魚雷モグラ’24 公演情報 魚雷モグラ’24」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
1-7件 / 7件中
  • 映像鑑賞

    満足度★★★★★

    昨年に引き続き、配信で拝見(カステラチーム)
    劇場ではなく、決して広いとはいえないスペースで描かれるのは、終戦が目前に迫っていた長崎の町。
    当然、そこで発生する悲劇など、まだ知る由もない女学生たちが、薄暗い地下の穴倉で魚雷を作っている。
    そしてこんな状況の時であっても女の子たちはおしゃべりに夢中になり、淡い恋心もあれば友達との諍いもあって、普通に青春を過ごしている。
    そんな女学生たちを演じる若い役者さんたちが、これまた懸命に演じている姿が、登場人物たちの懸命さとリンクして、思わず感情移入してしまう。
    その懸命さに嘘がないのが心地よく、また可愛らしい。

    こういう物語はどうしても説明をしないといけないことが多くて、説明台詞が多くなるのだけれど、それを全員のムービングや台詞(声)を使って無理なく見せる演出が、毎年の積み重ねを感じさせる。

    たまに他の公演で、小道具だけをマイムにしているところがあるが、これははっきりって手抜きだと思う。
    やはりマイムでやるのならこの作品のように、パワーマイムとして成立させないと見る側の想像力が広がらない。
    そして、それら状況説明の台詞がとても詩的で美しい。
    美しい言葉と、救いようのない事実との、どうしようもないアンバランス。

    この作品に込めた作者の思いを受け止めた観客は、そこで切なくてたまらなくなる。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    終戦間近の長崎 ちょっとファンタジーでシュールで。良かったです。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     今公演はWキャスト。拝見したのは楽日、かすてらチームである。

    ネタバレBOX

     物語は1945年敗戦迄あと僅かという時期の長崎での物語。この期に及んで未だ真珠湾攻撃で用いられたと同じ型の魚雷を学徒動員で造らされていた女子学生や教師、地区指導員らの日常と8月9日午前11時2分のファットマン投下時の模様を描く。ユニークなのは、戦時体制下の女子生徒たちの前に現れるのが不思議なモグラ姉弟であることだ。而もこのモグラの姉は1人の人間の女性徒に凄まじい復習の念を持っていることである。理由は、この女生徒に父母を殺されたことであったが、人間にはその記憶すらない。
     女生徒たちは戦時教育をまともに受け止め、強制される価値観や道徳観、国家観や天皇を唯一の主権者とする大日本帝国憲法下で要求された社会規範を基本的には守り所謂優等生として生きる一派と、そんなことは本意でない、謂わばドイツのエーデルヴァイス海賊団運動に邁進していた若者のように一種アナーキーで人間としてより健全な「不良」グループ一派を形成する者ら、及びどちらにも属さない一般生徒に分れていた。この中でモグラの姉に呪われていたのは優等生グループの代表格の女子であった。彼女は所謂隠れキリシタンの末裔であるから宗派はカソリックの中でも最も厳格な宗派の一つであるジェズイット系、日本で人口に膾炙している言い方ではイエズス会系ということになる。このモグラの姉は神に祈ることでこの女生徒に復讐することを強く願うが結果として彼女のみならず長崎市民全員に大変な地獄を齎してしまった。モグラの姉はそこまでは望まなかったものの結果として原爆によって件の女生徒も被害を受け、多くの友を喪いこの後も苦しむことになる。その2人の会話の中で女生徒は自分が恨まれた訳を知り謝るが自分一人に復讐をして欲しかったと述べる。モグラもそうしたかったことが分かる答弁を返すものの幾らかは復讐を果たせたことによる安堵が無い訳でもない。何れにせよ、アインシュタインが導き出した以下の公式:E=MC²のEの項目に祈りの強度によるエネルギー発生があると仮定すると或いは相関関係が設定できるかも知れない。
     ところでこの強制労働に駆り出された女生徒たちを見守る教師の態度が当時としては極めてユニークなものとして描かれているのも今作の特徴である。というのも「不良」グループを決してありきたりなレッテル貼りで区別せず、例えば‟モサ“(掏摸の隠語)に財布を掏られた中年女性に掏られた財布を取返し追い掛けて返してやる等の善行も為している子供たちの良い面も評価しているかのような態度で接している等。因みに掏られた状況は分からぬものの一般にモサは集団でことにあたり直接掏る者、シキテン(見張り)を切(す)る者、掏った獲物を受け取り別の仲間に受け渡す者等が徒党を組んで犯罪を犯すのが普通なのでリアルな発想で検証すれば、女生徒が盗まれた財布を取り戻し、持ち主に返すこと自体が可成り難易度の高いことであることは言を俟たないが、まあ、小さなこと。義侠心に溢れた健全な女学生のイメージを示すには効果的な挿話と捉えれば良かろう。被爆時のこの女性教師の態度も立派である。
     何れにせよ少し頭の回る女生徒であれば、対米開戦で用いられたと同型魚雷をこの期に及んで製造させている大日本帝国の開発力の無さを忽ち見抜き、戦争は負けると確信を持って言うだけのことは出来る。何れにせよ被爆した無数の被害者の、世界で2度目の原爆攻撃による最後の姿を史実を踏まえキノコ雲の下で実際に起こっていたシーンとして再現する数々のシーンはリアリティーに富み、今作品の白眉でもある。会場からは、観客のすすり泣きや涙が鼻に流れすすり上げる音等が多く聞かれた。
     また、効果音等は殆ど口ジャミで表現されていたこともユニークな上演形態であったが、敗戦間近の日本民衆の窮乏を示唆しているようでもあり、また日本政府の文化事業に対する熱意の無さ、無関心を示しているようでもあり、政治屋及び官僚の非文化性を如実に示してこれはこれで示唆的だ。

