満足度★★★★
男たちの正体
男たちは、皆100歳を超える童子であった!
ネタバレBOX
座敷童子5人が応援する唐沢は、冴えない。女にもモテナイし、目覚ましが故障して起きられず、駅迄自転車でゆこうとすれば、タイヤがパンクしていて乗れず、而も電車が遅れて、急ぐ途中では犬のフンを踏んでしまう、といった塩梅だ。大きな不幸こそ殆ど無いものの、小さなアクシデントや不運には見舞われっぱなし。最近、会社を馘にされたのが、最も大きな不幸である。
だが、これには訳があった。5人の童子の内の1人が、実は間違って配属された疫病神だったのである。そんな彼にもどんな具合に賽が転がったか、彼と付き合いたいという女性、松島が現れる。然し、運勢が好転しそうになるや否や、除霊オタクの女が現れ、へんてこなアンテナを使って霊がいることを突き止めたばかりか悪霊を祓うと言って文言を唱え出す。この時は、途中で切り上げることになったが、その後、この女の元カレが嫉妬の余り、彼のアパートに乗り込んでくる。一旦は追い返した。が、再びアパートを急襲、押し入れに隠れて女が現れるのを待っていると、女が再び現れ、強い気を発している押し入れの前で経を唱え出すと、たまりかねた疫病神と元カレが飛び出して来た。逆上した元カレは唐沢に襲い掛かるが、女は元カレをストーカーだと言い、唐沢を現在の彼だと言いつくろってこの場を逃れた。運悪くこの現場を松島が目撃、好きな人には、彼女が居た、と勘違いして立ち去ってしまう。
一方、童子達の所へ研修生として来た童子は、仮の姿で、本当は任務で来ていた。疫病神の疑いがあると言う、5人のうちの1人がホントに間違って配属されたのか否か、その真偽を確かめる為に来たのだと。だが、童子として如何にドジな疫病神とはいえ、チームを組んで一緒に仕事をしてきた仲間達は、簡単に仲間意識を捨てられない。そこで1週間の猶予を願い認められたが、丁度1週間目、件の男がやって来て、またもや元カノと彼のことを疑い、終には包丁を持ち出して住人に襲い掛かった。助けを求められた童子達は、本当は人間界に関与してはならない掟を破り男の包丁を取り押さえると同時に疫病神に真実を告げ出て行くよう、促す。傷つきながらの疫病神は出てゆく。
勘違いの一件があって以来、唐沢と松島の連絡はつかなくなっていたが、どういう塩梅か犬に追い掛けられて松島が唐沢のアパートに飛び込んでくる。唐沢は直ぐに犬を追い払い、事情を聞くと、唐沢が、会社に遅れた時と全く同じことが彼女の身の上に起こっていた。疫病神が、どこへ行ったか、これで観客に分かる仕掛けだ。こんなわけで、めでたくカップルが誕生する。
ところで、疫病神は、人を幸せにしようとする意志を買われ、チャンスを与えられて、もし彼女を彼の所に戻すことが出来たら、疫病神から童子に変えるという約束を交わしていた。こちらも首尾よく行ったので、彼は、終に本物の座敷童子になり、恋も実って幕。
満足度★★
良く言えば韜晦だが
韜晦という手法を用いて、この国の陰湿・隠微でまやかしだらけの世界をその側から描いた。どうやら主宰者は、論理で自らを腑分けすることを好まない性質のようである。結果、空気のようなものや雰囲気を守ることにのみコミットすることによって、この国の最もこの国らしい性質に辿りついていると言えるかも知れないが、非論理的である上に神話や物語の古層に迄立ち至っていない為、その説得力は弱いと言わねばならない。
役者達の想像力の翼によって舞台の体裁は保たれているものの、シナリオライターの目指しているものの射程は浅いと言わざるをえまい。
その狭さを意識しているからこそ「山式」というタイトルなのであろうが。外部からキチンと腑分けする視座をも同時に定立し得た時には化けるかも知れぬが、それ迄大きな飛躍はあるまい。もう一つ、可能性があるとすれば神話や古代の物語との格闘を通した取り込みであろう。
満足度★★★★
待つということ
