ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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n乗ハニー

n乗ハニー

劇団両面HERO

BAR COREDO(東京都)

2012/08/27 (月) ~ 2012/09/01 (土)公演終了

満足度★★★

物理・数学と生き物
 次元の話なので、説明が入るのは仕方のないことだろうが、次元の異なる所から来ているわけだから、高次の次元出身者は、もう少しくだけて演じても良いのではなかろうか? 理屈が多いからといって性格描写まで固くしてしまっては、面白みが半減する。
 とはいうものの、高次の次元出身者が、その自由度に辟易していて、却って、低次の次元を羨んでいる辺りは笑えたし、人間的なパラドクスも仕組まれていて面白く感じた。
 ピアノ演奏も弾き慣れた演奏ではあった。然し、もう少し、曲に自分独自の解釈をし、尚且つ、芝居にアジャストする演奏を心がけてほしかった。後者は、兎も角、前者が弱かったように聞いた。そのせめぎ合いのクリティカル・ポイントで聞きたいのである。

THEATRE OF IMPRO 2012

THEATRE OF IMPRO 2012

インプロ・ワークス

小劇場 楽園(東京都)

2012/08/27 (月) ~ 2012/08/27 (月)公演終了

満足度★★★★

想像力の綾
 流石に役者、インプロビゼーションでも気の利いた反応を見せる。観客から、題を募集したり、題の出し方に工夫を凝らしたり、設問にも様々なヴァリエーションを設けて、よりアグレッシヴな展開にしたり、ときめ細かい。シンセサイザーによる音作り、こまめな操作の照明、適切な効果、これらの条件が、役者陣のみならず客席にも適度な緊張感を齎し、役者、観客のコレスポンダンスが上手く機能した。
 役者たちは、無論、その瞬発力とイマジネーション、それらを纏め上げる構成力が要求されるのだが、即興の齎す緊迫感が、頭脳や感覚の働きを活性化するのか。テンションが上がってくると、役者たちの織りなすイマジネーションの綾に、遊びの要素も加わり、ホイジンガではないが、人間とは、まさしくホモ・ルーデンスなのだと納得してしまう。期待以上に楽しめる舞台であった。
 チーム対抗戦という競争にしたのも、余りにも基本的なことではあるが、正解であろう。

鏡花夜想曲

鏡花夜想曲

オフィス櫻華

新中野ワニズホール ( Waniz Hall )(東京都)

2012/08/24 (金) ~ 2012/08/26 (日)公演終了

満足度★★★★

日本語
 鏡花の書いた日本語は色の綾目などを含め、現代の日本人にはかなり難しい。大抵の人には、銀ねずの意味さえ分かるまい。鏡花の育ちから見て、同時代に粋であり、通であったものが、現在では死に絶える危機に瀕している。これは紛れも無い事実である。大衆の芸であったどどいつ程度のことが、分からないのだから後は推して知るべしであろう。だからと言って、若者の発明を否定するわけではない。然し乍ら、物には順序があろう。

 今、鏡花を読むということの意味は、好い加減なメディアに載せられたふりをして、決まり切ったフレーズの馬鹿げた見解に与することではない。かと言って単純に「日本文化」に回帰するなどという愚かな話でもない。唯、単に、欧米化という日本近代の驀進に対してクレッションマークを付すのである。その言葉によって。その言葉の意味する所によって。

 今回は篠笛とのコラボレーションであったが、篠笛のような民笛の演奏・作曲家が、態々、西洋音階の民笛を作って作曲、演奏をしていることに、また、そのような人とコラボレーションせざるを得ない所にこそ、現在の我々の立脚点がある。そのことを知った上でなら、鏡花を再考することの意味が出て来よう。いわば、鏡花は我らの鏡なのだから。

 また、登場人物、すみの生き様には、そのような読みを許す、社会的、時代
的、原理的意味が、隠されている。

【全日程終了!ありがとうございました】小田急VSプレデター(東京)

【全日程終了!ありがとうございました】小田急VSプレデター(東京)

劇団東京ペンギン

大阪市立芸術創造館(大阪府)

