うさぎライターの観てきた!クチコミ一覧

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平田オリザ・演劇展vol.3

平田オリザ・演劇展vol.3

青年団

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/04/10 (水) ~ 2013/04/21 (日)公演終了

満足度★★★★

「走りながら眠れ」
演劇展3本目はアナキスト大杉栄と伊藤野枝の最期の数カ月を淡々と描いた作品。
静かな会話によってつづられる一見平凡な日常が
この直後に撲殺されるというあまりにも劇的な二人の運命を強烈に照らし出す。

ネタバレBOX

ファーブル昆虫記を翻訳したり、フランスへ行ってきたりと
まるでお洒落なインテリ夫婦のようだが
台詞にもあるように、栄は女に刺され、
野枝は三角どころか四角関係に勝利し、
二人は常に監視されながら生活している。
ウイットに富んだ会話から、それらの現実を
軽々と乗り越えて来たように見えるが
まさに“走りながら眠る”ような人生だったはず。

大杉栄を演じた古屋隆太さんは写真の栄に面影が似ていて
洗練された、尖ったアナキストにぴったりだと思う。
伊藤野枝役の能島瑞穂さん、お腹の大きい野枝の肝の座った感じが良い。
おおらかで、向上心にあふれ、好奇心旺盛。
冒頭、フランスから強制送還されて帰宅した栄を
お腹の大きい野枝が無言で迎えるシーン、
言葉はないが、その視線に“崖っぷちの同志”としての切なさがあった。
普通の暮らしが出来ない二人の、
寄り添わずにいられない絆を感じさせて秀逸。

まもなく起こる関東大震災を予言するかのような栄の台詞があったが
この後二人はそのどさくさの中、凶暴な力によって撲殺され
井戸に放り込まれるのである。

アナキストたちの思想を支える日常生活が意外にポジティブシンキングで、
それだけに壮絶な最期を遂げることが分かって観ている私たちには
非常に痛ましく、時代の失敗を恨めしく思わずにいられない。
今また、似たような匂いが立ち込めたりしなければ良いなと思う。
平田オリザ・演劇展vol.3

平田オリザ・演劇展vol.3

青年団

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/04/10 (水) ~ 2013/04/21 (日)公演終了

満足度★★★

「銀河鉄道の夜」
平田オリザ演劇展2本目は「銀河鉄道の夜」。
舞台正面いっぱいに映し出された銀河系宇宙の映像が美しい。
宮沢賢治の作品の中でも本当にたくさんの劇団が上演する「銀河」だが
ちょっとコンパクトにし過ぎたような物足りなさを感じた。

ジョバンニとカンパネルラは、駅に停車する度に
様々な乗客たちと乗り合わせ、その出会いから少なからぬ影響を受けていく。
銀河鉄道の旅は、“本当の幸い”を探すと同時に
“死を受け入れるプロセス”でもある。
多くの「銀河鉄道」の舞台が存在する状況にあって
“エピソードの選択”はひとつのポイントになると思う。
どのエピソードを入れ、どれを割愛するか。

この作品は最初から子供向けに書かれ、
今回は被災地でも上演されたというから
死に対してよりリアルな感情を持って迎えられたことだろう。
そういう中で“子どもにどこまで死を語るか”ということは
重要なテーマであり、簡単に答えが出るものではないが
作品としてもうちょっと列車の場面のボリュームが欲しい気がする。
そこがあっさりしていると、カンパネルラの死を聞かされた時があまりに寂しい。
別れの時間が短いのは、大人も子どももしのびないと思うのだ。

平田オリザ・演劇展vol.3

平田オリザ・演劇展vol.3

青年団

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/04/10 (水) ~ 2013/04/21 (日)公演終了

満足度★★★★

「この生は受け入れがたし」
東京と地方、夫と妻、それぞれの寄生と共生を考えさせるほろ苦い会話が可笑しい。
寄生虫というマニアックな研究対象ではあるが、そこには仕事と家庭のバランスに悩む一般市民の普遍的な生活が見える。
達者な青森弁が混じるのもまたリアル。

ネタバレBOX

例によって開演前から、舞台上のソファにはひとりの女性が座っている。
所在なさげにお茶を飲んだり本を手にしたりしているこの女性に
時折「お待たせしちゃってすいません、あと少しで終わりますから」
みたいなことを言いながら職員らしき人が忙しそうに通り過ぎる。


夫が、東京からここ東北の大学の研究室へと転勤したのに伴い
妻は仕事を辞めてついてきたのだが、地方の生活になじめずにいる。
夫の職場へ通って、同僚から寄生虫の講義を受けるという
ちょっと不思議な状況である。


まずこの職場のスタッフがみな、世間一般から少し外れるほど
寄生虫に入れ込んでいることが可笑しい。
(よく聞くことだが、自分の腹で寄生虫を飼ったりしている)
たぶん仕事に愛着を持って臨む人はみな多かれ少なかれ
こんな風に“変人”呼ばわりされるものだという気がする。
仕事の専門性とはどこかマニアックなものだ。


夫は嬉々としてこの職場で働いているが
妻は近所の付き合いにも辟易して、団地にいたくないのもここへ通う理由の一つだ。
冒頭の所在なさげな妻の様子が、落ち着かない
居場所を失くした不安な状況を端的に表わしていることに気づく。


夫(山内健司)が寄生虫の習性を説明しながら
不器用に妻への愛情を見せるところがよかった。
思わず、別居しないで妻が歩み寄れたらいいなと思ったりした。


東京と地方の“寄生と共生”を考えさせるという点では
なめらかな青森弁が功を奏していて、時に聞きとれないほど上手い。
机の足元に“青森りんご”と書かれた段ボールが置かれているのもリアル。
寄生虫愛好家の集団という特異な職場が意外と楽しそうで
周囲の理解を得るのは大変だけど、研究職っていいなと思わせる。


資料提供等で協力している目黒寄生虫館は隠れたデートコースとして人気らしいが
受付で寄生虫グッズ(寄生虫クリアファイルとか)を売っていたのには笑ってしまった。
隣人予報

隣人予報

企画集団マッチポイント

ザムザ阿佐谷(東京都)

2013/04/04 (木) ~ 2013/04/07 (日)公演終了

満足度★★★★

時代を映す脚本
独居老人に対してやけに親切な隣りのアパートのカップル。
老人の財産目当てに近づいているのか、それともただの善人なのか…。
昨今の世相を反映しながら、その台詞は普遍的な家族の心情を突いている。
謎は謎のまま…というのがちょっと怖くていいと思った。
バジリコFバジオの佐々木さんの脚本、シリアスとコメディのバランスがとても良い。
最後やっぱり泣いちゃうし。

ネタバレBOX

舞台は貸し切りにしたレストランの店内。
孤独な老人のために隣りのアパートに住むカップルが誕生日パーティーを開催、
カップルから連絡を受けて、母の死後疎遠だった息子・娘たちがやって来る。
それぞれトラブルを抱えた兄弟たちは、“騙されている”父を救うため
この謎のカップルを調べようとあれこれ手を打つが
情報と想像の相互作用で混乱が大きくなって行く…。

事業に失敗し、借金を抱えて不仲な父親を頼りたい長男。
長女は探偵の夫の浮気が原因で別居中。
次女は結婚したい男を連れて来たのだが、言い出すチャンスがなかなかつかめない。
兄弟たちの叔母は、テレビの見過ぎみたいなサスペンスマニアで
飛躍し過ぎる推理と妙な行動力で事態をますます混乱させる。