紛争地へ夫を送り出す妻の心境というものは、なるほど微妙なものなのであろう。実際、イラクへ派遣された自衛隊員の中にも自殺者が結構いたという話もあったしな。ある時期から緘口令が敷かれて取材も困難を極めるようになったが。情報隠蔽法が成立したから、何でもかんでも隠蔽しやがる。唯でさえ、この国の資料殲滅は中国より酷いアリサマなのだし。原発をやめない最大の理由は、プルトニウム型原爆の潜在的保有だよ。その為の、もんじゅだったのだが、こけて仕方なく、プルサーマルなんてことをやっているのだ。
ところで、この舞台美術は、とても自然で、女性らしい感覚の出た良いものだった。以前、自分達も、キッドアイラックでグループ展をやったことがあるのだが、その時は、打ちっぱなしの壁だったので、部屋に入ってびっくり。たった2日で作ったそうだ。お見事。
ネタバレBOX
軍人(軍曹)を夫に持つ妻、まやを中心とした人間模様。夫の帰任を来週に控えた彼女だが、夫が不在の間、隣に誰も居ないダブルベッドで眠ることには、寂しくて耐えきれぬ彼女は、体のあちこちが痛くなるにも関わらず、毎日ソファーで寝ている。夫が国外に赴任する迄は気にならなかった階上の住人ドロシー(小津という苗字からついた仇名、えらく太っている大女)の立てる騒音が気になりだし、隣家の主婦、野田に苦情を漏らすとドロシー批判が噴出。他の階の住人迄加わって、ドロシーを追いだすという話迄出て来た。
日常はこのように何処にでもある見栄えのしないものだが、このような状況に異変が生じる。まやの学生時代からの仲良し?、陽子 の夫が亡くなったのだが、その亡霊がまやの部屋に現れたのだ。まやの方でも彼のことを悪く思っていない。但し、大事な友人の主人でもあった人の霊なので、互いに体に触れあうようなこともない。(これは、相手が霊だから触れられないという物理的な話ではなく、あくまで関係性の問題である)
偶々、まやの誕生日に、学生時代雪合戦で縁のあった木村も呼んで彼女の誕生パーティーを開こうという話になり、当日、皆で鍋を囲むことになるが、野田もドロシーの件で立ち寄った際に、一緒に、と誘われ、旦那が出張中だったので相伴することになった。パーティーが撥ねて、木村が先に車のエンジンを温めている間、陽子と2人きりになったまやは、陽子から、亡くなっ夫が夢に現れてけじめをつけたら、木村と結婚するつもりであることを告げられる。その夜、霊は再びまやの下に現れ、寝室へのドアを開けて彼女を誘い、ベッドで彼女が休めるような精神状態を整えると、窓を開け、表へ出て行くところで幕。
お勧めするかどうかは微妙である。
満足度★★★★
一見ちゃらけたようだが、どうしてどうして
しっかり本質を掴んだ作品で、その落差が笑わせる。良い意味で中々、したたかだ。今後にも期待している。
ネタバレBOX
親父は難波のヤクザ。僕は父のようになりたくは無い。妹を守って、清く正しく、サンタクロースが何時やって来ても恥じることのないような生活を送りたい。だって、サンタは、清く正しく生活している子供にしかプレゼントを呉れないっていう話だ。
平成17年12月24日の学校給食は豪勢でプチケーキ迄出た。僕は、妹に持って帰ってプレゼントした。来年も、もっと先もずっと、大きくなったら、大きな奴を買ってあげる、って約束したんだ。
だけど次の年、妹は小学校に入って、去年僕があげたケーキは僕の分を食べずにくれたことに気付いてしまった。それで妹も家に持ち帰って僕があげたケーキのお返しに僕に妹のケーキを呉れた。この日、お父さんもプレゼントがある、と言って帰ってきた。お父さんのプレゼントは、お姉さんとお母さんだった。お姉さんは大きくて太っている。お母さんはとても働き者で歌と踊りがうまい中国人だ。お父さんの組が経営しているお店で歌ったり踊ったりしているそうだ。でもビザが切れてしまって、ホントはヤバイ。隣の部屋が煩くて、お父さんが隣の人を殴っちゃったら、隣の組の若頭だったとかで、指を切られるのが嫌だ、とお父さんは、お母さんと僕たち全員を引き連れて夜逃げすることにした。行く先は、おばあさんの所。