1
天の敵
イキウメ
①今年一番👍観劇人生においてもトップクラス。今後何度も話題にするだろう作品❗
無駄がない。無駄かと思える二品の調理もしっかり回収。説明のようなモノローグを説明し過ぎず展開し、観客に預ける。想像させる豊かな幅に酔う。
②今作にもノンクレジットだが、イキウメ作品のレギュラーともいえる「太陽」が活躍する。
銀河鉄道999の哲郎が求めた機械の体。生命の泉は浪漫だ。でも、かぐや姫のいない世界に意味はないと薬を燃やした帝。生きるとは。
③人は若さと美を追求する。人魚は美しい声と引き換えに、リスクも承知で足を手に入れた。愛する人との生活に関わる究極の命の選択。何を諦め何を手に入れるのか⁉常に観客に選択を迫る。静かなジェットコースターに乗せられている
2
グランパと赤い塔
青☆組
思いつくままに「ネタバレ」に長ーーーく書きました。よろしかったらお付き合いください。
なんとも幸せな135分だった。
そこに生きる人たちの姿は、人を信じること、自分を信じること、人生を信じること、未来を信じることの大切さ、そして家族の愛しさを思い出させてくれた。
人にはドラマがある。
目に見え、語られるものばかりではなく、心の奥底にしまわれているものもあれば、そこにはいない人たちとの関わりの中にもある。
離れて生活する家族の元に届けられる荷物から愛が溢れ出す。
それは家族本人だけでなく、その周囲にいる人へも向けられる。
そうした愛の連鎖が、人の営みの過ちや不幸を浄化すると信じさせてくれる豊かさに満ちた135分について、思いつくままに書き連ねてみたい。
昭和の東京オリンピック前後の高度成長期の日本。
敗戦国としてうちひしがれ、世界での地位向上を目指して焼け野原から立ち上がり駆け上る姿が逞しく、そして微笑ましく、でもどこか愁いを帯びて映る人たち。
そんな時代の愛しい人々の姿がノスタルジックに浮かび上がる。
作演出の吉田小夏さんが、曾お婆様からお母様までの家族の出来事をモデルに書かれた作品。
全編を通して流れる柔らかな空気は、演出家としての吉田小夏さんの姿勢そのものだ。
劇団の企画で稽古場見学の機会を戴いたとき、そこは優しさに満ちた人肌の温もりのような空気に包まれていた。
小夏さんはまるで保育士のように俳優さんと作品を見つめ、スタッフさんとは文字通りそれを育てる仲間として見守っていた。
稽古のトライアンドエラーにおけるリクエストも、世の巨匠と呼ばれる人が世間にもたらした演出家のイメージとはかけ離れ、シンプルで明確でありながら、実にソフトだった。
産み落とされた作品は、確かにその延長線上に立ち上がり、携わる全ての人の愛が芳醇に香っている。
劇場に組まれた美術は、まるで生まれ育った家が帰省した自分を迎えてくれているかのように温かく美しかった。
稽古場のあの平面にバミられた空想の世界は、見事なセットが組まれて、人が憩うかけがえのない家となってそこに確かに存在した。
豪邸であるけれど派手ではなく、豊かさと謙虚さが同居して嫌味がない。
これは、今作品において共感を呼ぶ胆であるように思う。
そして細部まで行き届いた照明の美しさが、家が有する幸福と、人々の機微を照らし出す。
一場ラストの僅かな時間の微かな明かりの変化が、確実に世界を変えてみせた。
それは、きめ細かな演出力とスタッフの技術の高さの賜物である。
衣装やメイクも時代を映し出す大きな要素。
高度成長を支える男たちの労働着、気品と華やかさのある女たちの着物、慎ましい割烹着、モダンで艶やかな洋服…どれも美しかった。
音楽は、特に歌への思いが明白だった。
これまでの作品も然り、吉田小夏さんはBGMよりも生の歌声に価値を見い出しているに違いない。
劇中のクリスマス会で歌われたあの歌は、稽古場見学の時にたくさん拝聴した唱歌『冬景色』だった。稽古のウォーミングアップで歌われたその曲に、こんな形で再会するとは思わずにいたので、まさにクリスマスプレゼントを戴いたような喜びに浸っている。
一つの家での二つの時間が紡がれる。
そこにずっといるのは女中のカズコの大西玲子さんただ一人。
その間にグランパとグランマ、運転手のコタロウは他界し、この家ももうすぐ取り壊される。
おそらくそれは戦後という時代の終焉と、高度成長の完成期となる時代の幕開けそのものだ。
今作品を牽引しているのは紛れもなく大西玲子さん。
これは視線のお芝居だと思う。
それを大西さんが体現している。
ところどころで慈愛に満ちた柔らかな眼差しや、「うふふ」を含んだお茶目な眼差し、時には苛立ちを押し隠そうとする強さも瞳に宿す。
最後?のお見合い相手が我が同業者だったことに胸を痛めるとともに、国語教師にあるまじき目の曇りように情けなくなる…ごめんなさい。
今泉舞さん演じるトモエが、両親への愛情欲求が満たされずに彼女の膝枕で呟く台詞がカズコの豊かさを表している。
一番好きなシーンは、小瀧万梨子さん演じる社交ダンス講師でBarの女ハルが、藤川修二さん演じる酔っ払いのコタロウを介抱する場面。
これも膝枕だ。
吉田小夏さんの作品には、水商売などの「夜の女」がよく登場する。
彼女たちに共通するのは粋で鯔背。
陰はあっても決してイヤらしさはなく、看板花魁のような眩しさを纏っている。
そう、彼女たちは女神なんだ。
男女平等を謳うウーマンリヴの現代社会ではお叱りを受けかねないが、彼女たちの立ち居振る舞いは美しい。
