ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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ものかくものども

ものかくものども

夢幻舞台

アートスタジオ(明治大学猿楽町第2校舎1F) (東京都)

2018/03/09 (金) ~ 2018/03/11 (日)公演終了

満足度★★★★

 所謂作家にも幾つかのタイプがあるのだが、理詰めで作品を構築してゆくタイプと、キャラと設定を決めるまでは、精巧な構造物を組み上げるような作業をしても、その後は、キャラの作品内での自由な動きを大切にして、作家の自意識の中では殆ど自動筆記感覚で書くようなタイプなどである。

ネタバレBOX

今作の主人公も作家である。而も作家によって生み出されたキャラクターが反乱を起こす。
さて、作家によって書かれ創り出されたキャラクター達は、無論、各々の個性を持ち、それぞれの宿命を背負って与えられた条件を生きてゆかねばならないわけだが、彼らが自分たちの自己認識を持ち作家という自分達の生きる世界と自分達自身を作った存在との関係を知ったとするとどういうことになるか? というような興味深い疑問を梃に作品構造をメタ化しつつ、作家が彼の生み出したハズのキャラ達と対話を交わせることによって対等性が担保されてしまうと、作家の位置は、必然的に作中人物たちの影響を受けることになるが。
ここにもう一つハイレベルなメタ化が行われているとしたら? 
 舞台美術の抽象性が見事に生きている。照明のセンスも良い。役作りは、矢張り若いと感じさせる点はおおかったものの、仕方あるまい。

寂しさが、マジで鳴るなんて思ってなかったのに、まだ、あなたはそこにいるの?

寂しさが、マジで鳴るなんて思ってなかったのに、まだ、あなたはそこにいるの?

東伏見企画

STUDIO HI-VE(東京都)

2018/03/07 (水) ~ 2018/03/08 (木)公演終了

満足度★★

 男女両刀使いの女が主人公。

ネタバレBOX

場所は渋谷、かつて紀伊国屋があった裏辺り、首都高を超えた辺りに出入りする20代前半の女の痴話である。彼女は、恐らく快楽傾向に従って男女構わず相手をとっかえひっかえしているのであろうが、自分では人間関係の距離感もデリカシーも互いの関係に働く心理的経緯や因果関係を想像し対応する能力も無いキャラとして描かれている。当然のこと乍ら、彼女の行動パターンはいつも一つで相手が男であろうが女であろうが、実家へ一緒に行きその間の言動なり母との距離の取り方が自分と完全に一致しないと不満を持ち、独り孤立してゆくことで相手を詰り、自らが悲劇のヒロインを演じたがるナルシシストであるから、必然的に「恋」は破綻する。こういう痴話を描いて一体何を観客に訴えようというのだろう? 誰も他人の痴話などに深甚な興味を覚えるほど暇ではあるまい。仮に彼女のキャラを通して渋谷という街を描こうと試みるなら、表面をなぞっただけで表現が成立するなら何の苦労もいらない。第1回目の公演とはいえ、何の為に書くのか? 何で演劇という形式で表現しようとしているのか? こんなにまどろっこしい表現形式を選ぶのであれば、それなりの主張が観客に伝わるようなエッジの立った作品にすべきであろう。
 ホントに、渋谷に屯する若い女子を描いたつもりなら、キチンと取材をしているべきだし、この街と若い女性に関する優れたドキュメンタリーを読んで研究し自分の取材結果を補完しておくべきだろう。大体、大卒の女性を“女の子”と位置づける感性自体が余りにも子供っぽい点が気に掛かる。
 今後、演劇を続けていくつもりならば大いに勉強する必要があろう。
ロミミ_The W edition_

ロミミ_The W edition_

はちみつシアター

ザ・ポケット(東京都)

2018/03/07 (水) ~ 2018/03/11 (日)公演終了

満足度★★★★

ステージミラクルを拝見。(華4つ☆)

 とある電機メーカーで働く営業宣伝部の面々。成績優秀なチーム・スカイツリーと落ちこぼれ軍団チーム・メトロ。何れが新製品の宣伝を担うかで社長直々の任命式があった。大方の予想を裏切り選らばれたのは、メトロ。而もチームリーダーは、最も仕事ができないと目されているアラヤン。(追記第1回2018.3.10 01:30 第2回3.14 0:29 )

ネタバレBOX

 アラジンの魔法のランプならぬ新商品は、ポット。お湯も沸かせます、水も出ます! ってどこが新しいの!? 託された新商品はデコラティブではあるものの、思わずそう問い返さずにはいられない凡庸な物。だが、給湯室へやってくるOLたちには秘密があった。純粋な子が真摯に願いを懸けるなら、このポットには、魔人と魔人ウーマンという2人の精霊が居て願いを叶えてくれるというのである。アラヤンはその純な心とひたむきさを認められ、願いを3つ叶えて貰えることになった。
 ところで、リーダーの役割とは何だろう? そしてリーダーになる者の資格とは? リーダーの理想形は、方向性を示し、皆を纏め上げて目指す成果を上げることだろう。こんなことは、小利口な人間がやれることではない。馬鹿ではできないが、単なる利口者には出来ないことなのである。何故なら利口者はリスクを計算して矢面に立つような愚かでリスクの多い部署は避けるからである。だが、無論、そうである限り他人を引っ張ってゆくことなどできはしない。
 その意味でこの会社の社長の人選は正しいと言わねばなるまい。これは現実にも当てはまる。
 終章、クライマックスでは、3.11及び直後の大人災へのレクイエムが描かれ極めて大きな感動を呼ぶ。(5つ☆でなかった理由は楽日以降に発表。さて、その理由は以下の通り。)
 然し乍ら、皆を助けて命を落としたアラヤンを太陽とした時、月の役割を果たしてきたジャスコがアラヤンの生き返りを魔人たちに願う時、論理としては魔人たちの新たな主人としてジャスコの位置が在る訳だから、彼女の願いを聞かないのはおかしいので、伏線としてこの点が矛盾しないように創られていれば、5評価だったのだ。
R侵食する幸福論。

