荒野に咲け 公演情報 荒野に咲け」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.7
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  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    時代を反映してか、(イキウメ前川氏程でないが)桟敷童子東氏の戯曲も、ある時期から無慈悲な冷酷な現実を映し出す場面を含む作品が散見される。「エトランゼ」を思い出す。貧困の再生産という事が言われるが、言語が示す「平均的」イメージはそれとして、本作では「頭が悪い一家」と、その自意識からのひずみが家族を病ませて行く「パターン」を描出している。
    病的な被害妄想を楽観的に変えようとしない母孝子(板垣)、家出したその娘香苗(大手)、彼女が発見された後面倒見がてら雇われる事になる親戚の営む食堂(仕出しもやっている地元の老舗会社)で彼女の面倒を見る事になる恵子姉さん(増田)、毎度のお婆役だが今回は最も時代に乗り自由を謳歌し、どん詰まりの所で香苗を救う事になるヒサ(鈴木)、今回はこの四女優の形象が優れていた。普段とは違った役柄というか佇まいの親戚の叔母二人(川崎、もり)も良かった。男優はそれぞれ役としての存在感を持ちながらもアンサンブルに徹し、女優を光らせていた、という印象が強い。
    無惨で悲惨な日本のどこかに今もあっておかしくない現実を、目を見開いて凝視させる筆力、役者力、アンサンブル、微細な伏線を大きな変化に繋げる技も見事。装置を駆使したクライマックスをラストでなく少し手前に持って来て、ファンタジックな場面を介して小さな光あるエンディングへ誘う。この場面に登場するアイテムは「現実」の峻厳さに見合う迫力を備え、必見である。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    25周年記念作は劇団員のみで公演。これは本当に凄い作品なんだがどうにも伝えようがない。どんなに言葉を選んで積み重ねてみても大して伝わらないだろう。何だろうな、この感覚。気になった人全員に観に行って欲しいがチケットはもうあるのかないのか。このクラスの作品を年末にガツンとぶつけられて頭はクラクラ。次の桟敷童子の新作まではどうにか生きていたいと思った。

    客入れのもりちえさんは見る度にどんどん痩せていく。
    井上莉沙さんは可愛いが役柄が・・・。

    ワンツーワークスのようにスローモーションで皆が駆けるオープニング。構成が映画的で時間軸が次々と飛んでいく。それを無理矢理成立させる役者陣。メイクと衣装と表情とでこの無茶を成り立たせる腕力。何度も強調して使用される対位法。象徴的なものはどうしようもなく不幸な場面に流れる「ラジオ体操第一」の明るいメロディー。黒澤明の好んだ演出で世界と自分とのズレを浮き上がらせる。今回は演出がかなり凝っており、バラバラにばら撒かれたシーンや夢、妄想や記憶が一枚のモザイクアートのように収斂されていく。

    主演の大手忍さんは主演女優賞もの。中村玉緒みたいな嗄れ声で猫背の病んだ女性役。軽い障害のある人の受け答えそのもの。ここまで作り込んだか。
    彼女の母親役、板垣桃子さんは助演女優賞だろう。確かにそういう女性が舞台上にいた。直視したくないものを直視させる演技の凄味。この表情。
    彼女の弟役、加村啓(ひろ)氏が劇団員になっていた。押尾学みたいなふてぶてしい面構え。
    彼女の父親役、三村晃弘氏の元気ハツラツとした健康的な笑顔。山登りとラジオ体操が大好き。とにかく身体を動かしてこそ人間だ。

    従姉妹にあたる増田薫さんの表すリアルな痛み。誠実に生きているが故に誠実に我慢ならない怒り。

    妹方の叔母にあたるもりちえさんの佇まい。再婚した家庭で会得したのは何も感じない“無”。そしてそれは当たり前の生活の一頁。誰にとっても特別なことではない。
    彼女の義理の母親、鈴木めぐみさんが重要なパーツ。独り暮らしの老いぼれた交通誘導警備員だがSNSで動画を投稿していいねを稼ぐ。全く腐っちゃいない。今の時代を楽しみまくっている老婆の強さ。

