『北国の春』『サド侯爵夫人(第二幕)』 公演情報 『北国の春』『サド侯爵夫人(第二幕)』」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.5
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  • 満足度★★★

    漸くにして鈴木忠志演出舞台を観た。

    ネタバレBOX

    「北国」「サド」両作品か、一作品+トークか、という所で、予約状況により「北国の春」のみ観劇。観終えた後少々後悔した(二作品観ればよかった)。
    「北国」は鈴木作であり、「演出」の職人(と評価されている)鈴木忠志の真価は「サド」に拠らねば知れなかったなァ・・という感想。
    「北国」は現代の引きこもりをテーマしたというが、劇として判りづらい。恐らくは劇的なるものの情報は台詞に託され、「形」には見られない。
    作品概要を少しでも知った上で観るのが正解だ。(が、どこで知るのだろう。)

    吉祥寺シアターの最後列からは、動きが見えず、元々動きの少ない舞台。しかも照明が自ら機具を持って顔に当てるというもので、全体が暗くて見づらい。声はするが、誰が発しているのかも認識しづらい。能が例外なく人を眠らせるのもそういう効果だ。

    上演は利賀の舞台が想定されたもので、吉祥寺シアターは良い劇場だと鈴木氏がトークで言っていたが、利賀にはない後列座席への気遣いはしていないに違いない。ちゃんと観たいなら利賀へ来なさい、という事か。確かに、利賀山房(行った事はないが)を想定した時に成立するあれこれを、後から想像することはできる。だが一応お金は取るのだから、上演するならその場の条件で「どう見せるか」を考えて欲しかった、とは無理な相談か。
    利賀には一度、と願ってはいるが・・・
  • 満足度★★★★

    「北国の春」は題名とは直接関係ない内容だった。多重人格というか、人間内面の葛藤を擬人化したというか、不可思議な作風の戯曲であった。自分を守りたいという想いが現実には他を拒絶し、同時に誰かを求めるという不条理なものが人間であろうか?

     「サド侯爵夫人」は緊張感高い作品であった。三島さんという巨人の鋭さを堪能できた。
    演出も全く緩みを許さない厳しさを心地よく感じた。唯一の緩み(?)は見事なハーフミラーに関する美術・照明技法か。あれには感心した。
     しかしながら、貴族然とした雰囲気が皆無だったのは仕方ないことであろうか?

     役者の顔に当たる明かりは一考の余地ありか?表情が陰影深く見えるのはいいがある種悍まし過ぎか。

     毎度のことながら、後々迫ってくる舞台だ。観た時よりも後日余計に心に引っかかる。

     しかし、寝ている観衆の多い事!! なんで???

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