うみがめくれる
fragment edge
プロト・シアター(東京都)
2014/08/22 (金) ~ 2014/08/24 (日)公演終了
満足度★★★★★
ウィトゲンシュタイン
出演者は全員、女性。舞台設定は女子校である。美術部が中心ではあるが、そこは姉妹関係や女子校の先輩後輩、レスビアン、ヘテロ女子の校外異性交遊等々が絡み合う。
一方、海の中の物語も同時進行する。
ネタバレBOX
ほぼ交互に演じられる海の世界と女子校の世界を通したテーマは、因習と革新とでも名付けようか。要するに、それ迄、誰もが当たり前のこととして盲従して来た社会の在り様や、その中での自分の「位置」を見直し、実際に冒険に出掛けて行こう、という決意を作品化した舞台である。
海中では、小さな魚が生まれた深い海から長く苦しい旅をし、終に、浅い海に近付いた時、自分と同じ夢を持ち小さく、傷ついた魚に出会って2匹で陸を目指す物語であるが、読みようによっては、これが両生類への第一歩とも取れ、更に出会ったのが♂と♀として捉えるならば、女子高生の話のテーマ、愛とも繋がると同時に、地球上の生命進化という壮大なイメージも孕む。
自分は、作品を観ながら、ずっとRimbaud のLe Bateau ivreを思い出していた。無論、Rimbaudほどラディカルではない。その代わり、ウィトゲンシュタインが援用されていた。自分の最も気に掛かる哲学者の一人なのだが、未だキチンと読んでいないので、自分流の解釈はできていないのだが、それでも、彼のテーゼを乗り越えようとする姿勢には、そして、その為にシナリオに記された科白の正当性については、高く評価すべきものがあると予感した。
半面、チャレンジすれば、実際にチャレンジした人々より先に行けたかも知れない可能性を秘めた人々が安定を求めた結果、求めた人自身の“或いは間違っていたかも知れない”と自省するあたり迄描いた若い才能を、矢張り評価したいと思う。
今後は、独自の、自分の選んだ道を歩いて欲しい。
HARUKA
旋風計画
ザ・ポケット(東京都)
2014/08/20 (水) ~ 2014/08/24 (日)公演終了
満足度★★★★★
総ての世代が腑に落ちる舞台
キャラメルボックス成井氏の良く練られた深い科白。有坂 美紀さんの洒落た演出、演技陣の素晴らしさ、照明、音響など効果の巧さ。メンタリティーと道理との相克。どれをとっても素晴らしい。これだけの内容を子供にも分かるように表現している所に、この劇団の凄さを感じる。(追記後送)
海との対話
東京演劇集団風
レパートリーシアターKAZE(東京都)
2014/08/20 (水) ~ 2014/08/24 (日)公演終了
満足度★★★★
倫理
読み違えも多くなる舞台だろう。というのも、フランス語、日本語の言語差を完全に埋めているというわけではないし、通常の演劇文法を踏襲しているわけでもないからだ。
ネタバレBOX
どういうことかと言えば、フランス人俳優によって演じられる登場人物も、日本人俳優によって演じられる登場人物も各々の性格描写や劇中の役割を表現する為では無く、寧ろ、それを解体する為にこそ、演じているからである。そのような解体を通じて、名付けようの無い者、魂の影の部分への跳躍が試みられているのである。そして、これら、断片化され、非個性化されたダーザインの持つ逆説的一般性は、背景に流れるエレキギターの調和の取れた演奏によって、かりそめの安定感を付与されているように思えるのだ。
同時に、日本を含む西側先進国の民が抱えるアンチセミティズムは、かつてその攻撃目標をアシュケナジーユダヤに置いていた訳だが、イスラエルが列強に承認され、シオニズムがユダヤ教を脱宗教化した現在に於いて、それは、アンチアラブの様相を呈するに至っている。総ての国際人権論は、パレスチナ問題の正義はパレスチナサイドにその多くが在る、とする。然るに、現実政治は、この主張が正なるが故に、否定的である。現在のガザ攻撃に対する、マジョリティーの悪辣さを見れば、それは充分納得の行くことであろう。他方、西側のマイノリティーには、これらの現実に真摯に向き合う人々があり、アーティストの多く、アクティヴィストの多くも虐げられる側に立とうとしている。今作は、そのような側に立とうとする人々から見えた、西側先進国のマジョリティーでもあろう。神経症的に、痙攣的に震えながら、自国内強者によって収奪され、自国内の更に弱い者から、或いは自国以外の弱小国やマイノリティーから収奪する己の姿を見、怯えている者としての大衆自身である。神は、彼らにとって最早全能ではない。唯、照らす存在であり、命の原点たる光ではある。その光に照らされた結果、我らは影を生み、その内面には闇を抱えるが、その闇の65%以上が水で占められており、水は生命の故郷でもある。そこに木霊する様々なフラグマンは、舞台と客席の境界を曖昧化する演出によって、当に観ている我々自身なのだ、とのメッセージも伝えられる。だから、各々への問いが発せられ、撃たれるのである。脈々と続く生命の河のような薄暗がりと光の境界で。
JOKERS
[DISH]プロデュース
