満足度★★★★
楽しめました
リアルなセットの中での観劇は、いわゆる覗き見公演のよう。日常的でありながら、ちょっとつかみどころのない世界でしたが、ぼんやりと楽しめました。
満足度★★★★★
無題997(14-036)
15:30の回(曇)。14:50会場(4階踊り場)着、受付(すでにお二人いらしゃいます)、15:13開場。入口で靴を脱ぎ席へ。ミニ椅子2列、その後にベンチシート席。前々作「-しがない-」の時よりふた周りくらい狭くなっていました。いろんなモノが置いてあり、ソファ、テーブル、キッチン(鍋、コンロ、秤、オーブン、冷蔵庫…)、電話台、カメラ。缶詰、TV/DVD、マンガ(ブランコ)に雑誌(FUDGE)。でも食べ残しがないのはどうしてだろう?
「Heart of Darkness(闇の奥)」が背表紙のタイトルを客席に向けて置いてあるのは、何かの暗示でしょうか…ウィキペディアをみるとコッポラによって「翻案」され、『地獄の黙示録』として映画化された、とあります。
15:36、女が一人入ってきて、コートをかけ、留守電を確認、冷蔵庫を開けて水を飲む〜17:13終演。
ある温度以上に上がらない空間。前に観たときと同様、繰り返される日常。玄関を開ければ、多少、外の風が室内をかき回すが、それは一瞬のこと。夢との対話、記憶との対話。
雪合戦…は知りませんでした…「戦争」。
次回、4月に公演予定あるそうなので、日程が合えばまた。
鍋の具材は毎回違うのかな…
こりっちに登録されている公演名、1作を除いて最後が「い(イ)」。これはASIAが初期の頃の「A」に倣っているのかな…「ASIA」〜「AURA」。
感心したのは
美術。
会場は、扉を開けると、女友達のアパートの部屋。
もう部屋そのもので、ソファーに、低いテーブルとクッション。
そのテーブルにつくような気分で地べた(座布団的なクッション有り)に座る。(後方は低い椅子に)
なんだか面白い。
ちょっと日常の世界と劇空間の融合で、何が目の前に提供されるのか楽しみになる。
そしてこの空間を見回して気が付いた。
この部屋、ギャラリー内に作った物だ。
本来はコンクリートの打ちっ放しの箱で、その中に建てつけてある。
その板間の感じが、都会からちょっと外れたアパート感が出ている。
部屋に掛けてある絵は、今回のチラシと、おそらくそれを描いた人の作品たち。
なかなか素敵。
さて、お芝居は…。
きっとそういう意図で、そういう演出だと思われる語り口調。
わたしの好みの演劇は、言葉を相手に届け、言葉を相手から受け止めることで、感情を伝え合う人間同士の作品。
そういう意味では、感情を乗せないようにして抑揚を最小限に抑えた台詞には違和感を感じる部分もある。
きっと俳優ではない方が入っているのではないだろうか。
主役の女性が、パジャマに着替え寝て、起きて着替えて、コートとマフラーを着用して出かけ、帰宅してコートとマフラーを掛けて、部屋で過ごし、パジャマに着替え寝る。
そのループを何度も繰り返す。
その何回かは、部屋で過ごす時間も一瞬で何も起こらないこともある。
ここに繰り返される日常を表現しているのだろう。
暴風雪のこの日。
台詞には「寒いわね」「雪が凄いわ」などのアドリブが入り、更に日常と融合させている。
夕飯はお鍋が食べたくなった。
いちばん感心したのはラストシーン。
この場所だからできたこと。
そしてこの大雪の日だから感じたこととも言える。
音響、照明を一人で担当していて、ちょっと大変そうでした。
受付をしていたこの女性が演出家さん?
主演の小角まやさんの健闘を感じた。
かさない…。
傘がないと浴びてしまう。
それは…雨?
それは…雪?
それは…雪玉?
それは…砲弾?