お父さんが今迄、おばあさんの所へ行かなかったのは、自分が、ヤクザで帰り難いっていうことじゃなくて、おばあさんが魔女だからって言ってるけどおとぎ話じゃあるまいし、魔女なんか居る訳ないって僕は思っている。おばあさんの家は山梨県の樹海の麓にあるんだって。とても大きな邸らしい。因みに夜逃げは自動車でした。運転はお母さんだ。漸く着くとホントに大きな門の家で、中も広い。何でも1週間に1度魔女の集会があるそうであっと言う間に30万円ものお金が入ってくる。身の周りの世話をする召使役の信者が居て、犬同然に扱われているのに、おばあさんを崇拝しているので、傍でお世話するだけで嬉しいらしい。中に通されて挨拶に行った時の様子だ。で、おばあさんは、その時いきなり、「2人の娘の内どちらかを頂戴」って言ったんだ。「この子がいい」って妹を連れていこうとしたんで、妹の気持ちも訊かないでおかしいから抗議すると、妹は、「私、行きます」とおばあさんについて行った。揉め事を起こしたくなかったのだ。僕は、反抗し続けた為、食事もできず、狭い部屋に姉と一緒に入れられてしまった。反対に妹は気に入られ、魔女の会合でもアシスタントを勤めさせられるほどになった。然し、それで稼いだ金で米を買い、僕の為にお握りを作ってくれた上に、その後、おばあさんとぶつかって閉じ込められていた部屋の鍵も開けて逃がしてくれた。僕は、逃げだすと雨の中、外に出たが、川に落ちてしまった。翌日、川から拾い上げてくれたのはお母さん。妹は僕を助けた為に折檻され、首輪をつけられてしまった。意地を張って何も食べなかった僕に、姉は、自分が熊になっていた時期があると話してくれた。大きな体で、ごついからだの姉は、以前、同級生にからかわれて耐えられなくなり、樹海に入って熊として生きたと言う。1カ月後、母親に見出された時、自分が見難く、熊のようであっても良いのかを訊ねる、と母は、「生きていてくれただけで良い」「娘なんだから」と応える。それで、姉も立ち直ったのだ。生きていることの意味と共に。こんな話を聞いて、僕もおばあさんがからかうように言っていた、時給20円の案山子バイトをすることにした。自分の足で立って皆の協力を得て祖母打倒に立ち上がった。関門は3つ。1つ、祖母をガードする強力な取り巻き信者達。2つ目は祖母の持つ魔法アイテム。そして3つ目が、人質に取られている妹だ。
突破口は姉が開いた。熊さん復活で正門を突破、混乱の中で祖母の魔法アイテム奪取にも成功、妹も救い出したが、妹は少し前から恋しい人ができ、僕が構い過ぎるのをうとましく思うようになった。「自分自身を愛しなさい」という祖母のテーゼを自らのものとし恋に生きる為に自転車で疾走
一方、祖母は祖母で、僕が作った魔女HPを利用して、妹をチベットに送り込み、ここに妹の本拠地を開いて世界一の魔女たるべき構想を練っており、恋をした妹が女の子を産んで、祖母の求めた自分を中心に据えた世界観で世界を席巻するということになると・・・。
今後、の伸びシロを考慮して今回は、星4つとした。
満足度★★★★★
異化
原案本はブレヒトだと言う。単純に考えて異化効果路線といことで観た。随所にそれらしい表現の特徴が見て取れる。(追記後送)
満足度★★★★★
本物のサラリーマンも結構いる レベル高いぜよ
倫太郎はごく普通の男だ。相談し易い、と思われることを除いては。女子に相談されようともそれは変わらない。思わせぶりの仕草が伴おうともそれは変わらない。そんな男であった。真理に会う迄は。彼女だけが、倫太郎を恋の対象として観たのだ! 倫太郎にとっても、この事実は衝撃的なものであった。その上、真理はそこそこ可愛い。(追記後送)
満足度★★★★★
五臓六腑色懺悔を拝見
何より発想が奇想天外で見事なシナリオ。展開も面白ければ、結末も古代の神話に近いような骨太で普遍性に繋がる物語。(追記2014.1.30)
ネタバレBOX