物語の根底に“親子とは面倒な関係である”という前提があって
それがリアリティを生んでいる。
本来実の親子で築きたい関係が、意地やうっとうしさからうまく築けない。
だから親切な隣人にそれを求め、隣人もそれに応えた。
だがそこには、“代替の人間関係で人は幸せになれるか”という問いかけがある。
とりあえず面倒くさい人間関係は全て切り捨ててきたその結果、
職場の同僚も隣近所もあまり良く知らない人たちばかりという
人間関係の希薄な社会に私たちは生活している。
信じるべき人間関係とは、常に面倒くさくうっとうしいものであり
それを乗り越えるプロセスこそが人間関係なのだということを改めて思い出させる。

謎のカップルを演じた、小野智敬さんと野村佑香さんがとても良かった。
宗教に裏打ちされた行為特有の迷いの無さが潔い。
この“全く空気を読まない”我が道を行く言動が
不気味な感じを漂わせて秀逸。

結局この二人が罪を犯しているのか、ただの過剰な親切なのか
最後まで謎なのも、現代の不安をよく表わしていると思う。

亡くなった母の幽霊が出て来たり、
霊感の強い鵺子がその母の言葉を皆に伝えるイタコ的役回りをするのが面白かった。
鵺子役の前東美菜子さん、イタコ通訳にだんだん自分の感情が加わるあたり
思わず共感して笑ってしまった。

サスペンスおばさんを演じた岡まゆみさん、
「彼らは宇宙人なのよ!」みたいなぶっ飛び台詞を超マジ顔で言って
客席からどっと笑いが起こるのは、素晴らしく振り切れているから。

赤の他人をも頼りたくなる老人の心細さを口にする割には
ちょっと老人の声が力強過ぎ(?)、息子と怒鳴り合う所は迫力満点。
当分ひとりで大丈夫だよ、と思ってしまった(笑)
泣き方を忘れた老人は博物館でミルとフィーユの夢をみる(爆撃の音を聞きながら)

泣き方を忘れた老人は博物館でミルとフィーユの夢をみる(爆撃の音を聞きながら)

おぼんろ

東京芸術劇場アトリエイースト(東京都)

2013/04/06 (土) ~ 2013/04/07 (日)公演終了

満足度★★★★

嵐を呼ぶ異空間
殺風景な長方形のアトリエを未来の博物館に仕立てて、“昔々のおぼんろ”を再現する…。
空間演出の上手さと客を引っ張る巻き込み型は今回も健在。
そして何と繊細な物語だろう。
高橋倫平さんが階段を駆け登るシーンの泣きたくなるような切なさ、これが彼の、おぼんろの表現力だと思う。
いつも衣装のセンスに感心するけど、今度もえらく可愛いのだ。
フィーユの衣装など、どこかの少年合唱団みたいで少年の純な心を映すよう。
末原拓馬さんが「目を閉じて5秒後に目を開けてください」と言ったら
そのとおりにしよう。
おぼんろの演出に100%乗っかること。
そうすれば、アトリエイーストは異空間に変わる…。

ネタバレBOX

会場入り口では過去の公演の映像をビデオで流している。
博物館では、舞台衣装やアクセサリー、役者のプロフィールなどが紹介されている。
「ゴベリンドンの沼」の舞台の熱が蘇るような気がした。

こういう空間で、ゴベリンドンのリーディング公演なんかやったらどうかしら?
確かにアクションや身体表現の魅力満載の舞台だけど
もともとの脚本に力があるのだから、思い切ってコンパクトにして
役者があの衣装でリーディングするだけでも十分物語は伝わるはず。

コアなファンだけでなく、「ゴベリンドンの沼」初演を見損ねた人を
来るべき再演にいざなう呼び水になるような企画があっても良いと思う。
あの魅力的な台詞と声がまだ耳に残っているし、
雰囲気の良い空間だったのでそんなことも想像した。

拓馬さん、終演後客が外へ出てしまってから
「あっ、お金!!!」と叫んであわてて帽子を持ってロビーで投げ銭を集めて回るという
主宰らしからぬうっかりぶり、明日はしっかり集金した方が良いと思います。
老婆の心、老婆心(笑)
シュワロヴィッツの魔法使い

シュワロヴィッツの魔法使い

メガバックスコレクション

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2013/03/29 (金) ~ 2013/04/07 (日)公演終了

満足度★★★★

キーワードは「希望」
大人のファンタジーだけどそこはメガバックス、
「そうだったのか!」という予想外の展開は今回も健在。
魔法使いのキャラクターが素晴らしく魅力的で
どこか映画のような雰囲気を漂わせる舞台だった。
それにしてもこの魔法使い、泣かせるじゃないの。

ネタバレBOX

横長のアルシェの舞台はいつもよりシンプルな感じ。
上手どんつきに小屋のような建物があって、中からやわらかい灯りがもれている。
小屋の入口前には素朴な木のテーブル、
舞台中央には蔦のはう壁がある。
ちょっと「ハリーポッター」のような雰囲気のBGMがドラマチック。

明転すると中央に立つ黒い服の男が語り始める…。
魔法使いには何でも出来る魔法使いもいれば、
たったひとつしか魔法を使えない者もいる。
ある魔法使いは、たったひとつ、たった1回しか魔法を使うことが出来ない。
そしてそれを260年使えずにいた。
いつどこで誰のために使えば良いのか、魔法使いは長く苦悩していた。
昔から人間と魔法使いは一緒に生活していたのに
ある日、禍をもたらしたのは魔法使いのせいだと言われ、彼は囚われの身となる。
教会の地下室に閉じ込められて9年目の物語が始まる…。

“万能でない魔法使い”という設定が人に近しく、親近感をいだかせる。
船が難破してこの島に流れ着いた3人の男たちと一緒に
観ている私たちも謎めいた島に分け入って行く気分。
島民の不思議な行動、
「俺をここから出してくれたらもっと秘密を教えてやる」と囁く魔法使い、
メガバックスらしく、終盤でそれまでの認識をひっくり返す展開が鮮やかだ。

魔法使いのウィズを演じた星祐樹さん、冒頭から素晴らしい声に魅了された。
声優としての鍛え方なのだろうか、説明的になりがちなところを
その力強く自在な声でファンタジーの世界へ一気に惹き込む。
語り部として、また人心を操るような魔法使いとしてとても魅力的だった。

流れ着いた男ロイ役の新行内啓太さん、思慮深く聡明ながら
船に乗る男らしさも漂わせてちょっと新鮮な印象を受けた。

トト役の下田修平さん、まるで素のような(すみません)
チャラいけれど純粋なところもある男を生き生きと演じて上手い。

気になったのは魔法使いが幽閉されている鉄格子がぐらぐらしてたこと。
なんだかあれではすぐに脱出できそうで、
「俺をここから出せ」と迫る説得力に欠けると思う。

終盤舞台を3つのブロックに分けて、同時進行で悩む人々を描くところ
ちょっとテンポが落ちて緊張が途切れた印象を受けた。
もう少し選択を迫られる切羽詰まった感じがあった方が
その後のどんでん返しになだれ込む勢いがつくような気がする。

衣装や小物(飲み物のカップなど)が素敵でおとぎ話感満載。
メガバックスの“外注無し”の総手作り舞台が心地よい。
当日パンフにも書いてある通り「希望」をテーマにしているというこの作品、
魔法使いの深い悩みと、最後に出したその答えに
ひとすじの希望が差し込むような舞台だった。
『熱狂』『あの記憶の記録』ご来場ありがとうございました!次回は9月!

『熱狂』『あの記憶の記録』ご来場ありがとうございました!次回は9月!

