満足度★★★
桜の園の満開の下
チェーホフの『桜の園』の「読み」は様々だろう。その中には少女小説的な読みがされてきた一連の流れもあって、これはもの凄く乱暴にまとめてしまえば、没落貴族であるヒロインの哀しみを描いているという感傷的な読み方だ。演出家もそれを念頭にして、登場人物たちにしきりと「涙」を流させる。
ところが「地点」の三浦基は、彼ら彼女らに一切の涙を流させない。泣きの芝居を入れない。それどころか、舞台を終始支配するのは、狂気に満ちた「哄笑」である。
この「感傷」を徹底的に排除する姿勢は面白い。三浦基は原作戯曲をいったん解体し展開を変えて再構成、四幕のものを一幕の超ダイジェスト版にスピードアップして見せるが、これはチェーホフの否定ではない。原作の描いた「感傷」の果てには「狂気」がありえることを、演出家が喝破した、一つの解釈である。