ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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許されざる者

許されざる者

シンクロ少女

アトリエヘリコプター(東京都)

2014/07/02 (水) ~ 2014/07/08 (火)公演終了

満足度★★★★

慣れへの絶望
 マンションとは名ばかりか? 隣の部屋の音がもろに聞こえてしまうような安普請の隣部屋同士のカップルが、くんずほぐれつになっちゃうお話。男女の微妙な機微をセンシティブに描いてグー。

ネタバレBOX

 各々のカップルは、フットサルのコーチをやっているゲンキと一回り上の女房、さやか。シナリオライターのイクオとナツ。イクオはバツ一なのだが、未だ、前の女房、コズエと共同でシナリオを書いている為、ナツと暮らしている部屋にも、コズエはやって来る。ナツは最近、ドーナツをたくさん作って売っているのだが、これが頗るつきに評判。ナツの名はドーナツと掛けているかも知れない。
 まあ、この設定からして、ちょっとアブなそうだが、危ない理由はもう一つある。二組とも結婚後6年。倦怠期である。
 これらの要素が化学反応を起こし、ゲンキのシングルマザー相手の浮気から始まって、ゲンキ&ナツのスカイツリー探訪、返しのイクオ&サヤカの同所散策。これらが嵩じてスワッピング迄。だが、互いが情報を共有し、納得づくで進展しているうちは、、却って元々のカップルの営みも新鮮味を増し、刺激的にもなったのだが、其々の女達が妊娠すると。わや! そこから先は読者の想像に任せよう。
わっしょい!!鋼鈴の乱

わっしょい!!鋼鈴の乱

張ち切れパンダ

小劇場 楽園(東京都)

2014/07/02 (水) ~ 2014/07/08 (火)公演終了

満足度★★★★

まりっぺ
 マリは小学校3年の女の子。お父さんが居ないせいか、お母さんが入院していて叔母さんの世話になっているからか、独立心が強く、世知に長け、勉強は嫌いだが、中々はしっこい。今日も、学校帰りにクラスの苛めっ子3人に襲われたのだが、返り討ちにしてやった。(2014.7.9追記)

ネタバレBOX

 苛めの理由は、参観日で皆が、其々、宿題で書いて来た作文を読んだのに、マリだけが読まなかった。という理由だ。彼女が宿題をやってこなかった。そう苛めっ子達は思っていた。実際は、宿題はキチンとやってきていた。ただ、入院しているお母さんに直接読んでやりたかったので、クラスの皆の前では読まなかったのだ。叔母さんは忙しいので、参観日に来て貰うのは遠慮していたのだが。結局、学校から、呼び出しを喰らった叔母さんは、学校へ来た。そして、返り討ちに遭った苛めっ子達に飴をやって宥めると、ご飯代や小遣いをくれようとするのだが、自分で生きて行く、と強がってマリは受け取らない。そのまま、叔母と別れて、母の入院している大岡山病院へ行こうとする。然し、問題の病因が何処にあるのかも、どれくらいの距離があるのかも分からない。そのうち、夜になってしまった。交通費も食費もなく、とぼとぼ歩いている内に公園に辿りついた。ここで野宿しているホームレスのオジサンに出会った。開口一番、病院の場所を訊いた。オジサンは、病院の名を聞くと、「遠いぞ」と言う。オジサンを良い人だと見抜いたマリ、オジサンの傍に坐ると、臭い。遠慮なく「オジサン臭い」といいつつも、少し座る場所を離しただけでチョコんとオジサンの横に座っている。おまけに、「お金貸して」と頼んだのだ。それ迄していた雑談の中で「一人で生きて行くんだ」と散々言っておきながら、そしてオジサンに「弱虫」だの、何だのと言っておきながら、「金を貸してくれ」と無心するが、ホームレスが金を持っている訳もない。すると、マリは、オジサンの所に「泊めてくれ」と言い出す。オジサンの屯しているのは公園のベンチ。毛布1枚被って寝ているわけだ。そこへ強引に潜り込もうとするマリ。オジサンは、通りすがりの者に、変な誤解をされることを恐れて、兎に角、「帰れ」と諭すが。マリは結局、公園で一夜を明かすことにして、近くのベンチに蹲り、いつの間にか寝て仕舞った。その時、彼女が持っていた紙に目を落としたオジサンは、事情を深く理解する。そして、1枚しかない毛布をマリに掛けてやると、自分は毛布無しで過ごし、朝早くから稼ぎに出掛けた。やがて目覚めたマリは、オジサンが居ないことに気付くが、何処に行ったかは分からないまま、公園に居ると、一人の青年がやって来てベンチに座った。パンをマズそうに食べている姿を見て、お腹が鳴る。(足したよ2014.7.9)
パンをねだるが、最初は断られた。彼女が好きだったパンなのだが、彼の好みではない。何れにせよ、マリは、パンをゲットし、青年と話し始める。彼の名は、久保。彼の様子から久保が自殺を考えていることを見抜き、訳を訊ねる。訳は彼女に振られたことだった。それで自殺を考えていたのだが、マリは、昨日、おじさんと話していた時に見掛けた、新興宗教の教祖達が、どうやって信者を獲得して行くかを見ており、それを応用して、復縁させようと目論んだ。その為には、彼女の情報を得なければならないので、久保に彼女の名前やこれまでの経緯を訊ね、そのデータを仕込んだ上で、彼女、良美の働く店へ出掛け、彼女と会って、預言者のふりをする。データは久保から得たものだから正確である。良美はまんまと嵌って、仕事が終わった後、久保と打ち合わせておいた場所に来てくれた。こんな経緯で二人は復縁したが、オジサンが仕事から帰って来て、稼いだ金を貸してくれたので、家に戻って見ると、叔母さんがしょんぼりしている。一所懸命、マリを探したが見付からない間に、お母さんは亡くなっていた。
 長い時が流れ、新興宗教はそれなりの規模を持つようになっていた。偶々、この団体が主催している洗脳施設でオジサンを見掛けたマリは、是非とも、またオジサンに会って借りた金を返したい、と願うが見失ってしまった。教祖によれば、教団に居れば、また会えると言う。そこで、マリも教団で暮らすことになった。教団の教えは、不幸な過去を捨て去り、完全に忘れて、ハッピーに生きることであった。マリは自分の身勝手で、母の死に目に会えなかったことだ。一旦は、教団プロパーらの説得により、過去を忘れ、アイデンティティーを喪失して、何者でもない存在を目指そうとしたが、持ち前の知恵が、それを拒ませた。その為の授業料は、貢ぎとして支払うことになったものの、彼女は、傷だらけの人生を背負ってゆく道を選ぶ。オジサンにも思い出して貰った。母に宛てた作文を取り出し読みだす所で幕。
 無論、これを読む、という演出も、シナリオもあり得た。然し、読まなくてグレードが一段上がった、と考えたい。演出家は、観客に想像して貰うことを選んだのである。こんな時代、自らの頭で考え、判断し、生きてゆくことこそ、肝要である。これはその事を意識した作り手からのメッセージであろう。
マリを演じた梨澤 慧以子も、元気で世知のある子供を演じた演技が気に入ったが、オジサンを演じた植吉の演技が良い。また、マリの勝手な行動の結果、母の死に目に会えない、というシナリオのリアリティー、オジサンが弱虫と罵られて一念発起、職に就いているのも良い。

E=mc2=…?