劇団チョコレートケーキ

サンモールスタジオ(東京都)

2013/03/23 (土) ~ 2013/03/31 (日)公演終了

満足度★★★★

【熱狂】男子の好きな制服の果て
初演を見逃していたのでぜひ観たかった。
現代日本とどこか通じる第一次大戦後のドイツ経済の疲弊。
不満と期待の化学反応による爆発的な大衆のエネルギーを味方につけて
ヒトラーは独裁への階段を駆け上った。
あの「熱狂」がなぜどうやって生まれたのかを
単なる時代のせいではなく“人間の仕業”として描き出している。

ネタバレBOX

長方形の劇場の三辺が客席になっている。
残った長辺の壁を背にして少し高いところに
フューラー(党指導者)の座が設けられている。

冒頭ひとりの男が登場して、これからヒトラーの裁判が始まることを告げる。
そして客席の間の通路に被告人席が照らし出され、ヒトラーが浮び上る。
「私が有罪だというならそれは受け容れる。
だが、私を支持すると言った政府が罰せられないのはなぜか。
私が有罪なら、彼らも又有罪のはずである」

1924年、ミュンヘンでナチスが武装蜂起したミュンヘン一揆の裁判である。
被告人が滔々と演説して傍聴席も裁判官も聴き入ってしまうという
ヒトラーの悪魔的なまでに巧みな、人心掌握の手段がここで披露される。
ヒトラーは禁固刑を受けるが10カ月ほどで釈放、すぐにナチスを再結成して
ナチスはここから誰も止められないほどに拡大して行く…。

冒頭登場した男はビルクナーといって、ヒトラーの身の回りの雑用係である。
純朴・正直を買われて採用された、いわば独裁者の近くに置いても安全な男だ。
舞台は、単純にヒトラーを信奉する雑用係としてのビルクナーが
もうひとつの役割である“狂言回し”として、
時代や側近たちの裏を解説しながらすすんでいく。
このビルクナーの解説のおかげで、舞台はとても解りやすくなった。
演じる浅井伸治さんが“鈍と鋭”を鮮やかに切り替えてメリハリがあり
3か所の出ハケでスピーディーに展開する舞台について行くのを助けてくれる。

側近たちのキャラクターが人間味あふれていることも魅力的だ。
総勢9人の男たちのうち、2人か3人が部屋に残ると
たちまち密談が交わされるような危うい結束の一面も描かれる。

シュトラッサーを演じた佐瀬弘幸さん、自分は裏切り者ではないと訴える場面、
聞き入れられなかった口惜しさが全身からほとばしるようで素晴らしかった。

9人の中でヒトラー(西尾友樹)は、あまりひとりにならない。
アフタートークで語られたように、ヒトラーのビデオを観まくって
身ぶり手ぶりを研究したという演説の場面などは素晴らしく迫力がある。
いわば“男子の好きな政治という名の部活”に夢中になる男たちの
集団の勢いやテンションはよく表現されているが
その一方にはヒトラー個人の迷いや弱さがあったはずで
もっとその対比があったら、あのテンションの高さがさらに活かされたように思う。
6~7割を占める、互いに顔を近づけて怒鳴り合う場面と、説得力ある演説のほかに
独裁者にならなければ存在理由を見いだせなくなって行く男の孤独を
覗き見ることができたら、と思う。
せっかくビルクナーという雑用係がいるのだから
”家政婦は見た”的に無防備なヒトラーを見たかったかな。

ひとつ、ソファの位置はあそこがベストだろうか?
もう少し客席と距離を取ることは難しいのかな、と思った。

アフタートークには、脚本の古川氏と演出の日澤氏、
それにやはりヒトラーを扱った作品「わが友ヒットラー」を来週上演する
Ort.ddの演出家倉迫氏が登場したが
“閉塞感から極端な思想に走りたくなる”状況が
今の日本と似ていて怖いという話に思わずうなずくものがあった。
倉迫氏の言う、究極の“ごっこ遊び”の果てに、
歴史は永遠の代償を払うことになった。
今日の幼い日本の民主主義と外交を思うと
今、この世紀の悪人を様々な方向から描くことの意義を改めて痛感する。
来訪者(作・演出:中津留章仁)

来訪者(作・演出:中津留章仁)

TRASHMASTERS

座・高円寺1(東京都)

2013/03/14 (木) ~ 2013/03/20 (水)公演終了

満足度★★★★★

想像力
正直、いつまでも“最初に構成ありき”のようなスタイルはどうなのかなと
ちらっと思い始めていたのだ。
そんな浅い考えを根こそぎブン投げる力強さと説得力があった。
構成、台詞、役者、すべてが熱いメッセージを持っている。
強力なスタイルには理由がある。

ネタバレBOX

北京の日本大使館を舞台に、
尖閣諸島をめぐってトラブルの絶えない日中両国と、
竹島問題を持ち出すタイミングを計りたい韓国が
それぞれの思惑を抱いて情報戦を繰り広げている。
危機感の薄い大使や
紛争地帯での経験豊富な海千山千の外交官、韓国の外交官・中国共産党員らは
駆け引きに明け暮れる。

経済格差の広がる中国底辺層の不満は、今や日本だけでなく中国政府にも及び、
ついに漁民に混じって武器を持った者が船に乗り込み
尖閣諸島へ向かったという情報が入る。
彼らの目的は負傷者を出し“戦争を起こすこと”だ。

大使の細貝(山崎直樹)が、確たる証拠がないと日本政府への通報をためらう中
彼の妻が中国側に人質に取られてしまう。
日本政府が「取引には応じない」と突っぱねたことから
細貝は妻を助ける道を断たれ、絶望のあまり拳銃自殺する。
襲撃される日本大使館。
混乱の中、中国人家政婦をかばって外交官岸(龍坐)が撃たれて負傷する。

“国家の問題”が“個人の感情”に左右される事実がリアル。
危機感の薄い大使は、妻が人質に取られて初めて強大な負の感情に気付く。
絶望して「国を裏切るために必要なものは何か」と問う細貝に、岸が答える。
「それは想像力です」と。
外交官にも政治家にも「想像力」は必須なのだが
実は「想像力」など無い方が政治は動かしやすいし、
そんなもの持っていない政治家が仕事をしているという事実を突き付ける台詞だ。
そして、日中戦争が勃発する。

期待に違わず大使館内部のセットが見事。
この環境に日々身を置く人々が次第に想像力を失って
“多少の犠牲はつきものだ”的な考えになって行くのが解る気がする。
緻密なセットは、“環境が人間の思考回路を作る”事を視覚的に教えてくれる。

その後の状況は、ナレーションと共に雨のような文字情報でスクリーンに流れ
第二部は一転、休戦状態に入った尖閣諸島ののどかな風景に変わる。

国を追われ、あるいは居場所を失ったかつての外交官たちがここで暮らしている。
日本と中国が、それぞれ領有権を主張するために
ここに人を住まわせているのだ。
一見のどかだが、実は一触即発の危険を孕んだ島の現実。
そしてここでも国家の行方を左右するのは個人の感情だった…。

「あなたが僕を嫌いになるから、僕もあなたを嫌いになる」
中国人を蔑む島の漁師に対して、島に住む中国人陳(阿部薫)が叫ぶ台詞だ。
(阿部さんの中国語、大変努力されたと思う)
島では中国人の元家政婦姜(林田麻里)が通訳をする。
この時差がまた、日中関係のもどかしさと面倒くささを体現している。
全編通して韓国人、中国人の日本語がそれらしく、この台詞量をよくこなしたと思う。

大使役と漁師役(異母兄弟という設定に笑ってしまった)の
二役を演じた山崎直樹さん、どちらもいいけどやはり漁師が素晴らしい(笑)
中国人と仲直りする武骨だけど人の気持ちがわかる漁師が上手い。

紛争地を渡り歩いて人脈もあるが、時に単独行動で突っ走る
外交官岸を演じた龍坐さん、この印象的な風貌で全く違った顔を見せるから
やはり二部構成は面白いと思う。
人間の多面性を誇張するにはうってつけの構成だ。

多面性という点では浜島(吹上タツヒロ)と乃波(川崎初夏)コンビも
振れ幅大きくて魅力的だった。
第一部では理路整然と持論を述べる外交官の二人が
結婚して島で暮らすうちに不仲になり、乃波が中国人陳と不倫…。
ダメダメ夫と、女としての素朴な感情が露わになるあたり、とてもよかった。 