R侵食する幸福論。

かりんとうばんぱく

STスポット(神奈川県)

2018/03/07 (水) ~ 2018/03/09 (金)公演終了

満足度★★★

 学生さんも参加する団体のデビュー作品。

ネタバレBOX

オムニバス形式を変形させた様式を採用している。三日月座の名が出てくる所をみると、横国の学生も関わっているようだ。若干、問題があった所を挙げておくと、間の取り方が悪かった所があった役者が居たこと、科白が棒読みになっていた所があった役者が居たこと。前者は、直前迄は板上に居て、動詞“走る”が終止形乃至連体形で終わって句点が入り次の科白、つまり後半の科白を袖で言うのだが、句点だから休止をキチンと出さなければならない点で恐らく走り込む身体動作に引きずられて間をキチンと取れなかった点に失敗の原因がある。
 後者は、母親役なのだが、充分に科白の意味する所をヴィジョンとしてイメージして演技にしていない点に失敗の原因があるだろう。単に科白を暗記することが、役者の仕事ではない。役者は科白の意味する所を、そして他の要素との関係を身体化することがその仕事である。演出はこのような点にもダメ出しをしておきたい。
 また第1話でミキが、名を知らないハズの新たな色を発見した時点で色の名を呼ぶのは、論理的におかしい。こういった点は正確に表現したい。傍にユキがいるのだから、兄に色の名を訊ねるなどリアルな表現が望ましい。
遭難、

遭難、

成城大学 演劇部

成城大学 2号館地下 002教室(東京都)

2018/03/01 (木) ~ 2018/03/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

だが、職員室内でこの証拠隠滅問題が同僚の石原によって問題化されると、

ネタバレBOX

彼女は自身が矢張り飛び降りをした経験とトラウマを負った話をする。而もそれは、当時彼女が信頼していた教師の一言が原因だったと述べるのだ。だが、その一言とは、客観的にみて当然の論理的帰結を述べたものであった。何故なら彼女が飛び降りたのは2階からでそれも植え込みに飛び降りたのだから、死ぬつもりなど本当は無かったと判断されて当然だった。だが、彼女は恰もトラウマが先で、それを自らの歪みの根拠と看做すことで己の身勝手を正当化していた訳だ。この点も石原に指摘され逃げ場を失っている。この辺りから、里見は、徐々にその狂的な性格と破綻の兆候を激化してゆく。
一方、自殺未遂を図った生徒からの相談の手紙を無視したという秘密が外部に漏れるのではないかと恐れた彼女は自己保全の為、この事実を知った教師全員の弱みを握り情報漏れを防ごうとありとあらゆる手を用い口封じを図る。その方法とは、ビデオによる職員室監視、同僚教師の携帯端末の盗み見・許可なし使用、女子トイレ盗撮を不破の企みとして濡れ衣をきせる、スキャンダルなどの要素が無い石原には共犯を強要する等々である。
 だが、里見の正体を見破った同僚たちも黙ってはいない。生徒が自殺未遂に走った責任は、一体誰にあるのか? 他人のことを思いやる人間らしさを、里見は持っているのか? 等々の追及が始まるが、他人の気持ちをホントに理解できるのか? と里見は反論するもまたしても狂言自殺を演じる必要がある所まで追い詰められた里見VS他の総ての登場人物らの論議は決着を見ないまま、人間個々人の持つエゴが、実に活き活きと而も人間の負の側面のリアルをまざまざと示して展開する。脚本も良く練られたものを選んでおり、演技も皆さん力一杯、全力を出し切るものであった。殊に皆を振り回す里見役を演じた女優さんの表現力豊かな演技を自分はとても気に入った。無論、不破と不倫関係に陥ることになった仁科を演じた女優さんも男と女の関係になる前と後とで、所作を変えることによって女性心理の綾を巧みに表現していたし、一見、引っ込み思案で優柔不断に見える石原が、実は最も芯の強い論理的な思考の持ち主であることを表現した女優さん、また心優しく受け身であるが故に里見が相談の手紙を受け取ったことが教師仲間全員にバレた後、彼女を庇って仁科に謝り続けた江國役の女優さんも、里見の実体が暴かれた後とその前の彼女を尊敬していた間の差を江國が仁科から受けた辱めと同じ形で里見に返すアイロニカルなシナリオの目指すものをキチンと具現化していた。女性全員が4年生の中、不破を演じた男性俳優だけが1年生。だが、彼も良い演技であった。演劇関係に今後関わるにせよ社会人として就職するにせよ、或いは別の道に進むにせよ皆さんのこれからが楽しみだ。
また、開演前には、校庭で遊ぶ生徒たちの声が流され、学校の雰囲気が醸し出されている点もグーだし、里見が、意識が回復した生徒に向かって己のトラウマを解消すべく放った一言が、授業の鐘の音に紛れて聞き取れないのも、原作通りか演出か分からないがグーである。