女性の地位向上は必要だし、そうあるべきで異存はない。
それでも彼女たちはオトコのプライドを上手に立てて、イイ心持ちにしてくれる。
それでいて手が届きそうで届かない、少し高嶺の花のマドンナの距離に居る。
なんとも男心を擽られる。
彼女たちの描かれ方には、作家吉田小夏さんからのリスペクトが感じ取れる。
容姿だけではない女性の美しさ、気配りやゆかしさに敬意を持って女流作家が書いていることに、むしろ女性としての誇りを感じて嬉しく思う。
今回の小瀧万梨子さんの巻き髪や口紅も、鼓動を早める艶やかさがある。
同時に、あの少し鼻を膨らませて口を尖らせた「おほほ」や「あらま」が溢れる表情が堪らなくチャーミング。
これだけ男心を擽られたら惚れずにいられる術はない。
最も泣けたのは女中ミヨと鳶の技術者コバヤシとの求婚を受けられない身の上話。
三人娘を持つ父としては、ミヨの父の気持ちが痛いほど解って苦しい。
二人の娘を連れて過ごした特別な時間の幸福と、アレに遭遇してしまった地獄。
戦争の是非や、加害被害の立場を超越して、語り継がなければいけないものがあることを突きつける。
ミヨの石田迪子さんの健気さと、コバヤシの竜史さんの一途さや実直さが胸を締め付ける。彼女を追うコバヤシの姿と、数年後の時間にミヨはいないことで、人生に負い目を感じている二人が幸せになってくれていると願う。
流れた時間以上に戦後から遠く離れてしまったこの日本は、いつのまにかまた戦前に入ってしまっているのかもしれない。
あの大戦を生き抜いた方々から直接お話を伺える時間は、もうそれほど残されていない。
今夏の中学一年生への宿題は「戦争体験者にインタヴューして新聞を書く」にした。
彼らには、この国が過ちを繰り返さないよう次世代に語り継ぐ役割を担って欲しいと思っている。
だから、あのシーンのメッセージは胸の深いところまで突き刺さった。
グランパの佐藤滋さんとグランマの福寿奈央さんを観て、やはり金は稼がなきゃダメだなと実感する。
金銭的余裕は心にゆとりを生み、人に優しくできる器を作る。
グランパの懐の深さは人を魅了する。
その姿から「男とは…」という永遠の命題に思いをめぐらせている。
大きな要素の一つは、男気と女心の掌握力にあると思う。
部下の成長を願うこと、仕事を任せること、部下の失敗を黙し責任を負うこと、言い訳や言い逃れをしないこと...そうした全てがグランパから中間管理職キムラ(吉澤宙彦さん)へ、若手技士ササキ(有吉宣人さん)へと受け継がれていく。
人は期待されれば意気に感じて頑張り成果を上げるもの。
役(責任ある立場)が人を育てるという。
人を育て、組織を育てるとはこういうことなんだ。
やたら「報・連・相」だと言って全てを把握したがる管理職の下で、人が育つはずがない。
現代の日本にどれほどのグランパがいるだろう。
重箱の隅の汚れを寄って集って突き吊し上げ、スケープゴートを求める現代。
マスコミ、ネットが作り上げたこの状況を憂うばかり。
彼らから、見習うべき男気が匂い立つ。
本物の男には素敵な女性が寄り添っているもの。
できる男に連れ添う女は、やはり気風がいい。
家族を救うために退職金の前払いを申し出たキムラに、瞬時に承諾するグランマの姿に器の大きさを感じる。
それはある種「極道の妻」ばりの格好良さだ。
登場する三世代の真ん中のタカコを福寿奈央さんと演じ分ける土屋杏文さん。
同一人物であることを思いながら観るのも楽しい。
大先輩と役を作るプレッシャーは如何ばかりか…と親心のようなものが芽生えたりもするが、これもグランパの会社同様の、劇団の男気、いや親心ではなかろうか。
期待に応えるように成長し、やがて柱となっていくのだろう。
教育や育成の壮大な夢計画…の実現を感じる。
最も心がざわついたのは、今泉舞さん演じる幼いトモエが父ジロウの細身慎之介さんからビンタを受ける場面。
幼い娘が叩かれるだけでざわつくのに、あんなにカワイイ娘なのだから余計にいたたまれない。
ましてや悪気がない失敗なのだから尚更だ。
今ならすぐにDVだなんだと大騒ぎになる。
ただ、ジロウも真っ直ぐな男で、その主張も解らないではないというギリギリを攻めてくる。
その上、トモエの素晴らしさを盛大に褒め称えてみたりするのだから面倒だ。
マスオさん的なポジションのジロウの、その面倒くささをみんなが受け入れている希有な家庭という小さな社会。
刺々した空気を中和してくれていたのが代田正彦さんのマツシマと、田村元さんのヤマムラ医師。
何よりトモエの可愛らしさを見事に演じきる今泉舞さんに脱帽するしかない。
グランパと並んで双眼鏡を覗く時に脚を肩幅に開き、はしゃぎながらも囁くように返事する様子が堪らない。
彼女の可愛らしさをMAXに引き出した、小夏さんの見事なリクエストの勝利と言えるだろう。
「言葉はレンズと同じだ」という台詞に勇気を貰った。
遠くにある見たいモノを大きく見せてくれる魔法。
どんよりとしてボンヤリとしている靄の向こうにあるモノを捉えてくれる魔法。
そのモノはきっと明るい未来であり、希望であり、叶えるべき夢だ。
それを捉えるために言葉を磨かなければいけないことを教えてくれる。
悩める中学校国語教師の背中を押してくれていると勝手に解釈している。
ありがとう。
明日もう一度、素晴らしい作品と135分過ごせる喜びに胸を躍らせている。