中津留氏は、今リアルタイムで時事問題を芝居にできる数少ない劇作家のひとりだろう。
現実を解説するなら“そうだったのか、池上彰”で十分だ。
だがそれを動かす個人の感情を国家に対比させて「侮るなかれ」と警告する
この危機感のあぶり出し方は、やはり演劇ならではだと思う。

ラスト、日中はまた戦争になるかもしれないという暗澹とした中で
岸と姜が結婚を誓うという終わり方にひとすじの希望が残された。
国家は人を幸せになどしてくれないが、
幸せになる方法はほかにあると、私も思いたい。
ひとりごとターミナル

ひとりごとターミナル

劇団フルタ丸

キッド・アイラック・アート・ホール(東京都)

2013/02/02 (土) ~ 2013/03/16 (土)公演終了

満足度★★★★★

ひとりごとは本音のコミュニケーション
コミュニケーション下手な6人の人生が絶妙に交差するターミナルを舞台に
人生をギュッと絞ったような台詞を言わせる。
こういう濃くて短いやつ、大好きだ。

ネタバレBOX

深夜のバスターミナルに居合わせた見ず知らずの5人。
それぞれ事情を抱えて、これからバスに乗り込もうとしている。
が、実は彼らの人生は微妙に交差していたのだった。

恋人を年上OLに盗られた女。
年下の男の子どもをひとりで産もうとしている妊婦。
事故を起こして以来バスに乗れなくなったバスの運転手。
バスの事故で姉を喪ってから医師を目指して医大へ進み、年上OLに転んだ男。
医大を5浪の末、合格したにもかかわらず医師ではなくマッサージ師になった男。
大学卒業後、履歴を詐称しながらバイトを転々として来た男。

このうち医大生を除く5人がバスターミナルで出合う。
舞台では、彼らの“事情”が再現されるが、
みんな相手が立ち去ってひとりになってから真実を語り始める。
つまり相手に直接伝えない、ひとりごとは唯一の本音なのだ。
その本音に対してこれまた本音のひとりごとで返す、
これは究極のコミュニケーションと言えるだろう。

相手と目を合わせず、明後日の方向を向いてしゃべるのは
劇中語られるように「責任が半分になる」ような“逃げ”のスタンスでありながら
明らかに“余計なお世話”的に他人と関わりを持とうとしている。
この”逃げながら積極的に関わる“姿勢が、とてもリアルに感じられる。

本編終了後に、“エピソード0”的な「おまけの公演」として、
一人芝居で事の発端を語るというのがあった。
これが、よくある“蛇足”ではなくて、本当に良かった。
一人ひとりの役者さんの力量がモロに出る緊張感あふれるひとり芝居だった。
5浪男を演じた清水洋介さん、毎年合格発表を見に行く男の変化がとても面白かった。
篠原友紀さん、年下男を合コンでゲットする様が活き活きして超リアル。
宮内勇輝さん、事故を起こした運転手の振れ幅の大きい演技が面白かった、熱演。

時代を切り取ったような設定の妙と、台詞の面白さが際立つ舞台だった。
照明による時間の切り替えもスピーディーで良かったと思う。
フルタジュンさん、これからもこのタイプ観せてください!
シロツメの咲く後に

シロツメの咲く後に

夏色プリズム

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2013/03/14 (木) ~ 2013/03/17 (日)公演終了

満足度★★★★

プリズム
マトリョーシカのような展開に頭の切り替えが追いつかないほど翻弄される。
後半少し丁寧過ぎてテンポが落ちた気もするが
劇場を活かした演出と役者さんの説得力ある演技が良かった。

ネタバレBOX

イマイチ生活感のないリビングを舞台に繰り広げられる
「そして誰もいなくなった」的な事件。
サスペンスミステリーだから詳細は避けるが
ほんとにうまくだまされてしまった。

千秋役の加藤玲子さん、ひとりの人間のいろんな側面をその都度的確に表現する。
ずるさとか、勇気とか、その多様性がまさにプリズムのようで面白かった。
白石役の關根史明さん、善い人なんだか悪い人なんだかわからない感じがすごい。

客入れの時のBGMも含めて選曲のセンスが良かったと思う。
千秋がなぜ新井をかばって立ちはだかったのか、その理由が知りたかった。
ちょっと特別な理由が無ければできない行動だと思うから。
もうひとつ、佐藤が長谷部に対して「自分も理解できる」と言った理由も知りたい。
何か個人的な体験がありそうに思えた。
もしかしたらちゃんと示されていたのに私が見落としたのかもしれないけど。
秘を以て成立とす

秘を以て成立とす

KAKUTA

シアタートラム(東京都)

2013/03/01 (金) ~ 2013/03/10 (日)公演終了

満足度★★★★★

「涙を以て…」
ドラマチックな設定で描かれる「秘すべきこと」をめぐる人々の優しさ。
でもそれは辛くて哀しい優しさだ。
役者陣の充実と緩急の効いた演出、説得力ある台詞が素晴らしい。
最後は「涙を以て成立とす」であった。

ネタバレBOX

舞台いっぱいに二つの部屋が作られている。
下手は守田クリニックの待合室、上手は守田家の二階建住居スペースと庭。
院長の晋太郎(吉見一豊)、妻の津弥子(藤本喜久子)、看護師の孝枝(原扶貴子)の他
同居する晋太郎の弟庸一(佐賀野雅和)のほかさらに奇妙な男たちが存在している。
足の悪い凶暴な大工ハリオ(清水宏)と、テキパキ仕事をこなす医師赤城(成清正紀)だ。
時々小学生の少女(ヨウラマキ)が庭先に現われて晋太郎と会話したりもする。

これは私の好きな精神疾患もの、それも「多重人格」を扱った作品である。
“小学生の時に事故で姉を死なせた、助けられなかった”ことで自分を許せない晋太郎。
一時現われなくなった人格は、妻とのすれ違いをきっかけに再び現われるようになる。

この「多重人格」が医学的に正確かどうかとか、ドラマチック過ぎる病気だとか、
ツッコミどころはあるだろうが、そういうことがどうでもよくなってしまうのは
深く病んでいる晋太郎とそれを見守る人々の心情が超リアルに描かれているからだ。
終盤「お姉ちゃん、ごめんなさい!」と泣きじゃくりながら叫ぶ晋太郎、
「こんな病気の自分はもう駄目だから離婚してくれ」と妻に泣きながら訴える晋太郎の、
客席まで満たすものすごい緊張感。
自分を否定しながら生きて来た苦悩が伝わって来て涙が止まらなかった。
誰も助けてくれないから別の人格を作り出すしかなかった、
そうしなければ生きることができなかったというのは何と孤独な人生だろう。

この舞台のもうひとつのテーマは、
「怖くて聞けないことこそ、聞かなければならないこと」だと思う。
晋太郎がどこまで多重人格を自覚しているかを確かめることができない津弥子も、
お腹の子の父親に妊娠を告げられない有名ブロガー(高山奈央子)も
みな何かを怖れて聞くことができずにいる。
まさに「秘を以て成立」するあやうい人間関係を、壊れ物のように扱っている。

ラスト、晋太郎はトラウマから脱却しようとするかのように
「やっぱり走ろうかな」と言ってマラソン大会に戻る。
姉が死んだあの日もマラソン大会だったのだ。
津弥子に「一緒にそこまで走らないか」と声をかけ、二人は走り出す。

多重人格それぞれをはじめ、隙の無い役者陣が明確なキャラを活き活きと演じていて素晴らしい。
銀子役の桑原裕子さん、ちょっと頭の足りない銀子を演じて大いに笑わせたが
素直な台詞に力があって説得力抜群。
超シリアスな話なのに、ところどころで抜けた笑いを誘う、この緩急が本当に効いていると思う。