遭難、

遭難、

成城大学 演劇部

成城大学 2号館地下 002教室(東京都)

2018/03/01 (木) ~ 2018/03/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

 生徒が飛び降り自殺を図った学校の職員室が舞台である。命は助かったものの生徒に意識は戻っていない。教師は全部で4人、うち男性教師(不破)1名、他は総て女性である。
板上は、奥に出入りの開き戸、上手奥コーナー近くにロッカーが1台。中央に教師たちの机が設えられ、下手側壁に沿って縦長のテーブルが置かれている。その手前にシュレッダーとゴミ箱がある。上手客席側には、応接セットが置かれている。出捌けは基本的に奥の開き戸から。

ネタバレBOX


 出演者は他に自殺未遂を図った子の母(仁科)。教師の責任を追及すべく毎日職員室に押しかけては鬱憤晴らしをしている。生徒は自殺を図る3か月前にマドンナ先生(江國)の仇名を持つ女性教師に愛をほのめかしていた。同時に自殺未遂前には別の女性教師(里見)に手紙を書き相談を持ち掛けていたのだが、里見はこれを無視、証拠の手紙もシュレッダーに掛けて証拠隠滅を図っていた。当初、里見はこの教師集団の中で最も冷静沈着、立派な先生として登場する。
The Entertainer ~新しき旗~

The Entertainer ~新しき旗~

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シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2018/03/01 (木) ~ 2018/03/05 (月)公演終了

満足度★★★★

 時は西暦2030年頃、イカマサ博士の発明したタイムマシンで未来へ飛んだ幸音の見たもの。それは変わり果てた東京の姿だった。(志の高さを認めよう)(追記2018.3.4 02:49)

ネタバレBOX

丁度彼女と博士が時間旅行に旅立った日、東京には核弾頭を搭載したミサイルが落ち首都は大被害を蒙った。結果、日本経済は崩壊の憂き目を見た。これを受けて、昭和敗戦の時と同様、宗主国面した大国が、この植民地経営に噛んで来た。無論、彼らはこの「国」と「国民」のことは良く知っているから敗戦直後同様天皇を立て、これも敗戦時同様、駐日大使が中心となって植民地高官と話をつけ、復興の為との名目で贅沢とも言える芸能などのあらゆるエンターテインメントを禁止する法を成立させ、検閲によって弾圧した。
 だが、民衆の心は抑えきれない。隠れて表現行為を行う者達が出現、中でも演人と名乗る劇団は、ゲリラ的に出没しては芝居を演じ、規制当局が出向くと逃げる、という形で公演を打ち続けていた。幸音の辿り着いたのは、この劇団の隠れ家であった。だが、彼女は、大好きだった祖父の死に目にエンターテイナーとしての仕事に関わって居た為会うことができず、エンターテインメントは人を救うことが出来ないのではないか!? との疑念に苛まれ表現すること自体の意味を見失いかけた。
 然し、エンターテインメントが禁止されたことに抗い、命を賭けて戦い抜く演人メンバーやリンダを中心としたダンス&ミュージックメンバー達に、その意味する所を教えられ彼らと行動を共にすることとなる。偶々現天皇の唯一の子が女性であった為、立太子として遇されていたカナコと歌うことを通じて仲良くなっていた幸音達の前に、法を改悪した弾圧サイドの魔手が延びてきていた。隠れ場所を漏らしたメンバーが居たのだ。皆を助けたいとの意からではあったというが、そんなことは言い訳になる訳がない。(これは若書きの甘さとしておこう)他にはタイムパラドクスの処理が拙いことが挙げられる。
 志の高さは評価するが、上に挙げたようなことをキチンと処理することも、今後演劇界で生きてゆく為には必要である。
 一方、表現することを全うしようとする行為は、自由を要求する行為と読み替えることも可能だろう。こう読み替えてみれば、今作は、どんどん為政者側だけに有利な法や状況が創られてゆく現実の日本に対する真っ当な異議申し立てでもあるということが出来よう。
PIGHEAD 蠅の王

PIGHEAD 蠅の王

ワンツーワークス

赤坂RED/THEATER(東京都)

2018/03/01 (木) ~ 2018/03/11 (日)公演終了

満足度★★★★★

 原作のLord of the fliesから翻訳タイトルと状況設定という枠組みは借りているが、内容のテイストは、寧ろサルトルの「蝿」に近いかも知れない。(必見 花5つ☆)

