ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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おどる韓国むかしばなし『春春~ボムボム~』

おどる韓国むかしばなし『春春~ボムボム~』

あうるすぽっと

あうるすぽっと(東京都)

2019/07/20 (土) ~ 2019/07/28 (日)公演終了

満足度★★★

 板上に何層にも様々な文様を描いた、これまた様々な地色の大きな紙が縦横無尽に置かれていたのを、踊りながら演者が剥がしてゆくと季節が変わり景色が変わってゆく。オープニングでは強い北風の音の中、光の入った奥のスクリーンの手前を右上がりに延びるスロープが浮かび上がるまでは実に見事なのだが、群舞では、各々の動作タイミングが意識的ではないズレを生じて折角の画面を台無しにしてしまった。時間的な制約もあるであろうが、多くの子供達が観る舞台だ。もっと鍛錬して欲しい。群舞の動きは途中からやや良くなってきたので序盤はウォーミングアップ不足かも知れない。群れで演じる人達も一人一人が演出もしているスズキ氏と同等の動きやセンスを目指して欲しい。不幸にして既に大人になって仕舞った我々は子供達に一流の芸を見せたいではないか。
 演出、照明、音響、吊り具などの使い方がグー。(華3つ☆)

しだれ咲き サマーストーム

しだれ咲き サマーストーム

あやめ十八番

吉祥寺シアター(東京都)

2019/07/19 (金) ~ 2019/07/24 (水)公演終了

満足度★★★★★

 吉原には「八朔」という行事があったという。柑橘類の話ではない。文字通り旧暦の八月一日のことである。家康が天正十八年八月朔日に江戸に入ったことを記念して各大名、旗本、御家人などは白装束で将軍に拝謁したのだが、江戸庶民にとっては、吉原の遊女が白小袖を着て客を迎えたことを意味した。未だ暑い盛りであるから白い小袖は、雪の純白や純な娘にも通じ、粋を尊んだ江戸っ子達の人気を博したようだ。(新暦では大体8月末頃)(追記2019.7.24)

ネタバレBOX

 無論、この物語の面白さは、八朔にだけあるのではない。この時代の日本では“嫐打ち”という名の面白い風習があったのだという。(今作の時代設定での江戸が寛政以前であることは、それ以降にはこの風習が廃れているから明らか)どんな風習であったかというと三行半を突き付けられ離縁された女房の亭主が一月以内に新たな祝言を上げた場合、前妻は徒党を組んでカチコミを掛けることが出来たというのだ。応戦する側にも助っ人は認められていた。一応、刃物を持って戦ってはいけないとか、器物の打ち壊しは構わぬが、人を叩いてはならないなど規則があったようだが、無論、怪我人は多く出たそうである。唯刃物は禁じられていたので、獲物は台所や家庭にある箒や擂粉木のような家事道具の類であったらしい。何れにせよ、チャンと果たし状のような物を相手に送って、それに返書も届くのだが、今作ではどちらも候文が用いられていて、流石に和物に強い劇作家だと感心させられることしきり。現代の我々が極めて面白く感じるのは、カチコミ掛けるのに、挨拶も糞もネエだろうという現代日本人の感覚からみるとホントに滑稽なのが、この名乗りというか挨拶状のやりとりで、こんな悠長なことが成り立っていたこと自体、当にジョークである。
 閑話休題、火事と喧嘩は江戸の華とはよく言ったもので、映画の「吉原炎上」の時代設定は明治末頃とされていて関東大震災の時ではないが、大震災の際に大門を開けてもらえず多くの遊女が亡くなったことは誰でも知っていよう。花魁ともなれば高嶺の花でもあった訳だし、この後述べる東薫が大門の内に入れなくなったのは、彼が放火してボヤを出した話も出て来るのでこの連結にもそう無理はあるまい。
 更に面白さを増すのが、この脚本のメタ構造である。5年の間に元同門の落語家3名のうち、1人は真打となって白菊の跡目を継いだが、師匠の娘、袖は弟弟子の東薫に取られている。というのも東薫は中々の色男で袖がゾッコンだったが為だ。然し、東薫は、兄弟子から貰った金で同輩の岩鼻と共に出向いた吉原で鬼瀬川という花魁に入れあげてしまう。東薫は新婚ほやほやにも関わらず、袖に離縁を迫るが一向進展せぬまま5年が経った。岩鼻はこの間に戯作者として名を成していたが、白菊から新作落語を、吉原の大店からは、八朔に行われる俄か狂言の脚本執筆を頼まれる。そこで吉原の有様をつぶさに観察できる部屋に住み込み、取材を始めるがその際、身の周りの世話役に朝蛾於という遊女をあてがわれる。岩鼻は、精緻な取材の結果、筋だけを組み立て、登場人物達そのものを差配して落語の新作と俄か狂言の脚本のクライマックスを同時に八朔当日に仕組んだ。つまり今作は、岩鼻という劇中に登場する戯作者が書きあげたシナリオを劇に登場する人物達が演じるという構造になっている訳だ。無論、現実には実際の脚本を書いた実在の作家が、総てを計算して書いている訳でこの幾重にも重ねられたメタ構造自体が極めて楽しめるものとなっているのだ。この複雑な面白さに比べたら、Vチューバー・のよという名のバーチャルアイドルとその制作者達、落語と俄か狂言の連結、何となく現代日本と江戸のそれが重なりあっていることなど取るに足りまい。あちこちに敷かれた伏線から、東薫狂乱の場などはシェイクスピアの「マクベス」敗退の場面を彷彿とさせるし、実際に今作を書いた劇作家は、江戸時代の作家として日本のシェイクスピアと謂われる近松門左衛門や戯作者井原西鶴現代日本版を目指しているのかも知れないなどとも感じさせる。
 登場人物の中で最も気に入ったのは岩鼻、朝蛾於。
律儀な強盗犯

律儀な強盗犯

ウィークエンドシアター

ARISE 舞の館(東京都)

2019/07/06 (土) ~ 2019/07/21 (日)公演終了

満足度★★★★

 律儀な強盗という発想自体がユニークなのだが、こんなコンセプトを聞いて自分が思い浮かべたのは飛翔力の乏しい“説教強盗”であった。然し、今作は遥かにこんなありきたりを超えている。大体、強盗に走った動機が非凡である。だって善意の塊なのだ。どんな風に展開するかは観てのお楽しみ。50分強の中編で、入り口で履物を脱ぎ、ドリンクをオーダーすべし。観る価値は無論充分あり。(華4つ☆ネタバレ追記2019.8.26)

