旅するワーニャおじさん 公演情報 旅するワーニャおじさん」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
1-8件 / 8件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2025/04/16 (水) 13:00

    最後の西村由花さんが演じるチャン セミの感情の爆発、俳優の方の苦労を思う。演技したことがなくて、あの状況を引き出す/導く手立ては想像が及ばないけど、ひたすら恐れ入る。もちろん演技全般がそうなのだと思うが、あの場面がある意味唐突な、あるいはその感情を作る前の場面がなかったと思うので。
    平吹敦史さん、佐乃美千子さん、金聖香さん、西村由花さんの演技に魅かれた。
    韓国演劇を拝見する機会は多くないが、この作品、韓国の社会/世情/人間関係が投影されていると思うが、人と人と人。それにしても酒を飲むシーンのなんと多いことよ!

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    『ワーニャおじさん』

    アイルランドのブライアン・フリール翻案による1998年初演作品。
    『ワーニャ伯父さん』はつまらないと思っていたがこうして観てみると面白かった。成程、提示され構築された関係性にシェイクスピア的多情多感な情緒、エッセンスを振り掛ける訳か。この関係性のどこに一番思い入れるかのセンス。凄く勉強になった。
    二面向かい合わせの客席はガッチリ入っていて『寂しい人、苦しい人、悲しい人』よりも席を詰めている。青年団テイストで客入れから役者がステージに登場、役として日常を過ごし場の空気感を醸し出す。どこからか風が吹いている。窓の外の天候を意識させる演出。

    主演ワーニャ役、柳内佑介氏はオリラジ中田っぽい。47歳設定にしては若い印象。敢えてこういうキャスティングにしたのか。
    アーストロフ医師役、内田健介氏は巧すぎて鼻についた程。どんどん格好良く見えてきてクライマックスではレット・バトラーのよう。
    元教授セレブリャーコフ役、大原研二氏は高須クリニックの高須克弥に見えた。
    皆が恋する彼の後妻エレーナ役に佐乃美千子さん、流石。
    ワーニャの姪っ子ソーニャ役に渡邊りか子さん。

    場面転換として白く長いカーテンを客席前二面に引く。様子がうっすらと透けて見え、舞台装置の移動や立ち位置の指示等普通に聴こえてくる。芝居全体が少しメタ的な方法論の演出で役者が時折観客に台詞を投げ掛けもする。

    前半、古典戯曲の取っ付きにくさ、ロシア人名と関係性の判り辛さから客席もぼんやりと思いきや、どっこい後半からかなり盛り上げた。

    二作品をセットで観た方が楽しめる。作品の構造についてよく解る。
    是非観に行って頂きたい。

    ネタバレBOX

    MVPは渡邉りか子さん。この人はヤバイ。杉咲花のような少女性とみるきーのようなあたふたが素晴らしい。どう見ても10代だが自主映画の監督もこなす31歳とは···。

    クライマックス、盗んだモルヒネの瓶をズボンの裾を上げ、靴下の中から返すワーニャ。受け取った内田健介氏は客に向かって「酷い演出でしょ」と笑いかけるギャグ。

    「埴生の宿」を歌ったり、「愛燦燦」の歌詞が出たり仕掛けが多い。赤い毛糸玉が引っ張られて一本の糸が空間に張られたりもする。
    個人的にはラストがまだるっこしい。それっぽいのが延々続く。

    『ワーニャ伯父さん』を簡単に要約すると自分の人生を捧げたものに裏切られ、奉仕と労働に費やした半生に悔いる男。金も成功も夢も家庭も何一つ手に入らなかった。何だったんだ俺の人生は?多分同じく望んだものを何一つ掴めないであろう姪が励ます。「伯父さん、生きていきましょう。長い長い日々を長い夜をじっと耐えるの。安らぎはないかも知れないけれど他の人の為に働きましょう。そして死んだ後の世界で一息つくの。神様にどんなに辛かったか申し上げるのよ。」

    ラストはテーブルに着いた4人がそれぞれの作業を続けたまま終演のアナウンス。その横をぞろぞろ帰る観客。

    気分ははちみつぱい『塀の上で』

    空はまだ群青色の朝
    外はそぼ降る鈍色の雨
    窓にこびりついた残り顔流し
    牛乳瓶に注ぎ込む雨よ

    (中略)
    塀の上で、塀の上で、僕は雨に打たれ見てただけさ
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    2作品を観劇させていただきました。原作に忠実で非常に見易かったです。チェーホフ好きとしては納得させられました。カーテンの仕切り方が良いと思うし、終わり方も好きです。韓国版の方ですがとても、引き込まれました。終わりも考えさせられた。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    「ワーニャおじさん」、「寂しい人、苦しい人、悲しい人」、両方観させていただきました。2作品を楽しむことができてとても良かったです。
    皆さんの熱演、熱量が素晴らしかったです。
    そして2作品を同時に演出された伊藤毅さん、大変にお疲れさまでした!!
    「パンケーキの会」さん、これからも良い作品を楽しませてください。