ネタバレBOX

状況設定を借りているといっても絶海の孤島に閉じ込められた子供達を描いている訳では無論ない。原作からインスパイアされたのは、人間集団が隔離状態に置かれていること、その結果争闘が生じ尖鋭化してしまうことである。
 描かれる人間集団はサラリーマン。私見によれば、サラリーマンとは、即ち仕事ができるとかできないということより寧ろ人間関係のプロという印象が強い。国鉄民営化辺りから労使関係改悪の縺れ対策として、全国的に用いられた手法が苛めであった。その特徴は端的に言うと、苛めの陰湿化である。結果、親の背中を見て育った子供達が学校で、実に陰湿な苛めを実行することになったのは周知の事実である。
 以上のような社会観察から、自分が結論したのは、内実としては、ユマニスムの伝統を持つフランスで無神論的実存主義者であったサルトルが、その慧眼を以て民衆を含めて批判の目を向けている点が、そして蝿の王たるベルゼブブが人間の影の王として君臨する構造を明らかにしていることが、正しくユマニスムという単語の持つ主要な2つの意味、1つは人間主義とでも訳せようが、もう一つの何が人間かを観察する態度によって冷静に描かれている点である。ラストが読めない訳ではない。然しそれが舞台で視覚化されたことが与える衝撃は震撼すべきものであった。実際、背筋を戦慄が走ったのである。
 脚本・演出の素晴らしさ、隙の無い演技と効果的な面の使用、音響と照明の頗る効果的な使用、機能的な舞台美術がいやがうえにも醒めた緊迫感で迫ってくる。
『戦争戯曲集・三部作』

『戦争戯曲集・三部作』

劇場創造アカデミー

座・高円寺1(東京都)

2018/02/22 (木) ~ 2018/02/25 (日)公演終了

満足度★★★★★

 “大いなる平和”と題されていることから、陳腐な平和の毒についての記述かと思っていたら、トンデモナイ。(花5つ☆)

ネタバレBOX

第三部も緊張の連続であり、いい意味で裏切られた。
 客観的状況は一・二部と変わらない。何せ核戦争で地球上のありとあらゆる地域が汚染され、人々は被ばくの恐怖と寄り添う形で生きてゆくしかないのだ。動植物の殆どが死に絶えているから、食糧確保も並大抵の苦労でないのは、砂漠化したエリアでの生活が描かれるパートでは同様である。
 第1部では、組織を代表する軍隊の論理を貫徹する為に用いられる論理と組織維持を最優先することを前提とし得る状況の、前提条件が言外に描かれていた。同時に一旦始動した軍が、争闘の論理を、軍の規律を守るという規則の論理にすり替え、他の一切の論理の可能性と考えるという行為を圧殺する模様が描かれた。
2部では核爆発の猛威によって、自らの生と死の判断を下すことすらできなくなった人々や、核爆発は生き延びコミューンさえ作って発見した缶詰を食糧に何の苦労もなく生きていた人々は、新たに生きている人間に接し、幸か不幸かコミュニティーメンバーが死んだことからパンデミックを疑い、境界領域で猜疑心を膨らませ、それによって自滅しかける様を悲喜劇として描くアイロニーパート。
 第3部は、漸く数々の試練を経た後にも生き残った人々相互は、互いに出会うことになったが、個々の自由とシガラミとの葛藤の中で結局何をどのように選ぶのか? という問題に関しては総てを統一的に捉えることのできる論理・実践を見つけ出すことができない、というこれまた皮肉な結末。
だが、如何にも西洋の戯曲らしく、個々人の自由が最優先されてその意味で、救いが無い訳ではない所に救いを見出すことはできよう。何れにせよ、大変な傑作である。
『戦争戯曲集・三部作』

『戦争戯曲集・三部作』

劇場創造アカデミー

座・高円寺1(東京都)

2018/02/22 (木) ~ 2018/02/25 (日)公演終了

満足度★★★★★

 現代イギリスを代表する劇作家の一人、エドワード・ボンドの戦争戯曲三部作の第一部、第二部である。(花5つ☆)

ネタバレBOX

かつて日の沈まぬ国と謳われ世界の覇権を握っていたイギリスは、多くのエリートが母国を見限り去った後も、それなりの国力を維持し、現在も国連の常任理事国5か国の一つを占めている。かつて支配したエリアへの三枚舌外交などで未だに解決不能な問題の種を播き散らし、キチンとその尻拭いをしていない国であるから、国内でテロを起こされ、テロ対策を名目として様々な軍事行動を起こしたり、軍需産業を維持しているという実態もあって、日本で暮らす我々より遥かに戦争に対する認識がリアルである点に、今今作を日本で上演することの大きな意味があろう。
 戦争を始めるのは比較的容易い。終息させることに比べれば遥かに容易いのであるが、この程度のことも、今の日本人の多くが理解していない。だからネトウヨのような好い加減が流通するのである。
 今回の上演は、卒制という位置づけである。役者陣は皆若いが基礎をしっかり学び、実にいい仕事をしている。身体の用い方は無論のこと、三作全編を通じて一人だけ滑舌(発音が不明瞭・生得的なものでこれを直すとすればそれこそ命懸け)な人が居たがそれ以外の人は皆科白の通りも良く素晴らしい演技であった。
 舞台美術はシンプルだが、効率的・効果的であり、殊に正面スクリーン下に描かれた空景は、照明とのコラボで実に効果的に用いられていた。
 演出もエッジの効いた素晴らしい出来であり、核戦争後の荒廃と僅かに生き残った人々の心理を見事に浮き上がらせている。無論、原作の素晴らしさ、訳・脚本の良さは前提である。
疫病神

疫病神

ピヨピヨレボリューション

北とぴあ つつじホール(東京都)

