一遍 公演情報 一遍」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.5
1-5件 / 5件中
  • 満足度★★★★★

    ここしかない
    神奈川県で劇団といったらここしかないイメージ
    期待通りの面白さ、そして裏切りがあり素晴らしい
    書くこともなくなるほど

  • 満足度★★★★

    踊念仏…持ち味を十分に発揮
    一遍上人が武家出身ということは知らなかったが、信仰は踊り念仏を通じてということは授業で教わったような…。ミュージカルらしく仕上げるには格好の題材だったと思う。風雲かぼちゃの馬車という劇団の持ち味が十分発揮できていた。またキャスト陣の有髪の僧姿も魅力的だった。
    ちなみに、「一遍上人」は2012年に映画化(主演:ウド鈴木)され、話題になった。

    ネタバレBOX

    武家社会から仏門へ…この選択には家門の結束・継承があったようだ。物語的には武家社会への執着は描かれなかったが、仏門における確執は峻厳だったようだ。仏門という世俗とかけ離れた世界における対立(仏法問答)をもう少し観たかった。懊悩から(時宗)開眼までの道程…、一遍という傑物への成長を問答という状況説明・台詞で深めて欲しかった(海外公演だと、言葉の違いもあり難しいとは思うが)。

    今後の公演にも期待しております。
  • かなり本格的な中世物のミュージカルで、
    一遍という、あまり歴史ドラマなどで取り上げられていない人物を描いていて、興味深かったです。ストーリーも解り易く、ドラマチック。力のある役者さんが全体を引っぱっている感じ。キャラがはっきりしていて、そこに現代人の感性も重なっていて、共感を呼ぶ。ただ突っ込み所も多く、ミュージカルということでまあいいか、とは無視できないところも目立った。大事にしている演目らしいので、もっと時代劇の型の良さなども取り入れた物にしていって欲しい。

    ネタバレBOX

    突っ込み所ですが・・・・・。開始早々の松寿丸の母の衣装など、まるっきり現代のお太鼓姿で、「え、これいつの時代の話だっけ???」とびっくり。父や叔父の袴姿も現代版で、しかも袴の紐の結び方などめちゃくちゃ。あれは臍の下に締めるのが普通。背のスラリとした役者さんなので、よけい下半身が間延びして型が悪い。時代劇としてはかなり残念。でもこれ、中世ですよね?まだ女性は小袖に細帯、男性は簡単な狩衣や水干姿が普通。ミュージカルでも、時代感を出すために少しは工夫してほしかったです。
    それより気になったのは、念仏房が一遍ともども出家した後も一遍のことを「お屋形様」と呼んでいること。主従関係を明確にしたかったのだと思いますが、そもそも一遍はお屋形様ではないし、出家して仏弟子となった後のこの呼び方には違和感を感じました。一遍が出家しても念仏房に威張り散らすようなキャラならいいのです。でも、彼は極めて理知的で、理論的。そして人間というものを根本から見つめようとしている。そんな彼のキャラクターからするとこれはおかしい。俗世の呼び方をそのまま残すことで、二人が幼稚に見えて、これが後に歴史に残る人の成長過程の姿とはとても思えない。また踊り念仏を遊行するようになって彼は金襴の袈裟を纏っていますが、これも有り得ない。金襴などは唐渡りのもので、権威の象徴。一遍が身に着けるはずがない。こういう呼び方や衣装など、一遍と言う強烈なキャラが巧く統一されていない。民衆の中にあって、ただ念仏と踊りで生涯を過ごした彼には墨染の破れ衣こそふさわしい。それでこそ兵部堅者の権威的思考との対比が明確になるし、視覚的にも二人の考え方の違いがはっきりと見て取れると思います。
    私はこういうタイプのミュージカルで、衣装にまで小うるさい時代考証が必要だとは思いません。とはいえ、ある程度の時代感は必要。また、キャラクターの破綻を招きかねない、こうした細部については細心であるべきだと思います。
  • 満足度★★★★

    Dancing Monk IPPEN
    「あなたは一人じゃない、何があっても」というキャッチのごとく、この日、満場が一体となって、「一遍」に釘付けでした。
    独楽を回して遊ぶ子供たちの姿から、輪廻の理を悟り、自らの力で自らを救うことを伝えていった一遍。
    生と死という難しいテーマを、風雲かぼちゃの馬車は見事に演じていました。
    個人的に、私はハンヨン役の「宮内さん」の演技が大好きです。イキイキとした表情や情感あふれる仕草に感動しました。これからもずっと応援していきたい女性です。
    ちなみに、今夏のNY公演で実際に使用した当日パンフレットがとても素敵です。英語のタイトルもセンスがあふれていて、公演の盛況ぶりが目に浮かびます。次回はNYで観てみたいなと思いました。

