ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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韓国新人劇作家シリーズ第二弾

韓国新人劇作家シリーズ第二弾

モズ企画

タイニイアリス(東京都)

2013/11/27 (水) ~ 2013/12/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

メタ演劇
 上演回によって、演目が異なるので、よく確認のこと。

ネタバレBOX

罠 
 閉店間際に飛び込んで来た偏執狂的な客と量販店のカメラ売り場店員、店長、警官を巻き込んでのファルス。客の職業は弁護士だが、デートの約束がある女店員を相手に、来店の目的を一言、箱の表記と中味が異なるので交換に来た、と言えば済むものを、交換に来た、とだけ言うものだから、店員は、当然、商品に不具合があるものと考えて、その点について質すと、言い方に難癖をつける、人権問題だと食って掛かる、おまけにパソコンで確かに、この客が、昨日、この店で、この商品を買ったことなどを確かめただけなのに、48回分割払いにしたことについて、個人情報収集に当たるのでは云々を言いだす。総てが、こんな調子なので、偶々、戻って来た店長と対応するが、一々、文句をつける態度は変わらない。終に堪りかねて警察に連絡、警官が来るが、、その時、強盗だ、と言って警官を呼んだことに対する抗議は延々と続き、20時少し前に来た客は0時を回り、朝を迎えるかも知れない状況で、互いのバトルが繰り広げられる。店側の反撃は、客が店長と女店員の写真を撮ったことを肖像権の侵害、と言う、それに対して客は、客が、カメラテストの為に、撮影をしたからと言って店員の肖像権が成立するのか、と反論する。或いは女店員に対するセクハラ容疑写真についても、幕切れで反論を始める。
 この作品の基本はファルスなのだが、受賞作となった原因は、このラストが、ホラーに転化し得ているからだろう。余りにもくどい、店員たちへの顧慮等一切ない、偏執狂的言質で、一般人を追い詰めてゆく弁護士より、観客は、店員たち、警官を気の毒に思って観ている。つまり観客のメンタリティーは、一般人に同情的なのである。だが、その彼らが漸く手にしたかに思われた勝利は、弁護士の反論によって覆されるかもしれない、という所で幕を下ろすことによって、ファルスはホラーに転化したのである。
 更に、俯瞰的に見てみよう。作る側と観客とのオルタナティブな関係が、演劇を成立させることに思いを馳せるならば、作る側はこのメタ作品を呈示することが役割、一方観客はこの構造を見抜き、再びファルス次元に戻して現実に戻るのが、役割だ。即ち、作る側の提示した作品と観客とが想像力の綱引きをすることによって、劇場を後にすることが出来るか否かをも問い掛けているだろう。そのように知的なゲームであることによって、今作は、喜劇たり得ているのである。
ピクニック
 年老いた母は、アルツハイマーを発症している。彼女は、娘を1人産んだが、その潔癖症と神経症的傾向から、娘の行動範囲を厳密に結界で区切り、自由を奪って育てた。その潔癖症は、1歳になるかならぬかの娘が、食事を食い散らげることをも許さない有り様。おむつにする排泄物に関しては、推して知るべし、である。その娘も子を産んだ。自らの経験に内心我慢ならない娘は、自分の子を自由に育てたいと望む。従って結界を設けない。漸く、立ちあがってよちよち歩くことができるようになった頃、子供は、海へ行きたいと願う。ピクニックである。3人は連れだって海辺へ出掛けたが。アイスクリームを買いに行った娘が戻り掛けると、子供は、海に面した弾劾に向かってゆく。老母は蕎麦に居るが。アイスクリームが溶ける。若い母は立ち尽くす。
 この時の経験を巡ってアルツハイマーを発症した老母と若い母とは、延々と過去と現在を往還する。その束縛と自由への憧れ、起こったはずの事実と事実を認識する狭間での乖離、互いの認識ギャップと認識主体の崩壊過程に於ける不如意を、聖職者の着るちくちくする着衣のような老母の編み物と若い母の悔痕の情・母性、客観的なもの・ことを総て曖昧化してしまう老母の妄想を、蝋燭の朧げな光でないまぜにし、想像力の時空へ誘う金 世一の能を意識した演出が巧みである。また、文字を打ち出す時のスタッカートのような切れ、雷鳴、子供が操り人形で表現されている点にも注目したい。映写シーンで糸の絡まる人形の大写しが映し出されるが、このシーンの象徴性にも着目すべし。
DIVISION POINT -分岐点-

DIVISION POINT -分岐点-

いいむろなおきマイムカンパニー

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/11/27 (水) ~ 2013/12/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

観なきゃ損するぞ!!
 久しぶりにマイムらしいマイムを観た。Mimeは、元々無言の道化芝居であるから、科白は無い。そんなわけで、余り複雑な表現、混み入った表現をするのは、至難の業である。この弱点を克服する為には、シナリオを良く練り、内容が身体表現だけで、観客に読み込めるよう、合理的・理論的に筋を通す必要がある。無論、それが出来た上でなら更に高度な表現にもチャレンジできるが、先ずは屋台骨がしっかりしていなければならない。(ネタバレ追記2013.12.3)
 

ネタバレBOX

 本作で言えば、のっけ、低い明度の中、白い紐が1本登場する。その上で手袋をした手が、綱渡りをしたり、若干、アクロバティックな動きをしたりした後、最初、1本であった紐が二又に分かれる点などである。これは、タイトルのdivision point ともう一つのコンセプト decisionに呼応しているのは無論のことである。この二つのコンセプトを繋ぐ遊びとして椅子取りゲームに想を得たパフォーマンスや、列車を用いた出発のイマージュが演じられるが、途中、毛色の変わったオノマトペを用いたような即興パフォーマンスが入ったりして、場面転換を図り、リフレッシュ作用を齎す。科白を用いないというコンセプトなのに反則と考える向きもあるかも知れないが、オノマトペに意味は無い。場転と笑って許して欲しい。マイマーは全部で7人、その中に作・演出のいいむろ なおきも入る。
 先に述べたようにストーリーに列車が絡んでいるので、小道具に汽車が出てきて宙を舞うシーンでは「銀河鉄道の夜」を彷彿とさせる。この時、明度を落とした中で手袋が鳥のように羽ばたくことで浮遊感覚を観客の心に見事に呼び込んでいる。この為、こんなに小さな小道具が、銀河鉄道迄膨らんでゆくのだ。
 このようにイマージュの欠片を象徴的に用いて極めて広く深いイマージュを観客のイマジネーションとの間に紡いでみせる。このコレスポンダンスの見事さに、作・演出の素晴らしさと同時に演者としても関わる、いいむろ なおきの才能が煌めいている。そして、それが、マイムという形式のパフォーマンスである以上、どんどん変わってゆき、形を変えて行くのであるが、例えば、明度を落とした舞台の上に立つ人の回りを鳥のように舞っていた手袋達が、彼の体に寄り添うように貼りつくと、人は其処から抜け出てしまう。砂上の楼閣のように残ったヒト型の慄然たる美。更には、decisionの演目に移る際、宙から落ちてくるシーンでは当にどんぴしゃりのタイミングでスポットライトが当たる。本当に宙から落ちてきたかのような錯覚を起こさせるほど、難易度の高い照明、音響とのコラボも見事である。
 オープニングでは、division開始を他の者が、指示していたのだが、ラストシーンでは、オープニングで指示を出していた人物からイニシアティブをとり、decisionに移行する。この辺りの論理構成力も見事である。
タンゴ・冬の終わりに

