満足度★★★★
鑑賞日2018/05/05 (土) 17:30
有名なディストピア小説の舞台化だが、まさか「付録」から入るとは思わなかった。2050年過ぎの時期、「1984」の付録に書かれている「ニュースピーク」の研究会で物語は始まる。そこで交される会話から、主人公ウィンストン(井上芳雄)は小説の世界の登場人物となって、小説通りの物語を体験する…、という構成は斬新で意欲的だ。元の研究会の場面に戻るが、それが一種の夢落ちなのだが、実は、その研究会のシーンこそがウィンストンの望んだ未来への希望なのだという解釈も成り立つ。興味深い舞台だった。
なお、言ってもしょうがないし役者さんには大変に失礼なのだけれど、大杉漣で観たかったという気がする。
満足度★★★★
小川絵梨子演出を久々に観て、新国立とは相性が良いかも・・大きめの劇場機構でこそ技も光る・・という印象をもった。傍証として数年前の『OPUS/作品』。相前後した『クリプトグラム』(世田パブ)と合わせて、シンプルな構造、コンセプトが明確な作品を得意とする演出家か、との印象だったが、一見「複雑」に見える今回の戯曲についてはどうだったか。
(オーソン・ウェルズとごっちゃになる)ジョージ・オーウェルは「カタロニア讃歌」でも有名だが何より『1984』が伝説的である(と言っても読んでないが)。戯曲化は比較的最近かと思われたのは、小川が殆ど完璧と言える舞台処理を施し、その処理法が現代的(映像の活用など)、そしてそれらが仲睦まじい恋人よろしく戯曲と呼吸していたと見えたからだが、大きく外れていないと思う。
ともかく途中までは「これはめっけもの」と心騒ぎ、圧倒され通しだったが、終盤、そして締めくりである種の失速感を感じたのは、なぜだろう?
・・途中まで素晴らしかったしメッセージは十分伝わったから良かった、と言えるのか、それは「せっかく見つけた逸品にケチを認めたくない」心理のなせる底上げ作用で、やはり何か欠陥があったのか・・。いや、今結論を出すことはすまい。
「戯曲と呼応した流れるような演出」は、恐らく前半戦での正解。後半のホラー映画のような恐怖演出の効果がむしろ不要だったのではないか・・と、何となくだが思う。このあたりで物語の背後の論理構造(観客が必死で読み取ろうとしている)が見えづらくなる感じもあった。(だがパンフでの対談によればこのあたりで小川氏は勝負していた意識らしい。)むき出しの恐怖は思考を吹き飛ばす・・そういう舞台はあまり無かったかも知れない(映画ではむしろ今や常套となっている。アクション映画さえホラーのように驚かせてナンボだ)。
映画版『1984』にあったシーンと流れが舞台でもなぞられ、大方原作を踏まえている事が判ったが、映画では諸々説明不足があり、舞台ではそのあたりが明確で、映画では不明だった部分がよく判った。即ち、超監視社会であるオセアニアの支配側の末端で働く青年ウィンストンの思想的立ち位置、鮮烈な出会いから恋人となる女性との関係、総統であり人間でもない(党そのものだという)ビッグブラザーと、反逆者ゴールドスタインに関すること。
やはり「引っかかり」は終盤である。オーラス、「現実」に片足を置く観客を「架空世界」から現実へと引き渡す役割を、俳優が担う・・という意味では、小川演出は「架空世界」の内部で決着させた(事になった)。というのは--最後にこの話は冒頭と同じ読書会の場面に戻り、間に挟まれた話はそこで読まれていた「1984」の再現だったというメタ構造が示され、このオチで一旦観客は安堵するも、黙々と机に向かって何事かしている主人公がふと、客に向かって主人公の不敵な笑みを浮かべ暗転となる--。こう書けば「割と普通」「あり得る」とも思われようが、舞台上はあまりに強いフィクション性を帯び、観客は否応なくそこに入り込んでいる。俳優がシビアに完璧にフィクション構築の要請に応え、「作り込まれた世界」が濃縮された様相を帯びる・・それほどに堅固に演出された舞台の世界は、劇場の外の現実とは、乖離しているのである。(話の内容が現実の暗喩になっている事とは別問題。)