E=mc2=…?

集団as if~

笹塚ファクトリー(東京都)

2014/07/02 (水) ~ 2014/07/06 (日)公演終了

満足度★★★

ヒロインが熱演
 数式が出てくるが物理学でも数学でも音楽でも無い。絵描きの話である。開演の大分前からアンケートにくっついている“タイトルカード”というものに、(好きな単語)、(架空の物語のタイトル)、(好きなセリフ)、(大喜利のお題)と四つの項目があって観客が好きなフレーズを書き込むことができる。これを劇中のアドリブ要素として使う趣向である。一応、演目がコメディーということになっているので、まあ、御愛嬌ではあるのだろう。

ネタバレBOX

 テーマは頗る真面目である。創作された作品の評価と自らの芸術観の相克がテーマだからである。この日本に今生きて、表現に携わっている者なら、一度は真剣に向き合ったであろう問題である。日本がサル真似をし続ける国、アメリカでも事情は大して変わらないのは、ブロードウエイやハリウッドで出来る作品を見てみれば分かるだろう。金は掛かっているし、無論、それなりに上手い。然し、総て何処かで既に見て来た、陳腐でありきたりの内容であり、狂気や真の迫力は全くない。おまけに、作者のその表現でしか描けないようなギリギリのヴィジョンに欠けるのである。この点は例外が無い。歴史に残るような作品を作っていた時代が、ハリウッドにもブロードウェイにもあったのは事実だが、現在もそうだとは思えないのである。興行収入の良い作品とはマスコミが、囃し立てた作品であり、良いか悪いかとは別物である。こんな当たり前のことが、無論、ディレッタントや興味を持っている人間以外には分からない。そこに、つけ込んだのは無論資本であり、資本がメディアを支配する現在では、キチンと情報を取る術を知らなければ誤魔化されるのだ。今作では、絵描き自身が。この罠に嵌ってしまった。身も心も捧げてくれた恋人・妻を巻き込んで。中盤から終盤にかけては、芥川の「地獄篇」を思わせるような展開だが、前半、おふざけが過ぎて、白けるのと、コンセプトに新鮮味がないこととで、矢張り減点である。ヒロイン役の女優は熱演だったが、これでは彼女が可哀そうだ。他の注意点で最も大事な事は、会場アンケートに書いたのでここには書かない。
第11回シアターX(カイ)国際舞台芸術祭

第11回シアターX(カイ)国際舞台芸術祭

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2014/06/14 (土) ~ 2014/07/06 (日)公演終了

満足度★★★★

ポーランドの作品が圧倒的
 第一部はポーランドのAmareya Theatre & Guestsの“Nomadic Woman”。今作は、グリーンランドに住んでいたエスキモーの少女、ルイーズ・フォンテン(当時9歳)が、1960年代にデンマークで勧められたイヌイットのヨーロッパ化政策によってデンマークへ強制的に移送され、デンマークの家庭に引き取られて、デンマーク流の教養、マナー、言語等を教え込まれた。無論、本来彼女の持っていた文化・文明は総て否定禁止された。結果、彼女は、自らの魂の帰属すべき場所と機会を失い、所謂デペイズマンを抱えたまま、生涯を送ることになった。エドワード・サイード流の言葉で言えば”out of place”ということになろう。オーストラリアでは、アボリジニが同じような目にあった。日本でもかつて、アイヌに対して、更に酷い形で、同化政策が取られたことは、多くの知識人が頬っかむりしている事実である。日本の大衆は、そのような事実を知りもしなければ、知ろうともしていない実情がある。また、知っている者は、知らぬふりをする。何と言う欺瞞及び怠慢だろうか? こんなことだから、滅びに向かって一直線なのだ! 横道に逸れた。
 本題に戻ろう。この存在の不如意を、表現者たちは、ハンデキャップに仮託して表現しようとする。尚、ハンデキャップとはヨーロッパで普通に使われる障害者の呼称である。障害者という言葉に、非常に差別的なニュアンスを感じる自分は、ハンデキャップという関係の中での状態を表す表現を使わせて貰う。この時の体の重心の移動が凄い。鍛え抜かれた身体だけが、耐え得る負荷であることが、観客に明確に伝わるムーブメントは、当に身体による思想表現である。更に、開始早々、イヌイットの女性用ナイフである「ウロ」で髪の毛を少し切られた女性は、その後、バリカンで丸坊主にされた上、半裸状態で観客席から後ろ姿だけが見えるように、舞台奥の壁の前に立ち続ける。舞台上では、上手・下手に分かれて、ハンデキャップに仮託した身体パフォーマンスが演じられ、終わると60本以上の抜き身のナイフを吊り下げた下で、肌を晒したパフォーマーが踊ったりもする。刃迄の踊り手との距離は、離れている時でも30cm程度、近い時には、体に触れる。無論、実際に切れる刃物である。従って、見ている側に緊張感が走るのは当然である。刃の下から抜け出た踊り手は、腕を左右に揺らし、煙がたなびくような仕草をする。背景には、H.L.M.でもあろうか、移動しながら粗末な住宅を眺めているような映像が流れている。H.L.M.であるならば、それは、移民や、被差別民を意味しよう。そして、先ほどからずっと奥の壁前に立ち続けている、髪を剃られて半裸から、全裸になったパフォーマーに意味を付与するなら、そして、この手の動きが煙のたなびく様子を意味するなら。そう想像したら、背筋を悪寒が走った。このように緊迫したシーンを幾つも持った素晴らしい舞台であった。(★絶対5つ)
 第二部は、Dance Monsterという名の日本のグループ。演目は「今日のニュース」というタイトルで福井県の原発銀座を中心に扱った作品だが、言葉を多用して、表象する余り、身体化・内面化が乏しいように思われた。主張は明確で、理性のある者なら当然の発言であり、非科学的で非理性的な自民党やその支持者、原発推進、核大好きな滅亡推進派などには、反対を喰らうような至極真っ当な主張であり、それが、古事記や、日本古来の神々や神道と結び付けられて表現されている点で、靖国大好きな滅私奉公推進機構の国賊とその支持者たちへのアイロニーとして機能している。(★おまけで4つ)
 第三部は、清水 知恵のソロダンスで、タイトルは「蝶と遊ぶ 木花 咲耶姫」命とアイデンティティー、生き方等を求める在り様を、そのたゆたい、瞬発力、背景に浮かぶ時間等を表象しようと試みた。存在感とフォルム化された美意識には、見るべきものがあったが、主張や表現したいものの内容が、観客に伝わる為には、更なる工夫が必要に思われる。その度合いはパラダイムシフトというレベルを当然含む。(★四つ)
総合四捨五入で★4つ