    ネタバレBOX

    能舞台や円形舞台のそれに少し似た、そんな雰囲気のある舞台のつくりかたで、ステージを挟んで対面鑑賞させるという工夫もなかなか面白かった。
    また「ワーニャおじさん」の開演、終演のつくり方も楽しかったです。
    ただ個人的にはカーテンコールで全キャストの皆さんの姿を見て大いに拍手したかったのですが・・・
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     今回の二本立て公演は、是非二本とも観ることをお勧めする。両方観ると全体の趣旨が良く理解できるからである。「ワーニャおじさん」ではチェーホフ原作の翻案と素直に理解できる作りと演出だが、「寂しい人、苦しい人、悲しい人」では作風が全く異なるからだ。この企画自体が抜群であり、演出も各々の作品を深く理解し活かした演出で素晴らしい。追記2025.4.13 14時

    ネタバレBOX

    「ワーニャおじさん」
     無論原作はチェーホフ。但し今回演じられた作品はアイルランドの劇作家ブライアン・フリールによる翻案(1988)で尺は140分の大作。客席にサンドイッチにされた空間が板となる。舞台美術は場転によって小道具が調整される乃至は入れ替えられる。各々の客席と板の狭間は場転の際白いカーテンが引かれ場転の動作が隠れる。然しその間も台詞やギター等の音が入る或いは場転の際の演出家と役者陣の生の遣り取りが聞こえてくる等全く飽きさせない。役者陣の演技力も極めて高く本当に良い舞台を観ることができたという感が強い。
     チェーホフの原作に顕れていた末期帝政ロシアの支配層の為体をより具体的に、そのような階層を神格化していたワーニャやその母・マリアそして姪・ソーニャと現地主であるソーニャの暮らすこの地で居候をさせて貰っているテレーギンはこの地の先代の地主であった。知恵者の婆や・マリーナの随所での説得力のある言葉。下僕たち(イェフィムとセミョーン)の出世を巡る遣り取りや仕事も下層民の暮らしを垣間見させて興味深く、チェーホフの作品に幾度となく登場する自然破壊への危機感とその危機がチェーホフ存命の時から数えても決して遠い将来ではなく一世代後にも起こり得る危機であることとして語られていることも重大である。増して我らの暮らす現代に於いてをや。喫緊事であるにも関わらず世の大勢は歯牙にも掛けない。こういった中で印刷物や権威者によるヒトそのものの生きる意味やそれが措定された後の生き方その物に対する方向づけ、そのような動きに対する反論・異論、革命論などが実際には内容の全くないペテン師としての支配階層にいいようにあしらわれている現実。その現実を正確に理解しているにも関わらず支配層を現実的・具体的に倒し、新たな単に人間のみならず生きとし生けるものたちとの相互関連性を活かし、生物多様性を活かしてこそ成り立つ農に関わる者もまたストレスや無意味と向き合う虚無感や耐え難さばかりの人生から解放され、倦怠と虚無からではなく、明日を楽しみにできる希望と努力の稔る充実感を寿ぐ為に飲む酒が真の旨さを齎す。そんな未来を死後のパラダイスに求めるのではなく現生に求めることができる。そんなチェーホフやフリールの夢見る視座の投影も見えるようだ。
     終盤、ワーニャは大学教授を退任しこの夏その美しい妻・エレーナと共にワーニャ達の暮らすこの地で過ごしているセレブリャーコフの余りの身勝手と彼の二度目の妻であるエレーナへの熱愛を裏切られたことの痛みに耐えかね遂にセブリャーコフに対し発砲した。弾は当たらず、弾切れで殺害は失敗した。失意の余りの狂的振舞もこの事件の飛躍的な断裂性によって醒まされ、セレブリャーコフとワーニャは話し合うこととなった。
     一方、セレブリャーコフの痛風治療の為片道4時間の道を夜、真夜中、日中要はいつ何時を問わず呼び出され足しげく通っていた医師・アーストロフの希はエレーナへの恋の成就であった。アーストロフの優しさ植物を愛し何故愛するかを良く知り植物が齎す恵のお陰で動物たちが豊かな生態系を産み連関しつつその多様性と豊かさを増していること、この関係性は極めて微妙でデリケートな相互依存によって成立しており一旦壊れたら最後人間の力如きでは到底再生できないこと迄見通すだけの天才であることを2人の女が知り、1人は熱烈に1人は夫有る身として多少の距離を持って愛していた。前者はソーニャ、後者がエレーナである。そしてワーニャは発砲事件直前エレーナに捧げる為の薔薇を摘みに庭へ出、戻って来た瞬アーストロフとエレーナが接吻している現場を見てしまっていたのである。ソーニャは、自分がアーストロフに好かれてはいても愛されてはいない現実をワーニャは生きる為の唯一の光であったエレーナに人間としての尊厳は認められても決して愛の対象では無いことを思い知らされていた。要するに普通の人間だと痛感させられたのである。そして今作は、そのような普通の人間の唯一無二の幸せは此の世に存在しないこと、幻想に映ずる天界のみにあることを告げるのである。
