陽のあたる庭 公演情報 陽のあたる庭」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
1-10件 / 10件中
  • 満足度★★★★★

    この作品、大好きなんです。

    人間臭さ、人間の良い部分と嫌な部分とが混ざっていて。
    例えばある時代の日本での、他の国籍の人物に対する姿勢とか、
    小さなそれぞれの価値の中でのぶつかり合いとか。

    中心となる2人の男性の、その関係性とかがしっかりと物語の中で積み上がって、
    そして最期の悲劇の場面も含めて、そこに優しさが詰まっている様で。

    たぶん、観る人にとって忘れらない1作品になり得る作品だと思います。

  • 満足度★★★★

    泣けなかったのが悔しい
    ショータが怪力の大男という設定でしたが、どうしてもそれほどまでには見えず、多少の違和感はありました。大きな荷物を軽々と運ぶ様子など、セリフだけでなく舞台上でも表現した方が良かったかなとは思いました。ともあれ、ショータ役の曽我部洋士さんの演技はとても良かったです。

    公演公式サイトもTwitterも見つからず、情報を得るのに困りましたが、ある女優さんがブログで絶賛されているのを見て観劇を決め、観に行って本当に良かったです。

    この作品のラストで泣けなかったのは本当に悔しい。

  • 満足度★★★★★

    お見事!
    劇団初見。これは大当たり。原作を昭和38年の日本の場末の飯場に持ってきたアイデアが秀逸。ストレートな翻訳の舞台は何回か観たことがあるけれど、こちらの方が感情移入してしまいましたね。精薄の怪力巨人を演じた役者さんに感服。

  • 満足度★★★★

    見応えのある舞台
    原作を、1960年代の日本に於ける物語とした翻案は見事。
    そして衣装・小道具・音響等、細部にも神経が行き届き、こだわりを感じた。

    役者達の演技レベルも高く、殊に“ショータ”役の“曽我部洋士”の演技が素晴らしい。

  • 満足度★★★★★

    観てきた
    出演者の方々の演技力、素晴らしい脚本と舞台でした。
    音楽とライティング、雷音、自然の音、古いラジオの使い方・・・等々
    広がりと奥行のあるステージ空間を見事に作りあげている。
    正月ボケを吹飛ばす、良い公演でした。
    粒ぞろいの出演陣ですが、特にルミコ役の女優が良かった。

  • 満足度★★★★

    今年の初観劇は
    充実の初感激でとても嬉しかったです。けれんみの無い演出、リアルな衣装やこの舞台のためにシェイプしてきたのか、よく引き締まった俳優さんたちの体形など、贅沢なものを見せてもらったな~と・・・・。夏の木漏れ日が落ちる林で始まるこの舞台は起承転結がはっきりしていて、伏線の置き方もわかりやすく、演技の見事さも相まって見ごたえがありました。何よりも外国の小説の翻案であるにもかかわらず、見事に日本のお話になっていて、半端ではない昭和感とともに演劇の面白さを十分に見せてくれました。「こうなることはわかっていた・・・・」という主人公のつぶやきが悲しい。

    ネタバレBOX

    見事に星4つが並んでいますが、私もやはり星4つかな。これだけよくできた舞台なのに何故?と私も思ってしまうが、それはやはりあまりにもきれいにまとまりすぎた起承転結にあると思います。欲を言えば「破」の場面がほしかった。もう少し長くても全体のバランスが多少崩れても、この劇団ならではの何かが欲しかったですね。
  • 満足度★★★★

    今年初観劇
    今年最初の観劇。なかなか良い作品に出会えたと思う。
    実にもって行き方の上手い作品だ。“こうなるんじゃないのか?”と思わせて、そのためにそうならないで欲しいと願いつつ、舞台に引張られていく。そういう部分が何度かあって、基本的には重いのは苦手な私も、食い入るように観てしまった。出演者の上手さもあるが、衣装の日常性、砂ぼこりがこびり付いた感じ、汚れの染み付いた感じなどリアル感がまたイイ!また、音響の使い方が実に上手い!ラジオの音・夕立、この辺りの使い方は見事!更に良いのは高度成長期の日本にうまい当てはめ方をしている事。背中に何かを背負って生きているような登場人物たち。戦後の日本を痛く感じる作品だった。あえて難を言えば、ショータが大男という設定だが、どう見てもそれほどとは思えず、その台詞が出る度、違和感を感じたこと。そして印象的なラストではあるが、なんとなく着地していない気がする。個人的にはその後のダイがどうなったか?知って、二人の物語の終りとしたいところだが・・・。

