雑種 小夜の月 公演情報 雑種 小夜の月」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.8
21-40件 / 45件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    観劇前日,台風のためどこにも出かけられず,あやめ十八番さんのHPを見ていたら,お団子屋さんシリーズ二作目の『雑種 花月夜』が観劇三昧で無料視聴できることを知ったので,観劇予習として『雑種 花月夜』を視聴した上で,当日の観劇に臨んだ。人物の関係性や性格,状況の設定が頭に入っているので,最初から芝居の世界に引き込まれて,2時間の観劇時間,芝居にのめり込んでしまった。もう完璧!お見事!物語,演奏,舞台装置,役者さんの演技(設営等も含む。),細かいところも含めて素晴らしいの一言に尽きる。これは絶対おススメの舞台。観劇後,無性にお団子が食べたくなり,帰宅途中に購入したのは余談である。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    8月12日と8月17日に観劇。

    ネタバレBOX

    舞台が真ん中にあって両サイドから観れて楽しかったです。生演奏の楽器の方々が役者として楽器から離れて普通に出演されてて面白かったです。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    2回目。
    台風直撃土砂降りの東京、散々な目に遭った。
    Life is dream. Life is but a dream.
    人生は夢、人生は夢に過ぎないよ。

    この作品は一つの楽曲のように作り込まれている。そのセンスを高評価。岡本喜八や深作欣二には秘密があった。それはフィルムを編集する際、ジャズのリズムで細かくカットを繋ぐこと。テンポと気持ちよく刻んだ繋ぎに観客はノっていく。挟み込まれるメロディー、リフレイン、快楽原則。それは曲の構造そのもの。だがセンスは歳と共に落ちていく。黒澤明も卓越した反射神経でカットを繋いで大衆を熱狂させたが、やはり衰えていった。アカデミー名誉賞を受賞した時の有名なスピーチ。「私にはまだ“映画”というものがよく解っていない。」大家の謙遜のように捉えられたが、実は晩年に語っている。「最近、ちょっと見えてきたんだよね。“映画”はカットとカットの間に垣間見える。」
    “映画”というものを一瞬だけでも見せる為のカットの連なり。

    この作品の演出は一つの曲を構成する為のもの。話自体は定番の人情物かも知れない。かつて山田洋次は大ヒット作となった『男はつらいよ』を会社からシリーズ化するよう要求されて悩んでいた。おんなじ話を再生産していくことに果たして意味があるのか?作る方にとってもキツい。高名な落語家に相談したところ、「私は古典落語をやる時は来ているお客さんがそれを初めて聴くものだと思ってやっています。何度やったものでも初めてそれに触れるお客さんはいる。その人の為に新作としてやるのです。」
    そこで何かを掴んだ山田洋次は『男はつらいよ』を続けることにした。

    ゲストは活動弁士の片岡一郎氏。サイレント映画こそ映画の構造の真髄を知る機会。何が伝わって何が伝わらないのか。
    佐原囃子(千葉県香取市、佐原の大祭の祭囃子)を演奏する囃子方を下座連(げざれん)と呼ぶ。
    福圓(ふくえん)美里さんはちょっと見た目が若すぎると思っていたが今回細かく観て納得。配役にも演出家の意志を感じた。
    小口ふみかさんの漫画的に誇張した表現は見事。中野亜美さんと共にジェスチャーが秀逸。
    川田希さんの気の強い古風な女の啖呵、極妻だ。

    ネタバレBOX

    「貫太郎、見てみろ。月が綺麗だぞ。まるで猫の鳴き声のように尖ってやがる。」

    冒頭の長女がお爺ちゃんにするお願い事。きっと、「子供が欲しい」だったのだろう。お爺ちゃんは「まあ焦らずにその内な。」

    認知症の母親(福圓美里さん)を施設に預ける蓮見のりこさん。車椅子に乗せられて去って行く母親の姿とスーパーでショッピングカートを押している自分の姿がだぶる。スーパーで流れる呑気なBGMによる対位法。

    一回じゃ分からなかった仕掛けが随所に散りばめられている。成程。

    どんなに必死に思い詰めても、その全ては手から零れ落ちていく。どうしたってとどめ置けないこの虚しさ。生きて在ることの無意味さ。多分昔の人は死んだ人間がまだここにいることにしてその虚しさを回避しようとした。死んでいなくなった訳じゃない。今もあのときのまんま、その辺でニヤニヤ見ている。死んだからって消えて無くなる訳じゃない。生きていたとき以上に優しく世界を許してくれている。そうとでもしておかないことにはやり切れなかった。