「夢から醒める」時点で、体験の記憶を身体にとどめるための「現実とのつなぎ」が、私は舞台が舞台の内部だけで完結しないために必要だと考えているのでこうぐだぐだ書いているが・・、小川氏は「内部」での完成を自分の使命とするゆえに、戯曲が指示するものを表現し切ったと言える所で、幕を下ろしてしまうのではないか。(その感じを持った小川氏の舞台を思い出した。)
戯曲の原産国(英国)では、国柄と社会状況という色の付いたキャンバスの上に戯曲が書かれ、必然に何らかの具体的メッセージを帯びるものであり、つまりは「現実」との関係が不可分にある、それが演劇の自然なあり方なのではないかと(勝手に)想像しているのだが、今回の舞台で私たちは「英国の状況」を想像すべきなのだろうか・・と言えば皮肉が過ぎるだろうか。
小川氏の手腕が、「演劇を日本の現実にどうコミットさせようとするのか」を意識した戦線で発揮されるとどうなるか、そこを見てみたい。
私としては「架空世界」の外膜を俳優が破って出てくるくらいのラストが、そこまでの流れの完璧さに見合う、ある意味でバランスのとれた形であり、即ち非常に上質な「私たちの舞台」として結実する事になったのではないか・・「if」を想像するが、自分の発想がアングラに傾き過ぎであるかも知れない。
諸々ありながらも、エライ舞台を見た後味は否めない。
舞台装置・照明は大いに動員され、フルに使いこなされている。ダイナミックな流れの中に速替え、マジックに等しい入れ替わり、出はけがさり気なく織り込まれる。俳優の立ち位置、配置が関係性を雄弁に表し、美的でもある。
・・理屈抜きの「快楽」の世界だが、それだけでは何か不足が残るのだろう。欲しいのは「構築」の方向性に対する、離脱の方向、だろうか・・また蒸し返してしまった。
舞台の魅力を言葉で掴み切れていないが、舞台処理の鋭利さは、『プルートゥ』とは比較しようがないが、仮に順位を付けるなら次点、近年の暫定2位だ。
満足度★★★★
鑑賞日2018/04/20 (金)
1948年に書かれたこの物語が、今この時代にリンクする恐ろしさ。
思考することも行動することも全て監視され、制御されている。それに反したものは、消されていく・・・・。
全てのデーターが消され、人々の記憶からも消されていく、初めからそこにはいなかったことになる。
一人の男の思考の中にいるのか、それとも彼の住む世界に私がいるのか・・・繰り返される場面、台詞に不安になってくるし、恐ろしさが募ってくる。斜めの床に座っているような気分、ずり落ちそうになるのを必死にこらえているような落ち着かなさ。
今の私たちもネットを使うたびに監視されてるかもしれないし、テレビの報道は実際に印象操作ばかりしている。与えられる情報が真実とは言えないと、このところすごく感じています。
私たちに真実を知る機会は本当にあるのだろうか。
井上芳雄くんの体当たりの演技はすさまじかったし、追い詰められた人間はまさにああなると思う。
神農直隆さんの声が大好きなんですが、あの声でどんどん洗脳されていく・・・・・あせる追い詰め方が尋常じゃないんです。
大好きな声なのに、ものすごく怖かった。
ぞっとしたのは何気ない食事のシーンの繰り返し、リアルな演出も怖かったです。
最前列の席は、かなりハードでありました。
小川絵梨子さんの鋭い視点、見せ方の上手さ、客の追い込み方の上手さ、さすがでした。
肝が冷えた私です。
素晴らしく怖い舞台を、ありがとうございました。
満足度★★
鑑賞日2018/04/22 (日) 13:00
かなり、観るのをためらわれた作品。
だいたい、SF作品というのは舞台にするとやけに陳腐になる。
まず、舞台転換をする必要が多いのに、舞台装置も大掛かりになりやすく、ますます展開が鈍重にな悪循環が生じるし。一方で、展開しやすく舞台上を簡素にしようとすると、今度はイメージがしずらく、何が何だか訳が分からなる。
「1984」も、この傾向に陥ったかな。
本国やアメリカでは、なにやら称賛を受けた舞台だということで、結局は観ることとしたのだけれど、不安はあった。
1.ビッグブラザーという抽象的かつ絶対的な存在をどう表現するのか?
