満足度★★★★
最初のコメディタッチはイマイチすんなり入ってこなかったが
その後怒涛の展開で一気に惹き込む力はさすが。
連綿と受け継がれる芸道の厳しさと、翻弄される個人の葛藤が描かれる。
後半の浜谷さん、塚原さんのキャラの切り替えが鮮やかで目を見張った。
ネタバレBOX
舞台中央に1本の古木が天井までそびえている。
山深いこの場所は、津軽三味線の万沢流初代が幼くして捨てられていた場所。
二人の兄弟は盗みをして生きていたが、三味線と出会って新しい道を歩み始めた。
以来、家元を継いだ者はみな、この場所へ報告に来る習わしとなっている。
だが今の七代目だけは、ずいぶんと遅れて今日ようやくここへやって来たのだった。
やがて奇妙な男たちが現れる・・・。
言わばコメディとシリアスを合わせ持つ骨太ファンタジーと言えようか。
若干冒頭のコメディ部分が長く感じられるのは、人間関係が見えていないせいか。
やがて七代目との関係が明らかになり、それぞれの家元継承事情が語られると
物語は一気に緊張感を増して面白くなる。
それにしても後半、塚原大助さんのキャラの切り替えの見事さ。
また浜谷康幸さんの驚愕の事実を受け止める台詞の切なさ。
こういう人がいるからゴツプロ!はただの“男劇団”ではないのだ。
ラストの三味線は大変な努力の跡がうかがえる素晴らしい演奏だったが
やはりここはプロの小山会にも「三の糸」の音色を響かせて欲しかった気がする。
流派と家元の重みを印象付けるためにも。
満足度★★★★★
青森県出身の友人ともう一度観劇。
社会性とエンターテイメントを、当然の如く常に両立させ、
演劇の力をいつも再認識させてくれる。
ネタバレBOX
この日はアフタートークもあったので、この企画の“そもそも話”が聞けた。
沖縄の当山氏が、2015年に小劇場の運営を学ぶため
全国を視察して回った中に「渡辺源四郎商店」も含まれていた。
その際「いつか一緒に」という話をしたことが実現したのだという。
沖縄の歴史という、まずゆるぎない事実ありきからスタートする制作、
なべげんの「伝えたいことは演劇を通して伝える」姿勢は
制約であると同時に使命感でもあるのではないか。
生き生きとした闊達さ、哀愁を帯びたトーンなど
ネイティブの方言でしか表現できない世界が見事に合体した作品だった。
満足度★★★★★
現実の重みと軽妙な笑い、その絶妙なバランスが素晴らしい。
沖縄と青森という、接点が薄いと思われがちな2つの地域を
卓越した発想力と若干の力技で見事につないで魅せる。
まさに今、現代にもう一度起ころうとしていることを見る思いがした。
ネタバレBOX
舞台中央、横長に置かれたテーブルとその前に4脚の椅子は
全て白い布で覆われ、上から紐のようなものでぐるぐる縛られている。
ここは海軍省内部、理由も告げられないまま連れて来られた4人、
青森出身の2人と沖縄出身の2人は、敵に傍受されないよう
方言による電話通信に協力するよう命令される。
が、その目的にはある秘密が隠されていた…。
津軽弁と琉球語という強烈な個性を持つ言語の“わからなさ”がとにかくおかしい。
特に今回は琉球語の解らなさ加減が突出しており、津軽弁が聞き取りやすかったほど。
だがその琉球語の解らなさのおかげで、人々は何と理不尽な扱いを受けたことか。
“わけのわからない言葉を使う、スパイのような怪しいやつ”というレッテルを貼られ、
軍隊でも他は県ごとに配属されたのに、沖縄だけはバラバラに配属されたという。
沖縄は今も昔も屈辱的な、不当な扱いを強いられている。
三上晴佳さんの、沖縄の人とことばに対して敬意を払う態度が素晴らしい。
わからなさの先にある、ことばとしての力に尊敬の念を抱いていることが伝わって来る。
「田舎者めが」「ごく潰しか」という海軍少佐のつぶやきは、
そのまま政府の姿勢を表している。
同時多発でまくしたてられる二つの言語の解らなさに笑っているうち
それを冷やかに上から見ている“政府のやり方”に気付く。
このコントラストが鮮やかで素晴らしい。
私は畑澤氏の“教育者としての視点”が好きだ。
「何にも知らずにぼーっとしている日本人」に、常に何かを突き付けてくる。
まず知ることが全ての始まりであることを思い出させてくれる。
「方言札」をはじめ、今回も初めて知ることが多かった。
「遠くで起こることを身近に」というメッセージを発信する
渡辺源四郎商店の活動をこれからも追いかけたい。
満足度★★★★★
素晴らしく良く出来た戯曲、これを選び演出した渡辺さんのセンス、激情ほとばしる台詞を誰一人噛まない役者陣、と久しぶりに観ていて熱くなった。奇妙なオープニング、「たま」のシュールな乾いた歌詞が異様な世界に誘う。渡辺実希さんの罵倒するシーン、圧巻の迫力!
ネタバレBOX
舞台中央に大きなダイニングテーブル、部屋の隅には猫足の電話台に黒電話。
古い洋館に住む心霊研究家の海老沢(凪沢渋次)と娘のキオリ(渡辺実希)。
だがキオリの双子の姉妹サオリの命日の日、この家には何人もの来客があった。
毎日のように入り浸る警官(佐々木豊)、
気分が悪いから休ませてくれと上がり込んだ図々しいタクシー運転手(竹田航)、
熱心な海老沢のファンだという女性(もなみのりこ)、
そしてサオリを死に追いやった4人の少年のうちのひとり間宮(渡辺望)が
10年の刑を終えて出所し、海老沢家を訪れる…。
実はこれら登場人物は皆、誰かを殺した、あるいは殺そうとしている。
前半の滑らかでない人間関係の原因は、後半一気に明らかにされ、
驚愕の事実が明かされる。
誰かを殺したいと思う理由はそれぞれだが、“憎悪”という点で一致している。
憎悪の理由が明かされるプロセスがスリリングでたまらない。
これは人間を犯罪へと突き動かす最も強い原動力である“憎悪”のたぎる芝居である。
たぎる芝居だから皆よく吠えるのだが、吠え方がまた良かった。
切羽詰まった、あるいは追いつめられた、あるいは他の手段を思いつかないほどの
“憎悪”を懐に持つ登場人物たちの陰影が素晴らしい。
渡辺実希さん、ここ何作かで暗い感情をむき出しにする役に磨きがかかった感じ。
最初に間宮を罵倒するシーンは圧巻の迫力。
佐々木豊さん、笑いを誘う前半のコミカルなイメージと、
後半一転して狂気を爆発させるシーンとのギャップが素晴らしい。
渡辺望さん、元不良少年だが、ピュアな部分も持ち合わせている間宮を演じた。
犯人にもかかわらず思わず好感を抱いてしまうのは、
犯罪者でありながら一番普通の感覚の持ち主に見えることのほかに、
渡辺さんの素の品の良さも理由のひとつだろうか。
抽象的な犯行理由が、あとから説得力を持ってじわりとにじみ出して来る。
加藤晃子さん、以前ほどの少年っぽさはないが、浮遊する不思議な存在感がある。
もなみのりこさん、偽名を使って海老沢に近づく女の表裏が上手い。
竹田航さん、観ている方がイラつくほどのうざいキャラ。
ハイテンションで隙なく演じていて巧み。
ケラさんは、こんなダークな本も書くんですね。
軽い笑いを入れながらずどんと落とされた感じでとても見応えがあった。
天幕旅団の底力を見た思いがする。
満足度★★★
それを奇跡と信じるか、偶然の重なりと受け取るかによって、真実の色合いは変わる。
役者さんは隙なく熱演、悪人も出てこない、美しいエピソード、
だがちょっと物足りなさを感じるのは、人々を取り巻く現実的な背景が見えづらいせいか?