    子猫のときから可愛がっていた野良猫がいて、凄く優しい子だった。夜のグラウンド横の自販機の前で独り飲んでいる時なんかいつの間にか現われて脚に身体を擦り付けてきて何度もびっくりした。自分が寂しそうにみえたのか?老猫になって車に撥ねられて亡くなってしまったそうだ。何か何処からか自分を眺めているような気がする不思議な猫。その猫のことをずっと想い出していた。

    ※南極ゴジラの人気女優が観に来てた。
    ※千葉の方言が音として耳触りが良い。
    ※舞台を近くで感じさせる為の両面客席。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    こころあたたまる物語でした。

    ネタバレBOX

    シンプルなのに現実味に感じる舞台はとてもよかったです。それぞれの話がどうつながるのか、はじめは難しく感じましたが、徐々に話がつながっていくのは、観ていてぐいぐいと引き込まれます。そして、過去の回想と現実がいい具合に交差して、人の温もりをひしひしと感じました。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    お団子屋さんの朝の作業の歌がすごく細かくてどのように作られていくのかが分かりやすかった。
    お盆に彼岸と此岸の話が良く合っていて本当にほっこりさせてもらいました。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2024/08/12 (月) 18:30

    初めてのあやめ十八番で、初めての経験しました。
    生演奏は言わずもがな。ハートフルが少し溢れて触れられそうな感じにすぐに心地よくなっちゃいます。他愛もない日々にドラマがゆるやかにクロスしていて、日常の表現力がすごいなと。
    ここまでノンフィクションに距離が近くて、同じキャストで数年かけて公演が創られていてって他にあるんでしょうか。つむぎちゃんとかも含めてもはやドキュメンタリーの様な気もするし、雑種はまだまだ長く続いてほしいです。(雑種以外も気になりますが!)
    人をちょっと好きになるし、団子が食べたくなる舞台でした。

    ネタバレBOX

    つむぎちゃんに和みながらおんちゃんに泣かされる時間でした...舞台で泣いたのも、あんなに泣いたのも初めてでした。おんちゃん優しすぎるよ。
    実直に描かれる人々だからこそ心へすわっと入ってくるし、おんちゃんと貫太郎の関係性も響きました。劇的な始まりも終わりもないけど、だからこそ愛おしいというか。
    余談ですが、神田のイメージが東京と有楽町の間、だったので、下町というのは初耳でした。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    小劇場には珍しい季節狙いの夏芝居かと思ったら、これは日本劇作家協会の推薦・夏芝居で、この劇団のシリーズ公演の第三作でもある。
    地域では知られている神社の参道にある名物団子屋一家の三代にわたる人間模様ホームドラマだ。雑種の飼い猫まで噛んでいるのもご愛嬌。
    作者(堀越涼)の三十歳代の実体験が下敷きになっている由で、今も地方都市に綿々と残っている日本の伝統的な命のつながりを、神社、その祭礼儀式、伝統信仰を護る家族の生き方、地域との関係の中で、いまに続く生活ドラマとして描いている。
    たとえば、加藤拓也の「ドードーが落下する」が地方の演劇青年の人生を辛く切実に描いているのに比べると、こちらに登場する都会からやってきた演劇青年(当日客演・藤原祐規)はいかにもの今時のその場に生きる青年である。どちらがいいということではなく、どちらも今までの日本の地方に生きる人々の類型から逸脱していく時代の子である。青年だけではない、伝統の中に生きている老若の登場人物たちの生き方にも、時代の生き方は反映している。そこが、夏芝居のシリーズドラマを装ってこの夏枯れの時期に上演されたこの芝居の一番の見どころだろう。
    使いにくい横に長い座高円寺の舞台を中央に置いて客席を対面に組んだ古典劇のような舞台はノーセット、上手に稲荷神社の鳥居、下手に五本の竹を立て、そこに西洋音楽の四人編成のバンド(木管のファゴットが入るというユニークな編成。V,Gu,Pf)を下座として置くという抽象舞台で、劇中歌もあり、邦楽楽器も活躍する。一見無秩序な構えなのだが、これが神社の門前町という舞台によく似あう。この美術・音楽が第一。物語は女性を軸にした三代のホームドラマなのだが。人情噺の相続劇に落ちそうなところを女性個人の生き方の問題にしているところが第二。三十歳を軸に観客が同感しながら見ているのは、都会に生きる人々も地方に根があるからであろう。客席は幕内も多いがそれだけでは230の席がみるみる埋まるということにはならない。
    注文を言えば、キャラを出すことに慣れている花組の俳優(男優)たちに比べ女優陣の性格表現が弱い(面白くない)ところ、広い舞台を持て余し気味で、女優陣のセリフがお互いに届かず会話が単調になってしまったこと、音楽が意欲的なのはいいが過剰なこと(饒舌に通じる)。ほかの方々も指摘されているが脚本が説明過剰なこところ、ことに出だしと最後の部分、説明は演技で埋めなければ、シチュエーションドラマは締まらない。それは17名に猫という登場人物の数がこの芝居の構えとしては多すぎるところからきている。
    作・演出も俳優も甘さは目につくが、それらはすべて、物語の日常のやさしさと道具立て、夏芝居の気分で帳尻を合わせてしまった2時間5分である。
    せっかくタイトルにも使っている雑種の猫の使い方までは手が回らなかった。