晋太郎の過去と現在を照明によって切り替える演出、
それぞれの人格が暴れたり活躍したりした同じ場面を
今度は晋太郎一人が演じて事実を再現する演出などが上手いと思った。

「秘を以て成立」とする関係は危ういし苦しい。
晋太郎も津弥子も「開を以て成立」させることで一歩踏み出した。
相変わらず人格は現われるが、二人には彼らと共存していく覚悟ができたように見えた。
~メタモルリバース~

~メタモルリバース~

おぼんろ

新宿眼科画廊(東京都)

2013/03/01 (金) ~ 2013/03/06 (水)公演終了

満足度★★★★

アーティストを触発する写真
今回のキーワードは「砂」。
すべては写真から発生している。
シンプルなのに、なんと美しく雄弁な写真だろう。
視線をそこに置くだけで音や言葉が溢れて来るような、
例えばその1枚の写真に、私たちは“自分だけのタイトル”をつけてみたくなる。
アーティストを触発せずにはおかない写真だ。

おぼんろは写真から言葉を紡ぎ出し、音を発生させ、身体をのせた。
説明など要らない、意味は観る者一人ひとりが見いだすだろう。
インスピレーションがかたちになるってこういうことかと思う。

でも座るのはやっぱり椅子がいいな。
体育座りはこたえるのよ。

ネタバレBOX

相変わらずおぼんろのメンバーは本番前だというのにリラックスして見える。
にこやかに来客に話しかけ、荷物を預かり、座布団を二枚重ねにとすすめる。
ぺたぺたと冷たい床を裸足で軽やかに歩きまわっている。
そしていよいよ始まると、一転素晴らしい集中力で世界を構築する。

客演の金崎敬江さんは全身白、
末原拓馬さん、高橋倫平さん、わかばやしめぐみさんの3人は全身黒の衣装。
これがみなとても素敵だ。
同じ黒でも素材が違うので質感が異なる。
個性が現れていて始まる前からそのいでたちに見とれてしまった。

次々とスクリーンに映し出される写真、
静かな、でもツーンと響く声で「からっぽ怪獣」が語られ、
時にはパフォーマンスの激しい動きで感情を表す。

砂の落ちる音がその声で表現される。
「さらさらさらさらさらさらさらさら・・・」
その声が後ろからも聴こえて来て、とめどなく砂は流れる。

自在な声やしなやかな身体の動きに鍛えられかたが正直に出て、
改めておぼんろのストイックな凄さを感じる。
倫平さん、身体能力とは運動的なものではなく
感情をのせるための表現手段をたくさん備えた身体、ということなんですね。

金崎さんとわかばやしさんの息の合ったパフォーマンス、
即興かもしれない勢いのある動きに惹き込まれた。

写真も役者も、孤独な豊かさをたたえている。
その二つをつなぐものがたりをつなぐ言葉、
末原拓馬さんはその言葉を吐きだすお蚕のような人だ。
細い糸を吐きだしてやわらかく二つを結びつける。
ヘンな表現?すいません。

ラスト、金崎さんとわかばやしさんの二人が手にしていた小さな灯り、
照明の効果もあったのかもしれないが
あのちょっとクラシックなはかない灯りがとてもドラマチックだった。

おぼんろならではのアートなひとときはとても上質な手触り。
からっぽ怪獣の寂しい砂音は私の中の何かがこぼれていく音だ。
「さらさらさらさらさらさらさらさら・・・」
focus#3 円

focus#3 円

箱庭円舞曲

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/02/28 (木) ~ 2013/03/11 (月)公演終了

満足度★★★

やはり本編あってのスピンオフ
Intro、track1~10、Interlude、Extra Trackの13章から成る小品は
登場人物や人間関係が細い糸で繋がりながら展開する。
”本公演を観ていなくてもお楽しみいただける”と言っているが
少ししか観ていない私には、その面白さが6~7割しかわからないような気がした。

ネタバレBOX

舞台を囲むように客席が3ブロックに分けて作られている。
舞台上手の高い位置に排水溝のような丸い横穴が開いており、
そこから滝のように大量のがらくたがあふれ落ちている様が印象的。
人形、ホース、ゲーム機、家電、etc.まるで人生の縮図のような生活の残骸。
床には丸い円がいくつか描かれている。

個人的には「Interlude」の、一人称で人生を語っていくのが面白かった。
リレー形式で複数の役者が語り継いで行く演出で
バトンを渡す時には二人が同じ台詞を同時に言うのだがタイミングも良く面白い。

「Track10」の死んで行く妻(片桐はづき)の苦しい声をバックに
葬儀の挨拶をする夫(玉置玲央)がリアルで胸に迫った。
「Extra Track 人生の終わり」の、火葬場のシリアスなシーンで
人間のこっけいさを見せるところ、古川さんはこういう場面が上手いと思う。

小玉久仁子さんが出て来るとキョーレツなインパクトにその場が持って行かれるが
ちょっと勿体ない使い方をしているような気がした。
小玉さんはエキセントリックな言動の裏にある深い心情を表現できるすごい人だと思うが
短い作品ではその“裏の心情”を見せるひまがない。
本編を観ていないと、そこが偏ってしまうのが残念。

私は箱庭円舞曲の作品を2つくらいしか観ていないので
スピンオフの面白さがわからなかったのかもしれない。
「スピンオフ」は、やはり本編あってのスピンオフであり、
箱庭をずっと観て来た人にはもっとその“番外編”っぷりが楽しいだろうな、と感じた。
国語の時間

国語の時間

風琴工房

座・高円寺1(東京都)

2013/02/22 (金) ~ 2013/02/28 (木)公演終了

満足度★★★★★

創り手の志を感じる
大日本帝国が、かつて朝鮮の人々に日本語を「国語」として強いたという事実、
それがどういうことなのかを、想像力の欠如した私たちにがつんと見せてくれる。
美しい舞台美術が忘れられない。
市井の人々の人生に寄り添うような、作家の共感と切なさが溢れる舞台だった。

ネタバレBOX

劇場に入ると舞台に浮かぶ円形のスペースに目を奪われる。
切り取られたように丸い教室はもちろん木の床、
小学生用の小さな机と椅子が20個ほど整然と並べられている。
舞台奥、正面には天井まで届くガラス窓があり
教師が舞台手前の教壇でエア黒板に板書すると、
その文字がガラス窓に映し出される。

京城(現ソウル)の小学校で、
日本語を国語として教えなければならなくなった朝鮮人教師たち、
朝鮮語を禁止され日本語で話すことを強要される人々、
日本語を巧みに操る者が生き残れる世の中になってしまった混乱と反発が描かれる。
創氏改名により全員日本名を持っているが、登場人物はみな朝鮮人である。

総督府の役人甲斐壮一郎(加藤虎ノ介)は朝鮮人の同化政策に非常に熱心だが
実は彼はパクガンヒという朝鮮人だった。
ハングルが読めないコンプレックス、子どもの頃の母親との確執と別離を抱えて
出自をひた隠しにしている。
死んだと思っていた母(峯岸のり子)がこの小学校で国語を学んでおり、
それは探している息子に手紙を書くためだと知る。

柳京子(中村ゆり)はこの小学校の朝鮮人教師。
同化政策に戸惑いながらも厳しい現実に直面するにつれて変わって行く。
母親の治療費を得るために校長の妾となり、過激なまでに国語教育に熱心になる。

丸尾仁(松田洋治)は“おわいや”をしながら必死に息子を育てている。
日本語を学ぶがあまり上達しない。
息子の哲(大政凛)の方は非常に優秀な小学生だが、
禁止されているハングルの落書きをして回るという密かな反日行動をしている。

加藤虎ノ介さん、抱えた秘密の大きさに比例するように
同化政策を推し進める役人が見事だった。
出自が明らかになってからは、それまでの態度が
恐怖を振り払うため、自己を肯定したいがためだったと解る。