ネタバレBOX
高速道路が出来たため、経営難に陥っている森の中のカフェレストラン。
オーナー夫妻から店を任されている青年信之助(石井俊史)と、
オーナーの親戚で、知的障害を持つ聖美(川口果恋)が日々切り盛りしている。
オーナー夫妻には、交通事故で2人の子どもを死なせたという苦しい過去がある。
実は聖美は親戚ではなく、オーナーが森の中に座っていた少女を連れ帰って来たのだった。
あまりにも死んだ娘にそっくりだったから。
そしてもう1人、オーナーが見出した若手バンドのメンバーのひとりも、
死んだ息子にそっくりだった…。
森とレストランの一帯を買い取って再開発しようとする堀田(奥村渉)の
真意がつかみづらかったのが残念。
オーナーの一族と昔選挙で争ったことがあるらしいが
どんな思いでここへ戻って来たのかがあっさりしすぎて伝わってこない。
聖美が本当に奇跡を起こすなら、オーナーの病気が治るはずだが
そこは単なるファンタジーではない作品らしく、一方的なハッピーエンドに終わっていない。
人生はハッピーもアンハッピーも同じくらいあるのだというバランスが良かった。
満足度★★★
新しい劇場のワクワク感もあって気分よく開演を待った。
パントマイムと各国語による注意事項が写しだされる前説など、
外国人客を意識しているらしい。
ノンバーバルということで、チャンバラとダンスに期待していたが
期待にたがわぬ迫力ある殺陣とキレのあるダンスが素晴らしかった。
ネタバレBOX
ただセットの無い舞台で、映像によって場面を示すのはよいとしても、
途中アニメのような巨人が映し出されて人間を踏みつけようと向かってくるシーンには
ちょっと興ざめ。
身体能力のあるパフォーマーのダンスがどれも似たパターンになるのも残念。
殺陣とダンスでメッセージを伝えるには限界があると感じざるを得ない。
早乙女さんは声も良いし、主役からアンサンブルまで
身体的にも鍛えられた役者さんが出ているのに
台詞がひと声ふた声というのが物足りなく感じられる。
もう少し効果的に台詞を入れたり、ダンスのバリエーションをつけたりしたら
演劇ファンもつくだろうと思った。
満足度★★★★
今回笑いの割合は高めだが、何気に“めっちゃ深い事”を言うのがマリーシア流。
コンビニの休憩室を舞台に繰り広げられる夢と挫折とFA宣言(!)
グリーンピースの名前の由来が、絆を感じさせて心温まる。
全体の構成と、ミドリのキャラがとても良い。
お笑いの脚本が良く出来ていてびっくりした。
ネタバレBOX
倉庫を改造したコンビニの休憩室に、廃棄になる弁当をもらいに従業員がやって来る。
お笑いコンビのミドリ(大浦力)とカズヤ(森優太)、
ミュージシャンを目指してバンドを組んでいるヒロ(狩野健太郎)とシゲオ(紀平悠樹)。
その中でカズヤは、お笑いを辞めたいとミドリに言い出せずに悩んでいた。
役者志望のミドリをお笑いに誘ったのはカズヤだったのに・・・。
冒頭、ネタ合わせをするコンビの漫才で始まるのがとても良い。
リアルを追及すると時として緩くなりがちなオープニングが、最初からぐっと集中させる。
いつもながらキャラのバランスが面白い。
ねずみ講まがいの商売を「マルチビジネス」と言い張って勧誘する“空気読まない”シゲオ。
あまりミュージシャンらしくないが、意外とまっとうな意見を持つヒロ。
夢を追うには自信がなく、辞めたいと言い出せずに今日まで来た気弱なカズヤ。
そして突然コンビ解散を突き付けられても淡々と受け容れようとするミドリ。
キモは相方の選択を応援しようとするミドリの心情と、その背景にある過去だが、
次第に明らかになるその事情がしんみりさせて説得力がある。
冒頭のネタをラストでもう一度繰り返す構成が成功している。
最初に軽い笑いで観たシーンを、全く違った思い入れで観ることになる。
ラスト二度目のネタ披露で、観客がカズヤと一緒に泣きたくなるには、
どこかでひとつ、ドラマチックな展開が必要かなと思う。
例えばカギを握るミドリのエピソードを、友だちの口から言わせるのではなく
どれかをミドリ本人から効果的に語らせる、直接カズヤに伝える、
淡々と、少ない台詞で父親への思いを語ったら、切なさは倍増する気がする。
真面目な部分で少し台詞を絞ると、エピソードも心情も印象が強く残ると思う。
校長先生のお話にはそれが上手く凝縮されていて効果的だ。
ミドリの達観したようなキャラがとても魅力的なので、
素の部分と、芸人としてのテンションの高さのギャップがもっと出せれば
二度目のネタ披露は切なくて観ている方も泣きたくなるだろう。
二人の最後の舞台、まさに“始まりと終わりと卒業”がそこにあるから。
満足度★★★★
昭和がこんなにも懐かしく感じられるのはなぜだろう。
ただの“あの頃はよかった”的なノスタルジーではない。
“ものづくり”の精神や、他者を敬う気持ちなど、
現代の日本人が忘れてしまった価値観が息づいているからに他ならない。
吉田小夏さんは“今となっては古風な価値観”を登場人物に体現させるのが抜群に上手い。
たぶん人の「品性」というものをとても大切にされているからだと思う。
ネタバレBOX
昭和44年7月、これから取り壊されようとしている古い家に家族が集まって来る。
中学生のともえ(今泉舞)はグランパからもらった望遠鏡をのぞいて懐かしむ。
その様子を今は亡きグランパ、祖母、鼓太爺が見守っている。
想いは東京タワーがまだ建設中だったころ、昭和33年へとさかのぼっていく…。
戦前から続く工業所を営む一家を舞台にした群像劇。
女中・和子役の大西玲子さんが、出入りする大勢の人々をまとめるような
どっしりとした安定感で素晴らしい。
