさんまで、この桁外しに関わってくるのだから面白くない訳がない。
無論、アンコンの魅力は桁外しの上手さに留まらない。ダジャレやそれに対する寸評、ギャグ、アドリブ、そしてこれらの連携による重層的なお笑いシステムが、下平さんの脚本の根底に流れるとても温かなヒューマニズムに裏打ちされていることが凄いのだ。
今作でも同級生3人のメンタルなレベルでの誤解やコンプレックス、罪悪感や嫉妬等を乗り越えて連携してゆく爽快感などと対比されて描かれるのは、他人を罠に掛けたり裏切ったりしてのし上がってきた悪党が、サスライ7と同級生の連携によって明らかになり、最初の爆弾処理のからくりと2度目の爆弾を仕掛ける動機など事件の核心が明らかになってゆく中、同時に御曹司の優しさと真のヒーローの条件などが明らかになって行き、事件解決が為されてゆく過程に無理がなく、而もスリリングに描かれている点でまさしくヒューマンコメディーの王道をゆくという感じが在る。楽しめる上に生きてゆく活力が湧いてくる作品だ。

海岸線にみる光

海岸線にみる光

SKY SOART ψ WINGS

SPACE EDGE(東京都)

2017/11/02 (木) ~ 2017/11/05 (日)公演終了

満足度★★★★★

映画監督新人賞を受賞した後は、心を切り取ると評された才能も発揮せぬまま四十路を迎えようとする最上と助手の珠水は、土佐の室戸へやってきた。(追記後送)

ネタバレBOX

顎足持ちで、製作費も負担してくれるという条件で映画製作を依頼されたからである。依頼主は癌で余命1年と宣告されたこの地の実業家未亡人。依頼内容は彼女の心を映像化して欲しいというものであった。
テネシーウィリアムズ短編集 vol.2

テネシーウィリアムズ短編集 vol.2

有機事務所 / 劇団有機座

阿佐ヶ谷アートスペース・プロット(東京都)

2017/11/02 (木) ~ 2017/11/05 (日)公演終了

満足度★★★★

 T.ウィリアムズの作品4編と彼へのオマージュとして書かれた短編が1篇。場転以外に10~15分の休憩1回を挟んで約3時間半の長丁場である。他の観劇予定が入っている方は注意すべし。

ネタバレBOX

 5作総てが、場転に余り時間を取られないように、似たシチュエーションの舞台設定である。即ちどの舞台も総て安アパートの1室や共用スペースである。1作だけ、売春宿の1室という設定もあるが。
 第1話:ロンググッドバイ(有機座・訳)
癌だった母が、息子、ジョン名義でと兄妹に某かの金を残す為に自殺を遂げた後、小説家志望のジョンの部屋を訪れるのは失対事業で少し稼ごうと思っている友人のシルバビルだけだ。彼はジョンが窓から飛び降りるのではないか? と極めて最もな想像をして心配しているのだ。 一方貧乏臭い生活を嫌って出帆してしまい、今や堕落した生活をしていると思われる妹、マイラからは、1枚絵葉書が届いただけで実際どんな暮らしをしているのかは語られない。尤も、映画のフィードバック手法のように過去の再現シーンが何度となく登場するので、兄妹の過去の生活、母との別れ等々も自然に描かれるという寸法だ。
 ところで、今日はジョンの引っ越し当日。引っ越し業者の出入りもあって、様々な時間が同一空間の中で描かれる点で映画的な作りになっている。有名な作品だから内容はくどくど書かない。ただ、今作は有機座が自分達で訳したということが当パンに書いてあったので記しておく。良い原作を原文で読むのは楽しいことだから、こうやってどんどん自分達自身で訳すのも良いのではあるまいか。少なくとも彼我の差をある程度自分達の感覚に即して正確に知る為にも、本当は自分達で訳したいものである。無論、その為の語学習得や勉強は必須であるが。自分は今作を原文で読んでいないので口幅ったいことは言えないが、原作を原文で読むことの面白さは原文に用いられている各単語のコノタシオンの差から、湧き上がってくるイマージュの差、イマジネーションの差がくっきり見えるということがある。この辺りに彼我の差のかなりの部分が含まれると思うのだ。
 第2話:あるマドンナの肖像
 第3話:バイロン卿の恋文
 第4話:バーサよりよろしく
 第5話:扉の無いアパートメント
 この第5話が銀漱氏の作・演による、テネシー・ウィリアムズへのオマージュ。設定は1963年8月23日、安アパートの共有スペースでは、男2人が対話している。片や一度、新人賞を受賞したものの、後は鳴かず飛ばずの小説家で、人の集まる場所へ行っては人々の会話を聴くのが趣味という男、片や3年前に失職し、女房・娘に逃げられ部屋に引き籠って在りもしない工場の話やら、そこへ一足先に引っ越している女房・子供という嘘をでっち上げて、自らの傷を隠蔽している男、そして3人目の男は公民権運動に携わり運動に夢中になった為か、折角入った大学の奨学金を打ち切られた若者。この3人は、それぞれが自己正当化しながら生きていたのだが、互いの隠していた部分が、各々相互の揶揄によって次第に明らかになってゆくという作品。公民権運動の若者だけは、ワシントンでこの運動のリーダーだった者、(ハッキリ名指されてはいないが、キング牧師)の呼びかけに応えたムーブメントに参加すべく出掛けてゆくので、多少、未来が見える。何れにせよ、この3人の揶揄合戦で明らかになってゆく互いの実生活が、壊してゆく妄想のギャップが興味深い。惜しむらくは、テネシー・ウィリアムス自身が抱えていたような闇を、銀漱氏は個人的には持たない為、狂ってしまうまでの強烈なキャラクターとしては3人のうちの誰一人造形されていない点だろう。
一人芝居「バカの苦悩」

