忍者桃丸伝 ~そのNINJA多少難あり~
劇団 EASTONES
ザ・ポケット(東京都)
2013/06/04 (火) ~ 2013/06/09 (日)公演終了
満足度★★★★
文句なく楽しめる
岡林家若君、凛太郎、桃丸は大の仲良し。若君は、その優しい性格と、子供らしい好奇心からか、岡林家の忍び、赤目流忍群の下人に混じって忍術の修行に励んでいた。桃丸は、まるで駄目忍者で、皆から石ころ、役立たず、と罵られるのが常。赤目忍群の誰からも相手にされず、泣いてばかりいたのだが、若、凛太郎の二人だけは、桃丸のありのままを受け入れ、温かく接していた。
ネタバレBOX
然し乍ら、若君は、その剣を持てば覇者の聖剣となり、邪な者が持てば狂剣になると言われる剣、天切丸を凛太郎と奪い合い、足を滑らせて転落死してしまう。凛太郎は、その時以来、天切丸と共に消えた。
時が経ち、お転婆で兄のすることは何でも一緒にしたかった若君の妹君も、今や娘盛り。だが、預けられた叔父の城は、信長軍との戦闘で焼け落ちる寸前。頼みの赤目軍団も壊滅、家臣団も主だった面々は総て討ち死にした。姫、乳母、侍女二人と家臣で無能の瓜田、そして、雑用、食事係をやっていた為、命を長らえた駄目忍者、桃丸。この面子で一番の兵は、何と姫という有り様なのだが。信長でさえ深追いはせぬであろう奥深い山を超え、父の軍に合流できれば助かる可能性はある。山中には、山賊、獣、人の恐れて通らぬ懸崖など危険にだけは事欠かない。この緊迫感の中で姫一行の命崖の脱出が決行され、そこに魔聖剣、天切丸争奪が絡んでメインストリームが展開する。
登場するキャラクターは、旅人を襲い、殺害してその肉を喰らう百鬼丸の一行、彼らを手下にし、利用しようとする、凛太郎とその配下、屍一族。更には、現在は、姫に懸けられた信長の賞金を狙って動く脱忍で、くの一を操る蛾獣丸一味、加えて桃丸の余りの弱さに現れた赤目流忍法創始者、赤目 白雲斎。前二者が、姫を狙い、後二者が、姫を守る。この攻防が派手なアクションと上手い殺陣、様々な擽りを交えながら、スピーディーな舞台に仕上げた演出によって効果的に演じられる。
筋がどうなるかは、勘の良い観客なら、かなり早く見抜くだろう。だが、筋が見えたからといって作品の面白さが減ずる訳ではない。それは、出演している役者陣の芸質の高さ、シナリオの安定感、演出のそつの無さ、各効果の適切な使用などの総合力である。
終演後、何か生きてゆく力を貰えるような温かさを持つ作品である。激しいアクションの為、役者陣には、怪我を負った者が多いという。楽日迄、大事の無いことを祈る。
完全即興
インプロ・ワークス
小劇場 楽園(東京都)
2013/06/03 (月) ~ 2013/06/04 (火)公演終了
満足度★★★
日本人演者は独りよがり
目指しているのは、アモルフな時空表現ということらしいが、アモルフなものが、てんでバラバラに提示された所で、その周りをかっちりした枠なり基準なりが囲んでいなければ、アモルフな状態は、その状態であることを積極的にアピールできないだろう。
演者たちはそれなりに一所懸命なのだが、演出力に劣る。少なくとも、一種のショーとして、舞台に掛け、金を取って観せている以上、訳の分からない物を訳の分からない物として提示する為に、プロは工夫を凝らすべきである。能力の低い者ばかりが観ているわけではない。自分達のテンションの高さをこのような対比に立って見せるのであれば、自ずから、解釈とその無効性との鬩ぎ合いを、観客の眼前に展開させることが可能となるであろう。清水も場の雰囲気を捉えるセンスは中々でも、それをいきなり沸点に持ってゆくような発想も、力も感じなかった。ギャグにもセンスを感じない。
ベルギーから来ている、ヤン・ブランデンのパフォーマンスの中で、タクシーの運転手を演じているシーンがあるのだが、イーペルマルシェへ向かう途中で、彼の右目尻の上部の血管が浮いて突然非日常が舞台上に出来するということがあった。インプロの面白さは、こういう点にこそある。ダラダラ続く日常の中に、何か常ならぬ不気味な物が、突然、その影を映す、その瞬間を、実に素早く捉え、効果的な陰影を作り出した照明も見事であった。
Give your partner good end
インプロカンパニーPlatform
【閉館】SPACE 雑遊(東京都)
2013/05/31 (金) ~ 2013/06/02 (日)公演終了
満足度★★★★
インプロの愉しみ方
インプロビゼイションは、何が起こるか、演じる側にも完全には分からないという緊迫感を背景に、観客を否応なく巻き込んでゆく。Platformは、即興の持つこのような特性を前面に出すことで、誰にも予測できない未来を俎上に載せた。この臨場感がたまらない。役者陣の臨機応変なレスポンス、音響、照明のスピーディーでセンシブルな反応、構成全体の理知的な組み立て、ハプニングの面白さが相俟って、二度と同じものは観られない非再帰性を楽しむことができる。
当然のことながら、観客は観劇しつつも受動的であってはなるまい。受け身では、即興の楽しみが半減することは明らかだからである。観客が、フィジカルなレベルでもメタなレベルでも参加できる要素が、主宰者サイドから幾つか出されている。こういう素材を上手に利用してエキサイティングでヴィヴィッドな観劇体験をしてほしい。
これでおわりではない
アンティークス
OFF OFFシアター(東京都)
2013/05/29 (水) ~ 2013/06/03 (月)公演終了
満足度★★★
イチイマ
シナリオの切れがイマイチ。言いたいこと描きたいことはよくわかるのだが、もって行き方が凡庸。良い作品にするには、一々の科白の端々に、登場人物間のドラマティックな関係が浮き上がる必要がある。それがないので、劇が平板なものになってしまうのだ。場の設定をもっと限定したほうが締まりが出た面もあろう。何れにせよ、研究が足りない。また、演出にも工夫が乏しい。もっとエッジの立った演出をしてほしい。
格闘シーンでは、海兄ちゃん役の誉田 靖敬の体の切れが良い。主役は、楽も迫った公演で、何度も噛んではいけない。
fashions!