ネタバレBOX

 さて、肝心の内容であるが、この強盗は郵便局に押し入る際に犬の仮面を被り、玩具のナイフで脅し局員に必ず返すと言って強盗を犯したのである。而も動機は会社の先輩が彼に借りた金の返済期限に金を返せず、詫びを入れてきたのだが、当てにしていた金が無いと自分達の結婚式場の資金が出ずにっちもさっちもいかなくなることであった。実際に起こったことだというから猶更驚く。事実は小説より奇なりとはよく言ったものである。
ハナイトナデシコVol.9

ハナイトナデシコVol.9

ハナイトナデシコ

ギャラリーサイズ(東京都)

2019/07/19 (金) ~ 2019/07/21 (日)公演終了

満足度★★★★

 誰のせいでこんな人生生きてんの? (華4つ☆追記後送)

ネタバレBOX

 個人情報を守る為と称してマスクを付けて下さいとの指示に従って目元を覆うマスクを付けて入場した1人目の女、ネット時代らしい注意事項だが、入室すると部屋に置かれたパソコンを覗きこむ。何でもゲームは3人揃ってから始めること、部屋には爆弾が設置してあり、嘘を吐くと爆発することなどが伝えられる。追々他のメンバーも集まってくるが。本当に爆弾が爆発するか否かは分からない。が、パソコンのある机上には段ボールに入った荷物があり、それには爆弾と書かれていた。集まったのは女2人、男1人の3名なのだが、初めに女、次も女と続く中、3人目が女なのか男なのかで、次が男の人だったらどうしよう、といったと戸惑いを描き込む点、如何にも女性作家らしい視点が男の自分にとっては新鮮だ。世の中で新鮮なのは、イマジネーションの強烈なライバル、子供と、謎の存在、女性である。まあ、こんな個人的なことはどうでも良い。
 ハナイトナデシコの作品を書いている劇作家の優れている点は、劇的な状況がどのような設定で可能か? を良く心得ていることだ。今作でも、爆弾が目の前に存在していることからくる緊張感は、ホントに爆発するか否かに関わりなく極めて重大である。何故ならその緊張感がひしひしと観客にも共有されるからである。実際に爆弾が身近に置かれたら生きた心地がしないほどの恐怖を感じるだろう。こんな緊張感の只中にいきなり、ニュースになったブラック企業勤めだった人が、実は最後に入室した男の兄であるという事実が告げられ、而も兄が不眠不休で開発したプロジェクトは他の者に横取りされ、横取りした人物は評価されて2週間海外有給休暇を与えられる。横取り野郎の欠勤分の仕事は兄が担った。こんな悲惨なおまけつきの現実がいきなり開陳されるのだ! 働き過ぎで兄は精神を病み療養中である。
 これって、まともに働いてる人達には、自分のことと重なる日本の現実じゃないのか? 判子押してるだけの奴が高い評価を受けてドンドン出世してゆき、一所懸命,当に身を粉にして働いている自分達は派遣でいつ切られるかも分からず、給料も安い。恋をしてもデート代すらない。こんな人生を一生強いられるのは、目に見えているのではないか? 拝見しながら去来するのは、こんな現実、人生の深淵である。
「晴れの日のクロニクル」
 Mask gameをゆるやかに継承しつつ展開するゲーム終了3か月後の不条理劇。お姉ちゃんの見合い相手は最後迄登場しないのだが、これがベケットの「En attendant Godot」最大の問題点、ゴドーの出現しないことを意識的にベースにしているとしたら、凄い。
無伴奏~消えたチェリスト

無伴奏~消えたチェリスト

劇団東京イボンヌ

サンモールスタジオ(東京都)

2019/07/17 (水) ~ 2019/07/21 (日)公演終了

満足度★★★★

 ”消”を拝見。(華4つ☆)

ネタバレBOX

 舞台美術のセンスが素晴らしい。板手前中央に置かれたテーブルの脇に置かれたベンチはハの字に広がったものだし、奥正面のガラス窓の奥には植え込みが広がり、其処を通る役者達の微妙な心理描写まで手に取るように分かるだけではない。上手奥に据えられたバーカウンターに付けられた椅子の足は座部下中央から四角錐状に延び、下部を円環が接合したお洒落なデザイン。更にこのカウンターに座った客らの姿がほぼ対角線上の壁に付けられた大き目の鏡に映り込む。出捌けは上下1箇所づつの計2箇所。これも変則対角線上に位置しているなど非常に優れたセンスを感じさせる。音楽に纏わる作品を上演する劇団だから、今回生演奏は入らないものの、良い選曲である。惜しむらくはヒロイン・貴子が演奏家という設定だろうか。この設定だと、結構型のできてしまったクラシック音楽演奏家の社会では、世界的演奏家になる為の階梯もハッキリしてしまう懸念があって、もっとアナーキーで、本質的に業界革命を起こせるような才能を描く際には人間の持つどろどろした世界をアウフヘーベンするような才能は描きにくいように思うのだ。プレシオジテなどの余計な要素が絡んでくれば、劇的な要素は阻害される。無論、優れた演奏家というものは、こちらに聴く耳と感性がありさえすれば、その才能の高さは可也早い時期に正確に評価することができよう。自分自身の経験では辻井 伸行氏が未だ中学の時から生演奏を2~3年聴いたことがあって、初めて聴いた時、その卓越した技術力、感性の豊かさと柔らかさ、リズム感、そして音楽というかピアノを弾くのが好きで好きで堪らないということが体全身から溢れているのを見、この子は世界的なピアニストになるだろう、と直感した。まあ、自分自身ガキの頃からハッピーエンド、シャープス&フラッツなど一流ミュージッシャンの音は生で聴いていたこともあるかも知れないし、友人に極めてアーティストが多いこともあるかも知れないが。
 何れにせよ、自分なら脚本をもう少し劇的になるように書く。例えば貴子の友人でフルート奏者を目指していた香苗との関係も同じチェリストのライバル同士にするとかにして葛藤や嫉妬など対立を中心に据えるだろうし、貴子が世界的チェリストとして成功していたのにチェロ迄止めると言い出した原因との葛藤をもう一つの軸に据えて物語を紡ぐ。演出も然りだ。
 役者陣については、役を演じるのではなく、更に技術、生存と哲学や思想を学んで役を生きて欲しい。
パラボラ

パラボラ

現ア集

ART THEATER 上野小劇場(東京都)

