ぱち太の観てきた!クチコミ一覧

281-300件 / 610件中
若手演出家コンクー2012 最終審査  

若手演出家コンクー2012 最終審査  

一般社団法人 日本演出者協会

「劇」小劇場(東京都)

2013/03/05 (火) ~ 2013/03/10 (日)公演終了

満足度★★★★★

「公開審査会」・・長寿の秘訣はギャフンから~
難しいところだなぁ・・(苦笑
審査員の言うことは皆もっともだと思う。
皆舞台が好きで好きでしょうがないんだなということが良く分かった!(だから若い人たちが捨て身に見えないのが歯がゆいのかな

要は、今回は意外とず抜けた作品が出そうで出なかったのカナ・・(最後まで聞いてなかったんで分からないケド

広島・大阪の作品も、上演時間30分だったら分からなかったかも。
(コンクールでは30分以内にまとめることが重要。考えてみれば、就活の面接で30分も持ち時間があることなんてないんだから、30分って自分を見せる時間としては結構長大。35分以上だと、かえって「自分の持ち味を熟知してない」と判断されてしまう。審査員はどっぷり世界に浸かりたいファンでは無いんだからなぁ・・

鈴木アツトさんの作品も、きっちりまとめ過ぎて損をしていた気もする。
設定をもう少し普通にして面白くするか、
もっと馬鹿馬鹿しくするかの思い切りが足りなかったなぁ。

チョコレートケーキは・・空調を入れてくれないかな・・(本気(汗
最近どこも空調を入れないのが流行りなのか、
仕事帰りに観劇で蒸し風呂に突っ込む可能性があるというだけで
ビビって、他の舞台まで行く気がなくなってしまうなぁ・・
アゴラみたく暑かったら外出て、
隣のショップ99で飲み物買って1階でテレビ中継観れる環境だったらまだマシなんだけど・・(苦笑

自分は、外国が舞台の作品は、
「外国語から翻訳して日本語の台詞にした」
感が最低限必要なんじゃないかと思ったり、もしくはパラ定みたく
「妄想し過ぎて完全に自分の世界」
にした方がなぁ・・。

凄い作品なら暑さも気にならないものかもしれないが、
自分はいまだそのような作品に出逢ったことが無い(苦笑

同時期の上演だと、
演出なら、遊びに満ちた「人工vs自然」、
作品としてなら、人間モドキの暗躍する「寝惚けた日記帳」
の方が面白かったなぁ・・。

皆、固くやろうとし過ぎてかえって小さくまとまってしまった感あり(苦笑
役者は皆、熱演だっただけに残念(「箱」はもう少し熟達するか演出で魅せる工夫が欲しかった

公開審査会が一番面白いというのはどうだろうか(苦笑

一度作ったスキームに満足することなく、
それを笑い飛ばして打ち砕くパワフルな作品があれば
もうその時点で勝負はついていただろうにと思うとちょっと残念。
あと、掘り下げがイマイチだったり。

あと、セレクションの時点で傾向が見えなかったので
最終選考の基準も分からなかったんではないかと思ったり。

老人たちは、みんな荒々しいパワーに飢えてるんだと思う。

・・そうなるとサリとチョコに絞られてしまうからな・・で、サリ氏は上演時間長くしたためパワーもちょい削がれてしまったと・・惜しいなぁ。
審査員の誰かが
「短かった初演の方がスリリングだったんじゃ」と言っていたけど
↑実は自分も内心思っていたけれど、ここには敢えて書かなかったのだが(苦笑 
作者がどう思ってるかはともかく、審査員にはお見通しだなぁと思ったり。
パワーあっての技巧だからね。

野獣みたいの来ないカナ。
野生の獣のように、全てを削ぎ落として逞しい筋肉だけ残った飢えた生き物みたい(舞台の話です)なの。
自然の生き物って美しいから、ああいった骨格に似た舞台作品を観たいと常々思っている。で人一倍繊細な(欲張りでスミマセン(汗

誰かアイツラをギャフンと言わせろよ。
そしたら彼らも強風に吹き飛ばされて喜んでる女子高生(きのう実際に渋谷でみた(笑)みたくキャッキャ言って大喜びすると思う(笑

人工vs自然

人工vs自然

日本パフォーマンス/アート研究所

Vacant(東京都)

2013/03/09 (土) ~ 2013/03/09 (土)公演終了

満足度★★★★★

基礎編
応用編は無理だったけど、基礎編だけでもとても見応えがあった。

演出と言う面を考えてみても、
ライブ中に電話がかかってきて作業を中断して話をしたり、
いろんなアクシデントや遊びがあって
パフォーマンスとしても十分楽しめました。

台詞を喋る役者が出ていなくても十分に舞台作品として成立しているところが面白い(笑

やっぱりvacantは面白そうなものに目を付けるのが上手いなぁ・・。

focus#3 円

focus#3 円

箱庭円舞曲

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/02/28 (木) ~ 2013/03/11 (月)公演終了

満足度★★★★★

人にもよるのかな・・
演出に遊びがあって、滅茶苦茶楽しめた感(笑

若手演出家コンクール選考会途中で抜けて行ったけど、悔いはない(苦笑

通常の公演では、
「ストーリー6、遊び(よく目を凝らすとそうとわかる感じ)4、ドラマは意図して省く。ま、いんでない。こんな芝居あってもサ」
な感じな気がするケド、
今回は
「ストーリー0(ま、一応あるなって程度)、遊び6、魔法(使い)4。あとは実人生の1/3程度のドラマがあればいい」
な感じカナ。

要は凄く、凄~~く好みです(一般受けはしないかもしれないが(笑

もし、仮に、
高架下に掘っ建て小屋でも作って、そこで爬虫類を飼って暮らしたとしても、
これよりはドラマチックな人生だったかもしれんよ。

・・でも、ま、いんでない?

ネタバレBOX

所詮人生なんて、火葬場で花に囲まれて焼かれるまでの場つなぎで。

それまで、マドンナ先生だったり、モンスターハンターのやり過ぎで魔法使い狩りに走ったり(想像

花に囲まれて、子どもだけ生んで自分は死んで灰になるとしても、
死に顔を見てプッと笑われるくらいの方が
幸せな人生送ったって言えるんじゃないのかなって、
なんか観終わってそんなことを考えてみた。

せっかくのアゴラ公演だってのにこんだけ遊んで(笑

でも、ま、そういうの自分は大好きだけどね。
寝惚けた日記帳

寝惚けた日記帳

劇団ハーベイ・スランフェンバーガーのみる夢

王子小劇場(東京都)

2013/03/09 (土) ~ 2013/03/10 (日)公演終了

満足度★★★★★

観に行って良かった
なんとなく予感がして、予定を無理くりして観に行って良かった。

イキウメの「散歩する侵略者」の初演を初めて観たときのような感触。

場面の限定された会話劇なのに、飽きずに観れた。

夢の描写が、いわゆる不安系とか、そういうんではなしに
メビウスと原宿系が合体したみたいな(笑
甘くてカラフルなイメージとか、
南Q太の漫画に出てくる夜みたいなイメージだったりするのが新鮮だった。