2018/02/21 (水) ~ 2018/02/25 (日)公演終了

満足度★★★★

 何もかも順風満帆に思えたメグの人生はその絶頂を迎えようといた。

ネタバレBOX

大好きな恋人との婚約も決まり“もう産んでもいい”と内心思えるような幸福が目の前にぶら下がっているのだ。だが、その絶頂期に彼女は、頭痛や軽い捻挫、腹痛やイライラに苛まれるようになる。否、前からそのようなことはあったのだが、殊更それらが気に掛かるようになり、それに応じて仲間や友達が、実は自分を嫌ったり排除しようとしているのではないか? 本当は実力も無い癖に演出家との関係でいつもいい役に就き華やかな役を演じて‼ と妬まれているのではないか? 等々の疑義が湧き彼女を苦しめるのだった。遂にそのヒステリー症状が嵩じて、我を失い大切な人々を攻撃し始めた時、大切な人絡みの推薦もあって彼女は優秀な精神科医の下へ通うようになった。彼女を再生させたのは、まず自分の症状をノートに記し、実際何が起こっているのかを知って、自らの内部を客観視すること。彼女は自分の中にあるトラウマや他者との関係を見つめ直すことができるようになった結果、自らが疫病神であるとの認識から、自分に取り憑いた疫病神と対峙し戦い勝利するに至った。だが、物語はこれだけで終わらない。消されようとする疫病神も自らの精神作用が産んだ歪と捉えた彼女は、遥かに大人になり、疫病神を抱えたままコントロールできるようになっていたのである。
 この過程を歌あり、踊りありという形式で表現、楽しめる。
かくしごと

かくしごと

AiRi演出・振付公演

Half Moon Hall(東京都)

2018/02/22 (木) ~ 2018/02/23 (金)公演終了

満足度★★★★

 振付・演出は1995年生まれの22歳。出演者は6人、白と黒のコーディネイトが基調であれば、衣装の形は自由である。だから、一人一人の衣装は異なる。だがこれでは、表面さえ異なれば内実が仮に一緒であっても問題化しない、という意地悪な解釈すら可能であろう。
 何れにせよ“隠し事”というタイトルはかなりのインパクトを持つ。(追記2018.2.24)

ネタバレBOX

で、肝心の内容についてだが、ダンスの技術は一応合格点。然しながら若干厳しいことを言うと動から静へ移る動作の中で静止ポーズをとる際、キチンと静止できる人は非常に少ない。プロを目指すのであれば、こういう点でぶれない所まで体を鍛えておかなければ話にならないのは無論である。
 ラストに近いパートで3人が各々、目、耳、口を手で塞ぎ、見ざる、聞かざる、言わざるを演じ、2人が拘束され、捉われたり・何らかの行為を受ける役を演じ、残る1人がマジョリティに紛れ込むことで己を消し“我関せず”という姿勢を演じるのだが、このパフォーマンスは強烈である。
真に苦しんでいる人々に対するシカトは、日本人の本質的特性だからである。無論、自分は絶対的安全圏に立った上で、気の毒な方々に対して援助を惜しむようなことを日本人はしない。然しながら、少しでも自分自身にマイナスになると考えると上記のような態度で臨むのが日本及び日本人の本質であろう。この点に対して恐らく殆ど無意識に創られたこのパートが鮮烈な光を放っている点が興味深いのである。
『RUR』

『RUR』

「戯れの会」

学習院大学西1号館特設劇場(東京都)

2018/02/22 (木) ~ 2018/02/25 (日)公演終了

満足度★★★★★

 原作はチェコの作家・ジャーナリストとして活躍したカレル・チャペックが1920年に発表した「RUR」初演は1921年である。

ネタバレBOX

元々労働や賦役を意味する“robota”というチェコ語から語末のaを取り除いて創られた造語で、これが現在のロボットという言葉になったことでも有名な作品であるが、興味深いのは、現在我々がロボットという言葉からイメージする金属や超合金、歯車や様々に組み合わされた駆動装置とコンピュータは、今作のロボット概念とは全く異なるという点である。寧ろここで描かれたロボットはフランケンシュタインやその後医学分野で発展するDNA操作などによって創造される“生体”としてのロボット(ヒューマノイド)なのであり、その目的は安くて合理的な労働力の供給である。
 極めて重要な点は、この“生体”としてのロボットが、人間をして正しく生き物としてのロボットという認識に至らしめることである。今作でロボット解放を提案するのが、母性を持つ人間の女性であることは極めて示唆的であるといわねばなるまい。また時代的にも近い1926年の映画フリッツラング監督の「メトロポリス」が、極端に機械化された社会に於ける搾取される労働者階級と資本家というテーマの作品を描き、女神が労働者の救世主として描かれていることも考え合わせると極めて興味深い。
 また歴史的事実に即して言えば、10月革命以降、実権を掌握したボルシェビキが1918年~干渉戦や内戦を何とか終息させ22年ソヴィエト連邦を成立させるに至った。
 世界初の社会主義国家誕生のみならず第1次世界大戦が勃発して長い戦争の時代が続いた後、世界は再編されるに至ったのでもあり、極めて変動の激しい時代であったということができる。それまで支配的であった為政者の顔ぶれも大いに変わったのである。恰も現代の価値観の大変動に拮抗しているかのごとく。
舞台『想咲の結』(そらのむすび)

舞台『想咲の結』(そらのむすび)

ヒエロマネジメント

ウッディシアター中目黒(東京都)

2018/02/20 (火) ~ 2018/02/25 (日)公演終了

満足度★★★★

 娘2人、息子1人の5人家族。父は工場勤めの工員でいつも作業着を着ていて授業参観でもこの服装で来るので娘は恥ずかしくて堪らない。(追記2018.2.24)