タンゴ・冬の終わりに

ULPS

ワーサルシアター(東京都)

2013/11/26 (火) ~ 2013/12/01 (日)公演終了

満足度★★★

民死主義時代の幻想と愛に未来はあるか?
 雪組を拝見。矛盾語法に満ちた清水 邦夫の脚本を、活きた舞台にするのは大変難しい作業だが、単に芸術上のノウハウや、そのテーマとしての愛や幻想を捉えて観客の目の前に提示しても、清水の描くシナリオの半分しか捉えていないように思う。

ネタバレBOX

 言い換えれば、何故、清水の書く科白には、かくも矛盾に満ちた表現が多いのか? ということである。残念乍ら、今作ではその辺りは掬い取られていないように感じたのだ。ハッキリ言おう。清水は恐らく政治及び政治的なものに幻滅してしまった。それ故にこそ、愛だの、それに纏わる幻想だのに賭けてみようとしたのだ。然し、それには別次元の付帯要素があり、それ独自の「法則」によって極めて自然に語られるが故に、益々互いの原理の間に乖離を齎し、結果、矛盾語法で表すしかないようなアンヴィヴァレンツを生じたのだ。この、政治と愛、即ち政治と命の問題との間にある乖離をこそ、今作の底流を為すテーマとして捉え、そのメタ構造として今作で表現された風狂を重ね合わせると、より面白い舞台になる気がする。
 ところでタンゴを踊るシーンだが、群舞は兎も角、相対で踊る時には、キチンと男のリードとアドリブを表現し、女の息のあったコミットで表現して欲しかった。タンゴの特性が全然出ていない。和太鼓の使用は面白いが、インパクトのある分、使い方には注意が必要だろう。役者個々人に“狂”の定義を求めることも必要になってくるかも知れない。当然、演者自身の「言葉」でそれは定義されなければならない。それを要求するシナリオだからである。
ギョーザ丸、出港す

ギョーザ丸、出港す

トリコロールケーキ

新宿眼科画廊(東京都)

2013/11/23 (土) ~ 2013/12/04 (水)公演終了

満足度★★★

化けることができるか否かこれからの努力次第
 表層的なギャグをパロディ化するようなギャグの連発で、余りの馬鹿馬鹿しさに、あっけらかんと突き抜けた感じがしないでもないが、もう一つの評価は、安易、である。

ネタバレBOX

 作・演出家も若いようだし、役者達も若い。5回目の公演のようだが、本公演ばかりなのか番外も入っているのか分からないから、余り先走った将来予測をするつもりはないが、化けるかも知れない、と思った箇所が、中盤に1か所と終盤にあったので、意識的にこれを演じたなら注目してみたいのだ。
 意識的にというのは“Waiting for Godot”をパロディー化したなら、実に面白く読み取れるのだ。演技が、学芸会+でも、ギャグが、TVレベルの低劣なもののパロディーでも、世間智が感じられなくても、古典や近代・近世に関する知的広がりを感じられなくても、意識的にゴドーを待ちながらをパロったのであれば、そのセンス、ネグレクトした対象の正確さ、パロディーとしての痛烈などは、驚嘆に値するものであった。
 然し、現実は異なるようだ。であれば、上記の如く、演劇の基礎の基礎が出来ていない。特に、主役をやった女の子の演技は酷い。キャスティングミスである。芸の無い子に主役を振るなど以ての外。役者達には、間の取り方、科白を身体に落とし込む為の諸訓練を望む。作については、乾いた視座を評価するが、ギリシャ、ローマの古典、日本の能、歌舞伎、中国、韓国の古典、民衆芸。シェイクスピア、モリエール、近代以降では、イプセン、チェーホフを始めとして、ベケットやイヨネスコの不条理劇、サルトル以降の社会性を強く反映した哲学的内容を含む現代劇、パレスチナ・イスラエルの政治を反映したような社会劇、無論、ブレヒトなどの流れも研究する必要があろう。更に、アルトーの残酷演劇の流れや、これら総ての影響を受けて発展してきた日本の演劇についても深い勉強が必要だ。これらを為して尚潰されないパロディーをこそ、期待する。因みに、今作では、シナリオ3.8 演出2.7 演技。役者にもよるが、1.3~2.3でまあ、すれすれ星3つにしておく。
女子大生100年日記

女子大生100年日記

学習院女子大学 pafe.GWC実行委員会

学習院女子大学(東京都)

2013/11/26 (火) ~ 2013/12/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

女子力
 設定がユニークである。先ず、作品を演じる会場が、学内の普段は教室として使われている部屋だったり、カフェテリアのような空間だったり、大学構内の特定エリアだったり、と各作品毎に、観客は移動して劇を観るのだ。各作品に対して、演出家が1人就く。作・演出が同一の場合と異なる場合がある。本日1作目は、作・演出が、双葉姉妹の小池 竹見。上演場所は、教室である。(2作目追加、3作目については2013.12.4)

ネタバレBOX

 「こうしてワタシは完全になる」では、机等を四方に積み重ねて築いたバリケードの中にカツコが1人。時代設定は1969年で原作は高野悦子の「二十歳の原点」。学生運動の盛んな頃、立命館大学に入学し、自殺した少女の書いた日記がもとになった本だ。原作は、当時多くの若者に読まれ、支持された。今作で、主人公・カツコは、学習院女子短大の学生とダブらせて描かれているととって良かろうが、限定する必要はない。余り、学生運動とは縁の無かった女子短大と一般化した方が良いかも知れない。まあ、そんなに重要なことではないが、読者の好きに選んで欲しい。
 何れにせよ、既存の価値観、常識と新たな価値観や性と恋愛の関係の中で自分のスタンスを決め兼ねて悩む思春期の若い女性を描いて鮮烈さをみせる。主張自体は、いつの時代も新旧の鬩ぎ合いとしてあることながら、新しいのは、その方法、提示の仕方である。その点を強調する為もあるだろう。当時、寺山 修司等が盛んに言っていた。演劇の成立条件に観客を含める、という考え方を推し進めるように、会場に入る時に、観客には、男1、女1、女2等と各々の役割の下にアンダーラインが引かれたテキストが渡され、カツコに科白に対するダイアローグは観客が科白を発して当に演劇に参加して行く、という形になっている。テキストが渡されてから上演が開始される迄の間は、そんなに時間がある訳ではないので、テキストを全部読んで対応するのは若干難しいだろうから、通常の観劇のように観ることに集中しようとするには、負担かもしれないが、新鮮な体験を楽しみ乍ら観劇して頂きたい。