2019/07/14 (日) ~ 2019/07/15 (月)公演終了

満足度★★★★★

 初めて拝見した劇団だが、この3~4年は年240・50~300本位の舞台を拝見している自分が、1000作品以上の中で最も笑った作品だった。新たな才能、発見!!! 作・演は同一人物だが、演出助手がつき、舞台美術は女性が担当している。役者さん、制作さんを含め総てのメンバーが20代前半という印象を受けたが、誰一人抜け落ちない、素晴らしいコンビネイションとバランス、センス、技術力そして感じの良さ、感性の柔らかさを感じさせる団体であった。今後、大いに期待!! (華5つ☆追記2019.7.17)

ネタバレBOX

 舞台美術もしっかり作り込まれている。舞台奥には、神棚が作られ、供え物を置く為の階が設えられ、榊、酒、農産品等が備えられている他、祭壇の手前には賽銭箱、その上手には祭りの小さな子用の山車に載せるような和太鼓が在る他、祭壇上手の壁には収納庫がついており、下手に設けられた外界監視用モニター等の入った収納スペースとシンメトリックに対応している。出捌け口は下手客席寄りに杉板を用いた開き戸が用いられているのはちゃんと神社の造りを理解している証拠だろう。社務所を出た所は袖的にも使える。出捌け口の壁に沿った舞台奥には横長のキャビネットが置いてあり、お焚きあげのノウハウを書いた巻物や、機材が仕舞われている。手前は座敷になっていて座布団などがある。様々なロボット、電磁器具などが登場して実に面白いのだが、詳細は、再演時のお楽しみ。
 脚本は自由なイマジネーションと愉快な逸脱に満ち、同時に如何にも現代日本の若者が持つハレの感覚に相応しく、変動する状況に対する自然な態度に貫かれ、伸び伸びした表現と現在身近で用いられているテクノロジーの産物と古来からの神道が絶妙な関係を保って物語が展開してゆくのは、基本的に登場役者陣が、皆自然体で演じている所から来ている。意外と哲学的にも深読みできる作品で本質的なことを随所で示唆しているのに一向肩が凝らない。
 舞台慣れしている方からは小道具の出し方で辻褄合わせ過ぎ!? という意見も出ようが、作品が本質を追及していることだし、若者は本質を先ず追及しなければ大人達の経験に太刀打ちできないから、若いうちに大いに本質を極めておくべきだと自分は考えている。下らない常識なんぞに縛られて何処にでも居るタイプの大人なんかになる必要は全くないのが、表現する人間たちの世界なのだし。
 今作は、神社の社務所で宮司の子息と仲間が雑談する模様を描いた作品であるが、祭りの催し物の企画会議がその内容を為し、籤には実は特等、1等賞等の景品が用意されていない、籤の本質は、当たり外れのワクワク感にあって、それが籤で販売した「商品」であるから、それ以上にPステなどの景品を付けることは籤の本質に反しているから付けない。大切なのは、本質であるとの認識が語られ、このように考えるストイックなオジサンが世の中には居て、そういうオジサンは、一目で本質を見抜き己自身をも本質に則って身を処している人々ではないのか? といった形で議論が発展してゆくのでかなり哲学的なのだ。が、一方、こういうオジサン達は存在してきた。例えばプラトン、孔子、老子、荘子など世界史に名を残すような賢人たちとして存在したし、今も存在しているだろうが、彼らはストイックオジサンのグループを形成しているのではないか? といった方向に発展、これと思う人には、組織からのコンタクトがありそうだという話が出て来たりもする。然し、問題は声が掛かった時、自分自身をひとかどの人物として自己評価するようでは、ストオジの資格がそもそも無いのではないか? という疑問が出て来たり、そうするとポテンシャルとしてはストオジとしての力量を持ちながら、グループに入れないオジサン達が生まれて彼らは彼ら同士の結社を作り、光のストオジVS闇のストオジの対立構造を生むのではないか? そして彼らの戦いはディベートという形を採るのではないか? といった話に発展してゆく。これらの話の中で腹を減らした面々が、供え物に食材が多いことに気付きガパオメシを作ろうと作業開始、神社であるから“お焚きあげ”などの行事もあり、その際には社務所内で火を焚くのを良いことにこの儀式に則って火を焚き調理をするのだが、この際、現代日本に生きる若者らしく、様々な電磁機器が、神社の儀式にまるでマジックのように用いられ、現代の先端技術が神々の世と融合してしまうのである。これは圧巻! であった。
 まあ、様々な宗教の起こる時には様々な奇蹟が起きた、という逸話がつきものであるが、為政者が支配力を得る為には、民衆を臣民にしなければならない訳で、その時には、民衆には思いも及ばない高い技術を見せて、為政者の卓越性を見せつけ頼らせるという方途が必要になるのはある意味道理であるから、頗る面白く表現されてはいるものの、これは今作のテーゼ通り、頗る本質的な挿話なのである。
軌道上のボクたち

軌道上のボクたち

法政大学Ⅰ部演劇研究会

法政大学市ヶ谷キャンパス外濠校舎地下1階多目的室2番(東京都)

2019/07/13 (土) ~ 2019/07/16 (火)公演終了

満足度★★★★★

 現代日本を生きる若者の真っ当な認識と、その真っ当さを抱えて覚悟する姿に、人生を遥かに長く生きてきた自分は痛みを伴う申し訳なさと無念を感じる。(追記後送)

ネタバレBOX


 因みに舞台は中央に輪切りにした大きな円筒、その中央にひと回り半ほど小型の矢張り輪切りにした円筒が重なって、入口側に向いて新婦が付けるヴェールのような被り物をした若い女性が腰掛け、彼女と背中合わせに若い男が腰掛けているが、互いの目の前には。天井から真っ白な布が床まで垂れており、床も白で統一されている他、女性のストッキング、靴下に至る迄総て白で統一されているのは、ここに居る、そして1週間後には、己の責任ではなく死に向き合う定めの無辜の存在、むくむくの毛に覆われた犠牲羊、或いは白い雲や在り得れば親たちにとっての天使を示唆していよう。ここには、この存在達の己の宿命に対する正確な判断と悲しむべき覚悟が渦を巻いている。各自が携えるライトや天井に鏤められた幾多の光点が、更に哀しみを増す。決して安っぽい抒情やセンチメンタリズムではない、理性によってメスを入れられた哀しい認識の震えが、作品全体に満ち、観る者によっては異様な美しさを顕現するであろう、クリスタルな美と硬質な哀しみに全編彩られた作品である。若い人々が、このように冷静な目で自らをオペする姿が自分には痛ましく、辛いのである。
戯作工房vol.3