演劇は役者の身体を通して表現するが、この作品のテーマが、臓器に依って劇化されている点に注目したい。それも各臓器に一人の役者があてがわれ、恰も独立してでもいるかのような動きを見せるのだ、が各臓器は一人の人間の各々の臓器であり、それが、いがみ合うことによって、この臓器の主である男は昏倒し続けているのである。この諧謔が何とも言えない。殆ど漫画のようなこの諧謔は、然し乍ら、決して諧謔たるに留まらない。その対立が二項を為しているが為に、解決には弁証法が有効である。
その弁証法を行使するのが、性に己を見失い、夜鷹をして息子を捨てた母である点に、この物語の真骨頂がある。何故なら、非論理の神話・古代的世界を今もその底流に潜ませるこの文化エリアで弁証法を用いる為には、その主体たるべき者は没主体化しなければならないからである。今、彼女の居る所は冥界、主体は朧である。そして、朧に到達する為に曖昧な世界を流離う必要があったのだ。その典型が、色である。一方、色は空に繋がる。色即是空である。更に空が、臓腑を経巡ることに由って経緯の何をも捨て去ることなく腑に落ちたのである。
満足度★★★★
溌剌
一人前の魔女への通過儀礼は、1年間、人間界へ派遣され与えられた条件でその責を果たすことだ。
ネタバレBOX
然し、魔法は3回しか使えない。それも1年間にだ。もし、それ以上、魔法を用いたら、総てを失い消滅するのが彼女らの運命である。
若手主体のニュージカルなので、技術的に未だという点はあるが、溌剌と演じている様は気持ちが良い。
シナリオは、このイニシエイションの規定に見られるように可也厳しいものだが、その点が良い。否応なく選択を迫られ、それが、劇的要素を保証するからである。
許された回数総てを使い切った後に、本当に魔法が必要な状況が出来し、魔法を使うべきか否かの実存的選択が迫られるというシナリオもドラマチックで良い。
満足度★★★★
臨界点
シチュエイションの設定が、想像力の形を素直に出している点が良い。
ネタバレBOX
関東大震災クラスの大災害が起こって、東京駅の地下に閉じ込められた12人。そんな状況の中で必ず出来するであろうような話を、取材と当を得た推理・推論を基にした想像力で組み立てた。実証の裏書を感じさせるシナリオである。最初から尾籠な話で恐縮だが、12人は男女混合である。当然生理作用は生じる。例えば手洗いだ。羞恥心もある。トイレが、閉じ込められた空間にあるとは限らないし、あっても水洗機能が使えるか否かも定かではないといった問題から、飲食、時期によっては暖冷房などのできない状況下でどう消耗しないで正気を保つかという問題、情報、殊に災害に関する情報、閉鎖空間内の人間関係等々を閉じ込められてからの時間経過を考慮しつつキチンと組み立てている為、リアリティーがあるばかりではなく、実際、何時起こってもおかしくない、関東・静岡辺りを震源とする大震災の際には参考になりそうなことも描かれている。同じように閉じ込められた限界状況を描くアメリカの映画作品は多い、とのことだが、日本及び日本人は、同じような状況でどのような対応を見せるのか? についての考察も見逃せない。
満足度★★★★
日常とはこれほどまでに滑稽なものだったか!
シナリオの視点、役者の技量と演出の上手さで、何げない日常生活はこれ程画期に満ち、馬鹿馬鹿しく、おかしなものなのが良く分かるコメディーだ。中盤以降、ラスト迄の笑いのトーンが似通っている為、やや食傷する点が無いではないが、この点にあと少し捻りを加えることが出来れば、更に面白くなろう。ラストの落ちも上手い。
拝見したのは傘チームだ。
ネタバレBOX
照之と詩織は、例年、紅白歌合戦の勝敗を見て、其々の買いたい物を買う賭けをやっている。紅組が勝てば、その年は詩織が望んでいた物を買い、白組が勝てば照之が望んでいた物を買うわけである。そんな訳で、大晦日に紅白を見ることは、欠くことのできない行事になっていたのだが、どういうわけかいきなりTVが映らなくなってしまった。電器屋に電話を入れるが、大晦日の夜でもあり、而もレシートも保証書も見付からずに修理を断られてしまう。そんなバタバタ騒ぎの最中に、突如、詩織の妹、あずみがやって来た。彼女は現在役者を目指して東京で暮らしているのだが、自分が主役を演じることになり、主婦役なので姉を訪ね、泊まり込みで夫婦生活を取材する目的であった。