満足度★★★★★
『遠野物語』を記した柳田國男と語り部としての佐々木、そして2人を引き合わせた水野の関係を軸に、佐々木や祖母の眼に映るこの世とあの世が当たり前に重なる景色と、ままならない現実に流される佐々木らの姿を抒情豊かに描く。
遠野を再び訪れた水野と佐々木の会話に滲むそれぞれの孤独が胸に残った。
満足度★★★★★
上出来である。「遠野物語」の舞台化としては「奇ッ怪」シリーズ第3弾、前川知大脚本舞台を思い出す。柳田国男本人に対する処遇を通して、「異界」の豊かさを浸食して行く現実(戦争であったり恐怖政治であったり)が重ね合わせられていたが、肝心の「遠野物語」の逸話たちがあまり前面に出て来なかった。不可思議物語を周到緻密に立ち上げる前川氏には扱いが難しかったのだろうと推測した。
では長田育恵はどうだろうかと。さすがであった(考えてみれば長田作品をこれまであまり褒めた事はないが)。「遠野物語」では、書物に収録されたエピソード群がうまく物語に配置されていた。登場する柳田国男(髙野うるお)と同じ聞き手として観客も、東北出身の作家志望の青年の語る話を聞く。その物語が舞台上で演じられる部分が趣深く大変よい。
まず舞台高く作られた装置が岩肌のくすんだ色、上手寄り手前に控えめに顔を出す草に存在感がある。伊藤雅子は機能ばかりでなく美的印象も残す。
真鍋演出の指示なのかどうか、台詞のうち歌でなく普通に喋る部分を一定確保し、芝居として入り込めて歌も効果的に挿入される塩梅が良かった。三者による作曲は細かく場面ごとに割り振られていて、場面が変わると趣きが変わったり、物語との豊かな交流が実現していた。ちなみに楽器はピアノ、チェロ、フルートに打楽器であるが打楽器奏者がビブラフォンも用いるため音程のある楽器も4種類、場面の色合いに広がりが出た。
台詞だけの場面では、こんにゃく座の「歌役者」の達者な演技力を見せられたのも新鮮だった。
観終えればオーソドックスな遠野物語だが、そのオーソドックスを立ち上げた長田女史に「良く書いた」と感服である。遠野物語収録エピソードの厚みが、流れる現実の時間を対比的に見せている。そして現実のドラマでは遠野出身の青年を主人公に据え、(史実をどの程度反映しているか判らないが)彼の上京時点から東京の場面(柳田国男との接点)、帰郷後の生活までを辿り、うっすらと寒い世相を背景に人間存在の悲しみや滑稽さ、厳しさの中の温かさといったものが凝縮して見える終幕も、何げに上出来である。
満足度★★★★
こんにゃく座を観に行きたいと思っていたので、ようやく実現しました。私、オペラ大好きなんですけれど、どうしてもチケットが高額なので庶民の財布にはつらいのよね。こんにゃく座は財布にやさしいので良かったわ。オーケストラでなくてもチェロ、フルート、ピアノ、打楽器の生演奏があるとなかなかいいものです。観る前に「遠野物語」は読んだのですが、予備知識なくてもそれなりに楽しめます。また機会があったらオペラシアターこんにゃく座を観たいですね。
満足度★★★★★
鑑賞日2019/02/08 (金) 19:00
座席1階5列5番
価格4,000円
こんにゃく座さんの解説に「厳しい自然環境に抗う手立ての少なかった昔の遠野の人々にとって物語は生き抜くための手段だったのでは」とあります。喜ばしいことがあっても誰か1人の手柄にせず神様の福とし、悲しいことや葬って忘れ去りたい事も妖怪の仕業としたり。
それらの物語がフルート・チェロ・打楽器・ピアノが紡ぐメロディと役者の歌声に乗って、観ている私の手を引いて遠野へと連れて行くようでした。
そして、「ここには無いもの全てがある」と信じ遠野を出て上京した佐々木喜善の目まぐるしい人生は現代の私たちに「あなたにとって本当に大切な事は何?」と問いかけてきます。
柳田國男そして遠野物語についてほぼ知識が無い状態での鑑賞でした。休憩時間を挟んでの2時間50分の上演時間、美しく、悲しく、暖かく、冷たい、深く濃い時間を過ごしました。
是非是非、多くの方に体験していただきたい作品です。