戯作工房vol.3

演劇制作体V-NET

演劇制作体V-NETアトリエ【柴崎道場】(東京都)

2019/07/11 (木) ~ 2019/07/14 (日)公演終了

満足度★★★★

 大和企画主宰のワークショップ公演で、テーマは駅だ。ショートストーリーのオムニバス形式をとっている。今回発表される作品は、何れも様々な課題が出された中で、劇作家希望者がワークショップで評判の良かった作品を参加俳優に出演して貰って発表する作品群だ。 
 作品群を上げておこう。表現する人間を描く1駅目「一緒に帰ろう」、2.5駅目「前後と同」(3年後)、4駅目「一緒に帰ろう」(6年後)の間に2駅目「かくていのはなし」3駅目「夢の味」がサンドイッチ状に挟まっている。
 板奥には、上下(カミシモ)は出捌けに使えるように調整された衝立が立ち、その中央の見易い場所に該当する駅名の書かれた表示があり、その手前にベンチを模した箱馬が間を空けて置かれているといった風情。
 アトリエ公演としてはスタンダードで無駄が無い、オーソドックスだが効果的な舞台美術である。主宰の前説も近所で工事が行われていた為もあってのことだろう。ちゃんと「一般の劇場では無いので表の雑音(救急車の音や工事の騒音など)が入るかも知れませんが、演出の効果音ではありません」という説明が為されていて的確であった。
 この柴崎道場での公演は自分の気に入りの一つだ。というのも、スタッフや役者さん、主催の方たちの対応がいつでも素晴らしいからだ。作品についての評は後日追記する。

存在しないが 存在可能な 楽器俳優のためのシナリオ

存在しないが 存在可能な 楽器俳優のためのシナリオ

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2019/07/05 (金) ~ 2019/07/07 (日)公演終了

満足度★★★★★

 昨夜に続いての観劇。シナリオ基本コンセプト、基本演技等は無論変わらない。変わったのはアドリブ部分と自分が座った客席の位置である。初日は前列2列目、下手の席に座ったので年のせいで視力の落ちた自分にも、細かい所迄手に取るように拝見できたのだが、今日は上手最後列に近い席に座ったので、見え方が随分異なることに我乍ら驚かされた。
 然しシャフェルの提示した今作と創作法は実に示唆に富むと同時にその理論を具現化してみせたペシェックさんの実力は、その歩き方、身のこなし、背筋の伸びた、それでいて一切力みの無い姿勢、呼吸、無駄の無い身体鍛錬が日常総てに於いて実践されていることから紡ぎ出される結果としての滑舌の良さと集中力、周囲に張り巡らされた五感の網の目の緩急自在と的確性、それを可能にする焦点化の能力など、彼が存在する至る所に天網のような時空が存在し動き続けることの凄さが、我ら観客にひしひしと伝わってくる。
 2日目なので時間の許す限り、昨夜購入したシナリオも読んでみたが、時間の無い自分は上下2段組みの20%程度を読んだに過ぎない状態で今日拝見したのだが、初見のインパクトをなぞるように、また記憶との対比で私自身を試すようにしながら拝見した。結果は、矢張りペシェックさんの存在そのもの、生き方そのものを賭けた内側から発する表現の自由闊達、いたずらっ子(アルレッキーノ的、即ちトリックスター的な生き様の素晴らしさとそのような生き様からしか生まれない現実化された自由な内面からの表現の素晴らしさ)といたずらっ子であるが故に通常の形では表現できないような、7月1日、恩師の死による魂の傷の昇華の凄さである。必見の舞台だ。この内実の一端が、2日間のワークショップによって開陳されることになる。無論、華5つ☆舞台は7日14時の1公演を残すのみ、観るベシ。8、9日13時からのワークショップは既に参加者は締め切られたが、見学は可能。詳細はシアターXに問い合わせるか、HPで確認のこと。公演は観なければ生涯の損になるぞ!(若干の追記をした。自分はワークショップを2日間見学したが、自分の世界に向き合う姿勢への自信を深めることができた。僥倖と言って良い体験をした)

存在しないが 存在可能な 楽器俳優のためのシナリオ

存在しないが 存在可能な 楽器俳優のためのシナリオ

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2019/07/05 (金) ~ 2019/07/07 (日)公演終了

満足度★★★★★

 必見!! 華5つ☆。
 ペシェクさんは3回目の来日だが、自分は初めて拝見した。字幕無しのポーランド語上演だが、内容を予め知っておきたい人は早目に行って200円でシナリオを買って読んでおくのも良かろう。自分はお勧めしないが。
 というのも、田村 隆一ではないが「言葉なんか覚えるんじゃなかった」と思えるほど本質がビンビン伝わってくるし、こちらの観る目とイマジネーション、論理的思考さえあれば、本質は簡単に掴めるからである。終演後ペシェックさんご自身の作品解説を聴き、全く本質的に自分の解釈と一致していたので嬉しいと思えたし、観客としてみえていたポーランドの方と話をし、自分が作品に感じたことを説明すると、ポーランドの方々も自分の解釈と本質的に同じ解釈をする方が多いという話であった。無論、ポーランド語で洒落を言っている部分などの面白さは自分には分からなかったが、兎に角、引き込まれて楽しめると同時に非常に哲学的な側面もあって本質的である。必見の舞台! 7月6日、7日は14時開演。たった1000円でこの素晴らしい舞台を観ることが出来る。
 無論、自分がこんなに容易く作品の本質を掴めたのは、ペシェックさんのずば抜けた表現能力のせいである。名優の演技を心行くまで楽しめる舞台である。6日も行ければ行くので、更なる文章はのちほど。

ブアメード

ブアメード

Pave the Way

ブディストホール(東京都)

