満足度★★★★★
鑑賞日2018/03/24 (土)
2018.3.24㈯19:00。池袋スタジオ空洞。
地下へと続く階段を降り、スタジオに足を踏み入れる。
舞台と客席の境はなく、人が横に3人も並んだらいっぱいになってしまう広さの正方形に真ん中を切り抜かれ灰色の床が見える。そのぐるりを人ひとりが佇むめる幅の紅いカーペットが囲む。
客席と舞台は地続き平らであり、唯一くり抜かれた灰色の正方形が舞台と言えるが、その正方形の上には、12個の透明な硝子の電球が吊り下げられており、その中で動こうとしたなら頭や肩にぶつかりそうな程の低い位置までその電球は吊り下げられている。
芝居をする場所は、紅いカーペットの上が大半で、正方形の中での芝居は座ったまま繰り広げられる場面だけ。
客席と舞台を分けるのは、その紅いカーペットのみ。それはまるで、結界である。14世紀のヴェローナと2018年の桜咲開く3月の東京を隔て、『ロミオとジュリエット=断罪』の世界と現代を分ける境界線。
時が来て、時空の境界線が解かれ、『ロミオとジュリエット=断罪』の世界が現れる。
シェークスピアの描いた14世紀のヴェローナ、映画やバレエで描かれるお馴染みのあの裳裾を引いたドレスや煌びやかな宝石のついた衣装、ロミオと言えばあの衣装と頭に浮かぶ衣装を身に纏ってはいない。
これから、登場して来る人物誰一人として、その当時を思わせる衣装を身に着けた者はいない。
ロミオが着ているのは、体に合った白いシャツに黒のパンツ、ジュリエットは、白いシャツに白のパンツに白のヒール、腰に白いシャラャラとしたストールを結んでいるだけ。
この時点で何となく、『ロミオとジュリエット=断罪』はロックだなと思った。と同時に、きっと今まで見たことの無い『ロミオとジュリエット』が観られると期待に胸が弾んだ。
たぶん、シェークスピアの『ロミオとジュリエット』や、シェークスピア版を基にしたバレエや映画、舞台、フィギュアスケートを良しとする人には、賛否分かれるところだと思うが、私は好きだ。
『ロミオとジュリエット』の現代版として描かれた『ウエスト・サイド・ストーリー』が好きな方ならきっと好きになるだろう。
ロックだなと思う部分は、ジュリエットやこのクリム=カルムの『ロミオとジュリエット=断罪』では、ロレンス神父の養女であり、亡き神父の後を継いで神父となり、ロミオとジュリエットを結びつけるヴェロニカの存在や台詞にも現れている。
原作を基にして、本筋と要所要所は抑えつつも、大胆に自由に変身していた『ロミオとジュリエット=断罪』。
なぜ、『断罪』がタイトルにくわえられているのか。ずっと、考えていた。
『断罪』とは、罪を裁き、罪に対して判決を下すこと、斬首の刑のことを言うと辞書にはある。
『ロミオとジュリエット』と罪とは、『ロミオとジュリエット=断罪』の罪とは何なのか。
敵同士の息子であるロミオと娘であるジュリエットが愛し合った事なのか、ふたりの恋がもたらした悲劇なのか、ふたりの恋を悲劇へと導いた、ロザラインの罪なのか、両家の争いの為にふたりの恋をこの世で結ばせず、死という結末へと向かうしかないように仕向けた原因を作ったモンタギュー家とキャピュレット家の罪なのか、更には両家が争う大基を作った教皇派と皇帝派の争いの罪なのか。
その全てであるようで、違うようでもあり。
結果として、ロミオの親友マキューシオとベンヴォーリオー、ジュリエットの兄(シェークスピア版では従兄弟)ティボルト、そして、ロミオとジュリエット、(舞台上には出て来ないがロレンス神父も或いは)の血が流れ、命が失われている。
若気の至りと言えば、余りにも幼く、自分たちの恋しか見えていなかったふたりの恋によって多くの血を流し、犠牲を生んだ若気の至り極まれりの話ではある。
そのふたりが、結果として自ら命を絶ったのは、ある種の断罪であり、神がふたりに下した罰の様でもあるが、それだけには留まらない。
登場する全てのものに下された判決であり、断罪であると同時に、今を生きる私たち一人一人の中に息を潜め、隠し、抱えている、妬み嫉み、憎しみ、悲しみ、羨望に対しての、人間すべてが何かの拍子で発芽し発露する「悪心」や醜さへの断罪なのかも知れないと思った。