そんな中で唯一、欲を言わせて戴くなら、グランパと呼ばせる理由はもう少し違った形で明かされたいなぁと思う。
さぁ、おさらいだ。
もう少し頑張って生きなきゃな。
3
田園にくちづけ
ブルドッキングヘッドロック
公演が終了していますので、気にしなくていいのかもしれませんが、とにかく長い感想を書きましたので「ネタバレBOX」の方にUPします。よろしかったらお付き合いくださいませ。
「記憶は思い出す度に強化され、思い出し味わい直すほど鮮明になる。」
そんな台詞があった。
千秋楽から三週間が経ち、消えずに積もった思いは、熟成され旨味を増したと感じている。
そして、大きく二つの思いが発酵し始め芳醇な香りを広げている。
食と家族のことと、マイノリティとコミュニティのこと。
それを今、味わい直してみたい。
「くちづけ」…憧れのkiss。
なのにそれが、口を付ける=食事をする…でしかない美男美女が現れたら…。これは文化の違いによるカルチャーショックの比では無い。
さらにそれを「美味しい」とか「不味い」と評価されたら、我々は「上手い」と「下手」のテクニックの問題だと勘違いする。
それはもう、アイデンティティを揺るがす大問題だ。
そんなギャップが、世の中の「常識」や「当たり前」や「普通」、そして「道徳」や「倫理」といった物差しに個人差があることを突きつける。理解しようとしても埋まらないその感覚に「正義」の判断が伴った時、生じる摩擦は大いに人を苦しめる。
相手を大切に思う人物のその姿は痛々しく、胸を締め付けられる思いがした。
懐かしい味…田舎の味…おふくろの味。
どれも旨いものとして好意的に響く。もしそれが、かなり残念な味だったら、それはやはり不幸なことなのだろうか。
食事の栄養が身体を作るのと同じように、母親の手料理が心を作るのかもしれない。
他界した我が母の料理(新メニュー)は最初が一番旨かった。
何度か作っているうちにいろんな手を加え始める。だんだんと味が変わっていき残念に思ったことを思い出した。
でもそれは不幸ではなかった。
母も幹枝(深澤千有紀さん)も、おそらく同じ気持ちなのだと思う。
「作ってくれてるんで」という息子(浦嶋建太さん)と夫(永井秀樹さん)は黙って食べる。残念な味は大量の調味料で包み込んで。
娘(山田桃子さん)は反抗期でジャンクフードばかりに手を出し幹枝の怒りを買ってしまう。
そんな彼女が、兄を誘惑する女にクギを刺すのは、同じ「家族を思う」気持ちに他ならない。
これは全て「愛ある残念な味の母の手料理」によって育まれたもの。
農家を継いだこの次男夫婦と他界した父親が暮らした田園の中にある「家」が、かつてあった日本の家庭の姿として温もりを持って迫ってくる。そこに家長としての男の自負のようなものも感じる。
次男でありながら兼業農家として家と田を守ってきた草次(永井秀樹さん)の毎日の葛藤や、父への尊敬の念と喪失感が、冒頭の、縁側に座り空を眺める抜け殻のような姿に凝縮されている。
その背中を見つめる人たち。
あの、時が止まったような静かなシーンがなんとも美しかった。
伏せっていた父が他界した日から物語は始まったが、この父の存在感がなんとも偉大だ。それはまるで、大きな愛でできた蚊帳で家族を包み込んでいるよう。
自由気ままに蚊帳から転がり出てしまった長男(吉増裕士さん)も、実はまだその中にいる。長男に代わって家を継いだ草次が、兄を立てつつも心配している姿の中に父の思いも映る。
奥手の三男(寺井義貴さん)の恋愛を見守るのも同じこと。
こうした姿が、新米で握った塩むすびにだけは「余計なことはするな」と嫁に唯一の注文を付けた亡き父の大きな愛情を浮かび上がらせる。
ラストの草次の「うまい…」に深みと味わいを与える。
日本人は、やはり米だ…と思う。
「田園」…の風景は、肥よくな土壌に育った広大な田畑を思い浮かべる。
それは、東京と地方との格差の問題への警鐘も含まれているように思う。
居心地の良さは距離に関係する。物理的な距離と心の距離。
その距離と心地良さは比例しているとは限らない。
年齢によってもその感じ方は違うものだし、一定であるはずもない。
そこで必要なのは言葉であり、言語だ。標準語は無機質でカラッとしているように感じる。それに対し方言や訛りは何だか人肌の温もりを感じる。電車に乗って帰省する時、故郷に近づくにつれて車内の空気が変わってきて『嗚呼、帰ってきたなぁ』と感じるのは、そこで交わされる言葉の変化によるものだ。
この作品には三者がいる。
ずっと田舎に居る者、田舎を出て東京へ行き戻ってきた者、東京から来た者。
それぞれが違和感や疎外感を感じるのは仕方ない。同じ立場の者に親近感や安心を抱くのも人情である。
田舎は隣の家までの物理的な距離は遠いだろう。けれども心の距離が何とも近い。それを東京から戻ってきた者が最も強く感じているに違いない。
作品の視点であろう草次の息子の耕太(浦嶋建太さん)はそれを好意的に感じているように思う。
三男の竹三の見合い相手でミステリアスな空気を纏う美女の伊織(山本真由美さん)は、嬉しさと違和感を感じているように見える。
孤独の闇を持つ彼女は東京に戻るのか、ここに残るのか。それが正に地域格差への回答のように思う。何を選択したとしても、寂しさの滲む伊織の幸せを願わずにはいられない。
くちづけが食事の日暮(吉川純広さん)と穂波(葛堂里奈さん)は、ある意味奇病を持っていると言える。あるいは記憶を餌にするエイリアン的な未確認生物。実際の設定はわからない。