  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    素晴らしい!演者もストーリーも舞台も良い!グッときた〜

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    懐かしい。レトロ感ある見事なホームドラマ。田舎出のせいか、歳のせいか、こんな話にはグッときますね。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    ほぼ女系家族の団子屋とご近所さんと化け猫。お盆に相応しいホームドラマ。

  • 実演鑑賞

    見て良かったと思える劇。ジンときた。
    おんちゃんが主役を喰うくらい魅力的でした。

    ネタバレBOX

    朝ドラみたいだった。
    女の生涯と家族のストーリーといい、生演奏の劇伴といい。それを狙って作ったんだろうなあ。
    バラエティ番組の要素が含まれているところなんかは「つばさ」を思わせるものがありました。

    夫婦別姓が選択できたら、問題なかったのかな?なんて想像したりしました。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2024/08/12 (月) 13:30

    普通の人生ドラマに愛着を感じる舞台でした。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    これ見よがしの「泣かせ」などしていないのに、何度もうるうる。日替わりゲストの使い方もなるほどなあと。

  • 実演鑑賞

    良くも悪くも昔のホームドラマを見ているようだ。
    演出も演技も素晴らしいのだがストーリーは田舎の日常そのものである。
    私は演劇に非日常を求めているので合っていなかったというのが結論だ。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2024/08/12 (月)

    観てきました☆ まず劇場に入ったところから洗練された舞台美術と対面舞台に期待が高まります☆
    あやめのお芝居は何度も観てきましたが、今回も素晴らしかったです☆

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    いきなり偉そうな言い方になるが「上手くなったなァ・・」というのが最初に漏れた感想。お盆らしく御霊もご登場遊ばすが過剰に意識させず涙腺を弄られるあざとさがなく、それはつまり「リアル」そのものに語らせている。「いい話」には目が厳しくなる自分だが、過不足がない。千葉の田舎町を舞台に凡そ三世代にわたる家族と地域の半径幾許の中の物語が紡がれる。
    「雑種」とは作者の実家の団子屋を舞台に書かれたシリーズとの事だが、それだけに作者の飾らぬ筆致が印象的である。(ノリの良い演出は健在だが、空隙を埋めるような過剰さ、つまり借りて来た感がないのはそういう事なんだろう。)物語の中心は母という事にはなるが、皆に等しく眼差しが注がれ、いずれ忘れ去られ、今もひっそりと健気に暮らす者たちの群像が浮かび上がる。どこにあってもおかしくない庶民の物語。
    当地を訪問するお客が日替りゲストらしい。私は知らないが花組芝居の名物役者らしく(あやめの客層でもあるのだろう)一々笑いが起きていた。
    座組を支える金子侑香の立ち回り方は長女という役柄をはみ出て気丈な女将の如くなのが(主役でなくとも)滲み出るが、客席を向いた時その目力を初めて認識。
    音楽(効果も)の生演奏も相変わらず質が高い。祭り囃子を奏でる下座に太鼓までは判るが演者が篠笛まで吹いていた(二人も。リード付き篠笛なんてのがあれば習得に時間は要さないかも知れないが..聞こうと思って忘れた)。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     身につまされる観客も多かろう。何れの役者も自然体で良い演技をしているし、生演奏は無論のこと、照明も良いし、等身大の脚本、演出もグー。

