満足度★★★
丁寧な上演
ベケットの不条理劇を丁寧に上演したという感じ。老夫婦ウィニーとウィリーの物語なのだが、事実上は妻ウィニーの一人芝居で、夫ウィリーは時折後ろ姿で搭乗したり、見えないところからセリフを発したりするのみ。1幕70分は天井から吊るされたいくつかの小道具を使いながら、ある種平凡な日常を淡々とウィニーが語る。2幕20分では、吊るされているのは拳銃だけとなり、日常を語るというより、それに対する「思い」の語りに変化する。不条理ではあるが、そこに残る感触は悪くない。松本演劇祭でも見た同劇団だが、不条理の扱いに慣れているようには思った。
満足度★★★★
しあわせとは。
Oh les beaux jours(仏)という題らしい。美しい日(々)。 以前観たALICAの上演も同じく中央に盛り上がった山の頂上に腰まで埋まった女優(ウィニー)が伏せていて、開演と共に起き上がって語り始めるパターンだった。時々男(ウィリー)が一言返す。美術は金氏徹平氏、男優は福岡ユタカ(ミュージシャン)を起用。休憩をとって二幕には女優は胸まで埋まっていたが、時間経過というより「徐々に埋まって行くみたい」程度の変化で、さほど深刻なイメージは無かったように思う。金氏氏の作った山は家電とかさまざまな物が入り組んで置かれ、時々崩れて大きな音を立てて床に落ちたりする(裏の操作で落ちる仕掛け)ので、「何かが壊れて行く」感じを表現していたのだろう。女優の語りは身体との距離があり、全てが比喩のように見えた。
こちら双身機関版は、最初「同じ」との印象から観る内に「違い」が見えてくる。 女優の語りに温かみがある。夫への愛情の形、現状への折り合いのつけ方が語りに滲んでいて、「ああ、こういう話だったのか」と改めて気づく。
この芝居の数少ない物語的要素は、一つは一幕から二幕への「埋まり方」の変化、そして夫(恋人?)の寡黙な中でも幾つかの発語を、どう作るかで夫の人物や彼女との関係性が謎解きとして浮かび上がる部分、あとは彼女の語りが徐々に明かしていくもの(といっても劇的な何かが起きる訳ではないが)。 ウィニーの一人語りがほぼ全てである。
ベケットがこれを書いた時代の通念、風潮、事件、もしくは演劇的状況がきっとこの作品の下地に恐らくある。というのも、この芝居がこれ自体完成された美をたたえているのかどうかと言うと・・疑問である(そこは意見の相違がありそうだが)。従って、これを今やるというのは、ベケット的には日本でやるなら日本に置き換えた「しあわせな日々」をやるのが正解なのではないか・・と、戯曲をきちんと追えていないが、そういう印象である。
女優の演技と、美術的な成果を評価。
満足度★★★★
約100分
最初は他愛なく思われた、老女の独白。それが未出のエピソードを交えながら何度も繰り返されるうち、徐々に分かってくる彼女の境遇……
こちらも徐々に引き込まれていきました。
ただし、選曲に難。
四半世紀も前に戯曲を読んだ記憶がおぼろにあるのみ、上演に触れるのは初だったため、今回の演出が奇抜なものなのか、オーソドックスなものなのかはよく分かりませんでした。
当パンには今日の世相にも通じる作品だ、といったことが書かれていますが、その今日的な部分の、演出による強調が足りなかったのか、個人的には特段の現代性は感じなかったです。
満足度★★★★
衝撃の厄介な戯曲
山に見立てた舞台美術に、真ん中に、顔だけの出演者ひとりと、声と影だけの出演者ひとりの二人だけながらも、中身は、ほぼ一人芝居で語りかけながら。動作と表現で難しいながらも、厄介な戯曲をこなした表現がよかった、105分でした。