一人芝居「バカの苦悩」

町田一則×浅川芳恵

OFF OFFシアター(東京都)

2017/11/01 (水) ~ 2017/11/05 (日)公演終了

満足度★★★★

 思考する所、愚か者が愚かであるのは、頭脳に優れぬというより、世界観が狭いことにあるのではないか? 

ネタバレBOX

見ている世界が狭いから、大所高所に立って世界を認識しようとしない。結果、優先順位の低いことに拘泥し判断を誤るのである。
 一方で、無論優劣の差は遺伝的、日常生活のレベル差など複合的要因によって決定されるであろう。古い歴史を持つ中国の言葉に“医食同源”があるが、この言葉などは当に生活レベルでのケアがいかに大切かを表しているであろう。何故なら、我らの体は日々新陳代謝によって更新されているからであり、食事がその内容によって身体に与える影響の大きさは、栄養学のみならず、様々なジャンルのデータによっても明らかだから。
 今作に描かれたキャラクターの判断ミスも、自分の受け身を反省していない。寧ろ、その受け身を肯定する為に優しさというキーワードに象徴される形で自己肯定を行っているのである。
 一方、受け身を置き換える単語は違っても、この手を使って人生から逃げている人々が如何に多いかは周知のとおりである。そのことを、このような形で描くことには、批評意識がキチンと働いていよう。重苦しい作品ではあるが、そのような視座を突き付けてくるという意味で興味深い作品である。
虎のはなし

虎のはなし

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2017/10/27 (金) ~ 2017/10/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

 原作はイタリアのノーベル賞作家、ダリオ・フォー、

ネタバレBOX

初演は1969年ミステーロ・ブッフォと呼ばれる連作の中の一篇。1989年、天安門事件を受けて改作された作品が、ムベネ・ムワンベネの原作に当たる。今回、宇佐美雅司は、89年版に即して演じている。ムワンベネは89年版に自らの国、マラウィーの政治状況を置き換えて演じている。というのもマラウィの政治的腐敗は、日本のそれのようで、民衆はそれに対して2011年に叛旗を翻した。2011年当時、大統領の独裁は、通貨の暴落、燃料不足、腐敗等数々の暴動要因を抱えていたにも拘わらず、適切な方策が取られなかった為に、遂には大々的な抗議運動が発生したのであった。
この経緯をユーモアたっぷりに、柔らかく知的で而も愛嬌とセンスのある身体表現、歌、芝居で見せてくれたのが、ムベネ・ムアンベネであった。彼はスイスのベルン大学で演劇を学び、現在もスイスで暮らす。詩人でジャーナリストでもある。決して大きくない(身長は165~6㎝くらいだろうか)が、舞台上では随分大きく見えた。実に才能豊かな好男子である。
一方、今回3日間の上演で、各回毎に日本からの参加者が各回1人という構成であった。27日がIRO(土山裕也)28日は板津未来29日、宇佐美雅司である。
フォーの原作に即して演じるのも勿論大切なことではある(初日、2日目は拝見していないので日本勢がどのような作にしたのか分からない)が、出来れば、ムアンベネのように、自国の政治状況を取り入れた作品にしてもらいたかった。それだけの意味はあろう。現在の安倍政権の愚劣極まる「政治」の在り様をみれば、批判しない方がオカシイのだから。
新~とんびと鷹の捕物帖~『酔いどれムスメとお転婆オヤジ』

新~とんびと鷹の捕物帖~『酔いどれムスメとお転婆オヤジ』

劇団岸野組

俳優座劇場(東京都)

2017/10/28 (土) ~ 2017/11/05 (日)公演終了

満足度★★★★★

 プロの手際である。

ネタバレBOX

娯楽作品だから、余り突っ込んだ話はない。アホノミクスの危険と搾取の鬼と化した資本主義の本質を彷彿とさせる事件に現在世界中で猛威を振るうグローバリゼーションの本質を読み取る観客は少なかろうし、それが壊してゆく庶民の人間性や倫理観の危険性についても、そう解釈する観客は殆ど皆無であろう。然しながら、今作の隠れた眼目である上記2点に関しては、実に周到に書き込まれているし、その伏線の置き方、さりげなさにも真の実力を感じる。演出、役者陣の演技何れも良いが、音響の用い方も実に上手い。
雷に打たれて岡っ引き親子の魂がそっくり入れ替わって、標記のタイトルの内実が展開するのであるが、この荒唐無稽、而も元通りになるにも雷が作用するという確率的に在り得ない展開も、お遊びである。こんなことに目くじらを立てるのは粋ではあるまい。
『パレスチナ、イヤーゼロ』