2.故大杉漣氏は、どの役をするの?(割とまじめに、当てはまるような題材絵は二と 思ったから)
3.1984年という四半世紀昔前の話をどこでどのように未来として描くのか?
2は残念ながらというか、代役になってしまったけれど、だからといって、大杉さんがこの役をやっても、それほど魅力的になっただろうかというと疑問。
3は、1984年というと陳腐にしか感じられない年代を、さらなる未来からテキストとして読み起こすという構造をとることで、それとなくクリア。
やはり問題なのは1か、だーって全然怖くないんだもの。全体主義、管理主義が。
確かに拷問のシーンはあったけれど、そこだけで見せてしまっているから、追い詰められ感がない。だから、不気味さがないままに、淡々と話が進んでいき、ひどい抑圧社会なのに、割と主人公たち、すらすらと好きなことやってんじゃない、と思えてしまう。それというのも、ビッグブラザーがいるいると言うだけで、えっどこに?となってしまうから。
SFの舞台というのは、ある意味、SFスリラーとしてしか作れないのかな。それとも、
国立劇場や歌舞伎座のような、回り舞台やせり上がりでどどーんと未来や異世界を見せるしかないか。
満足度★★★★
二十世紀文学の代表作の近未来SF、多くのデストピア小説の元祖的な作品である。この小説、イギリスでは、誰でも知っているが誰も読み通せないという小説だそうで(文庫解説)なるほど、仕掛けがたくさんあってムツカシイ。しかし、この劇化にあたっては、そこをうまく利用して舞台化、世情がきな臭いこともあって、イギリスで大当たり、ついでアメリカでも当たったと言う事で急ぎ、政情不安、小説そっくりの北朝鮮もみじかにある我が国での上演となった。
原作は1946年に書かれて、ほぼ四半世紀後のデストピアを描いている。今は2018年。小説の世界は固定しているから、かつて未来であった世界は今となっては過去、SFの世界が時代劇の世界になっているという奇妙なことになってしまった。もちろん舞台設定の時代を過去にして未来のデストピアとしても芝居は作れるが、この作品は一ひねり。小説の最後でさらに未来を予測してそこで使われる言葉(全体主義のための二重思考の言語、ニュースピーク)の解説が書かれているが、さらに未来にその言葉によって、この1984年という本を、人々が学習する、と言う枠を作っている。これで、SF的な物語の構造が落ち着いた。
この枠の中で、かなり忠実に手際よく原作の物語が進行する。しかし、映画でもないからデストピア社会を大セットで組むわけにもいかず、原作の全体主義管理社会の中で出会う男女のラブスト-リーが、ほとんどノーセットの舞台で演じられる。
演出は今秋から芸術監督になる小川絵梨子。せっかく時宜タイミングよく、全体主義志向の政府下の公演(それで英米でも話題を呼んだ)なのに文化庁官僚への忖度か小劇場風に小ぎれいにまとめている。時代感覚がないから客席もわかない。これでは井上芳雄ファン以外に客は広がらない。秋からのラインアップも発表されているが、エエッツと言う小粒な作品が並んで、全方位的な抱負は殆ど反映していない。官制劇場のヒラメ監督でなく、国民の方を向いてくれないと、公務員だけが観客ではあるまいし、先が思いやられる。
この公演に関するtwitter
初日1週間前から「団体名」と「公演タイトル」を含むツイートを自動表示します。
(ツイート取得対象にするテキストは公演情報編集ページで設定できます。)
新国立劇場「1984」:日本経済新聞 https://t.co/Oj4MCPAYKB 原作にはない読書クラブの描写を入れた理由について「1984年における国家は破綻すると伝えたかった」のだと思っていたがこの劇評によると「ウィンスト… https://t.co/FxwEMNp4Uy