裏庭巣箱
Studio Do Deux Do(東京都)
2013/05/30 (木) ~ 2013/06/02 (日)公演終了
満足度★★
エパーブ
様々なレベルとメタレベルがないまぜになっていて、統一する理論的支柱がないことが見て取れる。結果、至りついた地点は、ファッション自体の空疎を死と同一視する痙攣的な地平である。既存の価値観を疑問視するような視座が欠如した必然的な結果であるが、「表現」レベルには達していない。単に表層で弄ばれているだけなのだ。そのことには無論、感づいているのだが、それだけでは、表現レベルではなくその門口に漸く立ったに過ぎない。更に先に進む為には、最低限、ハイデガー、サルトル、デリダ、バシュラール、フーコー、マルクス等々を読んで、自分の頭で考えておく必要があろう。
動機/デモ隊 + ショートコント4作
ギィ・フォワシィ・シアター
シアターX(東京都)
2013/05/28 (火) ~ 2013/06/02 (日)公演終了
満足度★★★★
気の利いた作品群
オープニングでは男1人、女1人。女は肘掛椅子に座ってギィフォワシーの戯曲を読んでいる。男が訊ねる。何を読んでいるのか、とか、内容はどうだ、とか、誰の作品だ、とか、どんなジャンルなのか、とか。ひっきりなしに質問を浴びせられながらも女は応えてゆくのだが、非常に苛立っている。だが、総ては台本に書かれたことであることが明かされる。即ち現在上演されていることは、総てシナリオに沿った演技なのである。
ネタバレBOX
普通、演劇は上演される作られた世界を本当の世界と了解し合うことから始まる。つまり制作サイドと観客サイドは嘘の世界を真実の世界と読み換えるという“嘘の共犯関係”に入るのである。幕が開くとは、そういうことだ。その上で、嘘の中に現れる葛藤関係を通して人間的真実を求めるのである。作る側は、無論、その為に大変な努力をする。その努力の一つが、葛藤を通じた転移である。この作業を通常メタ化と呼ぶ。
オープニングで演じられるこの極めて短い作品「最初の読書」で、ギィは、少し捻ったメタ化と種明かしをしているのだ。今回の公演では、「動機」(1971年)と「デモ隊」(2012年)の2作をメインにしつつも、昨年フランスで出版されたコント(短編集)を上手に配して演劇効果を高めた。この演出は気が利いている。因みに上演スケジュールは以下の通りである。
1「最初の読書」2「動機」3「いらだち」4「ドジな話」5「デモ隊」6「死はピン1本で」
「最初の読書」については、既に述べた。「動機」のテイストは、ジャン・ジュネの「Les Bonnes」やサドを感じさせる。最後に演じられた「死はピン1本で」は、短編とは言いながら、サドを彷彿とさせる内容で、ギィの筆力を感じさせる。針のイメージで言えば、谷崎の「春琴抄」の鮮烈なイメージを思う読者もいるかも知れない。だがこの作品の凄い所は、その用い方が、極めて執拗であり、受難者の苦悩をできる限り長引かせる所にある。無論、受難を受ける人物もまた異様な趣味の持ち主であり、この受難を甘んじて受け入れるばかりか喜んでいる節さえある。同時に、刑を執行する女は、この行為の最初から、最も、効果的且つ残虐な方法として、また己のサディスティックな心象の満足と被験者の勘違いを利用することをも意図した上で、足のつま先から、除々に上へ、刺す位置を移動してゆく。刺す針は1本でもめった刺しである。男自慢の局部への攻撃も為される。それも、其々の場所に針を刺す時、彼が弄んできたたくさんの女の名を挙げながら、一刺し、一刺し、刺し続けるのである。結果、彼の呼吸と鼓動は止まる。彼女はそれを冷静に確かめる。この辺りの凄みが、最近、日本の作品には、少ないように思う。
「デモ隊」について言えば、この作品の背景にあるのは、サルコジが推し進めたグローバリゼイションに反対した移民の影である。日本でも、都市近郊で、車を燃やすなど日本では“ちょっと凄いね”と感じるであろう、暴動やデモが多発した時期を覚えておいでの読者も多かろう。デモ参加者の多くは、移民、或いはその第2世代、第3世代と考えられるかも知れない。無論、フランスの知識人や、ラディカルで自由な市民も含まれていよう。フランスはそういう国である。だが、もし、移民やその第2、第3世代の多いデモであったとしたら、この作品で描かれたことの意味は、現代ヨーロッパに於いて、益々、大きな意味を持つ。否、日本を含め、経済を牽引する総ての国々に於いて妥当性を持つと言わねばなるまい。世界中で経済を牽引する国の総てが、より安い労働力を求めてそのシステムを構築しているのはまぎれもない事実である。而も、その経済優先政策によって、彼らに対する搾取は公然と認められているのみならず、合法化されているのである。合法化とまでいかなくとも、彼らは同じ労働をする、牽引する側の国民と同じ条件では働いていない。これが、差別でなくて何だろうか? 因みに差別をここで定義しておこう。差別とは、生まれや生まれた地域、地域特有の文化など、この世に生まれた個人が、その責任を問われる必要の無い偶然の条件によって、その個人が生活するに当たって関係する他者から、不利益な扱いを受けたり、不当な迫害、嫌がらせなど人間としての尊厳を踏みにじるような扱いを受けることである、と。