『パレスチナ、イヤーゼロ』

フェスティバル/トーキョー実行委員会

あうるすぽっと(東京都)

2017/10/27 (金) ~ 2017/10/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

 圧倒的なファクトの重さを感じさせる作品。どんなに上手く作っても、この事実性の圧倒的な迫力には及ぶまい。(花5つ星)
(開演前に岡 真理さんによるトークが在ると思う。自分は、その情報を知らず残念なことに聴くことは出来なかったが、このトークはお勧めである。)

ネタバレBOX

作・演はイナト・ヴァイツマン主役を張るのはパレスチナのアル・カサバ・シアター主宰のジョージ・イブラヒム。2014年に来日しているからご存じの方もいらっしゃるだろう。
 物語は、ナクバ以来破壊され、虐殺され続けるパレスチナ人の家屋、いつ果てるともない占領の異常性が、膨大な資料と共に描かれる。例えばイスラエル当局によって破壊された結果、現代の考古学ともいうべき瓦礫の山と化した被破壊家屋の内情を、鑑定士がプロの眼で実測し、写真に撮り、綿密な資料と共にファイリングするという形で保存される。それらの破壊された家屋のファイルと共に虐殺されたパレスチナの子供たち、女性達、成人男性らが、それらの資料から立ち上がるようにして描き込まれてゆく。そこには日常的な辱めと、ドローン等を用いた空爆の他に、数々の理不尽な暴力に対し、遂に非暴力的抵抗をかなぐり捨てて立ち上がらざるを得なかった若者の非業の死も。パレスチナ人には、その能力があっても就けない職業、イスラエルの司法、軍、考古学者や他のジャンルも含めての研究者たちさえも、その多くがこの異常極まるシステムの機能でしかないというグロテスク極まる実体が、描かれる。攻撃されるのは、シオニズム、シオニストである。シオニストは批判されると直ぐ殆ど反射的にユダヤ批判だとのたまうが、今作の作家はユダヤ人である。それも極めて真っ当な人間としてのユダヤ教徒である。作品は決してユダヤ教徒もユダヤ人も批判していない。この事実はヤコブ・ラプキン氏が指摘するように、シオニズムとはユダヤ教を政治化したイデオロギーであって、宗教ではない、という見解の正しさをも補完するものであろう。また、イラン・パぺ氏らが主張するようにパレスチナ人への不当極まる仕打ちがジェノサイドそのものであるという見解をも補完していよう。先日来日したアミラ・ハス女史の被占領地からのイスラエル人記者による真っ当な報告にも呼応する。世界中の真っ当な人間から見たイスラエルのシオニストへの極めて人間的、真っ当な批判である。
以上挙げた例からも、イスラエルが真っ当に生きる為には、国際法に則り直ちに占領から手を引き、収奪を止め、入植地建設を止めるのみならず、グリーンライン内に既に建築された入植地をパレスチナ人に明け渡して、ナクバ以降難民化しているパレスチナ人の帰還権を実現する為の取り敢えずの保証として差し出すべきであろう。無論、現在ユダヤ人専用とされている道路、社会インフラなどもパレスチナ人に明け渡すべきである。この他、東エルサレムの帰属はパレスチナでなければならないのは当然、またガザに対する安全保障も不可欠である。無論、既に人道に対する罪を犯しているのであるから、その償いが必要なことは言うまでもない。ナチスに対して追及したことは、今イスラエルに対して行われなければなるまい。最低限の弁償として、ガザと西岸、東エルサレムを結ぶ道路とその周辺をパレスチナに明け渡す位のことは必要となろう。これまで彼らに対して行って来た犯罪の免罪符として。社会正義に根差した対応が望まれるのである。今作は、このような行為とはかけ離れた、イスラエルの占領政策の実体を暴くものとして、イスラエルが、現在のような施策を続ける限り永遠にその非道徳性、非人間性を告発し続けるものとなろう。世界は見ているぞ。シオニストの非人道的行為を! そして決して忘れることはない。シオニストがその過ちを改め、被害者であるパレスチナ人にキチンと保障を与えるまでは。




消滅寸前(あるいは逃げ出すネズミ)

消滅寸前(あるいは逃げ出すネズミ)

ワンツーワークス

ザ・ポケット(東京都)

2017/10/20 (金) ~ 2017/10/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

 限界集落への道をひた走りに走り続ける、ある地域の実験的プロジェクト(内容は、地域住民による行政代行)の12年間を辿ることによって、都市一極化、少子化問題を扱った衝撃作。(追記2017.10.27)花5つ☆