別にいちいち説明しなくても、ブレイクする要素が全て詰まっている(笑
敢えて売り込まなくとも、自分がチケ手に入らなくなる日は近そうだ(苦笑

頑張ってエンゲキを若い人たちに広めてください。

ネタバレBOX

「人類は一度滅んだ」
じゃないけど、
誰かが死んだと思ったら、実は一度死んでいた、とか、
P・K・ディックのシミュラクラっぽく
「人間もどき」が大活躍?する感じとか、
SFオタク受けする要素を多く含みながら
後味がふわっと切なくする感じとか。

王子でこんな一般向け?にブレイクする要素満載な舞台が観られると思わなかった(笑

ディック好きな高校生なんかは大喜びするんじゃないカナ。

舞台好きよりマンガ好きな人向けカモ(最近はオタな人たちが一番読解力高いからなぁ・・
若手演出家コンクー2012 最終審査  

若手演出家コンクー2012 最終審査  

一般社団法人 日本演出者協会

「劇」小劇場(東京都)

2013/03/05 (火) ~ 2013/03/10 (日)公演終了

満足度★★★

「親愛なる我が総統」
こういうのは、観る人の人生観によって評価が大きく変わる作品ではないかと思う。

例えば目の前に言葉も通じないし習慣も違う、マスコミをみる限り野蛮で敵意に満ちた異なる民族の一人がいて、
ソイツを殺さないとお前を殺すぞ、と同じ国の人間に言われたとする。

自分は、歴史も文化も自分の国を心から愛していて、
マスコミの報道によると今、その異民族に滅ぼされようとしているらしい。

家族もいて、自分が死ぬと裏切り者として罵られて路頭に迷うかもしれない。

涙を流し謝りながら殺す人間がいる一方で、
自分と同じように泣き笑い苦しむ人間を殺すくらいなら死んだ方がマシだと
自分の中の神に従って迷わず死を選ぶ人もいる。

どちらに感情移入するかで、評価は分かれると思う。

自分は強力な軍隊を作り上げたドイツ人の言語より、
何のまとまりもなくすぐ侵略され、
ロマンの血が滾るポーランド人の言語を迷わず学びたいと思った。

殺す側に多少でも感情移入するということは、実は極めて危険なことのような気がする。

------------------------------------------

人間である限り、誰かが誰かより生きる価値があると信じる理由はない。
教養があろうと無かろうと、
自分の命が、目の前の人間を犠牲にしても守られる価値があると信じる人間(政治家など)だけが、
他のすべての人間に劣る。

------------------------------------------

そのことをハッキリと認識するようになったのは、
昨年のFTのヨッシ・ヴィーラーのレヒニッツあたりからなのだけど・・(苦笑
ただ、そのヨッシ・ヴィーラーも実は銀行に支配されたスイス
(報道自由度ランキングは上位だが、資本主義に対する懸念の発言は封殺される表現の自由の無い国
の出身なので、反ナチスの姿勢も多少は割り引いて考える必要があるかもしれないけれど・・(苦笑

ただ、被害者の声というのは割と通りやすいけれど、
加害者の声と言うのは聞かれないことが多いので、
そういう意味では上演する価値がある気もする。

出来ればドイツ軍とかじゃなく、
もっと最近の、アメリカとニカラグアとかそういったところを観たい気もするなぁ・・。

エルサルバドルの司教やなんかを殺害した特殊部隊を育て上げたアメリカ軍の兵士たちが、
「悪魔と呼ばれながらも実は人間」
的な存在として描かれたり・・って皮肉。


※ちなみにナチスとかユダヤ人虐殺などは自分もずいぶん昔から興味があって
本などを読んだりポーランド語を勉強したりしていたので、
割と自分にとっての題材の新鮮さが少なかったりとか、
あるいはポーランド人同士の会話から、
「これはポーランド語にしたらどういうイントネーションになってるんだろうか、
逆にドイツ人にドイツ語で質問してるときとの言葉の差が
感じられないナ」
・元はそれぞれの言葉で話しているため、
ドイツ語とポーランド語での元の会話を念頭に置きながら、それを日本語に訳していることをイメージする必要があったりする。自分も言葉を勉強したとき分かったが、ポーランド人にとってのポーランド語というのは、非常に重要な要素で、一般の市民の手紙の一つ一つが、日本で言うなら昔の作家のような言い回しを使っていたりする。
とか、わりと一般の人にとっては小さなこと(と言っても自分にとっては大きなこと)が気になってしまうので・・(苦笑

↑これが「演出」という面でどうしてもマイナスになってしまうこと。テキストは変えられなくとも、言葉の違いを観客に明確に分からせるような演出上の工夫がどうしても必要だったんじゃないだろうか。繰り返し言うようだけれど、ドイツ語とポーランド語の違いは非常に大きい。ドイツ語と違って、ポーランド語のように非実用的な言語を誇りを持って話す(生み出すのは数学者やピアニストなど)国で、科学技術や強固な軍隊を生み出すドイツとは大きく異なる。ドイツ人とポーランド人との違いをもっと分かるようにする必要があったのではないかと凄く思った。

ミシェル・トゥルニエの「魔王」ぐらいぶっ飛んだものだったら文句も無いんだけどな・・(苦笑

あと、メチャクチャ暑かった(汗

個人的には、(地方の)日常のシークエンスを上手く舞台の中に編み込んでいるという点も含めて、
やっぱり当初の予想通り大阪・広島の2作品に
(自分の中では)絞られたカナ、という気がする。

本当なら、ここにピンク地底人を含めて3作品位でちょうどいいんじゃないか、と思ったりする。

東京の2作品に思ったより演出上の遊びが無く、ちょっとがっかりしてしまった、正直な所(あくまでコンクールなので、今回だけは正直書きます、スミマセン(汗

ネタバレBOX

確かに、
銃殺よりはガス中毒死の方が、殺す側の自分の部下たちが苦しまなくて済む、
あるいは
自分が本当に人間なのかと悩み、苦しむ。

これがある分だけ、ヘースの方が、
世界各国で、自分たちが育て上げた軍隊に人を殺させまくっているアメリカ軍よりは
まだ人間らしいのかもしれない・・(アメリカ軍の兵士たちにあったことはないが

・・とすると、今現在は、ナチスのような直接的な抹殺は免れているものの、
より非人間的なシステムが支配する時代と言えるかもしれない(汗
若手演出家コンクー2012 最終審査  

若手演出家コンクー2012 最終審査  

一般社団法人 日本演出者協会

「劇」小劇場(東京都)