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2014/08/20 (水) ~ 2014/08/24 (日)公演終了
満足度★★★
人工派・自然派
好みで評価が異なってこよう。人工的なもの・作りを評価する人にとっては、良く出来たエンタメであり、自然に見える作りを評価する人にとっては、作り過ぎであざとく映るだろう。ここで、評価が分かれる。自分も、子供の頃は、人工的な作りが好みであったが、長ずるに及んで自然に見えるのが、良い、と感じるようになった。原因は苦労人をたくさん見、知ったからである。今作、自分にとって最も好ましく思えたのは、空役の吉田 珠子。大人達は、作った演技であった。
TangPeng30 B Group-(石榴の花が咲いてる。)×劇団11×プレス
SAFvol.8 TangPeng30-B
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2014/08/19 (火) ~ 2014/08/26 (火)公演終了
満足度★★★
今後どうなるか
シアターグリーンの学生芸術祭に参加している作品を3つ拝見した。何れの作品も30分程の短編である。拝見した劇団は、上演順に1.桜美林団学 プレス「家路をたどる」2.明治大学 劇団11「僕とキミの自転車周遊記」3.東京学芸大学 石榴の花が咲いている「距離感を見誤る♯」
若い人たちの作品だから、今後、どう変わるかまだ分からないが一応、3作品をまとめると星は3つ。(追記2014.8.21)
ネタバレBOX
1:長女と長男は母親の浮気が原因で離婚成立後、母と共に働いて弟妹を育て、現在では、長女は、母及び二男と一緒に暮らし、長男は独立している。然し、二男のリョウはニートということもあり、現在母が再婚問題を抱える中で、今後の展望を探ろうと兄弟姉妹全員が集まった。三女のミサトは大学生だが、母親の浮気には嫌気がさし反抗的、ニートのリョウは、皆が甘やかして育ったのに、今頃、自立を求めるのは不合理だとして、仕事も勉強もせず、日々をやり過ごしている。長男のシュンはそんな弟を何とか自立させたいと思うが、勘当のような強権を発動するという発想も無く手を拱いている。長女は調整役は買って出るものの、それ以上は折れてしまう。二女ハルカも一所懸命調整役を務めるが、上手くは行かない。而も母親の再婚相手は、何処か温かい国から来て、矢張り温かい国々を渡り歩いた人だと言うことぐらいしか分からず、外国人らしい。どん詰まりなのに、家族という擬制が彼らを縛りつけていることから自由になれない為、一切の展望が無いことを呈示して幕。★3つ。
2:幼馴染のブンちゃんは、地元の大学でロボット工学を専攻しているが、ユリは東京の大学で文学を学んでいる。久しぶりに会った二人は、久しぶりに「最後の日の出」を見る為に、チャリンコで12km離れた海岸迄出掛ける途中である。チャリを漕いでいるのはユリ。今時の女の子らしく活発で屈託が無い。因みに2人とも大学4年生なので、就活だの、ブンちゃんの場合は、マスター受験を含めて留学も視野に検討中だ。
ちょっと言葉の説明をしておく必要もある。「最後の日の出」についてである。今回、これは、幼馴染の2人が、夏休み終わりに東京へ帰るユリと最後に一緒に見る日の出を意味している。今迄にも卒業前のとか、ユリが大学に入って東京へ行く前のとか、何か区切りになることに出会う度に、2人で、12Km離れた海へ日の出を見に行ったのだが、その記念の符号のようなものである。
今作でも、久しぶりに帰郷したユリが、駅周辺のお店の変化に驚いたり東京と比べて地方を茶化して見せたりしながら、他愛も無い話をしつつ、恋や、振られた時に、高校までは、何か食べに行ったり、カラオケに行ったり、友達に愚痴って寂しさを紛らわしていたのに、20歳を過ぎて酒が飲めるようになると、のまなきゃやってらんねえ、になったなどと、思春期から大人への、取りあえずの変化を比較してみたり、数十年後の自分達が、揃って最後の日の出を見に行く様を想像したり、とオーソドックス乍ら、光る視点を織り込んで、三作の中で、自分は最も完成度が高いと思った作品だ。★4つ。
3:3作の中で、最も破綻傾向の高かった作品。評価は、これを意識的にやっているか否かと、矢鱈、深層心理の忘却についての話が出てくるのであるが、自分には、既に心理学という学問領域そのものが、疑似科学としてさえ既に終焉を迎えた学問領域に思える点で、ホントにそんなものに理論的根拠を置いているのであれば、それが、今作の破綻の原因の第一だと考えられる点である。
一方、喩でしか語れないレベルに20歳前後で居たりつく例は、今でもあるであろう。自分自身そうであったから、その程度のことは、表現する人間にとっては当たり前のことだと認識している。だが、自分の体験から見て、今作はそういうレベルに無い。喩として捉えたにしては世界認識が、余りにも表層的であるから、喩とそぐわないのである。
但し、若い人というのは、これから様々な可能性を未だ秘めているハズであるから、今後、最も変わる可能性が高いのは、この劇団の可能性が高そうである。この劇団の今作の評価は★2つ。