モモ

モモ

実験劇場 あずみ企画

アートスタジオ(明治大学猿楽町第2校舎1F) (東京都)

2014/07/03 (木) ~ 2014/07/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

原作のテイストを立体化
 ミヒャエル・エンデの人気作、「モモ」をミュージカル化した舞台だが、学生だけで演じ、登場者も多くの世代、果ては亀に迄及ぶ今作のテイストを巧みに取り出し、表現して物語に陥入させてくれたのは、この劇団の力だろう。いつもながら、学生演劇の横綱を張る明治大学の演劇である。先ず、姿勢が良い。如何にも若者らしい工夫と初々しさ、観客に対する態度と距離の取り方の適正が心地よい。無論、脚本も原作の本質をしっかり、自分の頭で捉えているし、演出は様々な個性を纏めるのに苦労したであろうが、コラボレーションは良い感じにハーモニーを奏でている。キャスティングも良い。殊に、モモを演じた永野さんの、子供の持つちょっとしたためらいや気恥ずかしさの表現が素晴らしい。脇では、ジロラモを演じた木村くんの演技、身体能力の高さも光った。更に、前説とマイスターを受け持った稗苗くんの落ち着いた演技もグー。他にも歌をオリジナルで作っている手の掛けようや、舞台を立体化させる為の工夫が見られた。一々、名は挙げなかったが出演者の演技レベルも高く、ダンスの時の体の切れも良い。このグループの今後にも期待したい。

うちの犬はサイコロを振るのをやめた

うちの犬はサイコロを振るのをやめた

ポップンマッシュルームチキン野郎

駅前劇場(東京都)

2014/07/04 (金) ~ 2014/07/13 (日)公演終了

満足度★★★★★

朕にゃ国家にゃり~~~まっかーさー
 にゃんと今作は、戦争にゃのであるにゃ^。朕は、満州国皇帝にゃ。であるから、おちょくられているにょら! にゃろめ~~~~~っつ~! 日清、日露ににゃんとにゃく勢いで勝っちったそうにゃ。で、調子こいたにゃ。で、理想を吹聴してにゃ。他国の領土を満州国と名付けて、そこに清朝の皇帝であった朕を皇帝として祭り上げ実質支配したわけにゃ。(ネタバレのちゅじゅきはあとでにゃ~~~。ふにゅ。おやひゅみ~~~!)(ちゅいかにゃ~~~2014.7.7)

ネタバレBOX

 ゴルバチョフは、抗日戦線のリーダーの家で飼われていたわんこにゃ。可哀そうに、可愛がってくれた飼い主一家は、日本の将校に、全員撃ち殺されたにゃ。で、彼は人間の言葉が喋れる特殊なわんこだったから、関東軍の731部隊のラボに連れていかれて軍事用の超能力をつける為の手術を施されてしまったにゃ。その力は、未来を予測できる能力だったにゃ。それ迄にも、幾多の人間が、同じオペをやられにゃけど、皆、自殺したにゃ。ゴルビーが、選ばれたのは、同じ哺乳類で、彼には、人間の言葉が話せたからにゃ。高蛋白な食物を摂ると、未来を予知できるにゃ。このラボには、体に欠損ができても再生できる能力を持ったトカゲや卵を産むと二分の一の比率で一個の成分が鉄という鶏やどういう訳か飲み食いするマッサージチェアなんかもいるにゃ。ところで、この関東軍の施設にはラボの他にも脱走兵や思想犯を捉えて拷問する部屋があったにゃ。其処に捉えられて拷問されている者達は、特攻に選ばれて拒否した者、脱走を図った者達が居たにょら。ゴルビーと同じタイプのオペを受けた人間達の中にも、このような日本人兵士が居たかも知れないにゃ。だって、ゴルビーのオペが成功したかどうか確かめに来た研究者や将校が成果を確かめる実験をした時以来、ゴルビーのイメージに毎回現れる謎の男は明らかに日本の軍人だからにゃ。人を人と思わぬ如何にも悪名高き関東軍にゃ。笑いのオブラートに包んで、毒(為政者にとっての、民衆にとっては奇妙なことに同じ物が薬にゃ)が仕込まれたこの作品のアイロニーのヒントを幾つか挙げといてやるにゃ。
 ゴルビーがその能力を用いて見た可能な未来の一断片は胡蝶の夢のようなものだにゃ。その夢の中で、彼は殺された飼い主と瓜二つの少女、シズ子に会うにゃ。けど、彼女は戦争中爆弾の破片が頭に入っていて、左目が全然、見えなくなってしまったにゃ。伯父さんの経営するキャバレーでダンスのショウをやって居るにょらけろ、余り上手く踊れにゃい。その後、後遺症は悪化して、両目とも失明の危機に瀕しているにょ。それでも健気な彼女は、懸命に踊ろうとするにゃ。看板ダンサーのクレオパトラは、降りちゃって居にゃ^~~~~し、パートナーのカエサルはアドリブ過剰で皆にゃがついて行けず、ショーがぐちゃぐちゃにゃ~~~~~ふぃにゃ~~^っち。店は借金塗れでもう駄目にゃ==^。
他のヒントにゃ~~~~~~っち。
 そういや、裕仁は玉音放送でも用いているように己を自らでは朕と称しておったにゃ。彼は、徒に戦局の転換を望んで終戦を引き延ばし、原爆投下を招いたにゃ。にも拘わらず、お人好しというしかない、人々は大日本帝国憲法唯一の主権者、裕仁の戦争責任を問わないばかりか、マッカーサーが、彼を罰っしなかったことを高く評価した。マッカーサーには、「拝啓マッカーサー様」との便りがたくさん届いた事実が残っているにゃ。そればかりか、マッカーサー神社を作ろう、との動きもあったほどにゃ。日本人の節操の無さには呆れるにゃ! 閑話休題。脱線が多くてイケにゃい! シズ子の話にもろろう。彼女の家は、横浜のキャバレーにゃ。ゴルビーがシズ子に拾われた関係で、他の仲間もみんにゃ、シズ子の伯父さんの世話になることになったにょら。店のにゃまえは、L.B.&F.M.(リトルボーイ あんど ファットマンにゃ)。知っているにょが、あたりみゃえにゃのだけれど、一応、解説にゃ。リトルボーイは、広島に落とされたウラニウム型原爆にアメリカが付けた愛称。ファットマンは長崎に落とされたプルトニウム型原爆のそれにゃ。ブラックにゃ。
 こういうにゃまえを付けたキャバレーが、敗戦直後の横浜にあったという設定は、実に意味深にゃ。現在でも神奈川県は、沖縄県に次いで米軍基地・施設の多い県にゃのらし、司令部まであるにょら! 更に原爆に関して付け加えておけば、マンハッタン計画は、大統領直轄の秘密計画だったし、原爆の開発には、莫大な費用が掛かったから(マンハッタン計画の年間費用だけで、当時の日本の国家予算1年分とほぼ等しいにょら)、もし完成した原爆を使わずに日本がポツダム宣言を呑んでしまえば、戦後、アメリカ国内で原爆開発の費用について追及されることは、自明であったにゃ。だから、アメリカは人類に対する罪であるとの認識を持ちながら原爆を投下したにょら。つまり、当時のアメリカの政治屋共の利害得失によるにゃ。そして、原爆を落とす直前迄、日本に戦争遂行能力が残るように、慎重に鉄道や幹線道路、最重要軍需施設等を直接爆撃せず、戦争を引き延ばしもしていたにゃ。
 つまり、日米双方の指導層、責任者達の都合によって原爆が実践使用されたとも言える訳にゃ。ところで、今作にも登場する731部隊メンバーを含む、軍事研究者達は、落とされた爆弾が原爆だと知っていたから被爆地に数日後から入り、被爆の実態を183冊の大学ノートに纏めたにゃ。無論、裕仁が漸く戦争終結に動いたということもあったのりゃ。そして、これらの資料を僅か2ヶ月で英訳、アメリカに送ったにゃ。何故か? 愚問にゃ~~~~! 手前らの罪を減じて貰う為に決まってりゅ。研究者達は英米法に司法取引があることぐらい知っている訳だからにゃ。因みに、アメリカが、その後、仮想敵国である国々の何処にどれだけの原水爆を落とせば、相手の戦闘能力を完全に無化し得るかの資料を作るに当たって、その基礎資料としたのは、この時、原爆で殺された日本の子供達の資料にゃのら! 良く覚えておけよ! 更に、これらの功績によって、戦争中、自分達が犯した「人道に対する罪」を減免された731部隊の研究者や毒ガス研究者らは、ほとぼりを冷まして、日本の研究者、為政者、アメリカの走狗として復帰したわけにゃ。そのうちの一部は、ABCCで日本人被曝者をモルモットとして、アメリカにデータを渡し、その後も名称を放射線影響研究所と変えて内部被曝を無視した研究を続けてきたにょら。現在、この研究所の流れを汲む山下 俊一が福島医科大の副学長として、福島に赴任。参考までに此処を見て見よにゃ。http://www.acsir.org/news/news.php?25。奴がやっていることは、被爆実態の隠蔽と人体実験のデータ収集にゃ。
 ところで、多くの畜人は、このまやかしを糾弾しにゃい。何故か? 何が本当に大切なことか分からにゃい阿保だからにゃ。関係が良く見えず、イマジネーションが枯渇し切っているからにゃ! 何より、自分の頭で考えることのできにゃい、その勇気もにゃい腑抜けだからにゃ。こういう連中を糞と言うにゃ。ゴルビーをみにゃらえ! っち。にゃこは、普段敵対している犬族の、ゴルビーに、今回は全面的に協力にゃ~~~~お!! グラスノスチ万岁にゃ~~~~っ!!!

