サムライ・シェークスピア "R&J” 公演情報 サムライ・シェークスピア "R&J”」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.2
1-4件 / 4件中
  • 満足度★★★

    ちっと思っていたのと異なりました
    ロレンス神父の視点で・・・・とは思えなかった約2時間強

    ネタバレBOX

    思っていたのはロレンス神父を被告にした大公の尋問で語られる過去話って想像してたら、確かにそ~ゆ~シーンはあったんですが。あとは時系列を逆に見せていた作品でありました。衣装とかは興味をひかれたが、ドレスに匕首は驚きはあったけど何か合わなかった感があったです。洋装に日本刀も悪くは無かったが、名前はそのままで和装=白い洋風模様の着物とかでも作品世界に似合っていたんじゃなかろうかとか思えたです。説明通りに神父を中心に据えて完全に神父の想像と視点のみに限定した尋問劇にした方がよかったんじゃないかなぁって感想です。
  • 満足度★★★

    もっと深い所で構造構築をしないと
    IDA K.Lang TheaterでのNY Performances東京プレビュー公演と銘打たれた今作。作品コンセプトとしては、Theatrical performanceということなのだろうが、シェイクスピアを生誕450年で色々な催しがあるであろう英国ではなくアメリカで上演するというのも、ちと腑に落ちないものがある。

    ネタバレBOX

    が、イギリスでシェイクスピア俳優ということになれば、それだけで大したステータスだから、母国語を英語とする訳でも無い日本人が、英国で上演するには、余程の実績が無ければ難しいだろうというのは頷ける。だからといって、業を磨かなくて良いということには無論ならない。
    大体、performの意味を軽く取り過ぎているのではないか? 接頭辞、perには、完全にという意味がある。performを演ずると訳す場合でも、完全に成し遂げるからこそ、演じることで過不足なく伝わるのであり、それ以外ではない。リーフレットによれば、法廷心理劇の手法を用いているということだが、それならば、それが成立する為の構造をしっかり作らなければならない。「ロミオとジュリエット」の背景にあるものを深く掘り下げ、同時代の日本の武士の価値観を深く掘り下げた上で対比し、ロレンスの位置を弁証法的に下降させるということにすれば、リーフレットで述べられていることの半分以上は実現できたであろう。然し、構造的にこの基礎部分ができていない。結果として、役者達の間が、どうにも締まりのないものになってしまって、其々のポジショニングも曖昧化し、ドラマツルギーとして結実していない。演出にも難がある。オープニングのダンスシーンでロミオ役が、横笛を吹いた後、サッシュベルトの後に横笛を差すのに手間取ったり、その後、全員、扇を用いて踊った後、矢張りサッシュベルトに差すのに手間取ってタイミングが狂う。こんな凡ミスは、これらを収納する容器を足に取り付けておけば簡単に片付く問題だろう。
    また、剣は、左腕で振るものである。殺陣の最中、右手だけで振るわなければならない場合は兎も角、構えている時点で右腕で刀を支えているのが一目瞭然では話にならない。演出家は、キチンと基本を押さえるべきである。
    以上の点を意識して実践できれば、格段に良くなるだろう。
  • 満足度★★★

    なぜ?
    なぜ“サムライ”なのだろうか?
    題名から和ものと思えば、衣装に着物柄を使っていること・刀である事・オープニングに篳篥など使っていること・・・登場人物の名前は原作どおり、ストーリーも定番のまま(多分に順不同ではあるが)、原作のまどろっこしい台詞もかなり残されている・・・だったら、原作どおりの舞台にすればいいのにと思ってしまった。
    やたらと暗転が多く、芝居がぶつ切りになる。あきらかに演じる側が載り切れていない。話の順番もバラバラで、”ロレンス神父の視点を中心に据え”とあるが、あまりその効果は感じられなかった。
    殺陣も定番、ダンスも変化に乏しい。
    何がしたかったのか?理解できずに終わった。

    ここでも熟年組は確かに上手い。特にジュリエットの母親役、しっかり芝居が入った熱演であった。

  • 満足度★★★★

    演舞による演出は見応えあり
    シェークスピアの「ロミオとジュリエット」(邦題)を原作として、舞台を日本に見立てた公演である。もちろん梗概は原作を踏まえたものになっているが、描く視点をロレンス神父を悲劇に導いた被疑者として捉え、法廷心理劇を構築している。だから、証言者としてのロミオやジュリエットの親近者、従者が証言台へ立つが、その発言は時・場所・状況・立場で違う。事象は羅列されるが、真実は明らかになるのか。
    ニューヨーク公演に向けた日本プレビューということを前提に観ないと、ツッコミ所が…芝居と同様、アメリカという違う場所・状況等考えあわせると合点できる。

    ネタバレBOX

    この公演の面白いところは、観客は俯瞰しているが、当事者達は断片的、もしくは思い込みによる証言になる。同じようなことが我々の日常生活・行動にもみられると思う。自分の立ち位置による見方は主観的であり、一事象を見ているが、他者から見た場合はどうだろう。現実に舞台を観るように俯瞰していないのだから。この公演の眼目の一つが視点の転換(主人公は二人ではなく、二人を誤って死なせたロレンス神父を被疑者にした劇)を試みたという。その意味では、試みは成功したかもしれない。

    一方、その描き方は事象の再現・回想で、あえて場面を分割し、回想ごとに繋ぐ必要はなく、時系列的にストーリーを展開したほうがわかりやすいと思う。この分割/結合という観せ方がテンポのキレを鈍くしたようで残念である。

    もう一つの見所は、”舞”である。序盤の群舞や、芝居の所々で剣舞が観られる。時代劇のような殺陣もあるが、それはストーリーを構成する演出として取り込まれている。「舞踊」そのものは見応えがあったが、芝居・舞踊の関連性が今ひとつ融合していないようで、公演の中で分離した演出に見えた。またサムライに原作の名前はビジュアル面も含めて不似合いだと思う。日本公演では、なぜ日本・サムライにする必要があるのか、という違和感が残る(ニューヨークでは喜ばれるか?)。
    あくまで日本公演の視点での感想である。
    最後に、シェークスピア劇にある有名なセリフなど、アフォリズムな言葉があると、印象深い公演になると思う。

    ニューヨーク公演の成功を願っております。

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