僕と彼女と時々、犯人
祭りの準備
阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)
2014/08/19 (火) ~ 2014/08/24 (日)公演終了
満足度★★★★★
緊張感とくすぐりのバランスがグ~
変態と間違えらえれたのは、詐欺的な“彼女”に金をたかられ無理をしては貢いできた坂本 銀次郎。失踪した彼女を求めて彷徨い、漸く当たりをつけた先で、彼女を見付けた、と大喜びして追い掛けて来た先は、大財閥、立松 幸四郎の邸。彼女と思ったのは幸四郎の娘となった養子のもみじ。おまけに兄弟や関係者が皆集まっていたのである。幸四郎が亡くなって遺産分配の為、残された遺書を顧問弁護士立会いのもと、開封することになっていたからである。
ネタバレBOX
推理小説仕立ての作品だし、初日の初回公演が終わったばかりだから、ネタバレは殺人事件が起こる、とでもしておこう。観てのお楽しみだ。タイトルの付け方が、作品の面白さに比例しておらず、拝見して予想していたより遥かに面白く、良い意味で裏切られたことに驚かされた。探偵物としても、シナリオで幾重にも巡らされた罠が、上手に観客の目を欺くし、トリックを看破ろうとする観客を飽きさせないだけの内容を持っているので、緊迫感があるのだが、その中に効果的な擽りが折に触れて入るので肩が凝らない。旨い演出である。無論、シナリオの良さに応えて役者陣の演技も良い。特に、主役を務めた銀次郎役のつるにし こうきが良い。
パイノパイ 添田知道を演歌する
シアターX(カイ)
シアターX(東京都)
2014/08/05 (火) ~ 2014/08/05 (火)公演終了
満足度★★★★★
梁塵秘抄からも
前回、父の添田 唖蝉坊の演歌を演った土取さんが、今回は、息子の知道さんの演歌を中心に弾き且つ歌った。無論、元々、演歌とは、自由民権運動の思想を広める為に壮士達が歌った壮士演歌がもとになっているので、現在、歌謡曲で演歌と言われているものとは全然違う。但し、唖蝉坊・知道父子とその流れを汲む者の演歌のみが、歌として聴くに耐えるものであることは言うを俟たない。一般に壮士演歌は、がなれば良かったからであり、唖蝉坊は、この流れから距離を取り、独自の領域を切り開いていったのである。従って、彼の曲は、江戸時代の小唄、端唄から、梁塵秘抄の今様まで日本の民衆から湧き起こった曲であり、音階なので、自由でアナーキーな音楽である。分かり易く言えば、現代主流のコード進行などドレミで分割された音階より遥かに微妙で精妙な音階なのである。このような伝統的な演歌は、唖蝉坊・知道の二代で一般からは終えた。レコードなどmachine to humanの流れが起こる大正末期頃からは、西洋流の音階が中心となってゆくからである。
そうはいっても、元々、政治性の強い歌詞が多く、当然、体制批判や庶民感情を映したものが多いのは、民意等無きが如くに構える、この糞みたいな国の為政者共の体質と弾圧癖から考えて当然の帰結である。それもあって、演歌師二代の演歌を聴きにくる聴衆がこうも多いのだろう。普段、土取さんは、パリで暮らし、ピーターブルックと一緒に仕事をしているから、今回の公演も1日のみであったが、実に興味深い公演であったことは無論のことである。
屋根裏のマリオネット
飛び込み注意!
サブテレニアン(東京都)
2014/08/16 (土) ~ 2014/08/17 (日)公演終了
満足度★★★
植民地で大人なんかになってやらない
日本大学芸術学部出身のメンバーが中心になって結成されたグループのようだ。劇場公演は今回が初ということで、まだまだ、素人っぽさが残るが、その分、手作り感もある。シナリオは、無論、自前だし、衣裳なども自分達で作っている。
ネタバレBOX
だが、表現する者として、独自のものを提出できるほど特異な経験を積んでいるわけでもなければ、特殊な意識のフィルターを持っているわけでもないから、発想は至って普通である。そして、普通であるということのマイナス面を本当にはまだ分かっていない幼さを残す。
自分は年齢的には既に充分大人であるが、こんな糞ったれの植民地で大人なんぞを演じることは拒否しているので、感じたことは言っておく。発想としては、とても良い。
新しく引越しをして来て人形達と仲良くなったアユミへの誕生日プレゼントの釦やビー玉だが、ビー玉は、様々な色や種類があるから、そのまま様々な種を代表させてこの名詞で良いとして、釦は、木製や貝殻製、その他、独自の価値のある素材を強調して欲しかった。自分達が、特殊な環境に無いことにもっと自覚的であるべきである。その上で、自分達に出来る最も、ラディカルなものが無いか、或いは具体的に何かがないか? と追求して欲しいのである。例えば、貝殻製の釦なら、J.コクトーの“私の耳は貝の殻、海の響きをなつかしむ”(堀口 大學訳)などの詩を添えても良いし、釦と一緒に巻貝をあげても良いだろう。
鞦韆(ブランコ)ーしあわせのおとこー
有視界飛行組合
相鉄本多劇場(神奈川県)