ネタバレBOX


 羅針盤も進路を記すべき海図もなく、何年も漂流し続ける船に乗り組んでいることも知らず、否、知らぬふりをし続けてきた人々の眼にも、今や、その危機は明らかである。だが、此処は海の上という比ゆ的状況に託して紡がれる今作。逃げ出すも地獄、さりとて海図も六分義も、羅針盤もないまま航行するのは、死出の旅路に就くに等しい。究極の二者択一が迫られているのだ。その時、人々は民主的に而も各々納得づくの決断によって未来を選び取ることができるか? 今作が問うのは、この点であろう。何もかも他人任せにすることで、隷従の味を覚えた現代日本人に対する極めて切実な問い掛けである。
 内容については、ご覧いただくとして、古城氏が何故、今作を書くに至ったかを、「スパイス」に載った文章を参考にしながらみてみたい。因みにOneTwo-WORKSの作品に社会性の強いものが多いのは、古城氏が新聞記者出身だということとも無縁ではあるまい。今回も無論、きっかけになった情報を参考に、独自取材をして創られた作品である。先にも書いた通り今作の提起している問題は、都市殊に大都市一極集中(殊に首都圏)と少子化である。この問題の深刻さに作家が改めて気付かされたのは2014年に”日本創生会議”が発表した「消滅可能性都市」のリストだったという。このリストには全国1800の市区町村の49.8%に当たる896自治体は何れ消滅してしまいかねないとされていた。更にその後、NHKスペシャルで「縮小日本の衝撃」という番組が放映された。このドキュメンタリーは、現在日本各地で実際に起こっている事態をレポートしたものだったが、この2つの情報が齎した事態の深刻さに、作家は衝撃を受け自ら取材をし作品化しようとの決意が生まれたのだ。而も「消滅可能性都市」の中には、23区内の1部迄含まれていたのである。
 だが、ここに一つの問題がある。日本人の持つ傾向として、どんなに大変なことが起きていても自分の身に火の粉が掛かるとか、足元にヒタヒタと水が押し寄せてこない限り、恰も他人事として認識する傾向である。この認知力の乏しさ、イマジネーションの残酷なまでの欠如を、少しでも解消する為に、実際既にいくつかの自治体で取り組まれている、或いは取り組まれてきた事例をベースにした“協同の街づくり”計画(少子化を前提として生まれた地域再生プログラムで市民が主体的に街づくりを担うが、行政はその資金援助をするなどで協同して活性化を図るプロジェクト)を描いているわけだ。
 無論、今まで手つかずの領域である。参考にすべき事例はそれほど多くない中で、手探りの船出である。それが象徴的に表されているのが、実際、自治体の中で起きている会議シーンと海難事故に遭い、羅針盤や六分儀、海図も無い航海の模様を交互に描く今作の大きな構図なのである。この相互嵌入が実に上手い。おまけに、この限界集落化が日本全土を席巻するまでに時間は大して残されていない。2030年には、首都圏を含めてさえ、高齢化率は日本全体の31.6%に及ぶと予測されている。高齢化と少子化のWパンチを喰らい、移民を含めて解決策を探ろうにも、移民が定住して税金を納めてくれるまでには、日本語教育を含む学校教育、職業訓練や就業支援、衣食住に纏わるセーフティーネット、異文化の中で暮らすことになる彼らへの差別・被差別対策・精神的ケア等々、今から準備し投資しなければならないことが山ほどある。日本の国家公務員の中でもキャリア組に任せてはいけない。何故なら彼らは、自らの利害しか考えない者が圧倒的に多く、常に自分にとっておいしい事例に積極体である為、何かせねばならぬことが在る時、整備しなければならないインフラのうち、一番大切なソフトには殆ど目を向けず、大して役に立たないどころか後々維持費が嵩んでその結果自治体が破産するような箱物ばかり作りたがるからである。故郷創生でばらまかれた金が結局各自治体に何を齎したかを検証すれば、一目瞭然であろう。以上のようなことを含めて、今本気になって市民各々が考えておかねばならぬ、目に見えにくいが根本的な問題を提起しているのが今作なのである。

 
刻印

刻印

劇団活劇工房

明治大学和泉校舎第二学生会館地下アトリエ(東京都)

2017/10/21 (土) ~ 2017/10/22 (日)公演終了

満足度★★★★

 過疎に悩む山奥の小集落を舞台にしたサスペンス物との形式を採っているが、ことほど左様に単純な物語ではない。(花4つ☆)