「放課後 女子学生 1920」チョコレートケーキの古川 健作、 演出は、倉迫 康史優等生のふみこ、新しい女に憧れるちよ、詩を書いているしずこ、華族の先輩に憧れるすずら四人は、文芸同好会の仲良し四人組。
 描かれている1920年(大正9年)には、質素、正直を旨とする女学校の生徒である。如何に大正リベラリズムとはいえ、女子の進路は、親の決定で一生を左右される時代、嫁に行くことも当たり前であった。そんな時代を、青鞜の女性達のように自立した女性に憧れ、彼女らのファッションを真似たり、華族の優雅に憧れて立ち居振る舞いを真似るのも様にならず、手紙を認めて、下駄箱に忍びこませたり、文面や、憧れの先輩へのアプローチに悩んだりしながら、胸ときめかせ、勉強やおしゃべりにうち興じ、泣き笑いしつつ大人への階段を上がってゆく少女たちの、放課後を描いた秀作。
 卒業後、最も早く結婚したすずは、夫と息子を戦争に取られ失くした後、東京を離れた。ふみこは女子教育の最高峰、東京女子高等師範に入学したが、関東大震災で絶命、ちよは東京大空襲で子供と共に亡くなった。関東大震災、満州事変、太平洋戦争、敗戦を経て生き残ったのは、しずこ1人。彼女が語る思い出として劇は構築されている。時代と少女たちの心の動きなどを通して瑞々しい感性と時代の重さを見事に捉えている。謎の物体として登場してくるラジオが、少女たちの感性の瑞々しさと不如意を表す象徴として機能しているのだが、薔薇の形をしているのが、如何にもお洒落だ。

「40歳の女子大生-女子学生2020-」作・演出はタテヨコ企画の横田 修
 舞台は2020年、東京オリンピック開催の近未来、という設定だ。サークルメンバーなどが溜れるような学生会館の一角、40歳で大学に入学した市橋が腰かけている。彼女から、初の授業の時、蜜柑を貰った森下は、それを大事にロッカーに仕舞ったのだが、数か月経った今、それは黴た後干からびている。そんな話をする森下は失踪中だ。ルームシェアをしている、かなが、心配しているのだが、またふけてしまった。4年の疋田は就職活動中だが、厳しい状況である。それでもチャレンジし続けており、もう発表がある頃なのだ。居たたまれずに、ここに来ている。里子の趣味は合コン。君島という彼氏とは別れたばかりだ。というのも、実家を離れた寂しさを紛らわす為に、宗教に嵌って、幸福を数値化し分かったような事を言う彼とちょっと付き合った程度だったので、別れたと言っても大して精神的ダメージは無い。ただ、矢張り寂しさを紛らわしたくて合コンが好きなのである。かなたちは、森下が現れた後、またしてもフケてしまったというので、彼女を探しにキャンパス内を探しまわる。漸く、森下を捕まえるが、彼女は大学を止めると言う。彼女の母は現在の父と再婚した間柄である。それでも父は、森下を可愛がり、決して裕福ではないのに大学迄やってくれたのだし大変感謝してはいる。だが、彼女は、3.11、3.12の被災地出身者なのであった。その彼女の目にはオリンピックが、原発人災後、子供達の内部被曝の犠牲の上に立った、大人の儲け話・祭りとして開催されていると映る。そこで、彼女は、世界と対峙する道を選ぶことにしたのだ。大学生というモラトリアム期間に甘んじることを投げ捨てて。森下は、このように自分の道を自分の意思で選んだ。さはさりながら、他のメンバーは、他のメンバーの想いがある。様々な念を抱えた女子大生達が、その思いを抱えたまま行き交うことのできる空間で交差し、出会い、別れてゆく。疋田は、合格した。里子は合コン、市橋の望みも合コンである。かなも森下の態度が決まり、兎に角、目途はついた。そうこうしているうちにも、ヒトは誰かと繋がりたいのか? という痛烈な問いと共に、女子大生達は、会館からキャンパスへ出て行く。
 外では、男には絶対真似のできない、キャーキャーのどよめき。急に走りだしたり、笑ったり。兎に角、女子大生の“らしさ”を思いっきり見せられ、和みと笑いがいっしょくたになって襲ってきたのには、のけぞってしまった。楽しめる。
ホンキィ・トンク騎士(KNIGHT)

ホンキィ・トンク騎士(KNIGHT)

無頼組合

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2013/11/22 (金) ~ 2013/11/25 (月)公演終了

満足度★★★★★

因果と人間
 笑いや風俗的要素を盛り込みながら、キチンとシリアスな内容にそれらの要素を活かした、シナリオ、演出の良さもあり、主役級の顔が、物語の進むに従ってどんどん良く見えてくる。
 騎士シリーズ第5弾である。まあ、今迄の人間関係を知らなくても充分に楽しめる内容だ。何と言っても、因果関係をキチンと押さえたシナリオで、オカマバーやそこで働くオカマ達を最初に登場させ、奇天烈なことをやらせて、猥雑な雰囲気を醸し出し、以てこの街の怪しさを自然に感じさせている。実に上手い。(追記2013.11.28)

ネタバレBOX

 風吹 淳平の今回の依頼人は里奈、28歳。通販カタログなどでモデルをしていると言う。依頼内容は、今夜、ストーカーに会う際、立ち会って欲しい。だが、彼女は酷く酔っていた。訊くとウィスキーを1本空けて来た、と答える。淳平は、この言葉を気に掛けた。何故、そんなに酔わないと事務所を訪ねることができないのか、を疑問に思ったのだ。淳平は、忘れていたが、彼女とは面識があった。以下がその出会いの顛末である。
 美人だった姉が、ネット上でいわれなき誹謗中傷を受け、あまつさえストーカーに刺殺された事件は、里奈ら被害者家族をもいわれなき誹謗中傷に晒した。報道の影響は、地元に居ることを断念させ、親戚に養子に入ったものの、父母は自殺した。その後、彼女自身も黒沢組のヤクザに薬漬けにされた上、売春を強いられていた。淳平と彼女の出会いは、親戚に引き取られる迄、16歳の里奈を守る為に、彼女の父がボディーガードを依頼したのが、オハラの事務所に居た風吹だったことによる。その縁があった為に、彼女は風吹の事務所を訪れたのだった。然も、自分は、好意を持っている淳平に、汚れてしまってあわせる顔が無い、とも思っていたのである。因みに里奈の性格は、16歳の時既に、最も傷ついていた自分を抑えて淳平にねぎらいの言葉を掛けるような少女であった。 
 さて、里奈の依頼を受けて二人は、ストーカーと会うことになっていた約束の場所へ向かうが、目的地へ着く直前、銃声を聞く。音のした方へ行ってみると、ストーカーが銃殺されていた。被害者は、実は、フリーランスのライターで、週刊誌のトップ屋としてかつては名を馳せたこともある男だった。然し、最近は鳴かず飛ばずで冴えない暮らしをしていたのだが、市長に関してのスキャンダルを嗅ぎつけその証拠を里奈が持っていることを突き止めていた。会う必要があったのは、証拠を入手し、礼金を支払う為であった。ライターを殺害した犯人は、二人が来た為、泡を食って逃亡していた。ライターの持って来た、礼金の入ったカバンはそのままだったので、淳平、里奈がそれを預かり、再び銃撃して来た犯人から逃れるが、鞄の中味は1千万円、その金は、黒沢組が貸し付けたものだった。然も、市長スキャンダルとは、黒沢組が、市長に女を抱かせ、それを撮影してSDに保存し、組再興を目指してゆすりを掛けていたことであった。
 市長スキャンダルをもみ消す為に動く裏社会の調整屋、警察、元黒沢組の残党、風吹とその仲間とSDを持ちだした里奈が絡んで、物語は進展する。
この間、各グループ入り組んでの活劇が進展するのだが、それは、割愛する。終盤、ヤクザから里奈を救い、彼女の頼みを聞いて、幸せだった頃の思い出、メリーゴーランドへ歩みゆく二人を銃弾が襲う。まだ息のあったヤクザに撃たれ里奈が被弾した。薄れゆく意識の中で、またしても彼女は淳平にねぎらいの言葉を掛ける。彼女は、淳平の腕の中で死んだ。
この後、彼女の死は、通り魔的犯罪として片付けられ、市長は1カ月後、病気を理由に辞職、事件はその本質を隠蔽されたまま幕を閉じた。
 最初の部分と重なる所もあるが、記しておく。オープニングでオカマがたくさん出てくるなど猥雑な雰囲気を演出することで、この街の性格を説明。この猥雑さの中でなら何が起こっても不思議はないと観客に思わせる所が上手い。シナリオ・演出も勘所を良く掴んで、緩急のバランスも良い。演技も主役級は話が進むにつれてどんどん良く見えてくる。内容が良い証拠である。
同窓会という戦場における罠の設置方法