誰もが知っているように、人は親を選んで生まれることはできない。宗教的には、前世の行いの結果という考え方があるが、自分は無宗教者、無神論者なので、この立場は採らない。従って、差別は不条理(absurde)である。この不条理ということばには、馬鹿らしい、非論理的などの意味も含まれていることに注意すべきだろう。従って、常識的倫理に従えば、差別する側に立つ人間は、不合理で非論理的、即ち、余り優秀な頭脳は持ち合わせていない方々、ということになろう。でなければ、人間という概念にはそぐわない存在か、敢えて愚か者の振りをして、自らよりも更に知恵に欠ける人々を毒牙にかける、程度の低い悪党ということである。こういう手合を下司と言う。態々、解説する迄もないか。日本の政治屋、官僚、経済人、御用学者には、この手の奴バラが多すぎる。
森下 知香の、普段とはちょっと異質な、可憐な悪女ぶりもファンには見逃せまい。(追記6.19)
RADIO311
GROUP THEATRE
ウッディシアター中目黒(東京都)
2013/05/29 (水) ~ 2013/06/02 (日)公演終了
満足度★★★★
F1事故遠近
2011.3.11 午後2時46分。宮城県沖で起きた大地震は、M8.4と報じられ、関東でも長い揺れが多くの人々の心胆を寒からしめた。その後、襲い来る大津波に、死者、行方不明者は交通インフラ遮断や通信途絶、原発爆発などによっても立ち入ることを拒まれ、実数は無論のこと、安否確認、危険地域からの避難・誘導についても混乱を極めたのは周知の事実である。
ネタバレBOX
一方、仙台の母子家庭で育ち、現在は、東京、目黒の賃貸アパートで暮らすニートの青年の部屋には、大家からの退室勧告、NHKの集金人などが、押し寄せてくる。無論、携帯に入る電話は、借金の督促だろう。彼が掛けるのは、友人への借金の申し込みである。毎日、叶いもしない夢を漠然と追い掛けて生きているというのが、彼にとっての日常である。
だが、この地震の後、今後の生活に不安を感じた彼が、コンビニに食糧、水、その他生活に最低限必要と考えられる物資の買い出しに行き、戻ってみると、部屋の中には、見ず知らずの人達が、ラジオを前に“ああでもない、こうでもない”と言い合っている最中であった。「自分の部屋だ」と言って追い返そうとする彼に、「困った時は助け合いが肝心」と迫る彼らは、一体、どこの何者なのか? 何れにせよ、途切れがちのニュースを必死の面持ちで聴く彼らの態度は、尋常ではない。口々に語られる話の内容からすると、彼らは被災者のようであるが、ここは、現地から200km以上も離れた東京である。被災者が、なぜ、東京に現れたのか? 而も、津波に襲われて間もない時刻だというのに。彼らは、しきりに津波で別れ別れになった家族のことを話している。電話網は、回復していない。安否が確認できないので、ラジオのニュースに齧りついているのだ。青年はドアを開けて皆を追い出そうと試みるが。ドアはどういう訳か、開かない。青年も彼らと共に閉じ込められていたのである。
幾日か経つと、避難所のニュースなども流れるようになった。するとアパートに来ていた人々とニュースに出た人の再会が果たされる。アパートには、煙が降りてくる。煙が晴れると、件の人々の姿は消えている。成仏したのである。こんなことを繰り返しているうちに、残るは、息子を思って情報収集する夫婦とアパート住人だけになった。而も彼らは再会を果たすことなく煙と共に昇天する羽目になった。最後の頼みに息子への伝言と写真を青年は預かった。
現地では、責任感の強い父親が、孫を妊娠した娘と女房を置いて、福島原発3号機の収集作業に向かった。1号機は既に爆発を起こし、3号機も何時爆発してもおかしくない。而も、原始炉内部がどのような状態になっているかは誰も分からない。分かっているのは、冷却水が減って、炉心がむき出しになっているだろうこと、従って、炉心を冷やせなけれ、遅かれ早かれ爆発なりメルトダウンなり、メルトスル―が避けられない、ということである。できれば、若者に被ばくさせたくない。彼はベテランでもあり、自分らが行かなければ、誰にも抑えられないという経験と自負もある。恰も、原発自体が、生き物ででもあるかのように擬人化し、語り掛けて収束作業に向かう彼らを新たな爆発か余震が襲う。(追記後送)
月の岬
SPIRAL MOON
「劇」小劇場(東京都)
2013/05/29 (水) ~ 2013/06/02 (日)公演終了
満足度★★★★★
詩
詩的なシナリオに見合った質の高い、演出、演技。舞台美術や小道具に至るまでの物が、多くを語る。緻密で奥行きのある優れた作品。舞台上で微妙な情緒を表現するのに用いられるスモークの焚き方、照明も絶妙。
ネタバレBOX
オープニング、下手奥から登場した長女は、襖を開け、直ぐ奥に消えてしまう。間もなくチーンと仏壇にまいる様子を伝える音が聞こえてくる。