2014/08/15 (金) ~ 2014/08/17 (日)公演終了
満足度★★★★
演劇は、身体レベル、即ち役者の演技レベルで対比がなければ
恥ずかしながら、大杉 栄と伊藤 野枝の事を詳しく知らないので、史実に即して描かれているのかどうかは分からない。然しここに、描かれている通りだとすれば、実に、粒の大きい傑物達である。自分も今迄、所謂女傑に何人かお会いしている。そういった方々の持つ独特の人間的大きさから、この二人を推し測ってみたのである。その結果、ここに描かれている通りだとしたら、実に大きな人物達であった。
そう言えば、宮武 骸骨のような傑物もかつては、この国に居た。ペリーが、一目も二目も置いたと言われる佐久間 象山然り。因みに象山は、勝 海舟に西洋兵学を学ぶようサジェッションを与えたりもした人物だ。
脱線してしまった。今作では、大杉の人物を描く為に、野枝、神近 市子、堀 保子との四角関係をかなり派手に扱っている為、革命的な部分や、敵対関係の凄惨な部分は、出て来ない。このことが、作品を一面的なものにしていることが残念である。演劇は、対立を通して観客に考えさせ、己の立場を選ばせる。然るに、今作は、作る側の論理や想いが優先しているように感じられたのである。主張、演技等のレベルの問題ではない。然し、他者の目で自らを抉って居ないように感じるのだ。ランボー流に言えば“生きながらポエジーに手術され”というレベルが無いのである。それは、対比されるべき歴史的背景が単に知識として処理され、ここで描かれた男女関係のように、演技として身体化されていないからである。比重がまるきり違うのだ、残念!それさえあれば、★5つなのだが。
居間 オブ ザ デッド
ワイアールジャパン
劇場HOPE(東京都)
2014/08/14 (木) ~ 2014/08/17 (日)公演終了
満足度★★★★★
差別とは何か?
エンターテインメントでありながら、差別の本質を、分かり易く、見事に描いていることに感心した。
ネタバレBOX
かつて、このエリアにもドワーフ、エルフ、ゴブリン、トロール、魔法使い、ゾンビが居て、其々が互いの違いを尊重し合って仲良く暮らしていた。ところが、人間がやってくると、様相は一変した。人間は自分達と異なる者達を認めようとせず、攻撃し、それ迄保たれて来た平和を壊し、僅かに残ったゾンビと最後の魔法使いを残して総ての異種族を滅ぼしてしまった。無論、現在でもゾンビや魔法使いに対する、偏見・産別は厳しく、それだと分かれば命の保証はなかった。
因みに物語は基本的にゾンビ一家、鹿羽(かばね)家のリビングで進行する。彼らは滅多に外には出られない。無論、命の危険があるからだ。このように、ゾンビは、ウィルスを持っているというだけで、恐れられ、見付かれば殺されるという恐怖の中で暮らしていたので、鹿羽家の子供達も一切、学校へも行っていない。収入も、殆ど無い。現在、働いているのは、父と長男の藤雄だけで、父は家族の為に懸命とはいえ、大した仕事に就けるわけでも無く、藤雄にした所で口をきかずに済む蒲鉾工場でのバイトである。唯、父は、ゾンビの誇りを失わぬことを、藤雄は、勉強して差別の無い世界を作り、そのような世界に生きることを夢見ている。
一方、この家には、人間が出入りしていた。小さな頃、迷い込んで来た、この辺り一帯の大地主の一人息子、トオルと宅急便のアンちゃんである。トオルは年の近い鹿羽家の二男、恭弥と友達になる。トオルの父母は離婚しており、父は仕事に追われて、引き取った息子を一切構わずに居た為、トオルは寂しい子であった。愛されるべき時に、愛してくれるべき人に恵まれなかった彼にとって鹿羽家の暖かいもてなしは、命の泉のように彼の心に沁み込み、ゾンビと人間の垣根を越えさせていたのである。
然し、子供達もだんだん長ずるに及んで人間は、人間の、ゾンビはゾンビの社会の目を気にしなければならない年齢に達していた。ゾンビの絶対数は少なく、このエリアには他のゾンビが居なかった為、どんどん、その変化を意識しなければならなかったのは、トオルであった。ゾンビサイドでは、父である。何故か? 父は若い頃、人間の少女に恋をし、彼女も彼を愛した。真剣に愛し合った彼らが、互いの種族を越えようとした時、父の家族は、襲撃され、父を除いた全員が人間に殺された。その経験が、父を人間不信にさせていたのである。父は、息子の為、家族全員の為を思って、久しぶりに遊びに来ていたトオルを遠ざけようとした。若いトオルは敏感にそれと気付き、その時は、そのまま帰っていった。然し、その後、トオルの恋した少女は、恭弥と、より仲良くなってしまった。嫉妬心が、今迄決して、トオルが明かさなかった、鹿羽家の秘密を人間に晒すことになった。而も、トオルは、恭弥を殺そうとする。だが、二人が愛した女の子、リカが、未だ、残っているトオルの人間らしい心を恭弥殺しによって亡くさないで! と叫ぶ心によって、また、同時に彼女が、ゾンビであることを知った恭弥の心が、生き生きと息づいていることを叫んでトオルに知らせることによって、何とか危機を脱することが出来た。