2012/08/04 (土) ~ 2012/08/05 (日)公演終了

満足度★★★

カッコよさ
 子供の頃に感じた格好良さが、随所に鏤められ決まっている。日本の悪い面、弱い面をきっちり指摘している点も好感を持った。

ネタバレBOX


 最終場面でプレデターが、仮面を取り、頭髪を晒す効果も気が利いていた。自分には、星の王子様の主張とプレデターの主張が本質的な部分で重なり、サンテクジュぺリの”Le petit Prince”に描かれた王子の挿絵姿とだぶって見えたので、この金髪は頗る重要であった。 

 尤も日本では、所謂茶髪であって、突っ張り、ヤンキーと不良を排除する単語が後に並ぶのであろう。何も分からず、否、知りもせず、彼ら、彼女らを排斥し、自分達ばかりいい子ぶるのは楽である。然し、この作品が、ぶきっちょに問うているのは、そのようなことではない。何の因果か、世界の裸形に出会い掛けた若い命が、自己の分裂しかけた心を問うているのである。彼ら、彼女らの、精一杯に投げかけた問いに年上の人々は応えねばなるまい。
ライト・リライト

ライト・リライト

翠組 midori-gumi

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2012/08/23 (木) ~ 2012/08/28 (火)公演終了

満足度★★

ちぐはぐ
 シナリオと演出がちぐはぐである。登場人物の殆どが、フランス語の数を表す名前なのだが、作家のスタンスが、そういうレベルならば、リライト自体が仕組まれているだろう。そこで表面的に所作を気取っても何の意味もない。結果、演技の質も作り過ぎである。内面を自然に表現できるだけの実力があって、そういうことをするなら見応えもあるのだが、明かにそれはないレベルの「役者」を使って作るなら、演出にもっと工夫があって良い。でなければシナリオを大幅に変更すべきである。登場するのは、男性だけだが、所謂、イケメンばかりである。だが、それに頼るだけでは、下の下。演劇では無い。もう少し頭を使ってから身体を使って欲しいのだ。

ゴミくずちゃん可愛い

ゴミくずちゃん可愛い

ぬいぐるみハンター

王子小劇場(東京都)

2012/08/22 (水) ~ 2012/08/27 (月)公演終了

満足度★★★★

手練
 一見、完成度はそんなに高くないように見せる手腕。これも歌舞く姿と見た。序盤から、笑いの渦に巻き込む手法で、観客の警戒心や構えを解き、中盤から、この劇団の目指す方向へ持ってゆく、ということだろう。とにかく、温かい。こういうテイストの芝居は初めて見た。2時間15分と長めの舞台だが、全然飽きさせずぐんぐん引っ張ってゆく力は、中々のものだ。こんな芸当ができるのも設定が抜群だからだろう。
 いまどきの観客は、廃墟好きも多かろう。世界が終る話に安心する者だって多いはずだ。「もう頑張らなくていいんだよ」って言われているような気持ちになれるからかも知れない。このような、普段隠されているみんなの気持ちが、地球のゴミ捨て場という舞台設定に活きている。そこに捨てられていた赤ん坊だった塵ちゃんが主人公だ。
 ところで、こんなに温かな感じを終演後に感じたのは、劇中の人物描写で誰一人、他の者を見下したり、自ら卑下する者もいないからではなかろうか。いつでも微妙な距離を保ちながら共生していることの非尋常こそ、この劇団の持ち味、凄さと見た。この劇の温かさはその辺りから来るのだろう。ダンスも上手いし役者陣が爽やかだ。

正義の人びと ~神の裁きと訣別するための残酷劇~

正義の人びと ~神の裁きと訣別するための残酷劇~

オフィス再生

APOCシアター(東京都)

2012/08/16 (木) ~ 2012/08/19 (日)公演終了

満足度★★★★

カミユ
 舞台で描かれているのは8割ほどはロシア革命初期のセルゲイ大公暗殺事件に纏わるものだが、2.26事件の決起に新婚故、決行時刻などの詳細を知らされず昭和維新に参加出来なかった将校夫婦に関するものである。