ネタバレBOX

何故なら因循姑息で旧弊な社会の掟、習わしに対する破壊行為が、サスペンスに連なる層の問題だとしたら、少なくとももう一つの層が、劇中から汲み取れるからである。そのもう一つの層とは、エディプスコンプレックスである。サスペンス層は犯人の認知の過程を通して思惟の相に転化し、極端な行動に走らせたのであるが、この行為がラディカルであることに、今作第1部の肝が在ると考えられる。
 更なる興趣は、今作のラディカリズムが何処から生じているかに在る。評者の考える所に拠ればそれは、この「国」のパースペクティブの欠如から、ということになる。即ち、あらゆる隠蔽、詭弁や嘘、そして欺瞞にも拘わらず自らの頭を用いて考え、自らの眼を用いて観察できる個々人にとって、未来等どこにも無いという露骨な絶望があるのみだからである。
それが、生産性の全くないことが明らかであるような、今作で描かれているような行為に走らせたのではないか? そのことを突き付けるような視点を持った極めてラディカルな作品とみた。
 受付や、会場内での案内を担当してくれたスタッフの対応も実に良い。驚いたのは、キャスティング等を紹介するオープニングの映像である。このままでプロと言っても過言ではないレベルの高さをみせている。今後にも期待できるポテンシャルを持った劇団である。更なる飛躍を期待する。

木立によせて

木立によせて

芸術集団れんこんきすた

新中野ワニズホール ( Waniz Hall )(東京都)

2017/10/19 (木) ~ 2017/10/22 (日)公演終了

満足度★★★★★

2度目の観劇。もっと観たいのだが、公演中他の日は、完全に埋まっていてどうにもならないのが残念である。若手2人(第一部石渡 弘徳くん・第二部木村 美佐さん)の演技が良い。優れた作・演出をする奥村 千里さんの深い洞察に基づいた指示を的確に理解して、舞台上に載せるだけの良い意味での素直さを持っている。無論、れんこんきすた座長の中川 朝子さんの迫真の演技については言うまでもない。まことに深い作品である。革命後のソ連の状況を革命家たちの名前や、革命に関わる短い単語だけで表している技法も凄い。(少しだけ追記2017.10.22)花5つ☆

ネタバレBOX

 オリガが、最初の生徒、ジュイシェンを志願させるような気持ちにさせてしまったのが、己の教育の所為であると考え、彼が戦場から送って寄こした最後の手紙の意味する所を恐らくは取り違えて、他人に教えることを拒み続けた幾十年の苦悩を二番目の生徒、アルティナイが救ってくれることになるのだが、この間のドラスティックな展開を見事に舞台化している、役者たち3人の演技が、実に魂に染み入るのだ。無論、それを為さしめる脚本の良さ、演出の視座と適確なアドバイスが、このように他人の魂を惹きつける作品に結実している訳だ。何故、今作が他人の心にこれだけ染み入るのか? このことを知る便ともなる作品であろう。表現の白眉と言える作品を何れ生み出すであろう、れんこんきすたの、次のステップへの確固たる離陸作品である。
 些細な点で指摘できることが無いではないが、それは別の場所、別の機会にする。こんなことを言ったからといって、今作の価値が下がる訳ではない。何故なら、今作の基底は、本質を通してに見事な普遍性に達しているからである。
木立によせて

木立によせて

芸術集団れんこんきすた

新中野ワニズホール ( Waniz Hall )(東京都)

2017/10/19 (木) ~ 2017/10/22 (日)公演終了

満足度★★★★★

 二人芝居の年として「鬼啖」「かつて女神だった私へ」と上演してきた“れんこんきすた”の今年最後の二人芝居。前々作、前作に勝るとも劣らない素晴らしい出来である。こういう舞台を観なければ人生の損失である。これだけ素晴らしい舞台作りをする“れんこんきすた”だが未だ知名度が低い為に、席に余裕のある回もあるとか、是非、観て欲しいお勧めの作品である。因みに今作はキルギス最大の作家、アイトマートフの「最初の教師」という作品をモチーフとしているとか。途中約15分の休憩を挟んで2時間40~45分とちょっと尺は長いが、全く長さを感じさせない、終始、物語に引き付けられる時空を経験した。必見 花5つ☆(追記後送)
念の為、れんこんきすたHPのURLを記しておく。
http://renkonkisuta.com/

子ゾウのポボンとお月さま

子ゾウのポボンとお月さま

劇団印象-indian elephant-

RAFT(東京都)

2017/10/18 (水) ~ 2017/10/22 (日)公演終了

満足度★★★★★

 おならに対する感覚は、大人とこどもで大分違う。大人の感覚は、杓子定規でつまらない。然しこどもたちのおならに対する感覚は、先ず面白い、臭い、恥ずかしい、えっ、赤面等々多様である。ところでポボンの名前は、おならの音から来ている。だからポボンのトレードマークは、おならでもあったりする。すげーだろ! えへん!! えっへん!!! ポボン???? クセー!? か?
(ところで追加公演があるそうだ。以下にその詳細を記すのでご参考に。また席に余裕のある会もあるとか。詳細は必ず問い合わせ確認を取って頂くとして、2日ほど前の情報を参考までに載せておく。

追加公演をやることになりました!
最終日の、10月22日(日)の17:00です!!
この回は、3歳以下のお子さまも入場OKとして、行います。
皆様、是非お誘い合わせの上、ご来場ください。