主に良く仕え日々を切り盛りする女中に相応しいたたずまいが作品全体の要のよう。
理想に燃えて戦後復興を支える事業に取り組む夫を、妻として支える
祖母役の福寿奈央さんがまた凛として実に良いキャラ。
出来過ぎでなく、酒が入ると“失くしたものの話をしたがる”一面も持ち
立体的な人物造形が魅力的。
妻も夫もそれぞれの立場から若い人達を指導し、育てる気風が感じられ
そういう自覚があの頃の日本を創っていたのだと感じさせる。
戦地から戻った息子とその妻のぎくしゃくした関係や
新人女中と技術者の恋なども、復興一色の社会とはいえ
戦争の傷跡が色濃く残っていた時代の影の部分を感じさせる。
小瀧万梨子さんの艶やかさがひときわ鮮やかで、強烈な印象を残す。
派手な服装とは裏腹に、従軍看護婦として満州へ行った経験があり、
男女問わずひとの心をほどくような包容力を持つ女。
タンゴを踊るところがとても素敵だった。
若干「星の結び目」を思い起こさせる既視感があったかな。
冒頭でボロ泣きしたあの作品が強烈だったのでつい比較してしまった。
今の時代、あんな風に互いを高め合いながら働く人々がどれほどいるだろうか。
人も社会も、多くを持たないけれどちゃんと誰かが見ていてくれていた時代。
東京タワーは、その象徴として屹立している。
満足度★★★★
初日の硬さが若干あるものの、飛び道具の劇的効果もあって大変楽しい。
設定はざっくりしているが、実はなかなか緻密な構造で、このバランスが好き。
恋ってつまりはこういうものなんだなと思わせるピュアなところが泣かせる.
ネタバレBOX
良くない輩がたむろする町の一角。
殺し屋やホームレス(本井博之)、裏社会を相手にする医者(澤唯)が根城にしている。
彼氏に振られた女佐藤(佐藤有里子)と殺し屋の川島(川島潤哉)は運命的な出会いをする。
そして佐藤は川島に、元カレ殺しを依頼する。
一方5年前に何者かに両親を殺された靖明(堀靖明)は
友人の志賀(志賀聖子)から怪しい霊媒師(伊達香苗)を紹介される。
靖明の両親を死に追いやったのは誰なのか?
霊媒師は少しずつ真相に近づいて行く…。
二つの時空が交互に語られる構成が上手い。
何といっても伊達香苗さんの迫力ボディがにっかつロマンポルノのよう!
(にっかつ観たことないけど、めっちゃ誉めてるつもり)
中盤からはそのアンニュイな台詞と手の動きがぴったり合って
終盤の滑り台に至ってはもはや演技を超えた表現と言って良いほど素晴らしい。
殺し屋を演じる川島さんのフツーな感じが効果的で、
“フツーでない職業が日常になっている男”が浮き彫りになる。
3人分の新しい戸籍を渡して「目玉頂戴ね」とほほ笑むちっちゃいボス(後藤飛鳥)と、
淡々とそれに応える殺し屋のやり取りがそれぞれプロっぽくてよかった。
殺し屋が“痛みを感じない体質”という不幸な設定が、ここではほっとさせる。
闇医者の澤が平凡なOL佐藤と裏社会の間でバランスの良いキャラを発揮。
澤さんの口跡の良さと常識的な発言でリアルな存在感を見せる。
櫻井さんの作品としては珍しく希望の光が差し込むラストだが
そのための代償があまりに大きいところが、やはりこの作者らしい。
記憶をたどる旅のプロセスで、靖明と志賀の恋もまた
両親同様不器用ながら、発展していく兆しを見せたところが初々しくてよかった。
つまり“痛みを感じない男の痛みを伴う純愛ストーリー”なんだな。
改めて川島さん、堀さん、澤さんと櫻井作品との相性の良さを感じた。
満足度★★★★
本当は何が起こったのか、謎めいた冒頭のシーンが印象的で、
ミステリアスな展開に最後まで引っ張られる。
この緊張感と、とぼけたやり取りのギャップが可笑しい。
若者の天然傍若無人ぶりに飄々と対する関西弁のお人よしぶり。
衝撃のラストまで、演じる役者さんの巧さが光る。
ネタバレBOX
激しい嵐の夜、稲妻に浮かび上がるのはスコップを片手に仁王立ちの女性…。
「火サス」の犯罪シーンのような幕開けにちょっと驚く。
そこへ登場した男に、彼女は「アキラ!」と呼びかける。
元々この避難所には9人が暮らしていたが、火山の噴火により8人が死んでしまい、
生き残った彼女は8人を埋葬、一人で外出していて難を逃れた夫の帰りを待っている。
「アキラ」と呼ばれた男は、実は夫ではなく、ここに住んでいた妹を探しに来たのだった。
記憶を失くして夫の顔も忘れてしまった女は、彼を「アキラ」だと思い込んでいる。
似顔絵を描きながら避難所を渡り歩く「夜風っす」と名乗る男、
出先で噴火に遭い、妻も死んだと思い込んで一か月後に帰宅した、女の夫も加わって
4人の奇妙な共同生活が始まる…。
明るく笑いながらためらいなく人の心に踏み込む“夜風っす”(佐藤和駿)が
結果的に“偽アキラ”や“本物アキラ”の心情を掻き出して語らせる、
というスタイルが面白く成功している。
オバサンとしては“夜風っす”のキャラはどうも心情的に疲れるけれど、それは
演じる佐藤さんが“イマドキの若者が自然にやらかしてる”感じを上手く出しているから。
夫と思い込まれた男(緒方晋)が、追いつめられて不安定な女を
突き放すこともできず寄り添うところがとても良かった。
柔らかな関西弁で、“夜風っす”に反発しながらも、彼の質問には率直に応えていく。
その素直さが彼の誠実な行動の根幹にある。
本物のアキラ(平林之英)はイマイチ気が弱くて
妻の生死を確かめる勇気もなく、1か月も経ってから避難所に戻って来るような男だ。
かつて同じ避難所にいた別の女性(それが偽アキラの妹)と不倫したという
負い目もあってますます妻との距離をコントロールできない。
その気弱さから“偽アキラ”を強く追い出すこともできず、
そもそも妻に思い出してもらえないという存在感の薄さが露呈する。
