ゲストハウス蒴果(初日・千秋楽は完売) 公演情報 ゲストハウス蒴果(初日・千秋楽は完売)」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
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  • 満足度★★★★★

    リアリティと存在感
    チームワークと集中力を強く感じました。  
    日常のさりげない会話の積み重ねの果てに、登場人物が抱えているそれぞれの過去が明らかになって今ここにいることが伝わってきました。
    昨年キネマ旬報ベスト1と3に入った、「恋人たち」「ハッピーアワー」を思い出させました。
    いずれもワークショップの積み重ねの中から作品化されたものですが、賞を取るからには作品としての完成度が評価された結果です。
    ゲストハウスの作品も、完成度が高いと思いました。
    いつも思うのですが、こういう作風は観客の想像力を非常に刺激するので、疲れたときにすかっとしたいと思って観ると、初めての人には「うーん」という感想を述べる人がいるかもしれませんね。
    装置はほとんどないし、登場人物の動き(目の動きだけでも見ている対象との距離感も全部伝わってしまう)、マイムでの表現は演技者の中にどれほどのリアリティが成立しているかも怖いほど伝わります。

    ネタバレBOX

    印象に残ったシーンについて
    ① 女性三人がそろう(だいぶ終わりのほうだったか)シーン。 
    宇内博子(白須さん)・・それまで結構どこかとげのあるようなしゃべり方をしていました。高野山から熊野古道へ行きたい、滞在期間は未定ぐらいしかわからなかった女性の告白。2歳の娘をなくした経緯をしゃべり始めたときの調子には「こんなにすらすらしゃべっていいのだろうか?」と思うくらいの危ういハラハラ感がありました。
    徐々にことばが重くなり溢れる想いが涙とともに流れ出したシーンは、毎回ああいう風にゆくのかは?ですが感動しました。その場にいるほかの二人が、場を支えていることもつたわってきました。
    ② 周仁冷(廣田さん)と藤井直子(平野さん)の別れのシーン。
    お互いに想いはあるけれど、それぞれの事情から別々の生活(中国と日本)となる最後の別れ・・・「別れたくない~」と感情があふれ出して、しっかりと抱き合うようなシーンもありだと思います。
    そういう安っぽい別れシーンになっていないのが私は好きです。  お互い家族の事情や今の生活に根を下ろそうとしているからこそ、年齢の割に大人びたあの抱きしめ方を感じていました。
    ここで引っ張らないのも、としプロさん流ですね(笑)
    ③ 蔵の中で発見した8ミリフィルムをみんなで見るシーン。
    意外だったのは、観客席にスクリーンをおく設定にしたこと。眺めている人の心の動きがみえること。  
    映っているシーンの内容やスクリーンまでの距離をみなさんが共有していないと、ここまでリアルには見えません。 
    特にこの家を支える役の藤井直子にとって、かつての家族の光景がどのように映ったか?  「子供時代の自分、お父さんの姿」セリフが映っているシーンをいちいち解説しない分だけ、(「お父さん」「自分がいた」ぐらいだった気がします)観客として座っている私の中に、ものすごくたくさんのシーンが浮かんできました。
    それは、直子が見ている思い出のシーンを想像するというよりは、私の個人的な思い出のシーンと重なっているので、観客と役者が共同で一つの夢を見ているような感覚でした。
    舞台上の人たちが、確かにひとつのシーンをスクリーンにみているのがしっかり伝わってきました。


    継続してお目にかかっている方たちの、それぞれの成長過程に立ち会うのは私にとって、楽しみなことです。
    いくつものシーンを演じている中に、そこに確かに存在感が浮かび上がってくるときがすべてです。その瞬間に立ちあえることは嬉しいことです。 
  • 満足度★★★

    状況・場面が動かないような...
    改めて芝居を観る位置(座席)の重要性を知った。説明にあるとおり、 築80年以上経つ数寄屋造りの家をゲストハウスとし、そこでの出来事を素舞台、パントマイムで表現する。実力ある劇団という印象である。
    自分は和室(座敷)で座わるシーンが多くなると思い、最前列で観ることにした(この劇場で座わるシーンだと後方客席では観えないか)。その位置(目線)からは、パントマイムでの仕草がしっかり観ることが出来たが、それによって大切なことを見落としていた。
    まさしく「木を見て森を観ていなかった」と思う。その意味で少し勿体なかった。
    (上演時間1時間45分)

    ネタバレBOX

    舞台に木椅子4脚。それを状況場面に応じて移動させる。

    ゲストハウスという建屋での人間(ゲスト)模様である。動かない家屋の中での物語は、人が動かすことになる。その状況の変化なり盛り上がりが観えなかった。敢て古民家という設定にする必要があったのだろうか。例えば、北海道から来ているゲスト・宇内博子(白須陽子サン)の苦悩は、ゲストハウスとは別の山崎邸で吐露する。

    ゲストハウスそれ自体を問題にしても良かったのでは...。
    例えば、劇中にもあったゲストの深夜での行為など、近隣から苦情が寄せられていた。新聞などで、民泊に関する記事を目にする。外国観光客への有用性、一方近隣との関係や行政許認可などの課題も聞く。またはゲストの国情、慣習の違いなども面白い。広い敷地や古美術だけではなく、”数寄屋造りの ゲストハウス”という謳い文句の内容が見えてもよかったと思う。

    シチュエーションが固定した(本公演では家)ものではなく、状況が変化するようなものであれば、その出来事が変化し空気や距離感も動く。そこにパントマイムというこの劇団の売りも生き活きと表現できると思う。本作は自分の目線がパントマイムという動作に捉われ、芝居全体を見ていなかったかもしれないが、森に風が吹かず木がなびかないため、観客(自分)の心も揺れなかった。

    その理由は、場面転換ごとの暗転が多く、集中力を保つのが難しかったこと。そしてパントマイムは、自分の座ったのと同じ目線(高さ)で観ることになり、役者の表現の違いが気になったこと。例えば、テーブルに茶碗・皿を置く高さが異なる。椅子の背もたれが一定の目安に演技していたと思うが、近くで見ているためその高低差という些細な点(もっともセールポイントだったと思う)に注視してしまった。
    また、個々の役者の演技力は確かなものを感じるが、一方、妙な距離感もあり、白々しさが感じられる。この芝居で自然体なのは近所に住む山崎夫婦(藤原稔三サン、重松愛子サン)。

    本公演、改めて”観る”ことの大切さを痛感した。
    次回公演を楽しみにしております。

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