トオルは、自分自身の裸の心を鹿羽一家に晒し、父も疑ったことを謝した。然し、ゾンビと人間の愛という種族を越える愛の問題と同じ女性を友人である、恭弥とトオルが愛してしまったことは、未だ片付いていない。傷ついたトオルを救うために、恭弥は、唯一人生き残っていた、魔法使いに、自分の記憶の一部を消し去ってくれるように頼む。この時、愛したリカを諦め男泣きに泣く恭弥を演じた本多 遼の演技が秀逸である。
愛を譲った恭弥のお陰で、トオルは、リカを射止めた。ところで、この物語にはオチがつく。人間だが、大いに、ゾンビに興味があった、アン君は、鹿羽家の娘、愛子に頼み込んで、噛んで貰い、ゾンビになって、新たな家族に加わったのである。
ひなたのなかのこども
風雷紡
d-倉庫(東京都)
2014/08/13 (水) ~ 2014/08/19 (火)公演終了
満足度★★★★★
アプローチの見事
言う迄もないが、この作品は下山事件を背景としている。1949年7月5日、国鉄総裁が轢死体となって発見された事件である。未だ占領下、ドサクサの日本でGHQの関与も噂される難事件だから、どうやって手をつけたらいいか、多くの者が、途方に暮れる。その難事件を、風雷紡は、“どう亡くなったか?”ではなく“何故、亡くなったか?”と問うことで、独自解釈の糸口を紡ぎ出している。つまり、総裁の人柄に焦点を絞った。そして彼の性格描写に決定的な役割を果たしているのが、宮沢 賢治の「銀河鉄道の夜」今作のタイトルの取られた詩「金策」である。
設定の上手さ、シナリオ、演出の無駄の無さ、効果的な舞台美術や役者紹介フィルムまで含めて、時代を感じさせる手の込んだ作り、音響、照明の効果的な用い方、変にベタベタさせない冷静さと想像力を刺激し、人間の何たるかを考えさせる深い技法。見事である。(追記後送)
パフ
劇団しようよ
王子小劇場(東京都)
2014/08/15 (金) ~ 2014/08/18 (月)公演終了
満足度★★★★
パフとゴジラ
若者らしいリリックな感性で捉えられた作品だが、無論、このタイトルはPPMのヒット曲“パフ”に因んだものである。原曲では、寂しさに孤独をかこつのは、龍のパフであるが、今作では、これが反転している点も見逃せない。だが、今作には、矢張り、子供の遊び相手のような人形が登場するのも事実である。勘の良い型には既に察しがついたかも知れないが、続きはネタバレに回すとしよう。
ネタバレBOX
メインストリームは、大災害に遭った兄妹が、大切な人を失い故郷の島を離れて喧騒渦巻く都会暮らしを余儀なくされているのだが、未だ、若過ぎる二人には、役所に申請を出して何らかの生活資金を援助して貰う以外、生活の目途は立たない現実が横たわっており、その厳しい現実から逃れる為のアイテムとして故郷の人々に擬した人形が必要とされているのである。このことは、後半になって漸くちらっと明かされるだけなのだが、それ迄は、故郷での暮らしが人形と役者の混交した所作で語られ、形作られてゆく。子供達の宿題には、街の探検が含まれ、その探検と郵便屋さんや歯医者さん、市長、街の名物おばさん、魚屋さんや学校の先生等々の人々、クラスメイト等の逸話が含まれ、災害が来た時の様子が、描かれていたから、それとの対比になるわけだ。災害はひとまず火山の爆発ということになっているが、その災害が人々を襲う時には、黒い龍、ゴジラの形をしているので、3.12を当然示唆してもいよう。一見ファンタスティックで、リリックなおとぎ話に見えて、実は、被災後の長く苦しい避難生活や、一向に先の見えない政府・東電の愚にもつかぬ無策に傷つけられる民衆の姿を描いて鋭利である。
ボンゴレロッソ
A.R.P
サンモールスタジオ(東京都)
2014/08/12 (火) ~ 2014/08/17 (日)公演終了
満足度★★★
芸質を高めて欲しい
笑いのレベルが低い。老け顔だの、お尻が大きいだの、×三だの、TV番組じゃあるまいし、舞台女優なら、間の取り方を外すとか、観客の予想を良い意味で裏切るとか、頭の良さをみせる芸を演じて欲しい。劇場に足を運ぶ観客のレベルは、TV番組なんか馬鹿にして基本的には見ない者も多いのだから。まあ、女子の一途な面を表した最後の部分は、良かったので、星は、三つを差し上げるが、劇場に足を運ぶ観客のレベルにも思いを馳せて欲しい。
狂言回しとしてボンゴレロッソの店員が、色々、采配を振るう形をとるが、こんなに単純なストーリーに、この役は必要あるまい。もっと、シナリオの流れだけでキチンと分からせる努力をすべきだろう。シナリオライターの手抜きである。
妖怪酒場
物の怪エンターテイメント企画 『妖-AYAKASHI-』
タイニイアリス(東京都)
2014/08/13 (水) ~ 2014/08/17 (日)公演終了
満足度★★★★
バランスの取れたシナリオだが
主人公、信一のエピソードを何処まで、深刻に受け取るかで、作品解釈に大きな差が生まれよう。
ネタバレBOX