同窓会という戦場における罠の設置方法

劇団パラノワール(旧Voyantroupe)

pit北/区域(東京都)

2013/11/20 (水) ~ 2013/11/26 (火)公演終了

満足度★★★

理屈と想像力
 高校時代、誰からもきにされず、成績も悪く、人気の出るキャラクターでも無かったタイラーは卒業後クラス会の幹事をすることになった。

ネタバレBOX

 その席で好きだったフィルマーを抱き、自分を蔑ろにしたクラスメイトを見返す為に、或る本で読んだ知識をそのまま使おうとする、が。
 彼の記憶には、思い違いや、思い込みによる間違いが混在しており、予測と実際に起こることの偏差も計算に入れないで計画を進めようとしたこととで、計画は頓挫してしまう。 
 一方、真にスター性を持ったクラスメイト、マーチィは、タイラーが最低ランクに位置付けた人間の中に居た。然も、マーチィは司法試験にも合格しており、アメフトでも大学時代、NO1 として活躍した名選手、皆の中心になって、女の子の人気も高い。タイラーより、二段も三段もレベルの高い人間であった。だからこそ、タイラーにはマーチィが見えなかったのだ。という線で、アイロニカルに演出するなり、エッジを立ててメリハリをつけて貰いたかった。前半部でくどくど、下らない知識の受け売りをやっているシーンは長すぎる。後半への布石であることは嫌でも気付くが、演劇は、想像力を中心に据えて考えないと、面白さに幅が無くなる。理屈は想像力に開かれていなければ、退屈な構造に過ぎないのであり、無味乾燥で押しつけがましく感じるだけだ。だから、後半への布石であることさえ分かれば、そこまでで、止めておく方が、良いと思う。
 中盤、ドンデン返しと言っていい展開があるが、終盤に掛けては、失速。どう終えるかは、もう少し研究して欲しい。
短篇集

短篇集

劇団だるま座

アトリエだるま座(東京都)

2013/11/16 (土) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

満足度★★★★

チャレンジ
 休憩を挟んだ二部構成。詳しくはネタバレを見てちょ。

ネタバレBOX

 一部では古典落語を下敷きに舞台化したが、初めての試みということもあって、未だ研究の余地がありそうだ。間の取り方にしても、落語は、一人芝居に近い所があるとは言え、あくまで中心は喋りであるから、間が命、一方、演劇の場合は、身体に科白を如何に落とし込むかが眼目であるから間の取り方は自ずから異なる。観客との関係もあるから一概には言えないものの落語的な間にするのであれば、役者は一旦、俳優を捨てて落語家にコミットすべきであろうし、演劇の間にするなら落語家や話に出てくる、隠居、はっつあん、かかあ等々を演じなければならないが、落語の話として演ずるとなると、噺家とその話の中に出てくる登場人物の関係をどう処理するか、という問題が出てくるだろう。メタ化する必要が出てくることも考えられる。そうしないのであれば、完全に脚色して芝居として演ずるという方向も考えられる。第三の道は、このように悩む姿そのものをラディカルに描いてしまう方法だ。但し、第三の方法は侃々諤々の議論を呼び起こす可能性が大だ。が、観客が新しいもの、チャレンジングなもの、実験的なものを望んでいる場合には成功しそうだ。
 二部は通常の短編芝居だったが、こちらは、流石にこなれた演出、演技で実力をいかんなく発揮し、いつも通り、高い作品レベルを楽しませて頂いた。
 ところで、釈迦に説教ということになって恐縮ではあるが、我々、観客についてである。演劇は、微妙な芸術だ。観客の反応によって内容が影響を受ける。だから、演じる側が、新たなことにチャレンジしている時には、今迄の観劇経験をひとまず取っ払って、本質だけを基準に観たいのである。そうすれば、チャレンジしていることの内実が、見えてくるだろう。観客も常に、自らを更新し続けなければ演劇を真に楽しむことはできないように思う。
魔女たちのエチュード

魔女たちのエチュード

ライト・トラップ

パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)

2013/11/23 (土) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

満足度★★★★

様々な工夫があって楽しめる
 2部構成で間に10分間の休憩が入る。日替わりゲストがいて、本日拝見した回は、詩人であった。1部2部共に演劇というより言葉を中心にした綴れ織りにややユニセクシュアルな感覚のパフォーマンス、振付がつく。照明感覚は中々優れていて、登場人物達を非常に明度の低い状態に置いてシルエットで表現し、背景には青空に白い雲がぽっかり浮かんだようなホリゾントを加えるなど気が利いている。音楽の使い方も自分の好みに合った。

ネタバレBOX

 女性ばかりのグループなので現実に対する言葉のスタンスが、余りに他人を傷つけるような表現にはなっていない点も興味深い。攻撃が最大の防御であるなら、攻撃力の弱さが、魔女をジェンダーとして成立させたのかもしれない。とはいえ、西洋には、男性の魔も存在する。英語だとwitchが魔女で wizardが、魔法使いとでもなろうか。フランス語では sorcièreが魔女 sorcierが魔法使いで両性で呼称が異なるが、日本では性差による表現の相違は無いようだ。従って魔法使いと訳したのは便宜的なものである。
 深読みすれば、マジョリティーvsマイノリティー問題も透かし見ることが出来よう。ここではマイノリティーを弱者と位置付ける。そのマイノリティーが何らかの原因でマジョリティーから目をつけられた場合、マイノリティー集団は、その集団存続の為に、マイノリティーの中で最も弱い者乃至はマジョリティーの同意が得られるマイノリティー集団の中の誰かをスケープゴートとして差し出すことが考えられる。欧米の自立した個人主義の欠片すら存在しない植民地、日本で用いられる言葉に魔女に対応する男性形名詞が存在しないことは、この事実の例証足り得るかも知れない。
 一方、先に指摘したように女性達の言語表現の特徴が、他者を傷つけ過ぎない慮りにあるならば、何故、彼女たちは、そのような表現形式を選んだのかを問わねばなるまい。
 その答えとは恐らく、“命どぅ宝”である。琉球王であった尚氏の言と伝えられるこの言葉こそ彼女達の選択である。このようにして、女性は、命を孕み、産み、育むことによって未来を掴み、己のものとするのだ。戦って傷つく、或いは死ぬ男達と、未来を掴む女性達、どちらが最終的勝者であるか、問い直すべくもあるまい。魔女万歳 にゃ~~~~!!
死神様の言うことにゃ

死神様の言うことにゃ

JEWEL BEANS

上野ストアハウス(東京都)