第11回シアターX(カイ)国際舞台芸術祭

第11回シアターX(カイ)国際舞台芸術祭

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2014/06/14 (土) ~ 2014/07/06 (日)公演終了

満足度★★★★

夢の見方
 いつも通り上演後に、出演者達と観客の質疑応答、作品解釈などに関するアフターミーティングが、ロビーで持たれた。日本だけが関わったのは、2作目、他は韓国と日本、フランスと日本とのコラボであったが、日本だけのものは、イマジネーションの質が、内向的で独りよがりになっているようで、自分には、余り面白く感じられなかった。詳細はネタバレで。

ネタバレBOX

 7月3日に上演された1.劇団MIRレパートリーシアター「夢見る木と世界の終わり、そして踊る彼女」(日韓合同作品)2.保坂 尚代ダンスワークス「因幡の白ウサギは神になる?」(日本】3.プロスペクト・テアトル+アンサンブル室町「夢の色彩」{(マルグリット・ユルスナール 東方綺譚より)日仏合同}演者達による其々の作品解釈・説明で若干気になったのが、2番目の因幡の白ウサギの話であった。明らかな間違いと思われる点が、いくつかあったことである。一つは、ワニを爬虫類のそれと混同しているかのような発言が、兎が彼らを騙して越えた水域を川と表現していたことだ。これは、隠岐と気多の岬(現在の鳥取市)の間の海である。イルカなら淡水性も居るが、鮫は、海水に住む魚類である。恐らく、ワニ(自分も母がたが鳥取なので、大型の鮫をワニと表現するお年寄りが居たことを知っている)という方言から、爬虫類と混同したのであろう。古事記の研究会のことも口にされていたが、古典を読むということをなさるのであれば、注意深くお読み頂きたい。
 さて、三作の講評と参りたい。
1は、背景に様々なイメージと字幕を適宜映し込みながら、舞台上では、ダンス表現・舞踏など、身体を用いて、荘子の「胡蝶の夢」を仲立ちとしたストーリーを展開させる作品。無論、効果音も流れてくるのだが、これらのコラボレーションと現代我々の「謳歌」している文明への疑義を呈して、秀逸。三作品の中で、自分が最も気に入った作品であった。今作のテーマは、命。その源の水から始まって始原の生命が誕生。生命の進化即ち分裂が、意識・文明を生み、文明は独自法則で発展して命を蝕み滅ぼさんとするが、滅びの刹那、漸く本義に気付いて再生を遂げる一大叙事詩だ。
2は、白ウサギが、鮫を騙して生皮を剥がれ、その後、求婚の為に気多に向かう神々から、教えられた処方に従った兎が、酷い目に会う部分が総てネグレクトされている為、原作にあるストーリーのダイナミズムが無く、話は平板になってしまった。神など所詮、人間の発明したイリュージョンに過ぎないので、そんなものを身体という不自由な表現媒体だけで表現しようとしても極度の抽象が伝わらないのは当然である。そうしようと考えるなら、アドルノの下降弁証法のような発想のパラダイムシフトが必要であろう。神ならぬ身で、神というエーテルのようなイマージュを取り込めるわけは無いのだ。
3は、ユルスナールの東方綺譚からの抜粋だ。ヨーロッパ(仏)ダンサーと日本舞踊のコラボレーションだが、音響として鼓が入る。たが、女性が打っているので、瞬発力が弱い。時空を切り裂くような叩き方になっていないのだ。この辺り、緩急をキチンと叩き分けて貰いたい。ユルスナールの原作のラストシーンでは、描かれているモデルの女が、死後、絵の中に現れ、絵描きが、絵の中に陥入して、皇帝の目の前で、小舟に乗った二人が絵の中で沖に向かって消えて行く所で幕という異様に美しい世界で終わる。今回は、演出家の気に入ったフレーズを断片として取り出し、改めて嵌め込んで再構成しているので、全文を読んだ方とは、異なる解釈も生まれてきそうだし、それが狙いということもあるだろう。今作は、2番目に気に入った。★は1が5つ、2が3つ、3が4つ。全体評価4つだ。

記憶の水平線-初日完売致しました!-

記憶の水平線-初日完売致しました!-

マニンゲンプロジェクト

シアター711(東京都)