6年以上前
新国立劇場『1984』拷問のシーンの井上芳雄、怪演。ただそこが強すぎるような気もしたけれど、あの時の劇場の張り詰めた空気は忘れられない。本だと、ニュースピークが過去形で語られていることで「希望」のような立ち位置にあったように思う付… https://t.co/PJnAyV1jUv
6年以上前
新国立劇場『1984』千秋楽へ。初日ぶり。拷問シーンの井上芳雄は良かった頑張ってたと思う。お疲れ様でした。ウィンストンとオブライエンは原作イメージに近いなぁと思いながら観てたけど101号室以降はオブライエンを初老設定にしたBW版の… https://t.co/jI2kHvOaQt
6年以上前
新国立劇場『1984』視覚的にも心にも痛々しく突き刺さった。見ているわたしの方が、もうやめてくれと折れそうになるくらいに。全体主義の恐ろしさ。現代にも見え隠れしている。だからこそ人間らしく生きられることの美しさを感じました。わたし… https://t.co/GpfsqQmQtt
6年以上前
新国立劇場『1984』①明日千秋楽だから書く。初日を観た。 緊張なのか、稽古不足なのか、台詞に何度も詰まる俳優がいた。それを大きなミスにしないように、さりげなく、それでいて確実にきっかけを作ってやった素晴らしい俳優がいた。共演者と… https://t.co/VGHxl017yc
6年以上前
新国立劇場『1984』①明日千秋楽だから書く。初日を観た。 緊張なのか、稽古不足なのか、台詞に何度も詰まる俳優がいた。それを大きなミスにしないように、さりげなく、それでいて確実にきっかけを作ってやった素晴らしい俳優がいた。共演者と… https://t.co/HO5Josx4si
6年以上前
これはどっちかというと原作の評に近いかも。舞台版は、私たちは監視されている側であり、それゆめ無意識に監視をしている側の集合体なんだ、ということも感じ取れる。 【鑑賞眼】新国立劇場「1984」 70年前の名作 監視の現代をリアルに… https://t.co/QiOWAqhwzP
6年以上前
新国立劇場、1984
6年以上前
昨日は新国立劇場「1984」へ 一番怖かったのはこの物語自体が空想の世界かそれとも現実なのか分からなくなったこと、、もっと怖いのは振り返ってみた今、さらにその境目が無くなっているように思えること
6年以上前
新国立劇場「1984」、演出も内容も全てが好みだった。今この時代にやるべき「演劇」。いつの間にか参加させられていた客席。でも、拷問を受けているのは、自分ではなく、他人であるウィンストンだ。
6年以上前
新国立劇場 「1984」舞台より https://t.co/0ZrXNEZyHv 今みたい、とゆか見るべき作品な気がしてならないな、今週日曜千秋楽か~~!!!https://t.co/4Afv6ZSWAz
6年以上前
昨日、新国立劇場「1984」に20〜30人ぐらいの学生団体が観にきてた。人生、初観劇が「1984」ってトラウマになってないかな?そのなかの何人かが演劇ってすごい、舞台に出演する役者ってすごいと演劇に、ハマって欲しいなと思う。
6年以上前
新国立劇場「1984」観終わったら、ぐったり。人間、考えることをやめたら怖い世界になる。観ている側も当事者になるような演出で怖い?というか、何というか、誰かと話したい。原作を読んでないから観劇前にプログラムを買っておいてよかった。
6年以上前
新国立劇場『1984』観劇。 なにより何十人もの中学生(?)が客席にいて、なにゆえチョイスだろ。わたしも中学生でジョージ・オーウェル観たかったー