一瞬、存在した者が、非在の相へ転位すると、短い間を置いて、音という位相で存在を露わにする見事さ。観客は、先ず、この手際に驚かされる。
舞台美術も単に手が込んでいるというより、気の利いた使い方をされている。舞台正面にちゃぶ台を置いた居間があり、ここで、話が展開するのだが、この部屋の手前、観客席側に濡れ縁があり、上がり框には、靴脱ぎ石が置かれているのだが、この石の上に置かれる履き物の位置や履き物同志の距離などによって、舞台上の登場人物の親疎まで照応して表現されている。無論、靴脱ぎ石に載る履き物の数は限られているから、それ以外の場所に置かれた時には、履き物石の上の履き物とそれ以外の場所の履き物との関係を見れば良い。
シナリオは、基本的に長崎辺りの九州弁。舞台は、フェリーで渡る大島という離島である。この島には満潮になると島からも切り離されてしまう京が崎というエリアがあるが、大潮の時は殊に潮流も激しく、流れに浚われ、行方不明になる者も後を絶たない。悲恋の末に波に浚われた美姫の伝説もある。更には、この海で命を落とした者達の霊が、ここで泳ぐ者を、海の底に引きずり込むという話もまことしやかに語られ続けているのである。
海と月光に照り映える水面の美しさばかりが、無上の詩情を誘うばかりの微妙繊細な、而も一旦変化すれば人の命などひとたまりもないような荒々しさを秘めた底知れぬたゆたいを背景に恋の闇が息づく。
男と女はかつて恋仲であった。その恋は、駈け落ちをする寸前迄、思い詰める程のものであった。而も、すんでの所で女は、自らの生活を選び、男は単身東京へ渡って、事業を立ち上げたものの、経済の失墜の煽りを受けて倒産。妻子を捨て、夜逃げをして故郷に舞い戻っていた。連日のように男は女に迫った。然し、女は「むかしのことは忘れた」と答える。「帰って下さい」とも。「迷惑です」とも。結婚した弟夫婦も巻き込んで、執拗に姉に迫る男を退散させるが、満月の晩、姉は家に戻らない。弟はきっと妹夫婦の面倒を見ている義父の見舞いにでも行っているのだろうと高を括っていたが。駐在が、姉らしい人物を見た、という証人まで連れて訪ねて来たのを見て、漸く己の不明を悟り崩折れる。
実は、前兆があったのだ。弟の結婚を知って、付き合いを始めた女生徒が居たのである。彼女は、デートで付き合い始めた彼と共に海に行った。其処で初めてディープキスをする、そのことで妊娠したのではないか、とそれとなく匂わしたのだが、信夫はその意味する所を捉えきれていなかった。脅迫めいた電話が入ったり、学校の仕事を終えて帰り掛けに何者か数人に襲われたりということがあった。これらの事実を関連付けて考えることが出来ない。劇中、弟のキャラはずっとこのようなものとして描かれている。信夫の妻は流産した。姉の失踪する前から彼女は10日間程、家で療養している。療養中に満月は来た。一際大きく、波のざわめきが聞こえる。信夫に電話が入る。高校生カップルの彼からだ。彼女は自死したらしい。靴脱ぎ石の横の大きな水瓶に映り込む満月の怜悧な光を浴び信夫はがくりと膝を折る。或いは姉の失踪と死、女子高生が、自分に憧れていたことに気付きでもしたかのように。己の想像力の欠如に今更。
Life goes on
style K
横浜関内ホール(神奈川県)
2013/05/30 (木) ~ 2013/05/30 (木)公演終了
満足度★★
レベル
第一部Ho Gilの歌唱力は高い。然し、司会・進行、ピアノ、歌、ステップなども演じる武藤 寛は、どれも中途半端、特に、進行中に同じタイプのギャグを何度も使うなど芸の無さも際立つ。Songのエレクトリックヴァイオリンも被せているCDの音が大き過ぎて、演奏が聴き取れない、大切なのは、生の演奏だろう? 何か勘違いしているのではないか? 斉藤 元紀のギター演奏にも、共鳴板に手をぶつけて雑音が入るなどのミスがあった。坂口の歌唱力もまずまずで、ソロで歌ったら聴きたいレベルではない。出演者5人のうち、満足できる音楽センスを持っていたのは、Hoだけであった。
第二部に入って漸く、エンジンが掛かってきたのか。一部よりかなり良くなったが、ここで読まれた“詩もどき”ももう少しレベルの高いテキストを用意して欲しい。詩というレベルの言語表現ではない。
水底
ポムカンパニー
ギャラリーLE DECO(東京都)
2013/05/29 (水) ~ 2013/06/02 (日)公演終了
満足度★★★
卑怯
芝居の演技や演出をとやかく言う前に、精神的に余りに幼稚だ。水底というタイトルに象徴されている息苦しい世界に主人公が迷い込むのは、その幼さが原因であろう。
ネタバレBOX
若いとはいえ、作家は二十代後半ではあろう。その割に余りにも幼い。恰も精神的に退行現象を起こしてでもいるかのようである。先ず、対自存在、即自存在と言った存在論の基本レベルでの諸問題に自らの選択による責任を負っていない。というより、スキゾそのものである。しかも、自らがスキゾであることを意識している風でも無い。唯、アリバイをつくり、実際には、中途半端な地獄を楽しんでいるに過ぎないのに、モラトリアムを長引かせる為だけにアリバイ工作をしている。鬱の話も出てくるのだが、それで、真に鬱に陥らざるを得ないのは、母である。この一家では、母に総ておんぶにだっこで負担を掛け、結果、母は自殺未遂を起こしてしまう。そして、そうなって初めて、母に負担を掛けていた、と気づく振りをする。実に嫌な内容の芝居である。そして、その甘えとアリバイの地獄を実際には肯定し、恐らくは選んですらいるのに、人間面をして見せるのだ。幼稚な上に、余りに卑怯な精神を批判するでもなければ、からかう訳でもなく、ある種の言い訳として提示して見せたような芝居。
