実演鑑賞
満足度★★★★★
時代を反映してか、(イキウメ前川氏程でないが)桟敷童子東氏の戯曲もある時期から無慈悲で冷酷な現実を映す若しくはそのものの場面を含む作品が散見される(後者に「エトランゼ」が思い出される)。
貧困の再生産という事が言われるが、その平均的イメージはそれとして、本作では「頭が悪い一家」と、その自意識からのひずみが悪しき変転を辿るパターンに陥った家族が描かれている。
執拗な被害意識からの反動を動力にしたカッコ付き「前向き」を楽観的に変えようとしない母孝子(板垣)、その子供ら(姉弟)の内、先に家を飛び出した姉香苗(大手)、三年後に彼女が発見された後面倒見がてら彼女を雇う事になる親戚の食堂(仕出しもやっている地元の老舗会社)で彼女の面倒を見る事になる従姉の恵子姉さん(増田)、毎度のお婆役だが今回は最も時代に乗り自由を謳歌し、どん詰まりの所で香苗を救う事になるヒサ(鈴木)、本作ではこの四女優の存在感が芝居の要となる(今回ぐっと前面に出ていたのが増田)。普段とは違った役柄というか佇まいの親戚(孝子の姉と妹)二人(川崎、もり)も良かった。男優はそれぞれ役としての存在感を持ちながらも機能としてアンサンブルに徹し女優を光らせている印象が強い。
無惨で悲惨な日本のどこかで今この時も起きていて不思議はない現実を、目を見開いて凝視させる筆力、役者力、アンサンブル、微細な振りを大きな変化に繋げる技も見事。
装置を駆使したクライマックスを本作ではラストでなく少し手前に持って来て、そのファンタジックな場面を介して小さな光を灯すエンディングへ誘う。この場面に登場するアイテム=装置は、「現実」の峻厳さを象徴する迫力を備え、必見。この難敵に立ち向かう小さい方の健気な「それ」(さびれた町の片隅にある解体寸前の資料展示館にあるミニチュア)が、涙を誘う。
「自身がそれを選んだのだ」(又は)「人それぞれに与えられた宿命だ」・・不幸な他者をネグレクトする自己弁護に我々は事欠かないが、多くの現場でこれを掬い上げている存在がある。篤志家を称賛するような習わしもこれに付随している。が、盛大な拍手よりも自分がやれる一つをやる事がこの物語へのレスポンスだ、と思わされる。自分がやれるのはせいぜい為政者に「お金を出せ」と申す事くらいだが。