「子ゾウのポボンとお月さま」(上演時間 約40分)
https://g-inzou.wixsite.com/pobon

日時:2017年10月18日19:30〜
       10月19日11:00〜完売、15:00〜
       10月20日15:00〜、19:30〜
       10月21日11:00〜完売、14:00〜、17:00〜
       10月22日11:00〜完売、14:00〜、17:00〜)

ネタバレBOX


 冒頭、こんな書き出しをしたのは、今作が、子供達にも楽しめるファンタジーだからである。実際、役者達の登場シーンから子供達が絶対喜ぶ工夫がいっぱい凝らされていて楽しく、微笑ましい。こういう作り方ができるのは、大人になっても子供だった頃の心を忘れない大人達か、よほど子供が好きで、子供の心の側に立つことを知っている大人達だ。
 さて、子供達が喜ぶような工夫を凝らして出てきた役者達は、それぞれ頭の上にバケツを載せている。それは王冠のようだ。でも、バケツの大きさは4つが4つともそれぞれ違う。最初のバケツは一番小さい。それが2番目、3番目・・・とどんどん大きくなってゆく。因みに舞台に上がると、といっても素舞台で、床の高さも建物のフロアの高さと同じなので、床そのものなのだが。客席に向かって正座してからお辞儀をする。1番目は、そのままお辞儀をしてバケツを落とし、2番目は首を掲げて挨拶、落ちない。3番目も頭に髷を結ってそれにバケツを被せた上に頭を掲げて挨拶するので落ちない。4番目は、早い段階でバケツを脱いでしまう。何れにせよ、こうして揃った4人はこのバケツを使ってパーカッションを披露してくれる。合間に珍しい楽器も登場するので楽しみにしていて欲しい。
 さて、愈々ポボンの登場である。ポボンの大きさは実際の子ゾウの大きさである。無論、既に自分で歩けるまでに成長しているが、人間のように歩けるようになるまで長時間掛かる訳ではない。そんなポボンは、バナナが大好きだが、ピーマン、人参、茄子などの野菜が嫌いだ。飼育係が嫌いな野菜を無理に食べさせようとするので、遂に食べさせる・食べない合戦が始まってしまった。結局この戦いは、闘牛の形を採ることになるが、ここで、今までポボンが4本足だったものが、2本足になり、素早い動作に対応する。この後も4本足から2本足になるシーンがあるが、ダンスシーンであるなど、その転換は合理的である。
 閑話休題、本筋に戻ろう。闘牛形式の合戦は、闘牛士となった飼育係が、相手を翻弄する為に用いる布をポボンに取られてしまった為、あわやポボンに踏みつぶされようとする刹那、飼育係の必死の呼び掛けに応えた少女がバナナ片手に割って入ったせいで事なきを得た。だが、その少女こそ、ポボンの運命の人であった。彼女に一目惚れしてしまったポボンは、求愛動作として、自分の鼻を彼女の鼻に当てて挨拶をする。彼女もポボンが気に入ったようである。然し、彼女は人間でポボンは象、どうにかして人間になりたい。ポボンは、そう思った。でも、どうしたら象が人間になれる? それが一向に分からないのだった。思いあぐねたポボンを見かねた母は「バナナみたいに黄色い月を食べたらなれるかもね」と教えてくれた。それ以来ポボンは、鼻を伸ばす為にストレッチを始め、鼻は、どんどん伸び皆が嘲るほどに長くなった。この姿を見た母は、自分の吐いた嘘の為に、ポボンがこうなってしまったことを詫びるが、如何に鼻が伸びても月には届かず而もその話は嘘だったと知ったポボンは、毎日を泣き腫らす。こんなに悲しくてもポボンのおならは、止まない。これは更に哀れを催す。流石に月もこれを哀れに思ってか、彼の下を訪れ魔法を掛ける。するとポボンは人間に変わっていた。ポボンと少女は互いに鼻に触れ合って挨拶。ダンスを踊って大団円を迎える。
 役者たちの演技も素晴らしく、鈴木 アツト氏の演出も良い。それに各シーンでの音響効果のセンスが実に良い。また、子供が見ても楽しめるよう、小さなおこさんたちがむずからずに済むよう、公演時間も40~45分と丁度良い長さに仕立ててある。お勧めの作品だ。更に終演後にはポボンと写真が撮れる。蛇足だが、無論、大人が見ても楽しめる作品である。
JOE MEEK

JOE MEEK

ピストンズ

王子小劇場(東京都)