詩織はそういう目的ならば、泊まらせる訳にはゆかない、とあれこれ断りの理由を述べるが、その騒ぎの最中、隣室で同棲している裕次と美鈴が歯を治療して欲しいと駆け込んでくる。歯医者で働いている詩織なら何とかしてくれると思ったのである。然し、詩織は受付や、簡単な補助作業をするだけなので、治療はできない。偶々、妹の持っていた正露丸を虫歯に詰めて急場をしのいだことがきっかけで近所付き合いが深まることになった。そこへ照之の友人、関根と柴田が訪ねてくることもあって珍妙な大晦日から三が日が展開する。
満足度★★★★
愉しんだ
このグループの魅力は、何より渡辺君の真摯で実意ある生き方が、その歌と姿勢に現れていることと、パーカッションの甲田君との信頼関係、更にピアノの加藤氏の巧みな技、ベースの近藤君らとの息の合ったセッションにある。
また今回の会場は、山下 洋輔などの超一流ミュージッシャンも出演する店であり、気の利いたサービスと音響に配慮した、佇まいは流石である。リラックスして聴くことを堪能した。
満足度★★★★★
評価が分かれよう
子を失くした母親の時計は止まってしまう。この国のかたちを描いた秀作。内実が深い為、解釈によって評価は星4つと5つに分かれよう。(追記2014.1.26)
ネタバレBOX
(文意が分かりにくくなるので、頭から)子を失くした母親の時計は止まってしまう。対極にあるのは、女の業と言われる訳の分からないイメージだろうか? 無論、思想的オリジナルを辿れば、仏教のカルマに行きつくだろう。だが、それは、性差を意味しない。然し、大抵は、そんな高尚な哲学とは無縁のレッテル貼りに過ぎまい。そうでなければ、皮相なレベルで差別などするものか。これは社会的階層の問題ではない。総ての人間が、己自身の尊厳の問題を持ち得るか否かの問題である。経済的に力を持っていようが、政治力があろうが、社会的地位が高かろうが、そんなことは一切関係ない。要は、己の力を正確に知り、為すべきことを知ってそれを実践しているか否かなのである。身の丈以上のことはできないし、する必要等ない。己の出来ることをしっかり為せばよいのである。
狡い連中が、その能力だけを活かして他者を追い詰める時、蟻や蜂他の社会的生物には考えられぬ程オゾマシイ腐敗に浸り切るのが人間の特性である。この卑劣極まる狡猾によって、人間だけが異常な格差を持つ社会を作り上げた。狡猾な連中に宗教は無い。在るのは欲得のみである。彼らが宗教の話をする時、それは、宗教を用いて或いは政治化して如何に儲けるかであり、如何に牛耳るかなのであってそれ以外ではない。今作の基本コンセプトの中で語られる賽ノ河原での被害者、或いはいたぶられる者は、無論、子供である。が、既にこの世のものではない。その死因が、子の祖母による殺害であっても、その死を最も深く負うのは、生母である。今作冒頭シーンは、祖母が、孫の首を絞めて殺害するが、それを止めようとする生母をその実姉が止める。結果、子供は死んだ。その罪の意識は生母が負わされた。このような構造が、妖怪を生み出す前提にある。少なくとも、この国の形である。
賽ノ河原のシーンは一度も登場しない。それは、音によって表される。この辺りが、怖さを感じさせる為に仕組まれていることは容易に推察できよう。ところで、デハケは、敢えて不自然な間や、互いのシーンの干渉し合う形が取られている。観客は、作品への没入を阻害されるので、この演出をどう捉えるかで評価が分かれる原因になろう。然し、無論、これも、この国の形を表している。自立を阻み、他者との共存の為には、己を虚しくしなければならぬ、という強制である。恐らくは、世界史的に見て最も早い段階で確立された為政者の手腕が、このような民衆の意識を作った。少し、説明しよう。人別帳がハッキリし、民衆が抗う為の武器を取り上げ、為政者が弾圧の手段を独占するという体制。これが、この国の基本的な形である。(具体的には太閤検地と刀狩)によってその基礎が築かれ、江戸時代の武家・町人諸法度、五人組等による連帯責任制、分限思想と儒教でがんじがらめに縛ったのである。このような状態で革命など夢のまた夢であるのは、必然であろう。お上に楯突くことは、即ち犬死にすることにほかならなかった、この国の民衆の非独立性が、またその奴隷根性が、この国の形を規定していると言っても過言ではない。