夫の情けなくやるせない思いが台詞の行間に滲んでいた。
8人を埋葬するという壮絶な体験から記憶の一部が欠落したように見える女
キナツを演じた阪本麻紀さん、どこか“心ここにあらず”な浮遊感が良い。
本当に「埋葬した」だけなのか、何かあったんじゃないか、と思わせるものがあって
謎に奥行きを持たせる。
不自然なほどの白髪や、噴火前から避難所で暮らしていた、という設定に
この国の不安な未来が透けて見える。
それにしてもこの二人、これからどうなるのだろう。
満足度★★★★
フライヤーの“何かが起こる前の”緊張感溢れるビジュアルからして
もうすでに不穏なムードが漂っている。
あっと驚くラストの展開と、そもそもの設定に完全にやられた感じ。
期待通りのセンスの良い映像と、思いがけなくアナログな演出が同居する
林灰二ワールド。
村田充さんが圧倒的な存在感で魅せる。こういう芝居をする人だったのか。
ネタバレBOX
舞台には3枚の白い幕が吊るされ、中央の1枚は半円を描いている。
この半円がくるりと回転すると場面転換と出ハケがなされる仕組み。
複数のエピソードの登場人物の名前が、その幕に映し出されたりする。
舞台はとある病院の花壇がある中庭。
一日の大半をここで過ごす男、太郎(村田充)。
毎日太郎を見舞う友人、ハルキ(林灰二)。
そして太郎に“どのくらい死が近づいているか教えて欲しい”と訪れる人々。
本当は知りたくない“自分の寿命”を聞きにくる人々の、葛藤や家族関係が描かれる。
いわゆる人知を超えた能力を持つ男を取り巻く“死のエピソード”が綴られるのだが
途中、作・演出の林灰二さん自身の、素の語りが入るのがユニークな演出だ。
林さんの父親の「鳥を捕獲して鳴き声を競わせる趣味」のことを話したり
「僕は神様だから」役者に台詞を言わせ、自由に設定を考える…と語る。
そして「これも全部台詞です」と言って観客を混乱させる。
この「神」は最後に、驚愕の設定を明らかにして物語を終える。
林さんらしい、何気ない電話の会話で。
実年齢から想定する観客の思い込みを軽々と超え、
物語を最初から語り直すほどの力技で真実を提示する。
主演の村田充さんが“死の匂いを嗅ぎ取る男”を淡々と演じて圧倒的な存在感を見せる。
この長身長髪の謎めいた男を、徹底的してミステリアスにスタイリッシュに描くと思いきや
素の作者が「僕は何でもできるんですよ」なんて言った後で、驚きの事実を告げるものだから
観客は改めてこの芝居を冒頭から反芻する、「そうだったのか」と。
そして村田充という人の“年齢不詳”な演技を再評価する。
がん患者の男を演じた伊藤慶徳さん、その弟で聾唖の少年役の中尾至雄さんの
エピソード、ハラハラするような空気が生まれて強い印象を残した。
「自分の匂いに気が付かない?」と太郎に語りかけるハルキ、
何があっても決して狼狽しないハルキは、やはり「神」なのだろう。
相変わらず「神」は雄弁で、お見通しで、自由奔放であった。
満足度★★★★★
キャラにドンピシャの役者陣が素晴らしい。
松本紀保さんのたおやかさが際立って美しい。
危うい人々から目が離せない1時間50分、
それだけにラスト不思議な爽快感が残る。
ネタバレBOX
浅いプールのような演技スペースを挟んで対面式の客席。
奥は地方都市のスナックの店内、反対側は福祉施設の屋上だ。
この二つの場所を行き来しながら物語は進んでいく。
スナックのママ可奈子(松本紀保)は、客のひとり柏木(瓜生和成)と不倫関係にある。
義父の介護施設で働く柏木は、どうやら贈賄に関る仕事をさせられている様子で
スタッフたちも不審な告発メールや噂に翻弄されている。
スタッフの中には“戸籍が無い”と噂される浅尾(塩野谷正幸)もいて
父親が疾走したという過去を持つ可奈子をそれとなく見守るようなそぶり。
そしてある日、ついに柏木は追いつめられて…。
理不尽な組織に都合よく使われ、犠牲になる人はいつの時代にもいるものだ。
冒頭から、そんな恐れを抱いて柏木を見つめる人々の苛立ちが爆発する。
妹はそもそも婿入りした兄が歯がゆくて心配で、ついつっかかってしまう。
はらはらしながら見守る可奈子、「大丈夫」を繰り返す柏木はまるで大丈夫に見えない。
失踪した可奈子の父と、“戸籍が無い”と噂される浅尾、
そして今まさに組織から都合よく使い捨てにされそうな柏木。
この3人が重なって過去・現在・未来、同じ悲劇の繰り返しが透けて見える。
この作品の力強いところは
人生は「疾走」、「疾走」するのは「生きるため」、死ぬくらいなら「失踪」しろ!
というメッセージだ。
やられっぱなしでたまるか、という窮鼠猫噛みの一撃が清々しい。
可奈子の、柏木の妹に対する叫びが象徴するように、
“さんざん見て見ぬ振りをしてきた人々”に、逃げた人間を責める資格などあるか、
という倫理が大きな説得力を持つ。
不器用な人々が吹き寄せられるように集まって来る店のママを演じた
松本紀保さんがたおやかで素晴らしい。
声にも仕草にも品がありすぎるが、水商売のしたたかさを持ち合わせるキャラが良い。
責任感と罪悪感にまみれた柏木を演じた瓜生和成さん、
冒頭から彼の重い疲労感が伝わる佇まいが秀逸で、「大丈夫」のリフレインが虚しく響く。
謎の多い浅尾役の塩野谷正幸さん、柏木に「まだ間に合う」と詰め寄るところに
説得力があり、それがまた彼の謎の過去を思わせて上手い。
「木枯し紋次郎」のテーマ曲が非常に効果的。
無頼で孤独な紋次郎の、だがその人生は絶望的ではない。
“捨てながらも生きている”感じが登場人物すべてに重なって沁みる。
人生は「疾走」、「疾走」するのは「生きるため」、死ぬくらいなら「失踪」しろ!
