雨湯口 公演情報 雨湯口」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.3
1-8件 / 8件中
  • 満足度★★★★★

    生き延びてしまった人
    「雨湯口」

    9月
    湯口家は父 母ヒヅメ 姉マイ 妹アサヒ
    舞台は新潟の民宿
    会場名の"raft"とは「筏」のこと

    ネタバレBOX

       今、父母姉妹と書いたけれど、劇中に家族の関係性をあらわす言葉は出てきただろうか??

    「お父さん」とか「お母さん」とか「お姉ちゃん」とか誰も言っていなかった気がする


    雨湯口とはshower gate のことなのだそうだ。雨淋式环浇口ともいう。


    疑似家族という言葉から思い出されるのは、禁断の多数決の人が結成のいきさつを語ったインタビューである。(それで終演後にきんたすが流れたのか、ということは今になって思った) と同時に、「雨湯口」を観て思ったのも同じ言葉だった

    でもきんたすと湯口家は根本的に違う。一方で家族ではない人たちが集まって家族のようになるのに対して、こちらでは本当の家族がぎこちなくふるまって疑似的なもののように見えてきて、そこにおかしみもかなしみも生まれてくる


    正面入り口からではなくて、建物の横にまわって路地を進んだところの入り口から劇場に入る。
    横の入り口のドアが閉ざされると会場内は真っ暗になるから、
    姉マイが民宿から出て行く*ときに、横の入り口のドアから太陽の光が射していた。それは鮮烈なイメージとして残っている
    「歩行船」のホールでは客席とは独立した舞台を見ていたけれど、raftでは客も舞台の内側にいて、邪魔にならないところに座っていた


    「雨湯口」は家族四人で教育テレビをみて、朝食を食べるシーンからはじまったように記憶している。
    そして客が、役者が舞台に出てくるのを真っ暗な場所で待っている間には、会場には波の音が流れていた。
    ザザーッという波の音を赤ちゃんに聞かせると泣きやむことが多いと聞いたことがある。
    それで、あっと思って、公演内容を見ると、やはりその0番は「蹴り」となっている。胎児がお母さんのおなかを「蹴る」ことを意図したのか、せずに公演内容の0番は「蹴り」になったのかわからないが
    胎児までいくとさかのぼりすぎなのかもしれない、では湯口家では誰に胎児性-幼児性-子供性が残っているのか? それは母ヒヅメなのではないか


    そっくりの姉妹、姉マイと妹アサヒは、故郷から出て行く姉*と故郷に残る妹として、対になっている、
    そんな中で、最後まで母なる土地にい続けるのはほかならぬ母親だけなのだと考えてみる

    「歩行船」の序文には、「サロメも阿部定も母にはなれません」とあった。
    「雨湯口」でも、"母になること"にかんする主題があり、さらにヒヅメを見るアサヒの視線は消えずに残っている


    前作「歩行船」には男が出てこなかった。今作には男性が1人出てくるが、描かれ方はいわゆる男性的な男性ではなく、より男性の不在が際立っているではないか

    それから、これはくだらないことだが、わたしは中学のころ、ファリックシンボルとしてニジマスが登場する小説を読んだことがあった。「歩行船」のパンフレットに阿部定の名があったこともあり、姉マイと妹アサヒがキッチンで容器に入ったニジマスを覗き込むシーンなどは、おや?と思いながら見ていた。


