これが戦争だ 公演情報 これが戦争だ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.5
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  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    「戦争を重層的に描く語り」

     国際演劇協会による「紛争地域から生まれた演劇」シリーズで2018年に取り上げられたカナダの劇作家ハナ・モスコヴィッチ作、吉原豊司訳の作品である。リーディング上演と同様に生田みゆきが演出を手掛けた。私はAキャストの初回を鑑賞した。

    ネタバレBOX

     舞台は2007~08年にかけて、アフガニスタン戦争で最も危険な地域であったパンジウェイに駐屯していた4名のカナダ軍が新聞記者のインタビューに答え当時を回想するように展開していく。唯一の女性であるターニャ・ヤング伍長(吉野実紗)は、翌日はカナダ軍とアフガニスタン・イスラム共和国新政府軍による合同作戦という晩に、スティーヴン・ヒューズ軍曹(村岡哲至)と勢いに任せ関係を持つ。極限状態を送る日々のなかで隊員の心は荒みきっていた。翌朝ターニャと若手のジョニー・ヘンダーソン二等兵(塩崎翔太)は、キャンプ付近で血まみれの子どもを保護する。クリス・アンダース軍曹(椎名一浩)とともにヘリを要請し子どもをカンダハール空軍基地の病院へ移送する手筈を整えたところに、憔悴した様子のステーヴンが合同作戦から帰還する。自分がヘリを呼んだことで作戦に同行したジョニーの傷を悪化させてしまったことを嘆くターニャだったが、続くジョニーの証言から合同作戦の数日前にターニャと関係を持っていたことが分かる。こうして残る2名の証言が続きそれぞれの登場人物から合同作戦前後の歪んだ人間関係と、現地の凄惨な模様が詳らかになっていく

     原作者が数多くの帰還兵を取材して執筆したという本作は、戦争がもたらすトラウマティックな体験を浮かび上がらせる。クリント・イーストウッド監督の映画『アメリカン・スナイパー』に近い主題を取り上げているが、限られた時間軸と場面を複眼的に描くことで真相を詳らかにしていく仕掛けが鮮やかである。登場人物が新聞記者の取材に答える戯曲の設定をそこまで強調せず、むしろ心のうちをモノローグにして観客に訴えかける見せ方が利いていた。設定駐屯地の騒音や銃声以外は無音のなか、出演者4名の芝居が浮き立つ演出は見応えがあり、特にジョニーの証言における感情を逆なでするような音響と照明変化を時折絶妙なタイミングで入れた数カ所が印象に残った。観続けていくことがややしんどくなりそうな重苦しい展開のなかで、塩崎翔太がジョニーのあどけない間の抜けた具合をうまく見せて会場から引き出した微苦笑に何度か救われた気持ちになった。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    女流劇作家モスコヴィッチの本作は「紛争地域から生まれた演劇」リーディングで数年前取り上げられ(自分は未見)、今この時に観ておくべき演目か・・と、どうにか時間を作って観た。
    2チームある内今見てみたい座組のAチームが観られた。
    「これが戦争だ」と呼ぶに相応しい、戦場を舞台にした劇(正確には帰国した兵士の証言で構成)だが、具体的には2001年9・11後のタリバン政権を制圧にかかった米軍によるアフガン戦争を題材にしている。
    とある部隊の4名が登場人物で、帰国後、ある作戦実行に携わった事の証言が聴き出されている。
    他国の「体制」を否認し、介入した一方的な戦争である点でイラク戦争に通じ、そのように見ても違和感はないが、芝居の中でそうした「戦争の意義への疑問」が言語または態度で語られる事はない。むしろ国家の大義への信頼、忠誠、部下への責任感といった諸々を動員して「任務」へと自らを駆り立てている彼らが、厳しい現実に直面する。戦闘における仲間の死、自らの負傷もそうだが、作戦実行前夜の緊張ゆえの歪んだ行動、あるいは無防備に近づいて来る敵側の子どもに銃口を向ける自分、そうした場面に直面し、苦悩し、耐える、あるいは耐えきれず何らかの歪みが行動に出る。
    本作の作者は自分の初名取事務所観劇であった「ベルリンの東」の作者であった。確か戦争犯罪(第二次大戦における)にまつわる戦後の話であったような。太い筆致の作家である。

    ネタバレBOX

    同日に観た別公演がまた重厚で得がたい観劇体験だった(本サイトに無いので触れると・・)。犬猫会によるリーディングで再々演という「死と乙女」。後藤浩明氏のピアノ演奏(楽器や機械を使って音響も)付き。彼と朗読者3名は固定メンバー。ドルフマンの本作は南米チリの独裁政権下の惨劇(数知れない「行方不明者」がいる)が題材となっており、独裁が終った後なお傷を残す社会の断面を3人の登場人物に凝縮させて描き出す。タイトルは知られた作品だが初めて観た。
    一般人が見学できる邸宅(だが私邸である)での上演という事で、広報範囲を限定しているものと推測。
    何度となく優れたリーディング公演に触れ、読書もそうだが芝居も読み手・観客の想像力を駆使させ、観客によって完成する芸術である事。そのことによりチリでの事象が私たちの生活、時代に通じるものとなる。

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