ネタバレBOX

 セルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公を暗殺したのは、詩人でもあったイワン・カリャーエフだが、彼は初回の攻撃を見送る。2カ月以上の間、大公の行動を監視し、綿密な計画を立てた計画を反故にしたのである。理由は、大公の馬車に二人の子供と夫人が同乗していたからであった。イワンは言う「例え革命の為とはいえ、守るべき名誉はある」と。然し党内急進派で脱獄してきたステパンは、述べる。「我々が、子供達を忘れることを決定した時、我々はこの世の主となり、革命が勝利するのだ」と。当然のことながらイワンは、ステパンに専制主義を見、その点を批判する。これは、当時、実行支配を増しつつあったスターリン批判である。この論争の渦中、イワンの恋人、ドーラが、ステパンに対して述べる科白「その日(子供達を爆殺する)革命は人類全体の憎悪の対象となるのよ」は見過ごせない。
 カミユの解釈によれば、当に、この故にこそ、イワンは、自ら死地へ赴くのであり、彼が実質的なテロを行ってなお、正義の人、義人足りうるのである。
暗殺事件に関わる者達の真っ赤な掌、正義の登場と死、正義の死後、内実を失い、形骸化する革命論理と知の走向としてのイデオロギーの舞台化として高所から投げ落とされる本、我が国のシステム、即ち弱者(部外者)に犠牲を強いる構造を示す為の鉄条網の上での切腹、最低限の照明など演出上の工夫も見事である。
 カミユの限界でもあろうが、「今、ぼくが死んだら世界は何か変わるだろうか」との独白は、メンタルなレベルで革命を考える多くの人々にとっては、合点のゆく所であろう。

「ボイルド・シュリンプ&クラブ」(8月)

「ボイルド・シュリンプ&クラブ」(8月)

劇団6番シード

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2012/08/15 (水) ~ 2012/08/19 (日)公演終了

満足度★★★★

コボンロ
 コロンボの間違いではない。コボンロと書いたのである。ニコニコ探偵事務所のイメージだからだ。今回は、1時間で完結する作品を2本上演という形式であった。芸達者な役者が多く、場面転換がスピーディーでノリがあり心地よい。「刑事コロンボ」の脱力系と少し異なり、貧乏を売りにし横着な振りをして見せるが、それはそれ、営業用と見た。無論、コロンボと同じように優秀な探偵である。が、貧乏を売りにしたり、横着も愛嬌があるなど、有能が嫌味にならない。「ボイルド・シュリンプ&クラブ」が5年前のスピンオフなら「イタリアンの罠」は、コロンボの「別れのワイン」か。中々、粋な演出とシナリオであるが、役者陣が、作品を良く立体化していた点も評価できる。とにかく、楽しめる。

艶やかな骨

艶やかな骨

十七戦地

ギャラリーLE DECO(東京都)

2012/08/14 (火) ~ 2012/08/26 (日)公演終了

満足度★★★★★

抜群のシナリオ
 3.12以降の人災と責任を負うべき連中の欺瞞に対して、殆どの日本人が腹を立てているのだが、どうも、責任を負うべき連中には伝わりにくいこの国で、敢えて原発問題という設定で書かず、別の最も本質的な問題を提起することによって、原発問題をも射程に収めるセンス、着眼点の良さが見事だ。見事なのは、センスや着眼点ばかりではない。緻密で知的、而もスリリングな論理展開に満ち満ちた展開を遂げるシナリオの内容も秀逸である。
 上演時間は、約60分と少し短かめだが、内容の豊富さ、いくらでも深読みの効く含みのある表現で充実している舞台は、見応え充分である。
 自分の観たのは女性で固められたAバージョンだが、男性版、Bバージョンもある。シナリオは、語尾変化などを除いて、基本的に同じだが、A,Bでどう変わるか観比べるのも一興だろう。

CABARET ON THE SEA

CABARET ON THE SEA

アリー・エンターテイメント

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2012/08/08 (水) ~ 2012/08/15 (水)公演終了