中村ゆりさん、はかなげな美しい容姿が強靭な精神力を合わせ持つギャップを見せた。
日本人になろうとして、その日本が負けたことで
すべてをあきらめたようなラストシーンが辛いほど強烈。

松田洋治さん、オーバーアクト気味ながら実にリアルな日本語。
私は日本語学校で外国人(韓国の方も含む)に日本語を教えていたが
第二外国語が拙ければ拙いほど母国語のアクセントが強く出るものだ。
熱くなると追いつかない表現がもどかしくて、ボディーランゲージが大きくなる。
松田さん始め、皆朝鮮語のアクセントそのままの日本語がとても上手くて関心した。
作者の小里清さんも一時演劇から離れて日本語教師を志した。
そこで学ぶうち、ある教師の言葉が印象に残ったという。
「語学教育は他者を同化する危険性をはらんでいるから慎重にならなければならない」
という意味の言葉で、これが作品のひとつのきっかけともなったそうである。

ラスト、日本の敗戦が決まった後民衆が小学校を襲う場面の
怖ろしくも美しい演出が秀逸。
死を覚悟した柳京子が身じろぎもせずに座っている。
投げつけられた石でガラス窓の割れる音が、まだ聴こえるような気がする。
30代でこの作品を書いた作家に心から敬意を表したい。



せいれん

せいれん

EgofiLter

ギャラリーLE DECO(東京都)

2013/02/23 (土) ~ 2013/02/24 (日)公演終了

満足度★★★

人間の方が怖い
「日常に異世界を引き込む」というコンセプト、
「反劇場」というスタンスの実験公演、その趣旨は目的を達成していると思う。
セットもベランダから中を覗くような視点が珍しく、ドア等の工夫も面白い。
が、私の座った席が悪かったのか、ちょっと消化不良になった点もあった。
頻繁な暗転で流れがとぎれたような気もした。

ネタバレBOX

覆面作家横手清廉(大畑麻衣子)は手足が不自由で車いすの生活をしている。
彼女にはアシスタント間中もえ(年代果林)が付いていて、それなしには生活できない。
それなのに清廉は1月の雪の日にもえを団地のベランダに放置、凍死させてしまう。
それから、清廉の前に3年前に死んだはずの母が現れるようになる。
そして清廉は突然、部屋の中にいる時だけ歩けるようになる。

都市伝説“八尺様”と呼ばれる2メートル40センチの大女が
黒づくめのいでたちで日傘を差して歩いて来る。
あれは清廉の母、みなし児のところにやって来る。
二度会ったら死ぬよ…。

傾斜のない客席だから前の方へ行けば良かったのだが
椅子が低いので敬遠し前から3列目辺りに座ったのがいけなかった。
ベランダに放置されたもえが、そこにいるのかいないのか、最後まで見えなかった。
前の人の頭の隙間から、座卓の生活をしている清廉の顔がかろうじて見える程度。
さわが、「公衆電話ボックスに折れ曲がって入っている八尺様を見た」と語るところ
BGMで台詞がかき消された部分があった。

現実の嫉妬や妄想が都市伝説と結びついた恐怖はとても良いアイデアだと思う。
ただ八尺様が人を殺す理由がイマイチはっきり判らなくて
どこで怖がればいいのか私的にポイントが散漫になった。
八尺様が人を襲うシーンもあっさりしていて、死んじゃったのか倒れただけなのか解らなかった。
出版社の上司が殺されたのだけははっきり判ったけど。

清廉のもえに対する嫉妬と敗北感、それをもっと見せて欲しい気がした。
私には、ベランダで凍死しているもえに向かってガラス戸越しに話しかける
清廉のにこやかな顔の方がずっと怖かったな。
獣のための倫理学

獣のための倫理学

十七戦地

LIFT(東京都)

2013/02/19 (火) ~ 2013/03/03 (日)公演終了

満足度★★★★★

ロールプレイで成功
横溝正史の「八つ墓村」のモデルにもなった事件「津山三十人殺し」をモチーフにした作品。
良く練られた脚本と説得力のある演出で、少々出来過ぎな展開も納得させるからすごい。
「主食は花」みたいに繊細な雰囲気を醸し出す脚本・演出の柳井祥緒の
どこにこんなダイナミックな想像力が潜んでいるのだろう。
この作品、今回のような極小空間でも大きな舞台でも面白いと思う。
役者陣の緊張感がビリビリ伝わる隙のない演技で、最後は切なくも清々しい気持ちになった。

ネタバレBOX

地下へ降りると、舞台スペースを挟んで手前と奥に客席が作られている。
床はコンクリの打ちっぱなし、白い壁、天井に小さなライトが10個ほど。
前説とほとんど同時に恰幅の良い中年の女性が降りて来て
中央の椅子に腰かけて蓮の造花を作り始めた。
前説が聴こえないかのように薄いオレンジ色の花をかたち作っている。
音楽もなく照明も変わらない。
やがて私たちがさっき降りて来た階段から、次々と出演者が登場して来た。

ここは精神分析医 市川玲子(関根信一)の犯罪研究会ワークショップの会場。
参加者と共に事件や心理状態を再現する“ロールプレイメソッド”という方法で
何故事件が起こったかを検証するワークショップである。
この日の題材は1980年に岡山県で起こった「大摘村7人殺傷事件」である。
犯人として逮捕された桐原は、罪を認めて3年後に死刑に処されている。
集まったのはフリーライター、東京地検特捜部の検事、弁護士、助産師、中学校の教師、東京都緑化技術センターの研究員、都庁職員、そして玲子の教え子の大学生の8人。

「事件のあった日を再現してみましょう」という玲子の言葉で
小さな村が再現されていく、公民館、蓮池、犯人桐原の家…。
玲子が照明のスイッチを消して、桐原の懐中電灯の灯りだけになる時の何というリアルさ。
犯人の人となりやエピソードが明らかになるにつれて、参加者から疑問の声が上がる。
「桐原は本当に犯人なのか」
「犯人ならばよほどの事情があったのではないか」
「真犯人は他にいるのではないか」
思いがけないところから新たな資料が提示される度に、
参加者は想像力を駆使して、事実を検証し直していく。
やがて彼らは驚くべき真実にたどりつく・・・。

役者とWS参加者の二重構造で、想像力をフル回転させなければ演じられない設定だ。
この“ワークショップ”という設定がとても生きている。
初めに参加者の自己紹介があり、全員胸に名札を付けているのも分かりやすい。
極小スペースで一つの村を再現するという密な感じも空間の無駄が無くて良い。
参加者の半数は何らかのかたちで事件関係者だったのだが
彼らの差し出す証拠の品と共に、抜群のタイミングでそれらが判明する。

ワークショップでは、“桐原犯人派”と“桐原無実派”それぞれが
互いに解釈の矛盾点を突き、推測を実証するために資料を読み込んで行くが
それが展開に緊張感をもたらし、観客も共に真実に迫って行く臨場感があった。
以前にも「津山三十人殺し」をモチーフにした作品を書いていたという柳井さん、
大量猟奇殺人というレッテルを超えて、何か新しい“人の心”の解釈の余地がある
この事件に着目する気持ちが分かるような気がする。

そして何と言っても進行役である主宰者の精神分析医、市川玲子が魅力的だ。
市川玲子を演じる関根信一さん、参加者の心に沿いながらも強い信念を持って
ロールプレイをある方向へと導いていく温かみのある女性像が素晴らしい。
参加者の解釈の変化がロールプレイに反映するのが手に取るように分かる。
この方の劇団フライングステージも観てみたいと思った。