妖怪好きの小説家、佐藤 誠は、人間好きの妖怪、豆腐小僧と知り合い、妖怪と人間の交流の場にと設えられた妖怪酒場の馴染みになる。そして、ここでの取材を基に、連載小説を書き、見事なヒットを飛ばし、大賞を受賞するが、授賞式翌日、交通事故に遭って亡くなってしまった。彼は、小説家として名を為す為、単身東京へ出て暮らしていたのだが、故郷には、息子が一人在った。彼は、受賞後直ぐに、未だ5歳だった息子、信一に初版本に手紙を添えて送っていた。無論、この時点で息子は父の本を読めた訳ではない。然し、明日のわが身がどうなるかなど知らぬ人の子は、将来、息子も、自分と同じように妖怪に明るい人間になって、酒を酌み交わしたい、と書き送っていたのであった。20年の歳月が流れた。信一は、矢張り血だろうか? 父のような妖怪好きの青年に育ち、雑誌に関連記事を書いて生計を立てていた。然し、出版社の代替わりで、経営陣、編集長が変わった途端、いきなり首を切られてしまった。失意のうちに彼女と会い、甘えようとする信一に彼女、ハルミは言い放つ。「小説家の息子だっていうから、何か才能があるかも知れないと思って付き合ってあげただけじゃない。収入も地位も無い、仕事の出来ない男なんかに興味はない」と。踏んだり蹴ったりで、信一は、かつてアルバイトをしたが旬日を俟たずしてバックれた店の従業員休憩室で首を吊ろうとしたが、この部屋の天井は低く、おまけに天井には、ロープを引っ掛けることのできる箇所が無く、失敗する。そこへ店長が現れ、自殺はできないと諭した上、夜、飲みに行こう、と誘いを掛けた。信一は、店長の話に乗るが。
店長が連れて行ってくれた店は、津軽三味線をポップなアレンジで演奏すると、その伴奏に合わせて、舞姫が舞う、というライブをやっている、ちょっと風変わりだが、魅力的な店であった。酒も頗る旨い。飲み進むに連れ、何故、店長は、この店へ信一を誘ったのかが明らかになる。店長は、人間界で暮らす為に人間の姿を纏った烏天狗であり、美しいママの手は氷のように冷たい。雪女である。アシスタントの可愛い女の子は、座敷童、旨い酒を奢ってくれたのは、河童。ボックスで河童と一緒に飲んでいるのは、ろくろ首、津軽三味線を弾いているのは、古三味線等々。ここは、妖怪酒場だったのだ。20年前、在る事件が起こった。それ以来、オーナーである福の神のエネルギーとネクタルの源泉を確保する為、人の魂を抜き取り、ネクタルの原料と神のエネルギー源にしていたのである。然し、罪も無い人間を連れて来た上、魂を唯、抜き取るというのは、余りにも可哀そうだ、というのが、バーに集まる人間好きの妖怪達の立場であり、神と協議の結果、人間にも生き残りのチャンスを与えることになった。して、その方法とは、アルコール度数108度という在り得ない度数の酒の飲み比べで妖怪チームに勝った場合、人間は魂を抜かれずに、人間界に帰ることが出来る。然し、その場合は、負けた妖怪が魂を抜かれ、死ぬことになるという厳しいもの。然し、人間がこの20年間に妖怪に勝った験は2度のみ。だが、一度、自殺未遂を図ったとはいうものの、死ぬことはできなかった信一は、無論、命に未練を持ち始めていた。死の恐怖を目の前に突きつけられた彼は、死にたくない、とハッキリ意識する。だが、生き残る方法は、飲みっくらに勝つことのみ。上演中故、これ以上のネタバレは控える。後は、観てのお楽しみ。
『穴の中 或は、■の中』ご来場ありがとうございました。
演劇ユニットG.com
【閉館】SPACE 雑遊(東京都)
2014/08/13 (水) ~ 2014/08/17 (日)公演終了
満足度★★★★★
生の舞台でしか味わえない妙味
開演直前、ひょっとこ面をつけた者が、奈落の上に被せてあった蓋を一枚、一枚外しては、舞台袖に隠す。蓋は全部で五枚。スモークが焚かれ、奈落の底からは、青みがかった光が射す。この後、光は、其々の穴で色を変え、或いは暖色系、或いは寒色系の色を湧きあがらせる。暗転後、一つの穴の上部に白色光が上から射すと、人の頭部が迫り上がってくる。丁度、映画「地獄の黙示録」でマーロンブランドの頭部が、水から徐々に迫り上がってきたシーンのように。あの時、マーロンブランドが、ぶつぶつ呟いていたのは、T.S.エリオットの”The Waste Land”だった。April is the cruellest month,で始まる有名な詩である。(追記後送)
ネタバレBOX
今作では、ピンクフロイドの”The Dark Side of the Moon”が使われているが、このアルバムの中には”Time”も入っている所が憎い。最初と最後に心臓の鼓動音が入る有名なアルバムだが、途中、むせび泣くようなギターの音を含めて楽曲全体が、今作の内容にピッタリだ。
というのも、ここに穿たれた五つの穴、奈落には、各々、住人が一人づつ住んでいる。四人は人間、もう一つの穴には、天国を失くした神が住んでいる。住人四人は、不老。自称、科学の第一人者たる博士が、最初に登場する人物である。彼は、現在不死の薬の発明に携わっており、既に80年、この研究を続けてきた。とそこへピザを配達に来たアルバイトが。
「真夏の夜のロングフォーム」
おしるこ座
Studio Do Deux Do(東京都)
2014/08/09 (土) ~ 2014/08/10 (日)公演終了
満足度★★★
ほんとにおしるこ!