    大手忍さんのキャラはギリギリなところを突いている。観客の感情移入と生理的嫌悪のギリギリ。しかもユーモラス。こんな鬱話の中、観客が笑いでホッとする。そこのサーヴィス精神こそが数十年続く劇団の持つ地力。こんな話に和む笑いを入れる余裕。幾つもの修羅場を潜り抜けて来たタフなベテランの持つ味。

    作家が10年以上前から着手していた実際の知人をモデルにした物語だそう。現実では彼女に何もしてやれなかった。せめて虚構(嘘話)ならどうにか出来るのだろうか?納得出来る救済のカタルシスを用意出来るのだろうか?だがそんな嘘話を騙ったところで一体何になる?
    こんな負け戦の作品に心底取り組んだ作家の魂にRespect。
    「一体どうしたらあんたを救えるんだろうか?」
    「それは私が知りたいよ!どうしたら私は救われるのか!」
    答えのない世界にただ問いだけが舞っている。

    主人公(大手忍さん)の一生絶対に関わるつもりがなかった母親(板垣桃子さん)との電話のシーンでは泣いた。はらわたから振り絞る声、互いに何一つ嘘が存在しない。作家の安易なヒューマニズムに逃げない姿勢を支持。嘘臭い話で器用にまとめるのは簡単だがそんなものは現実と乖離し過ぎていて無意味。今作は虚構から現実を撃たねばならないのだ。嘘話で現実の人間を救う?笑止千万。だがやるのだ。

    哀しみが嫌いだったら気のぐれた振りをすればいいし
    別に悪い事じゃないさ ねえあんた少し変だよ
    BLANKEY JET CITY 「ロメオ」

    ネタバレBOX

    「荒野に咲け」と題された二本の向日葵の絵。小さな時からいつか自分が咲くべき荒野に辿り着けると夢想した。ここではない何処か。そこに行けさえすればこんな惨めな自分ではなくなる。そこは一体何処なんだ?
    いつも耐え切れない受け止め切れない現実を前に「これが私の運命なんだ」と心を押し殺し我慢して生きてきた。どんな残酷で不条理な出来事さえも。誰のせいにすればいい?母親が狂っていたから家族が崩壊したんだ。父親が自殺したんだ。自分も弟も病んだ母親の犠牲者なんだ。決して私のせいではない。私は逃れられない運命を強要されて苦しんでいるだけだ。何一つ選べなかった。

    タイトルにもなっている向日葵の絵は琳派の日本画のようでもあり、エゴン・シーレ調にも見える。北九州の学校教師が描き廃線になった炭鉱町の駅舎に飾られていたという。地域の小学校ではそれにちなみ皆で向日葵の絵を描くカリキュラムがあったらしい。
    今では全てが郷土資料館入り。しかもそれすら壊される予定。IKIRUと名付けられた小さな炭鉱蒸気機関車、かつてそこで働いた全ての労働者達の死への恐怖を払拭した。何が何でも「生きる」んだ。その老残した冷たい姿に寄り添う主人公。それに敗残した自らの存在を重ね合わせる。

    もう駄目だ、何処に行っても人に迷惑をかける。嫌われていく。傷つけてしまう。何処か遠くに逃げよう。それは例え死後の世界でもいい。主人公は全てを諦める。

    夜中に家出して郷土資料館に潜んでいる。ここで主人公は巨大な蒸気機関車に襲われる。(人力で動かしているであろう巨大な作り物が突如背面の壁が開いて出現)。「ああ、ここで死ぬんだ」と観念する。そこにIKIRUが突進して主人公を守る。小さなIKIRUが何倍もの大きな機関車にぶつかっていく。だが全く相手にならない。ボロボロにされていく。「ああ、もう駄目だ」と思った刹那、主人公を乗っけてIKIRUは走り出す。倒せなけりゃ逃げればいい。「私を荒野にまで連れてって!」と叫ぶ。空から降りしきる向日葵の雨。黄色い紙吹雪が無限に降り出して視界は全く見えなくなる。ファンタジーだが絵に力がある。ラストの昂揚には唐十郎への追悼をも感じた。