2019/07/04 (木) ~ 2019/07/07 (日)公演終了

満足度★★★

 この聞き慣れぬタイトル・「ブアメード」は、ネットで調べた所19世紀オランダで死刑を宣告された政治犯の名前だそうである。

ネタバレBOX

街角を歩き回っても、英語は無論、スペイン語。ポルトガル語、フランス語、ドイツ語、中国語、ハングル、その他種々の言葉の切れ端がいくらでも目に付く。無節操という他は無いのは、仏教徒が多いのに、結婚式は洋式が多く、神道形式も結構あるが、葬式は仏教形式が多いなど。無節操も此処までくると最早病気ですらないらしい。而も、看板や店名に用いられている各国語表記には、アクサンの無視や男性形、女性形の間違い、綴りの間違いなども枚挙に暇が無いのが日本の特徴だろう。深く考え根本的なことを発明・発見することに日本人は非常に弱い。現在のグローバリゼーションの只中で、いつまでも不況を脱却できない本当の原因がこの点にあるのだとしたら? (この点に関する答えは「バー・ミラクル」2度目の追記に書くので興味のある方はどうぞ)ということを考えさせもした今作。取り立てて社会の本質に対して鋭い切り込みをするというでもなく、どちらかと言えば表層で、それも人間心理の比較的浅いレベルで深刻ぶる内容では余り強いインパクトを与える作品は作れないのではあるまいか? 何より、作品として問題なのは翔の病が個人レベルの特殊性でしかなく般化できていないこと、月美も単に特異な症例でしかないことで、それが普遍性のレベルに迄深化・般化されない限り作品が真に観客を撃つことはあるまい。クイズに16進法が使われていたり、ラストの飛躍は面白く拝見したが。
アシュラ

アシュラ

平熱43度

ワーサルシアター(東京都)

2019/07/03 (水) ~ 2019/07/15 (月)公演終了

満足度★★★

 キャストを態々3組に分けて演じる意味が良く分からない。一応、1人2役、小道具なし、瞬時の場転がウリらしいが。“阿”を観劇。

ネタバレBOX

 説明文からも分かる通り、基本的には例えば「ウェストサイドストーリー」のように「ロミ・ジュリ」の翻案と言って良いストーリー展開だから、筋についてゆくことは容易い。然し自分には引っ掛かる点があった。演劇は金が掛かる。それを回収しようということなのか、コマーシャリズムと創作サイドの間に齟齬があって、このような形の上演になったのではないか? と節々で感じたからである。ファーストシーンはラボで事故が起きるシーンなのだが、誰一人白衣を着ていないどころか、ブルゾンというスタイル。あり得ない。ましてこのラボは、遺伝子操作によって新たな細菌兵器を作る為のラボである。スクリーンがあるのだから、着替えが間に合わないのなら、予め映像を撮っておいてスクリーンえ流せば良い話。この時点で演出に大きな疑問を感じた。また、役者数が少ないので1人2役をやる場面が多いのだが、衣装をリバーシブルにしたり、何らかの印を着脱して(マジックテープを使えば簡単)人物の差異を示すなどの簡単な工夫も採らずに矢鱈場転を繰り返すので、演じ分けがスムースに行っていれば兎も角、それも出来ていないと、展開がワヤになる。オープニング早々、奥のスクリーンにダンスをしている役者名が投影されて役者紹介が為されるのだが、役者に当たるピンスポ以外にもライトが点くのでスクリーン上の役者名が目立たない。しょっぱな、こんな演出を見せられてはゲンナリしてしまう、といったこともあって脚本自体は悪くないのだがシラケてしまった。興業サイドと創作サイドが上手くいっていないのかも知れないが、そんなことも考えてしまう舞台づくりであった。
バー・ミラクル

バー・ミラクル

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2019/06/29 (土) ~ 2019/07/08 (月)公演終了

満足度★★★★★


 Dry編を拝見。舞台をコの字に客席が囲むスタイル。(1回目追記7.3 13時26分 2回目追記7.5 4時6分)