     ところで、何故今原爆の話なのか? 根本的な問いが観客には問われていよう。今更言うまでもないが、ロシアによる戦術核使用の脅しと準備は着々と進んでおり、第三次世界大戦が始まるのではないか? との懸念は多くの民衆に共有されている。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    大戦末期の長崎が舞台。勤労動員された長崎の女学生たちの集団群像劇。ファンタジーがかっているけど、リアルに響きますね。ぐっときました。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    鑑賞日2024/08/04 (日) 17:00

    みらい館大明という施設は初めてなので、地図やGoogleマップを頼りに向かったのだが、やはり最後のところで迷ってしまった。どうやら廃校となった小学校の校舎を利用した施設で、地域有志で構成された特定非営利活動法人が管理運営しているらしい。

    舞台となるのは1945年(昭和20年)8月の長崎。地下トンネルに設けられた兵器製造工場に女子学徒たちが集められ前線で戦う兵隊さんに送るため魚雷製造を強いられていた。この女子学生たちの日常がグループ同士の対立を軸にして、原爆投下の直後まで描かれていく。上演時間80分。

    物語としてはまあまあなのだが、開演と同時に気になったことがある。
    女子学生は全員が下着が透けてみえるほど薄手の白いブラウス(それぞれがおしゃれなデザイン)に黒のスラックス、しかも全員がブラウスの裾をスラックスの上に出している(班長役の男もワイシャツをズボンの上に出している)。当時はこんなことはありえない。まずブラウスやワイシャツの裾はスラックスの中に入れなければならない。女子のブラウスだって厚手の木綿製で、胸には住所と氏名、血液型を書いた名札(当然ながら油性ペンはなかったので墨文字)が縫い付けられていたはずだ。
    まあモンペまで用意しろとまでは言わないが、当時の悲惨さをリーディングではなく演劇としてみせようとするのなら、その程度は気をつけるべきだろう。あと、女子学生の髪などに赤いリボンもおかしい。昭和20年の8月という逼迫した状況下で、そんなことしていたら非国民扱いされるのがオチだ。

    それほどお金がかかる訳でもないこの程度のことに手を抜いていたら、それが作品全体に響いてしまうのだ。
    演じる若者たちに当時のことを伝えるのだって中途半端になりかねない。
    「せからしか!」と言われるかもしれないが、敢えての苦言を。

  • 実演鑑賞

    良かったです。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    未就学児のみでの入場は不可
    だよねぇと納得の舞台でしたわ

    80分の作品 全席自由
    2方向からの観劇です

    半円形に凹んだ舞台を用いて
    工場の女工さんら
    日常を見せてくれました

    ネタバレBOX

    工場での日常後に
    突然来る容赦無い破壊
    原爆投下後の状況を
    リアルに演じられてて
    なかなか心に突き刺さりました

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