彼らは身を隠して生きることを強いられる逃亡者に近い。それはかつてのハンセン病や、最近ならHIVなど。日常で言えばイジメもそれだし、歴史的には身分制度や同和問題もそうだ。さらには同性愛や性同一性障害なども含むマイノリティの苦しみにも思えた。
彼らの未来を案じる川面(瓜生和成さん)が「特殊な生き物だと思われながら暮らす…」ことの苦しみを案じ、「そんな目で見ないでいただきたい」と静かに、それでいて揺るぎない強さで話す言葉が、小さな棘のように胸に刺さり、ゆっくりと確実に深いところへ沈み化膿し始めている。
学校教育の現場には、普通学級と特別支援学級のボーダーにいる児童生徒が少なからずいる。その児童生徒本人ばかりでなく、家族が「そんな目」に対してどれほど恐れているのかを、理解しているつもりで全く寄り添えていなかったのではないかと恐くなった。
川面は「おっぱいをあげるような感覚」と表現した。親身になることをこれ以上的確に捉えた言葉はないだろう。
我が家に双子の娘が生まれたとき、彼女たちは2000gそこそこの未熟児で保育器に入っていた。周りのベビーベッドには健康そうな赤ちゃんが並び、その家族や親族がガラス越しに嬉々として眺めている。そこで保育器を覗き込み、未熟児の父がいるとは知らずに憐れむ。その声を聞き空気を感じながら『いやいや全然大丈夫だから』と思うのと同時に、「そんな目」で見られていることに僅かな苛立ちと、彼女たちへの不憫さを感じたのを思い出した。
千秋楽のカーテンコールで、客演の永井秀樹さんに呼び出された主宰の喜安浩平さんの挨拶が、劇団の現在地を示しつつ、活動の姿勢を伝える素敵なものだった。
客演の功績を讃えた上で、劇団員の頑張りと成長を喜び、今作に出演していない俳優の作品に関わる姿勢と、スタッフの力を誇る言葉から、井出内家の家長として一家を見守った父のように大きな蚊帳で包み込む劇団への愛を感じた。
美しいセットと照明と音響の中で、キャストが確かに活き活きと生きていた。優れた俳優を招いて上演すれば、どうしたって劇団員が割を食う。それはいたしかたない。だからこそ、短い出演時間であっても存在感を示し得る役柄を劇団員に当て書きする喜安さんの脚本と演出に敬服する。
冒頭の鉄矢(竹内健史さん)がその最たるもの。あのカレーの話しから腰砕けで膝から崩れ落ちるまでの日暮とのシーンに、今作で展開される全てのきっかけが詰まっている。あっという間に客席が作品世界に飲み込まれていく圧倒的なエネルギーを感じた。
劇団員の一人ひとりがまた、作品に貢献すべく様々な仕掛けを施していて、隅々までご馳走が詰まったおせち料理に仕上がっていた。
例えば、出落ち的な風貌で切り込んできた真木志(高橋龍児さん)は庭に吐き出された浅漬けを弔い、生徒の穂波に心奪われた常川先生(猪爪尚紀さん)は川面の追求から逃れる去り際に襖の間から僅かな視線の動きで後ろ髪引かれる思いを可視化した。
一人ひとり挙げていけばきりがない。
そうした劇団員が持ち寄った燦めきの粒が、作品に力を与え輝かせていた。
特筆すべきは、今回出演されなかった劇団員が劇場グッズコーナーに立ったばかりでなく、稽古期間に街へ繰り出しフライヤーを手渡すイベントを何度も行っている。
もちろんフライヤーは永井幸子さんのデザイン。ビジュアル的に目を引く素晴らしい出来映えであるのは言うまでもないが、公演を観てから改めて見ると、その的を射た見事な作品である事実に驚愕する。ちなみに赤い唇の美女は…吉川純広さんであることにさらに驚愕。
畏れ入った。
長々と書いた。
書き始めてから既に三日が経つ。
それでもまだ書き切れなかった思いはあるし、うまく言葉にできていない感も拭いきれないが、それはもう仕方ない。
とにかく、随分と久しぶりに、公演を観て心に刺さったものや染み出てきた思いを書き残しておきたいと思う作品だった。
食卓を囲む家族を舞台に、優しさと可笑しみをちりばめ、劇団員の総力が結集された秀逸な作品『田園にくちづけ』。
おかわりを下さい。
4
ただいま おかえり
東京タンバリン
⑪素敵な作品を生み出す人たちは、やっぱり素敵なのだと実感。いや、素敵な人たちだからこそ、素敵な作品を生み出すことができるんだな。生の舞台には作り手の人となりが表れる。
この人たち……本当に素敵❗
①初日。心待ちにしていたという熱気溢れる満席。そのはやる気持ちを楽しませながら上手に導くプレ芝居(前説)の遠藤弘章さん、萩原美智子さん、三宅里沙さんが見事。
だから早めのご来場をオススメします。
②家族というコミュニティの一日は、そこから始まるのだな。「おはよう」「行ってきます」にまだドラマは無く、それぞれが一日を過ごしてきて、家族のドラマが始まる。あのね…それでね…が溢れてくるのが家族。
③作品の持つ質感にフィットした温もりを感じる美術。施された仕掛け。その演出のアイディアも、美術スタッフの技術も、機能させるキャストも👍それが二種類の転換を生み、思いを馳せ余韻に浸れる豊かな闇を与える
④家族でも友人知人でも心地イイ距離はある。身も心も。拗れて失われた距離感を修正するのは至難の技。そこには絶妙なタイミングの程よい外的作用が必要だ。見事なバランス(の外し方)で瓜生和成さんが刺激する👏 ⑤走馬灯のシーン(死なないけど)がイイ。たまらなくイイ👍家族愛のゲリラ豪雨を浴びた。人間の日々の生活の営みは豊かであることを再認識させてくれる。