    目を覚ますとそれは夢で警備員の鈴木めぐみさんがカフェオレの缶コーヒーを奢ってくれる。「不幸でなければ幸せだ」と。
    プラスを求める価値観でなくマイナスを忌避する価値観。生きてさえいりゃどうにかなる。ろくな欲望さえ持たなけりゃ無理に苦しむこともない。幸せは他人が判定するもんじゃない。結局は自分自身が決めるもの。

    ああもう少しだけここでの暮らしを続けてみようかな、と思う主人公。従姉妹に電話して謝る。失くしたもの手に入れられなかったものをいつまでも悔やむのではなく、今自分にあるささやかなものを確かめてみよう。多分きっと大丈夫だろう、自分をほんの少しだけあてにしてみる。ここが私の咲くべき荒野だ。ここでもう少しだけ生きてみる。もう少しだけ。

    どんな場所でもいいのさ 自分の足で立ってりゃ全然
    LAUGHIN' NOSE 「WILD」
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    パンフレットによれば、モデルとなる話があるそうなのだが、そしてそれはもっと悲惨な話なようなのだが、いったい何なのだろう。終盤、機関車があんなふうに何度もぶつかっていくとは思わなかった。おいおいいくらなんでも・・・とは思ったが、機関車に付けられた名前といい、最後のセリフに繋がる象徴的な場面なのだろう。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2024/12/19 (木) 14:00

    座席1階

    ラストシーンは感動のあまり泣きそうになった。桟敷童子の本領発揮である。このような形になると構えていても激しく心を揺さぶられた。見ないと損する、傑作だ。(満足度の☆を6つにしたい)

    開幕前に舞台上段にかかっている1枚の絵。何の絵なのかは、一見しただけでは分からない。この絵が、物語の重要なカギを握ることになる。開幕前にはスポットが消えてこの絵は暗闇の中に沈む。再び登場するときが、物語が大きく動くときだ。
    両脇に階段がしつらえてあるだけの開幕前のシンプルな舞台装置に、今作は桟敷童子の特長である派手な、あるいは美しい舞台美術はなく、役者たちの動きやせりふだけで物語が進行するのだろうと感じていた。これが、最後の最後で、いい意味で大きく裏切られた。
    舞台は九州のとある田舎町。人口減少で鉄道も撤去され、かつて鉄路を走った機関車は駅を改装した郷土資料館にポツンと置かれている。この町で食堂(今は弁当屋)を営む一家と、その親類である貧しい一家が主役である。食堂を営む一家は人口減で経営は縮小したものの娘たちを大学に出し、従業員も雇ってそれなりの生活をしている。もう一つの一家は、貧しいながらも一家で登山やキャンプに出かけるなど表面上は仲が良かった。親類の一家に負けじと息子を無理に進学校に行かせようとするなど背伸び気味という面はあったけれども。それだけならよかったのだが、この一家に次々と不幸が襲いかかる。
    今作の作者は言う。「10年以上も前から書こうとしていた題材だが、暗く重く、あまりにきつすぎて何度も挫折した」。僕らは彼らに何もしてあげられなかった。そんな思いで書いたという。「あまりにきつすぎて」というのは、恐らく現在もそうだ。これは、ラストの大感動シーンがあることのメタファーであることから推察できる。
    また、主人公の娘(大手忍)がトラウマになっていたメロディーが、あまりにも現実感があって客席の心をわしづかみにした。

    劇団創設25年とのことで客演を招かず劇団員だけの公演。やっぱりよく鍛えられている。実に濃厚な2時間であった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    激しく心を揺さぶられました。前回公演からの観劇者で、今回は舞台装置が予想外にシンプル(実はそうではなかった)、伝承の世界は出てこないようで物語性はどうかななどと開演前は内心思いましたが、見事に裏切られ、東憲司さんと劇団員16名が放つ緊迫感、熱量あふれる劇的空間に2時間弱、目と心が釘付けになりました。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    面白い。
    或る事件や伝承的な出来事といった題材ではなく、身近な家族・親戚 いや人間の心に蠢く羨望や嫉妬といった思いを描く。それを家族崩壊と街の衰退を重ねるように紡いだ群像劇。本作は劇団創立25周年記念ということもあり、あえて劇団員のみの公演にしたと。