  • 満足度★★★★

    骨太...感動!
    第2回公演...とても観応えのある翻訳劇であった。チラシ記載のとおり原作はジョン・スタインベック「二十日鼠と人間」(邦題・1937年出版)である。原作の舞台となったのは、1930年前後の世界大恐慌時のアメリカ・カルフォルニア州の農場であるが、本公演はそれから約30年後の東京オリンピック前年(1963年)、日本・栃木県にある飯場・安藤組に 時と場所 を換えて描く。そこには原作同様、貧しくても逞しく生きる、そして愛しくも切ない、そんな人間讃歌が語られる。そして、オリンピック前年という高揚感ある時代背景にも関わらず、当時の世界状況・社会状況への鋭い批判と、2020年の東京オリンピックに向け、現在に対しても警鐘するという骨太作である(1時間40分)。

    ネタバレBOX

    開演前から昭和歌謡...「いつでも夢を」などを流し、50年以上前の雰囲気を醸し出す。舞台セットは、劇場出入口の対角にある壁面に沿わせて平板を粗組む。2場面(山中、飯場)であるが、平板は山林や飯場での寝床・腰掛場に見立てる。飯場シーンの場合は、それに木食卓と丸椅子も暗転時に配置する。

    梗概は、チラシ説明「戦災孤児のダイとショータは、いつか自分たち家を持つことを夢みながら、出稼ぎ労働者としていつも一緒に各地を渡り歩いていた。地方の道路整備が着々と進められる中、二人が辿り着いた新たな働き口であるトンネル工事の現場で、二人はそこに集う人々との生活を始めるが…」のとおり。

    物語や人物造形は原作に模しているが、日本の状況をしっかり捉えている。例えば、東京オリンピックの前年当時(1963年)、東京では道路舗装、ゴミ収集が行われ美化が進んだという。しかし、飯場労働者(在日朝鮮人)・ピョンの言葉を借りれば、それは上辺だけで汚い・臭いものに蓋をしたに過ぎない。
    公演の中で繰り返し出てくる台詞「世界はひとつ」は、東京オリンピックのスローガンの一節で、当時の世界情勢・東西冷戦を意識している。その状況は変化したが、現在では世界いたるところで紛争が起こり、テロも頻発している。そういう世界、さらには国内では震災復興ということを意識しておく必要があることを痛感。

    主人公2人ダイとショータは戦争孤児という設定である。それを考え合わせると、社会の底辺で働く人々に向けた優しい眼差し、逞しく生きる人々への応援歌、平和への思い。その描かれる内容に心打たれる。この心魂に響く演出...暗転時には小鳥のさえずりなどが聞こえ、明転後の照明もコントラストを付けインパクトを持たせる。音響・照明を(相乗)効果的に利用し、観客に印象付けるという観せ方が丁寧である。

    演技は、役者全員が安定しバランスも良かった。その性格付も原作とおり確立していた。女優2人、飯場の飯炊き女・照代(岡本恵美サン)は、その明るく優しい姿が、”日本のおかあさん”そのもの。親方の息子の嫁・留美子(森由佳サン)は、アイドル出であるが汚れ役で切ない女を好演していた。そしてやはり、ショータ(曽我部洋士サン)の演技が素晴らしい。

    気になったのは、すぐに安藤組に来た時の飯場の緊張感がなくなったこと。溶け込むまでのエピソードがあると更に印象深いと思った。逆にその変化に2人が飯場に親しんだという、時間の経過が見えるのかもしれないが...

    次回公演を楽しみにしております。
  • 満足度★★★★

    新年初観劇~!
    初見の劇団さんです第2回公演だそうですが
    開演時間5分遅れのセオリーは踏襲されていたのは残念

    結構新年初っ端にしては重い話かなぁと思えた
    1時間50分の作品

    小道具とか効果音とか役者さんの熱演とかは好みでありンした♪

    ネタバレBOX

    舞台セットは”飯場”風に黒地の素舞台に木材を荒く組んだ部屋風+ベッド兼椅子代わり台にテーブルと丸椅子です

    東京オリンピックを翌年に控えた昭和38年。
    戦争孤児のダイとショータが出稼ぎ労働者として、
    地方のトンネル工事現場に向かうところから物語は始まります。

    ショータは身体が大きく力が強いが知能が5~6歳児止まりであり、相棒というか兄貴分のダイは、そんなショータがしでかす出来事に困りつつも二人で現場を渡り歩き、いつか二人で住める自分たちの家を持つことが夢で金を貯めています(目標額は30万円であるが手元にはまだ2万円しかない・・)。実は二人というかショータがいつもダイを困らせることをして現場を転々と替えざるをえなくなって金も思う通りに貯められないのであるが・・・。