ネタバレBOX

板中央にラウンドテーブルと椅子。出入り口壁側にはバーカウンター。演者達の出捌けはバーカン横の扉から為される。コはと時計方向に90度回転させた形に設えられているが、右側の辺近くに天井迄届くポールがあり、1本目の作品では、椅子に座らされ後ろ手に手首を縛られた男と自由に動き回る若い女、カウンターに突っ伏した状態の若い女の遺体、フロアに倒れた青年の遺体が登場。縛られた男は、小劇場演劇の役者でかなり貧乏、女も同じ小劇場の女優だが、官僚の娘とあって金に不自由はしていない。女は「ここで何が在ったのかは思い出さない方が良い」と言い残して外出してしまうが、男は役者らしく、実はここで展開していることは、自分の頭の中に想像によって作り出された舞台で、役者の自分の周りに居る人々や遺体も総て自分の想像力の創り出したイマージュであるとして、先ず、男の遺体を生き返らせる。生き返った男は、浦島太郎の話を始め、救われた亀は男性器のメタファーであり、海に亀に乗って入って行くことは性交のメタファーであると、実に特異な解釈を披歴する。
 大抵の方は、この作品を最も面白くなかったと評価するだろう。然し本当にそうだろうか? 最初っから最後迄うだつの上がらない主人公が、現実逃避の為に妄想したという設定で観客を巻き込んだメタ化が図られ、イマージュの中では、死者が生き返って己の世界解釈を述べる。最初に性器の話、次に性交即ち今述べた社会に対してFuck!! と戦闘宣言をしている。そしてそれをしているのが、だらしない貧乏人・社会からの落ちこぼれとしての主人公ではなく、主人公からは爽やかでもう一つの遺体・ママとできていると考えられている女の彼氏。その彼氏は主人公より頭も良く、二枚目で而も金もそこそこ持っていそう。その爽やか君が、謂わば世界を解釈してFuck!! と言っているのだとしたら、死体が生き返っているということは既に遺体は虚体に変化しているということであり、而も主人公の妄想が創り出した虚数体即ちi2 = −1 のような数学的客観性を持つ意見として、語られていると考えることはできないだろうか? 爽やか君の述べる世界解釈は客観性のシミリとして用いられており、而も同時に2重、3重にメタ化されたザインとして見解を述べていることになる。仮にこの解釈が可能であれば、今作でこの爽やか君が投げつけているFuck!! はどのような対象に向けられているのか? これを考えると頗る面白いのである。世に喧伝される自由主義などというマヤカシ表現が露骨な資本主義を覆い隠すものでしかないことは、実は誰でも気付いているだろう。では、現実に我らの生きるこの日本で何がどのように起きているのか? が問題である。
 或る友人が極めて興味深いことを言っていた。曰く「インターネットが新自由主義の立役者だ」と。どういうことか? 先ず読者はご自分の頭で考えて頂きたい。自分の考えは友人の見解を紹介し繙き乍ら後ほど追記する。
 さて、そろそろ種明かしをしようか。現在の情報産業の基礎が理論化されたのはクロード・シャノンの情報理論によってである。それまで情報伝達にはノイズが伴い、ノイズを無くして情報を伝達することは物理的に不可能とされていたのをシャノンが解決したのだ。だが、彼の論理が実現化されるまでには約40年の月日が流れていた。問題は、このような基礎的研究を日本はやって来たのか? ということである。即ち、我が国の文化は、何処迄自前の発想によって基礎付けられてきたのか? ということだ。何も幕末以降ばかりではない。社会のシステムにしても律令制は元々中国で発明された社会制度であるし、青銅器文明、鉄器文明も然り、漢字も然りである。他にも枚挙に暇がない。日本独自に原理から何から総てがオリジナルなものは、殆ど無いのが実情である。様々な思想にしてもそうだ。儒教は中国、老荘思想もそうだ。マルクス・レーニン、アナーキズムや資本主義イデオロギー総てが外国産である。日本は兎に角、海外から移入し、それに若干の手を加えて土着化させ表層だけ上手に取り繕って世渡りしてきた。つまり猿真似をしかしてこなかった。だから、一時話題になったトフラーの第三の波が指摘したような、当に時代を画するような大発見、大発明をする人物が殆ど現れない。このような天才は周りがよってたかって潰すのが、日本社会だからである。それには、個性的人格を奪い、画一化した作物を単位時間内に効率よく生産する為に便利な人格を作る為の学校教育が大きく作用している。
 だが、シャノンの情報理論に現実が追いつくようになった時から、つまりコンピュータが、輪転機ほどもある巨大で矢鱈電気を食い、掛かるが故に空調の効いたクリーンルームで稼働し始めた初期から、1:スタンドアローンの時期を経て、2:LANの時代に移り、3:半導体の進化と通信ネットワークの進歩、インターネットプロトコルの標準化とネットワークエリアの地球規模への飛躍によって、生産性の向上の概念そのものが変質した。どのように変質したのか? あらゆる情報を瞬時に世界中に光速で送受信できるようになって変わったのは、物作りによって稼ぐことより、労賃の安い方へ資本を投入することによって生産性を上げることであった。社員は各自1台のパソコンを与えられ、中央から送られてくる指示に従って労働者に単純作業を担わせればよい。(コンピュータの発達と低価格化によって工場などの機械を扱う場合でも熟練労働者など賃金の高い者は排除され、代わりに非正規雇用の安い賃金でこき使えるパートタイマーなどで代替すれば良い)企業オーナーや株主は生産性を上げる為、企業会計として利潤が増えれば良い訳だから、生産手段の改良が限界に達したら後は個々の労賃を安くして(例えば今迄の正社員を辞めさせ、彼らの給料の半分の賃金で済むパートタイマーの数を辞めさせた社員数の2倍にして単純労働させれば生産性は2倍にはならなくとも1.何倍かにはなるだろう)生産性を高めることができる。現在進行しているのは、このような状況であり、貧富の差は一方的に拡大再生産する所まで来ている。つまり一握りの開発者、そこに投資した株主、利害を一にした政治屋や官僚などと、ずり落ちてゆく他の総ての人々、奴隷とに分かれる。この構造が、世界のあらゆる場所で機能しており、結果歪みを生み出し続けている。このことが、マルクス経済学、新古典主義経済学、ケインズ経済学の何れでも十全には説明できない歪の元凶であろう。
 インターネットが人々に更なる利便性を齎したのは事実であるが、同時に以上指摘したような一方的収奪の道を開いていることにも注意を向けるべきであろう。更に踏み込めば、労組の組織化も困難な状態に陥っている。何故なら、賃金の安い労働者を雇う為には、企業はそのようなエリアにサテライトオフィスを設け、現地住人を雇用すれば良いので、各国労働者と連携して企業家達と戦う為には経営陣と同等レベル以上にインターネットを使いこなし、各国労働法なども充分考慮しつつ、連帯の普遍的真理と方法を構築しなければならないからである。最低限この程度のことが実現できなければ労働者に未来などあろうハズもない。
 深読みすれば、今作の主人公は、以上のような条件下で生きている普通の人間であり、その情けない姿なのである。
 他の2作は、素直に楽しめるであろうから詳細は論じない。ホントに楽しめる作品になっているし、演技、演出も良いと同時に3本目・「力が欲しいか」など、悪魔に同情してしまった!
カテゴリーボックス:Re/描かれたテーブル:Re

カテゴリーボックス:Re/描かれたテーブル:Re

9-States

小劇場B1(東京都)

2019/06/27 (木) ~ 2019/07/01 (月)公演終了

満足度★★★★★

 描かれたテーブルを拝見

ネタバレBOX

 類語、縁語などを巧みに組み合わせたフレーズが幾度となく繰り返されるが、この微妙な差をキチンと解明してゆくことで真相が明らかになる構造によって、細部に宿る神が同時に明らかになってゆく戯曲の作り方、組み立て方が見事。キャラ的には、天才肌の橘の描き方が深みを見せてグー。役者陣の演技も皆かなりの芸達者揃い。演出も気が利いているし、舞台美術、照明、音響なども気に入った。
リングアウト

リングアウト

たま企画プロデュース(旧)

d-倉庫(東京都)

2019/06/27 (木) ~ 2019/06/30 (日)公演終了

満足度★★★

 頑張ってはいるのだが、(追記2019.7.1)

ネタバレBOX

 もっと、リングでの熱闘があるのかと思っていたら肩すかし。であれば、使える筋肉より素人からみて強そうなボブサップみたいな体型作りを目指した方が効果的かもしれない。プロレスものとして観るより、一種興業と世間の角逐と捉えた方がコンセプトは正確にイメージできよう、様々な箇所で粗さが目立ち、神は細部に宿るという事を実感していないということが良く分かる作りだ。その分、演出のダメ出しも甘いことが透けて見えてしまう。
 例えば新聞記者役の若い女性の科白にトートロジーが非常に多いが、こんなに能力の低い者を新聞社は絶対雇わない。而も取材先に敬意を払わず、アポも取らずに取材に行くことは通常ありえない。まして駆け出し記者である。こんな図々しい態度は取らないし、今作に描かれるようなノー天気な取材形態はあり得ない。
 格闘技の本当の面白さは観ている側に一切被害が及ばない状況で殺し合う姿を観ることだろう。実際歴史上でこのような見世物が、人々の目を政治に向けないよう仕向ける為に使われてきた。ローマの有名な剣闘士達の話は聞いたことがあろう。現在殺しはしないものの大衆操作の為に、3S政策が採られていることは誰でも知っている。因みに日本ではポダムの暗号名を持ちCIAエージェントとして暗躍、関東大震災時には特高を動かす地位にあって自身認めている通り朝鮮人虐殺の旗振りもやり、読売巨人軍のオーナーでもあった正力松太郎が、何故巨人軍オーナーだったのかも分かり易い事例だ。彼は初代科学技術庁長官として日本の原発推進に中曽根 康弘と共に暗躍したわけだが科技庁長官というのもスパイの隠れ蓑であったことは明白だ。
 ところで役者の仕事は役を演じることではない。役になることだ。ガチでというのであれば更に殺気が漲る場面が欲しかっし、本物のレスラーを使うなら、もっと闘争心を湧き立たせた演出をして欲しかった。それが、表現する者として権力・権威に媚びる者や、強者の奢りに対向する術の一つでもあろう。
舞台「GATSBY」