2014/07/02 (水) ~ 2014/07/06 (日)公演終了

満足度★★★★

生きる
 とは何か? を、改めて考えさせる作品。登場人物は、総て既に死んだ者たち。而も死後の世界にあって尚、不幸自慢しか話せないような”駄目人生”の経験者が殆どで、自殺者の比率も高い。

ネタバレBOX

 論、駄目タイプと自殺者が完全に正比例しているわけではない。然しながら、唯でさえ自殺の多い、この「植民地」の昨今の中でも、やはり高いのは事実である。何れにせよ、そんな彼らが、曲がりなりにも共闘し、芝居作りに励む中で見えてきたものは、日々の何気ないこと、欠伸をしたり、叱ったり、叱られたり、怒ったり、喧嘩をしたり、仲直りをしたり、風邪をひいたり治ったりしながら、決して偉くなるわけでもなければ、有名になるでも、金持ちになるでも、才能を発揮するでもなく、唯、そこに当たり前のように居ること、そのことの幸不幸を生きて味わい、大事な人がそばに居ると互いに認め合えること、その大切さであった。かっこよくも無く、目立ちもせず、楽しいことも苦しいことも惨めなことも一緒に過ごす。そのこと総てが人生の意味なのだ。そう思い到ること、であった。
同情タクシー

同情タクシー

天丼

こった創作空間(東京都)

2014/06/26 (木) ~ 2014/06/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

この値段でこの内容はお得(Aチームを拝見)
 舞台は、パイプ椅子に白いカヴァーを掛け、対角線に沿って手前に2脚、奥に3脚を置いただけである。手前の椅子の間に若干のスペースがあるのは、運転席と助手席の間のスペースを表している。これは、無論、ボディーを取り除いたタクシー内部だ。

ネタバレBOX

 シナリオはちょっと奇抜な所があるが、落とし所が上手く書かれているので、その面白さや機転の妙に感心しているうちに先に進んでいるので違和感は無い。演出も、バランス感覚に優れた展開で持って行く為、自然な感じで観ていられる。四人の出演者も其々上手い。演技力の大切さを教えられるような舞台でもある。音響や照明も無駄を削いだ効果的なもので、シンプルな舞台設備で効果を上げている。今後も楽しみなグループだ。ストレートプレイで勝負している点も気に入った。
 明転すると、後部座席には、座席に上半身を横向きにして寝ている客、池岡と、正面を向いて座った客、東條。手前には、運転手、天ヶ瀬。池岡は、酔っ払っているらしい。東條は、兎に角、真っ直ぐ進むように、と言っている。池岡が目覚める。彼は、この日、ボランティアサークルの全国大会で決勝進出を決め、祝勝会で飲み過ぎたのであった。目覚めて暫くはぼんやりしていたが、そのうちに、目的の自分の家の傍迄来ていることに気付き、行く先への指示を出す。が、東條が真っ直ぐと言い張り、終には脅迫まがいの事までしてくるので、終に断り切れぬまま降りるタイミングを逃してしまった。而も、天ヶ瀬が人身事故を起こしてしまった。被害者、有馬は、助手席に。だが、無論、有馬の手当てはしなければなるまい。その割に、池岡を除く皆は、落ち着いている。池岡は決勝が今日なので7時迄は部屋で眠り、それから準備をして会場へ行く為に、自宅へ戻らねばならないのだ。然し、ここで、衝撃的事実が語られる。実は、この4人は、死んだ者、寄り正確に言えば、天ヶ瀬を除く3人は既に死んだ者の霊なのであった。天ヶ瀬は、天界から送られた天使。彼らが現世に未練を残さないようにと、生前果たせなかった思いを一つだけ叶える為に霊を死後49日の期間中、彼らの望む場所に連れて行く為に働いている天使なのであった。当然、行ける場所は一か所。それは通常、一つの魂しか1台のタクシーに乗せないからである。然し、東條にタクシージャックされてしまったというわけだ。本来、このタクシーの使用権のあるのは、池岡なのだが、彼は寝ていて、凶暴なことで有名な東條がタクシーを乗っ取ったのである。東條は30年前49日間タクシーを乗り回した揚句、目的地に着かぬまま、あの世行きになる所を、担当天使を襲って逃亡。彷徨える霊となっていたのだが、もう直ぐ悪霊にされてしまうことに耐えきれず、霊界タクシージャックをしてあの世へ行こうとしていたのである。そして、有馬は、愛する娘に会いたい。彼自身が交通事故を起こして妻と娘は、救急病院に運ばれているハズなので其処へ行きたいのだ。始め、天ヶ瀬の「一か所だけに行ける」という言葉を其々の思う場所へ行けると解していた三人だったが、実は、一台のタクシーが乗っている霊を運べるのが一か所だという事実を突きつけられ、侃々諤々の論争に発展。どう折り合いをつけるかが、中盤以降、今作の見所となる。この経緯が頗るつきで面白い。役者達の本領が発揮される所でもある。最終局面まで、二転三転のドンデン返しがあって飽きさせない。ラストがどうなるかも含めて想像してみると面白いかも知れぬ。
 
ヌーの食卓

ヌーの食卓

演劇集団〆切非常事態

ステージカフェ下北沢亭(東京都)

2014/06/27 (金) ~ 2014/06/29 (日)公演終了

満足度★★★

男30歳、夢と生活の間で
 大仏の覆面などの使い方を見ていると、必然性を、敢えてズッコケさせて脱力させ、芝居の持つ空想性への浮力をネグレクトすることで、現実空間に持ってゆくような作り方をしている、という印象を持った。

ネタバレBOX

  その分、浮力よりは引力が働き、男の30歳という節目を迎えて、尚一人立ちできていない不如意が伝わってくるし、よしこが包丁を持って入って来る時に、大の男3人が、だらしなく逃げ惑う姿勢にも説明がつく。だが、この辺りは、矢張りリアリティーを欠くという印象はぬぐえない。部屋の中には、いくらでも盾になるものはあるのだし、女の子の持っている包丁を叩き落とすくらい容易いのだから。
 まあ、タイトルにヌーが入っているのは、マサイ族の神話にあるように、神様が最後に作った動物で、どんな動物にするかのイメージストックが切れ、牛の角、山羊の髭、馬のたてがみと尻尾を合わせて作ったとされる。どこかキメラを思わせる不思議な動物とも、捉えどころのない鵺のようなイメージとも通じる部分を意識しているのかも知れない。
 今作が初見なので、この劇団の傾向なのかどうか迄は、判断がつかないが、今回は3度目の上演ということだ。劇団のヒット作、自信作であることは間違いなかろう。このようなテイストで更に、演劇的な上を目指すのであれば、つい先日、東京乾電池の新人公演で選ばれた、竹内 銃一郎の「食卓㊙法・溶ける魚」のような作品かも知れない。
 以上の感想は”間のび”を主題とする場合ではあるが。最初から、これを明確に狙っていたのだとすれば、星は4つにしてもよい。本当の所、脱力系、シリアス、或いは、第三の道何れを選ぶのだろう。また、東京で公演するとのこと、確かめてみたい。
食卓(秘)法・溶ける魚