日本以外には、恐らく「四谷怪談」流の恐怖はあるまい。この作品が、忠臣蔵外伝として書かれていることも象徴的である。
今作も、怨みつらみの源流にあるのは、即ち地獄の正体は、このような、この国独自の歪つな支配とそれに馴らされた衆生の哀れなすすり泣きである。
満足度★★★★★
時代の鏡
「酒が飲みたい夜」という石原 吉郎の詩があるが、そのフレーズに“酒がのみたい夜は 酒だけでない 未来へも罪障へも 口をつけたいのだ”というのがあって、実に、この詩のような感触を持った作品である。(追記2014.1.24)
ネタバレBOX
佐久間 象山の弟子には傑物が多いが、中でも勝海舟と本作の主人公、吉田 松陰は東西の横綱と言うべきか。黒船来航以来、江戸は時代も空間もひっくり返った。何せ、鉄で出来た黒く巨大な船が、海に浮いていたのだから、庶民はびっくりしてしまったわけだ。而もびっくりしたのは庶民ばかりではなかった。太平の世にうつつを抜かしていた幕閣も然りだったのである。
このような状況を如何に正確に読み解き、欧米の植民地政策から身を守り、どのように身を処して行くのが良いか? これは喫緊の課題であった。その事を正確に理解し、どのようにするのがベストか、という具体的施策を持っていた大小の天才達が居た。勝にしろ松陰にしろ、その師であった象山にしろ、緒方洪庵の適塾に集った俊英達にしろ、薩摩の西郷たちにしろ、土佐の龍馬にしろ、傑物達が、命を賭けて如何に在るべきかを考えた時代のヴィヴィッドな空気を長州を中心に画いた今作。
抜群のシナリオと主だった役を演じた役者達の力量、立ち居振る舞いや和服の着こなしなどの振付、演出の細部迄目の行き届いたバランスの良さ、適確な照明、音響の自然など、優れた舞台である。
満足度★★
ねんざん
一応、演劇とバンドのコラボというコンセプトなのかと思いきや、全体の構成がキチンと考えられているとは思えず、而も、演技・演出、発声、注意力などの基本が出来ているとも思えなかった。音楽の方もパーカッションは打力もスナップの利かせ方も、パンチ力、鋭さに欠ける。叩き方が単調で、とてもステージに立って聴衆に聞かせるレベルではない。
演技に関して一つだけ、具体的に変だと思った点を上げておくと、一応、室内を表しているように思える広くて大きな敷物の中央に卓袱台が設えられ、男が一人正座している所へこの家の主婦が麦茶を持って入ってくる最初のシーンで、正座している男は、外で履く履き物を履いたまま正座しているし、主婦も矢張り履き物を履いたまま、着座するのである。洋室という設定にしてテーブルとイスは洋風の物を用いるか、履き物を脱ぐかどちらかにしなければ、如何に和洋折衷大好きの日本人であっても不自然であろう。
歌われている歌の歌詞を聞いてもうわっ滑りで、唯、皮相の見だけが見える。表現する者とは言い難い。
満足度★★★★
ショパン 革命
大好きな曲がオープニングで演奏された。この曲、ショパンの才能を惜しみ、ポーランドに居ては、反体制運動をして死地に赴くと心配した友人たちが、彼を国外に逃した後に、ショパンが祖国の運命に思いを馳せて作曲したとの話を聞いたことがある。非常に激しい、断腸の思いの籠った名曲だ。(追記2014.1.23更に付けたし予定)
ネタバレBOX
ソウルが未だ京城と呼ばれ、朝鮮半島が大日本帝国の植民地下に在って、系譜を非常に重んずる朝鮮族に対して創氏改名が為された1940年代初頭から現代までを、当時、京城で堀写真館を開いていた一家の家族史と、此処に出入りしていた朝鮮族の人々と末裔の歴史を通して描いた歴史物。直球勝負の佳作である。
