正義の人びと ~神の裁きと訣別するための残酷劇~ 公演情報 オフィス再生「正義の人びと ~神の裁きと訣別するための残酷劇~」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    カミユ
     舞台で描かれているのは8割ほどはロシア革命初期のセルゲイ大公暗殺事件に纏わるものだが、2.26事件の決起に新婚故、決行時刻などの詳細を知らされず昭和維新に参加出来なかった将校夫婦に関するものである。

    ネタバレBOX

     セルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公を暗殺したのは、詩人でもあったイワン・カリャーエフだが、彼は初回の攻撃を見送る。2カ月以上の間、大公の行動を監視し、綿密な計画を立てた計画を反故にしたのである。理由は、大公の馬車に二人の子供と夫人が同乗していたからであった。イワンは言う「例え革命の為とはいえ、守るべき名誉はある」と。然し党内急進派で脱獄してきたステパンは、述べる。「我々が、子供達を忘れることを決定した時、我々はこの世の主となり、革命が勝利するのだ」と。当然のことながらイワンは、ステパンに専制主義を見、その点を批判する。これは、当時、実行支配を増しつつあったスターリン批判である。この論争の渦中、イワンの恋人、ドーラが、ステパンに対して述べる科白「その日(子供達を爆殺する)革命は人類全体の憎悪の対象となるのよ」は見過ごせない。
     カミユの解釈によれば、当に、この故にこそ、イワンは、自ら死地へ赴くのであり、彼が実質的なテロを行ってなお、正義の人、義人足りうるのである。
    暗殺事件に関わる者達の真っ赤な掌、正義の登場と死、正義の死後、内実を失い、形骸化する革命論理と知の走向としてのイデオロギーの舞台化として高所から投げ落とされる本、我が国のシステム、即ち弱者(部外者)に犠牲を強いる構造を示す為の鉄条網の上での切腹、最低限の照明など演出上の工夫も見事である。
     カミユの限界でもあろうが、「今、ぼくが死んだら世界は何か変わるだろうか」との独白は、メンタルなレベルで革命を考える多くの人々にとっては、合点のゆく所であろう。

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    2012/08/17 14:15

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