食卓(秘)法・溶ける魚

劇団東京乾電池

アトリエ乾電池(東京都)

2014/06/28 (土) ~ 2014/06/29 (日)公演終了

満足度★★★

ちまちまするより、大胆に挑んだことが良い
 随分、難しい作品に挑んだな、というのが正直な所である。

ネタバレBOX

 不条理劇と呼ばれる作品でも、実際には条理の通っている作品は多い。然るに、今作は、生きる為の根本条件である食うこと、捕食者と餌について、食欲についてが描かれているのに、捕食者は、己の同族を捕食している。つまり共食いである。当然のことながら、此処には、倫理的に自家撞着に陥らざるを得ない問題が予め組み込まれているのである。その逃れようのない立場から、捕食者は、自らエクスキューズとして、獰猛だと思われていることは誤りで、実は、養殖場等で餌を食べる時にも、ちゃんと並んで一口齧りとっては最後尾に並んで順番を待つ、との話をするのだが、こんなものは、無論、単なる自己欺瞞である。
 但し、主人公である鰻1も2も、毎日午後7時にやって来て、同類を食わせる笑う男の食事には完全に嫌気がさしており、現在では無理やり口にしても吐いてしまう程なのである。そんなこんなで、もう吐き戻す前から、彼らは壁を作り、一所懸命に補強して、笑う男の侵入を防ぐべく努力してきたのであったが、努力総てが水泡に帰していた。彼らは、遠い海で生まれ何千Kmにも及ぶ旅をし、常に前へ前へと遡る。時には大きな滝を登り、時には激流に逆らってにゅるにゅる・にょろにょろ。而も、これらの努力、前向きな姿勢、ストイシズム、レゾンデ―トル迄の総てが、無意味なように思われるのは、倫理的な自家撞着から離れられないからである。この不条理を越えるべく繰り返される予め無駄と分かっている努力。
 彼らは終に、笑う男を絞め殺した。ハズであった、のに!
 この難しい作品にチャレンジし、格闘した新人たち3人の役者のチャレンジングな精神に拍手を送ろう。然し、その努力と志に未だ、技術や哲学、深い体験が伴っていない為に、道は半ばである。ますますの精進を。志の高さとチャレンジ精神の高さには★4つ。技術的なものには3つ。
何も聞こえない

何も聞こえない

明治大学実験劇場

明治大学和泉キャンパス・第一校舎005教室(東京都)

2014/06/26 (木) ~ 2014/06/28 (土)公演終了

満足度★★★

位相
 積極的に死を選んでいけないわけなど何処にあろう? そうではないか?

ネタバレBOX

 何一つ本当のことが言えず、その事実を指摘すれば、空気が読めないだの、協調性がないだの、慮りが足りないだの、損をするだのと下らない応答しか返ってこないこの腐りきった植民地で正しいことを言うことが虚空に叫ぶことに異ならないならば、死とどれだけの径庭があると言うのか? ありはしない。
 であるならば、死のインパクトを以て主張する以外にどんな道が残されているというのか? 今作は、新人公演に相応しくこのようなラディカルな問いを孕んだ作品である。未だ、演技は拙く、表現力も乏しいとはいえ、このようにラディカルであることは保って頂きたい。腐りきった植民地でアーティストがラディカリズムを失う時、アートは死ぬのだから。
子供の時間

子供の時間

スターダス・21カンパニー

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2014/06/22 (日) ~ 2014/06/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

蠅の王にも似たテイストながら、女の子
 1934年に発表された”Thf Children’s Hour”は、リリアン・フローレンス・ヘルマンによって書かれた作品の中でも最も有名な作品の一つだが、寡聞にして自分は読んだことがなかった。今回、小田島 雄志の名訳で初めて接したこの作品、当に衝撃! (追記後送)

水曜日のイソップ

水曜日のイソップ

99roll

ザムザ阿佐谷(東京都)

2014/06/26 (木) ~ 2014/06/28 (土)公演終了

満足度★★★★

小さい子も楽しめる
 2012年にスタートした劇場で見る絵本シリーズ第3弾、子供も楽しめる舞台だ。観に来ていた2歳くらいの女の子に帰り際「面白かった?」と訊ねてみたら、こくりと頷いていたし、「蟻とキリギリス」に始まり「天文学者」「ライオンと鼠」「ロマンスグレーの恋人」「王様をほしがるカエル」と演じられるオムニバス形式の演目の最中「怖い」などと呟く子供の声も聞こえる和やかな舞台作りであったが、教訓あり、ロマンティックな美あり、笑いあり、アイロニーありの構成は、流石に監修として演出者協会が関わっていることもあるのだろう。役者で特に気に入ったのは、うおさん役の川合ロンの身体パフォーマンスの見事さ、しののめさん役の二階堂 まりの軽やかで年季の入った芸と形態模写の巧み。
 五つの作品中、最も気に入ったのは、3km離れたガマガエルのグループに居住区を脅かされ、強いリーダーを求めたアマガエルのグループが、民主的なシステムを構築している間こそ、生命を維持できたものの、強い王様が来るとあっと言う間に全滅の憂き目をみた話。安倍 晋三のような「植民地為政者」にみせてやりたい作品であった。

Freak box -the:FINAL-

Freak box -the:FINAL-

姫君

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2014/06/25 (水) ~ 2014/06/29 (日)公演終了

満足度★★★★


基本的にはダンスパフォーマンスグループのようだ。照明、音響の使い方が巧みで、動き・振付も良く楽しませてくれる。扱っている題材がフリークスなので、彼らが抱える被差別故の深い魂の傷と、トラウマを逃れようとする強い念をキチンと押さえた舞台になっている。(追記後送)

インシデントさん(三)

インシデントさん(三)

カリバネボタン

ワーサルシアター(東京都)

2014/06/25 (水) ~ 2014/06/29 (日)公演終了

満足度★★★

メジャーの罠
 3次元を敢えて2次元に仕立て直したような印象を持った。

ネタバレBOX

 原因は様々な引用とパロディーにあるのだが、表現したい内容が何も無いのに、表現意欲だけはあるので身の回りを眺め廻し、取り敢えず、大衆に認められた「表現らしきもの」を渉猟してみると、アメリカ映画の植民地席巻体制があった。それを疑うこともせず、{情報洪水の中で、「表現者」であることが、単に退屈でしかないと喧伝する、或いは平和が長く続いた云々}という、マスメディアの阿保なプロパガンダに甘えて、自らの目を切開することも、地獄に飛びこむこともせず、楽な道を選んだ、その結果がこれだ。若い劇団なのだからもっとアナーキーで攻撃的であって良い。否、そんなことは当たり前のことなのだ。先ずは、そのことを理解することから始めて欲しい。その上で、自分にとっての“初めて”と向き合い、真の葛藤を通して掴み取った“もの”を作品化して欲しいのだ。大衆に媚びるレベルで格好つける必要などさらさらない。狂気の淵で格闘することこそ、アーティストの為すべきことなのだから。そして、この程度のことは、最低限必要なことでしか無いのである。
『カナタ』