堀 賢治は、京城で写真館を営む。十数年前結核で妻を失くした後、妻に瓜二つのキム ソルを女中として雇い、家族同然に暮らしている。その関係で弟のチュンセンも書生として此処にいる。長女の蕗子は、朝鮮総督府の経営する病院の医師と結婚し、近いうちに満州へ行くことになっていた。妹の芽は、母に似たのか歌が上手く、以前、この家で書生をし、現在はラジオの放送局に勤めるチュンセンの兄の番組で合唱を歌うことになっており、練習に余念が無い。曲は“野薔薇”。日本語とドイツ語で歌うようである。きちんと歌う為には、無論、ピアノのレッスンも必要とあって、賢治の古い友人でジャズ好きのピアニスト、パク ウヨンが先生である。
明るく、豊かで、フランクな家庭であったが、ここにも戦争の影は忍び込む。ラジオ局に勤めるチュンセンの兄が、特高にパクられたのだ。在米の朝鮮族が母国の運命を憂い、戦争の実体をアメリカから短波放送を使って流していたが、その放送を聞いていたことが、罪に問われたのである。ミッドウェー海戦で日本が大敗を喫した後、大本営の嘘とは裏腹に日本は負け続けていたので、その事実を報道されることも、受信することも、軍部は固く禁じていたからである。捕まった後も彼はジャーナリズムに携わる人間として節を曲げなかったので、連日拷問を受け続け、終に命を奪われた。
戦争が劣勢になるや、日本は、朝鮮人、台湾人等も皇民として徴兵、チュンセンも心を寄せた芽の為、世話になった堀家の為に応召に応じるが、幸い生き残って日本に復員、その後、結婚して子を設け、日本へ戻って写真館を開いたと聞いた堀写真館を訪ね、親子の写真を芽に撮影して貰っていた。民族の言葉を喋れなかったチュンセンは、ハングルを学び、1971年に韓国へ行くが、反共独裁朴 正熙政権下の韓国でスパイ容疑を掛けられ逮捕されてしまう。兄と同じように、毎日拷問を受けたが、監守の隙をついて焼身自殺を図った。然し、耳も眉も炎で焼かれて跡かたも無くなり、口も殆ど開かない程の大やけどを負ったものの、火を消し止められ、目的は果たせなかった。傷が癒えるとまた獄に戻されたが節を曲げなかったが故に獄殺された。
記号化
囚人番号をつけられることの本質は何か? それは、人間性の剥奪、生きて、同胞として、尊厳を持った個人として当たり前に生活することの否定である。だから、総ての権力は、個人に圧力を掛け、その精神を挫く為に、必ず一切の例外なく記号化を行うのだ。
権力側が、記号化するのに対して、面会者は、囚人、収容者の個人名を呼び、個人の尊厳を持った者として接する。ここには、決定的な差がある。ニュース報道などで、死者何人などとして報道されることは、本質的な意味を為さない。それは、誰でも無いからだ。数字即ち記号にされた者は、ただ、忘れられる為に、記号化されるからである。人の死とは、そんなものか? そうであってはなるまい。だから、報道にあっても、本質的な報道であろうとすれば、本来は、亡くなった方々の個人名と個人史を掲載した上で、亡くなったことを報じるべきなのである。著名人であれば、そのように報じられることも稀ではないが、本来は、総ての人に対して、個人情報保護上問題が無ければ、そのように報じられるべきであろう。
満足度★★★
塔がgood
塔は、ちょっとカフカ的で面白い作品であったが、明るい夜は如何か? 興業的に映画をたくさん見ている人を考えたのであれば、少なくともコリッチの上位メンバーは、ちょっと違う。その辺りの事情が、皆のレビューに出ているように思う。無論、自分も含めてである。塔については、後ほど、追記する。塔だけであれば、もう一つ、星を増やすのだが。
満足度★★★★
楽しめた
3時間寝たか否かで、一日過ごしていたので、寝てしまわないか心配しながら拝見していたのだが、自分には、とても面白く見ることができ、最後まで楽しんだ。十二使徒の着衣の色などで、登場人物の呼称が決まり、それが、聖書の記述に連動したり、所謂、エリートである医者とヤクザがつるんでいたり、警察と某組織のエージェントがダブっていたりと、案外、この植民地の実態に近い。二転、三転する展開もGood!