満足度★★★★

スケール
 序盤、作り過ぎの感もあったが、中盤からは、太平洋戦争との絡みでドラマは急転直下。時代の動乱のさなかで翻弄される登場人物たちを、若いカップルの愛情物語を中心に手堅くまとめた。
 最近、多く見かける日常のちまちました題材を無理やり劇化する作品に少々食傷気味であったが、物語がスケールアップしている点も楽しめた。
 惜しむらくは、若い頃の千代子役の女優にもう少し歌唱力のある女優を使って欲しかった点である。可憐さは、充分出ていたのだが、惜しい。歌、ショウアップで合格点だったのは、マリー役の女優であった。

ネタバレBOX

 更に若い恋人たちの会話の中に使われる方言の奥ゆかしさ、可憐さが一際際立つ印象を持った。素朴の持つ可憐な姿である。また、激戦のグアムで菊田が力尽きるシーンで後藤が最愛の千代子のブロマイドを割いて紙吹雪を作り、「雪」を降らせるシーンでは、名画「南の島に雪が降る」を彷彿とさせるなど、泣かせるシーンもふんだんにある。
 おまけに終盤でのドンデンも二段重ねになっておlり、楽しめた。
キル

キル

オフィス・サエ

スタジオVARIO(東京都)

2012/08/08 (水) ~ 2012/08/12 (日)公演終了

満足度★★★★

「キル」追加
 更にタイトルになった「キル」の宣言のような独白。この言葉に、真正面から応えられる日本人が、どれだけいるだろうか。この点でも観客に大きな問題を提起した作品である。

キル

キル

オフィス・サエ

スタジオVARIO(東京都)

2012/08/08 (水) ~ 2012/08/12 (日)公演終了

満足度★★★★

進化と深化
 キルを見てきた。オフィス・サエの劇は、見る度に進化と深化の跡が見て取れる。今回も前回の公演より原作者の言葉をより深く捉えて、叙事的表現になっていたし、そのことが、新演出の原爆投下場面の演出、投下直後の演出に端的に表れていた。

ネタバレBOX

 より具体的には、投下直後のかなり長い暗転の最中に用いられる不協和音と原爆に焼かれる人々の苦悶を影絵という手法で演技した点である。このシーンに自分は思わず背筋がぞくりとした。と同時に丸木夫妻が描いた原爆の図がありありと目に浮かぶ心地がした。原作のテクストをより深く読み込み、その成果をこのような形で結実させた演出と俳優たちの生き方を賭けた舞台に拍手を送りたい。
『フォーク 回想   』ご来場ありがとうございました。

『フォーク 回想 』ご来場ありがとうございました。

岡田久早雄プロデュース

パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)

2012/08/10 (金) ~ 2012/08/13 (月)公演終了

満足度★★★★

カニバリズム
 余り極端な振付や演出がない分、素の活きた舞台であったが、言葉の区切りかた、ブレスの取り方でとり違いをしていた個所があった。無論、カニバリスムは、文明化されたはずの我らの時代には、極限状況でなければ起こり得ない。余談になるが、その極限を体験しない人々が、した人々を獣扱いすることの残酷も相当なものではあろう。
 その点を踏まえて観ている我々の位置も照らし返される作品ではある。

10station  都合のいい記憶〜凌霄花〜

10station 都合のいい記憶〜凌霄花〜

劇団始発列車

参宮橋TRANCE MISSION(東京都)

2012/08/09 (木) ~ 2012/08/12 (日)公演終了

満足度★★★

リアリティ
 どうも、溺れているようである。メンタルなレベルに。自己憐憫やナルシシズムに毒されているように思うのだ。演出上、絶対にあってはいけないようなミスもあり、細部のリアリティーにも乏しい。原因は甘えか観察力の不足である。その結果、作家本人が自らに課す荷が軽い。だから哲学と言えるほどのものが無い。あるのは移ろう心情だけであるが、それを根拠づける体系が無ければ、ものは見えてこないだろう。
 この舞台の原作は、記憶アプリを題材にした自主製作映画だということだが、恋愛物として仕立て上げる中で、マッチングが上手くいっていない。結果、焦点がぼけてしまった。これも、価値観の体系も持たず、物語を重層化することのできないレベルでITなどの技術を表面的に使った結果だろう。
 

新作オペラ『地獄変』

新作オペラ『地獄変』

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2012/08/10 (金) ~ 2012/08/12 (日)公演終了