『カナタ』

劇団光希

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2014/06/25 (水) ~ 2014/06/29 (日)公演終了

満足度★★★★

熱い舞台
 カジキマグロの突きん棒漁の基地港にある飲み屋。ホステスは訳ありの流れ者。客の漁師たちもカジキ漁で一攫千金を狙う突きん棒漁に携わる海男。所詮、男と女とはいえ、互いに流れ流れて、心の何処かに風の棲家を抱えている身。本能的な自己防衛のアンテナと、このような世界に身を置いたことのある者にしか分からない裸の精神を持っている。だが、社会の通念は、第二の本能のように彼らを縛り、そこから意識的に脱することは容易でないこともまた事実だ。

ネタバレBOX

 物語は、この酒場に出入りする馴染み客で、海男としては、頗るつきに度量の広い船長のラリーと、10年ほど前に他の船に放火し、殺されかかった所を助けられた問題児サッケを中心に展開する。メインにサブというより、メインストリームが2つぶつかる構造だ。従って当然かも知れないが、若い観客とロートルでは、どちらをメインにとり、どちらをサブととるか意見が分かれるかも知れぬ。その間を繋ぐ謂わば接着剤として、作家志望、つまりは物語を紡ぐ役割のマキネが登場するが、彼女は、物語を同じ土俵に自然に収める役割を果たしていると言えそうだ。ラリーの船には、他にボースン(水夫長)役のクインチ、女だてらに海男を目指すジョルが乗船している。
 他の常連には、若い頃からラリーのライバルであり、今は、自分の船を持つバロネがいる。彼らを迎え入れる店の大姉御マスカトレーゼは、人生の長老格、滅法ポーカーに強く、皆から金を巻き上げているが、悩みごとには適確なサジェスチョンを与えるので、決して憎まれていない。無論、ポーカーに負けた相手が半分冗談に憎まれ口を叩くことはあるが。ホステスは、他にルビール、セヌーレ、ルアンナ、サンディが居て、ルアンナとサンディは種違いの姉妹。其々の父は海男で、彼女らの母は、其々の男を本気で愛したが、何れも戻っては来なかった。この為、姉妹の父に対する見解、母に対する評価は正反対である。無論、その中核にあるのは、彼女らの父無し子としてのトラウマである。姉のルアンナは、母を悪く言うべきではないと言い張り、妹のサンディは、帰っても来ない海男に惚れた母に対してアンビヴァレンツなメンタリティーを抱えている。というのも、この姉妹、実は恋のライヴァルなのである。サンディは海男のラリーに惚れているが、ラリーは姉のルアンナに惚れている。然し、ルアンナは、表面上ラリーに肘鉄を食わしているのである。その結果、妹は愛する男には愛されず、海男に惚れた母を理屈では非難しながら、自ら同じことをしている矛盾と、同時にその矛盾を解消してくれるはずの姉とラリーのカップル誕生を姉がラリーを愛している癖に肘鉄を食わしていることに対するやきもきが重なって爆発寸前なのだ。そんな時に、建築家として一家を為した一回り年下のレンデンが、戻って来て、彼が11歳の時に姉に申し込んだ結婚の約束を果たして欲しいと、かつての約束を思い出させていた。
 海男の海への憧れ、愛着がどれほど強いものかを知っているルアンナは、ラリーを愛するが故に、そしてラリーが本気で自分を愛していることが分かっているだけに、彼が、自分の為に海を捨てることに耐えられないと考えて、レンデンの申し入れを利用、結婚すると言いだしていた。然し、彼女のお腹には、既にラリーの子が宿っていた。妹のサンディの説得「自分の気持ちに素直になれ」や、ラリーの「未来に怯えるな」との言葉、他の面々の説く道理に終にルアンナも折れて、ラリーとの生活を受け入れる。
 この恋の道行きに、ラリーが救ったサッケとの逸話がパラレルに展開したり、ジョルとの経緯が挿入されたりして、物語の幅を広げている。また、この物語を書いたと匂わせる、作中に描かれた物語作家としてマキネが登場することで、物語がメタレベルに移行している点も見逃せない。これだけ、熱いメンタリティーを描きながら、べたっとし過ぎていないのは、作中にこのように作品を対象化する視座が描き込まれているからである。マキネが乗船を希望しつつ、それが叶えられていない点も、作家と作品の距離を考える際、重要なエレメントである。
 「男の色気」を感じさせ、シナリオも担当しているるラリー役、平山 和宏が殊に気に入ったが、「ファイティングポーズ」で主役を演じ、今回はラリーのライバル役を演じているバロネ役の田口 和も独自の役作りをしている。だが、ラリーのライバルとしては、もう少しギラリとした部分をどこかで強く出しても良いのではないだろうか? 光希代表でマスカトレーゼを演じた竹下 宮子の存在感も健在だ。小説家志望のマキネを演じた村松 幸の初々しさもGood。レンデン役の中村 正仁も喧嘩には弱いが、自分の彼女たるべきルアンナを守るべく男気を見せてクインチに立ち向かった、弱い所を孕みながらの爽やかさが良い。問題児、単純馬鹿のサッケを演じた大沢 祐貴の演技は、素直だが、何故、其処までラリーの恩義を感じたのかを内面化できると演技に深みが出よう。(ex.それ迄、自分に対して本気になってくれる人間が親を含めて1人もいなかったような寂しさを抱えているなどを内面化した役作り)初日段階では、シナリオを素直に読み込んでいるという印象である。大沢 祐貴のサッケを演じて欲しい。
 総じて、役の背景にあるものへの想像力を更に逞しいものにして貰えると、作品に更なる深みが生まれると考える。
 ところで、今回、体調不良で役者としては舞台に立てなかった森下 知香は、前説等を担当した。前説にこれだけ多くの観客、皆が拍手を送っていたというのは、数多く舞台を拝見している自分にも驚きであった。流石、人気のある女優ということであろう。光希の観客の質の高さ、温かさも感じられる初日であった。然し彼女は、未だ本調子ではあるまい。くれぐれも無理をしてはならない。役者は健康な体が資本である。他の役者仲間、スタッフ、また観客も皆、キチンと養生して本復し、再び元気な姿で舞台に立つのを楽しみにしているだろう。はやる心を押さえて充分養生した上での、彼女の舞台復帰と堅調な回復を心から祈る。


Shampoo ~花の香り~

Shampoo ~花の香り~

PROJECT-残-

ART THEATER 上野小劇場(東京都)

2014/06/21 (土) ~ 2014/06/22 (日)公演終了

満足度★★★

タイトルと内容の関係をもっと考えたい
 若い劇団で経験が浅いということが、シナリオ、演出、演技総てに出てしまった。

ネタバレBOX

 シナリオについては、みのりの恋人、ただしが警察官の採用試験を六度も落ち、為に自暴自棄になってギャンブルに走る姿が描かれるが、破綻の描き方、内面の苦悩の描き方に深みが感じられない。予定調和で本当の破綻が無いのである。言葉との距離の取り方にも疑問が残った。表現は、裸の己に麻酔無しでメスを当て、切開し、施術する行為である。そのようなレベルで向き合うことが、最低限一度は必要だ。プロとアマチュアの差がこういう点にこそ出るからだ。
 演出では、役者の間の取り方に、更に気を配って欲しい。間については、会場内でのアンケートに書いた通りである。演技については、個々の役者陣の今後の努力に期待する。
 一所懸命だし、他人の意見に耳を傾ける謙虚な姿勢があるので、少し厳しいが、今後の為を思って書いた。初志を忘れず、精進して頂きたい。
ミュージカル 牡丹さんの不思議な毎日