2013/03/05 (火) ~ 2013/03/10 (日)公演終了

満足度★★★

「青鬼」
物語としては凄く面白い。

地方の2作より面白いのではないかなぁ。

ただ、このコンクールは(他の時にも大いに言えるのだけれど
どの作品を先に観るかによって印象がだいぶ変わってしまう。

前日に「箱」を観て、脚本の色をコラージュする演出的な面白さに触れてしまうと、
舞台上に水槽を配置するだけの「青鬼」の演出では物足りなくなってしまう気もする。

脚本が面白く、特徴的な女優・男優にも恵まれたため
シンプルに魅せて、食材の良さを最大限に堪能させたい気持ちは非常に良く分かるだけに、辛いところだなぁ・・(苦笑

これからまた下北行ってきます。入れるかな・・。

ネタバレBOX

折角スクリーン的な水槽が目の前にあるのだから、
いっそ水中の光景を唐突にうつしだして、
「海豚になったら人間のときより楽しいかも」
位やっても(物語の面白さは損なわれるかもしれないが(苦笑
演出的には面白いかもしれないな、と、ちょっと思った。

物語的にはとても面白かったです。
若手演出家コンクー2012 最終審査  

若手演出家コンクー2012 最終審査  

一般社団法人 日本演出者協会

「劇」小劇場(東京都)

2013/03/05 (火) ~ 2013/03/10 (日)公演終了

満足度★★★★

「箱」・・お洒落な小品
HPをみたら最後に選出が決まったというので、正直ちょっとナメてる部分があったことをここに告白しておきます(苦笑

ただ、観てみてその先入観は間違っていたことがはっきり分かりました。

ピンク地底人と本選を争ったというので、
「ピンク地底人(こちらの公演も観ています)と一緒に議論される」という作品が
どんなものかな・・と気にしながら観てみると、
なるほど、ほんのちょっと似ている気がする(笑

よく見ると全然違うのだけれど、
アフタートークを聴いて、
「どことなくちょっと似ている」と感じた理由がなんとなくわかった。

ひとつひとつのシークエンスの長さ、つなぎ方がちょっと似ている気がしたのだ。
もちろん、良く見ると全然違うのだけれど。

この作品は題名にもハッキリ分かる通り「箱」を題材にしている。

その視覚的な分かりやすさ(テーマはともかく(笑
が、ほんのちょっとピンクに先んじた理由かもしれない。

ただ、その分かりやすさゆえに、
ピンク(「長い人生の陰影」とでもいうべきものを音でザッピングしたものと自分は捉えました)とでは
微妙に好みが分かれ、選考現場では票が分かれたのではないかな、という気がした(推測です

この作品自体は、まだ4作品観たわけではないのでハッキリとは言えないけれど、
多分他のどの作品にも劣らない作品であろうと思われます(何となくピンク地底人がなければこちらに票が集まっていたようにも思うので。それはピンクにも同じことが言えますが(苦笑

別にこのまま優勝しても何らおかしくないと思いました。

それくらい、洗練された作品であるように思われました。

ネタバレBOX

作品は、5人の作家の作品を切り刻んで組み合わせたものです。

舞台上の□(平行四辺形含む)の上をさまざまに役者が動き回ります。

役者たちはなぜか靴下をはかず、
脛の途中で切られたストッキングは二人一組の同じ模様、
上着もまた二人一組で同じ模様。
そのため役者が動き回るごとに色の組み合わせが様々に変わり、
観ていて目が回るようです(笑

物語もまた、300年、1000年の話からたわいもない子供たちの話、
工場の女性たちの陰湿なやり取り、ノアの方舟の話・・さまざまに飛び回ります。

ちょっとした子供たちのやり取りから、次の瞬間には神話の出来事の話へと、
マイムでハコを突き抜けるたびごとに
時空が次々と変わるさまは痛快でもあります。

「身の回りに見えない箱があるなんて気のせいだよ。
飛び越えちゃいな、別の世界が広がってるから」
とでもいうみたく。

前日のサリ氏が、音楽にたとえるなら骨太なロックなら、
今回の作品はヴァンパイア・ウィークエンドみたいな
様々な物語を呑み込むワールド・ミュージックとでもいうものでしょうか。

物語を組み合わせる手腕に遊び心が感じられるので、
観ていて物語の意味をつかませるようでスルリと抜けてしまいはしても、
別にそれほどストレスには感じませんでした。

切り替えのテンポは非常に軽快で、
意味を追いながらも音楽が切り替わるごとに
幕が開ける次の物語へと
「小説を何冊も並べながら電車の中で音楽を聴きながら本の中の物語世界を飛び回る」
ように、
ウィンドーショッピングでもするみたく気ままに
移り変わりを楽しめる雰囲気があります。

この手法が新しいか、と言われると
別にそんなことはないのですが
(というかすべての手法はほぼ出尽くしているので、そのような議論は無意味のようにも思われるので
物語を飛び回るフットワークの軽さは、重苦しくもある2013年の今現在では、
目新しいというよりも「新鮮」と言って良いように思われます。

例えば、ピンクやサリ氏のように、一人の作家が書いて、
自分でその構成を考えるのとは違い、
物語の継ぎ目ごとに
リズムがザックリと変わる面白さ。

・・そのリズムの変化もまた全体の中で調和よく構成されているため、
切り刻んでもなお全体としてみると
ひとつの印象が残る良さもあります。

東京でこのような軽さとリズムの作品をあまり観た記憶が無い気がしたので
とても素晴らしいと思いました。

全然、この作品が優勝でもおかしくないと思いました。


ただ、全体としては文句のつけようもないのですが、
一応賞レースなので(苦笑
微妙に他の作品と比べると若干いうところがあります。

マイナス点の内容とは、アフタートークで審査員が言うところに全く同意なのですが(苦笑

①まず上演時間の60分と言うのが少し長い

・・・それは、前日に怒涛のテンションで50分で燃え尽きる
サリ氏の作品を観た後だからなのかもしれないです。

審査員の方が言うように、もし上演時間が40分なら、
物語の意味を追うよりリズムに集中できて
良いのではないかと思いました。

東京の人間に受けるためには、
何でもそうなのですが30分以内にカタを付けなければなりません(苦笑
何かを加えることによって得られるプラスより、
何かを削ることによって得られるプラスを第一に考えなければなりません。

「上演時間が少し長い」というのは、
制作者サイドにはそれほど気にならなくとも、
観る側にとっては致命的な違いになって現れます。

②全体として少し平坦な印象を受ける

脚本を書いたのは、演出家とは別の人たちなのですが、
脚本家と演出家が異なる最大の利点というのは、
演出家が脚本を情け容赦なくカットしたり、切り刻めるということだと思います(恐ろしいことに

そういう意味では、脚本と演出をハッキリ切り分けた今回の作品においては、
その利点を最大限に追い求めたとは言えないように思います。

演出家がもっとラディカルに、
本の量を1/10にしたりする。

あるいはもう文節ごとに切ってしまう。

誰か一人の役者の動きだけをラディカルにして、
他の役者が語ってる最中に体当たりするなどして強引に物語を分断するなどすれば、
もっと生の動きが出てエキサイティングになるんじゃないかと思ったりしました。

