あぁ、安部公房!!!
始まるまで音楽や照明にワクワクしていた自分。
蓋を開けてみたら後悔しました。
そうだった、そもそも「安部公房」が自分に合っていないのだった。
かつて深夜のTVで観た「砂の女」の映画しかり。
数作品の文庫本で読んだ時でもそうでした。
どうしてコレほどという位の居心地の悪さったら無い、
非常に苦手な世界観。
そこが彼の作家のウリだし、面白さなのだろうと解るけど
自分はソコが堪らなく駄目なのだ。
そんな基本的なコト、忘れてた自分のうっかりさ加減に心底ガッカリ。
はぁ・・・。
出演者はやたらと豪華で達者な方々なのに正視出来ない気持ち悪さ。
何だかどうしたかったんだか、自分ってば(苦笑;)
体調不良でした(私が)
自身の体調不良を、芝居を見ながら痛感させられた。
いつものごとく、集中力を要し、「読み解く」ことを求められる芝居。
自分の責任ですが、間が悪いことに疲れていたので、良いも悪いも評価できません。
素人は、こんな感想で済むから、ラクでいいです。
皮肉でなく、チェルフィッシュについて、あれこれ書ける人に感心します。
周囲の理論武装によって、岡田利規氏が「旗手」たりえている部分もあると思いますが、
新たな気付きを与えてくれるので、それはそれで為になります。(何度も書きますが、皮肉でなく)
満足度★★★
退屈な友達。
思い出せば面白い場面は多かったようだ。が、空気がいかにも退屈だった。
その原因を探り探り、この記事を書いている。なんだったんだ、あの退屈は。
安部公房のブラックなユーモアが炸裂した作品なのに笑えない。
私はよい読者ではないが、笑えない場面での笑いが魅力だと思っている。
個性豊かな俳優陣のパフォーマンスが、逆にそれを邪魔していたとか?
テキストの面白みがパフォーマンスによって阻害された、と。
一理あるかも知れない。
主人公の喜劇的な悲劇性も、その冗長さのために切迫感が足りない。
その冗長さの意図が見えないのは、チェルフィッチュにも言えることだ。
さらに今回は岡田利規らしい仕事のようにも見えない。
戯曲に真正面から向き合った結果、生真面目に向き合わざるを得なかった、
ということなのだろうか。
どうも、戯曲を信用しすぎているきらいがある。
来春もそういった機会があるので、どうなることか見守りたい。
満足度★★★
正直しんどい(特に後半)
「チェルフィッチュ」一度観てみたかったので、
演出:岡田利規ということで行ってきました。
まだ、ある程度テンポよく進んでいた前半はまだしも、
後半は間の取りすぎなのか、なかなか話も進まず、
「いつなったら終わるんだろう」という気持ちが頭をよぎる。
他の方の評価をみると結構高評価だが、
正直、あまり理解できなかった。
でも、麿赤兒さんはスゴイ!
あの人がいたおかげで個人的にはだいぶ救われた(観てられた)感がある。
満足度★★★★★
権力でも、解釈でもない演出
「他人の作品を、作者以外の人間が演出するという制度がある理由がわからない」とかつて語っていた岡田利規が、他人の作品を演出する日がやってきた。
もう、どきどきわくわく。
蓋を開けてみれば、彼は、今回、演出家というより、振付け師のような立場で作ったみたいにみえる。そして、そこには、ものすごく知的な戦略があるみたいにみえる。ああ、すごいなぁ。演劇とはなんだろう、文学とはなんだろうと、考えずにはいられない。頭と身体がうずいてたまらない作品だった。2回観たけど、もう一回くらい観たい。
そういえばそうでした
演出に専念した時の岡田利規という人の作品はこんな感じ。
でもしっかりと「らしさ」があって、
安部公房の言葉がちゃんと彼の言葉になっていて。
やはり岡田作品は観た後に残る疲れがいい。
満足度★★★★
場面転換のかっこ良さに涙が出そうになる
スタッフワーク、俳優の存在感などなど、全てが洗練。めちゃくちゃかっこ良かったです。2時間20分は少々長めでしたが、戯曲「友達」がすごく好きになりました。