岡山から参加した中学校の教師向井を演じた北川義彦さん、
鼻梁の美しい繊細な容姿が、WSに参加した理由に痛々しいほどの説得力を持ち、
同時にロールプレイでの犯人桐原役はまさにはまり役だ。
自己犠牲の強靭な精神がその表情ににじんでいる。
十七戦地の座長でもある北川さん、座長にしてはクールで物静かな印象だが、
その分脚本・演出の柳井祥緒さんが饒舌に発信するという名コンビか。

十七戦地、次は第17回劇作家協会新人戯曲賞を受賞した「花と魚」の再演だという。
この劇団の柔軟な発想とホームページ等に見る写真のセンスに惹かれる。
次の公演、ぜひ観たい。
漂着種子

漂着種子

猫の会

小劇場 楽園(東京都)

2013/02/07 (木) ~ 2013/02/17 (日)公演終了

満足度★★★★

流れ着いた種子
八丈島を舞台に、本土からやってきた小学校教師と画家を目指す女性の恋。
悲劇に向かって少しずつ傾き始めた運命は、ある日一気に坂を転げ落ちる。
終盤、主人公ちどりの台詞にどきどきするほど緊張した。
雷鳴と共に、あの場面が忘れられない。

ネタバレBOX

舞台は八丈島、画家を目指すちどり(高木充子)の部屋。
少し雑然としているが、波の音が聴こえ
窓から今は無人の故郷、八丈小島が臨める部屋である。
ちどりは三姉妹の末っ子で、すぐ上の姉かや(小林梨恵)と
その夫誠(佐藤達)夫婦は母屋に住んでいる。
元は物置だった離れを改装してアトリエとし、ちどりはここで寝起きしている。
一番上の姉あき(天明留理子)はクニ(本土)で暮らしている。

本土から赴任して来た小学校の教師志水(成瀬正太郎)が道に迷ったのを
ちどりが案内した事から、二人は次第に親しくなっていく。
ちどりを好きで、魚を持って時々訪れる漁師の順平(つかにしゆうた)は
そんな二人を見て心中穏やかではいられない。
志水に対して攻撃的な言葉を投げかけ、ついにちどりから
「もう来ないで」と言われてしまう。

東京の姉から「東京で働きながらもっと絵を見てもらえば」と誘われ、
志水からは「結婚して八丈島で暮らそう」と言われたちどりは激しく迷うが
その直後志水が行方不明になるという事件が起こる。
そしてついに事態は最悪の結末へと向かってしまう・・・。

前半少し状況説明に時間が費やされるので展開が遅い印象を受けるが
移住のいきさつや志水の性格、島に残ることを選んだかやの心情などが
丁寧に描かれ、後の展開にそれらは大事な情報となる。
志水との恋、順平の嫉妬等が描かれるに従ってテンポは上がり、
空間が引き締まってくる。
緊張がマックスに達するのは、ちどりが順平に問いかける場面だ。
志水が浜で拾ってちどりと一つずつ持っていた南方産の大きいつやつやした豆“モダマ”、
そのモダマを、なぜ順平が持っているのか・・・。
その順平に対して声も荒げず、淡々と志水のことを語るちどりの台詞に
私は動悸が激しくなるほど緊張した。

八丈島の方言がやわらかでどこか懐かしく、初めて聴くのにすんなり解る。
長い旅の果てに八丈島へ流れ着いたモダマという植物が、運命を象徴するようで美しい。

ちどり役の高木充子さん、気負わず自然体で
少しずつ志水に傾いていく様が清潔感を持って伝わってくる。
過酷な運命を受け容れてこの先どう生きて行くのか、
寄り添いたくなる魅力的なキャラクターだ。

母屋に住む姉夫婦の夫誠を演じた佐藤達さん、
順風満帆とは行かないちどりを、温かく見守る義兄の台詞が実に上手い。
衝突しがちな姉妹の間で緩衝材となる明るいキャラにほっとする。

漁師の順平を演じたつかにしゆうたさん、
志水に対する敵対心むき出しの台詞に、ちどりを思う気持ちが溢れている。
その気持ちが暴走して身を滅ぼす男を、身勝手ながら哀れにも感じさせる表情が良い。

この話の30年後を描く「2013」では、ちどりが産んだ子どもが
八丈島を訪れるというストーリーらしい。
波の音が聴こえる部屋を出て、ちどりはどんな人生を歩んだのだろう。
“東京から南へ300キロ”、そこに暮らす人々の言葉は今も昔のままだろうか。
フレネミーがころんだ

フレネミーがころんだ

熱帯

駅前劇場(東京都)

2013/02/07 (木) ~ 2013/02/12 (火)公演終了

満足度★★★★

大人のいじめ・フレネミー
ただのEnemyならまだいいが、FriendのふりをしたFrenemyだから始末が悪い。
友達のような顔をして平気で傷つけるようなことを言い続け
傷つく様子を近くで見ながら密かに笑っているのがフレネミーだ。
大人のいじめと、さらにそれを利用して人間関係を壊して喜ぶフレネミー。
リアルなキャラと時折刺さる鋭い本音の台詞が上手い。

ネタバレBOX

舞台は大きな団地の一角にあるキッチンスタジオ。
6人の生徒はみんなこの団地の住人で、和洋中のお料理を習いに来る。
スタジオを切り盛りするベテランスタッフ諏訪冷子(岩崎純子)を中心に
料理の講師たち、イタリアン(匁山剛志)、中華(アホマイルド クニ)、
和食(西原誠吾)が日替わりでにぎやかに料理を教えている。

イマイチ頼りないオーナー(松浦英市)は、
最近しっかり者の彼女(奥村香里)の言いなりで、それが冷子の気がかりだ。
そこへ朝霧夏生(澤田育子)という女性が新しく入会、
洗練された明るい性格だが、他の生徒たちを鋭く観察し
微妙な人間関係に揺さぶりをかけるような行動に出る。
それは生徒だけでなく、やがてスタッフの冷子にも及んで来る・・・。

舞台正面奥にキッチンスタジオ入口のドア、手前には横長のテーブル、
これは作った料理を試食するためのものらしい。
上手に生徒用のロッカールームへ続く廊下、下手にはキッチンがあって
ロールカーテンを上げるとガラス越しにキッチンの一部が見えるようになっている。
3か所の出入り口がスピーディーな出ハケを演出してテンポ良く進む。

登場人物のキャラが明確で気持ちが良いのは
台詞に表情がちゃんとついて行っているから。
ちょっとずつ強引な人々が、世の中をかき回しながら動かしていて
事なかれ主義の人々は反発しつつも結局言いなりになってストレスをためる…
という現代日本の縮図を見るようだ。

黒川麻衣さんの台詞は、時折とがった本音を言わせていてとても面白い。
何気ない台詞に客席から笑いが起こるのは、その間の良さだと思う。
作・演のセンスの良さを感じる。

冷子役の岩崎純子さん、ちょっと台詞を噛んだ場面もあったが
緊張感がふっと途切れそうになるのをこらえつつ
周囲に翻弄されながら頑張っている女性を熱演。

和食の料理人を演じた西原さん、長く親方の元で修行して来た
職人らしい言動が板についていて説得力がある。
簡単嗜好の生徒相手に悩みながら変化して行くところがとても良かった。

引っかきまわした挙句冷子から退会を促されて去る朝霧夏生を演じた澤田育子さん、
周囲を観察してターゲットを絞ると近づいてそとささやく。
「あなたの気持ち、よくわかる」
去り際でさえ自信たっぷりな表情で
思わず彼女は前座に過ぎず、真のフレネミーは他にいるのではないかと思ってしまった。

そう言えばオーナーの彼女は、何のかんの言いながら自分の思い通りに
キッチンスタジオを運営し始めているし、
冷子を持ちあげながらも、巧みにコントロールしているように見える。

話がもう一回転大きく転がっって、フレネミーの思惑通り生徒同士が本音でつぶし合い
冷子が朝霧夏生と大バトルの末勝利を収めたりしたら
”痛快度”はマックスに達したかもしれない。
唐突な幕切れにあっけなさも感じたが、
”これはほんの始まりまだまだフレネミーは続く…”
と考えれば妙にリアルで納得してしまう。