満足度★★
書くのが…
難しい。テ-マ的には、今の日本の状況を切り出しているようで好感は持てる。狙いは良いと思うが、演出と演技がついていかない。
紛争地に行っている夫を待っているということだが、会話に緊迫感がない。また、友達との日常会話であんなに早口になるだろうか。一方、ストーリー展開が緩慢で、集中力を保つのが大変だった。
そもそも、会場の雰囲気が女性の部屋を覗いているようで、妙に落ち着かない。主人公(女性)の気持ちの変化も表現しているようであるが、伝わる部分と曖昧な部分が交錯し、感情移入できなかった。
先にも書いたが、テ-マに合った演出と演技があれば…残念。
満足度★★★★
待つということ
紛争地へ夫を送り出す妻の心境というものは、なるほど微妙なものなのであろう。実際、イラクへ派遣された自衛隊員の中にも自殺者が結構いたという話もあったしな。ある時期から緘口令が敷かれて取材も困難を極めるようになったが。情報隠蔽法が成立したから、何でもかんでも隠蔽しやがる。唯でさえ、この国の資料殲滅は中国より酷いアリサマなのだし。原発をやめない最大の理由は、プルトニウム型原爆の潜在的保有だよ。その為の、もんじゅだったのだが、こけて仕方なく、プルサーマルなんてことをやっているのだ。
ところで、この舞台美術は、とても自然で、女性らしい感覚の出た良いものだった。以前、自分達も、キッドアイラックでグループ展をやったことがあるのだが、その時は、打ちっぱなしの壁だったので、部屋に入ってびっくり。たった2日で作ったそうだ。お見事。
満足度★★★
狙いが裏目!
単調かつ平凡な日常を表現する中での非日常をきっかけに明日への意欲に繋げる思いを表現したかったのだろうが、単調な会話、毎日のルーティーンの繰り返しにより、観客はより劇的なものを期待してしまうので、裏目に出たと思う。
小角さん主演ということで拝見しましたが、受身の役の為、彼女の良さが活かされていなかったように思える。もっと主体的に投げかける役のが良いのではないか。(脚本が優先だと難しいが)
他の役者さんももっと力はあると思いますので次回期待したいです。
舞台セット(小道具含め)素晴らしい。社宅のリビング自体が舞台。その中に客席もある。観る側としてはとても臨場感があり良かったです。
印象に残った台詞は、”空から降るのは雨だけでいいのに”です。
これは「公演」じゃない
チケットプレゼントで観劇。ギャラリーの一室。観客は自分含めて10人程度。
会場に入ってまず拒否反応。
昨今「香害」なんて言葉もあるくらいなのに、アロマだか何なのか、自分の嫌いな香りを充満させている。
会場を出ても髪や服に染み付いて気持ち悪い。
舞台美術は素晴らしい。可愛らしいお部屋がギャラリーの中に再現されている。
せっかくの高い天井なのに、どうして布で隠してしまうのかと思っていたが、朝日を表現するためだったのですね。カーテンから漏れる明かりも良い感じ。
演劇自体はまるでなってない。
料金を払って観ているとしたら、お金の無駄。今回はチケットプレゼントだけど、それでも時間の無駄だと思うほどに。いつ終わるのか時計ばかり気にしてしまった。
まず脚本。
現代に生きる一般人は普通「~だわ」「~のよ」「~かしら」「何故かというと」なんて言いませんから。
役者が台詞を自分のモノに出来ていないといえばそれまでだが。
作中に何度か過去の出来事を挟むが、過去なのか、今なのか、よく分からない。
役者。
棒読み過ぎ。会話になっていない。台詞を垂れ流しているだけ。台詞が自分のモノになっていない。いくら小さなハコだからって、ボソボソ喋りすぎて聞こえない。感情の起伏もない。あんな静かな誕生日鍋パーティーがあるか。
前髪長すぎ、顔見えない。
『美しい言葉と会話で人の心を(ちょっとでもいいから)動かすことを目指す団体。
※言葉を相手に届ける 言葉を受け取る =会話をすること
(シンプルな目標だが案外難しいため 仲間が少ない)』
と当日パンフレットに書いてありましたが、冷ややかな視線を送るしかない。仲間が少ないって、本当に理由それ?美しい言葉か…私には伝わらなかったな。
アンケート用紙に、「いま、どんなお気持ちですか」とありましたが、こんな気持ちです。
終演後、私以外の誰も席を立たなかったのをみると、観客はみんな役者の関係者なのだろうか?
観客に足を運んでもらうこと、お金を払ってもらうこと、アンケートを書いてもらうこと。これらがどういうことなのか、今一度よく考えてほしい。
公演を打つなら、それに見合ったモノを提供していただきたい。もし見合っていなかったとしても、そこに至る努力のあとが
窺えるなら救いはあるものである。