     救いようの無いこの世界。この唾棄すべき現実を抱き締めるような作家の姿勢に共感する。
    「寂しい人、苦しい人、悲しい人」
     今作は一旦原作は悉く解体、デフォルメされ殆ど原型を留め得ぬ迄に再構成されていると考える。つまりこのような上演形態以外では、メタ思考することが出来ないと考えられるのである。尺は130分。
     今作の設定は2018年の韓国。人文社会科学系雑誌・『時代批評』の編集部が舞台だ。日本でも「古い」の一言で蔑ろにされてきたそれ迄の資本主義の潮流を理論的に支え有名なニューディール政策に代表されるようなケインズ派の経済理論がスタグフレーションの有効な解決策を生み出せないとしてその論理の中核を為していた社会の有効需要を高め完全雇用を目指すと同時に社会福祉政策を通じ富の再分配を図ることで社会的公正を図ったことを批判するシカゴ学派が牽引した“新自由主義”が猛威を揮っていたことを前提として理解しておく必要があろう。つまり、主要産業国有化や規制強化で企業の身勝手な競争を制限してきたケインズ派の論理を攻撃し新たに資本主義社会を牽引する経済理論として登場した“新自由主義”がその牙を研ぎ澄まし襲い掛かっていたという背景を理解することなしに今作は理解できないと考える。その傷跡の凄まじい深さは韓国の出生率を見てみれば一目瞭然であろう。日本に“新自由主義”がその牙を剝いたのは韓国より遅かったことは、社会に目を向けている人々には常識であるから細々とは述べない。その代わりに「ワーニャおじさん」で医師・アーストロフの述べていた自然に関する哲学は、今作では科学哲学者パク・ヨンウの科学哲学として顕現し而もそれはアーストロフの目指したユートピアに対する揶揄、もっと端的に言えば人間活動に於ける上部構造、下部構造論を用いて下部構造の一つを為す経済が上部構造に属す知を蔑ろにすることで恰もそんな精神的働き等無いかのようにされ、無意味化されていること自体がディストピアとして顕わされていると観るのである。これ以外の対比も示しておこうか。ヒトが存続し続ける為には異性間同士に惹きつけ合う何かが無ければならない。その形を通常恋愛と呼ぶ。恋し合ったカップルは各々の肉体を求め合い結果として子孫を残す。その個々の行為の象徴が、接吻である。各々即ちアーストロフとパク・ヨンウのステディが居る女性に対する恋の具体的表現としてのキスシーンの相違に以上で述べたユートピアVSディストピアが象徴的に示されているのであり、作品に描かれている下部構造・経済の問題と上部構造・精神(ヒトは何処から来て、何処へ行くのか、人間とは何か? を巡る知的情緒と単にトレンドだの時代に乗り遅れてはならないだの(即ち経済・実生活)との対立が、これまで『時代批評』を牽引してきたチーム長、キム・ナムゴンと広告業界から新編集長として赴任してきたソ・サンウォンの対立として現れるばかりでなくソと共に赴任した優秀なグラフィックデザイナー、ペン・ジイン(ソの愛人でもある)が、ナムゴンの親友でもあるパク・ヨンウの想い人でありそのファーストキスシーンを矢張りジインに想いを寄せていたナムゴン自身が目撃してしまっていたことで、ナムゴンが抱えていた人間性を根拠立てる根本的命題を下支えしていたボードレール的ダンディズム即ち精神性の最後の栄光としてのダンディズムが目先の華やかさ豊かさを満足させる薄っぺらで享楽的一過性の豊かさを入手する為の富の獲得こそ最優先の価値という欲望に席巻されてゆく趨勢に抗う力無き個々人のアンニュイ(日本で一般に解されている意味ではなく仏語の内実を意味して居る)をも示していた。為にナムゴンは酒の席であれだけ乱れたのである。
     ところで業績不振で親会社の采配により別の娯楽系雑誌との統廃合により経営危機を乗り切ろうとした提案も喧嘩別れに終わったが、今作はその後も描いている。だが終焉は唐突感を殆どの観客が持ったと考えられる。ナムゴンの主張に賛同した者達が久しぶりに顔合わせをした殆どそのことしか示されなかったからである。これには無論、今作の主張が込められている。未来は一瞬先も我々人間には見えない。つまり観客よ、あなたたちはどのような社会を目指すのか? との問いであり、これはこのように終わる今作が今作に相対した我々自身の未来に開かれており、その未来を紡ぐのは、必然的に観客であるあなた方なのだ、というメッセージだからだ。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    韓国のユン・ソンホの“現代韓国版ワーニャ伯父さん”だという『寂しい人・苦しい人・悲しい人』。人物の配置や展開などに「ワーニャ伯父さん」を感じさせるが、何だか90年代半ばの台湾映画を観ているような印象の舞台。約130分。