大好きな長尾純子さんに心の深いところを掻き乱される😭
⑥サスペンスじゃなくたって、ドラマに意外性はご馳走。今作に忍ばせたご馳走は結構スパイシー。その衝撃に喉が焼ける。反目する母娘でも受け入れられない現実があり、長尾純子さんの狼狽が我が人生に被る。
⑦大切な人が大切な場所で誰かと過ごすのを知ったら何を思う⁉嫉妬…怒り…悲しみ…。その誰かが「いい子で嫌だった」は名言。若くて美しくて可愛くて無邪気でちょっとダメ…なタレント役が宮下かな子さんて最強💘
⑧宮下かな子さんが作品に殴り込みをかける。あの美貌で距離感の壊れた天然キャラは狂気の凶器😱『お点前…』同様、強力な飛び道具で、その破壊力は地球壊滅的レベル💣💥
東京タンバリン、見事なキャスティング
⑨大好きな人とのデートって、すっごく楽しみなのに、その時が近づいてくると何だか切なくなってきて……デートの最中にもう切なくてたまらなくなったりする。そんな気持ちの本日夜公演前😢
嗚呼…終わらないで💔
⑪素敵な作品を生み出す人たちは、やっぱり素敵なのだと実感。いや、素敵な人たちだからこそ、素敵な作品を生み出すことができるんだな。生の舞台には作り手の人となりが表れる。
この人たち……本当に素敵❗
⑫あんな風に人と接することができたら…という理想像。青海衣央里さんの白石が「喧嘩する⁉やっぱり喧嘩でしょう⁉」と茶化して和ませる。瓜生和成さんの緑川は「どちらの味方にもなれません。」と中立を保つ。
⑬家族と家庭の違いとは何だろうか。三人の親子の家族会議から、壊れていく家庭が垣間見える。一人になった大人の家庭とは…。
金色のドアノブで思い出の扉を開ける。そこに居るのは…居ないのは…。
⑭長尾純子さんは万華鏡❗場面ごとに違う無限のマスク。園児帽を被ってしゃくり上げ、🍮の魔法にかかる😊お母さんが大好きでムフムフお話しする小学生、受験勉強の様子…みんな愛しい。なのに…だから…切ない😢
⑮目は口ほどにものを言う❗これは視線のお芝居。見つめているのは愛しい人。愛しいが故に言えないこと、言い過ぎてしまうことがあって…みんなの瞳に『大丈夫、わかってるよ』が映る。視線のある場所にただいま。
⑯宮下かな子さんの青森弁がパワーアップしていた😁彼女が注ぐやわらかい視線が好き。会話を見つめるときにゆっくりと追う視線が何とも優しい。
これで、ピーラーや母娘のバトルシーンで困りの視線まで出たら😆
⑰本日千秋楽。演劇は儚くて愛しくて…。家族間の迷惑について考える。愛ある家族。周囲の人も素敵。幻だって素敵❗
いい人ばかりで、人生を信じられる作品。
⑱どうしても確認せずにはおけないと千秋楽へ。自宅と別荘、二度の母娘バトルで宮下かな子さんの困惑をキャッチ。彫刻のような美しさを持ち、素直で研究熱心。いいお芝居をするために貪欲で応用力が高い。大物だ👍
⑲走馬灯のシーンが素晴らしくて大好き…なのだけれど、父親の影がなくて切ない。我が人生を反省する😢
そして、緑のコイケさんと緑川さんを演じる瓜生和成さんが…ナナのパンチを受ける流れでジュンに見えて😢
⑳アサミの一人上手は境界線上。キミちゃんの温度の上げ下げ間違いはアクセルとブレーキ。ゾワッとする。
アサミが最後に帰宅を噛み締めるように言う「ただいま」を、最初のマイの「おかえり」が迎えてくれたよね 。
㉑青海衣央里さんの白石がイイ。人間て素晴らしいと思わせてくれる。あの明るさは幸せを呼び込む。婚約報告シーンにキュンとなる。仕事を越えてこんな風に付き合える友人を持ちたいものだ。
そしてうなじが綺麗💕
㉒🎶トロ~ウニ~タイ~トロトロタイ…🎵妙なラップがぐるぐる🌀回ってる。息子の嫁という絶妙なポジション。悪気の無い嘘をつき、隠し事を持ち、うっかり騙されちゃう、人間らしいハルカをミギタ明日香さんが好演
㉓兄弟って何だろう。長男て何だろう。この40年で日本の家庭のあり方は激変。家を継ぐ家長という感覚は薄れ、親と同居や近くに住むのは娘家族。森啓一朗さんが時代の変化を映し出す。ヤンチャな中学生に笑い。
㉔視覚の刺激は印象を左右する。照明の美しい舞台は感情の深いところに沈殿し永く心に存在する。別荘でひとり、じっと座るアサミの山崎美貴さんを、数秒で黄昏が包む。時の流れが胸をギュ~ッと締め付ける😢
㉕あの家族と集う皆さんが愛しくて、気分は親戚のオッチャン😅 高井浩子さんの描く家族の物語、人間ドラマにはヒリヒリする悲しみも潜んでいるけれど、それが人生。全て愛が飲み込む。人間を信じている人の作品だ。
㉖作家高井浩子さんの優しさが家電トリオにある。アオサの遠藤弘章さんが勇気づけ、アカネの三宅里沙さんが寄り添い、キミの萩原美智子さんが見守る。三人がそこにいるだけて安らぎ穏やかになれる。白雪姫の小人だ。
㉗今度あの家族と、いつ会えるだろうか😔
是非とも再会したい。何度でも再会したい。それから、あの家に集った人たちのそれぞれの活躍も目撃したい。
まずはaibookで緑川の瓜生さん。
ボタタナエラーで白石の青海さん。
そして『わのわ』の家電トリオ❗
㉘高井浩子さんの描く家族の姿がご馳走だ。なんとマサルの娘ヒナノちゃんの泣き声がマサル役の森啓一朗さんのお嬢さんというミラクル天使👶キャスト😆親子共演🎶
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アトレウス