あるいは、審査員の誰かが言ったみたく、
途中で役者の誰かが物語を見失ってアタフタし、
みんなが心配して、
例えばそこに観客に紛れた演出家が登場して指示すると途端に完璧に戻るなど(苦笑
進行上、イレギュラーを装ったいろんな悪戯を紛れ込ませればもっとハラハラして面白くなるんじゃないかと思ったり。

まだまだ遊びを加える余地はいくらでもある気がしたので、
審査員の方が言っていた
「初演と今回の公演がほとんど同じ(15分短くなったらしいけど」
というのは、
自分は初演を観てないので何とも言えないけれど
初演より上演時間を伸ばしながら
個人的に特に長さを感じず、また色々な要素を盛り込みつつ
ぶっ飛んだ村上くんを磨き上げたサリ氏との大きな違いと言えるのではないかと思ったり。
(厳しいようだけど、半年経ったら作品が大きく成長しているのはアタリマエ。そうでなければ「若手」と銘打つ意味は無いように思う。無謀な挑戦を常に続けられれば80才を過ぎても若手でいられると思う


いちおう①、②と分けてはみたけれど、
それほどハッキリわかれるわけでもなく(苦笑

「削る」か「遊びまくる」かでちょっと中途半端な印象はあった気がする。

ただ、それらが決定的なマイナスという訳では勿論ない。

あくまで、「他の作品と比べたら」「もっと良くするには」
という観点で観たらそのような感想が思い浮かんだというだけで。

あとは好みの問題だと思います。

ただ、先に自分がみた東京以外の2作品(大阪・広島)は
東京ではあまり見られない珍しいタイプの作品にも思われたので、
エンゲキを東京以外に広めるためにはこの辺りから
選んだ方が良いのではないかとも思ったり
(東京の演劇の流れを「これが東京の流儀だから従うように」という時代ではないように思う。今現在の時代の先端は、マスコミの充実していない地方の片隅にあるように思う。東京の人たちは、地方の人にしたらそこここに転がっている些末な出来事を、週末わざわざ出かけて行って吸血鬼のように吸い上げて、爆発的なパワーで舞台に描いた方が良いように思う。

・・ただ、まだ東京の2作品が残っているので
こっちがもっと東京では見られない種類の凄まじい作品かも知れないので
まだ何とも・・(苦笑

そちらは明日観ます。・・入れるかな、特に8時の回。一応予約したけど(苦笑
若手演出家コンクー2012 最終審査  

若手演出家コンクー2012 最終審査  

一般社団法人 日本演出者協会

「劇」小劇場(東京都)

2013/03/05 (火) ~ 2013/03/10 (日)公演終了

満足度★★★★★

「絶対の村上くん」
今回の作品は自分は一度大阪で観ていました。

なので、以前と比べて作品がどう変ったかは勿論、東京の観客の反応も少し気になったり。

物語の構造としては非常にシンプルな二人芝居なのに、
だからこそというのか、
心理的には非常に複雑な愛憎が絡み合い、
どこまでが現実で、どこまでが夢なのか分からない作り。

少し、年末に春風舎で山崎氏が上演していた「マボロシ兄妹」を思い浮かべたり。

今回観て、改めて作者の独特な世界が良く分かった気もする。

ネタバレBOX

主人公は、せいぜい佳作どまりの冴えない小説や俳句などの制作に没頭している。

ただ、その部屋はどうも特殊な環境のようで、それがどうやら独房らしいことが徐々に分かってくる。
親友がたびたび差し入れを持って彼を訪れる。
とても親切で文才もあり、良い奴のようである。

そのうち、何をして刑務所にいるのかが分かってくる。
どうやら主人公は自分の家族と、その庭にいる多数の鶏を殺して
家に火をつけたらしい。

でも、そんなことからかけ離れた、毒にも薬にもならないファンタジーを書いて応募したりしている。
そこに鶏のヘンリーが現れる。
ヘンリーは優雅にお茶を飲みながら、
主人公に現実の体験をそのまま書けと言う。

彼は、その場の湿度や体温も含めた殺人現場の光景を
眼に火が付きそうな表情で、熱狂的に演じてみせる。

彼が自分の家族を殺したことは、疑いが無いように思われる。

ところが、途中から殺されたのが実は主人公の両親ではないことが分かってくる。

どうやら、殺されたのは主人公の家族ではなく、
親友の家族であるようだ。

じゃあ、なぜ主人公は、自分の家族を殺したように演じてみせたのか?
なぜ、自分の家族を主人公に殺されたハズの親友は、足しげく義務のように主人公を訪ねるのか。
そして、良い奴でいることを途中で急に止めるのはなぜか。

あくまで自分の想像だが、
主人公は、どうも両親や鶏を殺した親友を庇ったようだ。

・・と言えば聞こえはいいのだけれど、
実は主人公は以前から、内心非常に特殊
(親が鶏ばかり拾ってきて、家じゅう鶏の臭いまみれのため、家族みんな地域で疎まれている)
で、創作環境にはうってつけと思われた親友のことを羨んでいる。

主人公にとっては創作がすべてのようだ。
どうやら自分(普通の家庭環境であるようだ)に文才が無く、
親友に文才があるのは、その特殊な家庭環境にあると信じて疑わないようだ。

自分が励まして親友に書かせた作品は、
主人公にとっては眩しすぎる(といっても小さな)賞を取り、
この上、家族まで殺して、特殊な生い立ちに磨きをかけるとあっては、
もう一生自分の手の届かない(文字通り(苦笑
所に行ってしまう。

主人公は、親友と殺人者の役割を交代することで、
罪の代わりに人殺しの体験を得て、
わざと自分を追い込んで創作に向かって、作品を公募し続けているようだ。

親友も最初は気にして面会に来るものの、
途中から独房で生き生きと駄作の制作に没頭する主人公にそっけなくなり、
「ふたり一緒に文豪になる」という夢を捨てて就職したことを適当に告げる。

主人公はがっかりするが、
それは親友のことを気にするのが、純粋に親友の文才によってのみであることを
露呈するだけのことだった。

親友はその後、ゲイ?になって店を持ったと主人公に伝えに来る。

ここで、やっと、主人公は親友の文才しか見ず、
親友は主人公のことを、恋愛対象としてみていたのではないかと(あくまで想像だが
感じられてくる・・。
(もちろん、過去の「人を殺した自分」と決別するためにそうなったとも読み取れると思う。いくつかの読み取りが可能な所が、この物語の面白さだと思う

しかし、主人公は執筆に没頭し、親友の変化から、その心情を読み取る事が出来ない。
彼にとっては、執筆こそがすべてのようだ。


また、殺人の発端となった、
鶏の頭部がその親友の家の前に置かれ、親友が精神的に追い込まれたと思われる事件も、
よくよく考えれば、
主人公の僻み(賞を取った親友を表では喜びながら裏では嫉妬している)かもしれない。