    ネタバレBOX

     板は可成り長い長辺の両側を客席に挟まれる形で中央に位置する。平台を用いて構成されているが板に上がる為階段を一段設けてある。片側に神宮の鳥居、鳥居対面に竹林がある。竹林の前には演奏者席。
    舞台は地方にある神宮の団子屋の名店を中心に展開する。伊勢神宮や気比神宮には及ばぬものの神宮の格式は無論神社より高く可成り由緒のある社殿もあり、祭りは盛大である。この神宮の神官は非常に面倒見の良い人で皆から慕われた人格者であったが、盆の時期に急逝した。ところで地方では盆は旧盆を指し旧盆には祭りを催し先祖の霊を迎えて皆で祭りごとをするのが習わしである。この神宮の神官は、この人の人格の気高さからか或いは神職という職業柄か単にヒトに対してのみならず弱いもの総てに対して温たかく接し、放っておけない性格でその様はまことに神々の齎す慈悲の如きものであったから神宮には何と37年も生き続ける猫・小夜を始め8匹の野良猫が飼われていた。そして長生きすれば尾が割れて妖怪にも変化すると言われる猫の小夜には不思議な能力も備わっていたのである。その能力とは、追い詰められて苦吟するものがあると普段は決して鳴き声を上げないのに鳴くことであった。皆からおんちゃん、と親しみを込めて呼ばれる神官は生涯独身を通したが若い「息子」が居たのも小夜がこの「息子」が神宮の前に捨てられていることを彼に鳴き声で報せ保護させたからであった。この物語の中核を為す神宮周縁の土産物屋の中での名店団子屋の当代夫婦もおんちゃんの世話になって目出度く現在の幸せを掴んでいた。というのも日本には良くある家を継ぐことに纏わる問題で愛し合う二人の関係は本家同士の婚姻の障害として立ちはだかり本人同士は人柄といい、家格といいまたその能力といい双方の親、親族も認める良い関係に在りながら、唯一点、互いが本家であり長子が家を継がねばならぬと互いの親・親族が考えていることだけが結婚を阻害していたという事情があった。為に愛し合う二人は追い詰められ切羽詰まって駆け落ちを選ぶ。その時にも小夜は鳴いた。おんちゃんは、救いの手を差し伸べ団子屋の長女の実家の直ぐ目と鼻の先にある神宮の居所に恋人たち二人を住まわせることにした。この時既に長女は妊娠しており約半年後には臨月も近づき実家及び連れ合いの姉らも新たな命の誕生を愛でる気持ちにもなり、また本人達同士も血気にはやった心情から距離を置くことが出来るようにもなって御家制度より大切な皆の幸せを享受する道を選ぶこととなった。実家に戻った長女はやがて娘を産んだ。この子の誕生が溶けかけた氷の関係を一気に融和に導き両家の関係も正常化する。
     この他おんちゃんと養子の関係を結んだ捨て子の貫太郎も子供の頃こそ苛めにあったりもして精神的危機を迎えたこともあったものの、真の子として育ててくれたおんちゃんの心根の意味する処を理解するに至り素直に父さんと呼べる迄に成長した。他にも団子屋の親族で女医を営む弓が結婚もせずに独りで年老いた母の面倒を観てきたものの老いの所為で様々な問題を起すようになった母の面倒を見続けることが限界に達し、施設に預ける道を選んだ時に強固に反対を表明した今は団子屋の女将となった母とその娘たちとの骨肉を分けた者同士の争い等、どの家も必ず抱えている深刻極まる問題群を、何とか自分たちの知恵で解決し人間として生き抜く姿が、旧盆の祭りを背景に既に命の灯の消えた者たち、未だ灯し続け霊を迎える者たちの盆故の交流を通して浮かびあがる。そこに響く小夜の鳴き声。
     誰もが抱える人生の難問をさりげない日常風景に溶け込ませて描き温かい人情で解を導く優れた脚本を自然体で演じる役者陣の演技、演出も良い。また祭りの雰囲気を盛り上げる生演奏も効果的である。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    中盤から終盤にかけての怒涛の展開が好きでした
    序盤は説明・導入が丁寧すぎるような気がしないでもないが、あのほんわかした展開が好きな人にはたまらないんだろうな