    この劇団の特長である仕掛けのある舞台装置、本作でも その迫力と印象付けといった効果は十分に発揮している。それが 新作公演とはなっているが、過去公演からの繋がりのようで 地続きの光景を思わせる。物語の中心人物 篠塚香苗役を大手忍さんが演じているから、なおさら その思いを強くした。話としては、ありふれた と言っては語弊があるかもしれないが、桟敷童子公演としては実にリアルだ。当日パンフに「オリジナルの物語であるが、モデルはある」と。ただ、話の肝になるであろう父親の行為、その動機なり理由の描き方が足りないような気がする。

    ちなみに 少しネタバレするが、タイトル「荒野に咲け」の「荒野」とは「この世」の意、まさに地に足をつけたような公演。社会(派)的なダイナミックさはないが、人それぞれの感情が弾け飛ぶ。観応え十分。
    (上演時間1時間55分 休憩なし) 12.20追記

    ネタバレBOX

    舞台美術は、両側に階段を設え 奥で渡り廊下の様に繋ぐ。その中間に 大きなヒマワリのモノクロ絵が天井から吊るされている。シンプルなシンメトリー。

    舞台は 九州 玄界灘近くの田舎町。かつては炭鉱で栄えた町であったが、今は人口が減少し鉄道は廃線、駅舎は郷土資料館になるなど すっかり衰退している。そこに機関車IKIRUが展示されている。往時を偲ばせる巨大な煙突が数本残っているだけ。この舞台、炭鉱三部作を連想し 地続きの今を描いているよう。巨大な煙突は炭鉱町のシンボル、そしてヒマワリ畑(色彩の違い、原色・モノクロ)や機関車(大きさの大・小)といった 往時と現在を比べた象徴的なもの。

    物語は、3姉妹が嫁いだ先の家族のそれぞれの様子、暮らしぶりを点描していく。長女 澄江は町で食堂(今は弁当屋)を営む古橋家へ嫁ぐ。町の衰退とともに経営は縮小したが子供たちを大学へ進学 卒業させた。また数人の従業員も雇ってそれなりの暮らしぶり。次女 孝子は、篠塚家へ嫁ぎ 貧しいながらも一家で登山やキャンプに行ったり平穏な暮らしぶり。息子が学校で苛められていたこともあり、無理やり進学校へ行かせようと。三女 勝代は離婚し、今(稲森姓)の夫と再婚したが、夫は働かず勝代がパートを掛け持ちして生計を支えている。夫の先妻の娘とは折り合いが悪い。3者三様の暮らしの断片を切り取り<家族とは?>を考えさせるよう。冒頭、孝子の娘 香苗が詐欺に騙され多額の借金を背負う。一家で夜逃げ同然のように町を出るが…。

    時は流れ、香苗の父は自殺(気が弱かった?)をし、母は壊れ荒れた生活をしていた。篠塚家はバラバラになり音信不通状態が何年も続いていた。3姉妹が嫁ぎ先で築いた生活、その家族の幸福度の比較や確執などが切ない。家族という他者との関りが 蟠りをもって描かれている。浮浪者同然で探し出された香苗は、古橋食堂で働き始め 自身のトラウマを克服しようとする。しかし複雑化されたトラウマ、町の閉塞感など、この環境に馴染めず また町を出て行こうとするが…。

    ラスト、産業廃棄と書かれた機関車IKIRUが、炭鉱最盛期に活躍した機関車DOROBANA51号に立ち向かうような。そこに「荒野」という「世の中」で生きていこうとする逞しさを感じる。自分が観てきた公演すべてについて、どんなことがあっても「生きる」といった根本が描かれており、それは劇団の一貫した思いのようだ。
    次回公演も楽しみにしております。

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