満足度★★★★★
やられた
この映画は大っ嫌いだった!なのにこの舞台には引きこまれた!登場人物みんな好きにはなれない。なのに彼らの作り出す熱気やパワーに魅せられた。暫くぶりにどぉーーんとぶち当たったという感じの舞台。その青臭さ・頭でっかちな価値観、観ていて胸糞悪いが、そこから溢れてくるものに完全に飲まれた。“やられた感”たっぷりの舞台でした。
満足度★★★
原作未読
筑豊編は漫画で既読。
平成28年に昭和29年の話、どこまでも愚直な理想を求めたい若者達の挑戦と挫折。信介と織江の会話がガジラ方式なのは千葉さんらしいなと思ったり。
とある場面で、唐突に甲斐バンドの「ダイナマイトが150屯〜♪」のフレースを思い出して困った。信介しゃん、時代は違うけど、筑豊から東京の大学生になって仲間と一緒に函館まで行って、苦悩も多いが案外リア充なんじゃなかろうか、お母さんを悲しませずに真面目に大学行けや、と思うのは彼の行動を白い目で見てしまう小市民的感性だからだろうな。それにしても劇中の彼らは昭和一桁前後生まれだろうが、平成の今の年齢だったら80代か…、彼らのような人もいて社会が成り立っているから、なんだかノスタルジーに浸れたよな、そうでもないような。とにかく熱い舞台でした。
リアリズムを追求している劇団白夜の芝居はあんまり好みではないが、町の人=最前列客に配っていたチラシ、どんな文面だったのか読んで見てみたかった。
約2時間。
満足度★★★★
出稽古
虚構のメンバーが、鴻上さん以外の演出家の方と作り上げる出稽古のような「虚構の旅団」
今回の千葉さん演出は、やっぱり男臭かった。
千葉さん演出は、食べるシーンと飲むシーンが特に多い印象がありますね。
食べるシーンって、結構演技的に難しい気がするから、役者さんの技量が出てきて、最近見ていて面白いなぁと思っています。
今回のみんなは…。
まぁまだまだかな。
でも、こういった出稽古をいっぱい熟して劇団として幅が出てくるんでしょうね。
満足度★★★★
汚い世の中!
筑豊編、自立編は映画で観ましたが、放浪編は初めて!
身を持って体験する学生の姿を今の学生はどう見るでしょうか。
当時の学生の青臭さが好きです!
満足度★★★★★
14本目
今、『青春の門』かぁ。
と、それほど期待しないで観にいったら、ものすごく面白かった。舞台と客席が近いうえに、やたら熱量が高いから、伝わる物がすごかった。お勧め。
満足度★★★★★
エネルギー
今の大学生の口からは絶対に出て来ないような言葉が弾丸のように飛び出してきたのにはビックリ。しかも、なかなか様になってたし。苦労を買ってでもしていたエネルギーの塊のような世代が高度成長〜バブル時代をずっと牽引したことを思うと、感慨もひとしお。とにかく迫力のステージ。
満足度★★★★
恥ずかしい台詞も数打ちゃ?
大島渚の映画(「日本の夜と霧」など)に大学生の頭でっかちで意気がった左翼的な台詞が頻出する。独特の文体だ。それを思い出した。劇中にある「学生嫌悪」の対象としてサンプルになるのは、三島由紀夫が東大で全共闘学生と交わした討論の映像(本にもなっている)。これを見ると、頭の回転の速さや思考の周到さを競ってるような、それでいてどこか「明るい明日」を信じていて、君たちの本質はその「安心」の土台にあるのだろう、その居心地の悪さを払拭しようと悲観ぶったり理屈をこねくり回してるのだ、それでいその言動は結果的に君たちの得るべき地位を正当化しているんだぞな。。そんな突っ込みをしたくなる発言、要は「恥ずかしい」台詞というものが、かつて日本にもあった。(もっとも彼らはその世界観の中では真剣であったに違いないし、議論しない現代の日本の方が病んでいる。ただし議論の内容の吟味は別の話)
「キューポラのある町」とか「青い山脈」も戦後らしい気恥ずかしさを醸すが、微笑ましい。これに輪をかけて屈折させたのが、上のそれと言えるか。
鐘下辰郎が中原中也・小林秀雄らを題材に書いた作(汚れつちまつた悲しみに・・)を、先般桜美林大で観て圧倒された記憶が生々しい。こちらは昭和初期の文人たちの言動で、中原の一見「痛い」「恥ずかしい」台詞を、己を信じる力をメーター振り切るまで放出することで超克し、そのエネルギーによって「感動」に変えていた。
この衝撃をもう一度と今回、虚構の劇団初観劇と相成った。ハードルは高い。
さて今作は「演劇」が社会運動と渾然一体となっていたある時期のある場面を切り取った話だ。 五木寛之の原作にどの程度忠実かは分からないが、大学の演劇サークルのメンバーが中心となるドラマなので、現代の役者にも取り組みやすいものだったかも知れない。
しかし桜美林の鐘下組が凄すぎたためか、今回は物足りなさも残った。戯曲は鐘下氏の書き下ろし、演出は千葉哲也。今回の「虚構の旅団」企画は「演出」の外部依頼が主眼との事だから、鐘下演出だったなら・・という選択肢は無かったわけだ。しかし肉薄しつつも届かなさが見えたというのが正直な感想で、「惜しい!」。
左翼的世界を、揶揄の対象でなく、暗面を抉り出しながらも最後は明るく肯定的に描いたドラマは珍しい部類だと思う。
舞台の設え、客席は出入り口を見る側に横長に組まれている。床よりも面積を広く占める二つの長方形の台(高さ40cm位か)が、機能として面白かった。 床と台それぞれにフタ付きの四角い穴があって、人がそこから登場し、出はけに多用されバタンバタンと開け閉めされる。その穴に入った役者が、外への階段に抜ける扉から出てきたり、雑遊は色々出来る劇場のようだ。
満足度★★★★★
世代を超えた微妙な空気
まず最初に思ったのは、この小説はとても演劇的な作品だったと再発見させられたこと。スペース雑遊のような濃密な小空間で上演するのにふさわしい熱量を持った小説だということだった。
原作は昭和30年代の若者たちの群像劇。これを今の若者たちが演じるわけだ。舞台からは当時の若者たちの熱さはガンガンと伝わってくるのだが、何だか微妙な空気感も流れている。何だろう、これは、とずっと思っていた。
帰りの電車でパンフレットに書かれている役者たちの感想を読んだ。この作品(台本)を読んだときの印象が書かれている。おそらくみんな20代の俳優たち。
「何か小難しいことで悩み、議論し合っているのが最初の印象」(三上陽永)
「正直、初めて読んだときは、全然理解できませんでした」(森田ひかり)
「最初はとても難しい本だと思いました。専門用語が出てきたり、時代も古いし」(池之上真菜)
「どうしてここに出てくる人たちはこんなにコロコロと変化し、面倒くさいんだろうと、共感を持てませんでした」(佐川健之輔)
それで分かったぞ。この微妙な空気感。青春の門を演じるとは、そういうことなのだ。この作品の空気感にどっぷり浸かれる世代はもう、今や高齢者である。高齢者には演じられないから、若い世代が引き継ぐわけだが、何とその難しいことか。空気感を受け継ぐというのは至難の業なんだね。
だが、舞台は素直に面白いと思った。この微妙な空気感のずれも楽しめた。濃密空間の小劇場マジックかもしれないが、とても満足できた。
今度は筑豊編から続けてやってほしい。是非とも要望します。