その強烈な開き直りが人を救う。
そこには、自殺などには無い、絶対的な希望があって観る者も救われる気がする。
満足度★★★★
夏になるとやっぱり夜の野外劇が恋しくなる。
芝居本来のおおらかな力強さと、客席に向かってくる直球ストレートな表現。
夏の野外劇には骨太な人間臭さが似合う。
2017年の花園神社には、権力に翻弄され打ちのめされながらも
再び立ち上がる人間の素朴なたくましさが舞台いっぱいに繰り広げられた。
ネタバレBOX
昔山奥に俗世間から隔離されたような隠里があった。
人々は「外の世界には鬼がいる」という先祖代々のことばを信じ、ひっそりと暮らしている。
ところが掟を破って外の世界を覗いた若者が制裁を受けて逃げ出したのをきっかけに
それを追って出た数人が外の世界の情報をもたらし、
さらには世間知らずの彼らを利用しようと商人たちも乗り込んできて、
里の日常は一変する…。
信じて来た価値観が根底から崩れる不安、それでも新しい世界を知りたいという欲望、
人間の心が千々に乱れる様が描かれて生々しい。
里で制裁を受けて逃亡したが、町で広い社会を知り、
再び里に乗り込んで自分の欲望を満たそうとする若者が良い。
演じる濱仲太さんが、善良そうな顔つきから次第に悪徳商人のそれに変わるあたり、
大変リアルで迫力があった。
終盤、かつて里で受けた傷を晒しながら激白する場面の説得力が素晴らしかった。
この芝居で一番人間くさいキャラだった。
また旅回り一座の白塗りの女形を演じた谷山知宏さんが強烈な印象を残した。
この人が登場すると場をさらってしまうほど客席が湧いた。
これもまた実に魅力的なキャラだった。
土の上の芝居、屋台崩し、役者によるビールの売り声、階段まで客席になる満員御礼…。
洗練とはまた違った方向性を追求して30年になるという花園神社の夏を満喫した。
満足度★★★★
沖縄の小さな島の郵便局を舞台に、ここに住む人、出ていく人、訪れる人の
秘めた心情と温かな交差が描かれる。
波の音と風が心地よい郵便局のセットが素晴らしい。
首振りの扇風機がカーテンを揺らし、出演者の髪を揺らし、客席に島の風を吹き込む。
解りやすい登場人物のキャラが次第に陰影を帯びていくエピソードが秀逸。
この展開、この受容の精神は、やはり「おんわたし」の精神が根付く沖縄ならではだろう。
観客に委ねる部分が心地よくもあるが、同時に物足りなさも感じるのは要求し過ぎか…。
ネタバレBOX
会場に入ると風が吹いている。
上手には、郵便局おなじみお取り寄せ名産品の見本、テーブルと椅子、
入り口の外には石垣と赤い花が見えて南国らしさが漂う。
下手は一段高い畳敷きの事務スペースで、奥は郵便局長の居住スペースになっている。
局長は今、浜で拾ったコーラの瓶に入っていた10年前の手紙に返事を書くことに夢中。
近所の人々が集まってアイスコーヒーを飲んだりするのんびりしたこの郵便局に
ある日東京からひとりの青年が保護司に連れられて来る。
誰にも笑顔を見せないこの青年は一体…。
郵便局に集まって来る人々のキャラが楽しい。
バイトながらしっかり郵便局を切り盛りするおきゃん(早川紗代)、
「嫁が欲しい」畑をやってる41歳の吾郎(保倉大朔)、
民宿経営者の庄吉(牧野達哉)など、皆個性豊かで温かい。
青年(榎本悟)の素性を知った後の、周囲の態度の変化にもそれぞれのキャラが反映される。
局長が返事を書いたボトルメッセージの少女に代わって島を訪れたのは、
その母親(秋葉舞滝子)だった。
子育ての失敗から娘を喪ったことを10年間悔やみ続ける母親と、
片や10年間、罪を償って外へ出た青年が「おんわたし」の島で出会うというエピソードが
主軸でありそれが大変良かったと思う。
共に苦しい10年を過ごした2人が、初めて心を通わせる相手として相応しい。
“恩を受けたらその人ではなく、隣の人に返す”という島の優しいルールが生きる。
青年の“家族でいられなくなるほどの”罪が何だったのか具体的には示されないが
それは観る人の想像で良いと思う。
でもあのあと彼がどう変化したのかを知りたい気がした。
私の観方が浅いせいかもしれないが、保護司の徹底的な庇護のもとにあった青年が
そこから一歩踏み出せたのか、意識の変化にとどまったのか、それが観たかった。
「おんわたし」を目に見えるかたちで、というのは作者の意図に反するのかもしれない。
でも“見て安心したい”と思ったのだ。
演じる榎本悟さんの硬い表情や緊張した動きには“制限された人生”が色濃く出ていた。
本当の更生は、そこから一歩踏み出して初めてスタートするのだと思う。
彼の自我と更生の第一歩を目で見て安心したいというのは私の身勝手かもしれないが
それは“苦し気な更生への道”を演じる榎本さんがとても良かったからに他ならない。
最初はただの”合コン好き”だった吾郎が次第に魅力的に見えてくる。
演じる保倉さんの他の芝居を観たいと思った。
座組みの良さが感じられる作品だった。
満足度★★★★★
十七戦地の柳井祥緒さん脚本・演出でこのテーマなら、
繊細さと大胆な構成を両立させるに違いないと信じていたが、まさに期待以上だった。
大帝の葬送の実行に至る裏方の160日間を、会議室という限られた空間で描く。
柳井さん得意の設定で、史実をなぞるだけでない厚みのある人間ドラマになっている。
こんな重いテーマなのに、時々くすりと笑わせるのは台詞と役者の力。
ネタバレBOX
天皇の体調悪化を受け、宮内庁内では具体的な準備が始まる。
お上に仕える奥の方と、事務、警察、儀式、法律など様々な分野の責任者が集合、
政教分離と伝統の継承に配慮した新しいかたちの葬送を模索する…。
現実的には会議室に入れないはずのライターを狂言回しとして配したのが良かった。
ラストで明かされる奥の方とのつながりから、お上に対する強い思いを持ち
同時に国民の一人としての素朴な視点も持ち合わせている。
演じる澤口渉さんの緊張感ある台詞がドラマを引っ張り、時間の経過が解りやすい。
「関係者席」として確保していた客席の椅子を3か所使ったのも上手いと思う。
同じく現実的ではないが、元華族(?)で右翼の女性「愛国の方」を入れたのも良いスパイス。
実際右翼団体の動きには神経を使っただろうし、発言・行動にはリアリティあり。
中村真知子さん、後半の精いっぱい虚勢を張った姿が強く印象に残る。
そのほかの登場人物は皆リアルで、それぞれの陛下に対する思いと
職業人としての高い意識を感じさせて共感を呼ぶ。
熱い思いが先走りがちなメンバーを押さえつつ会議をまとめていく事務の人、
演じる音野暁さんの実直なキャラがハマって、要の役割に相応しい。