美しく儚くやわやわとしただけでない、格好良くて、可愛くて、けれど、胸に突き刺さるロックなクリム=カルムの『ロミオとジュリエット=断罪』だった。
この舞台が観られたことを心から良かったと思う。
文:麻美 雪
満足度★★★
入場の際に渡されたピンクの用紙。左側にはキャスト名 右側には公演日時のチケットと 私の名前が・・・ それだけで特別な招待状を貰ったようで嬉しかったです。
裸電球12個だけの舞台でどんな演出になるんだろうと思いながら 始まってみればロックでポップな音楽で派手な喧嘩シーンでの登場に原作とは随分違う印象を抱きました。
え~と思う独自のキャストや関係性が次々に・・・ しかしまぁ パロディ娯楽と思えば 顔をしかめることなく楽しめました。 個人的には司祭のヴェロニカが♪
皆さんの投稿にもありましたが 囁くような台詞が聞き取りにくかったことを伝えましたら それによって観客側に集中してもらえると言われましたが それはちょっと・・・
裸電球の演出が良かったです。
満足度★★★
話をギュギュと詰めた感じで駆け足感はありましたが、これはこれで良かったです。
役者がまだ芝居をすることに慣れていない感じもありましたが、これからも頑張って下さい。
セリフだけでなくもう少し恋愛している感じというのが欲しかったです。
全体的にセリフや動きをやるのにいっぱいいっぱいな感じもしました。
若い人が多かったので、今後に活躍に期待しています。
満足度★★★
恋愛の代表的な演劇…シェイクスピア「ロミオとジュリエット」はあまりに有名。多くの劇団、劇場で上演され、映画化もされており多くの人が物語の内容を知っている。そんな劇を独特な潤色・演出することは難しいかもしれないが、それでも観点を変え観(魅)せようと試みている。どの公演でもそうだと思うが、本公演でも原作に独自の新解釈を行い演出・表現をしようとしており、逆にそうすることによってどのような多様性にも耐えられるシェイクスピア劇の奥深さを感じさせてくれた。
(上演時間1時間40分)
満足度★★★★
手作りのパンフレットを含めて,新鮮で丁寧でした。こういう舞台,私は好きです。
確かに純粋なロミジュリからは異論はあるでしょうが,想像力を拡げて魅せてくれるのが芝居です。面白かったです。でも,まだまだ出来るはず。次回作に期待します。
満足度★★
なんというか・・・まず配役に違和感。ロミオとジュリエットにカップル感がない。恋人としての絵がハマらないのだ。ストーリーとしては、いろいろ原作と違う部分が面白くも有り、?であり、複雑。ロミオとジュリエットのラストは原作とは違い、ロマンチックさに欠ける。なんだかとてもあっけない。また皆さんおっしゃる通り、セリフが聞きづらい。背中を向けてのボソボソは本当に聞き取れない。というか、全体的にセリフのボリュームが足りなさ過ぎる。なんかとても消化不良で終わった。
満足度★★★
ロミオがジュリエットに出会う前、恋焦がれていた女性ロザラインは、シェイクスピアの戯曲では名前しか登場しないそうですが、例えばゼフィレッリ版の映画ではクレジットに役者名こそ出ないものの、ちゃんと登場するし、その名前も記憶していたので、今回の舞台の説明文にロザラインが「劇中には登場しない人物」と書かれていたのを読んだときは、「へっ!?そうだったっけ?」と原作ちゃんと読んでないヤツ感が丸出しになってしまったわけです。そういえば6~7年前に、このロザラインの視点でアダプトして、舞台を現代に置き換えた小説の映画化で、キーラ・ナイトレイに交渉中とかの話が出ていたけど、その後ニュースを聞かないから頓挫したのかもね。今回はそのロザラインが重要な役どころで出てきて(代わりに出てこない原作の登場人物も)、ベンヴォーリオとの関係なども含め、全体の人物関係もやや改変。
満足度★★★
そういう演出なのでしょうが、全編を通して囁くような台詞が多く、そのほとんどが聞き取れなかったのが残念で勿体無い。台詞の全てを聞き取れたのはエスカラスだけでした。。。