そもそも、先ほど演じられた殺人風景も、そもそもが主人公のイメージなのか。

良く考えれば、その光景は一人称で語られていた。

とすると、その風景も、親友の目撃・体験・語りなのか。

主人公は、親友の用意した渾身のシナリオを読みながら、
その時の親友の心情と完全に一体化してしまったのか。

しかし、せっかく血肉の滴る殺人風景の描写を手に入れても
物語を語る才能のない主人公にとっては、
想像の世界を描くことには限界がある。

殺人の風景を自分のものとすればするほど、
リアリティのある想像の世界をそこに継ぎ足すことが
自分には難しいことが実感されてくる。

結局は、実際の殺人を行った親友と自分との
過去のやり取りに帰結してしまう。

主人公は、リアルに親友のシナリオを自分の血肉とし、供述したためか
無事に死刑囚となる。

主人公は、そんな絶望的な状況にも関わらず
目前の死によってかえって燃え上がり、
死刑執行まで笑いながら作品を描き続ける。

まるで執筆することが生きるすべてとでもいうかのように。

鶏のヘンリーが出てきた理由をよく考えてみると、
親友の家族を殺したのが、親友なのだとすると、
その発端となったと思われる鶏の首を親友の家の前に置いて行ったと思われる主人公に、
殺された鶏が祟ったのかもしれない(あくまで想像だけど

非常に限定された空間のなかで、
広漠な海や、時間の流れ、
夢の景色、燃える家、玄関に置かれた錆びた銛で貫かれる両親、
鶏の臭いが染みついた服を着て学校で疎まれる子供・・。

自分も、育児放棄などで家でまったくお風呂に入れてもらえない子供たちのことを人づてに聴いたことはある。

そういった、社会の中に実際にある悲惨な現実を
幻想的な夜の海の描写などを絡めながら、
あくまで登場人物たちは燃えるように笑い、踊ったりしながら演じる。

なかなか気づきにくい疲弊した社会の中の出来事を物語の中に生かしつつ
夢のように語るのは、
非常にサリ氏らしいと思うし、
あくまで自分の勝手に思い描く「大阪っぽさ」を体現しているようでもあり、
素晴らしいな、と思ったりもする。
春.一夜にして

春.一夜にして

KARAS

シアターX(東京都)

2013/03/03 (日) ~ 2013/03/04 (月)公演終了

満足度★★★★★


そういえば生前、工藤先生に
「一番好きな作家は?」と聞かれて迷わず「トルストイ」と答えた気がする。

それを聞いた工藤先生は残念そうに「シュルツはどうだい?」と言った。

シュルツはとても良い。ポーランド語の凄さを引き立ててくれる。
現在の、味もそっけもない日本語より遥かに詩的な言語を当時自分は発見した気がしていた。

それでもなお、トルストイの真っ直ぐさ、明るさが自分の心の中にいつもあった。

工藤先生はその後も何度もシュルツのことを口にしていたと思う。

先生が死んでから、自分はシュルツがずっと好きになった気がする。
自分にとっては、たぶん他の多くのポーランド文学愛好家と同様に、
シュルツと工藤先生とは不可分だ。

劇中にたびたび訪れる闇の中で、
昔通っていた今はなきマヤコフスキー学院からの帰りの夜道を思い出していた。
工藤先生もそこでポーランド語を教えてくれていた。
先生はお金持ちには見えなかったが、口の中にはとても豊かなリズムが満ちていた。
大企業に勤めてお金儲けのことばかり口にする人たちには、一生手の届かない世界が、その向こうにあることがまだ若い自分にもわかった。
世界は詩で形作られている。

勅使河原氏の手が描き出す、闇夜の蝶が現れては消える様子。

2匹の蝶が現れては消えるのが、シュルツとゴンブロヴィッチのように見えた。

次に見えた蝶は工藤先生のようにも。

作品を生み出した人びとも、その作品たちをこの国に伝えた人も、今はもうこの世になく。
ただ、その言葉を風のように体の上にのせ、糸のように舞台の上に紡ぐさまを眺めるばかり。

瑞々しさとは何なのか?
人間の生命力というのは、死を引き立てる花に過ぎないのか?
あるいは逆か。

シュルツは灰色のこの世界の一瞬を、永遠のように引き伸ばし、広げ、
冬と春は一夜にしてせめぎ合い、
やがて冬は過ぎ去るが・・
それは夢の中で語られる物語のようでもあり
やがて物語は、混沌のなかで
世界の「価値が創られている深部のプロセスを記録」する・・。



シュルツとウィトゲンシュタインは似ている。

ふたりとも長い冬を生き、世界の測深器(ゾンデ)になろうとした。

シュルツはウィトゲンシュタインやゴンブロヴィッチのような天才ではなかったかもしれないが、天才ではなかったがゆえに、誰も到達できなかった刹那の最深部に到達できたと見ることもできるのかもしれない。
ゴンブロヴィッチもシュルツのその素晴らしさを十分に理解していたからこそ、お互いに尊敬しあっていたのだろうと思う。


もし、若手の演出家の人で、他の若いうちから活躍する作家に比べて自分が劣っていると思ってしまう人がいるとしたら、それは大きな間違いだと思う。

一瞬にして全てを見抜くような能力と言うのは、世界を測る上ではマイナスになる。

例えば世界の価値とでもいうものは、往々にして一冊の哲学書より多くを一体の仏像の中に見出せるものでもあるように自分には感じられるから。

同じ仏像を何年も見続けることなど、天才には難しい。

ギプス不動産

ギプス不動産

あひるなんちゃら

駅前劇場(東京都)

2013/02/27 (水) ~ 2013/03/03 (日)公演終了

満足度★★★★★

熱演?
なんかいつものあひるなんちゃらっぽくない?
熱演ていっていいのか
本気でおかしくなってるのか分からない位いっちゃってる登場人物たちのなかで、
マトモな人たちばっかり貧乏くじを引いてるフシギ(笑

ツッコミどころ満載なのにみんなあまりにさりげなく、風のように
あっちの世界に入り込んでしまうので、
自分も舞台の他の登場人物同様にあっけにとられて
(心の中で)突っ込むスキを忘れてしまいそう(笑

コイツ、ボケてるふりをしてわざとやってるんじゃないの・・?
と思いながら、果てしなくボケ続けてるのを見て不安になり
自分の方がおかしくなってるのか、
自分も果てしなく突っ込んでるほうの登場人物になりかわって
口に出してソイツの不審さを口に出して確認できればどんなに良いか(苦笑