ネタバレBOX

おまけに運動会では、大声で応援団式のエールを送るのだ。姉の優花は成績も良く、しっかり者だが心臓が悪い。何時も姉と比較される次女・志織は矢鱈と反発、長男でサッカー好きの浩介も距離を置いている。思春期の難しい子供達を抱えた母は、何かと口やかましい。父はそんな母の気持ちと子供達の間に立って、わりに呑気な風を装っているが、家族思いの優しい父である。こんな、どこにでもありそうな一家に訪れた姉、妹の尖鋭な対立。弟の問題行動、母の癌死を通して家族の絆、再生が描かれる。
 さて優花は、大学を諦めて就職した。自分の医療費が家計を圧迫してきたこと、弟妹の進学を考えるなら自分が働いて少しでも彼らの将来の為に軍資金を調達しておきたいことなどである。更に母はとても大切なことを亡くなる前に話していた。それは、優花は、血の繋がりが無い子であるということだった。父には、絶対内緒と言われていたことだが、志織の反発や浩介がサッカーを止めて荒れていたのは、単に自分が花形選手ではなく、そう言う事が分かったら、自分の居場所も失くして暴れていたのだと悟る。そして改めて顧問に再入部を申請した。
 一方優花は、心臓ドナーが現れる可能性の低いこと、求婚者の父が主治医で医者として何時発作を起こして死ぬことになるか分からない娘を、それがどんなに良い子であっても息子の嫁としては迎えられないと強行に反対されたことから、愛する者の為に身を引く決意をするが、工員である「父」が主治医に命を張って懇願した為、もし育ててくれた父に何かあった場合、ドナーとして彼の心臓を移植するという約束をしており、交通事故で亡くなった為、父の心臓を移植、適合性は高いだろうと判断されていた通りであった為、オペは成功、目出度く求婚者の求めに応じることになるという結末。
 牽強付会だとの批判もあるかも知れないが、人間関係の基本にある不信とそれを解きほぐす恐らく唯一の感情である愛情を描き、涙を誘う作品である。
search and destroy

search and destroy

うんなま

王子小劇場(東京都)

2018/02/17 (土) ~ 2018/02/18 (日)公演終了

満足度★★★★★

 演出手法がユニークだ。

ネタバレBOX

現在の日本で暮らす若者の心象風景が見えるような設定が、ストーリー展開からも、衝立に張られた様々な単語から強制される体制的イデオロギーや方向付けからも見て取れる。
決して荒々しくはないが真綿で首を絞めつけ、逃れようともがけば、反抗的と目され、人々の目の届かぬ片隅に追いやられた上、反抗の根を絶つ迄陰湿極まる苛めや扱いを受ける。これが、この植民地の実体であり、為政者及びその取り巻きは、宗主国の顔色を窺ってばかり、結果宗主国の意を忖度して、自らの本当の主人である「国民」の窮状には一切顧慮せず、かつての発想同様一銭五厘で使い捨てようと日々邁進しているのである。
その結果多くの場合、反抗しても糠に釘、暖簾に腕押しという鵺のような社会へのふがいない蟷螂の斧に終わらざるを得ないような、腐敗臭すら防臭した底なし沼がそこかしこ・至る所にその暗渠の大口を開いている。
一方体制側は、膨大なフェイク情報を流し、ファクトを告げる者達にはその職を干して口を封じ、嘘と無責任で世情を覆い尽くすと共に、大手メディアに対しては甘い汁を吸わせることによって大本営発表だけを配信させる。つまり真に必要な情報を隠し、偽情報の大津波を浴びせかけることで“恰も「自由」を享受する社会に生きて居ながら情報に溺れて正しい情報にアクセスできないだけだ”とのスタンスを作り上げ操作することができる為政者サイドは、翻弄された大多数からの・翻弄された末に痛い目を見た主体として、エポケーに陥った若者達からの異議申し立てを受けることになった。例えその異議申し立てが、既に言葉にもならない、呟きにも満たない亜語であるにしても、彼らは社会的存在であることを殆ど止めることによって、この異議申し立てを完結するのである。極めて鋭くアイロニカルな作品。
川、くらめくくらい遠のく

川、くらめくくらい遠のく

ムニ

新宿眼科画廊(東京都)

2018/02/16 (金) ~ 2018/02/18 (日)公演終了

満足度★★★

 ある街に住む普通の人々の起きてから寝るまでの日常を、唯淡々と抑揚を押さえた棒読みのような発声と単純な動作の繰り返しで延々と描く作品。

ネタバレBOX

その余りの非演劇的表現によって一体何を否定したいと願っての表現なのか? という単純な疑問が湧いたので、帰宅後、入場時に貰ったメモに記されていた制作過程を見ることができるというURLにアクセスしてみたが指定通りに入力したURLは存在していないという以外の情報は得られなかった。
 以上の条件でつらつら考えてみると、否定的に表現したかったもの・ことがあるとすれば、それは、この余りにも凡庸な日本の庶民の持っている存在自体の腐敗だという考えが浮かんだ。日本人は内側から腐っていて、既に自力で回復することはできず、それを望んでもいないということだとも取れる。だとしたら、この先に待っているもの・ことは唯一つ、滅亡である。
 
テンペスト

テンペスト

劇団つばめ組

シアター風姿花伝(東京都)