    客席で挟まれたステージも端から端まで上手くて
    利用していて素晴らしかった、観にくいと感じることが
    なかったので良かった

    シリーズものですが過去作を観ていなくても充分
    楽しめますが、観劇三昧で2時間過去作を観て行ったほうが私はより楽しめました〜、おすすめです

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    とても素敵な作品でした。
    お団子屋さんを舞台に、現在と過去を交錯させながら描いた物語で、リアル感があり観応えがありました。
    優しい気持ちになると共に、亡くなった両親や、昔を思い出し、涙腺が緩みました。
    役者さん達の演技も良いし、生演奏も良かったです。
    大満足の舞台でした!

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    面白い、お薦め。
    日本の原風景、良き日本人を見るような公演。
    本作は、劇団代表の堀越涼 氏の実家の団子屋をモデルにした雑種シリーズの第三作目。何処か分かるが当日パンフにも明記していないため、敢えて伏せておく。しかし その土地の方言で喋り、この時期に相応しい風習などを盛り込んだ家族劇。家制度や血縁とは といった一筋縄ではいかない問題や思惑を絡め、観客の心を揺さぶる。その情景は心温まるもの。
    物語の肝は、<駆け落ち>と<化け猫>か。

    この物語は 堀越氏の歩みを切ったり貼ったりしながら作った、人生に限りなく近い話だという。悪人は登場しない、しかし立場や考え方の違い、思惑によって小さな騒動が起きる。その山あり谷ありの人生(物語)は、多かれ少なかれ観客に寄り添い 共感を得ていると思う。課題や問題を乗り越えるには、人の思いやり優しさであると。その滋味をしっかり味わえる秀作。
    (上演時間2時間 休憩なし) 

    ネタバレBOX

    舞台美術は対面客席で 中央に舞台。会場(座・高円寺)入口に近い方に赤い鳥居、その反対側に竹林と演奏スペース。天井には社の屋根骨組み。情景によってテーブル等の道具を搬入搬出する。

    物語は団子屋「小堀家」の三代に亘る家族劇。現世で中心になるのは小堀青子、その娘で長女 密、次女 白、三女 綾で、そこに東京 神田から来て従業員になった日下部美穂。すでに亡くなった先代夫婦や青子の夫、近所の裏のおいちゃん等が時代を超えて現れる。勿論 お盆の時期という設定が、日本的な習俗を絡め滋味溢れる話として展開していく。日々のゆったりとした営み、そこに地域の人々との関わりや祭りといった行事でアクセントをつける。

    青子は小堀家の一人娘、幼少期から婿養子を迎える と聞かされていた。その夫 忍は長男で実姉は結婚に反対していた。青子と忍は思い余って駆け落ち、その甘美な響きとは違い、実家から徒歩5分の裏のおいちゃん家へ匿われる。典型的な家制度、お盆という風習を通して過去/現在の往還(37年間という時)は そのまま彼岸/此岸の人々の思いを通じさせるもの。裏のおいちゃんの通夜、それから猫-小夜の存在、その姿は見(擬人化)せず 役者の抱きかかえるような演技で表現する。弱っている人がいると傍に行って鳴く、という台詞が物語の底流にある<人の優しさ>。
    そして三世代の小堀家と対を表すのが、裏のおいちゃんの息子。実の息子ではない―血縁がない。そこに地縁と同時に血縁という<縁>の綾を落とし込み、日常の暮らしにさりげなく深み(人生模様)を描く。

    あやめ十八番らしい生演奏(ピアノ、ファゴット、ヴァイオリン等の洋楽器)、それとは別に劇中でラストシーンに用いる祭囃子(太鼓・笛等の和楽器)を練習する場面や劇中生歌を挿入し、人の地域および行事という切っても切れない情緒を描く。そして和洋楽器を上手く使い音響・音楽の幅広さを楽しませる。勿論 照明の諧調によって時間の流れなどが伝わる。登場人物 18人(日替わりゲスト含め。観劇回は山崎バニラ サン)は、三世代と地域の人々を描くとなると、この人数は相当か。むしろ、人物造形(当て書のようにも思える)がよく出来ていると感心する。縁と言えば、次女 白を演じる大森茉利子さんの娘 佐藤つむぎちゃんまで出演させ親子初共演している。
    次回公演も楽しみにしております。

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