歪な猿達、夢を見る。
HIGHcolors
テアトルBONBON(東京都)
2013/05/29 (水) ~ 2013/06/02 (日)公演終了
満足度★★★
勉強が必要
作り方として余りに日常のダラダラ感が強い。世話物でも緊密感を出した作品は作り得るので、テーマを深く掘り下げて作ってほしい。
ソウルドリームズ
ぱるエンタープライズ
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2013/05/28 (火) ~ 2013/06/02 (日)公演終了
満足度★★★★
舞台が締まった
ぱるエンタープライズの作品も森井 睦の演出とピープルシアターからの客演で、舞台が引き締まった。オープニングの効果音、役者達の形作るフォーメイションの美しさ、動きの躍動感と合理性で観客を劇空間に引きずり込む手腕は、何時もながらのものだ。
ネタバレBOX
7年間演じ続けた小劇団主宰者が、シナリオ・監督を受け持ち、劇団のメンバーからも多くの出演者を選んで、映画デビューを果たす群像劇。ただ、この発表で、劇団内には激震が走る。同じ仲間として苦楽を共にしてきた仲間が、選ばれる者、選ばれなかった者で線引きされ、親の反対を押し切り或いは苦しいバイト生活を続けながら、同じように頑張って来た仲間の明暗がはっきり分かれる瀬戸際でもあるからだ。主役を常に張って来た者への嫉妬、コネのある者への妬み、才能ある者、ない者、ボーダーにある者の迷い等々、其々の心に渦巻く感情は嵐にも似る。
そんな中、劇団で常に主役を張って皆を引っ張って来たリョウを狙い澄ましたかのような「事故」が、立て続けに起こる。流石にこれは怪しいと劇団員自身のうち何人かが原因を調べ始め、事件のからくりを暴き、犯人を突き止める。
役者の実人生と非常に近い設定なので、自分自身をさらけ出すような役作りになるわけだが、自分自身のことは自分が一番分かっていない、などという逆説と同じような役作りの難しさも出来する。舞台に限らず、総て表現する者の優劣は、己に嘘をつかず而も己の総てを人々の前に晒すことが出来るか否かに掛かっている。いみじくもボードレールが指摘しているように、「芸術とは売春の趣味」なのだ。主役の座を巡り、或いはヒロインの座を巡って熾烈な争いが展開される。
“結果が総て”という現場で、プロフェッションに賭ける役者意識の凄まじさと覚悟、己を裸にする勇気と潔さが、爽やかさを覚えさせる。オープニングの所でも指摘したことだが、群舞の美しさ、フォーメイションの美しさと合理性も見逃せない。森井が今迄積み上げてきた財産ともいえる群衆劇のノウハウが、至る所で活かされている。演技では、殊にコトウ・ロレナが光る。発声も徹るタイプの声質で声量の大小で調節するタイプではないのが、彼女を引き立たせるのに役立ってもいる。フラメンコを踊るシーンでも、あの激しい踊りの本質を掴んで豊かな表現をしている。彼女の感性の広がりと柔軟性、緩急を見抜く力と、研究熱心が、芸に更に幅と奥行きを加え、これまでの舞台経験を内包して、前回観た時より更にステップアップしている。
ところで、タイトルでサスペンスを謳っている割に、その要素が薄いのは、多くのサスペンス作品を見慣れた観客には、不満だろう。
宮澤賢治 コミックオペレット『饑餓陣営』
「戯れの会」
シアター711(東京都)
2013/05/27 (月) ~ 2013/05/30 (木)公演終了
満足度★★★★
涼風
賢治が戯曲形式で、生徒たちの自習上演を前提に書いたコミックオペレット「生産体操」が幾多の改稿を経て「飢餓陣営」になったわけだが、曲想自体の素晴らしさを活かし、生演奏をクラシック畑を歩んで来た演奏家たちに任せて質を高め、多くのヴァリアントを独自に再構成して纏めた演出センスと役者陣の音感の良さに好印象を得た。
しかも、日進・日露以来戦争をし続けていた日本で、男の子は、軍人になるのが当たり前の軍律社会にあってなお、自由闊達で柔軟な精神を失わなかった、表現者・宮澤 賢治のヴィヴィッドで明澄な世界が、巧みな構成で躍動感に溢れて蘇っている。
仏の顔も三度までと言いますが、それはあくまで仏の場合ですので
ポップンマッシュルームチキン野郎
サンモールスタジオ(東京都)
2013/05/24 (金) ~ 2013/06/03 (月)公演終了
満足度★★★★★
劇場に入る前にトイレ行っといた方がいいよ~
サービス精神たっぷりのPMC(勝手に「ポップンマッシュチキン野郎」を略)だが、今回は、ちょっと趣向が変わって、一度、着席したら席を立ちたくないような前説をやっているから、こうご期待!
