宵山の音 公演情報 宵山の音」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
1-8件 / 8件中
  • 満足度★★★★

    ”祇園の女たち”というよりは
    京に生きる市井の方々から見た世の中の動乱、
    =歴史の分岐点=みたいな感じが楽しめた約2時間でした。

    艶やかな着物姿に、自らの縄張りを見回る任侠者とか。
    祇園での生活感が、そこはかとなく伝えられる作品の作りは好ましかった(^^)

  • 満足度★★★★

    女たちの幕末
    しっかり描かれていましたね。男女を問わず幕末はその時代の人間に存在した時代。幕末に生きる女たちの生き様,良かったです。さすが再演の希望が多かった作品,堪能させていただきました。次はいつ東京に来るのでしょうかね。また観に行きたいと思っています。

  • 満足度★★★

    置屋と芸妓
    納涼床の舞台セット、華やかな着物姿の女性、京都弁、と良い雰囲気の中芝居を観ることができ良かったです。”京都慕情”は好きな曲のひとつで懐かしい。

    ネタバレBOX

    五郎が桂小五郎とわかってからはの演出はとてもよかった、さらに緩まない殺陣、9段とはいえ階段落ちは見事!(大ケガしないように注意して下さい)。
    照明に紙吹雪は擽ります、うん。
  • 満足度★★★★

    堪能しました
    雰囲気は、京都にドップリという感じでした。殺陣や踊りは見応えありました。特に、階段落ちも素晴らしかったです。
    ただ、あの渚ゆう子の唄はずっこけました。
    京都に生まれ、京都で育った自分からみて、話されている言葉に土佐訛りがはいっているような感じで、ちょっと気色悪かったです。また、お芝居の前説でも、京ことばで「厠(かわや)」は無いですよ。(「はばかり」では)
    劇中で一番映えたのは「久右ヱ門」役でしょうね。力強さは無く女房の尻に敷かれているけど、実は芯が強い京男の真髄(?)が出ていたように思えました。

  • 満足度★★★

    しなやかで
    とてもていねいに作られた舞台でした。美しい所作でゆったりと観られました。舞台と客席を上手く使って、よく考えられたステージだったと思います。久しぶりの再演とのことですが、今の感覚で観るとちょっとインパクトが無く、少し物足りない感じですね。逆を言えば、落ち着いて観られて良かったかな

  • 満足度★★★★★

    ひと時の。
    幕末と言う時代安らぎと言う場所が少なかったように思います。その真っ只中で生きていく武士、そしてひと時の安らぎの時間を過ごす場所。ただ悲しいかな裏も表も気持ちの中ではあるんですね。大変な時代だったと思います。2時間あっという間でした。何回でも見たい作品ですね。ありがとうございます。

  • 満足度★★★★

    艶やかな着物の数々、舞に魅了。
    女優さん方の艶やかな着物と京言葉でのお出迎えにびっくりしました。
    祇園に本当に来たかのような一瞬の感覚。
    がっつりとした幕末の話を期待すると、ちょっと物足りなさは残ると思いますが、当時の人間ドラマとしては楽しめるかと思います。
    良い目の保養になりました。

  • 満足度★★★★★

    千年の都
     祇園、京都を代表する風流な遊びのメッカだが、幕末、この地は勤皇 佐幕双方相乱れる情報合戦の陣中の場でもあった。そう考えて良かろう。無論、揚屋、茶屋が軒を並べ華を競う街でもあるから、表向きは、華やかで平和、その実、一旦、ことあれば、普段、目立たぬよう裏回りを勤める男達が、用心棒ともなれば、武士を相手の交渉人とも、また強訴人ともなったのである。それはそうだろう。千年を越える長きにわたり、都であったこの地は、たび重なる戦で散々辛酸を嘗めさせられてきた。闘い合う主体は勝てば権力を手中に、大きな力を持てるのだから、勝手にやればよい。然し、トバッチリを喰うのは、常に、ろくな武器も持たぬ民衆である。ろくな武器を持たぬ民衆が、武器を持つ相手や権力者に対して、どのように自分達を守り抜くのか? その答えの一つが、女性が、表の顔になることである。