舞台「GATSBY」

BAlliSTA

本所松坂亭(東京都)

2019/06/19 (水) ~ 2019/06/23 (日)公演終了

満足度★★★

Bチームを拝見。(華3つ☆)

ネタバレBOX


 極めてオーソドックスな作りだ。かなりの数の作品を拝見しているということもあってかありきたりの発想で創られた作品には既視感が強く、最近の好みとしては、何が演じられているのか良く分からないほど深いか、自分の今迄持っていた知識や経験からは容易に類推できない世界観を提示してくれたり、途轍もなくユニークな発想やセンスで創られた作品が好みだ。要は頭をフル回転させてくれる作品、作品とがっぷり四つに組んで格闘できる作品が好きなのである。
 無論、今作も捻りはキチンと作品化しているのだが、其処に自分のイマジネーションを根底から揺さぶるほどのインパクトはなかった。劇団制作の方やスタッフの方々から受ける印象はとても良いものだったので、想定内をどう超えるか、今後に期待したい。
想い出の鐘が鳴る街/想い出はコンビーフに乗せて

想い出の鐘が鳴る街/想い出はコンビーフに乗せて

ねこのしま

APOCシアター(東京都)

2019/06/18 (火) ~ 2019/06/23 (日)公演終了

満足度★★★★★

 劇団名からも類推できるように、2作ともにゃこ、にゃこキャラが登場するにゃ! にゃ~~~~~、観に来いにゃ~~~~~。(追記2019.6.22)

ネタバレBOX

 朗読劇であるが、正面に設えられた楕円形の鏡に作中に登場する登場人物らのイラストが浮かび上がったり、やや上手のスクリーンに翻訳やイマージュが投影されたりとかなり工夫が凝らされ、演者達の滑舌も良い。上演作品2本は、脚本のタイプが全く異なるが、その異質性を対比させることで全体のバランスを良くし、相補的に作品を深める働きをしている点もグー。
 Baudelaireの名詩集「Les fleurs du mal/悪の華」Au Lecteur/読者に には我らの偽善者振りが暴かれているが、生存競争渦中にある我々にとって他人の不幸は蜜の味、という言い方には一面の表層的真理があろう。無論、自分の頭でキチンと考える人々の見出す真理ではなく、他人の痛みなどには想像力の及ばない、己だけで賢いと思い込むレベルの小賢しい大多数の人々の留まっている地平でのことだが、一方でこの唾棄すべき状態が現実であることも否めない。そんなこんなで、今回、演じられた2作品、コンビーフの方は、ちょっとおっちょこちょいで、気のいい、大のにゃこ好きの夫が、にゃこ好きが嵩じて交通事故死してしまい、寂しさに身を焼く妻と夫そっくりな息子を毎日身近にしながら悩ましい生活を送っているハズの母子の話(つまり日常性に於ける悲劇)なのに作品から受ける印象は妙に明るいという逆転が為されている実に珍しい作品。
 鐘の方は、宿命を背負った相思相愛の恋人のアンヴィヴァレンツな生を、壮大なファンタジーとして描き、その悲恋の痛切なまでの哀しみが観客の胸を掻き毟る傑作。実に深い作品に仕上がっているが、この2作の不可思議なコントラストも素晴らしい。
 

 
THE NUMBER

THE NUMBER

演劇企画集団THE・ガジラ

ワーサルシアター(東京都)

2019/06/18 (火) ~ 2019/06/23 (日)公演終了

満足度★★★★★

 原作はロシアの作品ということで納得がいった。

ネタバレBOX

ザミャーチンは1920~21年に掛けて執筆したとされているが、無論ソ連で出版されることは無かった。初出版は英訳版が1924年NYで、ロシア語版が1927年にチェコで為され、ソ連での出版はペレストロイカ以降である。ヴォルシェビキにも関わった彼だったが、このように早い時期に、今作のような作品を書いた彼の慧眼には驚かされると共に、レーニンをして止められなかった組織の論理にこそ、現在を生きる我々へのメッセージを汲み取るべきであろう。
 基本的に当パンだの、フライヤーに書いてある説明などの予備知識を排除して観劇する習慣なので、観劇中は、ひょっとしたら日本の官僚主義批判或いはアイロニーと取れる部分もあるな、などと思いながら拝見していたのだが、冒頭に書いた通りの感想を得たのは、観劇後劇団の方から伺ってのこと。
旧約聖書の楽園追放の場面が幾度となく繰り返されるが、この寓意が今作では知恵の実を食べ結果として知恵をつけた罪を問う物語としてより、寧ろ自由と幸福の内人間は自由を選んだことにより、欲望を肯定しその結果として欲望充足の社会システムとして資本主義を選んだことによって戦争を不可避のものにし、結果200年戦争を引き起こして人類の99.8%を失い、現在ブルーウォールで囲まれ一点の曇りもない青天井を持つ住環境の下、機械(人工知能)に管理される社会を作って千年の時を過ごしてきた。ホルモンの調整により人々は老いに至ることを防ぐことができ優勢な遺伝子のみを残す政策と技術的進歩により、また管理されることを是とする教育と異分子排除(必ず有罪とされるジャッジメントという一種の裁判を行う)原子分解の刑を受けるので劣性(即ち本能とか自由を求め体制を逸脱する傾向)遺伝子を持つ者は、原子レベルで破壊されるので当然のこと乍ら遺伝子も残らない。
 無限は否定的に捉えられている。というのも欲望のように果ての無いもの・価値観が戦争を引き起こしたと考えらえているせいだが、この主張を数学者が説くという矛盾を内包していることでこのドグマを強制する体制の根本的誤謬を今作は示しているということができよう。というのは、有限と無限が同時に存在するという実例を我々は身近に持つからである。1例を挙げれば球体を1つ考えてみよう。玉は容積を有限とする固体だが、球面上に任意の1点を措定しそこからどの方向を目指すことも自由に出発したとして果てを求めた所で無駄であることは一目瞭然であるからだ。
 また、表現方法として面白いのが、動詞など個々人の判断や思考が如実に現れる表現を省略した表現が多いことが挙げられる。無論、これは受けてに判断を任せることで表現者自身が罪に問われることを免れる為に用いられているテクニックであると同時に、表現を限定しないことで解釈の余地を大きくする効果も狙っているのは無論である。
 また人間の尊厳を奪い、管理の対象物として扱う為に、今作では住民をNo.で呼んでいる訳だが、これは囚人に対する扱いと同じだということも指摘しておきたい。
 ところで、反逆の根底にあるのが、単に論理ではなく、我々の抗いがたい本能と疑問を持ち解決しようとする営為である点も見逃せない。