おしるこ座というのは、裏庭巣箱の塩路とインプロモーティブのこざわの名前から命名されたユニットの名である。
ネタバレBOX
ゆるゆる系パフォーマンス、インプロビゼーションを中心に活動しているが、1篇20分を越えるような作品が、ながいお話であり、それより短いのものが、みじかいお話である。作劇法は、観客から、登場人物の持ち物や一人一人の性格を規定してもらい、その指示に従ったキャラを即興で作って物語をその場で紡いでゆく。あるいは、何か思いついたイメージを言ってもらって、そのイメージに従った作品を作ってゆく、という方法だ。今回は、このようにして3つの作品が作られたのだが、かなりスト-リーテリングな内容になっており、物語の作り方についての原則は、かなり的確に捉えていると感じた。然し、小奇麗に纏まった分、突発性や意外性に乏しく感じたのも事実だ。自分の感覚では、インプロビゼイションというより、エチュードという仕上がりになっていたように思う。作者たちは、余りハッチャけたことを避けようとしたようだが。自分の好みだが、意外な程のギャップを繋いでしまうことや爆発のような一瞬の転移にインプロビゼイションの醍醐味があるように思う。
劇作家協会公開講座 2014年夏
日本劇作家協会
座・高円寺2(東京都)
2014/08/09 (土) ~ 2014/08/10 (日)公演終了
満足度★★★
第Ⅰ部を拝見
演劇人インタビューと題された第Ⅰ部では、劇作家の福田 善之さん、女優の渡辺 美佐子さんを迎え、聞き手には、劇作家、渡辺 えりさん、丸尾 聡さんが登壇。
ネタバレBOX
戦争と演劇について語るということだったのだが、渡辺 美佐子さんの応え方は、観客・聴衆に訴えることを生業として来た女優のそれであるのに対して、福田さんのそれは、江戸っ子のシャイな気質もあるのかも知れないが、彼の作品を可也読み込んでいるとか、映画化された作品を含めて既に見ているなど、コアになる共通項がないと、実際には、何を言いたいのかが曖昧になるような受け答えが多く、焦点が曖昧になった。主に渡辺 えりさんが質問にたったのだが、質問をする側も、ストレートばかりで、変化球で返されると、イマイチかみ合わないような印象を持った。時間設定も第Ⅱ部がⅠ部終了30分後には始まるというタイトなものだった為、余裕が無かった。更に、正味1時間半しか無いのにスタートが押したので、尚更である。
こんな場合、5分位のニュース映像(テーマに関わるもの。現代物も可)を会場で観客を含めて一緒に見て、それについてどう考えるかという柱が1本入っていても良かったかも知れない。渡辺 美佐子さんの答えには、極めて共感度が高かったのだが、演劇が戦争を止められるか? との隠れた企てもある以上、また劇作家の多くが演出にも携わる現状がある以上、こういった構成、ゲストのキャスティングなどにも、もっと気を配るべきではないだろうか?