ネタバレBOX
オープニングに骨壷が二つ並べてあって、其々がライトアップされている。エンディングにも、同じ骨壷が矢張り同じようにライトアップされる。
内容的にはコテコテの世話物なのだが、PMCが演じるとドライで而もポップ。如何にも時代を映す鏡の如き作品となる。では、何故、自分が、この作品を世話物と呼ぶか、と言うと、而も態々、コテコテという修飾語までつけて。内容的に、親・子、兄弟、夫婦、愛人、宗教、信心、習慣、自己と他者等々が所狭しと描かれ、否、本質的にそれ以外は描かれていないからである。言い換えれば人情、義理即ち社会的ルール等々がぎっしり鏤められているからである。
伝統的概念で代表させるとなれば、義理と人情なのだが、PMCのユニークな点は、これらに対する加工である。この加工の仕方に幾つかの要素を入れているわけだが、一つに、アイロニカルでシニックなパロディー、一つに時代性、三番目にこの「国」の特殊性である。これらを実に巧みにバランスさせる所にこの劇団の上手さが見られる。
内容説明は、公演中なのでしない。但し、オープニング、エンディングで仲良く並んで提示される骨壷の意味する所は、実に意味深長である。表面上は、対立し合った兄弟の遺骨なのだが、仲良く並ぶ姿をライトアップして見せることによって、この世からあの世へ渡った後も、劇中で描かれたように、誠に因縁浅からぬ後世(ごせ)を送るであろうことが、了解されるからである。また、数多く登場する妖怪たち、“中東事変”メンバーの化粧、イスラム、仏教、キリスト教など異なる宗教の作品世界へ同居などは、共同体と外界、その辺縁を表して示唆的であり、而もその境界領域に於いては様々な揺れが確認できること、その振幅次第で状況は大いに変わり得ることを示した。異質な者達の共働は、多少歪みというスパイスを効かせながらも、より広く更に開かれた共同体の存立を暗示して象徴的である。
ずぶ濡れの物売り
カトリ企画ANNEX
atelier SENTIO(東京都)
2013/05/24 (金) ~ 2013/05/26 (日)公演終了
満足度★★★
放念?
避雷針を売りたい男と買いたくない男のとのやり取りを描いた作品。幾つか、意味ありげな仕掛けを出し、使って見せるが、演出、出演者共に、余り、理屈を突き詰めていないらしい。
ネタバレBOX
ただ、話をすると、日本語の間違いがあるようだし、パンフレットを見ても、言葉の誤用が多く見られるので、そのズレを自分達の表現、つまり+αと思い込んでいるかも知れない。少なくとも余り知的ではないようである。そして、そのことをどうにかしようとか、変形させようとしているのでもないらしい。唯、己の身体を投げ出し、解釈は観客に任せる、ということに尽きるらしいのだ。
つまり、投げ出された身体に対して、過剰な意味を付与されることを拒否するわけでもなければ、積極的に解釈をパロるわけでもないらしい。放念したように投げるらしいのだ。
ものすごいオジさん
ZIPANGU Stage
萬劇場(東京都)
2013/05/22 (水) ~ 2013/05/26 (日)公演終了
満足度★★★
喜劇は難しいよ
小手先の馬鹿馬鹿しさを意識し過ぎて作っているように思う。受け狙いということか。その為、わざとらしさが鼻について素直に笑えない。それに物凄い、という感じも受けなかった。
ネタバレBOX
浮気や隠し子の話など掃いて捨てるほどたくさんあるわけだし、母親が知るとショック死するなどということは考えにくい。設定に無理があったり、リアリティーに欠けたり、そもそもの設定を間違っていたりで、残念だ。
おじさんの人数にも問題がある。2人乃至3人で良い。対立軸で描くか、弁証法で描くか。どちらかだろう。観客の期待を良い意味で裏切るような作品作りを目指して欲しいものだ。
恐怖が始まる
ワンツーワークス
劇場HOPE(東京都)
2013/05/24 (金) ~ 2013/06/04 (火)公演終了
満足度★★★★★
淡々と
この国で価値とされてきた、美徳とされてきたものの内実が、その内部から瓦解してゆく姿を淡々と描いて秀逸。(追記 5.26)
ネタバレBOX
現在、この「国」の緊切な話題は、無論、原発人災をどうするかだ。この難題に立ち向かっている原発労働者、それも下請け労働者とその家族が主人公である。作品の作者は、元ジャーナリストだから、そういう視座からこの物語を作り、演出している。従って、人々の私情が矢鱈入り込む余地は予めない。その突き放した作風こそ、この作品の成功の秘訣だろう。科白も恰も取材者が、取材対象から得て来たドキュメントを構成したような作りになっていると言ったら分かり易いだろうか。