2013/11/21 (木) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

満足度★★★

世界はずっと深い そう思う
 Danse Macabreを意識したダンスなのだろうか? それとも、只、流行りの形式を取り入れたに過ぎないのか、演出家の意図は確認していないので分からないが、ヨーロッパ人に見せたら、当然、何故、骸骨の踊りにしないのか? という質問や、様々な社会的階層を表していないのか? という質問が飛び出して来たことだろう。演出家が意図的にDanse Macabreを用いたならば、余りにも基本的なこれらの質問には即答するハズである。文化の異なる日本で、このようにしたエクスキューズはあるかもしれないが。

ネタバレBOX

 こんなことを書いたのは、シナリオが余りに平板だからだ。問題意識も浅い。世の中との葛藤も感じられない。これだけ問題だらけの世の中に生きていて、常識の範囲で捉えた生き方だけを描いた所で劇作として成立すまい。
 作品から具体例を挙げよう。例えば長男、性同一性障害の問題を抱えているのだが、これを掘り下げるだけで大変に刺激的な作品が生まれるし、次男の放浪にしても、10年の放浪の内実は、途轍もない題材であるはずだ。その魂の痛ましさとして捉えても良かろうし、大公開時代に設定すれば素晴らしい冒険譚が書けるであろう。三男はデイトレイダーという設定になっているが、よほどの天才でない限り、いまどき、デイトレーダーを日本でやって成功するなど時代錯誤も甚だしい。また、引き籠り、と言った所で、パソコン設備を見れば、そのトレイダーとしての程度は知れよう。今時、女子でもパソコンでプログラムを組む子も珍しくは無い。余りに勉強不足である上、演劇的な物を見付ける嗅覚も弱いのではないかと思う。
 死神が現れて、余命を告げる、という馬鹿馬鹿しい設定が演劇として成立する為には、時代背景を動乱の時代に設定するなど、何が起こっても不思議でないという感覚が、観客の心理に自然に成立するような仕掛けも作らねばなるまい。(無論、それが、仕掛けだなどと、一般の観客に悟らせてはならない、が)この程度のことに作家も演出家も気付いていないとすれば、問題である。また用語解説では、アカシックレコードや世界樹について説明が為されているが、時間に一元化してしまうというのは如何か? 現代物理学の常識として時間と空間は一体であるという認識であると思うが。その辺りの意識を重層化した上でシナリオが書かれていない点でも平板の誹りは免れまい。
ペンション百万石

ペンション百万石

SPIRAL MOON

「劇」小劇場(東京都)

2013/11/20 (水) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

事件らしい事件起こらずとも演劇は成立するか
 山梨に在るペンション百万石は、ちょっと変わったペンションだ。天文台があるのである。というのも、このペンションを始めた2人が大学の天文部出身で、空気の澄んだこの地にペンションを立てた時に、自分達の趣味も取り入れ、こんな設計にしたのである。無論、星や宇宙に興味のある人々には、それだけで有名でもある。

ネタバレBOX

 現在は創業者2人の内1名が3年前に亡くなり、1人は、父が亡くなった為、家業を継いで現在ではホテル王と呼ばれる存在だ。だが、ペンション営業は現在もしている。亡くなった創業者の1人であったとおるの妻、花が切り盛りしているのである。花には、何くれとなく手伝いをしてくれる取り巻きがいる。
もう一つ、このペンションにはユニークな設備が整っている。FMのラジオ放送局があるのだ。DJは、2人。元暴走族のリーダーで、今でも一声掛ければ500人の元メンバーを集められると噂される一平、僧侶の丈助である。何でこの放送局ができたかというと、一平の妻、ミキが遠くの病院に入院した際、仕事を終えてから見舞いに出掛けることが不可能であった一平は、ラジオを通じて、妻に声を届けるということを始めたからである。その後、もう1人のパーソナリティーとして丈助が加わったというわけだ。
 そうは言っても順風満帆とばかりは行かないのは当然である。花の息子、裕也は東京へ出ていたが、戻ってきた。また東京へ戻るのか、或いは恋人候補のこずえに結婚を申し込む為か、何れともつかない。また、戻ってペンション経営を継ぐ、という目もあり得るのである。
 更に、一平の弟、順平は、こずえと結婚するのではないかとの噂があった。但し、これは事実無根であることが直ぐに分かる。
 こずえはそのスノーボードで国体に出場経験を持つスポーツウーマン。シンガーソングライターとして活躍する久美も久しぶりに故郷に戻り、仲間の集まる百万石に投宿、付き人のケンも一緒である。その他、アルバイトをしながらチャリンコで日本一周をしている太一。口では強がり言い、日本一周が目的でカッコイイと豪語するが、本当は、自分の生きて行くべき道を模索している若者である。順平は高校時代、学校を止める為に校長先生を殴って退学。浩介は、天文好きが高じて夜は星を観察する研究者だが、天文台のあるこのペンションの家族同然の常連。父は松山で新聞社を経営する。後継者問題が、彼にも振りかかって来た。浩介と広見との掛け合いは、広見が、実は実家を継いでホテル王となった男だけに迫真の演技である。
 百万石に出入りする人間のうち、花が唯一、星野さんと苗字で呼ぶ義郎は、花の再婚相手として選ばれたいのだが、ずっと待ち続けている。無論、花の方でも勘づいているからこその苗字呼びなのである。
 だが、花は、広見に惹かれ、広見も花を悪く思っていない。ただ、花はかつて共同で始めたペンションの共同経営者、とおるの妻だった女性である。
 適当に馬鹿馬鹿しい意地の張り合いや、照れたり、優しすぎて煮え切らなかったりの態度、そんな中で繰り広げられる女性心理や、男の立場などをきめ細やかに描き込む点に、この劇団の特色があるように思う。最も、難しい題材に取り組み続けるこの劇団をこれからも見守ってゆきたいものである。
 ところで、今作、事件らしい事件は何も起こらない。謂わば、日常風景を日常風景として描いた作品である。それだけに、非常に高度なレベルを保てなければ、演劇として成立し得ない。無論、それは、演技のみならず、演出、シナリオ、音響、照明などの用い方と効果、舞台美術など総てに亘ってである。最終部分で、綻び掛けたり、すれ違いになる危機を孕んでいた関係も総て丸く収めるのも王道とはいえ、この緻密で丁寧な作りなしには説得性を持たない。例えば、珈琲カップ一つ、客に出すにも、手伝いに来ている連中は、取っ手の向きを意識していないような置き方をし、花は、規則性のある置き方をするといったような細部にも、それは表れているのだ。
SPACE一休

SPACE一休

カプセル兵団

ワーサルシアター(東京都)

2013/11/20 (水) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

満足度★★★★

3.12人災と秘密保護法成立への嘘 喝
 カプセル兵団が、2000年に旗揚げ公演をした時のシナリオが、今作の原典だという。13年の時を経て若書きでは書けなかった、登場人物達の内面の葛藤や、登場人物の各々が、今、そのように行動している原因や背景を掘り下げることを科し、実践して来た演劇経験を演出に活かして作り上げた作品だ。殺陣がスピーディーでパフォーマーとのコラボレーションも良く観て美しいと感じる。