シャッター通り商店街
演劇集団プラチナネクスト
中目黒キンケロ・シアター(東京都)
2014/08/09 (土) ~ 2014/08/10 (日)公演終了
満足度★★★
政治の貧困
の結果が全国に多発するシャッター通り商店街である、などという本質的なこともちらりと組み込んだシナリオで、基本的には、コメディータッチnエンタメながら、肝要な点は押さえたシナリオだ。残念だったのは、カム役者が何人か居たこと。同時に、キャラクターの一人に優秀な地方公務員なのだが、芝居大好きなキャラクター寅太が登場し、小劇場のみならず、総ての芝居を志す人々の想と夢見がちなその在り様を温かい目で観ながらも、ちょっと”ナ~ンチッテ”している点が気に入った。寅太を演じた高森 秀之さんの演技も秀逸。
ネタバレBOX
終演後、謎の女が分からない、と話していた観客が居たが、自分は、神だと解釈した。商店街再興の種を撒いたから彼女(神)の役割は終わったのである。星は、カム役者がいなければ4つ差し上げたい所だが、3つ。全体的に、多くの人に観てもらうエンタメとしてのバランスは良い。
おせっかい母ちゃんリビングデッド
ぬいぐるみハンター
駅前劇場(東京都)
2014/08/08 (金) ~ 2014/08/17 (日)公演終了
満足度★★★
電線のスズメ
まだ、昭和のある頃、ヘンテコな落ちのジョークが流行った。そのうちの一つが、電線にスズメが4羽とまっていました。誰かが空気銃でそのうちの1羽を撃ちました。確かに当たったのに、スズメは4羽とまったままです。なぜでしょう? というものであった。答えは
ネタバレBOX
”根性があったから”というものであった。本作はこのように強い、母の駄目息子を思う気持ちがベースになったゾンビものなのだが、まあ、話の内容、そのシュールな展開については、観て頂くとして、母の心配した息子の内面は、ドラスティックなレベルでは進展していない。この辺り、今後、長く劇団を続けてゆくつもりならば、真剣に検討する必要があろう。その為には、もっと、母的なものから、距離をとる必要も出てこよう。男の子に生まれて、これほど困難なことは、他にないかも知れないが、その困難に敢えて挑んで頂けたらと思う。
殉職の夢を見る
アフリカン寺越企画
新宿ゴールデン街劇場(東京都)
2014/08/07 (木) ~ 2014/08/10 (日)公演終了
満足度★★★★★
対他存在であるということ
かつてM.フーコーは「狂気とは純粋な錯誤だ」と言った。つまり健常者の精神世界と精神病者の世界は別物だと解釈したのである。かれの判断が究極的に正しいか否かを判断する立場に自分はいないので、正否の判断は保留するが、この言葉に出会った時、自分が衝撃を受けたのは事実である。このような経緯から、一応、フーコーの判断を正しいものと仮定して、話を進める。その前に、問題を一つ。我々、人間のレゾンデ―トル(存在意義)とは何か? である。(追記第一弾2014.8.9)(最終追記2014.8.12)
ネタバレBOX
神でも仏でも無い一介の衆生に過ぎない我らヒトのレゾンデ―トル等無い、と為政者は言うであろう。然し、本当だろうか? 自分は、寧ろ、悩むこと、真摯に悩み得ることにこそ、人間のレゾンデ―トルはあるのではないか? そう思っている。
ここで、上に挙げた問題と我々の存在意義を賭けての問いに戻ろう。人間が真摯に悩むのは、恋に落ちた時とか、大切な人を失って自らを振り返る時、失敗をして、自分が生きていて良いのか否かについて迷う時、仲間・恋人・親友など大切な人を裏切らざるを得ない状況に追い込まれた時などであろう。普通の人は、倫理を抱えている。して良いこと、悪いことの判断の分かれ目を持っているのだ。だから、悩む。そして悩むとは、自らが、社会的な価値・倫理に背いている、或いはそうなのではないかとの疑念から生じるのである。この意味に於いて、人間とはまさしく社会的(対他的)な存在なのだ。
従って、人間的に生きるということは、己に連なる総ての対他的存在と倫理的に径庭ない付き合いをすることに尽きる。そして、そのような付き合いが最も難しいケースこそ、今作が扱っている、コミュニケーション不成立という事例なのである。分かり易く言えば、接点がまるでない、と考えられる人々と如何に関わり得るか? という問いである。
実際には、完全に共有部分が無いわけではない微妙なケースが扱われているわけだが、扱いを間違えば、命に関わる。(更なる追記は、以下)
実際、アフリカン寺越扮する、警備員の青田は、自殺を本当にする可能性を唯一持っていた蛭田のメンタルを読み間違え不用意な発言をした結果、何とか上向きかけていた彼女の自殺傾向からの離脱を逆に端的に落ち込ませてしまった。それは、無論、青田の所為で、彼女の自殺願望が和らいでいたからである。彼女は裏切られたと感じたことで、決定的な一線を越えて、屋上から飛び降りた。青田の目の前でである。蛭田の死後、警備員室にやってきたかまってちゃんの一人、瓜生の指摘は、痛烈である。「一番大切なのは、命だろう!」と彼は言ったのだ。自殺を幇助しているという病院の秘密を明かしていた、あやめ病院の精神科医師、星川の追求も、難しい症例を相手に誠心誠意尽くして来た医師の心情を語って雄弁である。
然し、今作に光が見えない訳ではない。どんなに共有しようとしてもコミュニケーションを共有できない者同士が、命を最上位の価値として如何に良くそれを全うするかについて真剣に追求し続けることの中に、矢張り希望があるからである。青田というネーミングは、未完成や若さをもその中に含んでいるだろう。その青田が、“死ぬ気で生きて行こう”と決意することで、彼の失敗を通しての成長と今作に込めた、作者そしてアフリカン寺越の明日を見ようとする意志を見た。