    遅れて現場に入った二人は新しい職場に馴染んでいくのですが・・・・

    いかにもな肉体労働者の高度経済成長時代の雰囲気をよく醸し出していたですよ

    結局ショータは、また前の現場(カヌマの現場)と同じような・・・(より以上の?)困った事態を引き起こしてしまい・・・。ダイがついに決着をつけてしまうという物語でありました。 (こうなるとは思っていたが、話は暗かったなぁ・・と感想・・・。)

    食事とかはリアルに飲み食いしてて 薄汚れた作業服とか 小道具のラジオや銃など細かい出来が自分的にはツボでした (BGMからラジオの音に移行する演出は上手やなぁと感心) 飯場に入ってくるときの砂利の感じの足音とか 音関係の細かさ良いです~
    14年式後期型(トリガーガードのふくらみが独特で一目でわかるのよ(^^)の拳銃なんて時代考証に即した拳銃使うとこなんかもGoodやなぁと感動しました

    ただねぇ難点が・・・ 男性陣は着替えなんぞしなくても問題ないけど
    女性陣(まぁ二人しかいませんが(^^;)は時間経過を出す為に着替えて欲しかったさ! 特に留美子さんは派手さが話上も必要であったろうし着飾って着道楽風な着替えは必要だよなぁと強く感じられたですよ

    時代的に喫煙シーン多くとるので薬用煙草(ネオシーダー)使用とアナウンスにもあったが・・普段なら大丈夫だったと思うが 年末年始で喉がつぶされた身としては煙が患部に悪かったようで(合わなかった?かな)咳がぶり返してしまったさ・・・ 演出上電子煙草は合わないだろうし・・まぁマスク等配りますよって優しさが欲しかったかしら・・・ すまんです自己都合な感想+身体状態で

    オオタダイスケ:ショータの兄貴分 戦争孤児 いつの間にか傍に来て懐いてきたショータと共に肉体労働現場を渡り歩いています
    コバヤシショータ:加減がわからない馬鹿力の持ち主 小動物とかが好きで将来の夢の家でふわふわのウサギを飼いたいと思っている 今まで気に入って遊んでいたネズミや子犬・・小動物を手の中で殺してしまっています・・・
    テルヨ:飯場での飯炊き女 東京に子供を捨てて出てきてしまった過去を引きずっている
    トク爺:先の事故で左足と左手をやられて今では手当貰いつつ現場の掃除担当となっている 自分の命を助けてくれた老犬がボケても誰彼噛みついても抑えきれなくなってきて心を痛めています ダイ達の話を聞いて虎の子の10万円出すので自分も二人の夢の家に住まわせて欲しいと願う=で考えたダイが12万頭金にして家に住みつつローンで残金払おうと思いつかせるキッカケ与えます
    ピョン・ソンム(ワタナベナオヒサ):日本生まれの朝鮮人(父マサオ陸軍軍人 故人) チョン(差別ですけどコノ時代は普通に皆がやっていたんだよなぁ・・・小劇場系でないと出せないセリフと立場ではなかろうか・・・)と周囲から蔑まれてますが現場仲間からは普通に接してもらってます 3年前に婚約していた姉が朝鮮人と明かしたことで破談となり自殺 弱った母を妹に看てもらいつつ二人のいる福岡に仕送りしている そして朝鮮人として嫌っていた本名を名乗っている 
    親方:現場を取り仕切ってる安藤組の組長さん
    カジワラ:現場での兄貴的存在 元軍人南方よりの帰還兵 亡くなった妹がいた=ルミコに似ていて話し相手になっていた 飼ってる野良犬が子犬5匹生んで貰い手探し中~
    ハラダ:お調子者 花札・煙草・女と・・現場らしい人物 拳銃を隠し持っている(先週辞めたカトウという仲間から預かったらしい)
    アンドウタロウ:親方の長男 いかにもな喧嘩っ早いチンピラ 上に媚びて下に当たるという如何にもな小人物 当然自分の所有物である妻には殴る蹴るの暴行を・・・・
    アンドウルミコ:戦争で両親を亡くし親戚中たらい回しにされ虐められ14歳で家出し現在はタロウの妻となってるがDVに苦しみ足掻いている=寂しくてて飯場等に話し相手(話だけかなぁ・・・?)探しに来ますが、みな仕事を失うの怖く=親方の長男に睨まれたくない=のでほとんど相手にされない (演じられた森さん綺麗でしたぁ♪)

    ちなみにラストで拳銃出すのですが・・・犯罪ドラマの見過ぎのせいか、腰後ろに銃がはさんである様子が見てとれてしまった・・・・。演出的にはいきなり銃出して驚かすとこですけど(勘の良い観客なら紛失話聞いてすぐ思いつくでしょうが)
  • 満足度★★★★