2018/02/15 (木) ~ 2018/02/18 (日)公演終了

満足度★★★★

 この換骨奪胎ぶりをどうみるかで評価が大きく分かれよう。(花4つ☆追記2018.2.24)

ネタバレBOX

 開演前の前説が結構変わっている。翻訳物の難しさ、即ち各言語の単語レベルに於けるコノタシオンについての説明があるのが面白い。コノタシオンとは、単語が内包する意味内容のことである。同じ単語がいくつも意味を持つ場合、この各々の意味の総てがコノタシオンの内容であるということだ。今作のタイトルで言えば“テンペスト”という単語は嵐と訳されることもあれば、大騒ぎ、バカ騒ぎと訳されることも在る訳だが、日本語では一語でテンペストの持つ内包を表す単語が存在しない。そこに翻訳の難しさが存在し、原文の持つニュアンス総てを翻訳し切ることはできないというのは、このようなことである。このようなことを、前説仕立てで説明すると共に、原作の換骨奪胎を宣言してもいる訳である。
 実際に演じられた内容を観ても、この解釈は変わらない。
 原作の内容については、述べない。そも演劇に興味を持つ者にとってシェイクスピアは、小田島さんの全訳を含め、少なくとも翻訳では全巻読んでいて当たり前だから、粗筋などは述べない。
 ナポリ王、ベニス大公の因縁にプロスペローとエアリアス、王子と大公の姫との恋等々を交えつつ政治の持つ本質的瑕疵としての裏切りや権謀術数、権力争いの趨勢などと共に、それらが収束する形として相互認知と信頼・融和が対置されていることにも注意したい。これは、単に観客に対して作家が作劇術として選んだハッピーエンドというより、このような方法でしか人間社会の健全は保てないという原作者・シェイクスピアからのメッセージかも知れない。
耳障りなシンフォニー

耳障りなシンフォニー

tYphoon一家 (たいふーんいっか)

新井薬師 SPECIAL COLORS(東京都)

2018/02/17 (土) ~ 2018/02/18 (日)公演終了

満足度★★★★

 父の遺言(リヴィングウィル)によって脳死判定で生命維持装置を外すことに同意した兄弟・姉妹5人が集まった。

ネタバレBOX

セットは、病院の待合室といった風情。ソファの左右に椅子が若干並べてある他、ソファ前には小振りのテーブル。
 背景には背景が透かし見える幕。ここからピアノの音が聞こえるが、それは彼らの父親が良くピアノを弾いていたことに内容が密接に関連するからであり、このことがこの物語で重要な役を果たすからである。(因みに電子ピアノは生演奏で設定上はピアノバー)
 日本は、常に先頭に立つことを嫌う官僚たちの小賢しい判断の為、唯一の原子爆弾による被爆国であるにも関わらず正しいことを積極的に推し進めることができない「国」であるから、リヴィングウィルについても本人の生前の意志を尊重できない。オランダなどヨーロッパ先進国と比して雲泥の差がある。然しながら高齢化社会は否応なく進み逆三角形を為す人口構成の中、植物人間化した親族を養わねばならぬ残る家族の負担は増大するばかりである。人倫の問題については聊かの議論が必要でるが、家族の気持ちの問題は、家族自身が判断すれば良い問題であって、国家が判断すべき問題ではあるまい。こういった現在進行中の実際問題にも目を向けさせる作品である。
 この一家、母が早くに亡くなっていて一番年上の長女が母代わりを務めてきた。年齢的には次が長男、次男、次女、末娘である。長男が、一番だらしが無く家業のワイナリーを継いだものの倒産寸前迄経営を悪化させた挙句、逃げをうったためずっと他の兄弟と会わずにきた。その穴埋めをしたのが、銀行勤めを止めて兄の代わりをした次男である。次女は売れない陶芸家と結婚していて、美術品ギャラリーを経営しており、陶芸家は妻に食わせて貰っているので、長女には受けが悪い。末娘はTV局のアシスタントディレクターである。
 兄弟間のいざこざは、いつも肝心な時に嘘を吐き逃げてばかりの長男を、父の生命維持装置を外す日とはいえ、何故呼んだのか? に対する紛糾と次女夫妻の経済問題、母代りに皆の面倒をみて来た姉の揮う強権に対し、各兄弟が選んだ人生についての鬩ぎ合いを通しての現状理解と納得が得られる。この間兄弟間の紛糾に何くれとなく関与しモデレイトするのが、唯一の他人である陶芸家である。彼の介在もあってラスト、父の大好きだった曲が皆を一つにする。
皆殺しの天使

皆殺しの天使

“STRAYDOG” Seedling

ワーサルシアター(東京都)

2018/02/14 (水) ~ 2018/02/18 (日)公演終了

満足度★★★

 ストレイドッグとワーサルシアターの提携公演ということだ。ストレイドッグサイドは、若手の出演である。最近若い人たちの舞台に多く登場するのがダンスシーンなのであるが、殆どの場合、このシーンと物語の間にダンスシーンがなければならない必然性が無いのが実情である。今回の作品もこの例に漏れなかった。