6年以上前
逃れるすべはないのかって絶望的なラストがもうただもう怖いんだ。新国立劇場「1984」↓
6年以上前
監視社会を炙り出してるんじゃないよね。思考停止、洗脳、独裁社会を鮮烈に描いているんだよ。 この「1984」と現在日本の今起きていることの類似性から目を反らすな。→【鑑賞眼】新国立劇場「1984」 70年前の名作 監視の現代をリアル… https://t.co/9lcUg8loJz
6年以上前
新国立劇場「1984」明日のリセールチケット見つけたので購入したー。
6年以上前
ネタバレ含 新国立劇場『1984』 舞台版は、小説の鏡裡の視点、つまり「(○○○○○だと自認する)あなた(観客)こそ○○○○○○○だ」という○○○○○○○○○○○○○○○なのであれば、清々しいほどしてやられた感があって寧ろ最高かも。 https://t.co/5R31bmCXPI
6年以上前
新国立劇場「1984」観てきたー 原作未読だとついていけんかも、という感想をみたので、パンフレットで概要を読んでから観劇 終わり方がめっちゃ怖い ヒュッてなる 終わったあとも怖い…
6年以上前
本日は、本当の「連休」。初台(新国立劇場「1984」)→新宿(紀伊國屋サザンシアター「たいこどんどん」)→渋谷(謎の飲み会)というラインナップ
6年以上前
【ネタバレ注意】新国立劇場『1984』一番引っかかったのが、○○○○○○的山場である○○○○○○○○の見せ方。舞台という形式上、観客視点が自動的に○○○○○○○寄りになるのを避けられない構造的欠陥があるのに、○○○○○○にしちゃう。 https://t.co/39o5WS8TQQ
6年以上前
新国立劇場『1984』④ そしてここまでグラグラになってしまうのは、今、この世の中がまさにそのような世の中であり、誰もがウィンストン・スミスなのでしょう。今、この作品を観ることができて良かったなと思うのでした。
6年以上前
新国立劇場『1984』③ ビッグブラザーもゴールドスタインも言っていることはほとんどかわらんじゃないかと。何を根拠にすればいい?自分自身じゃないか。でも、その自分自身の考えすらも誰かに与えられた思考を自分で考えた主観なのではないのか。もうグラグラですよ。
6年以上前
新国立劇場『1984』② テレビやTwitterなどのSNS、雑誌や新聞の情報を元にしている。それ、制御されてませんかと言われれば、制御されていますよねぇとしかいいようがない。そして複数の意見が並列して存在して受け入れるというのは… https://t.co/VpIznBe4nb
6年以上前
新国立劇場『1984』① 今まで色んなお芝居を観てきましたが、トップクラスの難解さでした。果たして何が真実なのか。舞台上の物語だけでなく、客席に座る観客の現実すらも揺さぶりをかけてきました。普段私が考えていることは自らが選び取って… https://t.co/mfWrtOHCYJ
6年以上前
新国立劇場『1984』 去年ブロードウェイで上演されて以降 衝撃を与え続けてきた作品が、遂に小川絵梨子演出で日本版上演。 コロコロ移動する時間軸についていけなくなる様が、主人公の混乱と重複。観客全体を飲み込む混沌とした空気、監視… https://t.co/sdlcfTurXM
6年以上前
新国立劇場「1984」 真実求める葛藤浮かぶ=評・濱田元子 毎日新聞 その一つ、「ビッグブラザー」を頂点とする党が支配するオセアニアの真実省記録局に勤務するウィンストン(井上芳雄)が主人公… https://t.co/D9gQWlGC1O
6年以上前