でも、あひる特有の
「いつの間にか夢に入っちゃった」感が時折覗かせたりして
ネバーエンディングストーリ―さながらに
「永遠にボケ続ける物語」の展開し続けるマコンド病院の、
でも怖いというより
どこかゆるくヌケ続ける
フシギなゆるふわっ感は健在で、
笑いながらも間違いなく終劇を迎える70分の夢の世界に身を浸してみたり。

HIPHOP侍vsレゲエ侍

HIPHOP侍vsレゲエ侍

男肉 du Soleil

シアター711(東京都)

2013/02/25 (月) ~ 2013/02/27 (水)公演終了

満足度★★★★★

FEEL
なんか知らんが観客がいっぱいいた。

ちょっと前に代官山ユニットでみたERAとかがでてたイベントより人がいたんじゃないかという気がした。

・・いや、そんなこたぁないか(笑

でも、それくらいいっぱいいいた。

ゲームセンター寺尾@東大阪市(勝手なイメージ
も、下北で結構やれるんだぜ。みたいな(笑

ルル

ルル

東京芸術劇場

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2013/02/27 (水) ~ 2013/03/03 (日)公演終了

満足度★★★★★

野生生物博覧会
文字通り人間世界における
人の顔をかぶった?野生生物たちの饗宴を、
サッカー専用競技場のゴール裏のような客席で
眼前のリアルバウトを臨場感たっぷりに観られるのが素晴らしい。

日本の劇場もサッカー専用競技場的なこの観客席を見習って
もっと臨場感のある客席を考えて
より盛り上がる仕掛けを編み出した方が良いんじゃないかと思う。

毎日観ても良い位だと思う。

前売りは完売だけどちょっとずつ当日券も出てるみたいなので
まだ諦めるのは早いと思う。

観客全員が複数回観ていると、
客席も盛り上がりどころが分かってきて
劇場全体に一体感が生まれてきたらもっともっと伸びそうだ。

演出の人の監督した映画も見たけれど、
この方は、もう死んでしまった人びとの魂に
生命力を入れて膨らませ、
躍動感漲るスペクタクルな法螺話に仕上げるのが非常に巧いのかな、と思った。

「ファウスト」が日本に上陸するならぜひ観たい。上海やソウル位だったら
足を延ばして行っても良いかもしれない(P2.5や治安が不安だけど(苦笑

肉食の文化の作品という感じなので、
サッパリめの作品、ジャニーズ的なJ-POPじゃないとダメな人には
ちょっとキツいかもしれない(念のため

ネタバレBOX

寄生獣さながらに
猛獣が出てきたと思ったら、
その次にさらにその獣を殺す
紳士の顔をした激獣が出てきて物語を締めるラストが際立っている。

ルルは本能のままに生き、それによって輝き
相手によって自分の色をさまざまに変えることで
周りを泥沼に引きずり混んでいくが、
最後に切り裂きジャックと出逢うことでその人生の幕を閉じる。

ジャックに出逢う前にも何人かの狂犬じみた目をした獣のような男たちが登場し、
ラストの最終的な破滅への盛り上がりを加速させている。

そうした獣たちの中でもとりわけルルが
とびきりの怪物であるジャックに惹かれ、
彼の前では子どものように振る舞って死に至る演出は、
簡潔だが鋭く躍動感に富み素晴らしい。

タブロイド紙の記事に物語を与え、
豪奢なだけの舞台より遥かに輝く命を与えている。

スペクタクルで肉食の近松といったところだろうか。
ふりつけされたえんげき『君の知らない転び方』

ふりつけされたえんげき『君の知らない転び方』

ホナガヨウコ企画

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/02/16 (土) ~ 2013/02/25 (月)公演終了

満足度★★★★★

その日はわりと面白かった。
ダンスをみた、というだけでなくその日はわりと面白かった。

舞台をみる、ということがその時の気分によっても大きく左右されるから。

開演ぎりぎりに当日券で入ったら、入り口の近くの一番端っこの席で、
舞台をみるにはわりと見切れてちょっと、というところだったけど、
あとで考えてみるとそれも満更でもなかった。


作品は非常に練られている、という感じで、
何気ない日常の動きを音楽にするみたく、
音楽を物語にするみたいに。

夕暮れの
日が沈む前の景色を
昼の国の女の子から夜の国の女の子への手紙のなかに
溶かしこむように。

ちょっと見にくいけど、ま、いっか、と思ってるとそこにちびっ子(女性)がひとり。
出口の扉を開けようとしてるんだけど開かない。
男としては、目の前のレディの膀胱破裂の危機(推測)を救わなければとやわら立ち上がってその子の頭を撫でてカッコよく押したつもりがビクともしない(苦笑
必至になりながら鍵を何度も回して押したり引っ張ったりするが動かない。

女の子は泣きそうな顔をして母親のところに行き、母親と一緒になって劇場のスタッフに電話をかけてやっとドアは開いた。

自分はわりと汗だくになった(苦笑

終演後にそのちびっ子の母親なのか関係者っぽい女性が、
さっきはありごとうございますと言ってくれたのだけれど、
自分は全然役に立たなかったので、
「頑張ったんですが、すみません、開けられなくて」とか何とか言ったような気がする(なさけな(笑

ちょっとビックリしたのは終演後のアフタートークでその女性がゲストだったこと。
ちょっと笑った。

終演後、近くの古本屋で物色していると、さっきの女性らのグループがこっちのほうに呼びかけてるみたいで、
何かな、と思ったら、さっきのちびレディが本棚の向こうにいたらしく(その古本屋には絵本もあるのだ)見えないけど、
声が上がったなと思ったら、ぴゅうと出て行った。

なんかさっきの様子と違ってすっかりピンピンしちゃって子供っておもしれーなと思った(笑

なんか、そんなことをぼんやりと思い出してみると、その日はわりと満更でもなかったかな、という気がした。

ちなみにその古本屋では、自分は絵本でもファンシーな何かでもなく、
戦前のアメリカのシアターギルドの本(そこは洋書が多い)を買った。

自分にはあんなちびっ子みたいな可愛気は一生できないな、と思った(昔からこんなだったのだ(苦笑

感想と言って良いんだか分からないケド、
自分にとってこの作品の想い出は、手に汗握る(笑)膀胱破裂の危機の回避と
密接な関係があるように思われたので、何となく書きます。

でも、ダンスをみる、ということは、作品を分析するためではなく、
「その日がわりと満更でもない」ことのしるしのためであるようにも自分には思われ
こんなちいさなアクシデントも評価に含めちゃっても問題ないようにも思われるのです・・。

必至になってノート片手に作品分析してたら、
こんな感想一生かかっても書けないからなぁ。

俺は・・・まぁ、立派なことを書いて人から評価される人生より
こんなふわっとした人生の方が良いや(仕事はしっかりやるが(苦笑

モー・ル・プラデック「Professor」

モー・ル・プラデック「Professor」

TPAM・国際舞台芸術ミーティング

KAAT神奈川芸術劇場・ホール(神奈川県)

2013/02/16 (土) ~ 2013/02/16 (土)公演終了

満足度★★★★★

説明を見ても良く分からなかったけど・・
観たら良く分かった!