ネタバレBOX

 また、宇宙を流離う物語の原イマージュを、恐らく「西遊記」に負っているであろうことも、シリアスに捉えればかなりシリアスな内容でもあり、3.12批判でもあり得る重さを軽減している。金角、銀角と悟空の戦いが、間の抜けた金角の失敗で頓挫し結局は、魔物の敗北で終わるシーンは、その為に入れてあるのだろう。
 但し秘密保護法で隠すことが間違いないF1人災被害詳細や、核関連施設関連問題を喩という形にしてはいるが、それとわかる形で表現していることは、重要である。そもそも、一休が贖罪の旅に出たのは、彼が破戒した魔光が、各惑星に落下、その地に住む者を汚染して、多くの者の命を奪い、生き残った者は何らかの疾患を持つ感染者となるか、魔物となってしまったことへのオトシマエであった。(この喩が、核を表象しているのは、誰が見ても明らかだろう。放射性核種の発する高エネルギーによって、生き物が死んだり、DNAを破戒されたり傷つけられたりして、生き残っても疾患を患い、或いは、突然変異を起こした体組織によって、怪物と言われるような異様な様に変化させられてしまうことを示しているのであるが、一休が、己の責任、と認めている通り、無論、人災である)然し、一休の戦いは、己の非を悟ったことにより戦いの為の戦いに疑問を生じさせ、帝国指令義光の下、人を滅ぼそうと戦い続けていることへの対抗勢力という目を持ってゆく。終には義光、一休、互いの哲学の相違、互いのレゾンデートルを賭けての戦いになる。片や、戦争マシーンとして片や仏法の最前衛主体として。一方、エンターテインメントとして楽しめる舞台になっているのも事実。
月闇の詩 ‐羽衣の調べ‐

月闇の詩 ‐羽衣の調べ‐

劇団 夢神楽

テアトルBONBON(東京都)

2013/11/20 (水) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

骨太の良くできたシナリオ
 羽衣伝説を「竹取り物語」前史と位置づけている点が面白い。その因果関係を天の国と地の国の相克と見、政治・正史と愛や伝説の間にあるエクスキューズにメスを当てて切開して見せる、というかなり手の込んだ構造を持ったシナリオである。が、本線がずれておらず、しっかりした骨太のシナリオなので混乱・誤解を生む懸念も少ない。同時に、構造を観客に見抜かれたとて全然気に掛ける必要は無い。本質を衝いているからである。初日が終わった段階なので、ストーリーの詳細は書かない。(あとは観てちょ!)

ネタバレBOX

 政治という技術の持つ非人間性と権力者がそれを用いて唯一の親族と雖も、時には単なる駒として扱う非情を描いている点でも評価できる。描かれているのは神話的な時代と思しき時代ながら、深く現在を射抜くだけの力が、このシナリオにはある。殺陣、演技の質も悪くない。科白を噛む役者が何人か居たが、延びシロを感じるので、不問に付そう。但し、蜷川演出のように世界に出て行くだけの気概を持つのであれば、そんな甘えは許されないことは記しておく。同時に、今作の劇作家には、本質を見抜き、見抜いた本質をダイアローグで劇化する力が確かにあると記してもおく。予算の関係もあろう、小さな違和感が無いではないが(ex.衣装と履き物のギャップなど)それも、きちんと意識されてはいることが明らかなので、不問に付す。そう言えるのは、話が進むにつれて役者達の顔が、観客にとってどんどん良い物になってゆくだけの質を備えているからである。それだけの質を持つシナリオであり、演技・演出である。だから、細かいことは不問に付すのだ。蛇足だが、延びシロを感じるのである。今後も本質をピュアな観点から見つめ、表現すべきことを表現してゆける劇団であって欲しい。才能と華のある劇団であればこそ、この点は気をつけて欲しいのである。延びシロに期待して星は5つ。但し、油断めさるな。
さめザわ

さめザわ

張ち切れパンダ

サンモールスタジオ(東京都)

2013/11/13 (水) ~ 2013/11/20 (水)公演終了

満足度★★★

喜劇は難しいのだ
 リーフレットの説明文を読んだ時点でシナリオの出来には察しがついた。

ネタバレBOX

 申し訳ないが、喜劇を書く力は無い。先ず、現実とそれを観察した上で舞台化するハードルを甘く観ている。結果、今作には、太い筋が通っていない。つまり非論理が介在している。その非論理をメタレベルで笑い飛ばす構造化も為されておらず、これは作家の怠慢でなければ才能のはき違えだろう。喜劇は、悲劇に比べて遥かに難しいジャンルである。悲劇は、或る程度の才能がれば、誰でも書けるが、喜劇はそうではない。
 重複する点もあるが、以下、強調しておく。喜劇のコンセプトに対し、内容が矛盾しているシナリオで、その点を笑い飛ばす契機も盛り込まれていない。シナリオライターは、論理的に書くべきである。論理で徹底できないなら、作演が同一人物なのは良くない。作家の不備を指摘できる演出家を別に立てるべきであった。
 また、作演担当者は、喜劇の要諦を理解していないようにも思う。それは、箍を外すことにある。箍を外す為には、外される側の世界が過不足なくキチンと構成されている必要がある。舞台美術でそれを表現したつもりかも知れないが、物として物理的に存在しているだけで、物を通して語らせるレベルには達していないし、そうしようとの配慮も見られなかった。本質を掴み取れないなら、このジャンルには不向きである。個々の役者の中では、鮫沢役、女将さん役、大手スーパーの社員役が気に入った。何れにせよ、不備を補うことを余儀なくされたのは、役者陣である。役者陣に助けられた舞台であった。
 キーになる鮫沢の“死んだふり”は、1回目で? と思わせ、2回目で疑わせ、3回目で死んだふりの出来る特異体質を想定しなければ成り立たない、という医学的にはあり得ない想像をせざるをえなくさせるのだが、その鮫沢のエピソードを明らかにする大事なシーンで、唯一の友人であり、後、大手スーパーの社員になって、鮫沢の働くスーパー売却に関わっている人物の思い遣りを拒否した後の表情は頂けない。それは、如何ともし難い歪に過ぎないからである。これは、喜劇的手法には禁じ手であろう。何故なら歪は人生の深淵を映し出してしまうからである。使うならメタ化が必要だが、その論理構築力も無く、恐らくは、その必要性に気付いてもいないことが、シナリオを台無しにしている。契約書のシーンでもオリジナルは2部作成し、割印をして各々の当事者が1部づつ持つのは、当たり前過ぎることなのだが、この辺りもネグレクトして、その向こう側にフォローがない。重層化が足りないので、喜劇では無く、中途半端な作り物になってしまったのである。重々、考察されたし。以上のような理由から、星は、シナリオ・演出は1.5、役者の演技が大分助けてくれたので総合で3にした。
 批判してばかりではなく、褒めるべき点では、さめザわのザの、、が4つ振ってあって、鮫の鰓部分を表現するなど、細かい笑いに関してであった。このような笑いは確かに隋所にあったのである。但し、本質を捉える力が弱い点に関してはくどくど述べた通り。んひゃ~~~~!