  • 満足度★★★★★

    凱旋で0.5おまけの★5つ
    承久の変で朝廷側につき、力を削がれた河野一族の家系に生まれた一遍は、幼名を松寿丸と言う。仏門に在ったこともある父、通広の計らいで10歳で下男(後に念仏坊)と共に仏門に入るが、この直前に母を亡くしている。

    ネタバレBOX

    今作によれば、母の死は、異母兄、通真の仕業だ。
      何れにせよ、預けられた寺で、彼は早速本領を発揮する。寺の問題児兄妹、大日坊、大月坊と喧嘩したのだ。それはそれとして、その後が、面白い。若い僧の世話役をしている華台が、大日坊、大月坊だけを罰っしようとした時、自分も同じような悪いことをしたのに、片方だけ罰するのはおかしい、と文句をつけたのだ。理屈は無論、一遍にあるので、賢明な華台は、一遍の理を認め、同じ罰を科すことにした。無論、寺を与る聖達にもその旨、報告する。(因みに聖達は、通広の兄弟弟子に当たる)
      一遍のこの真正な態度に大日坊、大月坊は、心を動かされ、友人になった。その後も、4人は、いつでもつるんで悪戯をしていたが、この謹慎期間中は、托鉢に出ることも禁じられていた4人に、兄妹の母が、病に倒れているとの知らせが入った。托鉢から帰って来た仲間が知らせたのである。病が重いのか否か迄は分からなかったが、母を亡くした経験を持つ一遍が一肌脱ぐ。聖達に直訴したのである。聖達は、罰を受けて謹慎の身なのだから、仏門に入った以上、兄妹を里に帰す訳にはゆかぬ、と言い渡すが、華台には、夜、裏口を開けておくよう申しつける。
     さて、病に掛かった母に会うことはできたものの、謹慎期間中に寺を抜けだした罪は罪として償わなければならぬ。罪の詮議をする聖達の前で、互いを庇い合う一遍、大日坊の姿を目の当たりにして、首謀者であると言い張る一遍に対して聖達が言い渡した罰とは、有望な若手僧侶が学僧として全国からも海外からも集まる太宰府へ華台と共にゆくことであった。一遍は、華台と共に、大宰府へ赴くが、ここで生涯のライバルとなる兵部堅者重豪と出会う。
    一遍25歳、父の死を契機に還俗して、従兄の超一房と所帯を持ち子を為した一遍であったが、一族の所領争いなどがもとで、再度出家する。(因みに、水軍とは言え、一党は有力御家人の血筋。即ち武士である。武士階級が守るべきは二つ。所領安堵と一族の血を絶やさないことである。そのためにこそ、一遍の父(朝廷方)と実兄は敵味方に分かれて争ったのであり、通真の目の前で、伯父(鎌倉幕府方)が彼の実母を切り殺したにも拘わらず、その後、怨みつらみは、ないことにして、通広と実兄、通久は和睦を結ぶのである。通広にしてみれば、自分の妻をその手で殺した実兄との間のことである。だが、このような経緯が認められる時代であったからこそ、一遍の妻は、通久の娘でありえたのだ。ここで、蛇足を一つ。一生懸命という誤用が、大勢を占める現在だが、正しくは、一所懸命。武士が報償などで、地領を主君から授けられる。それは、何も生産しない武士階級が、生きてゆく為の必要条件であった。つまり、その地に居住する農民から、年貢という形で、収穫を取り上げるのである。その他に、封建制の時代、武士階級が生きる術などなかったのである。つまり自分達が日々生き延びる為には、その生活の糧を生みだす土地が、命賭けで武士が守るべきものであった。だから、自分の所領を守る為に懸命であったのである。そこから一所懸命という言葉がでてきたのであるから、そのような緊張しきった時間を一生続けるとしたら、それは気が触れているとするのが、正当な見方である。それとも、現代では気が触れているくらいで無いと生きてゆけない、とのアイロニーか?)
    さて、その後、一遍は、行脚の旅に出、踊り念仏を広めてゆくことになるが、上演中故、ネタバレはこれまで。何れにせよ、一遍の踊り念仏、は生命の炎そのものであり、その純粋性に一点の曇りもない。
      シナリオ的には、一遍がどんどん精神的に成長してゆく部分をもっと作り込んでも良いのではないかと思う。それで、2時間10分位になっても、この内容なら、観客はついてきてくれるだろう。一遍を演じた菅本 生、念仏坊を演じた眞野 基範の演技が気に入った。同時に、一遍がシンドイ時に、彼を支える女(後に女房)の超一坊を演じた庄野 有紀が、可愛らしく、強い女性を演じてグー。

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