ダンスなのだけど、演劇的要素も大きいみたい。

 劇団 マウス オン ファイア サミュエル ベケット『消滅するまえに…』

劇団 マウス オン ファイア サミュエル ベケット『消滅するまえに…』

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2013/02/13 (水) ~ 2013/02/17 (日)公演終了

満足度★★★★★

当日券
最初から予想はしていたけど、
シンプルながらも、あまりに濃密な作品群のため、
100m無呼吸で走り抜けるような、
息継ぎなしでずっと海に沈むような時間だった(苦笑

削ぎ落としながらも、
内に見える心は豊かで、
闇夜でありながら、目に入る光は啓示に満ちていた。

戯曲自体は、以前に何度か読んでいたが、
海外の劇団を見て、
音や光を交えながら豊かに語る様子に
自分が予想もしなかった言葉の向こうの豊饒さを見せつけられた思いだった(笑

ウィリアム・ブレイクやレンブラントの名前がプレトークにあったが成程と思った。

確かにウィリアム・ブレイクなどは自分も好きだけど、
後期ベケットを読み解く上では
常に心の中に置いた方が良いビジョンかと思った。

ベケット批評の本はあまり読んだことが無いが
(歴史とかでもそうだけど、自分は概説や批評的なものを読むことはあまりなく、
その分の時間があるなら、原作やその当時の時代に書かれたものを読み直すことが多いので・・・
自分もぼんやりと近いイメージではないかと薄々は感じていた画家たちの描いた景色を、
ハッキリと戯曲の向こうに配置する勇気を
この舞台は与えてくれたようにも思う(笑

また、この劇団の人びとが、
ベケットの戯曲の技巧的な面よりはむしろ、
ベケットの人となり、
母親に対する思いなど、
非常に個人的な感傷を掘り起こすことに
心を砕いていることにも感銘を受けた。

ベケットの戯曲は、
高度に感覚的で難解な代物であるというよりはむしろ、
戸を叩いて響く音がその時の感情によって微妙に揺れ動くような、
子供のように素朴でアナログな感性と、
死を前にして心惹かれる
宗教的な啓示とが
隣り合わせで存在することに特徴があるようにも思ったりする。


特にベケットの自伝的な感傷(母親への感情など)が込められた作品群をこうして並べたときには、
一見素朴で時に幾何学的な想像力に満ちたイメージの列の中から、
ベケット本人の温かみが泉のようにあふれ出ていることを感じる。

ドッグヴィル

ドッグヴィル

東葛スポーツ

3331 Arts Chiyoda(東京都)

2013/02/07 (木) ~ 2013/02/11 (月)公演終了

満足度★★★★

キエる鎌田氏(別に消えはしないが
途中からのノッてきた?感し。

最初は割と硬めだったかも。体の動きとかも。観客が多かったから照れもあったのかもね。

途中、画面(会場前方にスクリーンで映し出されているドッグヴィルの映像がある
見て、ガラスの向こう(フリースペースなんですぐ外が元校庭の広場)に眼をうつすと
「部活動でUFOを呼んでるっぽい」うる星やつらのオープニングに出てきそうなちびっ子たちがサイリウムを凄い勢いで振り回したり何本も放り投げたりして、
「をっ、UFO近づいてきたかな?」
とか思って、ふと舞台上に眼をもどしたら、
「あ、なんかぽくなってきてる」
て、なってた・・気がする(笑

なんでかな、て思ってたら、ラスト(以下ネタバレへ

ネタバレBOX

ネタばれってほどでもないのかもしれないけど、
ラスト50年代ハリウッドミュージカルっぽく
微妙な(上手くないことはハッキリ分かる(笑)ステップを踏みながら
外のUFO少年アブドラジャンたち(皆若そうだがたぶんラムちゃんも好きなのだと思う)のなかに飛び込んでいくあたり、
たしかに体が鈍ったまま外に飛び出ていくと
よっぽど葱を日ごろから大量に摂取していない限り
風邪ひきの憂き目を見るのは明らかなようにも思われたので納得
(別にそんな理由だけじゃないのかもしれないが

面白かったけど、
体の中にHIPHOPが染みついた男肉B-BOY(クラブでアンビエントでバク転するちびっ子たちを日ごろから苦々しく思っているなど)たちは
「チェっ、なんでぇ(こんなのがもてはやされるのか」
など、ど根性ガエルに出てくる登場人物みたいなボヤキを口に出すことは必至と思われる(すべて想像(妄想)だが

場所がほぼアキバなだけに2次元のたとえが頻出してしまったがご容赦願いたい。

帰りに近くのハナマサで泥葱を山盛り買って帰ったらお袋が大層喜んだ(もうないと思う

・・ちなみに最後の方で出てきたナカゴーの鎌田氏が
キエるマキュウの某氏の体型にほんのりと似ているような気がほんのちょっとだけしたりした。
Anamorphosis アナモルフォーシス

Anamorphosis アナモルフォーシス

青年団国際演劇交流プロジェクト

アトリエ春風舎(東京都)

2013/02/07 (木) ~ 2013/02/11 (月)公演終了

満足度★★★★★

分かるようになってきた気がする
やっぱりフィリップ・ケーヌは最高だ。

・・ただ、なんで観客がみんな最後まで起きているのかはちょっとよく分からない(苦笑

キノコやクラゲが好きな人にはおススメ。

ネタバレBOX

劇場に入って舞台上にドラムをみた瞬間、確信した。

「このドラムは演奏しない!それがフィリップ・ケーヌだ」

予感は的中した。

彼らしい作品を日本の俳優を使って直近で観れる幸せ。

去年の横浜でも感じたが、
彼の作品を鑑賞するためにはなるべく近くで見た方が良い
(ただし作品の世界に没入して寝る危険性あり

自分は濃いめの珈琲をたっぷり飲んでのぞみました。
IN HER TWENTIES 2013

IN HER TWENTIES 2013

TOKYO PLAYERS COLLECTION

王子小劇場(東京都)

2013/02/06 (水) ~ 2013/02/11 (月)公演終了

満足度★★★★

風景
男性的・・・というよりは上野氏の視点なのかな、とも思う。

ネタバレBOX

例えば、アフタートークで言われた
「女性は過去を更新するが、男性は過去にこだわる」というようなこと。

自分の視点からすると、これは全く逆のようにも見える。

人生も性格も、人それぞれなので、何が浅いとも、幻想とも、言い切れないように思う。

結末について言うなら、たぶんに上野氏の願望が反映されているのではないかという話が、やっぱりアフタートークにあったが、それは自分も感じた。

ただ、自分との見たい物語と言うのは、たぶん上野氏の願望とは正反対のようにも思う。

物語のなかで、20代の後半、女性が過去に付き合った男性のことを引きずって無理しているように見える場面があったが、
これは、上野氏の願望とも言えるのかもしれないとも思ったが、
自分が観たいと思う場面はまったく逆だ。

どちらかというと、男性のことなど完全に忘れて(笑
燃えるように毎日を過ごす女性の姿の方が、観ていて自分はスカッとする。

同じ男でも、感覚と言うのはだいぶ違うと思う。

・・じゃあ、男のことでクヨクヨする人生が駄目なのかというと、そんなことはないと思う。

自分は初演で観ていたので、話の手触りはおおよそ分かっていたので、
今回は落ち着いて自分を主人公の母親、
或いは飼い犬の視点で、物語を見つめてみた。

母親は離婚をして、たぶん主人公よりはずっと大人で、
遠くに離れたり、時折すぐ近くから、
自分の娘のことをどんなふうに見つめていたんだろうか?