演劇集団 砂地
①初日。開演時刻ジャストに開演。そんなことをわざわざ公言しなくてもやれることであり、当たり前であることを示してくれた。観劇予定の人は心して行くといい。
砂地が揺るぎなく砂地であることが嬉しかった。その上で、進化し、最上級の砂地を披露してくれた。至福の時👍
②暗い照明、静かに鳴り続けるノイズ、バケツの水の反射光……砂地らしさが生み出す張りつめた空気に酔いしれる。素晴らしい演劇の世界がソコにある。
開演してすぐにクライマックス。そしてクライマックスの連続。その疾走感に振り落とされないようにしがみつく。
③主宰の船岩祐太氏の今作における最大の功績はコロスの使い方。群衆ではありながら、個を際立たせたことで、言葉が力を持った。群衆というより民衆であり、社会の現状を表し、世論の力を示した。それを見事に具現化した6人の女優が素晴らしい。コロスあっての本作だ。
①初日。開演時刻ジャストに開演。そんなことをわざわざ公言しなくてもやれることであり、当たり前であることを示してくれた。観劇予定の人は心して行くといい。
砂地が揺るぎなく砂地であることが嬉しかった。その上で、進化し、最上級の砂地を披露してくれた。至福の時👍
②暗い照明、静かに鳴り続けるノイズ、バケツの水の反射光……砂地らしさが生み出す張りつめた空気に酔いしれる。素晴らしい演劇の世界がソコにある。
開演してすぐにクライマックス。そしてクライマックスの連続。その疾走感に振り落とされないようにしがみつく。
③主宰の船岩祐太氏の今作における最大の功績はコロスの使い方。群衆ではありながら、個を際立たせたことで、言葉が力を持った。群衆というより民衆であり、社会の現状を表し、世論の力を示した。それを見事に具現化した6人の女優が素晴らしい。コロスあっての本作だ。④キャスト全員の声がイイ❗それもキャスティングの要素に違いない。アキレウスの藤波瞬平さんのクリアな美声に嫉妬する。一場の彼の格好よさは、まるで劇画だ。
高川裕也さんのアガメムノンの、君主としての選択が父親としての絶望であり、心を引き裂かれる思いに涙😢
⑤初日のMVPはエレクトラ。永宝千晶さんの憎悪の表出に背筋が凍る。その感情に澱みがない。憎しみ、復讐心、執着心……負の感情の呪縛。まるで『クリスマスキャロル』のスクルージに巻き付いた鎖のごとく、目に見えるようだった。あの男の死体に狂喜する狂気に震えた。
⑥アクセルを踏み込んだのはイピゲネイアの岩野未知さんだ。張りのある声で発せられた言葉が真っ直ぐに突き刺さってくる。戸惑いと悲しみと絶望……やがて自己存在価値……いや、死の価値を見出だしたある種の高揚が立ち上る。偶像化した美徳と潔さが、彼女の容姿に似合う。
⑦天乃舞衣子さん演ずる予言者カッサンドラ。罵倒されながら、起こるであろう惨劇を叫ぶ姿にジレンマと絶望が漂う。ポップでパンク(ヤンキー⁉)な出で立ちでありながらも滲み出るセクシーさは、死してなおエロティックだ。主宰するみそじんでの姿とは真逆にある。眼福😍
⑧生と死を結ぶ6本の血塗られた綱が絡まり導くのはあの世かこの世か…天国か地獄か。人はみな何かに翻弄されて人生をさ迷う。コロスが操る綱が民意であるなら、権力に怯まずに正義や倫理に鑑み声をあげる勇気を讃えよう。ならば、神の名誉をぶら下げられて萎えるのは収賄⁉
⑨2回目。見えないなら想像して❗天乃舞衣子さんの「神々~❗」に後光が差す。アガメムノンとコロスの応酬に向ける泳ぐ視線から不安が立ち上る。その対極にある、白いアレを脱がさせるエロティシズムが、葬られた🛀から突き上げられた白い脚によって神の領域に踏み入れた💘
⑩演劇はスリリングだということを再認識する素晴らしい作品。開演5秒で作品の成功を知る。
おかしくなっているのはこの世界の方で、恐ろしいのは神々じゃなくその下にいる人間たち…であるなら、コロスが軍隊のように踏み鳴らして回しているテーブルはきっと世界🌏だ
⑪コロスが担う大衆のシュプレヒコールはブンブン五月蝿いハエ。アガメムノンの妃のハウリングも同様なら、オレステスにもエレクトラにも届かない。「人間なのです❗人間なのです❗」神との違いを叫ぶコロスを“慈しみの女神”なる玉虫色の裁定は、まるで現代のバカな政治。
⑫父の目論見を知ったイピゲネイアの瞳から目が離せない。三人の娘の父である身には岩野未知さんの視線が突き刺さる。自分が定めた命の価値に囚われ自由を求める彼女の生きる術は…ちょっと可笑しい。逆にアキレウスとのやり取り…これは最上級のラブシーンだ。痺れた💘
⑬オレステスとピュラデスの葛藤はメロスとセリヌンティウスのよう。イピゲネイアとの三人の会話の滑稽さは作品に潤いを与える。そこにイピゲネイアの呪文⁉岩野未知さんの「ブッチョ❗」のパワーアップと「カリメーラ」の脱力との振り幅拡大にヤラレた。たまらんなぁ😁
⑭永宝千晶さんがエレクトラなのかエレクトラが永宝千晶さんなのか…もうわからない。彼女が発しているのは台詞じゃない。魂の叫びだ。その感情で言いたいことを言っている。だから噛むこともない。母を葬ったことに反発するコロスに戸惑う顔もリアル。弟帰還の歓喜もリアル。
⑮コロスの6人の女優さんが個性を輝かせている。団結したり対決したり…社会の縮図だ。皆さん声が素晴らしい❗