    ネタバレBOX

    交互上演の『ワーニャおじさん』と同じギターが使われるが、現代劇のこちらでは違和感なし。向かい合った客席に、『ワーニャおじさん』ほど居眠り客が目立たなかったのもありがたかった。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    『寂しい人、苦しい人、悲しい人』

    凄く脚本は好きなテイスト、作家(ユン・ソンホ氏)は映画として書いたんだろう。やりたいこと、伝えたいことはよく判る。だが演劇となるとまた少し改変が必要。そもそもの媒体の仕組みの違い。テーマは「大人のモラトリアム」。自己決定を遅らせて時間稼ぎをしたところで同じこと。痛みは同じだけついて回る。
    天井に吊るされた二本の蛍光灯が意味ありげに点滅を繰り返す演出。やしゃごの『きゃんと、すたんどみー、なう。』でも使っていた手法。基本、酒飲んでグダる描写が続くので真面目に仕事に励む虚しさも欲しい。ソジュ(韓国焼酎)の緑の小瓶で人気のチャミスル、ピーチ味。やたら皆飲む。中身は水だとしてもかなりの量になる。

    舞台は現代の韓国、2018年ソウル。硬派な言論が売りの雑誌『時代批評』、売り上げがヤバく梃入れで新編集長(西本泰輔氏)が赴任。この雑誌に人生を捧げているチーム長〈デスク〉(平吹敦史氏)は不満気。編集長はグラフィックデザイナーの美女(金聖香 〈キム・ソンヒャン〉さん)を秘書のように帯同させている。チーム長の古くからの友人、大学院で哲学を学ぶ研究員(荒井志郎氏)がいつものように顔を出す。

    自分的には『ワーニャ伯父さん』風味はゼロ。言われなきゃ気付かないだろう。
    ワーニャ(捨て鉢の主人公) チーム長(平吹敦史氏)
    アーストロフ(医師) 先生(荒井志郎氏)
    ソーニャ(医師に恋する) 編集者(西村由花さん)
    セレブリャーコフ(大学教授) 編集長(西本泰輔氏)
    エレーナ(後妻) デザイナー(金聖香 〈キム・ソンヒャン〉さん)

    経理の佐乃美千子さんは髪型を変えただけでガラッと印象が変わる。美人は得だな。舌っ足らずの甘い声は声優向き。
    金聖香 (キム・ソンヒャン)さんがえらく美しい。藤村志保の生き写し、目を奪われる。
    西村由花さんは初代タイガーマスク(佐山タイガー)のイラスト・トレーナーを愛用。
    平吹敦史氏の靴下が破れていたのは狙いか。
    西本泰輔氏の吹くシャポン玉。

    荒井志郎氏がトニー・レオン顔なので、ウォン・カーウァイの『花様年華』や『2046』の雰囲気。(大好きな映画だったが全くと言っていい程内容は覚えていない)。

    荒井志郎氏、平吹敦史氏、佐乃美千子さん、金聖香さん4人でクラブのようなBARのような店で飲む場面、店内に掛かっているフュージョン曲が良かった。

    ゆっくりと滅んでいく時代の中で取り残されたような気持ちになる者達。チャールズ・ダーウィンは「最も時代の変化に敏感なものだけが生き残る」と記した。生き残れないと知った連中がふと失くしてしまったもののことを思い返すような日暮れ時。
    是非観に行って頂きたい。

    ネタバレBOX

    話自体に目新しさはないのだから、時系列をシャッフルすべき。同じようなシーンが並列された印象。場面転換のアイディアが欲しい。居眠り客は多かった。
    ラストは『天国の口、終りの楽園。』みたいにバサッと切っても良かったと思う。

    ※ミラーボールが光を乱反射。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    チェーホフの原作を、アイルランドのブライアン・フリールが翻案した『ワーニャおじさん』。駅前劇場のステージ側にも客席を作り、横長のスペースを客席で挟み込む形。約140分。

    ネタバレBOX

    これだけの近距離だと、あのギターには(メーカーロゴはともかく、ボディの質感・風合いという点で)違和感が。気にしない人にはどうでもいいことなのだろうが、個人的にはこれがずっとついて回った印象。あと、客席がステージを挟んで向かい合っている形なので、最前列でお眠りになっている人(二幕や三幕あたりで3人ほど)が役者越しに目に入って少々げんなり。

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