飼い犬のラッキーは、
自分が子供の頃から一緒に育ち、
自分はもう老いさらばえて(まぁ犬だし何もできないし話せないし、人間の男はボンクラばっかだし(苦笑
次また生きて会えるか分からない目の前の主人公の女の子の元気のない様子を
どんな眼でみていたんだろうか?
(母親が離婚した主人公にとっての父親はラッキーだったのかな

自分が女性の心理について分かるのか、と言われると・・
まぁ、ちびっ子のころ遠くの公園の砂場まで出張って大きなトンネルを掘って
帰ってきていた(苦笑
ころから全然変わっていないので(苦笑
多分ラッキーの方が相当な感性をもって
主人公を包めることは明らかなのだが(自分は日本語が使えるくらいしか取り柄が無い(苦笑
まぁ、それでも女性の複雑性を察することができない自分を浅いとも思わない(笑

自分は、ただ女性を
----------------------------------------
正確に言うなら、
10人の女性が「集団としての女性」として演じる「ただ一人の女性」を、
----------------------------------------
風景のように観測しながら、
「・・・そんな人生もあるのかもしれないな」
とだけ思う。

当事者の女性や、その親友にしか分からない、微妙な機微があったとしても
自分はラッキーより外から、
彼女の10年を、風のように感じながら、
余白の分だけ気ままに夢想するだけ(笑

・・・その距離感が女性の観客には少し不満に思えたりもするのかもしれないが、
男性の演出家があえてそこまで細かく描く必要もないのかな、とも
男性の観客としては思ったりする。

あくしゃもん

あくしゃもん

田上パル

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/02/06 (水) ~ 2013/02/13 (水)公演終了

満足度★★★★★

凄く面白い
それだけで良いかな。

牧師が特に良い。
10年前に何を悔い改めたのだろうか?

strange

strange

ニットキャップシアター

ザ・スズナリ(東京都)

2013/02/01 (金) ~ 2013/02/03 (日)公演終了

満足度★★★★★

イスタンブールの子どもたち
今年は青組、グリクル、デスロック、サンプル、地点、伏兵コードなど・・
最初から印象的な公演を観る機会に恵まれたけれど
(無名な劇団が少ないのは毎年1~2月は海外のアーティストの来日が続くので自分もそれにつられて・・(苦笑
個人的には、観ていて一番背筋がゾクゾクする瞬間を感じたのはやっぱり
ニットキャップシアターかな、と感じた。

京都のヒラカタ・ノートを観たときから、構成の上手さは感じたけれど
(・・いや、良く考えると巧みではないけれど、それを観客に納得させるだけの手腕をその頃から持っていた、ということなのかな?
途中のアゴラのあたりから、イメージの豊潤さが前面に出始めて、
今回はそれに、シンプルでありながら太い線が
時間と空間と心の深度とを5次元的に走っているようで

個人的に感じたテーマ(とでも呼ぶべきものがあるならば
は、サンプルを思い起こさせ(死と再生
構成の巧みさ、洗練さはデスロック、
素材の黒さは伏兵コード、
軽やかさは地点。

それでいながら、
今回はあえて少し色彩を落として(といっても人物の周囲の色彩を落としたということで
心の闇の中に深く沈みながら、
アフタートークのごま氏の言葉を借りるなら、
「河の澱みに漂うボールに、流されながら途中で近づいて、また流れるうちに離れていく」
ように、被写体となった素材に微かに触れて、
また水の表面に戻っていくような。


ネタバレBOX

この物語のラストシーンは、
ばらばらになった仮面(心)が、奥さんと思われる女性によって、
紐で一つに結ばれるところから始まっているのだけれど、
結び合わされた仮面に自分の心を投影するとき、
仮面の持ち主である主人公の男性が、
かろうじて蜘蛛の糸のように一本の紐で現実につなぎ合わされると同時に、
その瞬間、
ごま氏が想像力の翼を広げて、
時空と心の距離を飛び越え、
深淵のなかのこちらの姿を認め、
また水面に浮上していく姿が見えたような・・(笑


-----------------------------------------------------

ごく一般的な感覚として、
仮面は、自分の心を映す鏡であることは分かってもらえると思います。

役者の顔じゃなく、仮面をかぶった役者の身体が登場するということは、
観客の心が仮面に投影されるということです。

ダンスなどにおいて仮面をかぶるか、かぶらないかというのは、
非常に重要なファクターで、
劇などでこのように仮面を非常に巧く使いこなすということは
非常に稀だし、
自分ももっとこういう作品を観たいと常々思っていました(苦笑

------------------------------------------------------

この物語は、ごま氏が知り合いの男性が失踪していたときのことを
想像しながら作ったとのことです。

自分ではなく、
他人の心の闇を想像するというのは非常に難しいし、
根気がいる作業だと思います。

それを、こんなにも豊潤に
(色彩豊かというよりかは豊潤と言った方が近いように思う
形作るというのは非常に素晴らしい。

京都やその近辺には、
ギャラリー宮脇(そういえば先週行ってきたばかり)やNOMAといったような、
心の闇?(分裂とかそういったものをそう呼ぶならば)を傑出した美の一部として
提示してくれる場所が多いけれど(通常の作家の作品が霞むような
この舞台作品も、
溢れる想像力という点においては、それらに全く劣らない(ただ、構成などの面でも通常の作家の遥か上を行っているようで


あと、ごま氏は今回、ダンスの振付や音楽、能や狂言の要素など、
色々な要素を取り入れているものの、
背骨が全くぶれないで豊潤なままでいられるところが素晴らしい。

そういうえばこの公演を観た後、代官山でトルコのアーティストたちのライブをみたんだけれど、
そのライブの最後で
ステージ上のゲストの日本人の女性ダンサーが
「アルバニア人・・」から読み上げて(トルコ人たちも自分のコトバで読み上げる)
色んな人種を読み上げて最後に
「イスタンブールの子供たちは虹のよう」
と歌っていたのだけれど、
ああ、なんかこの作品もイスタンブールかもな、と思ったりした(行ったことないんだけど(苦笑



このページのQRコードです。

拡大