実演鑑賞
今年6月に観劇した『消しゴム山』に通じるコンセプチュアルな一作に感じられました。ロジカルかつ未来志向的な演劇実験作。この「実験(実証)」要素が、観客である受け手によって評価の分かれるところだと思います。当日パンフレットやホームページなどに記載されたテキストを読み、創作プロセスなどをある程度頭に入れた上で「…なるほど」と理解の手掛かりを得られる。その難解さが存在することは事実でしょう。ただ、モチーフとして描かれる物語はロジカルに構成され合点のいくものだし、俳優が紡ぎ出すシーンからも大いに刺激を受ける。今作は音楽劇なので、もちろん音楽そのものや、劇中での存在の仕方も興味深い。結果的に演劇的なカタルシスというか、観劇後の満足感が観客の心身にしっかり残る。難解だけどある意味明瞭でもある、でも一人で読み解き理解するのはハードルが高い。だからこそ誰かと語り合いたい作品と言えるかもしれません。
もうひとつイメージしたのは、近年の岡田さんの創作への興味・関心が、これからの社会基盤にフィットする「新しい価値規範」の模索にあるのではないか?ということ。短期間で解答を導き出せる取り組みではないからこそ、岡田さんの作品には常に実験が組み込まれていると感じます。
実演鑑賞
満足度★★★★★
チェルフィッチュはだんだん難しくなって、「三月の五日間」のようなパンチの効いた平明さがなくなった。しかし、不思議なことに、難しくなっても、最後には、フーンこういうことか、と納得させられてしまう。今回の物語は家主から突然退居を迫られた借家人のリビングルームから始まる。借主は借家人の方に法的権利はあると主張して家主をやり込める。ここまで第一部、だがその見晴らしのいい岡の上にある借家の部屋の空気はなんだか知らないがすこしづつ変わっていく。(第二部)どうやら、ここには穴が開いていて、ここの空気は少しづつ抜けていくようだ。こうしてリビングルームはメタモルフォーゼ(変態)する。
結果、整理整頓されたモダンリビングは、怪獣めいたかぶり物が跋扈するガラクタ家具の置き場のようになってしまう(第三部)。作者演出家・岡田利規の劇場パンフによれば「フィクションを帯びた身体を媒介にして、空間にフィクショナルな変容を施してみる」と言うことになり、その空間を音楽が注ぎ込まれる容器にすることで、新しい音楽劇にした、と言うことになる。
変貌していくリビングルームが下手奥にあり上手は何もない空間。その前面に室内楽演奏の楽員(V2.Vla Cello。Fg. Cl。Tuba.Pf>が横に並び演奏が続く。観客は楽員越しに舞台度芝居を見ることになるが、東芸のイーストではあまり煩わしくはない。音楽は俳優(役も含めて)の内面の感情と結びつく者ではなく、俳優によって生み出された空間と結びつく。いまある一般的なミュージカルから見れば「根本的新しい音楽劇」である。要するに一そこにあるスジや役者の感情で見ないで、チェルフィッチュが作り出したここにある空間の感情を読み取ってくれ、と言うわけであるが。さらに解りよく言えば、気候温暖化時代の地球環境とか、都市空間とかの問題を、文化ツールである演劇や音楽の舞台を通してみるとこうなる、どう?という世界の出来事の一つである。それは「わたしの世界の出来事・宇宙の事象を捉える際の人間的・人間中心的な態度に態度の変容を施したい」という理由からくるもので、これからも「その努力をコツコツ積み重ねたい」という。次も見たくなるではないか。
西ドイツでの招聘制作。90分。休憩なし。場内シーンとして名演奏家名演を拝聴する感じ。そんなに堅くならなくても良いのに。もちろん満席である。もちろん、つまらなくはない。
実演鑑賞
満足度★★
鑑賞日2024/09/21 (土) 14:00
座席1階
男性1人、女性5人が暮らしている家のリビングルームが「変態」を遂げていく。「何か異様な空気を感じる」というせりふをきっかけとしてリビングルームは得体の知れないものに破壊され、形がなくなっていく。
手前にアンサンブル・ノマドの演奏スペース、後ろ側に俳優たちが動くリビングルームという簡素な演出。リビングルームの「変態」をアンサンブルが奏でる不協和音が彩る。チラシにある「フィクショナルな劇空間に音の粒子が混ざり合う」とはこういうことか、と理解する。
これが「物語と音が溶け合っていく」芸術だと言われるとそうなのかと思うが、個人的には「劇空間」とは言いづらい。物語性が決定的に欠けていて「だから、何なの」という気持ちで終幕を迎える。せっかくのアンサンブルなのに、最初から最後まで一貫した不協和音ばかりで、いい気持ちはしない。美しい弦楽四重奏に乗って、リビングで繰り広げられる家族劇という展開なら、希望が持てたのだが。