ネタバレBOX
事件の発端に巻き込まれた女性が、そのことで家族を殺され復讐に走るのだが、それも、ゲームに組み入れられていたり、そも、この謎を解き明かしてゆく主人公の父の位置が微妙だったりで、面白さが増すと同時に、完全犯罪が成立する為のヒントが提示されている点にも興味を覚えた。
満足度★★★★
優れたセンス
「銀河鉄道の夜」の作品としての宙ぶらりんを、生き抜く次元に着地させた。
ネタバレBOX
公演成功の鍵は、無論、導入部のポリフォニックな入り方で、事実の多面的な展開を同時に示すことによって、真を隠蔽しているもの・ことが如何に多いか、例え、それが真を追求し続けた賢治の、同一作品に用いられている表現の、真を目指す表現に繋がるものであってさえ、異なる場所で使われた場合には、一度期には如何に捉え難いかを示し得たことにも現れていよう。
即ち、導入部に於いて既に現在への移行を果たすべく、原作は解体されているのである。当然のことながら、以降は再構成という形を採ることになる。
その上でカムパネルラと重なる裕也の遺体を、矢張りジョバンニと重なる文香が発見することが示唆されることによって、生き残った者と既に死んだ者が明確に対比され、次のステップ、即ち生を選び取る次元へ移行するのである。必然的に、この移行はスムースだ。
満足度★★★★
ポコペン
第Ⅰ部では、現在、若者のみならずこの「国」の普通の人々が置かれているカオティックな状況が、その精神のアンバランスという形で表現されている。今回は、“ピャー”がこの数作特徴的に描く、巨大な機械や正体不明の何者かに焦点を当ててみよう。(追記2014.1.19)
ネタバレBOX
今作では、ポコペンと名付けられたロボットだが、カオスの中で悶える人々の光明たるべく、科学者が作り出したものだ。
ところで“ピャー”作品に現れるカオスは、ギリシャ神話でクロノスの前に支配者であった始原のカオスではない。生存の与件が壊された果てのカオスである。そして現代資本主義社会に於ける生存の与件とは、言うまでも無く、衣食住が、基本的に自給できること、健康で不安のない暮らしをする為に、余計な災厄の心配をする必要がないこと、其処に生きる人々が思想と自由を制限されない保証として借金財政でないことの三つである。
だが、現在、我々の生きる日本社会はこの与件総てが壊されてしまった。カオス以外にどのような様態が可能であろうか? 而も、このカオスが、ギリシャのそれのように初源の物でない為に、一体化はしておらず、分裂している。片やロック音楽として、片や飲む宗教として。アウフヘーベンならざるアウフヘーベンとしてポコペンが位置づけられていると考えることも可能である。
というわけで、仕上げに科学者は、日本の歴史を教えている所だ。若者と言えば、社会的力が貧弱で経験も少なく、経済力も乏しい、というのが基本であろう。即ち、社会的弱者に近い。彼らの武器は傷つくことのできる柔らかな感性と魂である。その柔らかい感性と魂で彼らは正確に何が壊されたかを理解している。その上で、彼らの力だけでは、手に余る部分を機械という形の表象にして紡ぎ出しているのだ。こんなわけで、ポコペンは、恰も生き物を思わせる形態を採る。裾は膜か襞のように広がり中央部は煙突のようにそそり立つ。とはいえ、ポコペン唯一の機能は、他人の話をしっかり受け止めることだけなのではある、が。
これらの要件が揃った所で、第Ⅱ部では、自らの位置の再思考、再定義が行われ、生命に収斂して行くが、物も、ヒトの生き方も何もかもが、命を目指す流れに組み入れられてゆく幻想と捉えたら良かろう。或いは、そういう願望と。
終に終幕第Ⅲ部 生命の羽ばたきが聞こえる。蜂か或いは蝿の王、ベルゼブブか? これも問題だ!
満足度★★★
豊饒と貧困
ご存じシェイクスピアのロミ・ジュリだが、シェイクスピアの作品内へ現代の若者が入り込んで、ロミオ、ジュリエットと出会い、彼らと関わることで成長を遂げる物語だ。が、シェイクスピア翻訳部分でのダイアローグの煌めき・ボキャブラリーの豊穣に対し、現代の若者達の語りに見られる発想の乏しさ、ボキャブラリーの貧困が、際立つ。恐らく、それは、実際、プアな会話なのであって対話になっていないのだろうし、ボキャブラリーやイマジネイションの深刻な迄の枯渇もその通りなのだろうが、その点をもっと批評的演出で強調して欲しかった。
発声に関しては、悪くは無いが、未だ身体の深さについての認識は甘いと言わざるを得ない、と終演後役者の一人と話して感じた。何と風姿花伝も知らないのだ! 演劇に関係している人間が、20歳を越えて基本中の基本を記した本も読んだことが無いばかりか、知りもしないのだ。驚く以外に何ができよう。
アフタートークでも多くの出演者が読む、というレベルで朗読を語っていたことは、矢張り残念だ。身体パフォーマンスが伴わないということをタメの訓練として用いれば良いものを。この辺り、スターシステムの中に在る何らかのメソッドを学んだだけで金科玉条としているのかも知れぬが、それでは、大成できないことが明らかである。
ジュリエット役だけが、内面からの表現の意味する所を意識していたように思う。彼女は星4つ。他の役者は3つ。トータル3つである。