オフィス上の空プロデュース・トルツメの蜃気楼

オフィス上の空プロデュース・トルツメの蜃気楼

オフィス上の空

ザ・ポケット(東京都)

2019/06/19 (水) ~ 2019/06/23 (日)公演終了

満足度★★★★★

 痛切な哀しみに満ちた作品。(追記後送 華5つ☆)

ネタバレBOX

観る者の社会観察に基づいて受け取る内容は大いに異なるだろう。その痛切の度合いや、不可逆性に対する認識の差が決定的に解釈の深みを左右する極めてデリケートな作品である。
 ドリアン・グレイの名を出す必要は無いかも知れない。が、生き物である人間の美や可愛らしさといった魅力、容色というものは、老いには決して勝てない、というのが未だ簡単にはIP細胞を用いて肉体を好きなようには改造できない我ら人間の現実である。そして、アイドルを目指す人々は、この容色の衰えと必死に戦ってきた。この事実は“風姿花伝”にも如実に描かれているし、観阿弥、世阿弥父子が絶世の美男であったことは良く知られた事実である。今作でアイドルを目指すのは女性であるが、女性アイドルの場合も容色に関する本質は同様であると言わねばなるまい。但し、アイドルを目指す少女、憧れる少女の絶対数は男の子の比ではないし、売れる才能を持ち、それで食ってゆける者の数もまた氷山の一角であるからその競争率はいやが上にも高くなる。一方、旬の時期は余りに短い為志願者たちは短期間に大きな勝負やリスキーな「仕事」にも飛び込まざるを得ず、飛び込んだ先で罠が四方に張り巡らされているのは常識、たらし込んで金蔓にしようと虎視眈々と狙うハゲタカの群れも常に狙っているのだから、その末路は実に哀れなケースが多いというのが、前提になっている条件であろう。こんな実情を知ってか知らずか、今日も火に飛び込んで生きながら己が身を焼き滅ぼす蛾のように少女達は一見煌びやかなライトに照らされるアイドル界に飛び込んでゆく。丁度、今作で飛び降り自殺をしてしまったユリの親友アヤのように。
 板上は、舞台壁面の三方に沿って高低差を設け、センター奥上手が最も高く積まれた構築物で構成されており、手前、奥と二重になっている箇所に出捌けが設けられている他、机とセットになった椅子が計4か所、歪な長方形の各コーナーに設置されている。
逆襲の花束<追加公演>

逆襲の花束<追加公演>

生きることから逃げないために、あの日僕らは逃げ出した

新宿LIVE FREAK(東京都)

2019/06/17 (月) ~ 2019/06/18 (火)公演終了

満足度★★★★

 一言で言うと良くも悪しくもアナーキーな作品だが、

ネタバレBOX

アナーキズムにも無論様々な潮流があってプルードンやクロポトキンのように相当に知的・理論的に優れた思想を展開したアナーキストも居れば、どちらかと言うと、ロマンに流れた者もあった。殊にプルードン等は、硬直化して自滅することに繋がってゆくコミュニズムのドグマティックな傾向の危険性を予見し、それを避ける為に思考している所もあって実に深く興味深いし、クロポトキンの理論をベースにした流れでは、中南米でのアナルコサンジカリズム運動などに繋がって実践され生き残ってきた流れもある。
 だが、今作で描かれているのは、寧ろロマンチックな流れを汲み、自己破滅的傾向を血で贖う一種のナルシシズムの域を脱していないことは、時雨の科白に良く現れていよう。
 因みに時雨が語る駆逐艦「時雨」は実在した。今作で語られた通り1945年1月24日マレー沖で受けた魚雷によって沈没。日本海軍の誇った駆逐艦「時雨」の最後となった。作中、沈没時の乗員総数は222名となっていたが、自分がざっと調べた範囲では、亡くなった乗員の数までは調べがつかなかった。だが、戦歴をみるに相当に優秀な艦長と乗組員によって操艦されていたことは間違いあるまい。その練度の高さは日々の修練、鍛錬の怠りなさを照明し、判断の的確、沈着冷静と実行力、勇気、胆力等々は超一級の天才と言えるのではあるまいか。
 ここで言及される“革命”は、単なる社会変革ではなく、命を新たにすることでもある。当然、守旧派は、己の既得権を守る為にありとあらゆる手を用いて妨害を仕掛けてくる。スパイも2重スパイを含めて様々なタイプ、能力、方法を持った人間やシステムが機能して襲ってくる訳だし、初動、各過程、成就、その後等々の諸段階・諸カテゴリーの総てに於いて勝利しなければならない。なんとなれば、失敗は拷問・虐殺・惨殺による死か裏切りである。こんな分かり切った工程以外にも様々なことが起こる。今作は、然しこういった現実過程には一切踏み込まないし、それだけの理論武装をしていないことも確かであるが、初動への誘いを掛けることには、恐らく成功していよう。それは、音楽や光の明滅の中で踊ったり、体をゆすったり、演者に応えたりする観客の態度に現れていた。ただ、衝動に囚われて初動のインセンティブを持ち得ても、それだけでパースペクティブを持たずに突っ走れば結果は必敗でしかないことも明らかだ。
 キャラの中に、トリックスター的な要素を持つ道化が登場するのも、革命過程のこういった二面性を表象していると言えよう。

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