    民宿という場所に関することや、劇中での時間の問題については書けませんでした

    再演を気長に待ちます 次回作も楽しみです(おわり)
  • 満足度★★★★★

    遅くなりましたが

    ネタバレBOX

    小劇場というところにあまり行ったことがなくて、どこからが小劇場でどこからが小劇場でないのか知らないのだけれど、入り口でお金を払って建物の横の細い道を通って裏から回るのは面白かった。中は薄暗く、ぼやっと10ワットの電球色のような落ち着いた明かりが灯っていて、簡素で真ん中に演者が囲む座卓、その周りに囲むように観客が座る椅子が並べ置かれていた。とても近い。この近さが全体的に強く影響を及ぼしたように後々思う。自分が座った場所よりもほんの少し遠い席も選ぶことは出来たから、そこではまた違った見え方がしたかもしれない。私の席ではすべての役者の顔を見ることが出来た。
    近い、というのは演劇でも音楽のライブでも体験したことがあるが、例えば音楽のライブであればフロアの真ん中で演奏してその周りを観客が囲んで観る、というのがあるが、ちゃんと柵がある。他には小さなジャズバーでとても近い、ギターの先が顔に当たりそうなくらいの近さで鑑賞したこともあるが、よく見える、よく聴こえること、近くて“嬉しい”という以外のものはなかった。今回の演劇では役者と客をしきる境界が存在しなかった。

    あらすじにも書いてあったが、民宿を営む実家に帰省した娘を母親は客として扱う。
    それが、マジなのか病気なのかはその時は判然としないのだが、とても怖かった。その怖さを持続したまま、話は進む。後にそれは父親の失踪による“症状”であると説明されるのだが、それでも怖さは収まらなかった。ステージを観る、というのではなく、同じ舞台の上で、近くで見ている。障子に穴を開けてのぞき見しているような、超能力でその場を視認しているような、とにかくその場を同時体験しているような自分の入り方に、恐怖感を覚えていたように思う。ホラー映画でそろそろ何かが出ますよ、という恐怖感のボルテージを上げていき煽るシーンがあるが、あれがずっと持続されているようで、とても消耗した。

    姉妹の置かれた境遇、人生の歩み方と選択の違い、その関係性と対比がきれいに描かれていたと思う。アサヒが父の失踪と母の変化を自らのせいと責めるシーンがあるが、マイはその時それに怒ると思った。父親の失踪を自らのせいだと思い、そこに残り母親と生きることは自己犠牲精神だが、罪は無い。失踪は車で当てられた事故のようなものだと思った。アサヒには徹底して罪がなく、自らを責め、マイをすごい、と言うのには欺瞞すら覚えた。しかしマイはそうではない、と庇い抱いて、その画がとても"丸い”と思った。比喩ではなく。二人はお互い自らの意志で入れ替わることを決意しているのもすごいと思った。
    母親と父親の話も入っているし、講演内容には"母の記憶について”"母の恋人”"母の記憶”とある。登場人物には全員罪がない。同時に皆それぞれに強く持ち合わせている。とても難しい家族システムを描いていると思う。儀式、サクリファイスなどもきれいに入っていた。

    動きでいえば、別の役者が話しているときに光の当たらない周りをゆっくり歩いたり、特に母親の動きは能のすり足のようだった。ただ、父親だけに動きがなかったように思う。

    作者の阿部はりかさんのお芝居は今回で二度目だが、観るのにとても体力を使う。上演時間50分とのことだったが、とてもとても長く、感じた。前回は初めてだったがわりときちんと観ることが出来て、しかし何故か逆に、今回はとてもやられてしまった。一歩引いて観ることが出来ずに、消耗し、なかなか帰ってくることが出来なかった。

    終演後の謎のポップなBGMにも、役者さんたちの一転した笑顔にも、心と身体がついていかなくてあべこべになってしまった。強烈でした。

    一点、終盤のサイレンの音で想起を煽るのがあったが、それは少しチープで他の道はなかったかな、と思う。それまで緊迫したクローズドな場、一軒家で行われていたものが急に外界の存在を意識してしまった。海や川は暗闇で隠されていたわけだし。
  • 満足度★★★★

    演劇として観ない方がいい
    土曜日昼の回に行ってきました。15席ほどのとても小さい小屋で、演者との距離がとても近く、独特の空気を味わえました。
    演出(かつ出演)も主演も音楽畑の方で、演劇としてみるより、一種の空間表現として観た方が良いのだと思います。公演内容も、ライブのセットリストと同じであり。
    照明が暗めに設定してあるのも、演出の一つと思い。私は不快には感じませんでした。
    受付開始時間と開演時間が、受付に貼ってあるポスターと違うのが気になりました。劇場柄、開演まで待つ場所はないので、その点考えていただけると幸いです。