放射性核種の齎す恐怖を描く以上、原子物理学の知識も無い者にその恐怖を理解させることは愚か、想像させることさえ、かなり難しい。放射性核種は、我々の五感では一切捉えられないからである。目に見えないだけでも、それがどういうものか想像させるのは、共通認識がなければかなりの困難を伴うだろう。まして、放射性核種となれば、世界中の推進組織が必要なデータを隠す。或いは歪曲化したり、わざと間違った情報を流す等々の工作をしているのだから、大抵の人は何を信じていいのか分からない、などということになりがちだ。その場合、訳が分からない物・事は、漠然と怖くても、実際には、自分が何を怖がっているのかも定かでない為、大抵の人は、忙しいと逃げを売って忘れたことにしてしまう。
一方、物理的な事実は、その条件下では無論絶対である。地球上で物が、落下する場合の加速度は、4.9S²である。これは、地球上であれば、どこでも通用する。音速は331+0.6T、Tは、常温で15度cを意味するから、音速は秒速340mと考えるのが基本である。こんなことは、義務教育で総て習ったことなので、今更態々繰り返すのも愚かなことだが、誰でも知っていることを例に挙げた。
所謂「専門家」が、「素人にはわからないのだから黙っていろ」などと暴言を吐きつつ、己がどんなに馬鹿げたことを言っていたかと言えば、例えば原子力安全委員会委員長であった、班目春樹が、どれほど、頓珍漢で愚かなことを言い続けていたかを見れば、明らかだろう。原則を見、原理を知り、自分の頭を明澄性の中に置くことを知って、正しく推論するなら、例え、専門の学校など出ていなくても正しい推論は立てられるものである。それが出来ないのは、前提に間違いがあるか、推論に間違いがあるか、計測すべき何かを計測していないなど初歩的なミスを犯しているかであろう。
この作品は、淡々と避けられない被曝を描くことによって、それが、何を破壊し、破壊される恐怖が、どんなに人間関係をズタズタにするかを描いている。劇場に入ってすぐ気付くのが、原発建屋を模した幕で、無論、上部は、金属が錆び、折れ曲がったフェンスのようになっている。ニュースの映像で、今は誰でも知っている事故原発の外部だ。
安倍内閣のいうような楽観的なことは、2年以上経った今でも、何一つ言えない。そのことを胸に刻んで、生命総てに害を齎す核というものに想像力を働かせたいものである。
何度もすみません
MacGuffins
シアターKASSAI【閉館】(東京都)
2013/05/23 (木) ~ 2013/05/26 (日)公演終了
満足度★★★★
切なさ
ビックリすると過去に戻ってしまう特異な「体質」の為、志村は人生で最も肝要なこと、即ち、恋愛や仕事に何時も怯えていなければならなかった。いつ何時、どの過去に飛んでしまうか、それが分からない以上、恋をしても、愛すれば愛する程、相手に対して責任を負い切れない自分の惨めさがつのるだけなのである。仕事でも同じだ。生涯を賭けて打ち込みたいと思ってもチームワークを組むような仕事は基本的にできないのだ。ハッキリしていることは、びっくりしてしまえば、確実に過去へ戻り、積み上げて来た物・事は、瓦解してしまうこと。
ネタバレBOX
とまあ、こんな状況に置かれた彼は、小学校のバレンタインデーに同級生の女の子、大野から、チョコを貰い、告白されて、過去へ初めて飛んだ。その後、類似の例が何度も起こり、その度に飛ぶ距離が異なるので、29歳になった今では、在る程度、超える時間を制御できるまでになっているが、シジフォスのような精神力もなく、この苦役に耐えるのは並大抵のことではないのも事実である。そんな志村にも心から慕う女子は居た。高校時代の同級生、篠原だ。同じ図書委員で、よく一緒に居る。下校も一緒のことが多い。篠原も、志村を嫌っては居ないようなのだが、どうも上手く思いを告げられない。そのうち、二人は、それ以上の関係になることなく卒業し、志村は、引き籠るようになっていたが、ギャラ2000万円というアルバイトに出会い、これを始める。仕事の内容はクイズ戦士、但し条件がある。絶対に文句を言わないこと。ギャラ以外の仕事の条件は、24時間いつでも出された質問に応えることだ。ギャラが年俸なのかどうかについての説明はなかった。
折も折、偶然が、二人を引き合わせた。然し、二人のデートは、質問によって邪魔されたばかりか、彼女に連絡が入って、尻切れトンボのような別れ方をしてしまう。その後、そんな別れ方になってしまったことを詫びる電話が、篠原から入り、二人は再びデートすることになるが、彼女の都合と、小学校時代に告られた女の子、大野とのデート日時が重なってドタバタが演じられる。この中で、クイズ戦士のギャラは何処から出ているのかも明らかになってゆく。クイズ戦士とされた者は24時間監視体制下に置かれ、一挙手一投足をモニターされており、面白い場面は放送されていたのである。TV局の新コンセプト番組の出演者だったわけだが、志村本人はTVを全然見ないので、そんなことが起こっていようとは夢にも思っていなかった。