奥の人を演じた朝倉洋介さん、お上のお側近くに仕える人らしい品格と端正な動き、
「鏡を使ってお上に月をお見せした」と静かに話すだけで涙が出そうになった。
同じく奥の方の女性役、百花亜希さんの着物姿が凛として美しい。
伝統と改革をバランス良く備えたキャラが大変魅力的で、皇室の未来を感じさせる。
崩御も“国家のアピールと国会運営の一環”とみなす政治家の先生が良いキャラ。
後半一転して、愛国の方に「スーパーのレジ打ちでしょ」とぶちかまして黙らせるところ
スカッとして実にカッコ良かった。何だ、いいとこあるじゃん、この先生と思わせる。
演じる大原研二さんの座る姿勢や扇子の使い方がいかにも”先生“らしくてリアル。
大喪の礼当日、見送る人々の傘が濡れていたのも細やかな演出でとても良かった。
メモや印刷物が乱雑に散らかった会議室内が、
事務の人によって丁寧に回収されていくシーンが象徴的。
ラスト、ひとり号泣する彼に共感せずにいられない。
難しい宮内庁・法律用語を上手く説明しながらの台詞に工夫があり、理解を助けられた。
当時を思い出して、改めて裏方の苦労をさもありなんと思う。
映像の使い方、チラシのデザインも印象的。
史実に別の視点を投入して、“事実を複眼で見せる”ことに成功している。
これが柳井流の面白さだと思う。
ライターと共に、時代の終わりと始まりを垣間見た思いがする。
満足度★★★★★
会話の中に過去の人生が立ち上る面白さを堪能した。
台詞と間の良さ、それに登場人物を予感させる見事な“ショボい店”のセット。
男たちのキャラのバリエーションが絶妙。
ネタバレBOX
ちらと覗いただけで「やめとこ」となりそうな場末の酒場。
いくつかのテーブルの間に不揃いなイスが乱雑に置かれ、
ビールは店の隅のクーラーボックスから直接取り出し、つまみは乾き物のみ。
(去年食中毒を出して以来そうなった、というのがすごい説得力)
店主の満作(林和義)が小上がりで寝ているところへユリ(小林さやか)が訪れる。
小学校時代から憧れの人、ユリを追って北海道から東京まで追って来た満作は有頂天。
常連客の吾郎(省吾)、遠藤(有川マコト)、それに満作の腹違いの妹(なかの綾)は
突然の展開に、それぞれの思いから狼狽する。
東京から来た新たな客(本間剛)が加わった所へ、謎の男(古川悦史)が入ってくる。
ことば巧みに人心を掌握していく男は一体何者なのか…?
男はみんな純粋で、それは人を騙す男でさえも同じ。
だが女は騙されない、常に騙す側だ。
“騙している”という意識すらなく、軽やかに渡り歩く。
翻弄され疲れ果てた男たちが集まるのが、この“名もない”店なのだ。
登場人物全員が、どこかうさん臭さを持っているところがいい。
それでいて、まだ何かを信じたりすがったりするピュアな部分が残っている。
人を騙す人間は、その残ったピュアな部分に訴えかけてくるんだな。
謎の男のことばに感化され、彼を「先生」と呼んで変化していく男たちが滑稽だが
やがてその「先生」さえも煩悩に支配されていることが判明する。
唯一達観したような存在が、ホームレスのサリーさん(松本哲也)だ。
騙しも騙されもせず、異臭をまき散らしながら店の冷蔵庫から麦茶を出して飲む。
周囲が“元は伝説の博打打ち”と勝手に設定しているのが可笑しい。
芸達者な男たちの中で紅一点、胡散臭くて可愛い女を演じた小林さやかさんが上手い。
不自然なハイテンションぶりと冷徹な観察眼が同居するしたたかさを持つ女、
騙されたと判ったのちも、男が追いかけたくなる女を軽やかに演じた。
緻密な台詞と絶妙の間が、会話劇の面白さを堪能させて飽きない。
力の抜けたキャラが上手く配置されて“騙されキャラ”にもいろいろあるんだな、
でも共通点があるんだな、と思わせる。
満作を一番打ちのめしたのは、失ったものではなく、
ユリの「役立たず」というひと言だろう。
今この店を必要としているのは、誰よりも満作だろうと思った。
サリーさん、助かって欲しいなあ。
満足度★★★★
奇書と言われる原作の異様な世界観が色濃く出ていて惹き込まれた。
長台詞の合間に差し込まれる、流しの「水」、照明の切り替え、効果音、
それに雑遊の造りを活かした演出が作品全体にメリハリを持たせている。
それが作品理解を助けてくれる感じ。
緊張感と”狂気“の2時間15分。
ネタバレBOX
拘束着のような白いツナギを来た男が目覚めたのは
九州大学医学部精神病科の独房。
記憶を失って自分が何者なのかも判らず混乱する彼の前に教授が現れ
「自分で思い出さなければ意味がない」と告げる。
男は殺人者呉一郎なのか、中国の猟奇殺人者の末裔なのか、
さらに、研究のためには手段を選ばぬ教授たちの犠牲になったのか、
次々と繰り出される過去の再現シーンは夢なのか現なのか…。
全体像を把握することが出来ないまま引きずり回される感じが不快ではない。
男と判らなさを共有し、伴走しながら同じ景色を見る感覚が面白い。
「ドグラマグラ」は理解しようとするより、所々で展開する論理に感心する方が楽しい。
例えば「犯罪者の記憶は遺伝子に組み込まれて連綿と受け継がれる」、
「死人の腐敗する様を克明に描くことで、楊貴妃に溺れる皇帝を諫めようとする」、
また「そのために了解を得た上で妻の首を絞めて殺害する」、等々。
作品が発表された1935年当時の、夢野久作の想像力と狂気の表出方法に驚く。
記憶を失い、今や存在そのものが危うくなった男の絶望的な孤独が
もう少し見えたら良かったと思う。
台詞を噛む場面が散見され、せっかくの緊張感が途切れてしまったのが惜しい。
その中でアフリカン寺越さん演じる助手が不気味な空間を体現していて素晴らしかった。
何度も観ている役者さんだが、しばらく気づかなかったほど。
例えば鍬を振り上げる教授に無言で近づく時の緊張感あふれる動きや
鍵束の音をジャラジャラさせて歩いてくる姿勢など
座っているだけで強烈な存在感があった。
呉一郎より、教授陣の方が狂っているような気がしてくる。
照明と効果音が強い印象を残す演出はさすが。
満足度★★★★★
鶴屋南北の作品における「お岩さん」の怪談話はエピソードのひとつであり、
実は当時の社会の縮図のような、濃密な世界を描いた作品であることがよくわかる。
登場人物の個性が、それぞれの出自と生育環境の違いもあって鮮やかに描き分けられ
その結果としての悲劇が際立つ。
原作に忠実な現代語の台詞が的確で、普遍的な人の心情がストレートに響く。
6時間の長尺にも拘わらず、アフタートークに残った人数が満足感を示している。
いつもながらこれほど面白く、内容の濃いアフタートークを、私はほかに知らない。
江戸の歌舞伎の時代性と勢いを、新しい装いで蘇えらせてくれてありがとう!
