これは「公演」じゃない
チケットプレゼントで観劇。ギャラリーの一室。観客は自分含めて10人程度。
会場に入ってまず拒否反応。
昨今「香害」なんて言葉もあるくらいなのに、アロマだか何なのか、自分の嫌いな香りを充満させている。
会場を出ても髪や服に染み付いて気持ち悪い。
舞台美術は素晴らしい。可愛らしいお部屋がギャラリーの中に再現されている。
せっかくの高い天井なのに、どうして布で隠してしまうのかと思っていたが、朝日を表現するためだったのですね。カーテンから漏れる明かりも良い感じ。
演劇自体はまるでなってない。
料金を払って観ているとしたら、お金の無駄。今回はチケットプレゼントだけど、それでも時間の無駄だと思うほどに。いつ終わるのか時計ばかり気にしてしまった。
まず脚本。
現代に生きる一般人は普通「~だわ」「~のよ」「~かしら」「何故かというと」なんて言いませんから。
役者が台詞を自分のモノに出来ていないといえばそれまでだが。
作中に何度か過去の出来事を挟むが、過去なのか、今なのか、よく分からない。
役者。
棒読み過ぎ。会話になっていない。台詞を垂れ流しているだけ。台詞が自分のモノになっていない。いくら小さなハコだからって、ボソボソ喋りすぎて聞こえない。感情の起伏もない。あんな静かな誕生日鍋パーティーがあるか。
前髪長すぎ、顔見えない。
『美しい言葉と会話で人の心を(ちょっとでもいいから)動かすことを目指す団体。
※言葉を相手に届ける 言葉を受け取る =会話をすること
(シンプルな目標だが案外難しいため 仲間が少ない)』
と当日パンフレットに書いてありましたが、冷ややかな視線を送るしかない。仲間が少ないって、本当に理由それ?美しい言葉か…私には伝わらなかったな。
アンケート用紙に、「いま、どんなお気持ちですか」とありましたが、こんな気持ちです。
終演後、私以外の誰も席を立たなかったのをみると、観客はみんな役者の関係者なのだろうか?
観客に足を運んでもらうこと、お金を払ってもらうこと、アンケートを書いてもらうこと。これらがどういうことなのか、今一度よく考えてほしい。
公演を打つなら、それに見合ったモノを提供していただきたい。もし見合っていなかったとしても、そこに至る努力のあとが
窺えるなら救いはあるものである。