つまり、深読みとは言わない迄も、このシナリオに内包されている意味として、篠原と志村が10年以上も経って会ったのは、偶然では無く、TV局と関連スタッフによる仕掛けだった。無論、当事者二人は知らぬことであった、が。
何れにせよ、志村を挟んだ三角関係に近いものになってしまったドタバタのせいで、女性二人と志村の関係は壊れてしまう。思春期から恋する若者の世代に至る演技は、三角関係を演じた三人ともに、切なさを出していたが、特に志村役、篠原役は痛切な内容も含めて人々の心の底に眠る自分自身の経験を思い出させるに足るものであった。何れにせよ、このドタバタの中で、志村にこのアルバイトを紹介してくれた小学校時代からの友人であり、現在では篠原の婚約者であり、且つ、TV局ともつるんでいるらしい藤川との関係を変えるべく、志村は過去に旅立ち、志村と篠原の関係に割って入った藤川との関係を変える。
無論、この結果、物語はハッピーエンドを迎えるのだが、篠原が、志村と同じ、時を遡る人であったことが明かされるのが妙味だ。
そうなると、最初に志村が、思いを告げようとした時、「ごめんなさい」と言った篠原の科白は、決して、志村を拒否したのではなく、その頃、既に志村を愛していたからとも読み替えられる。
蛇足:物理学を修めた人が観たら、物理的に在り得ないような時間論のミスはあるが、その辺り、映像と実演を巧みに用い、イメージとして見事に昇華していることで勘弁して欲しい。殊に、自分の意思で過去に戻ることを決めた志村が、時間を遡るシーンでのモノクロ映像と演技のコラボは秀逸なのだ。
ノミの心臓
劇団サミシガリヤ
シアター711(東京都)
2013/05/22 (水) ~ 2013/05/26 (日)公演終了
満足度★★★★
女性たちの真の自立へ
等身大の自分達(アラサー女子)を描いた勇気を評価したい。男性社会の象徴である勅使河原の上司としての貫目の描き方を見ても作者のしっかりした人間観察の目が感じられる。また、矢張り、アラサーのプロジェクトチーフ、栗原の立ち位置と本当の願いをさりげなく出している所も上手い。
ネタバレBOX
栗原だって芸能界に憧れて、この世界に入ったのだということが、たった一つの科白で分かるようになっている点でも、シナリオライターとしての力は知れよう。物を実際に作り上げることの困難とやり抜くことに伴う、悪を含めた覚悟の程を劇化している点も評価したい。
惜しむらくは、中ほど、メンバーが久しぶりに実家に帰ったことを話す下りで、前半ずっと続いていた緊張の糸が途切れ、劇的なポテンシャルがトーンダウンしたことである。ここは、何とか演出で工夫するか、若しくは構成を少し変えてトーンを上げて欲しい。これが成功すれば、作品レベルは、間違いなく上がる。
ラストに近いシーンでの武道館ライブシーンでは、女性達の可愛らしさや美しさではなく、生き方の格好良さ、というのを初めて感じた。女優達の演技の賜物である。
と同時に、これからの女性が、この舞台に描かれたキャラクター達のような試行錯誤を通じ、長い思索の果に真の自立を果たす端緒を示し得たのではないか、と感じる。その意味で、非常にチャレンジングで前向きでありながら、実人生にありそうな世話物になっている。この劇団の今後に期待したい。
『問わず語り』
劇団ドガドガプラス
明石スタジオ(東京都)
2013/05/23 (木) ~ 2013/05/26 (日)公演終了
満足度★★★
身体のメタ化
5月23日19時開演の本作を拝見したが、導入部の主演、あれでも演技のつもりだろうか? 科白の内在化は愚か、そのようなことに気をつけているということすら感じられない所作の連続であった。溜めなどの発想もなければ、きちんとした人間観察もしていないのではないか、と疑われるほどの出来であった。板に上がる以上、そういうテンションで上がって欲しい。
以上のような方法を採らないなら、呼吸や、心拍数の調整で年齢を表現するような、生理学に基ずいた身体表現の基本を身につけるべきである。観客の目は節穴ではない。漸く、所作に締まりが出て来たのは、休憩直前のお富が亡くなるシーン辺りからだ。
休憩後は、年齢設定が、主役自身の実年齢に近い、ということもあったのであろうし、テンションが上がったという側面もあろうが、合格点に達した。