    ショータ役がグー
     内容的にはスタインベックの「ハツカネズミと人間」の翻案。無論、日本的にアレンジされてはいる。

    ネタバレBOX


     時代設定は1963年、つまり東京オリンピック前年である。ダイとショウタは野上の浮浪児上がり。戦災孤児である。ダイはしっかり者だが、ショウタはおつむが弱い。ふわふわしたものが大好きで見ると触りたがるのは、東京大空襲で母を早く亡くした寂しさの現れであろう。永遠の子供だから母のふわふわした感触が恋しいのだ。然しそのバカ力は半端ではない。優しいのだが、力の加減を知らないので動物を可愛がるつもりがいつも殺してしまう。今回は矢張り前の現場で、親方の女が着ていたふわふわのコートに触りたくて騒動になり、女が暴行だと騒ぎ立てたため、親方やその知り合いのヤクザに追われる破目になって、今度の現場へ流れて来たのである。だが、その2人には夢があった。金を貯めて小さな家を持つ、という夢だ。そこではショウタの大好きなふわふわの兎を飼うことにしていた。無論、小さいが庭もある。だが、今回移ってきた現場にも似た問題が転がっていた。親方の息子が乱暴者で背の小さいのをコンプレックスに持っており、大きい男を見るとそれだけで腹を立てた。目上の者には媚び諂うが、目下の者はとことんいたぶる下司である。しかも去年結婚した女房の浮気が心配で、年中監視していなければ気が済まない。その癖雀荘に入り浸って帰りが遅い。親が親方なので飯場に出入りしては子方に理不尽な暴力をふるったり、嫉妬の憂さ晴らしをするのである。子方たちは仕事を失いたくないから触らぬ神に祟りなしとばかりなるべく関わらずに済ませたがっていた。ところが、この女房も幼少時に疎開から帰ってみると母は空襲で死亡、父も復員してこずで14歳まで親戚を盥回しされた上ヤサグレてしまう。無論、男を騙してもきた。だが、自分の家族を持ちたかったのも本当だ。美人で若い上スタイルもいい。それで太郎が彼女の働いていたバーに来て一目惚れ、直ぐ結婚を申し込んで成婚となったのであるが、掴んだ獲物はババであった。それが不満で飯場にいる子方たち、とくに南方戦線帰りの梶原に話を聞いて貰いにきていたのである。だが、下司とはいえ亭主が年中嫉妬に駆られて飯場を訪れるので子方にとっては迷惑な話であった。
     ダイとショウタが暮らしていた野上がどんな所であったか、大体の察しはつこう。1945年3月10日関東大震災で痛めつけられ漸く再興した下町一帯をカーチス・ル・メイ指揮下のB29大編隊が襲った。海を除く三方を先ず火の柱で囲んで逃げ道を断ち、その後絨毯爆撃を掛けて一般市民(その多くが女子供老人であった)を生きたまま焼殺したのである。焼かれた人間が火のついたまま、凄まじい火災が巻き起こした上昇気流に乗って宙を舞うほどの火災であった。その為僅か数時間の間に生きたまま焼き殺された女子供老人ら市民の数は10万以上、人体から流れ出た油が隅田川に掛かる石の欄干に未だに沁みついて残っている。エンコから野上迄は、大人の足なら15分か20分の距離だから、焼き出された子供達の多くが野上に流れた。浮浪児達は、シューシャン(靴磨き)や闇市の手伝いなどをして生き延びた。ダイ、ショウタは闇市の話をしているから、野上に最初に入ったグループではなく何か月か経った後だろう。闇市が立ち始めたのは敗戦から暫く経ってからであるから。売品の中にはララ物資も無論含まれていた。留美子も14歳でやさぐれているからパンパンなども経験しているかも知れない。何れにせよ叩けば埃が出るような生活をしなければ生き残れなかった時代である。因みに法的に決められた生活を守った裁判官は餓死した時代である。またハイパーインフレは止まる所を知らず、まともな勤め人の暮らしより浮浪児たちの稼ぎの方が多かった上を下への騒乱の時代でもあった。街に溢れかえるチンピラは特攻帰りも多く、特攻では死の恐怖を忘れさせる為に覚醒剤が用いられていた為、戦後も日本薬局方・ヒロポンという名で合法的に販売されていたのである。国家などというものは、無論、そのでっち上げ理論の上で動く。決して普遍性もなければ合理性も持たない単なる虚構である。そう言って悪ければ無責任体制である。唯、多くは軍を味方に付け、権力維持をしているだけなのである。だから決して民衆を守らない。軍も民衆を守らないのは必然である。
     以上のような背景を背負った人間たちが登場する作品として観ると面白かろう。

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