2017/10/18 (水) ~ 2017/10/23 (月)公演終了

満足度★★★★

 1950年代にアメリカで生まれたロックは瞬く間に世界を席巻。だがその栄光の期間は極めて短かった。というのも現れたスターたちが飛行機事故などで他界。プレスリーは兵役、幼い少女を連れまわしたり、関係を持っていたりというスキャンダルで失脚した者達も居た。極め付けは、バディ・ホリーの死である。彼はそれまでのロックミュージッシャンが誰かに作詞・作曲して貰った歌を歌うのが当たり前だった時代に初めて、自身で作詞し、作曲して演奏したのである。ジョーはこのホリーの後継を目指した。レーダー技師、スタジオエンジニアを経てプロデューサーに転じ、そのプロデュースでこの業界の星になろうとしたのだ。実際彼のプロデュースしたThe Tornadosの”Telstar”はイギリス人のグループとして初の全米No.1 のヒット作となった。(追記後送)

三編の様々な結末

三編の様々な結末

東京ストーリーテラー

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2017/10/16 (月) ~ 2017/10/17 (火)公演終了

満足度★★★★★

 朗読劇である。この所、朗読劇は当たりだ。今回は、短編小説を朗読劇として演出した「対の人形」が第1話。第2話「システム」と第3話「杉山さん」は、最初から脚本として書かれているが、何れの作品もその質の高さで群を抜いた作家の才能を示している。舞台はシンプルだが可塑性が高く、演出、役者陣の演技も良い。生演奏が効果的に用いられている。必見の舞台!(花5つ☆)

ネタバレBOX

而も3作とも、全くタイプの異なる作品なのである。第1話は一種の説話で、坊さんの説話としては、出来すぎであるが仏教説話の傑作としても読める作品でつくづく因縁というものの摂理を知らされる。第2話「システム」は、天界のシステムを扱ったSFだが、内気な主人公の、それ故に見付からなかった彼女との出会いに、祖父への、また、彼女となることを宿命づけられた彼女候補の祖母への温かい思いやりと優しさが描かれた秀作、天界の担当者とのユーモアたっぷりの会話も見逃せない。第3話「杉山さん」は思春期の女子の男親への反発を、再婚する母や義父と直ぐ仲良くなった弟、事情を弁えてサジェスションもしてくれる祖母を仲立ちに、義父との間に徐々に良い関係を築いてゆきながら、そのことを義父が倒れるまで言えぬまま失くしてしまった娘の心情を綴って見事。たった2日間しかない公演で17日が楽だが、必見の舞台だ。
ユリディス

ユリディス

劇団Player's World

Route Theater/ルートシアター(東京都)

2017/10/12 (木) ~ 2017/10/15 (日)公演終了

満足度★★★★

 J.アヌイ原作のユリディスだが、翻訳物の厭らしさは余り感じない良い訳だし、兎に角、長い作品なのである程度カットせざるを得ない部分をカットして齟齬の無い脚本に仕上がっていたとは思う。

ネタバレBOX

シェイクスピア作品のよういな長科白が多いのだが、役者がカムことも殆どなく、その意味では難の少ない公演であったが、ユリディスが恋に落ちる原因となったオルフェのヴァイオリン演奏のシーンでは、もっと形態模写をキチンとすべきである。とても大事なシーンであるから、オルフェ役には、実際のヴァイオリン演奏をさせておくことは無論必要である。演出は、其処までキチンとやっておくべきだろう。駅のカフェの上手隅に何も言わずにずっと座っている旅人(死神)なども登場する作品であるだけに、こういった細部の造形に拘らなければ作品のリアリティーが担保できない。
 まして、今作を今上演する必然性は、余り感じられない作品である以上、上演するからには、通常の上演以上に作品としての質を高める必要があると感じるのだ。
 作品の肝は、オルフェとユリディスの純愛と、世間というものの実体。その鬩ぎ合いから生まれる風評が、純愛の成立を脅かす時、皮肉にも死だけが、この純愛が孕むに至った矛盾を解消するということだが、このアイロニカルな結論を導き出す為に、権力や権威が如何に純粋を潰してゆくか、そして弱き者、即ち肝心な時に肝心な決断を己の精神に従ってできなかった者が、如何に人生に飼い馴らされ隷属してゆくかが描かれる。
 然しながら、このような解釈をする日本人が一体どれほど居るのだろう? その意味で、余り必然的な上演とは言えないと思うのだ。ブレヒトではないが、今日の世界を演劇は再現できるのか? という問いをキチンと自分達自身に発信し続けたいものである。
aster

aster

創作集団Alea

劇場HOPE(東京都)

2017/10/12 (木) ~ 2017/10/15 (日)公演終了

満足度★★★

舞台美術が若干変わっている。下手が庭に,縁側を挟んで3分の2ほどが部屋に当てられているのだが、この部屋はやや右上がりに設えられ、而も奥には楕円状の円盤から放射状で銀色の光を表したようなオブジェが四散しており、壁、へっつい、衝立などの縁に当たる部分が波型になっていて落ち着かない。これは、この「家族」の歪みを表現しているのであろう。因みに庭の一角には、花の植栽がある。