満足度★★★★

作曲の素晴らしさ
 今回、作曲家ロネン・シャピラの音作りは、西洋音階から離れ、殆どの部分をアラブ音楽や日本古来の楽曲に用いられる音階である四分の一トーンを用いて作曲している。そのことと、彼の文化に対する謙虚な姿勢が、単に音を演奏したり、作曲すると言う表現ではなく、或る宇宙に音を置くという行為に結実している。即ち、音がものそれ自体のように空間に座を占める時、宇宙の創成が為される。そのような創造の縁を表象しているのである。この音の創成は、見事に「地獄変」の本質に呼応している。
 シャピラの音に応えて、演出の井田 邦明は、作品と演者の重層化を試みている。シアターXの劇場構造をそのまま生かし乍ら、映像用の幕を斜めに張り、舞台袖の無いこの劇場の搬入口を区切って亜空間を創造し、更にビニールシートで覆うことで彼我の差を表象している。
 台本の入市 翔は、当初書き上げたシナリオを一度、破棄している。音楽劇であるオペラでは、言語に纏わる音声は非常に重大な要素であるが、言語の違いが、リズムや感情を込める時のアクセントの位置で齟齬を来したからだ。その後、作曲に合わせて、書き直されたテクストが用いられているのだが、ドラマツルギーの原則が活かされ、対比構造を用いることで自然にドラマが成立する仕組みである。
 出演するオペラ歌手、コロスの面々も普段から鍛えられた素地の、質の高さと集中力とを感じさせる舞台であった。科白の聞こえが良くない程の高揚場面もあったのだが、それは、この作品の特異な位置からは、逆に効果的に作用していた。宇宙創世期に、カオスは必然の一形態である。そこで、アモルフな状態が出来するのは当然であろう。更に、良秀の娘役は毎回変わる。この点も何度も見るに値しよう。
 ところで、「地獄変」に描かれた内容だけでも地獄だが、我が国の地獄とは、力無きものに犠牲だけを強要するシステムそのものなのではないだろうか? 芥川の言いたかったことをこの点だけに絞るつもりはないが、昨今の原子力村復活動静にしても、国会運営の在り方にしても、そのように思えてならない。

不思議の国の内蔵助

不思議の国の内蔵助

LOVE&FAT FACTORY

シアターブラッツ(東京都)

2012/08/09 (木) ~ 2012/08/12 (日)公演終了

満足度★★★

ワンダー かな?
松の廊下での刃傷沙汰と吉良邸討ち入りとの間は、“おしながき”。

ネタバレBOX

と称される「不思議の国のアリス」のパロディーとでも称すべきオムニバス形式のパフォーマンス兼演劇のようなエンターテインメントがサンドイッチ形式で挿入される。
 良く言えば、生命の原初形態をドタバタとナンセンスで表している、と取れないことも無いが、其処まで演出は無い、と見た。然し乍ら、俳優の中には、それなりのキャリア、存在感を感じさせる者もあり、脚本と演出意図が、もう少し構造的にしっかりしていれば、また、別の局面を見せ得るとも感じた。兎に角、最初から最後まで馬鹿馬鹿しい。その馬鹿馬鹿しさを楽しめる人なら、それなりに面白い。
タニンノカオ~人命救助法2012

タニンノカオ~人命救助法2012

シンクロナイズ・プロデュース

東京アポロシアター(東京都)

2012/08/09 (木) ~ 2012/08/19 (日)公演終了

満足度★★★★

二作品上演
 今回は、安部公房のタイプの異なる2作の上演である。「タニンノカオ」は原作での表記は「他人の顔」であるが、メジャーな作品なので誰でも読んでいよう。然し、「人命救助法」は比較的初期の作品でもあり、公房ファンででもなければ知らない方も多いのではあるまいか。1本目が、後者であった。あらすじは、ネタバレで。

ネタバレBOX

 名誉欲に駆られた教頭が生徒の父親と水難救助を計画するが、これは、やらせである。而も、生徒の父は、自らの利害を大きくする為に、この計画を取引先や発注元にも持ってゆく。名誉と富に踊らされた人間達を巡るコメディーだが、やらせそのものは、日本国中で今も散々行われているのを見る時、この国の好い加減が見えてくる。