多和田葉子+高瀬アキ『魔の山』

多和田葉子+高瀬アキ『魔の山』

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2013/11/17 (日) ~ 2013/11/17 (日)公演終了

満足度★★★★★

第12回秋のカバレット
 今年12回目を迎えた秋のカバレット。多和田 葉子と高瀬 アキのコラボレーションだが、シアターXの宝と言われる演目の一つだ。何より表現する者としての2人が、毎年ベルリンから戻り、日本での公演を楽しみながら演じていることが、素晴らしい。

ネタバレBOX

 良いか悪いかの判断は、兎も角、長い間男性優位社会が続いて来た極東の小国で、主でない分、自由で在り得た女性、それも現住地は海外の、という点でも彼女らの自己実現への渇きは、ヨーロッパ女性のそれより、現在強いかも知れない。当人達が構えていようがいまいが日本だけで暮らす多くの女性より身体感覚としてそのことに自覚的であろうとは思う。またヨーロッパの言語を日常の言葉として用いる為には、日本語でそうするより遥かに、己の態度、社会的位置を自問し続けなければならないのも事実だろう。これは、社会的にそうであるということよりも、言語構造が責任主体を常に明確に表現する以上、必然である。自分は、ドイツ語は全然出来ないので、詳しいことは分からないが、少なくともフランス語ではそうであるし、英語でもフランス語ほど明晰とは言えない迄も日本語より遥かに責任主体は言語構造上問われるのはお分かりだろう。
 一方、マイノリティーとして海外で暮らす際の様々な心象風景がある。3.12以降のF1人災事故に対するドイツ人の合理的問い掛けに、日本の核開発上のプロパガンダについては詳細を知らずに「愛国的」になる彼女達が居る。その半面、自らの置かれている状況そのものを遊んでしまう女性の頗る的に健全な精神的強さがある。
 こういった内外での生活体験前提の下、解釈されたトーマス・マンの「魔の山」は、刺激的かつ興味深い舞台であった。因みに中曽根 康弘が、改進党時代に日本で初めて、原子力利用に道をつける為の法案を成立させ予算を組んだことには、触れられている。その表現はデフォルメされ、揶揄され乍ら、危険性を告知してもいるわけだ。
 更にシアターXの公演では、公演終了後にアフターミーティングが催され、演じた者達と観客の質疑応答などがある。これも双方に効果を齎している。演者は直に観客の反応を聞き、観客は、不明な点、感想などを自由に述べることが出来るからである。このような試みを続けてきたこと、続けていることが、この劇場の質、演目の質、観客の質、演者の質と前衛性を培っているのである。
ここには映画館があった

ここには映画館があった

燐光群

座・高円寺1(東京都)

2013/11/15 (金) ~ 2013/11/26 (火)公演終了

満足度★★★★

映画を通して日米関係を見る
 映画好きには堪えられない内容に沖縄の現実を重ね、以て日本全土の沖縄化をも示唆、米国の植民地、日本を照射している点は流石である。

ネタバレBOX

 話は1976年に日本で公開された映画を中心に、映画大好き少女3人組と地元の映写技師を中心に進む。少女のうちの1人が、応募した原稿で賞を取り、その事が報じられた結果、沖縄に住む、ピーターという人物とペンフレンドになったことで、沖縄は、もう一方の極になる仕掛けだ。
 坂手氏自身が映画少年だったということで、鏤められた映画情報は、見事なものである。また、日本という国を見る際、沖縄からの視点で見ると実にハッキリその正体が見えるという事実も指摘しておきたい。観客諸子も良くご存じの通り、坂手作品には沖縄を扱った作品が実に多いのは、作家自身の表現する者としての立ち位置が、本質を見通すことのできる所にあるということであろう。1995年の少女拉致・輪姦事件という最低最悪の凶悪事件に於いてすら、植民地日本は、起訴に至らない限り、関与の明らかな犯人引き渡しが請求できないという日米地位協定の差別そのものの規定によって実行犯3人が引き渡されなかった件以来、島ぐるみ闘争が激化する中で、日本政府が取った態度は民主主義を標榜する独立国のものでは無論ない。寧ろ、近代以前の封建制だろう。江戸時代であれば、幕末を除き、それでも独立国の体裁は保っていたのだが。
 私見によれば、それもこれも、益々、力を増してくる中国と勢いを盛り返しつつあるロシアを睨んで日本をアメリカの前線基地とする為のステップである。つまり、沖縄の現況が、全国レベルで展開されるということだ。秘密保護法、日本版NSC、その先には国家安全保障法案概要で示されたように、憲法改悪等しなくとも集団的自衛権が行使できる体制構築がある。また日本版CIAとして諜報機関新設も公言されているのだ。こんなもので、自分だけは安全だなどと考える国民が居たとしたら、そいつはホントにお目出度い、としか言いようがない。イマジネーションの欠落をおぞましい迄に露呈しているからである。
 何れにせよ、映画の楽しさも含めて、日米の関係が良く分かる作品になっている。
某日快晴ワレ告白セリ

某日快晴ワレ告白セリ

タッタタ探検組合

ザ・ポケット(東京都)

2013/11/13 (水) ~ 2013/11/17 (日)公演終了

満足度★★★★★

傑作 対絶べし観る
 オープニング、映像用の幕が準備されると、揺らいだ画面に最初に現れるのは、雲に関する表現。その後、学校時代、誰の脳裏にも印象的なシーンのパーツや切り取られたシーンが映し出されて、思わず自分の学校時代に呼び戻されてしまう。巧みな導入部だ。

ネタバレBOX

 有田のクラス2年2組には、転校生遠山がやって来た。博多からの転校である。中々可愛らしいこともあって、クラス中の人気者になるが、クラスの女子が、入部を勧めたり親切のつもりで色々誘いを掛けたのを断ったのが、きっかけで苛めが始まる。テニス部部長の橋本は、新聞部部長の逸見に好かれていることを悪用して、校内の情報を操作し、人気など全然なかった学級委員を既に生徒会長に就任させた実績を持つ。対立候補に関する悪評を流したのである。それも、小部数の新聞を、口が軽く噂好きな連中にこっそり渡し、噂を広めさせるという巧妙な手口で。結果は歴然たるもので、全然、人気の無かった学級委員が生徒会会長になった。その手法を今回も使った。おまけに、クラスで、露骨な苛めを開始する。恰も、自分達も噂を通じて遠山の素情を知ったとでもいうような顔をして。
 一方、偶々、書いた詩を音読していた有田は、遠山に詩を聞かれてしまう。中々詩才に富んだ作品だったので、彼女の気に入られる。また、遠山は飛行機雲が好きで、良く窓外を眺めたりもしていたので、当然、屋上へも良く上がってきた。有田は天文部の部長(と言っても部員は彼だけなのだが)なので、屋上へは矢張り天体望遠鏡を持って良く上がっていた。そんなこんなで、有田と遠山は親しくなった。其処へ、苛めである。有田もクラスの不良達からパシリとして使われ苛められてきたのだが、彼女への思いが、彼を強くし、我慢をしてやり過ごすという生き方を変えさせた。彼は、彼女を庇い、苛めている連中に注意をしたのである。不良の方でも、遠山に思いを寄せていたので、腰巾着が、お膳立てした、彼女に取り入るチャンスを奪われて切れ、有田を殴る。その場は、スケ番の風格を持つ真鍋に止められてそのまま収まったが、本当の喧嘩と妄想癖のある有田の妄想シーンとが、挟み込まれて笑いを誘う辺り、流石にタッタタ探検組合の作品である。
 場面転換がかなり多いので、暗転が結構あるのだが、ちょっと深読みすると面白い。この暗転に場面転換だけを見るのでなく、秘密保護法案を重ねて見るのでる。すると、暗転によって、見えなくされた情報を、当に暗闇の中で想像している近未来の我々の姿が映し出される。シミリとしては、直接の当てこすりが出てくるが、この暗転をメタファーと読むことによって不気味な我らの未来が暗闇によって照射されるのだ。闇が、逆にヴィジョンを見せるのである。
 物語は、更にエスカレートした苛めを巡り、有田が、心ならずも漏らした一言で遠山が深く傷ついてしまうことにも及ぶ。「可哀想」という言葉が、彼女の自尊心を深く傷つけてしまったのである。それは、彼が彼女を庇う過程で発した一言だったのだが。屋上で有田は、何とか彼女を元気づけようと詩を献上する。本好きでデリケートなメンタリティーを持つ彼女は、有田の心を理解し、何とか気持ちを収めてくれたが。彼女はまたもや転校することになってしまった。保健の先生が、そんな彼女が書いた25年後への手紙を預かり、英語の授業中に持ってくる。そして、未だ間に合うだろうからと言って彼女の出発したことを告げる。この時、英語教師は授業を邪魔したと怒って保健の先生や有田を押しとどめようとするが、体が小さく小心だと侮っていた有田が遠山を庇って自分達に歯向かって以来、苛めなくなっていた彼は、英語教師を止め有田は駅迄、生まれて初めての一所懸命さで走る。だが、彼女の出発を見送ることはできなかった。1年後、彼女は交通事故で亡くなる。その24年後、廃校の決まった母校に来た有田は、皆から集めた本物の手紙を隠し場所から取り出し、彼女の手紙の封を切る。其処には、彼女の感謝の言葉と彼への好意の言葉が書かれていた。ところで担任教師に渡した25年後の自分への手紙の中味は人数分の呪いの手紙であった。
『タガタリススムの、的、な。』