ミュージカル 牡丹さんの不思議な毎日

ミュージカルカンパニー イッツフォーリーズ

上野ストアハウス(東京都)

2014/06/18 (水) ~ 2014/06/23 (月)公演終了

満足度★★★★

生態系
 東北は白神山系を始め、ブナ原生林の北限。ブナは節が多く、建材としては嫌われ者だが、広葉樹なので、たくさんの落ち葉を落とし、山の保水力は抜群である。日本がこのような国土の荒らし方をする迄、東北は、名水のメッカでもあった。その理由は、ブナである。山からの下がり水は、やがて豊富な地下水脈となって、命を潤し、更に大地を豊穣にして、多くの動植物による多彩な生態系を作り上げて来た。そのような自然の豊かさがあって初めて、遠野物語が生まれる素地が作られたと言えよう。この物語の舞台に東北の山がちな場所に建つ旧ホテルが選ばれているのには、無論、作家、演出家の命に溢れる世界への念いが込められていよう。(追記後送)

飛び出す鹿パレードvol.3

飛び出す鹿パレードvol.3

プラズマダイバーズ

高円寺haco(http://koenjihaco.com/h_access.html)(東京都)

2014/06/22 (日) ~ 2014/06/22 (日)公演終了

満足度★★★★★

札幌の才能
 札幌からやって来た2人組(谷口 健太郎・深浦 佑太)のユニット。4月から今月迄、毎月東京公演を打って来たが、深浦は会社員なので、月曜日出社する為に、観客が帰るより先に蜻蛉帰りすることもあった由。今回は、夜の公演開始が17時なので何とか観客より先に帰らずに済みそうである。
 今回の演目は、「叩いてかぶってジャンケンポン」「Man-hole~鹿ver~」「ザ・バースデイ」の3作をオムニバス形式で上演。一篇約20分の1時間強である。見る前は、全然、別の作品と思いきや、さに非ず。何と掴みのジャンケンポン地獄とマンホールは時間的に逆転しているものの最後のバースデイを加えて序破急を形成しており、而も、これが実に弁証法的なのだ。

ネタバレBOX

 どういうことかというと、初っ端、地獄におとされた2人は、30万年間ジャンケンをし続け、勝った者が、叩き棒を持って相手を叩く、負けた者はダメージを避ける為にヘルメットを素早く被るということを寝ても覚めても繰り返してきたのである。これを怠ると、鬼に金棒で殴られる訳だ。死んだりすれば蘇生させられ延々と続けることを強制されるのである。但し、この地獄を抜ける方法がある。1兆回目のジャンケンに勝った者はここを出ることができるのである。回数を覚えていたのは深浦、演ずるA。谷口演ずるBが、提案する。30万年も一緒に居たAと別れるのは、辛い。アイコを出して、引き分け、1兆回目を先延ばししよう、と。2人はちょきを出し合うことにするが、Bの出したのはグー。自分が地獄を抜け出すのだと、出し抜いた感覚に溺れるBであったが、Amo抜け目は無い。こんあこともあろうかと態と回数を少なく言っていたのである。そして本当の1兆回目、後出しで勝利したのはA。然し、中々変化は現れない。Bが後出しだから神様が認めないのだ、などと言っているうち、どこからか声が聞こえて来た。声のする方を辿ってみると、ニポポの木彫があった。声は、このニポポからである。何でもマグノリアに関することを述べているようだが、マグノリアは、萼と花弁が明確に分化していないことが特徴だと言う。2人はジャンケンのグー、チョキ、パーについて考える。グーは石で固くて頑丈だ。チョキは鋏で切れる。然しパーは紙で最も弱く、情報を伝達する為に、何かを書く、知識を伝える為に本を作るなどコミュニケーションに用いられるばかり・・・。そうか力でなく、互いに心を通わせ、協力し合ってゆく。互いに争っていた者が手を取り合って協調する。それは、尊い行為だろう。木蓮の花言葉は、崇高や持続、それがマグノリアの意味する所だと気付く。この場面、2人はパーを出して互いの手のひらを握り、さらに残った手のひらを重ね合わせて、マグノリアの花と萼を表現する。つまり異質な物同士の融和を象徴して、武器を捨て去る。だが、このように試練を越えても2人は地獄を出て何処へ行くのかを知りはしない。
 2話は、マンホールの底である。Aは、どうやらここに墜ちて来た後、気を失っていたらしい。気付くと体中が痛む。だが、ここには先客がいた。Bである。Bは、力を合わせて脱出しようと言うが、Aは余り乗り気になれない。戻った所でどうせ「お前の代わりなどいくらでも居る」と言われ続ける人生しか無い。そんなことならここで朽ち果てた方が良い、と考えているのであった。誰もが、日常感じているアイデンティティーの危機。存在意義の喪失という問題が、ここではさりげなく、上司の言葉として呈示されている。実際に、上司にこのように言われなくても、営業コンテストで常に上位の成績をとっていても、事情は変わらない。下らないシステムの奴隷と化してしか金を得る術の無い自らを振り返るだけの知性を持ち合わせる総ておの人間が感じる虚しさだからである。総てが茶番、そんなものを生きた所で、それが人生と呼べる代物か? このような疑問は、皆持っているハズである。持っていないと答える者があれば其処まで誤魔化しているか、“みむめも”かどちらかであろう。何れにせよ、2人は、これが地獄に落ちる前の自分達の姿だということに気付く。
 最終話の3話では、地獄を出た後の可能性に思いを馳せるが、思い出された来し方を踏まえて、今後、どのような可能性があり得るか? 幾つか選択肢がある場合、どれをを選ぶかに話の重点が移る。話は、輪廻転生に思い及び、この可能性が高いことを認めることで2人の意見は一致した。無論、未だ不確実性は残る。ニポポに訊ねることにしたが、輪廻は当たっていたものの、火星の二足歩行ゴキブリだとか、ゴリラだとか、兎に角、人間以外の生物にしか生き返らないと知らされ、悩むことになる。Bの選択は、このまま此処に留まることであった。Aの思考によって、世界はパラダイムシフトさえすれば、違ったものになるという発想を応用したのである。かつて地獄であった、この場所に留まり、自分達の理想とする地球を創造すること。これが、彼らの目標である。彼らが此処に来てから30万年後の地球は、渺茫たる風の吹く荒れ果てた大地でしかなかったから。
 因みに「バースデイ」というタイトルは、新たに2人によって創られる、新地球の誕生日を指すのは無論のことである。

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