 「他人の顔」を”タニンノカオ”と表記することには、無論、構成・演出を担当した久次米 健太郎の狙いが込められていよう。自分の印象では、原作よりも更に距離感を取らざるを得なくなった現代の我々の視点を組み込んでいるように思われる。そのことで、よりシャープに、現在我々が置かれているナーバスな状態を反映させたのであろう。更に、白痴の少女ばかりではなく、妻にも偽装の正体を見抜かれていた男は、その事実に気付くことすらなかった。妻に去ってゆかれる主人公の哀しさは、痛切な痛みすら曖昧な孤独を映して惨めそのものだ。

 両作品を通して、現代日本を2つの角度から照らし出した、この劇団の意気と、その批評性を評価する。
 
荒野1/7【全日程終了・ご来場いただきました皆様ありがとうございました!】

荒野1/7【全日程終了・ご来場いただきました皆様ありがとうございました!】

鵺的(ぬえてき)

ギャラリーLE DECO(東京都)

2012/08/07 (火) ~ 2012/08/12 (日)公演終了

満足度★★★★

事実を背景にした重さ
 家庭環境が複雑な「家族」は多いだろうが、そこでメンバーの各々が抱え込む問題とそれへの対処を問う作品である。与えられた条件は、理不尽であるが、各々は、それにどう対処するかでそれぞれの価値を測られる。待ったは無い。だが、その選択が夫婦・親子の間で絶えず更新されていることを意識せざるを得なくなるとしたら、人はその時、何を根拠に、どのように問題に対処するのか。そんな問いを突きつける作品であったが、事実が背景にあるという。この作品を見た者たちも、己の条件下でそれぞれ考えねばなるまい。救いは、この劇の作者がやったように、問題を内在化して悩み、悩みの底を抜き出て、対象化し把握すること。そして、それが唯一の対抗策であろうことが、少なくとも観劇後には、分かっていることだろう。

口紅を初めてさした夏 (再演) 無事公演終了致しました!ありがとうございました!

口紅を初めてさした夏 (再演) 無事公演終了致しました!ありがとうございました!

TOKYOハンバーグ

ワーサルシアター(東京都)

2012/08/02 (木) ~ 2012/08/14 (火)公演終了

満足度★★★★

身につまされた
 忘れかけていた子供の頃の感覚を思い起こさせる作品であった。自分自身も早く大人になりたかった子供なので、主人公、レンの気持ちに重なる部分が多く、改めて様々なことを振り返ってしまった。
 様々な成り行きで場末のスナックのママ、マチコは、レンとずっと敵対関係に近い関係にあるのだが、レンのむきになってアイデンティファイしようとする態度に、自らの少女時代を思い出したマチコは、ひょんなことで初めて笑いを漏らす。そのあとからレンは、自分の名前に拘るアイデンティティーの危機を脱する。中盤のハイライトシーンでこのように細かく気の利いた配慮ができる劇団はそう多くはない。いい劇団であることは間違いない。

また悪だくみをしているのね

また悪だくみをしているのね

電動夏子安置システム

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2012/08/07 (火) ~ 2012/08/12 (日)公演終了

満足度★★★★

間違いの喜劇
 シェイクスピアに標記タイトルの作品があるが、あれより遥かに錯綜している。その錯綜の仕方もマトリョーシュカ的なものから、伝言ゲーム的行き違い、更には、陰謀や意地、策略的な嘘と偶然などが絡まり合ってシェイクスピア作品より遥かに複雑になっているのだ。実際、この劇作家は相当意識的にシェイクスピア的な要素を取り入れている。劇中でもそれを匂わす科白があった。
 また錯綜した内容に合わせて、舞台作りにも大きな工夫が凝らされている。扉の数が半端ではないのだ。その配置にも見るべきものがある。
 更に、役者陣が、ソツの無い演技をしている。特に、家政婦役のなしお成が、面白い味を出していた。
 当然のことながら、めまぐるしく立ち位置の変わる役者をスポットライトでオンオフする照明も大変な手間を良くこなしていたし、音響、効果なども負けず劣らずの働きをしていた。楽しめる舞台である。

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