ネタバレBOX

 話の展開に必然性が弱い。結衣の妄想(狂気)と出産日の異様な遅れとの連関も定かでないし、妄想の発露として太郎を自らの子として拾ってくることにも、主筋の修・結衣の夫婦関係を、結衣への恋慕の余り暴力的に関係を持ち、その裏切りに耐えられずに自殺した大介との因縁話との密接で必然的な連関は感じ取れない。
また彼の遺書に認められた文言をそのまま守って、この事実をひた隠しに隠し、遺体を花壇の下に埋めたという修の設定も余りに現実離れしている。火葬を旨とする日本では、例外的に土葬が常態化している地域を除き、かなり遺体の処理はキチンと行われており、ここに描かれた事例では、遺体遺棄などの罪にも問われよう。
仮に結衣が大介を殺したと思い込んで、狂気に走ったのだとしたら、どこかに太郎を拾う為の伏線を敷いておくとか、(おじさんであるホームレスの太郎を拾ってくる必然性として、自殺した大介の年齢に近く、而も子供として結衣が認知しているのであれば、大介の生まれ変わりと観客が思ってくれるような伏線である)しないと観客は、不消化感を免れまい。
まあ、ひた隠しにすることで、おかしな関係になった家族関係の在り様そのものを描くことが主眼であったならば、また別の観方が可能ではあるが、その場合にも、もう少し序盤・中盤、ヒリヒリするようなエッジを効かせて欲しい。現実認識の甘さと設定やドラマツルギーを如何に仕組むかへの配慮不足が、結果として作品を焦点のボケた平板なものにしている。受付の女性が頗る感じの良い対応をしてくれたのに、内容的に以上のようなちと残念な感じを持った。
死神と9月のベランダ

死神と9月のベランダ

東京カンカンブラザーズ

ザ・ポケット(東京都)

2017/10/11 (水) ~ 2017/10/15 (日)公演終了

満足度★★★

 序盤シナリオレベルでの牽強付会が見られ、わざとらしい展開が気に掛かった。この傾向は、中盤迄影響してくる。

ネタバレBOX

基本は、捨て子、拓海と地元スーパーの社長令嬢、若葉との純愛物語にあるのだが、拓海は、捨てられ拾われた時には半死半生の状態であり、この時から、死神の宿としてその身体が用いられていたにも拘わらず、身体に於ける精神活動を担っていたハズの死神は、ヒエラルキー上位の神に禁じられていた人間との恋に陥ってしまった。然し、物語の展開に於いてはその主体性が恋する死神と拓海を恋する若葉との関係にあるのか、それとも拓海の身体と拓海の身体に恋する若葉との関係にあるのか一貫しないという論理破綻に陥っている。(ここで用いている身体概念はポール・ヴァレリーの考えた身体、即ち精神と肉体とがないまぜになった在り様を考えている。即ちこの身体の内では死神がその精神を具現化しているハズなのだが、それにしては拓海として表されたキャラクターの健気な姿から、ドラスティックに変容し距離その物と化すかのような精神的変化が不自然)
原因は宿主である拓海と借主である死神の精神的・身体的関係が、キチンと措定されていないので、身体が幼稚園時代から小学生、中学生と長じてゆく中で、若葉に対して変化してゆく拓海の主体も精神を司っているハズの死神の主体性もその一貫性が成立し得ないのである。この為、真の純愛物語が成立し得ない。シナリオのこの齟齬は決定的である。
Short Cuts 5

Short Cuts 5

劇団ガソリーナ

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2017/10/11 (水) ~ 2017/10/15 (日)公演終了

満足度★★★★

Aチームを拝見。サブタイトルのa long trip to teatimeは、ジェームズ・ティプトリーさんからの借用との注が、当パンに入っていた。
総て短編であるが、演目を以下に記しておこう。
1.「明日に向かって撃て」2.「エステのお姉さん」3.「元彼」4.「「落としたもの」5.「高校の3年間」6.「しばしの別れ」7.「光の国」の7本。Bは、演目が全く異なり、役者もかなり違っている。いずれにせよ、この多様性が魅力的な公演。

ネタバレBOX


 このうち1と6がゾンビ狩りゲームに関する昨品だが中々迫力がある。2は、ねずみ講方式で良く販売している語学教材の代わりに化粧品を売っているセールスウーマンとそのカモの話。3は段ボールハウスに住むようになった元彼にいきなり呼び止められた派遣で働く元カノの雑談。4は、1か月50万も使って2か月で体重の3分の1ほどを削った元キャバ嬢とその友人の間で交わされる2か月前と現在の様々な変化についてのダべリング。5は、酔っぱらってトイレに閉じこもってしまった友達を連れだそうとしている仲間2人の女たちの間で交わされる高校時代から現在までのよしなしごと。興味深いのは、このうち一人が劇団で女優をやっていてその苦しい経済状態や客入りの悪さが垣間見れる点だ。最後がウルトラマンガイアの主演に抜擢された少年がクランクアップする迄の1年間の模様を芸能プロダクションの女性社員が語る作品。こちらは表現する者として生きることの厳しさを追及しつつ、少年たちのめくるめくような時間と時代を描いて感動させる。

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