    ネタバレBOX

     祇園の街の仕来たりを門屋の女将と亭主に担わせて実に自然に分からせ、京の町の長く深く幾重にも屈折し折り畳まれた風情として出している所が良い。無論、その為には、中央の雛壇の配色に意を用い、歌舞音曲でデコレートを施し、時に殺陣を入れて、時代、それも動乱を時代を浮き彫りにし、平時なら、揉め事等の仲介役も務める親分衆に、このような時代は、自分達の手に負えない、というような科白も吐かせて、風雲急を告げる時代を示している。
    心憎いのは、その親分の雪駄の緒が蛇なのに、子分達の雪駄は普通の緒である、というような細かい点まで目が配られている点、芸妓の衣裳や衣装替え、簪などの小道具迄、キチンと気を配って演出されている点などである。
     更に、情景を盛り上げているのが、クライマックスで、時を宵山に設定していることだ。宵山とは、祇園祭本番の前日である。巡業する鉾や山車が、各町内で披露目をしている。其処を、芋の子をあらうような人々の群れが訪れては、鉾や山車の装飾に用いられている織物の見事さを見ては嘆声を上げ、ゆらゆらと夏の陽炎の立つ程暑い京の街を練り歩くのである。無論、恋人達にとっては絶好のデートスポットである。幕末でも、若い男女の逸る心は変わらない。門屋に集う男女の恋文様は、この時期・季節に設定されているのである。京都に住んだことのある人ならば、この設定が、いかほど時宜を得たものであるかに得心が行くハズである。
     こんな具合に恋あり、華やかな花柳界あり、歌、踊りありの背後で、日夜刃傷沙汰が起こっていた。実際、門屋の玄関前にも斬られた人が倒れていて、門屋の常連、長州藩士、五郎が見付けたのは、土佐藩士であった。男装している彼女に、表向き気付かぬふりをしながら、門屋の面々は、面倒を見る。彼女は、壬生組にやられたのである。
     サイドストーリーにも事欠かない。五郎と共に門屋に通う清造は、店で最も美しい笙華とねんごろな仲であるが、彼女は、本気に人に惚れたことが無い。無論、好いたことはある。
    だが、花柳界で恋をするということは、命懸けで、時には複雑な状況を抱えた恋する人の嘘を守ることでもあり、そのような恋は身悶えせんばかりに苦しいものなのである。それを抱え込んで墓場まで持ってゆくような、一種の覚悟を抱えた恋は、したことが無い。一方、五郎の馴染みは、三糸。彼女は、五郎、実は桂 小五郎の、出来れば刃傷沙汰を避け改革を断行しようとの念と波長を合わせながら、命のやりとりにも関与せざるを得ない位置に生き、最終的に彼女の選ぶ男の格によって、彼女自身の品格と見識を表すと同時に、女性の本質である、恋する存在をも浮き彫りにしている。三糸を演じた古田 里美さんの演技が実に良い。無論、五郎を演じた大澤 真也さんの演技もグー。
     恋は、女性の命であるから未だ半玉の芸妓らも、彼女らを巡る恋文様と仕出し屋の御用聞き、勝治の死、彼の死に纏わる武士と町民の関係などもキチンと描かれているし、忠志が池田屋騒動に参加する下りにも恋はキッチリその彩文様を記している。これら、多くの体験を通して芸妓が半玉から玉になるシーンも、扇子を与えるナギの姿を通して描かれるなど花柳界の仕来たりにも目配りがされている。
     特筆すべきは、忠志を演じた高島 理さんだ。この3年間で千本以上の舞台を拝見し、時代劇もそのうち百本は越えているであろうと思われる程拝見している自分が、初めて目の当たりにしたシーンを彼が演じたのである。詳細は、観てのお楽しみだが、終盤、池田屋騒動の場面である。
     その他、観客の出迎え方がユニーク。これにも、自分は感心した。楽しみに劇場へ向かわれるが良い。

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