『タガタリススムの、的、な。』

舞台芸術集団 地下空港

ギャラリーSite(東京都)

2013/11/14 (木) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

現実化するかも
 近未来に実際に起きそうな内容のSF。途中まで分かりにくいかも知れないが注意深く観ること。キーワードが一つ出てくると総ての謎が一瞬で氷解する。
(追記2013.11.17)

ネタバレBOX

 LCによって人格をコントロールしようという発想は、その原型をウォールマートとペンタゴンがタグを使って人々の行動を監視し、ペンタゴンは無論、軍事的ロジスティックに、ウォールマートは売り上げ増に利用しようとした経過を思い出させた。
 秘密保護法、日本版NSCが成立間近な中にあって、為政者共の考える民衆支配にこれ程合理的手法はあるまい。実際にこのような秘密研究が行われている可能性はある。そして、科学者という者は、自分の開発した新技術が例え危険な要素を含んでいるにせよ、それを実験してみないことには気が済まぬ好奇心と探求心、悪戯心に溢れた人種である。それなしに、科学研究が進歩することなどあり得まい。まして、国家を牛耳る為政者は圧倒的多数の民衆を何処か心の深い部分で恐怖しているのが常だろうから、民衆は縛り付けておきたいというのが、本音だろう。
 因みにLCと表記したのは、Liquid Computerのことである。これを頭の働きをサポートする為と偽って人々の体に注射器で挿入し、血流を利用して、脳の特定部位に装着、都合の悪いことは総て認識されないように記憶を作り変えたり、脳機能をコントロールして情報にアクセスできないよう、頭痛を起こさせる、吐き気を起こさせる等々、 任意の方法で邪魔をするのである。ナノテクノロジーとIT技術の進歩によって人体に簡単に埋め込むことのできる端末を開発することは可能だろう。それと通信技術を用いれば、SF的に聞こえるかも知れないこのようなことが、実現可能だと自分は考える。ITタグについてウォールマートとペンタゴンが組んだ事実は既に指摘した。彼らは、或る技術者の開発した離れた所からデータを読み取るアンテナ技術を入手しようと躍起になった。それを用いれば、スパイ衛星で埋め込まれた人物から情報を盗むことはいとも容易いからである。言っておくが、現在地球の回りを飛び回っている衛星のうち99%は、軍事目的であると信じている。気象衛星なども、実際軍事に有用なのである。こんなことは、軍事に少しでも関心のある者には常識中の常識に過ぎないが。
 物語は、世界1のシェアを誇るクルイドダイナミクスの派遣労働者Aが、Bを殺害した容疑者と目されることから始まった。フェイスブックに犯行予告が載っていた為である。犯行現場には、別の取材許可を得ていたTV局が入っており、特ダネとばかり実況中継をやり出した。これで事件は一躍、社会性を帯び、尾ヒレがついて大変な騒ぎに発展する。だが、Aの彼女、Cの勧めもあって二人は現場を逃げ出す。ネット社会の怖さで、彼の無実の訴えも中々届かない。逆に、真犯人の流す好い加減な嘘が、まことしやかに広がり“良いね”表示はウナギ登り。真犯人は一種のヒーローになってしまう。このような状況下、AとCは、カージャックをし、自分達の無罪を明かす為に、LCを作っているライバル企業、クマソシステムに乗り込む。彼らの持つ情報から、真犯人を割り出せないか? という可能性と、真犯人が、このライバル企業の社長と専務を殺害すると犯行声明を出していたから犯行現場に乗り込んで真犯人を見付け、自分の無罪を晴らそうという算段であった。拉致されたのは若い夫婦、買物に行く途中を拉致されたのだが、夫は、女装癖を持ち、株をやっていて、クルイドダイナミクスの株に殆ど全財産を投入していた。彼は、株価の損失を少なくする為には、2位の企業の社長、専務が殺害されることが、善であると算盤をはじいている。3人は、何とかクマソシステムのパーティーに潜り込むが。予告通りクマソシステムの2人は殺され、真犯人とAは対決することになる。真犯人は実父、Bは兄、父はLCの無謀なグレードアップの為にBを殺害、Aに罪をなすりつけていたのだ。最終的な答えはどうなったか? 想像して欲しい。
どんほい

どんほい

劇団娯楽天国

TACCS1179(東京都)

2013/11/14 (木) ~ 2013/11/17 (日)公演終了

満足度★★★★

幼馴染
 どんほいは、じゃんけんの時の掛け声だ。下町長屋感覚のエンターテインメント。

ネタバレBOX

 物語はだるま食堂裏手の空間で展開する。この空間に接するのは、他に銭湯と古本屋。家族同然の幼馴染ばかりの間で展開する日常の悲喜こもごもを笑いと人情で描く。役者達の歌が巧みで、掛け合いの面白さも洒落ている。ふっと洩らされる科白に深みもある。
海の見える街の探偵

海の見える街の探偵

82-party

劇場HOPE(東京都)

2013/11/14 (木) ~ 2013/11/17 (日)公演終了

満足度★★★

青木 悠バージョンを拝見
 2つのバージョンは、随分異なるということなので、できれば2つのバージョンを観た上で書きたい所だが、標記バージョンを拝見。

ネタバレBOX

 ファーストシーンで奈落から女優が登場するのは新鮮。探偵たちの推理能力も、推理小説好きには、エクスキューズが必要かも知れぬがまずまず楽しめる。然し、身元が、元スパイの場合、一応、余り深入りし過ぎると死人が出る、と釘はさしているものの、矢張り軽い。探偵にしても、複雑な人生を歩んで来た者が多いように思うが。タイトルからしてロマンティックなので余りリアリティーに重さを置く必要は無いのかも知れぬが齢を重ねてくると矢張り軽重が気になる。

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