ネタバレBOX
おなじみ客席に向かって傾斜した舞台は、汚しの入ったような定式幕柄の床。
もしかして役者さんは歩きにくいかもしれないが、
この傾斜は本当にどこからも見やすく、奥行や距離感が解って好きだ。
第一幕
浅草寺境内で“ことの発端”がいくつか描かれる。
伊右衛門は妻のお岩と復縁したいのだが、義父の左門は彼の素行の悪さを理由に拒む。
お岩の妹お袖は、許婚の与茂七が主君の仇討ちの為、今は離れている。
そのお袖に横恋慕する直助は、お袖と再会した与茂七の後をつけて殺害、
伊右衛門も、激しく叱責されて左門を切り殺してしまう。
お岩は父左門を、お袖は与茂七の亡骸を発見して悲嘆にくれるが
犯人の二人はそれぞれ「敵を討ってやる」と持ち掛け夫婦として暮らすことになる。
第二幕
仇討ちを口実に復縁した伊右衛門とお岩、生活は困窮しお岩は産後の肥立も良くない。
二人に仕える小平は伊右衛門の家に伝わる秘薬を盗んで伊右衛門に惨殺される。
裕福な伊藤家からは度々見舞いの品などが届けられ、今日は薬がお岩に届けられた。
が、その薬を飲んだお岩は突然苦しみ始める。
一方伊藤家でもてなしを受ける伊右衛門は、大金を積まれて
「孫娘の梅と結婚してほしい」と乞われるが、一度は妻があるからと断る。
しかし、お岩に毒を盛ったこと、顔が変わるであろうことを聞いて決心する。
お岩は失意のうちに命を落とし、伊右衛門は梅を妻とする。
ある日、伊右衛門が釣りをしていると戸板が流れつき、そこには
お岩と小平が打ち付けられていた。
第三幕
与茂七の仇討ちの為、直助と仮の夫婦になっているお袖は、
ある日家にやって来た按摩からお岩の死を聞かされる。
その夜お袖を訪ねて来た与茂七を見て、殺したはずなのにと、直助は驚愕する。
与茂七を亡き者にしたい直助と、仇討ちを知る直助の口を封じたい与茂七。
お袖は二人別々に策を持ちかけ、二人は隠れているのがお袖とは知らずに襲撃する。
お袖は二人に詫びながら死ぬ。
伊右衛門に惨殺された小平は、かつて仕えた又之丞が病のため歩けないのを
何とか救いたい一心で伊右衛門の家から高価な薬を盗んだのだった。
その薬を飲んだ又之丞はたちまち歩けるようになる。
七夕の夜伊右衛門は美しい女と出会い、恋に落ちる。
身を隠していた庵でその夢から覚めた伊右衛門は、ついに与茂七の手にかかる…。
スピーディーな場面転換、ヘリの轟音でいや増す不穏な空気、観ている私も
ロックとラップのテンポに巻き込まれながら登場人物と共に奈落の底へと転げ落ちる。
忠臣蔵をバックに、凋落した一族と栄華を誇る一族の対比も鮮やかな人間模様。
現代の比ではない格差社会の、やり場のない鬱積したエネルギーが
負の方向へと向かっていく様がとてもリアル。
登場人物はみんな少しズルくて少し依存して、でも優しいところもある。
お岩(黒岩三佳)お袖(土居志央梨)の姉妹がたおやかで声も良く品がある。
武家の娘である故の“仇討ち”に縛られる人生の哀しみが伝わって来る。
按摩(夏目慎也)の、土壇場でお岩に対する態度の豹変ぶりがリアルで説得力あり。
エネルギーがほとばしるような本音の台詞が迫力満点。
第一幕で一瞬登場する按摩の妻を演じた小沢道成さんの
「どこの女優さんか?」と思うなめらかな女っぷりに目を見張った。
難病の浪士役にも色気があって、実に魅力的。
出世のために愛する女を裏切り、結局すべてを失ってひとりになった男。
「お前は何がしたかったんだ?」という問いかけが本当に虚しく響く。
アフタートークでも語られたが、原作の台詞を忠実に現代語訳する
卓越したセンスがこの作品のキモだろう。
古典の持つ品格と下世話な猥雑さと、庶民の行き場の無いエネルギーの放出。
それらを今に再現する木ノ下歌舞伎の底力を見た思いがする。
杉原氏はキノカブを卒業とのことだが、また次の作品を見るのを楽しみにしている。
何たって最強タッグにちがいないのだから。
半日コース、楽しかった、ありがとうございました!
満足度★★★★
「死なない男は棺桶で二度寝する」を鑑賞。
若干既視感なくもないが、キレの良いブラックなギャグと
シリアスなストーリーの対照が鮮やかなのはさすが吹原作品。
前半のおふざけタイムに、誰があのラストの涙を想像できただろうか。
「死なない男」は世界一孤独な、そして世界一愛された男だった。
ネタバレBOX
開演前の全力投球も素晴らしく、
(ほんと、全力の人を見るとどうして笑っちゃうんだろ?)
