満足度★★★
セリフ回し
は、ワーニャの時と同じだが、作品を事前に勉強しておくと違和感は減る。その分幕毎の台詞が行ったり来たりするので要注意。初心者にはきつかったようだ。ぺーチャは抑え気味、ロパーヒンの躍動、家族がその場から動かないなどの演出は作品をよくとらえておられる。ここまで登場人物をけずるとは、さすが地点である。
満足度★★★
面白い。が、物足りなさを感じた。
窓枠に座り、或いは立ち、そこから動かない屋敷の人々。
巨大なプラットホームのようなベンチ、お金を敷き詰めた舞台を行き来する外部の人間、と分けられている。
お金がばらまかれた舞台上を歩くことにより、音・光と効果が生まれる。
また、窓枠が変わっても、「出ていきましょう」と言っても、最後までその場から動かない屋敷の人々に、家・土地に縛られている感じがあらわれている。
セリフの入れ替え・物語の短縮も面白い試み。
しかし、それには物足りなさを感じる。
演出家がやりたいことはわかる気がするが、もっと大胆でもよかったのではないかと思う。
アフタートークも楽しめた。
満足度★★★★
引きこまれた
独特のセリフまわし、中央の動かない役者たちと周りの走り回る役者たち。
ワーニャおじさんをみたときの衝撃がよみがえった。
チェーホフの作品はいくつか舞台で観てきたけど、
地点はやっぱりすごい。
三浦さんの「おもしろければOKか?」は
役者さんのおすすめで読んだけど、彼の解釈にすごく惹かれる。
もう一度読もう。
満足度★★★
わかりやすい舞台だが
仕掛けで見せる舞台で、ある程度は成功している。
しかし、だんだんその仕掛けに飽きてくる。戯曲の解体・再構築を、もっと大胆にやってもいい。
詳細な感想は、次に書いています。
http://f-e-now.ciao.jp/20110512.html
満足度★★★
桜の園の満開の下
チェーホフの『桜の園』の「読み」は様々だろう。その中には少女小説的な読みがされてきた一連の流れもあって、これはもの凄く乱暴にまとめてしまえば、没落貴族であるヒロインの哀しみを描いているという感傷的な読み方だ。演出家もそれを念頭にして、登場人物たちにしきりと「涙」を流させる。
ところが「地点」の三浦基は、彼ら彼女らに一切の涙を流させない。泣きの芝居を入れない。それどころか、舞台を終始支配するのは、狂気に満ちた「哄笑」である。
この「感傷」を徹底的に排除する姿勢は面白い。三浦基は原作戯曲をいったん解体し展開を変えて再構成、四幕のものを一幕の超ダイジェスト版にスピードアップして見せるが、これはチェーホフの否定ではない。原作の描いた「感傷」の果てには「狂気」がありえることを、演出家が喝破した、一つの解釈である。