ネタバレBOX


 ドラマツルギーに対する否定的な態度を鮮明にし、今迄の演劇理論に対する批評として機能している訳でもない。何ら必然性の無いこのような手法は感心できない。今回のダンスシーンは、レディースで踊り自体はかなり上手いだけに残念である。ダンスシーンを入れるなら、シナリオレベルで踊りが必然的に必要になるシチュエイションを設定するか、メタ演劇としてこれまでの演劇手法を批評するような視座をキチンと提示すべきであろう。
 弱者に対する温かい視座はグー。例を挙げれば、外国人差別やジャピーノ(ナ)に対する差別を糾弾している点などである。今作に登場するバーの店主が娘として育てているジャピーナが、オーディションで自らの生い立ちから来る実母の国への憧れと戻りたい希望を述べるくだり、よりましな暮らしを求めて借金をし日本へやってきたものの、借金を返済する為に体を売らされている麗花の魂の底にある可憐と純情は心を撃つ。それらを理解できる日本人が実は詐欺まがいの男であるという点も素晴らしい。
 これに対するに警察の対応は、法的には理解できても根本問題を解決する為に用いるべき方法でないことは明らかであり、掛かるが故に、弱者がヤクザの支配下で呻吟せざるを得ないという実情が担保されてしまう。
 このような問題を炙り出してくれた点は評価したい。気に入った役者は、ジャピーナ役、麗花役そして詐欺師役、医者役の4人。
人形の家〜neo TOKIO DOLLS〜

人形の家〜neo TOKIO DOLLS〜

劇団ドガドガプラス

浅草東洋館(浅草フランス座演芸場)(東京都)

2018/02/16 (金) ~ 2018/02/25 (日)公演終了

満足度★★★★

家出女房はノラならぬオラ。流れ着いたは錦糸町、その名も人形の家なる踊り子キャバレー。ここに流れてくる奴は、皆心に傷持つ者。オラも無論例外ではない。然しながらその傷口が決してその痛みによって焦点を形作らないのも、ここが中心性を喪失しているからだ。華4つ☆(第1次追記2018.2.20第2次追記2.24)

ネタバレBOX

   
 武家社会になって以来、実権は都の遥か東の地に在りながら都は千年以上西に在り続けたという近代以前の長い地域史も関わるかも知れない。この雅な都市に於ける中心性の喪失は、都市と農村という対比の中にも現れているが、二項対立だけで片付くほど単純ではないのは、更に農村部を侵食する空虚を象徴するもの・こととしてノラの借金の原因・パチンコが機能していることをみても明らかである。
 ではこの地域に根付いた空虚を実体化させる為にどのような解決策が、伏線として張られているかについてだ。
 先ずは想像妊娠する才能が、探偵という職業のアンテナとして機能している有明が登場すること。女性であること、即ち子を孕み、産む可能性を通して、未だ定かならぬ未来に対する想像力を否応なく負わされる立場であることが、この空虚を埋め得るものとして提示されていることが大変重要である。
 但し、同じ探偵事務所に所属する助手でレスビアン的傾向を持つ常盤のキャラクター及び、彼女が探偵見習いの蟹蔵というアンチキリスト(ヴァンパイア)に血を吸われる存在である点も見逃せない。而も蟹蔵の自己認識は“死んで埋められてやがて来る甦りを待って、遂に永遠の生を持つに至るだけなら救世主と変わらない存在だが、時折血を啜らなければならないマイノリティー”だ。だからヴァンパイアではありながら、噛まれた人間が総てヴァンパイアになる訳ではなく、実際常盤は永遠の命を授からない。(これには中心性の喪失という命題も関わってこようが)
 無論ノラの新たな恋人として浮上する鞠男が、キリストを暗示し、彼との新たな恋を通してノラの新生をも示唆している点も、空虚に対するアンチテーゼとしての人々の念を集約する結節点を構成している。
 同時に錦糸町の全生物体系の頂点に立つ、No.1ホスト生島と人形の家No.1絵島が、仇花世界の住人同士であるに関わらず“マブな恋”をしていることも。この意味する所を正確に理解し支える人形の家のママ、ローズが存在していることも極めて重要である。
また、非人間性の極北たる大銀行の突撃隊長であったサラ金大手・武不死メンバーが、法改正の煽りを喰らった為とはいえクライアントに対して軟化した態度で接している点にも注意したい。無論、不死の文字が社名に入っている以上表層の変化をそのまま受け取る訳にはゆかないが、社長の不死丸がコートの下は裸同然の姿で登場する点、探偵達のクライアントである点には、人情という被膜が貼られて目くらましの役割を果たしていることも見逃せまい。
 即ち、錦糸町という街が空虚の入れ物として機能する都市であり、この空虚を埋める為にこそ踊り子キャバレー“人形の家”の面々、錦糸卵のホスト達、武不死メンバー、そして実体である地方を象徴する、オラの元亭主・兵米が登場するのである。
 今作が、小劇場演劇としては極めて珍しく二幕物である点も示唆的ではないか。一幕での空虚は、蟹蔵に血を吸われた一夫は永生を得ること、新たに街を仕切ろうとする輝彦や牡丹がスマホを用いSNSを機能させて集まる理由を純血などでは無く、不安だとその真を抉り出して見せていること、更に頂点に立つ者が時として実際に用いる支配術“気まぐれ”と“見せしめ”によって恐怖を植え付け、怯えさせることによって縛りを掛ける術といった誰にも分かるリアルが嵌め込まれている点も見逃せない。無論、有明が想像妊娠ならぬ想像出産までして虚を実数化している点も見逃すことはできまい。(数学に出てきた虚数を考えてみること)

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