「いいトシをして定職にも就かず…」という私の一番好きな格言(?)を聴くと
ああ、またポップンの舞台を観に来たんだなあと心の底から幸せな気持ちになる。
前半のユルさは、すべて後のシリアスな展開のためにあると言ってよいだろう。
なんたって時事ネタの中に痛烈な批判精神を練り込んだ末に
アメリカ大統領が日本の風呂屋で死んでしまうのだ。
本題は、いい加減な日本の首相の友人でもあった一人の男、
はるか昔に人魚を食らって不死の身体になった男(吉田翔吾)である。
この男と結婚した信子(小岩崎小恵)が、夫の過去に疑問を持ったことから
私たちは共に彼の過去を紐解くことになる。
吉田翔吾さんの、浮世離れしたピュアな浮遊感が素晴らしい。
ソフトな優しいキャラが、激しい憎しみを見せ、誰とも共有できない孤独を漂わせる。
ポップンは全員が主役を張れるところがすごいと思うが、
同時に全員を主役にしようとして作品を書く脚本家の愛情を感じる。
NPO法人さんと井上ほたてひもさんの“バスタオル”や“相撲”の掛け合いなど観ると
その演じていないような、素でやっているだけにも見える天然のボケぶりが
本当に素晴らしく、リピートしても全く飽きない。
相変わらず横尾下下さんの凄みのあるキャラには説得力があって
ユルいムードから一瞬のうちに、観る者を暗がりへと突き落す威力を持つ。
異様な風体といい、精神病棟にいる不安定さといい、
「うちの犬はサイコロを振るのをやめた」の元兵士を彷彿とさせ
そこが素晴らしいと同時に既視感を抱かせる要因でもある。
ラスト、再びのピュアな展開に泣かされながら、
この硬軟両極の鮮やかなコントラストこそが、ポップンの底力であり、
魅力なのだと思い知る。
他劇団がやろうとしてやり切れずに、役者の微妙な苦笑いにシラケて終わる、
あの難しさを毎回やってのけるポップンに心から拍手!
満足度★★★★★
高度経済成長期の高揚感と、その波に乗れない人々の悲哀が“日々のことば”で語られる。
上手く転身できない、あるいはしようとしない人々の、焦燥感と苛立ちが痛いほど切ない。
集団就職の少年役、足立英さんの初々しさと瑞々しさに感嘆。
脚本がいいなあ。台詞がいいなあ。
歴史物の格調高いのも好きだが、普通の会話でこんなにボロ泣きしたのは久しぶりだ。
ネタバレBOX
舞台は昭和35年、東京オリンピックを前に、東京下町の小さな蚊帳工場が
一人の集団就職の少年を迎える。
下手にはガラガラッと外から入れば広がる三和土、奥には作業場がある。
上手は神棚が祭られた居間である。
会津から来た少年修三(足立英)は、ベテランの職人(林竜三)に仕事を仕込まれ
社長夫妻(西尾友樹、佐藤みゆき)の愛情に包まれて成長する。
だが高度成長期の日本はその生活様式までもが変化、蚊帳の需要は次第に減っていく…。
昭和30年代の推進力ともなった、時代の高揚感が伝わってくる。
劇中の台詞にもあったが、戦中戦後の物の無い時代の反動にも見える物欲と拝金主義。
それを享受する人がいる一方で、変化する社会について行けない人も多かったはずだ。
商品開発などという器用さを持たない職人気質と、
商売替えを考えるより、人としての義理を優先する社長の心情は、
時代へのささやかな抵抗にも見える。
その不器用で一途な社長の思いがほとばしるような西尾友樹さんの演技だった。
冒頭テンションの高さにちょっとびっくりしたが、それが彼の“照れ”の裏返しと判ると
妻役の佐藤みゆきさんとの相性も良く、バランスの良さは物語の要となる。
古いタイプと言われるのだろうが、いい夫婦だなと思う。
正しい選択ではないのかもしれない。
だが常にベストの選択をしたのだ、この夫婦は。
岡本篤さん演じる社長の弟の、軽妙だが繊細なキャラが素晴らしい。
頑固な兄の選択を受け容れて、自分が口減らしのために転職する。
ふと、岡本さんが社長、西尾さんが弟、という配役もあったかもしれないと思ったりしたが、
この弟の鷹揚さは、やはり岡本さんだろう。
ベテラン蚊帳職人役の林竜三さんが秀逸。
その佇まい、風呂敷包みを持って帰る仕草、潔さなどすべてが年季と実直さを表している。
兄弟の幼馴染で隣に住む実役の日比谷線さん、軽いだけの紙芝居屋かと思いきや
「引き際を誤るなよ」と忠告し、自身も不動産屋に就職する男がとても良かった。
時代を冷静に見て家族のために身を処するが、どこか一抹の寂しさをたたえている。
先代のときから蚊帳を仕入れてくれた寝具店の営業マンを演じた浅井伸治さん、
相変わらず隙の無いなりきりぶりが見事だった。
会社の方針との板挟みに悩みながらも、蚊帳工場に冷静なアドバイスをする、
その反面、面倒見が良く、修三の次の就職先を世話したりする人情派。
嫌な話をしに来た時の、緊張感が伝わって来るような姿勢や歩き方が素晴らしい。
集団就職で状況してきた少年から、夫婦の元で夜間高校、大学と進学する修三の
刻々と変化する様を演じた足立英さん、
瑞々しい少年期から、理想に燃えて学生運動に身を投じる青年期まで演じきった。
彼が72歳(確か…)でこういう最期を遂げるのかと思うと、誠に寂しい。
修三が一番輝いていたのは、蚊帳工場で過ごした10年間だったのだろう。
新しい職場へ移る修三に妻が、困ったときにはいつでもおいでとかけた言葉
「必ずあんたの味方になるから」という台詞にボロ泣きした。
ラスト、修三が大学に合格した日のシーン、
西尾さんの「合格です」という小さな台詞に、笑いながらボロ泣きした。
何度ボロ泣きしただろう、どれも市井の人々の日常のことばに。
「何かを成し遂げた」人も素晴らしいが
「何も成し遂げずに終わった」人も素晴らしい。
チョコレートケーキは、そのどちらにも光を当てることが出来る。
再びの「東京オリンピック」を前に、私たちはまた何かを喪うのだろうか。
そんなことを考えさせてくれる作品、ありがとうございました。