満足度★★★★★
春の息吹
観る側のすべての感覚をそばだたせ、
春の息吹と廻り来たる命の普遍を描き出していました。
人、花、時、すべてが織り込まれた世界、
微かな気配から始まり、
やがて命が解き放たれ、
人々が集い、
そのなかにも無機質に流れるときがあって、
命の滅失があり、
さらに再生の気配が訪れる。
それらが、パフォーマーの身体や舞台美術、奏でる音、仕掛けられた音、装置の動きにいたるまで
作り手の編む様々な創意や表現とともに観る側を新しい春の訪れと過ぎ行く季節の感覚に誘ってくれる。
村芝居の桃太郎にしても、モノトーンのダンスにしても、
季節の情景として観る側に新たな印象を刻んでいきます。
舞台袖のスピーカーの音や花の動きにも
人が見るものを凌駕した季節のダイナミズムがあって。
そしていったん終わりを告げた春が、
その気配を再び醸す終わりにも強く心を捉われました、
劇場空間全体を使った見事な舞台だったと思います。
満足度★★★
近未来の日本の再生
様々な振付家によって振り付けられている名曲が、白神ももこさんならではのユーモアセンスで彩られ、独特の雰囲気を生み出していました。
客席を囲んだダンサーやエキストラによる、小さな物音から動物の鳴き声、人の話し声に変化していく、声のパフォーマンスの後にストラヴィンスキーの音楽が始まり、学校の制服的な衣装を着たダンサー達が様々な伝統芸能や民衆芸能をコラージュしたようなダンスが展開しました。第1部の終曲の前で一旦音楽が止まり、桃太郎の寸劇が演じられ、終曲に続いてそのまま第2部に突入し、草原にカモフラージュしたギリースーツを着たダンサー達が不気味且つコミカルに踊り、曲の最後で全員が舞台奥に引っ込んだ後、全身白の衣装に着替えで静かに客席を通って捌けていく途中で終演を知らせるアナウンスが流れて終わりました。
前半は静と動の対比が鮮やかで、印象的なシーンが多くて引き込まれましたが、桃太郎が演じられた辺りからは何を表現したいのか分かり辛くて求心力が弱まっていたように思います。
振付自体は変拍子が多用された音楽に沿った、見ていて気持ち良い動きがあったり、逆にビートの激しい部分であまり動かない箇所もあって魅力的でした。
舞台奥に向かって緩やかに登り坂になっていて一番奥が堤防のようになっている無機質な舞台美術とロビーに展示された美術作品に繋がりがあって、劇場に入った時点で作品の世界になっているのが良かったです。
満足度★★★
-
春の祭典というよりも白神ももこ作品であり、題を春の祭典としなかったほうがよかったかも。和風とがれきが溶け合わず軸がしっかりしなかった。オープニングは良かった。
満足度★★
・・・で?
最初のほうは「おっ!」と思うも、その後は特に面白いものがなく・・・
パンフレット読んで「あー、こういうことだったのねー」「あー、アートだわー」とか思いつつ、「じゃーこのパンフ読んどきゃ実際にステージ観る必要なくね?」とも。
上演が完全に「サブ」扱いされてる感。
少なくともあーしは「思想」を観に来たつもりはなかったんだけどなあ・・・(´・ω・`)っていうモヤモヤが。
ストラヴィンスキーのこの『春の祭典』って音楽を前にして、そんな「言語」や「思想」で割り切れるような表現になっちゃうっていうのは、この表現者たちは根本的に自分と「合わない」んだろうなあ・・・と。
ニジンスキーも、ベジャールも、プレルジョカージュも、平山素子も、まずはそこに「絶対にことばでからめとりきることのできない身体」を用意してたのよね。
あーしは今回の舞台に、白神ももこなりのそうした「身体」を期待してたんだけども、ねえ・・・。
満足度★★★
芝居とは見方を変えるべきだった
と、やっと気付かされました。
先にパンフレットなどで作品の表現したいものを知ってから、
どう表現されるのかを見るべきだったんだなぁと思いました。
難しいなぁ舞踏などの観劇は・・・・・と感じた60分間
ロビーには街頭やらのオブジェが現代芸術よろしく展示されていました