大好きな吉田久美さんの視線……目は口ほどに物を言う。彼女の視線の動き、その先にあるものを考えるだけで、作品の深いところに導かれる。景色を想像する。
6
桃テント
ろりえ
①ヤバイ❗ヤバイ❗ヤバイ❗
なんだこの完成度は👍
総合エンターテイメントの完成形を観た🙌🙆🙌🙆🙌🙆
嗚呼……もう一度観たい。ワタシの大切な人たちみんなに観てもらいたい。そして、アナタに観て欲しい。
②ろりえ史上最高傑作だと思う👍奥山雄太さん、こんなにも笑いのセンスが高かった❔笑って、ヒリッとして、キュンとして、ジーンとして……その振り幅がスゴイ❗全方向に無限大👍
特に二幕冒頭の✈旅客機ダンス💃が素晴らしい❗表情も照明も最高❗ときめいて💓うっとりして泣いた😭
③彼らの心意気に痺れた❗大勢の魅力的なキャストを見事に使いきった奥山雄太さんの筆力と演出力に脱帽。そして、同等あるいはそれ以上に徳橋みのりさんの劇団愛と作品愛に撃ち抜かれた💘あのポジションで最大級の“らしさ”を披露し、作品に貢献してみせる心意気👍そして💃天晴れ🎵
「ネタバレ」に続く
④笑いを牽引する三人のクオリティが半端ない👍
先輩CAの七味まゆ味さんが美しく凛々しい。そして可笑しい😌豪栄道とうまくいったかな😁
“ジャミラ”っぽいジャミーラの神戸アキコさんのことわざ、もっと聞きたい😜
機長の岡野康弘さんのオヤジギャグが笑ってもらえますように🙆
⑤結婚式にワタシも出席していたかもしれないね。だって“れれやねん”からCD💿戴いたもん😁👍早く聴きたい🎵
「離婚も上手くできない」は名言だ。それにしても“ナッツ子”の加藤夏子さんはイイ声👌
イイ作品…なのに観劇中に家に帰りたくなる。家族に会いたくなる素晴らしい作品🙆
⑥前作『逮捕』の岩田恵里さんの着物👘姿に一目惚れして、本日の目当ては彼女😁尾倉テント店の若奥様も素敵だった💕あのキュートな笑顔で、しれっとSEXの話をして好きだって言っちゃうからもう……困っちゃうなぁ💓
⑦洪潤梨さんから戴いたCD💿を聴いたよ🎵披露宴で歌ったあのシーンと同じバージョンが入ってた🙌🙌🙌
さらに、二幕開始前のCA七味まゆ味さんのアナウンスが入ってた😁そう、暴動を鎮めた加藤夏子さん演じるナッツ子の機内放送に至るアレです。🚗💨運転しながら大爆笑😁😁😁
7
ザ・空気
ニ兎社
迫り来る見えない影、見えない敵。その圧迫感に息が詰まる。追い詰められた人間の目の前にある死への誘いと恐怖…いや、狂気。
俳優陣が素晴らしい❗見事に“らしさ”を発揮して、世界を立ち上げた。最も好きな俳優の木場勝己さんは最高に嫌らしかった。昇格した若村麻由美さんは女神😍
8
『熱狂』『あの記憶の記録』
劇団チョコレートケーキ
2回目。1回目より泣けたのは、作品を知ってなお気付くことがたくさんあり、知っているからこそより深いところへ入っていけるから。リピート観劇を強くお勧めします。
①イスラエルの首都問題で世界が揺れているいま上演されている巡り合わせ。
記憶は何かを守るためにすり替えられ塗り替えられる。
戦争の無い未来を信じられるか否か。防衛という名の攻撃と、憎しみを棄て丸腰になり許す姿勢を持つ自殺行為のどちらが正しい❔
②戦争という過ちについて考え、麻痺していく感覚に抗う人の葛藤の物語であることに間違いはない。同時に今作は家族の物語である。家族とは何か、正義とは何かを問う。
そこに美しい夫婦がいた。父に食ってかかる息子を引き剥がす妻🙆吉田久美さんに痺れた❗
③戦時下では個人の本音は抹殺される。戦地へ向かう家族に「死ぬな」とさえ言えない。
生きる地獄……地獄の記憶の鎖に巻かれて生きる男。彼が生きる価値を見出だした家族との生活。そして覚悟の告白。娘の藤松祥子さんからの感謝が許し✴彼女が愛の象徴だ。
④新任の学校で出会い仲良くしていた外国語指導助手はとっても綺麗なユダヤ人だった。明るくて頭が良くて誇り高き女性。名前はデボラ。数年後に帰国してインドや中東でも生活されていた。彼女は、何より平和を愛していた😌
吉田久美さんを観て思い出した。
⑤闇を抱えて生きるのは地獄。誰かと共有することでしか解放されない。川添美和さん演じる教師は閉ざした闇の扉の鍵穴に差し込む🔑
ドキュメンタリー色の濃いモノローグを浴び続ける俳優さんの心的疲労はいかばかりか。
対極の思想が理想と現実の狭間で揺れる。
⑥信念を持って教壇に立つ教師。背筋を伸ばした川添美和さんが眩しい。教室に政治的思想を持ち込むのはタブーであるが、彼女の姿に少なからず勇気を貰った。
作品のメッセージを際立たせる為の対極を担うその役は、心身共に疲弊するだろう。俳優ってスゴイ🙇
⑦人命は地球よりも重い❗日本赤軍のハイジャック事件での判断は今でも賛否両論。銃社会だから銃を持つ。抑止力として核兵器を所持する。目には目を的思想。負のスパイラル🌀
憎しみを棄てることが平和への唯一の道なら…勇気が不可欠。如何に生きるべきか。
9
フォトジェニック
鵺的(ぬえてき)
①初日。ノンクレジットで⁉そう来たか❗
複雑なプロットは正にウェルメイド👍
でも解り易い。観劇後もスッキリ。
②展開の巧妙さに引き込まれる。その世界に引き込む二つの手段が心憎い。一つは優れた映像効果。無声にしていることがより一層映像を際立たせる。被写体との距離感による圧迫感が緊張を増す。そこに登場するキャストから、鵺的のこれまでとこれからが浮かび上がる👍
①初日。ノンクレジットで⁉そう来たか❗