  • 満足度

    今後に期待
    お客の入り口が裏口から入るようになっているのですが 
    受付の方の説明がわかりにくく 張り紙もなかったため 先の曲がり角まで行っちゃいました。
    そこは張り紙を張るなどの配慮がほしかったです。
    あと演出上 待ってる間も客席が暗めなのは仕方ないとしても 
    トイレへの道が真っ暗 トイレがどこなのかさえわからないくらい 真っ暗なのはとても困ります。


    ↑この辺の配慮のなさが気になって お芝居を観ようと言う意欲が下がってしまったのかも。


    作品は「わかる人にしかわからない」みたいな仕上がりになってて。
    もちろん集中してみれば わかったのかもしれませんが 
    それだけひきつけるものもなかったし 私にはその面白さがわからなかった。
    私の感覚がおかしかったら ごめんなさい。


    でもはりかさん才能はあると思うので これから期待の劇団だと思います。
    才能は応援しています。
    あと好きな役者さんが観れたので 私的には満足でした。

  • 満足度★★★

    海に出てみたい
    罪悪感と淋しさと焦燥が恨みと妬みと後悔に変成していたと知ったとき、彼女は川を下り、入れ替わりの彼女は川を遡る。はじまりの不明は各々の内面に抑え込まれ発酵する。諸々のヒントからこの場を把握する面白さがある一方、目を凝らすのに少し消耗した。もう少し照度を上げても良い気がする。

  • 満足度★★

    座組も宣伝美術もいい感じ
    良さが伝わりにくい。
    そもそも面白さが分からないから人に勧めづらい。
    主宰の方は繊細で只者ではない、ポテンシャルが高いかもしれぬ雰囲気を纏っていたが、それを生かし切れていない。

  • 満足度★★★

    ポテンシャルに期待
      誰が狂気に陥っているのか? 客観化できない仕組みになっている点で不思議なテイストの作品になっている。

    ネタバレBOX


    ちょっと変わっているのが、フライヤーに記されている公演内容だ。0蹴りから始まり、1名前について 2帰省 3結婚式について 4母の記憶について 5愚者の覚悟 6姉妹 7不具者 8母の恋人 9愚者の覚悟2 10聞いてあげる 11母の記憶 12執り行う人 13名前。因みにオムニバスではない。
    公演は観てもらうとして、若書きの典型ではある。而も、この作家のデリケートな感性の持つポテンシャルが、今後どのように花開いてゆくのかを予測することがかなり難しい。プロとして開花する為には、一方で、現在の柔らかくデリケートな感性を維持しつつ、一人称世界を三人称世界の認識の鑢で削ることができるか否かに掛かって来よう。若い作家に先ずは「風姿花伝」辺りをキチンと読みこなし初心にしっかりした羅針盤を当てる作業をお勧めしたい。今後の活躍を期待している。
  • 無題1609(15-298)
    19:00の回(雨)。

    18:23受付、一旦外で待ち、18:30横のドアから中へ(靴のままで可)、入って左と奥がL字の椅子席。中央に低いテーブル(白い布)、座布団、横に「魚」、簡素な舞台。

    19:00配膳、19:02前説(50分)~開演~19:55終演、初日乾杯。

    「はりか第二回公演」の第一回公演「歩行船(2015/3@キッド・アイラック)」...桐朋女子演劇部 69期黄色 70期赤 合同公演を観ました。

    どちらも三文字というのは偶然でしょうか。

    久保さん、調べてみると「5分だけあげる(2011/6@王子)」「泣けば心がなごむけど、あなたの前では泣けません(2011/6@「劇」)」、「地獄谷温泉無明の宿」を観たかったのですが時間があわず。小西さん「ワンダーランド(2015/2@王子)」。

    ※あとで書き足します

    ※気になったこと:予約返信メール「受付開始は開演の1時間前、開場は開演の30分前です。」とあります。他の劇団でもよくありますが...

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