人の心を操り混乱する様を見て楽しいと思う心理、
しかも全く悪びれもせず笑って立ち去る神経。
おーこわ…。
あたしもにこにこ甘言フレネミーには気をつけよう。
ボン・ヴォヤージュ

ボン・ヴォヤージュ

アカネジレンマ

BAR COREDO(東京都)

2013/02/02 (土) ~ 2013/02/03 (日)公演終了

満足度★★★

優しい男たち
互いに裏切り裏切られる3人の男たちは、同時にみな何かを信じている。
“犯罪もの”と言うにはちょっとユルイ展開だが
誰かを裏切っておいて自己嫌悪に陥る、どこか善良な男たちのキャラや
前後する時間の見せ方に工夫があった。

ネタバレBOX

乃木坂駅から地上に出て隣のビルという余りの近さにちょっと感動して地下へ降りる。
受付を済ませて中へ入ると、壁際にピアノが置かれている中央が舞台スペースで、
それを挟んで二手に分けて客席が作られている。
小さなカフェテーブル2つに椅子が3つ、そこにひとりで座るという贅沢な空間。
コートや荷物を置いて当日パンフを広げ、ゆっくり始まるのを待つ。
開演10分前までバーカウンターでドリンクの注文も可能。
隣の席と離れているのでもぞもぞ動いても構わないし、リラックスできる。
当日パンフには"寝台特急あかつきが辿った道”として
京都から九州までの駅名が書かれており、眺めていても楽しい。

舞台スペースには木製の椅子が数脚あり、後にこれが駅の待合室や列車の座席になる。
登場人物は3人の男たち。
撮りテツの男(水本貴大)・・・廃止になる寝台特急あかつきの写真を撮りに諫早駅へ行く。
セールスマンの男(奥田満)・・・怪しいキノコを売り付けて商売している。
                妹の連れて来た結婚相手が気に入らない。
ネズミ講の男(宮崎泰樹)・・・結婚したいがために彼女の兄の言うとおり
               アコギな化粧品販売を辞めて出直すつもりでいる。

結婚したいネズミ講の男は、当面の生活資金を得るためある犯罪を思いつく。
撮りテツの友人にはあかつき存続のために資金が必要と偽って協力を持ちかけ、
彼女の兄には仕事を辞めて人生を変える自分を認めて欲しいと説得に行く。
ところが兄は男の飲み物に睡眠薬を入れ、
撮りテツは協力すると言って、実は実行していなかった・・・。

撮りテツが進行役になって状況を説明するのが判りやすくて良かった。
水本貴大さんは進行と撮りテツの切り替えがスピーディで明確。
ただ時間を巻き戻して過去を再現する時に照明の変化もあったら
もっと判り易かったと思う。
会場の都合で細かい照明は難しかったのかもしれないが。

ネズミ講の男が、自分が社長をしていたネズミ講の仕事を辞めてまで
結婚したいというその熱い台詞がとても良かった。
それを実現するためには資金が必要で、だから知り合いの当たりくじをすり替える
というのがちょっと姑息だが人の良さが透けて見える。
宮崎泰樹さんは、必死のあまり自分が何をしているのか俯瞰できなくなった男の
一生懸命さと可笑しさをにじませて上手い。

奥田満さんは冒頭ちょっと硬さが見られたが、次第に妹思いの兄がなじんできた。
妹の相手を嫌う理由が、“自分と似ているから”というのが面白い。
良心の痛むような仕事を嫌悪しながらも、
そこから抜け出せなくなっている自分とそっくりだと言うのだ。
そんな男が妹を幸せに出来る筈がない。
だからこの結婚には反対だと言うセールスマンに撮りテツが語りかける。
「似ているから、妹さんは彼を選んだのではないか」

その撮りテツは、約束を破って犯罪に協力しなかったことを
ネズミ講に話せばきっと判ってくれると信じている。
この辺りの心理が優しくて細やかなので、展開のユルさも帳消しか。

ゆったりした空間って気持ちいいなあと思ったし
こういう所でショートオムニバスみたいなのを休憩・ドリンク挟んだりして
観賞するのも楽しそうだなと思った。
ヒューイ

ヒューイ

Amrita Style

小劇場 楽園(東京都)

2013/02/01 (金) ~ 2013/02/03 (日)公演終了

満足度★★★★

ギャンブラーの孤独
1928年のニューヨーク、安ホテルのフロント係チャーリーを相手に
酔ったギャンブラー、エリーがヒューイの話を延々と続ける。
チャーリーの前のフロント係だったヒューイ、
いつもエリーに「馬はどうでした?」と尋ねたヒューイ、
そして先週亡くなったヒューイ・・・。
男二人芝居の熱演、若干単調さは否めないが、時代の空気を感じさせる舞台だった。

ネタバレBOX

客入れの時点でもう舞台の奥、ホテルの受付カウンターには
男がひとり座っていて、ぼんやり客席を見ている。
先週ヒューイが亡くなり、後任のフロント係になったチャーリー(木下雅之)だ。
夏の午前3時、ニューヨーク・ミッドタウンの街を時折靴音が通り過ぎる。

やがて酔っぱらった常連客のエリー(高城ツヨシ)がやって来て、
新米のフロント係を相手に喋り始める。
彼の話は死んだヒューイのことばかり。
ヒューイはどんな時にも変わらない態度でエリーを迎え
その日のギャンブルの話を聞きたがり、自宅にも招待した。
エリーはギャンブルで大もうけをしたこともあるが、反対に大損した事もあった。
エリーは次第に、ヒューイ相手にホラ話をすることで
ギャンブラーとしての自信を回復し、また次の勝負に向かって行った自分に気付く・・・。

時々床に当時の白黒写真などが映し出されて、雰囲気は伝わるのだが
私の席からは良く見えなくて、何が映っているのか判らず残念だった。

エリーの酔っ払いぶりは終始スキがなくて良かった。
酔っぱらいながらも次第にヒューイに対する心情が変化するところが上手い。
ヒューイの家に招待されて、内心女房も子どもも面倒くさいと思っていたが
行ってみれば「子ども達もおとなしくて、悪くなかった」。
なのに「子どもは動物の話が好きだろう」と考えて
「馬の話」など始めて、ギャンブル嫌いのヒューイの女房から
ひんしゅくを買ってしまうくだり、可笑しくて客席からも笑いが起こった。

“ダメなやつ”呼ばわりしていたヒューイに、実は救われていたと認めるエリー。
次第にエリーの最近のツキの無さや、借金に追いつめられた苦境が浮かび上がってくる。
「これまで上手くやって来たんだ」と自分に言い聞かせるように繰り返すが
それはそのまま”今度はそうは行かないだろう”という予想と恐怖心、
そしてもう誰も自分の話を聞きたがらないという底なしの孤独感だ。

一方的に喋るエリーは、酔っぱらっていて動きも限られるし
同じような台詞回しになりがちだ。
エリーの話に関心を持てないチャーリーは、もっと動きが少なく
うんざりした顔で単調な“受け”が続く。
エリーとチャーリーがマジで絡まないので、二人はずっと平行線のままだ。
終盤ふたりの共通の憧れである大物ギャンブラーの話題で
ようやく接点を見いだしたところで舞台は終了。
そういう話なのかもしれないが、何だかひとり芝居でもいいような気がしてくる。

作者のユージン・オニールは“鬱とアルコール中毒”に苦しんだ人生を送り
貧困と絶望をテーマにした作品を多く残したそうである。
この重苦しい時代背景と、
“ギャンブルの浮き沈みとそれゆえの止められなさ”に激共感出来れば(私のように)
彼の言葉を酔っ払いの繰り言と聞き流すことは出来なくなるだろう。

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