その時、後ろ姿であの手👉だった。そう、確かにキミは中野駅のホームで見つめていた。
この相関図よく考えたなぁ。複雑なプロットは正にウェルメイド👍
でも解り易い。観劇後もスッキリ。少し解り易過ぎるくらいだ。
②展開の巧妙さに引き込まれる。その世界に引き込む二つの手段が心憎い。一つは優れた映像効果。無声にしていることがより一層映像を際立たせる。被写体との距離感による圧迫感が緊張を増す。そこに登場するキャストから、鵺的のこれまでとこれからが浮かび上がる👍
③二つ目は、美女4人がずっとそこに居ること。これまでもサイドの椅子に座って舞台上にずっといる演出を観たことはある。でも今回はもっと存在感が大きい。ただ、出番でないときはまるでマネキンだ。そこがイイ。彼女たちの視線は虚空を彷徨い、虚ろだ。闇が漂う。
④ずっとそこにいた4人が去り、代わりに掛けられたポートレイト。その中に歪んでしまった被写体が意味することを考えている。世界がビリヤードの球🎱のような関係性を持っているのなら、我々はもっと能動的に生きなければいけない…と思ってみる。
⑤奥野亮子さんの怯えがリアルを生み、諦めが狂気を深める。堤千穂さんの性悪ぶりっ子は一級品。『短編集』でのニットと白ジーンズの爽やかなのに陰ある感じが大好物だけれど、今作ラストの、状況把握できずに目を丸くしてる様子が堪らなくキュートだったりする。
⑥オカルト雑誌ライター役でとみやまあゆみさんが映像に登場しただけで嬉しくて堪らない。ご馳走様という気分。青山祥子さんのソノ姿…いや表情は、悲惨を突き抜けて滑稽。思わず笑ってしまう。あんな綺麗でスタイルがいいのに、根っからのコメディエンヌで笑える。
⑦小崎愛美理さんがソレを告白する狂気の表情はなかなかに殺気立っていてカッコイイ。そして…羨ましい。川添美和さんの、恐怖から第三者の無邪気さへの振り幅の大きさに畏れ入る。
⑧千秋楽。川添美和さんのモノローグに作品が凝縮されている気がした。物語の筋や展開もだが、空気感のようなものが詰まっているように思えた。三崎の怯えが世界をリアルに感じさせてくれた功績は大きい。彼女の次回出演作も拝見したい。きっと素敵に違いない。
⑨とにかく四人の女優さんのONとOFFの切り替えがスゴイ❗
奥野亮子さんのONのダメ女っぷりと挙動不審ぶりに感心する。そしてとても少女っぽかった。
堤千穂さんのOFFに表情が加わった気がした。演出なのか彼女の変化か…或いは無意識か。思いを廻らす。
⑩アフタートークも充実していた。主宰の高木登さんのトライアルに拍手👏 作品中の伏線や仕掛けの難易度が絶妙👍 解った感を程よく与えてくれて、解らなかった驚きや悔しさも程よく残してくれる。映像エピソードも面白かった。福永マリカさんの🚃ホームの👀に爆笑
⑪映像に散りばめられた仕掛けにビックリ。福永マリカさんがそんなところにも居たなんて👀❗
ただ、オカルトライターのとみやまあゆみさんの映像の中で、同じカットが2回使われていたことには気付いた😁👍
使われていた……はず……だよね😅
面白かったぁ。
10
前世でも来世でも君は僕のことが嫌
キュイ
①スパイラルする悪夢は夢か現か幻か❔いくつかのソレは無関係か繋がっているのか❔人生をやり直せるなら何処に戻るだろう❔戻れたら…うまいことやれるのか❔
ガラスの向こうの世界❔割られた硝子のような美術がルーレットのようにソコへ誘う。
続きは「ネタバレ」に。
②人生はゲームのようにリセットできない。悪意と狂気と暴力が人生に開けた風穴は、じゃくじゃくと噛み砕くぬか漬けのように味わい深いものになるはずもない。繰り返される暴力のループは恐怖が麻痺して滑稽に見えてくる。笑うしかないのか😅
アゴラ劇場に向かう。まつもと演劇祭で観た『無風』の4番目の彼女がどんなことになっているのか楽しみでならない。
③千秋楽も終演したけれど言っておきたいことがたくさんある。まず最初に、これはかなりの秀作だ。それはリピートした方なら頷けるはず。初見で見えた可笑しさや恐怖もそうだが、破綻と歪みが細かく計算されている。音楽と美術の緻密さに唸る
④繰り返される悲劇のルーレット。それはまるでドラえもんのタイムマシンのように時を廻る時計。繰り返され、変化させることがユガミとヒズミを生み、正気が狂気に蝕まれることを、照明とBGMがスクラッチしながら教えてくれる。巧みな技だ👍
⑤特筆すべきはキャスティングの妙。ぶつかり合わない個性の彩り。この演者の並びが勝利🙆
バス🚌の中田麦平さんが最高に可笑し可愛い😁確かBGMゆらゆら帝国『できない』でのフリフリ💃ダンスがツボ😁👍
大竹直さんの失意と狂気も絶品。
⑥三人の女優さんも素敵。岩井由紀子さんの艶々の唇💋と絶望的なダンス💃にクラクラ。西村由花さんの溢れそうな白目と脳天を突き破る声に撃ち抜かれる。着衣の乱れた井神沙恵さんは反則😍だし、じゃくじゃく可愛いし、箸を運ぶ口元がヤバイ💘
⑦綾門優季さんの書く言葉は、決して言いやすい台詞ではない。なのに何故か心地いい。そして耳に残る。それは紛れもなく俳優さんのスキルの高さであり、演出家の得地弘基さんとの稽古の賜に違いない。それが世界の刺の塊となって迫ってくる。
⑧恐怖の瞬間がスパイラルしながら、善と悪の境界が摩耗してマーブル状に融合し、常識人が狂人と化す。世の不可解な凶悪犯罪が、こうして破綻した人格から生まれたとすれば…と考えて怖くなった。
彼女の最後の夢がハッピーでありますように。